生きていてそばにいてくれるだけで、良かったのに若死にした友人の奥さんのつぶやく声がふっと聞こえた脳卒中回復期病棟の夜 突然、脳卒中になり片側の手足が動かない。回復期になり多少思考もはたらき始めたこの頃、ほとんどの人は心の中で一度は、”死”を思うのではないでしょうか。私もそうでした。その時ふっと友人の奥さんのつぶやきが聞こえた気がしたのです。私の心の回復への第一歩でした。 励みになりますので(恐縮ですが)下の にほんブログ村 の文字をぽっちと・クリックお願いします。にほんブログ村
道の駅の朝は早い。 夜明け前に、トラックがエンジン音高らかに出ていく他、朝6時前には、車が頻繁に入って来て、ドアを開閉する大きな音がする。早くから仕事に行く人がいるのだ。 大概作業服を着た人が多い。たぶんこれから離れた現場に行くのだろう。 昨晩からトイレの前に止まったままの車から、高速作業員のオレンジ色の服を着た男も出てきている。この方々の朝も早い。 その時トイレから、珍しくネクタイを締めた30代ぐらいのおとなしそうな男性がでてきた。 すぐ60代と思しきおばちゃんが追いかけてきて何か大きな声を出している。ここの掃除のおばちゃんかも知れない。 「どうして女子トイレで~」 「男性トイレが、いっぱいだったから・・・」サラリーマン風男は言い訳めいた事言っている。 これに、お..
取りおいたカレーヌードルのスープ、車の中にぶちまけてしまった。 私はカレーヌードルを食べた時、大概スープが残ってしまう。車内では、それを処分出来ないので、それなら夜に料理で使おう。という目論見でいた。 スープをステンレス・クッカーに二重に入れ、さらにプラスチックの箱に入れていた。 ところが、ステンレス ・クッカーが大変滑りやすい。片手で持った途端に、グラリと傾いた。床はスープだらけ。慌てて車内の貴重なタオル3枚も犠牲にし、拭きまくった(アァ~、片手はツライ!!) 気を取り直して、残ったスープに水を加え生米を入れ、さらに玉ねぎのスライスとウインナーを入れ炊き始めた。 30分後、色合いは少々薄いが、炊きあがった。スパイシーでお焦げもついてうまかった。 生米を入れるからカレーピラフと呼んで..
朝はまずコーヒー。昼食の分まで、たっぷり淹れます。 キャベツとウインナーソーセージを炒めて卵で和える それを食パンに挟んで、ホットサンドにして、半分にカット。 朝は食パン2枚でホットサンドを作る事が多い。半分はアルミ箔に包んで昼用にします。 アルミ箔に包むのは、温められるようにですが、たいがい冷たいまま食べてます。 下はオムレツサンドです。何もつけずこのまま食べても、パンの塩味が感じられ美味しい。車中飯はシンプルなのがいいです。 他に昼に好物のカレーヌードル食べました。その後、やらかしてしまいました。その話は次に・・ それじゃ~また
九頭竜川の道の駅を出発しようとすると、雨の中、カッパを着た一人の老婆が、必死でカートを押して横切ろうとしている。道の駅横で販売する野菜でも運んでいるのだろう。 何とはなしに歩く姿を見ていたのだが、それにしても足が出ない。一歩必死に足を出し、また一歩必死で足を出す。 車降りて助けに行こう。 「何かお手伝いする事ありませんか」 と、そんな衝動が突き上げた。 だが、暫くして我に返った。 私自身が重度の身体障害者だ。何の手助けが出来るというのだ。 それから、ただ、頑張れ!頑張れ!と心の中で念じた(その後、カメラ取り出してパチリ、まだ・・目の前だ) それは、近い将来の自分の姿だ。 年老いても、この老婆の様に頑張らなければ。 そんな勇気をもらった。 それじゃ~また ..
車旅で持っていく食材、大分整理されてきました。これで、四泊五日分の食材です。 コロナということもあって基本外食はしていません。 コンビニにもできるだけ寄りたくない。初老となって、見た目美人のコンビニやスーパーの弁当に魅力を感じなくなってきました。 普段は、見た目も飽きない古女房(笑)と、とりとめないこと喋りながらの食事が私には一番楽しい。 そんなわけで車中飯は簡単なものです。 基本色食材は、卵とウインナー、野菜は玉ねぎのスライスとキャベツ(これは女房に事前にカットしてもらています)、ミニトマトです。 これに魚類のレトルトパック、パスタ、カレーヌードルでしょうか。 そうそう主食は、6枚切りの食パン、無洗米も欠かせません。車旅を重ねるにつれて車中飯はシンプルがいいと思えてきま..
ポリバレントとは多用途の事です。 私は、普段の歩行に、装具と杖が欠かせない。 雨の日に、外出し買い物しなければならない。どうする? 自宅では、外出を諦めるか、女房に頼むかですが、旅先ではそれが出来ない。 ただし店の近くに駐車出来るので、歩く距離はそう長くない。最大50m程度だろう。 どうすべきか考えた末、義父の使っていた歩行器があったことを思い出した。 ◆傘をさし安全に歩く 雨の日、杖をついての歩行は滑る事への注意が必要だ。この点歩行器は車輪が四つもあり安定している。傘は自転車や乳母車で使う傘の固定器具を使っている。但し要注意は風である。風の強い日は、これまで通り帽子プラスパーカーフードでいく。 ◆買い物カート化 コンビニや道の駅など買い物カートがないと..
一乗谷から九頭竜川遡って大野市を抜けようとした道端に「宝慶寺」と書かれた小さな矢印案内が目についた。 あれ⁈これ司馬遼太郎さんが、「街道をゆく」で書かれていたお寺では? 中国で道元と一緒に修行していた中国僧は、道元が日本に帰国した1年後、道元を慕い永平寺にやってきた。 その後道元の死ぬまで側で修行を続けた。道元の死後は永平寺を離れ、大野の山奥の小さな寺で、死ぬまで修行を続けた。 道元の修行形態(禅風)を引き継ぐ真の後継者は、この僧(帰って調べると「寂円」だった)だ。そんなことを、司馬さんは熱く語られていた。 やっぱり引き返そう。十数キロ通り過ぎていたが、そう思った。 その看板に従って山奥に入って行った。道はかなり整備されていて(といっても一車線であるが)割と楽に登っていくことができた。 ..
一乗谷に本拠地を構える戦国大名の朝倉家は、越前の国を支配し、それが五代103年も続いた。 一乗谷は、三方を山で囲まれ鉄壁な守りの城下町である。外から侵略困難な安全な都市であり、その一方で越前という豊かな米どころからの年貢で、朝倉家は大いに潤った。 その繁栄の下、積極的に京文化を取り入れて文化面でも国内最高水準の都市であったとされる。 豊かな年貢と鉄壁の守りが朝倉家を支えたのだが、結局は織田信長によって滅ぼされる。 浅井・朝倉連合が、織田信長と戦った有名な姉川の戦い(滋賀県)では、朝倉家当主義景は一乗谷から動かなかった。内紛が続くお家事情により動けなかったという説がある。 百年一日のごとく国を守っておくだけではだめなのだ。守りに入ると、家臣が一致団結する目標がなくなり、力が内側に向かい、結..
【神戸新聞2022年6月24日】 こんなマップが全国で広がればいいなと思います。 特に私が欲しいと感じるのはお寺情報です。 お寺は古い建物なので、バリアフリーになっているところは少ない。ですから逆に貴重です。 他には、やはりトイレが一番気にかかります。簡単でいいので障害者対応の状況(車イス取り回し易さ、ウォシュレット、オストメイト等の設備・機能等)は是非載せていただきたいです) 私も身体障害者の車旅に役立つ、道の駅や高速道のサービスエリアの情報出していきたいと思います。 それじゃ~また
【平岡浩絵 画「瑞穂の国を描く」】 6月13日、霊峰白山周辺と、琵琶湖・近江旅をはじめた。 まず敦賀から国道8号線を海岸沿いに北上した。 沿岸部を抜けて平野部に入ると、道が真っ直ぐになり、ここが豊かな田園地帯だったことがわかる。 広い平野部と白山水系の豊富な水量。きわめて稲作に適した地であるのだろう。 こんな豊かな地で、なぜ「一向一揆」が起きたのか、今回の旅の目的の一つは、それを考えることにある。 我が国は、古事記にすでに記されていたように、みずみずしい稲穂の実る瑞穂の国である。 この実りを吸い上げることで、膨大な富が権力者にもたらされた。 どの程度徴収されていたのかは藩により違い諸説あるが、五公五民(50%)といった所だろう。ただし大問題は、豊作でも凶作でも毎年一定の年貢を納める必要があ..
脳卒中で倒れて11年が過ぎた2021年秋の日、初めて車中泊一人旅に出ました 兵庫県最高峰氷ノ山の明延鉱山跡地から始まって山陰海岸~若狭の旅記録です。 コロナ禍での神戸ナンバー車で、人との接触を出来る限り避け。山陰丹後半島2泊3日、続いて宮津~若狭2泊3日の旅をしました。 ◇初回 氷ノ山~山陰海岸の旅 氷ノ山・明延鉱山(兵庫県)~道の駅はが(兵庫県波賀町)~岩美・浦富海岸(鳥取県)~新温泉町(兵庫県)~久美浜(京都府) ◇二回 宮津~若狭の旅 宮津(京都府)~若狭大飯町(福井県)~若狭美浜町(福井県)~三方五胡(福井県)~名田庄(福井県) 自宅からの全行程距離は、おおよそ550km程度でしょうか。 のんびりした行程でした。車旅の楽しさを再認識しま..
この半年は大幅な下落傾向です。日経平均は、22/07/01に25,935円です。22/01/05に29,388円付けてますので、半年で約12%の下落です。 コロナ、米インフレ、ロシアの侵略等々、先行きの見通しも真っ暗、暗。そんな状況でしょう。 そんな中で、2015年から投資を始め初心者の域を出ない私が、どう投資行動を取っているのかの報告です。同病者の方の多少の参考になりますれば。 ◆投資信託積立(毎月) 年初より変わりなし。これからも続けます ナスダック100 5万 S&P500 5万 その他(先進国等) 2.1万 計 12.1万 ..
2021年11月末~12月初の、四国旅4泊5日の記録です。コロナ禍での神戸ナンバー車で、人との接触を出来る限り避ける4泊5日の旅でした。 自宅~佐田岬半島(愛媛県)~遊子水荷浦(愛媛県宇和島市)~愛南町(愛媛県南宇和郡)~足摺岬(1) (2)(高知県土佐清水市)~仁淀川(高知県)~安芸市(高知県)~室戸岬・歩き遍路さん(高知県)~淡路島(兵庫県)~自宅 ◆距離、燃費 自宅からの全行程距離 1400km ガソリン代 14000円 1リッター当たり走行距離 16km 1リッター当たりガソリン代 162円 端数は切っ..
◆自力の欠点 先に「自力(じりき)リハビリのすすめ」を書きましたが、それだけでは、ちょと足りない気がします。 自力の欠点は、個人主義、競争優位の側面が強くなることにあります。 片麻痺同病者で「俺は、死に物狂いのリハビリやって、奇跡の回復遂げたんだ!」と鼻高々な人いますよね。 脳損傷が軽かったケースが大半だと思いますが、問題は同病者間で優位に立ったと勘違いし、その方法を重度の人にまで押し付けようとする事です。SNSの同病者グループでもこんな人多く見かけます。 自力には鼻持ちならない人を生み出す側面があるのです。 ◆他力の良さ 一方、日本人は古来より他力本願という美徳を持っている。「おかげさまで」という感謝の心です。 こうしてリハビリできるのは、医療関係者のおかげ、理解ある家族のおかげ、といった..
駐車したらサッとセットしたいサンシェード。特に夏場は。 これまで、サンバイザーを下ろして何かとサンシェードを立ててましたが、安定せずしかも隙間だらけ。 サンシェードを吸盤でピーンとセットしたいのですが、片手では、これが難しい。私は左片麻痺なので運転席から、左上にを吸盤を押し付けることが出来ない。 そこで、一旦車を降りて助手席ドアを開けて、吸盤を止めていました。これ、本当にめんどくさい。 できれば、涼しい車内の運転席から簡単に取り付けたい。 そこで考えました。材料はほとんどが100均か、家に転がっていたものです。 1.左窓の左端に小さなスチールプレート(マグネット吸着用)を貼り付けます。 スチールプレート(マグネッ..
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生きていてそばにいてくれるだけで、良かったのに若死にした友人の奥さんのつぶやく声がふっと聞こえた脳卒中回復期病棟の夜 突然、脳卒中になり片側の手足が動かない。回復期になり多少思考もはたらき始めたこの頃、ほとんどの人は心の中で一度は、”死”を思うのではないでしょうか。私もそうでした。その時ふっと友人の奥さんのつぶやきが聞こえた気がしたのです。私の心の回復への第一歩でした。 励みになりますので(恐縮ですが)下の にほんブログ村 の文字をぽっちと・クリックお願いします。にほんブログ村
ポータブル電源の残量が無くなったため、 仕方なく食パンをそのまま、ゆっくり嚙んでいると 塩味が効いていて、何ともウマイ 食パンってこんなに美味しくなっているのか! 毎朝トーストされたものを、十数年年食っていたが、初めて気付いた。 こんな発見あるから旅はいい それじゃ~また 毎度恐縮ですが下の にほんブログ村 の文字をぽっちと下されば励みになります。 にほんブログ村
▼以前「突然やってきて玄関でハンコだけもらってはいさよなら」のケアマネージャーの話をしました。 彼女との関係は本当に変わりました。彼女は1週間前には必ずメールで予定を聞いて互いのスケジュールを合わせ訪問してくれる様になりました。もちろん必ず私の部屋にまで入ってきて、顔を合わせ、15分程度は話をする様にもなりました。 ▼話してみれば、彼女は大変熱心な人で、勉強家でもあります。また彼女の故郷、坂だらけ、ネコだらけの町である広島の尾道の話題から、坂の歩行方法や、ネコ、映画などの話題で盛り上がるようにもなってきました。 それだけではありません。私がロボットリハビリで入院していた時には、リハビリを見学したいと言うことで、ロボットの横で1時間ずーと私のリハビリを見学していました。 さらに私を担当してくれていた理学療法士とも、熱心に..
知らなかった。 三沢には、寺山修司記念館があるのだ。 斗南藩観光記念村の帰り寄ってみた。直ぐ近くなのだ。 若い頃には、寺山修司の著書も映画にも一通り触れていた。 映画「田園に死す」で、線路を歩く八千草薫の美しさに度肝ぬかれた。私は未だあの時の八千草薫以上に美しい女性を知らない 記念館に着いたのがやや早く開館まで1時間ほど時間があった。 車の中でパンフレット眺めて、ぼんやりとしていたのであるが、今の私は寺山修司に大して興味がない・・そんな気持ちが段々とわき上がってきた。 そうなってくるとこれから十和田湖を経由し花巻や平泉を訪れようとした気持ちも萎んできた。 今は、権力者の富の証の金色堂にも、宮沢賢治にも興味はなくなってきているのだ。 ..
▼今回のテーマは「障害受容」です。 私は「上から目線のイヤな言葉やなあ~」とずーと思ってきました。障害を負ったこともない医師やセラピストが、冷たい目で我々の心を、物体の様に観察しランク付けするイメージです。 1.障害受容に至る過程 通常の障害受容は図-1のように進むと言われます。「ショック期」からー>「否認」ー>「怒り」ー>「抑うつ」と進んで最後にー>「受容」に至るらしいのです。 「未だ障害受容できてない人」「いまこれぐらいの段階や」と治療側が仲間内で評価しあう。「ホンマにほっとけや!受容できていようといまいと、余計なお世話じゃ」と毒ずきたくなります。信頼関係のない患者と医師やセラピストの間で、これほど使い方が難しい言葉もない。実際、私に「吠えられた」OTが私のことを仲間のOTに「障害受容できてない」と言ったのをこの耳で聞きまし..
久々の「お気をつけあそばせ」シリーズの記事です 亭主を、都合よくコントロールしようとする妻 ▼私の母がそんな女だった。夫婦で 鉄骨建築の会社を起業したが、 母が実質的に社長、 父は 現場監督だった。お金のことは全て母親がやっていた こういう人は 、頭も良く愛情深そうに思えるが、 そうでない。 自分が思うままにコントロールできる人間が好きなだけだ。 ▼母の晩年は父に内緒で、それまでの苦労に復讐するように 贅沢品にお金を使い続け、一方で自分の気に入った親族を偏重し援助を続けた。 父は終始、理性的でなく感情的人間で、死ぬ間際まで酒を飲み続けた。当然会社は、大きな成長の機会を逃し、実質的には個人企業の域を出なかった。 ▼お金(蓄財)に関して、次の様に私は考える 。 蓄財には、四つのステージ(段..
▼女性看護師さんによって気が合いそうなタイプ、どちらとも言えないタイプ、どうも苦手と感じるタイプがあります。 ▼わたしは、柔らかくおもしろいタイプは気が合いますが、勝ち気なタイプはどうも苦手です。 ▼勝ち気、強気なタイプには闘争心さえ感じるのです。接しているとどうしても態度や言葉に”ぞんざいさ”を感じるのです。私の経験ではわりと美人が多く上から目線で人を見る。負けず嫌いな私は、ムラムラ反発心がわいてくるのです。 ある意味自分と似た面も無くはない人なのですが・・・。とにかく私の場合「ムラムラ反発心」が問題なのです。これをコントロールする必要があるのです。 ▼世の中自分の気の合う人とだけ付き合って楽しくやっておれれば、それは幸せなのですが、これから先に病院や施設等で暮らす可能性は誰しもありますので、..
片手でくぎを打たなければならないこと、時々あります。 そこで、考えたのがこちらの方法です。 (1)家電部品や菓子などについてくる発泡スチロール(あるいは硬いスポンジ)を用意します。 (2)それにまず、くぎを立てます(ねじくぎは回しながら立てます)。端の方がいいです。 (3)くぎを打つべき場所に立ててくぎを打ちます。 (4)くぎが固定されたらスポンジを引き抜く。スポンジは破けます。ですから、最初に端の方に刺しておく方が良いのです。 それじゃ~また。 毎度恐縮ですが下の にほんブログ村 の文字をぽっちと下されば励みになります。 にほんブログ村
旅ブログを書くことは楽しい。 第一に、旅を再体験できる。ある旅の一瞬を切り取って、じっくりと味わい直すこともできる。 二番目は、書いたものを読んでくれる人がいることである。少人数でも読者のいることは大いなる喜びであり励みになる。たまにコメントなどいただくと、更に嬉しい。 三番目は読み返す楽しみである。自分の体験したことが写真だけでなく文書で残っていることは、そのときの心情がよみがえってくる。 ブログをお書きなったことのある方はお気づきだと思うが、自分の書いたものは面白いのである。 興味も考え方も同じで、すぐ理解や共感できるから当然と言えば当然であるが、つい熱中して時間を忘れる。 四番目は、いつでも何回も気楽に読み返せる楽しみが残っていく。例え、身体が弱って書けなくても読み返す、あるいは読み上げで聞く楽しみは残る..
四国への5日間の旅、走行距離は1350㎞だった。のんびりと余裕のある行程だった。 そのうち4割弱が高速道だったろうか。 地方の比較的空いている高速道では、N-VANのクルーズ・コントロール機能が本当に役に立った。 最高速度を設定しておけば、前の車に合せてくれる。例えば最高速度を90キロに設定しておく。前の車が80 km で走っていればこちらも80 km に自動調整してくれる。前に車がいなくなれば最高速度の90キロまでスピードが上がる。 アクセルペダルを細かく操作しなくてもいいから、大変楽なのだ。 足を床にぺったと置いておけるから疲れない。 私は片麻痺となって、以前に比べ集中力、瞬時に様々な事を考え操作するという点では、少し劣るように思う。同乗者と会話は苦手だ。 だからアクセルに気を遣わなくていいぶん、非常に運転が楽..
と言っても SNS で知り合った方たちと、実際に出会い交流するというわけではない。 まあSNS での知合いと言っても、時々コメントを交わすぐらいの淡いお付き合いである。でも何年か経つと、どの地方のどの町に住んでおられるか、どのように暮らされているのか、風貌なども徐々に分かってくる。 だからといってその町に行った機会に連絡を取ってお会いしようとは思わない。 私も重度の障害者で思う場所に自由に行ける訳ではない。また知り合いの多くは私と同病の方が多く、出かけられるのは容易でない方も多い。 ただその町を通り過ぎる時に、その方を思い浮かべ、町の匂いを感じ、この町のどこら辺りにお住まいになっているのだろうと想像する。そして、これからも良き日々をお過ごし下さいと心から念じる。 東北旅行の際は、会津若松のOさん、仙台のTさん、青森のRさん..
東北旅の終わりに、最後の瞽女、小林ハルさんの永眠の地を訪ねた。 小林ハルさんについて以前書いた記事はこちらである。 障害を生きる 最後の瞽女小林ハルさんと鉛筆画家木下晋さんの出会い それにしても胎内(たいない)と呼ばれる町の観音様のすぐそばとは。 ようやく母の胎内に戻り、観音様の側で安らかに小林ハルさんは眠っている訳である。 とてつもなく過酷な人生であったが、最後はこの地で30年の穏やかな暮らしがあったのだ・・。本当に良かった。 105才で永眠されるまでの29年間を過ごされた老人ホーム「胎内やすらぎの家」は視覚障害者の方への専門的な支援行う老人ホームであり、この施設内にハルさんのお墓もある。 新潟の長岡や高田の瞽女なども多く入居しており、施設のイベントでは、仲間たちと一緒に演奏し歌った。また弟子..
私が山形県で楽しみにしていたのは酒田市の「土門拳記念館」を訪れることだった。 原発投下後の悲惨な人々の写真、九州の炭鉱の子供たちの写真、仏像の写真など、私は土門拳の写真のファンなのである。 ところが、著名な建築家が設計したと言うこの記念館、身体障害者には非常に厳しかった。 障害者用の駐車場があるのだが、これが遠い。一般の駐車場の方が入り口に近いのだ。 それから私は歩行器を押して入り口に向かったが、これが大きな鉄の扉で、片手の力ではどうにも開かない。 幸い、外を掃除をされていた職員の方がおられ、入り口を開けくださった。 帰りもこの扉を開けようと、苦戦していると、見かねた受付の職員の方が、わざわざ出てきてくれて開けてくれた。身体障害者だけでなく高齢者や女性も開けるのは厳しいと思う。 館内の売店にも階段を使わない..
下北半島の元会津藩士の過酷な暮らしを救ったのは意外にも明治政府による「廃藩置県」であった。 これにより藩はなくなり移動も自由になった。ある者は会津に戻り、またある者は東京に出た。 しかし引き続き下北に残り、ここで暮らしを立て直すべく奮闘した人々もいた。代表は、元会津藩士・旧斗南藩少参事であった広沢安任である。 広沢は、当地が古くから南部藩最大の馬の放牧場であったことに目をつけ、貧困に苦しんでいた旧会津藩士のため政府に上申し、土地を無償で借り受け近代的な牧場を開いた。 地域の特性を生かして暮らす、そんな基本を怠って硬直した江戸幕府の政策失敗のツケは結局、弱い庶民に回ってくる。 全国一律に稲作に固守しなければ、地方の特徴を生かし多様な道が開けるのだ。 しかし元会津藩士たちの聡明さが、ついに再起に繋げたのだ。 どんな..
会津地方、なんて落ち着いたいい町々であろうか。 高速道から初めて眺めた会津の町。周りを山々に囲まれた盆地。その中に豊かな田園地帯が広がっている。猪苗代湖の豊富な水系がもたらすのだろう。 そして山々の中で一段と、神々しくそびえ立つ磐梯山。 こんな町では、ひとは、日々落ち着た心持で暮らせるように思う。 だから古く会津藩の時代から、教育に熱心で、その成果も上がっていたのだろうと想像させる。 こんな豊かな土地から戊辰戦争に敗北したことにより、米の取れない極寒の青森県下北半島に藩ごと移封させられたのである。斗南藩である。 大きな落差のある暮らしに、人々の嘆きはどれほど大きかったであろうか? それを確かめるべくここ会津若松から、青森県下北半島に向かおうと思う 。 ..
奥羽(東北地方の太平洋側)の北部(岩手、青森)の農民は、日本の歴史上、本当に凄惨な暮らしを強いられた。 本来は、縄文時代の古墳が発見されるなど、漁業を中心に畑作、山の幸を加えれば、豊かな土地であったにもかかわらずだ。 全ての不幸の始まりは、武士による年貢取り立て。その土地に不向きな米作を強要されたことだ。 ここは太平洋側からの冷たい風である山背(やませ)が吹いて、南国産の米作など元来不向きな土地なのだ。 山背、冷害、凶作のパターンで農民は飢餓にあえいだ。 最近、Yu-Tuber歴史家が「農民は飢餓の年は、藩により備蓄米の放出があり幸せだった」と物知り顔で、平然と言うのを聞いてぶったまげた。 歴史上、そんなレベルでは全くないのだ。数年に一度は、ここそこで、餓死が当り前の様に起こるのだ。 それでも盛岡藩は年貢を強制..
▼「空木」は、枝の中が空洞であることから「空(うつ)ろな木=空木」と名付けられたと言われています。 ▼作家の「宮部みゆき」さんと「杉本章子」さんが対談し、 山本周五郎作「なんの花か薫る」に関して次のように発言されています。 (杉本)人が、人でなしの顔をして出てくるのはよくあるけれど、人でなしが無垢な善人として出てくる。 (杉本)無意識の悪意。本当に天真爛漫な「人でなし」のぬけぬけとした残酷ぶりをじっくり心に刻んでほしいと思います。 (杉本)本当に誠実で心の中にあることをそのまま言っているんだろうと思うんですね。だけど結果的にはすごいぬけぬけとした残忍な性格だなと思わせるわけですよ (宮部)悪いことをしていると思っていないんですよね。ふっと邪悪が臭う 。 (杉本)山本周五郎の作品というのは人間の残酷さとか邪悪さと..
高校を卒業した頃、「漫画には小説や詩と同じように大人が読むものもある」ということを教えてくれたのが、漫画雑誌「ガロ」でした。 つげ義春さんの「紅い花」,永島慎二さんの「フーテン」夢中になって読みました。 編集長であった長井勝一さんの「まんが美術館」が塩釜にあると知って訪ねました 入場者は私一人で、普段見ることのない漫画の生原稿をじっくりと味わうことができた。やはりみんな恐ろしくうまい! ガロは紙質が悪いこともあり、なんだか下手に見えた作品も、生原稿を見るとやはりスゴイ!プロもどきは生き残っていけない厳しい世界だと、実感させられた。 作家の息遣いを感じる生原稿はやはりいい。 ★仙台の先にある塩釜という街、初めて訪れた者には何とも走りにくい街でした。交差点..
越前加賀は、日本の歴史上、類まれな地域である。それは庶民による自治共和国が100年も続いた歴史を持つからである。 この旅で、白山市鳥越の一向一揆歴史館を訪れることを楽しみにしていた。 この地は「百姓の持ちたる自治共和国」が大抵抗の末に、最後に滅んだ所である(1582年) 滅ぼしたのは織田信長である。 信長との戦いは、石山本願寺(後に大阪城)、金沢御堂(後の金沢城)と二つの大拠点が陥落し、大勢は決していたが、鳥越は、なお最後まで徹底抗戦した地である。陥落後は、周辺の集落に人が全くいなくなるほど残虐な殺戮(さつりく)を受けた。浄土宗門徒は武士の世を揺るがす危険集団とみなされたのだ。 その100年前、本願寺門徒による一向一揆で守護大名を打ち破って百姓の持ちたる国が誕生した。百姓による自治共和国である。 百姓とは、中心となった..
私が小学生の頃、テレビが爆発的に普及しました。東京オリンピックが開かれるからです。 期待に胸膨らませた東京オリンピック陸上競技では、惨敗つづきでシュンとなりました。 ただ一人、最終種目のマラソンで、円谷選手がメダルを取ったのです。歓喜しました。 円谷選手は首を傾け本当に苦しそうに走るのです。アベベに次いで、競技場に戻ってきた円谷選手は、そこで一人の白人選手に抜かれましたが、何とか銅メダルを獲得しました。 私もこれに大いに刺激を受けて、「円谷選手のようにオリンピックに出る」と人生初の目標を立て、毎朝走るようになりました。円谷選手は私のヒーローでした。 何年か後、あの円谷選手が自殺したという衝撃のニュースが飛び込んできました。 「なぜ?」という疑問は脹らみましたが、それでも毎朝一人で走ることは止めませんでした。 家..
【神戸新聞2023年4月13日】 こういったサービス、提供者側からの話はよく耳にします。 問題は得てして「お金がある」高齢者、障害者向けであることです。こんなかゆい所に手が届くサービス提供するのだからと、コストアップ式に料金がどんどん高くなっていく。 市町村による障害者移動支援サービスはあります。私も2年程プールでのリハビリに利用していたことがあります。 しかし提供者都合で日程など決められますし、何より「してやってる感」が強く出て、多少圧力を感じました。 ですから、相手は時間を守らない。対等の関係ではないのです。 今回の取り組みも、多くの身障者が気楽に利用できる料金、提供者のサービス・マインドの向上にも目を向けてほしいと希望します。 それじゃ~また ..
【神戸新聞2023年4月9日】 ◇画像をクリックすると拡大されます。 私は、左片麻痺ですが、麻痺側に膝が上手く曲がらない。 頑張って歩行リハビリすればするほど膝が突っ張っていく。 ですからこんな器具あればいいなあ~と常日頃感じていた。下半身まひとあるが、片足だけの装着も片足だけでも使えそうに思う。 問題は一台数百万という値段と、訓練できる施設が限定されること。はやくこの問題が解決されること切に望みます。 それじゃ~また
次男の婚約、両家の顔合わせ などで 、なかなか旅立つことができなかったのですが、 ようやく 今年初めての車一人旅に出ます。 Twitter やブログで紹介されていて、いいなぁ~と感じた場所にも行ってみるつもりです 。ご紹介いただいた方々、ありがとうございます。 歩行などの調子はそんなに良くはないのですが、怖がって縮こまるのは嫌いです。その分、細心の注意を払いながら行動したいと思います。それが小さな自信につながります。 それじゃ~また
◆「薬のやめどき」医師長尾和宏著 先生の主張は「薬は幸せな人生にどこまで役に立つのか。 そのためには やめどきを間違えないことだ」ということだ。 薬のやめどき 作者: 長尾 和宏 出版社/メーカー: ブックマン社 発売日: 2016/12/22 メディア: 単行本(ソフトカバー) ◆どうして多剤投与が起きるのか 臓器別 医療による細分化 、患者の高齢化 、さらに薬好きの国民性が重なり 、多剤投与による無駄な費用が増大し 、誰も止められなくなってきているだけだ 。だから自然増 と言うべきだ 。本当はもっと減らせる 医療費の中で一番 減らせる部分はまず 薬剤費なのだ。 ◆医療のやめどきを知らない医師 「やめ..
【神戸新聞2023年3月22日】 いかにもお役人が考えそうな机上の政策である。 まあ、これはこれでいいだが、役所は長年法定雇用率をごまかしてきた。メガネを掛けただけの人間を障害者にカウントするなどひどいものだった。そしてその責任を取ってはいない。 少なくとも長年のズルの埋め合わせとして民間企業の法定雇用率の倍を基準に設定すべきだと思う。 そうやって実際に障害者を雇い入れ、苦労して手に入れたノウハウを民間企業に提供してほしい。 <吠え!吠え!> 自分たちは大して苦労せず、民間企業ばかりに苦労を押し付け、達成できなければ罰金を徴収する。 ええ加減にせんかい!! それじゃ~また 役人
◆妻への詫び状(1) 結婚して数年たったころ、今も一緒に暮らしていると古い友人に言うと、驚かれた。 今にして思えば、確かにコミュ力もなく性格も悪かった。 ◆妻への詫び状(2) 妻にどうしても聞けないことがある。 「俺と結婚して良かった?」 答えと確率予想(日頃の言動から) 浮気や賭け事しない。暴力も一切なし、ただ人生がギャンブル 1 失敗60% 2 経済面は、ギリギリ良かった30% 3 良かった10% 死ぬ前には、一度聞くつもり。 ◆妻への詫び状(3) 「今が一番いい」と言う妻。 脳卒中で仕事を失くし、要介護2の俺が、ほぼ家にいる暮らし。 それでも、これまでよりは、ましだと・・・? ほんま救われた。 ..
◆2024年から新NISAが始まる 国のメッセージを読み解けば、 「もう公的年金だけで老後の生活は到底支えられません 不足分は投資により自己責任で作ってください。 国も年金積立金は投資で運用します。 どうか新NISA制度を利用して自己責任(損失補填はしません)で資金運用にチャレンジしてください。」ということであろう ◆止まるは地獄,、行くも地獄となるか? 特に、今は世界的に株価は低迷している。 それでも私は行くつもりです。長期スパンで見れば、平均年5%の収益は信じています。 それじゃ~また meganesaru707新NISA成長枠、公募投資信託の3分の2が対象外 金融庁方針 - 日本経済新聞 https://t.co/SiLIv..
◆長く生きていると誰でも一つや二つ本当に苦しい目に会う時がある。別離、災害、裏切り、病気などである。 なぜ自分がこんな目に会わなければならないのだ⁈その理不尽さに打ちひしがれる。 今、幸福そうに見える人でも、過去には消してしまいたいような出来事もあるものだ。 ◆時が解決する面もあるとはいえ、いつまでも生々しく蘇る記憶もある。 半世紀近く前の事で、うなされることががあり、目覚めて我ながら驚く。 深い悲しみは止まらないのだ。 それが、生きて行くことなら受け入れるしかない。死の間際まで続くのだろう。 それじゃ~また
【神戸新聞2023年3月19日】 ◆このようなバリアフリーマップへの取り組みがあることは、これまでもちょこちょこ聞いていたのですが、姫路でもNPOにより取り組まれているということです。 観光振興のため、この様な地図が、多くの街で作成されることを切に願います。トイレの場所等、車椅子の方だけでなく高齢者の方にも喜ばれると思います。 ◆内閣府 まち(都道府県・指定都市バリアフリーマップ等ホームページ一覧)
木下晋さんの作品「祈心」です。 鉛筆で描かれています。 10年近く前、元大工の義父が脳梗塞で不自由になった手で近所のお地蔵さんに屋根付けました。 そこに近所の人がお供えしています。 皆さん手を合わせ何を祈ったのか やはり 庶民の暮らしには「祈り」があります。それは世界に共通するように思います。 邪悪な人には欲望はあっても、暮らしに「祈り」はない。 それじゃ~また
【工事後/引き戸】 【工事前/開き戸】 ◆洗面場兼風呂の脱衣所となる部屋の扉を、開き戸から 引き戸に変えた。 開き戸の場合、後ろにステップしながらドアを開けなければならない。 普段、室外では、装具と杖を使って、室内では壁に手をついて歩行している身にとっては、この動作は非常に難しかった。 また車椅子になった時を考えると、自走でも押してもらうにしても、どうしょうもなく不便だ。 それで前々から引戸に変更することを考えていた。 ◆今回は吊り下げ式の扉である。 これによって床にレールをつけなくても済む。段差ゼロだ。開け閉めが若干重いのかなと思って、取っ手だけは大きめの物にした。 結果、スムーズに開け閉めできる。もちろん車イスでの出入りもOK..
小さな庭にも様々な恵みがあります。母が植えたものが多いですが、みょうがの様に自然と生えてきた物もあります。 庭のミカンです。 下、段々色濃くなってきた状態です。 (写真上) ミョウガの茎です (写真下)庭の手入れしていた我が女房 「まだ、こんな立派なミョウガあった!」 と大興奮。 庭のイチジクです。下が実りの時です。 庭に自生しているシソを、プランターに植え替えてみたら、ぐんぐん大きくなりました。夏の麵友(めんとも)です。 左がみかんの木、右がイチジクの木です。 杜仲茶の収穫が済みました。1年分のお茶..
台所から見た桜並木です。植樹した頃、地域住民の名札が下がっており、みんなせっせと世話しました。 父の名札もありました。鉄骨建築屋でしたので、立派過ぎる害鳥除けがしてありました。 ツツジの咲くころ、田植えの終わった田に山が映り込んでいます。
meganesaru707https://t.co/BKF4gc6ltK03/26 00:27 【神戸新聞 2023年2月】 ◆夢のような話です。 薬は、毎日7種類飲んでいます。 血糖、血圧、心臓、血流、筋肉弛緩と我ながら病気のオンパレードですから処方された薬を飲み続けています。 ◆二度ほど見直しを、お願いしましたが、結局変わらずでした。 それが、こんな主張をされる医者がおられる。 薬には副作用は付き物なのは誰もが知ることです。私も思い当たりますが、心臓や血流の疾患ですので、一生飲み続ける他ないと諦めていました。 ◆しかし、長尾先生の言われる様に、減薬できれば、副作用はなくなり経済的負担は軽減され、薬不足を心配することもない。 本当に出来るのでしょうか・・・? その見極めの為には、その..
【神戸新聞 2023年3月3日】 大賛成です。 できれば小学や中学の義務教育で、そうでなければ高校では、ぜひ体験して頂きたいと思います。 百聞は一見にしかずです。車椅子を乗ったり、車椅子を押してもらったりすれば街の段差等の道路等のインフラ。車イスに乗る気持ちは分かってくると思います。 車椅子でエレベーターになかなか乗れなかったり、乗り合わせた人に狭いなどと言われたりすることが起きています。そんなことが起きないように。 それじゃ~また
【神戸新聞2023年2月16日】 薬は、毎日7種類飲んでいます。 血糖値、血圧、心臓、血流、筋肉弛緩と我ながら病気のオンパレードです。 今の所、薬の入手に不便はありませんが、筋肉弛緩剤などネットで調べると生産が逼迫しているなどと載っており不安に感じることはあります。 皆さんは問題なく手に入っていますか? 問題はジェネリック薬なのでしょう。海外の安い原材料に頼る構造と企業の姿勢は知っておいた方がよさそうです。 薬は欠かせないものにかかわらず、ジェネリック薬は何とも危うい生産構造に感じられます。 それじゃ~また
いよいよ待ちに待った春だ!旅心も高揚します。 2023年春の旅は、紀伊半島から吉野~伊賀~甲賀~近江を巡る旅を予定しています。 関西は地元ですので、観光で一度は行った町も多いですが、今回は、ゆっくりと巡回してみようと思います。 まず温かい紀伊半島から、吉野へ、忍者の町の伊賀と甲賀、近江商人の町である東近江を巡りたいと思っています。 ただ例によって気まま旅。行先は途中で変わるかもしれません。 それじゃ~また
梅の花が好きです。 さくらは、散っても美しい。水面(みなも)に浮かぶ花びらはことさら美しい。 梅は咲いている時が全て。だからいとおしい。 じっと寒さに耐える。梅のつぼみ 開花まで、もう一息。 早く咲け咲け梅の花。 庭に ようやく一輪 遅梅かな。 早く咲く梅もあります。ですが、遅れて咲いた梅には愛おしさを感じます。 梅も人も同じです。 ようやく満開となりました。
と言っても SNS で知り合った方たちと、実際に出会い交流するというわけではない。 まあSNS での知合いと言っても、時々コメントを交わすぐらいの淡いお付き合いである。でも何年か経つと、どの地方のどの町に住んでおられるか、どのように暮らされているのか、風貌なども徐々に分かってくる。 だからといってその町に行った機会に連絡を取ってお会いしようとは思わない。 私も重度の障害者で思う場所に自由に行ける訳ではない。また知り合いの多くは私と同病の方が多く、出かけられるのは容易でない方も多い。 ただその町を通り過ぎる時に、その方を思い浮かべ、町の匂いを感じ、この町のどこら辺りにお住まいになっているのだろうと想像する。そして、これからも良き日々をお過ごし下さいと心から念じる。 東北旅行の際は、会津若松のOさん、仙台のTさん、青森のRさん..
【神戸新聞2023年2月22日】 歴史を考えてみても世の中から差別的なことはなくならないと思います。ただ人にああ言われたこう言われた、ということより具体的な行為や就職などの改善を何より望みたいと感じます。 皆さんのご意見はいかがでしょうか、私は今仕事をしていないので直接的な差別行為というのには日常はあまり受けません。 お仕事されている方々等で、差別的な扱いを受けたなど、具体例をコメントで教えていただければ幸いです 。 それじゃ~また 障害者に関する世論調査(内閣府)