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2016/10/06

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  • 贖罪論的救済論からの脱出 ー 救済論(3)(学び合いの会)

    Ⅴ中世以降1アンセルムスの充足説中世の贖罪論的救済論は、カンタベリーのアンセルムス(1033-1109)の充足説によって明確な形をとることになった(1)。アンセルムスは、『神はなにゆえに人と成り給うたか』(CurDeushomo?)という著作において次のように述べる。前稿でも紹介したが、繰り返せば、絶対者に対する罪の償いは人間は有限で小さい存在であるゆえに人間には不可能である。神は愛であるから、人間の罪を赦したいと思うが、同時に神は正義であるから、人間の償いを受け入れられない。この矛盾を解決する唯一の方法は、神ご自身が人となって神に償うことである。そのため、キリストが人と成り、十字架上の死を通して人類の罪を贖ったのである。こういう罪中心の救済論はアウグスチヌスの原罪論のライン上にあり、キリストの受難と十字...贖罪論的救済論からの脱出ー救済論(3)(学び合いの会)

  • 贖罪は救済か ー 救済論(2)(学び合いの会)

    Ⅱ旧約聖書ー救済とは約束の成就のこと救済の歴史は旧約から始まる。出エジプトのシナイ山の「契約」がイスラエルの救済史の基本的出来事である。ここに、「約束を成就する」という意味での救済の構造がみられる。つまり、救済とは約束を実現する、という意味がこめられる。この構造は聖書の救済史的考え方の根本になる。神の業は現在も続いており、終末論的に完成すると考えられている。Ⅲ新約聖書ー受肉から贖罪へ新約聖書はナザレのイエスをキリストだと信じる初代教会の信徒たちの信仰告白である。全文書がイエスの救済の業(わざ)をテーマとする。受肉・公生活・受難と死・復活・再臨が救済の業として提示される。特に人類に罪の赦しをもたらす十字架上の死を中心におく。そして十字架上の死は贖いだと考える(1)。こういう贖罪論を示す聖書の該当箇所は枚挙に...贖罪は救済かー救済論(2)(学び合いの会)

  • 救済は教義にあらず ー 救済論(1)(学び合いの会)

    2023年3月の学び合いの会は桜が満開の27日に開かれた。学び合いの会は今回で一応ピリオドが打たれるということで参加者は13名を数えた。テーマは「救済論」である。このテーマの報告は実はこの学び合いの会では2019年6月になされた「キリスト論の展開ーその3」と同じものである。この2019年のテーマ「キリスト論の展開」については同年4月から6月にかけて7回ほどこのブログに書いている。ご参照いただけると嬉しいが、実は報告の視点は前回と今回とではかなり変化している。コロナ禍のせいか、ロシアのウクライナ侵略のせいかはわからない。フランシスコ教皇の日本訪問以降の日本のカトリック教会の姿勢の変化のせいかもしれない。いずれにせよ救済を論じる視点は変化してきているので、ここで改めて報告し直しておきたい(1)。今回の目次は以...救済は教義にあらずー救済論(1)(学び合いの会)

  • コロナ解禁後初の四旬節ミサ

    今日のミサはコロナが事実上3月13日に解禁されたあと初めてのミサであった。四旬節第4主日で、10時のミサは人数制限が大幅に緩和された。私どものこの教会は地区別に9組に別れているが、組は今回新たに大きく2つに分類された。今日は5〜9組の出席が許された。ミサに出席が許されるというのも変な話だが、ミサに預かっても良いというのはありがたいことだ。教会の座席もすべて開放され、誰がどこに座っても良いことになった。参加者は100人くらいはいたのではないだろうか。人数も多かったので整体奉仕者もおられた。マスクは全員がしていた。神父様もフェイスマスクをしてお説教をなさっていた。コロナの全面解除というわけではなさそうだった。それでも久しぶりに他の組の人と一緒にミサに預かれるわけだから、ミサ後のおしゃべりはあちこちで花が咲いて...コロナ解禁後初の四旬節ミサ

  • 映画「大河への道」を観た

    知人に誘われて近くの映画館で映画「大河への道」を観てきた。2022年度の作品らしい。2時間ほどの映画だった。原作は立川志の輔の創作落語だという。200年程前の1821年に完成された日本初の全国地図「日本沿海輿地全」の制作秘話というところか。伊能忠敬は地図完成前に実は死亡していたが、周囲が頑張って完成させたという話だった。佐原の伊能忠敬の話なのでわたしは懐かしさもあって興味を持ってみた。ストーリーは江戸と令和の二つの時代を舞台に展開されていく。歴史ものではない。伊藤忠敬をNHKの大河ドラマに取り上げてもらいたい地元香取市の努力の話しということで、特にどうということはなかった。一緒に行った知人はコミカルで面白かったと気に入っていたようだ。監督がどういう方かは知らないが、出演者たちはどこかで見たことのある顔だっ...映画「大河への道」を観た

  • 傘寿の高校同窓会

    傘寿を共に祝う高校の同窓会に出てきた。高齢社会になったとはいえ(1)、傘寿を名目に同窓会が開かれるとはどういうことかと思い、思い切って顔を出してきた。コロナ禍でどこでもここ数年同窓会は開かれなかったと聞いていたので、よくぞこの時期に集まれたものだ。なんとかコロナ禍も治まりつつあるようで、幹事の皆さんも胸をなで下ろしたことであろう。卒業生全8組400人中70名の出席があったという。約2割だ。この人数が多いのか少ないのかはわからないが、よく集まったというべきであろう。聞くところによれば、コロナ前には米寿を祝う同窓会も開かれたことがあるという。クラス会や仲良しグループでの集まりはあっても、学年全体の傘寿や米寿の同窓会は珍しいのではないか。これが小・中学の同窓会ではなく、高校の同窓会というのが面白い。日本の同窓会...傘寿の高校同窓会

  • ルター派神学は保守的か ー ルターの宗教改革(4)(学び合いの会)

    Ⅳ教会改革運動の分裂1霊的熱狂主義の出現ルターには両側に敵がいた。右側にはローマに従う伝統主義者たち、そして左側には霊的熱狂主義者たちである。特に左側の敵は危険な存在であった。すでに1522年にヴィッテンベルクで熱狂主義的な混乱、騒乱、画像破壊運動がルターの名前を引き合いに出して広がり始めていた。熱狂的な宗教的主観主義、個人的啓示、聖霊体験(内的な声・内的な光)などの過激な運動が起こった。それらはルターにとって危険な存在であった。やがてルターのライバルとなっていく司祭トマス・ミュンツアー(1489−1525)(1)は教会改革が社会改革の理念と結合し、必要とあれば暴力で改革を貫徹すべきだと主張した。2上からの改革政治的にはルターは「上からの改革」という展望に囚われていた。ミュンツアーにかぎらずエンゲルスもブ...ルター派神学は保守的かールターの宗教改革(4)(学び合いの会)

  • ルター・ルネッサンスとルターの評価 ー ルターの宗教改革(3)(学び合いの会)

    Bルターをどう評価すべきかかなり大仰な表題だ。ルター・ルネッサンスというので、きっと1917年の宗教改革400周年事業と、2017年の宗教改革500周年事業の比較の話かと思った(1)。ところがそうではなかった。ここは先だって亡くなったハンス・キュンクの『キリスト教思想の形成者たちーパウロからカール・バルトまで』(1994邦訳2014)の第5章「マルチン・ルター」の要約的な紹介であった。この章は12節からなるが、ここでは第9節から第12節までが取り上げられている。小笠原師のキュンク理解の特徴がわかるものである(2)。Ⅰルターの正しかった点1ルターの出発点は新約聖書の文書である。ルターの神学ー「ただ恩寵によってのみ・ただ信仰によってのみ・同時に義人であり罪人ーは「新約聖書をその背景に持っている」。①義認論はパ...ルター・ルネッサンスとルターの評価ールターの宗教改革(3)(学び合いの会)

  • ルターは悪魔の存在を信じていた ー ルターの宗教改革(2)(学び合いの会)

    Ⅱルター思想の基礎となった種々の要因3ルターの個人的苦悩の問題と悪魔の存在①ルター思想の原点は極めて個人的なものであった。つまり自分の救いの問題であった。ルターは極端な個人主義者で、救いを実感しないと満足しない完璧主義者でもあった(1)。②ルターは当時の悪魔信仰を持っていた。悪魔の存在を信じる世界観の中に生きていた(2)。ルターは生涯に渡って様々な病気に苦しみ(痛風・不眠症・カタル・痔・便秘・結石・目まい)、それを悪魔の仕業とみなした。ルターは悪魔の存在を当然のこととみなし、その現実性を強調した。実際、かれは自分の悪魔体験を書き記している。ヴァルトブルク城で深夜に悪魔がクルミを落とす音を聞いた。そして部屋の隅にいる悪魔にインク壺を投げつけたという。かれほど生涯に渡って悪魔を意識し続けた神学者はいない。だが...ルターは悪魔の存在を信じていたールターの宗教改革(2)(学び合いの会)

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