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ゼロからはじめる愛知の戦国史跡と城巡り講座 https://sengokushiseki.com/

歴史初心者向けの分かりやすい愛知の戦国史跡と城巡り講座です

愛知県の戦国史跡や城を歴史初心者向けに詳しく解説したブログです。現地レビューや私の感想など、愛知県内の戦国史好きの方げ向けて情報発信しています。

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2017/01/11

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  • 豊田市則定椎城は遺構がよく分かり巡りやすいおすすめの山城!

    豊田市則定(のりさだ)町に残る則定椎(のりさだ しい)城は戦国時代にこの地に勢力を持っていた鈴木氏の居城です。三河国二葉松には鈴木十内という人物が城主として記されています。私的にはこの則定椎城は山城好きの方におすすめです。その理由は遺構が分

  • 城巡りが好きな人が街道と城下町を知るとなぜもっと楽しめるのか?

    城が好きになり城巡りをしたいな!と思ったら、城についていろんな事を勉強したり、調べたりします。私が思うのは城を巡る時に街道と城下町の知識があれば、同じ城でももっと楽しむことができると思います。その理由は街道と城下町のウンチクは城に直接関わる

  • 緒川城、刈谷城主・水野家の家紋が沢瀉紋を使う理由が残る東浦町地蔵院

    知多郡東浦町の地蔵院はかつての緒川城の近くにある寺院。水野家が沢瀉紋(おもだかもん)を家紋として使う由来が残る寺です。地蔵院は緒川城ふもとを通る師崎街道すぐの場所にあります。戦国時代に活躍した水野信元や水野勝成、そして徳川家康の生母も水野氏

  • なぜ城巡り歴史史跡探訪は車より歩くのがオススなのか?健康にも関わる3つの理由

    私は20年以上、趣味の城巡り歴史史跡を訪ね歩いています。そこで思うのが城や史跡に行くとき、できるだけ歩くようにしてるのです。これは私が所属する愛知県の歴史の会や城巡りウォークでも同じこと。なぜ車でどんどん巡るよりも歩くほうが良いのか?そのメ

  • なぜ犬山城は城下町に稲置街道を通したのか?考えられる2つの理由

    私が講師を務める栄中日文化センターの城巡り講座で犬山市の犬山城へ行ってきました。犬山城といえば天守が国宝に指定されており、日本100名城にも認定されている城ですが、城下町もたくさんの見どころがあります。さて、城巡りをしていて城下町に街道が通

  • 名古屋市熱田村砦は源行家(新宮十郎)が築いたといわれる砦跡

    名古屋市熱田区の熱田村砦は源平合戦の頃、源行家(新宮十郎)が築いた砦といわれています。現在では遺構は残っておらず沢上2丁目の神明社付近が砦跡とのこと。>>熱田村砦の地図【Q】源行家とは 本名は義盛。甥の源頼朝に平家打倒の決起を促した。その後

  • 刈谷市半城土町に残る半城土古城跡は高低差と土塁が残っていた!

    刈谷市半城土(はじょうど)町に残る半城土城跡は稲垣雅楽助(うたのすけ)という城主の城です。現在は真宗大谷派の寺院・勝宝寺になっています。半城土城については、いつの頃の城なのか?また詳細な歴史も分かっていません。>>半城土城の場所の地図現地看

  • 織田信長が桶狭間合戦で戦勝祈願をした名古屋市天白区秋葉山慈眼寺

    名古屋市天白区の秋葉山慈眼寺は永禄三年(1560)の桶狭間合戦時、織田信長が戦勝祈願をした寺といわれています。>>秋葉山慈眼寺の場所の地図名古屋市教育委員会の看板秋葉山慈眼寺 曹洞宗。当寺縁起によれば、大同四年(809)京都御所炎上の折鎮火

  • 松平氏初代の松平親氏が築いたといわれる豊田市松平城址の見どころ

    豊田市松平町の松平城址は徳川の前身・松平氏の初代当主である松平親氏が松平郷に築いた城です。別名を郷敷城といい、松平郷を守る入口にある松平太郎左衛門家の居城です。駐車場松平城は車で訪れるのが便利です。国道301号線沿いに駐車場があります。松平

  • 岡崎市井ノ口砦跡は額田郡一揆での一揆方の拠点になった場所

    岡崎市井ノ口砦跡は額田郡一揆(ぬかたごおり いっき)において一揆方の拠点になった場所です。現在は岡崎市消防本部 中消防署北分署近くの稲荷神社になっています。>>井ノ口砦跡の場所の地図額田郡一揆とは額田郡一揆(ぬかたごおり いっき)とは室町時

  • 新城市作手の川尻城は関東から来た奥平貞俊がこの地で始めて築いた城

    新城市作手の川尻城址は関東からこの地へとやってきた奥平貞俊が奥平氏の城として始めて築いた拠点です。応永31年(1424)頃なので応仁の乱前の城です。>>川尻城址の地図看板川尻城址 天授年間(1375~81)、奥平貞俊は母方の親戚で新城市作手

  • 2026年大河・豊臣兄弟!の主役豊臣秀長生誕地の中村公園へ電車でアクセス方法

    令和八年(2026)NHK大河ドラマ・豊臣兄弟!の主役である豊臣秀長と兄の豊臣秀吉の生誕地は現在の名古屋市中村区にあった尾張中村といわれています。現在では中村公園として整備され、その中に豊臣秀吉を祀る豊国神社があります。この記事では電車で豊

  • 羽柴秀吉の本陣近くを固めた小牧市内久保砦跡

    小牧市内久保砦跡は天正十二年(1584)の小牧・長久手の戦いでの羽柴軍の砦のひとつで蜂屋頼隆、金森長近らが3,000人の兵で守ったといわれています。現在は三明神社になっており、犬山市の内久保砦の旗が立っています。>>内久保砦の場所の地図内久

  • 新城市作手に残る奥平貞久の墓といわれる武士塚と妻の姫塚

    新城市作手の三河亀山城の近くに城主と妻の墓といわれる塚が残っています。>>姫塚の地図姫塚 亀山城二代城主奥平貞久の夫人の墳墓。夫人についての詳細は不明であるが嫡男・貞昌以下六男の母として奥平氏後半の基礎を築いた名夫人である。村人はその徳を偲

  • 岩倉城主だった伊勢守家・織田信安と妻の墓がある岩倉市誓願寺

    岩倉市下本町の誓願寺は岩倉城主だった織田信安と妻の墓がある寺院です。信安は織田信長に抵抗していた同族ですが、後継者問題で息子・信賢に追放されてしまいます。その信賢も浮野合戦で信長に敗れ、その後岩倉城も落城。伊勢守家岩倉織田氏は滅亡しました。

  • 新城市作手の塞之神城を築いたのは米福長者か奥平氏か?現地に行ってみた感想

    新城市作手清岳の塞之神(さいのかみ)城址は伝説の三長者のひとり・米福長者が築いたともその後の土豪・奥平氏が築いたともいわれる城跡です。>>塞之神城址の地図現地看板塞之神城址所在地 新城市作手清岳字本城立 地 山頂・標高628m(比高80m)

  • 小牧市宇田津砦(歌津砦)は徳川譜代の松下親乗、松平忠頼が守った砦だった

    小牧市東3丁目の宇田津砦は、天正十二年(1584)の小牧・長久手合戦で織田・徳川連合軍の松下親乗、松平忠頼が守った砦です。史蹟 宇田津砦趾 此の地は昔 宇田津という鞍作りの名工が居住していましたが、天正小牧・長久手の役、当時徳川・北畠連合軍

  • 犬山城とセットで見たい!城とまちミュージアムのジオラマとは

    日本100名城にも認定されている犬山市の国宝・犬山城に行った時にセットで訪れたいのが城下町にある城とまちミュージアム。ここには犬山城の歴史のほか、すごく分かりやすい犬山城と城下町のジオラマがあります。>>城と町ミュージアム 犬山観光情報

  • 新城市文珠山城は武田軍に脅された奥平氏が一晩で築いたので一夜城といわれる城

    新城市作手の文殊山城(もんじゅやまじょう)は当時、亀山城を拠点にした奥平氏が築いた城です。合戦のためだけに築かれたので文珠山砦(もんじゅやまとりで)ともよばれています。>>文珠山城の場所の地図現地看板文殊山城跡 この城跡は、亀山城主の奥平氏

  • 丹羽長秀の屋敷跡を砦に改修した小牧市蟹清水砦跡は地形と街道が分かりやすい

    小牧市小牧4丁目の蟹清水砦跡は天正十二年(1584)の小牧長久手の戦いで織田・徳川連合軍の砦として利用された場所です。江戸時代には尾張藩の御殿が建てられました。>>蟹清水砦跡の地図蟹清水砦跡 蟹清水砦は、織田信長による小牧山への築城(小牧越

  • 小笠原諸島を発見した小笠原貞頼は西尾市幡豆寺部城と関係があった!その詳細

    東京の南の島・小笠原諸島は戦国時代に現在の愛知県西尾市幡豆町の土豪・小笠原氏の一族が発見されたという説があります。それが理由で小笠原諸島という名前になったとか。ではなぜ西尾市幡豆町の土豪が有名な小笠原諸島を発見したのか?詳細を簡単に説明しま

  • 鳥居強右衛門勝商と妻の墓がある新城市作手の甘泉寺

    新城市作手の甘泉寺には長篠設楽原の戦いで活躍した鳥居強右衛門と妻の墓があります。また境内のコウヤマキは国指定天然記念物です。■甘泉寺の住所■新城市作手鴨ヶ谷門前>>甘泉寺の場所の地図もしかすると参道は…甘泉寺の駐車場を出て参道を登ると何やら

  • 羽柴秀吉自ら指揮をした小牧市外久保砦(久保山砦)は高低差と眺望がスゴい!

    小牧市久保一色の外久保砦跡は天正十二年(1584)の小牧・長久手の戦いで羽柴軍が築いた砦のひとつです。現在は熊野神社になっています。>>外久保砦の場所の地図外久保砦の配置場所外久保砦は秀吉本陣だった楽田城(犬山市)の前方を守る場所にあります

  • 新城市作手に残る米福長者の館跡や酒粕を捨てた塚などゆかりの地を散策

    新城市作手歴史民俗資料館に伝説の三河三長者のひとり、米福長者の説明があります。長者の伝説 平安時代の終わりごろから、地方の豪族の中にも豊かな富をもった長者があらわれます。作手には米福(よねふく)・荒原(あわら)・本宮(ほんぐう)の三長者がお

  • 東西2つの砦があり羽柴軍の三好秀次、丹羽長秀が守った小牧市小松寺山砦跡

    小牧市小松寺山砦は天正十二年(1584)の小牧・長久手合戦で羽柴軍の三好秀次、丹羽長秀が守った砦です。>>小松寺山砦の地図 小松寺山砦跡 天正十二年(1584)の小牧・長久手の合戦で、秀吉方の砦が築かれた。小松寺山一帯に、砦は二か所あったと

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