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ゼロからはじめる愛知の戦国史跡と城巡り講座 https://sengokushiseki.com/

歴史初心者向けの分かりやすい愛知の戦国史跡と城巡り講座です

愛知県の戦国史跡や城を歴史初心者向けに詳しく解説したブログです。現地レビューや私の感想など、愛知県内の戦国史好きの方げ向けて情報発信しています。

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2017/01/11

  • 徳川家康が金扇の馬標を立てた長久手市色金山歴史公園と腰掛けた床机石

    長久手市の色金山歴史公園は天正十二年(1584)の小牧・長久手の戦いの時、徳川家康が本陣を置いた山です。ここで軍議が行われ、長久手合戦が始まりました。■色金山歴史公園の住所■長久手市岩作色金35>>色金山歴史公園の場所の地図どんな山?色金山

  • 長久手市に残る長久手合戦の首塚、耳塚の場所のアクセスと感想

    愛知県長久手市は大東建託株式会社(本社:東京都港区、代表取締役社長:小林克満)が行った街の住みここちランキング2022で1位になった人気の街です。名古屋市に隣接しイオンモール長久手、またアピタ長久手店をはじめいろんなお店があるほか、いつも予

  • 若き織田信長と組んで岩崎城の丹羽氏識と戦った丹羽氏秀の藤島城址

    日進市藤島町六反田の藤島城址は岩崎城の丹羽氏の分家・丹羽氏秀の居城址です。丹羽氏秀は家督を継いだばかりの織田信長と組んで当時の岩崎城主だった丹羽氏識(うじさと)と戦いました。■藤島城址の住所■日進市藤島町六反田>>藤島城址の場所の地図横山の

  • 岩崎丹羽氏最初の居城!日進市の吹上城址と折戸城址の場所と感想

    日進市折戸町中屋敷にある吹上城址、折戸城址は戦国時代に岩崎城の城主となった丹羽氏が最初に居城にした城です。岩崎丹羽氏は清和源氏・足利家の一色分流の子孫といわれ、もともとは一色氏だったのですが、尾張国丹羽郡に移住して丹羽氏を名乗り、その後、現

  • 札の辻とは高札場があった場所!刈谷城城下町中心部跡はこうなっている

    刈谷市銀座4丁目の三菱UFJ銀行刈谷支店の前に札の辻(ふだのつじ)という石碑があります。この札の辻とは何かというと、江戸時代に高札場(こうさつば)があった場所です。高札場とは何なのか?なぜここにあったのか?分かりやすく説明します。江戸時代の

  • 神になった渡辺半蔵守綱!守綱神社や守綱寺がある豊田市寺部町

    トヨタ自動車本社がある愛知県豊田市に寺部町(てらべちょう)という地区があります。ここは徳川家康の家臣・渡辺半蔵守綱が顕彰されている土地なのです。※寺部の読みは てらべなぜ顕彰されているのか?その理由は渡辺守綱が江戸時代初期の慶長十五年(16

  • 尾張,伊勢,近江など7つの国が見えた城が豊田市にあった?!それが七州城

    現在の愛知県豊田市に江戸時代に7つの国が見えたといわれる城がありました。それが七州城(しちしゅうじょう)という通称をもった挙母城(ころもじょう)です。なぜここから7つの国が見えたのか?そしてその見えた国はどこ?またなぜここに城があるのか?実

  • 豊田市元城町には本当に城があった!挙母城(桜城)とはどんな城?

    豊田市役所のすぐ東側に元城町(もとしろちょう)という地名があります。豊田信用金庫本店や愛知県豊田加茂福祉相談センターがある辺りです。元城というくらいなので、『もともとお城があったのかな?』と思いますが、じつはその通り、もともとお城があったの

  • 月刊・愛知の城は愛知県の戦国史跡や城址のフリーペーパー配布場所と時期はいつ?

    愛知県の戦国史跡や城址を紹介しているフリーペーパーがあります。それが月刊・愛知の城。この月刊・愛知の城は愛知県の城歩きをしている愛知ウォーキング城巡りクラブの機関紙です。発行の時期はいつ?ということですが奇数月上旬です。例えば令和五年(20

  • 斎藤道三が織田信長を見送ったといわれる一宮市萩原の天神の渡し跡

    一宮市萩原町、西萩原町の天神社はかつて川の渡し舟の発着場でした。現在の日光川はかつて木曽川の本流で、天正十四年(1586)の大洪水で川筋や川幅も変わり、現在の様になったといわれます。■天神の渡し跡の住所■一宮市西萩原2252>>天神の渡し跡

  • なぜ西尾市行用町に徳川家康が鷹狩りで休息した石があるのか?その理由

    西尾市行用町に徳川家康が鷹狩りの時、休憩したといわれる石があります。それが石橋山福泉寺です。なぜ家康は現在の西尾市で鷹狩りをしていたのか?その理由と実際の現場を訪れてみました。■石橋山福泉寺の住所■西尾市行用町西屋敷53−1>>石橋山福泉寺

  • 賤ヶ岳七本槍の加藤嘉明生誕地説がある安城市三河岩根城址

    安城市三河岩根城は豊臣秀吉の家臣で賤ヶ岳七本槍のひとりに数えられる加藤嘉明が生まれた城と言われています。加藤嘉明といえば日本100名城にも認定されている愛媛県の伊予松山城を築いた人物です。そんな安城市三河岩根城の現状をレビューしてみました。

  • 安城市藤井町の由来はホントに井戸だった!藤井戸の場所と私の感想

    安城市藤井町北山に藤井戸跡という史跡がります。じつはこれ、安城市藤井町の地名の由来になった井戸なのです。一体どんな由来なのか?この記事でチェックしてみましょう。読めない看板現地にはこの井戸の由来となった藤井戸について、安城市教育委員会の看板

  • 伊賀越えの時に徳川家康の歯痛を治した碧南市久沓町の白山神社

    碧南市久沓町の白山神社は天正十年(1582)に起こった本能寺の変の時、伊賀越えで岡崎へ向かっていた徳川家康の歯痛を治したといわれる神社です。■白山神社の住所■碧南市久沓町1丁目5>>白山神社の場所の地図徳川家康にゆかりがある寺社は多いですが

  • 松平元康(徳川家康)が渡った半田市岩滑西橋(お殿橋)

    半田市岩滑西橋(通称:お殿橋)は、桶狭間の戦いの後、松平元康(徳川家康)が渡った橋といわています。この事から江戸時代には尾張藩が資材を提供して修復し、欄干の付いた立派な橋が作られました。■岩滑西橋の場所の住所■半田市岩滑高山町一丁目地内>>

  • 榊原康政の祖父・清長、父・長政や松平忠吉の墓が残る豊田市幸町隣松寺

    豊田市幸町隣松寺(りんしょうじ)は徳川家康や鴛鴨松平氏にゆかりが深い寺院です。徳川家康や松平氏に縁の深い寺院はたくさんありますが、隣松寺は関連する墓が多いです。それではこの記事で隣松寺の見どころをチェックしてみましょう。■隣松寺の場所の住所

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