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  • 寓話 「ネズミとライオンの話」——長所と短所は紙一重

    昔々、とある森に、ライオンとネズミが住んでいました。ライオンは力が強く、堂々としていて、森の王としてみんなから尊敬されていました。でも、その反面、短気で怒りっぽく、ちょっとしたことですぐに吠えまくる性格でした。 一方、ネズミはとても臆病で、常にビクビクしていました。しかし、その慎重さのおかげで、危険を察知するのが早く、何度も命拾いしていました。 ある日、森の賢者フクロウが言いました。 「ライオンよ、その怒りっぽさを直さないと、いつか大きなトラブルを招くぞ。ネズミよ、お前の臆病さも、仲間との関係を築く妨げになっている。」 ライオンは努力して感情を抑えるようになり、ネズミは勇気を出して行動するよう…

  • 寓話「虫眼鏡の男」

    ある町に、虫眼鏡を手放せない男がいた。 彼はいつも町を歩きながら、建物のヒビ、道の欠けた石、店の汚れた窓を見つけては人に教えた。 「こんなヒビがあるままでは危ないですよ」 「掃除がなっていませんね」 最初は人々も感謝していたが、次第に顔をしかめるようになった。 男はそれでもなお、虫眼鏡を手放さなかった。 ある日、男の家に訪ねた友人がこう言った。 「君の家、ずいぶんボロボロじゃないか。気づかなかったのか?」 男は慌てて自分の家を見回した。 壁にはヒビ、床はきしみ、窓は埃まみれ。 虫眼鏡で外ばかり見て、自分のことは何も見ていなかったのだ。 教訓 欠点を探すクセがつくと、自分のヒビに気づけなくなる。…

  • 「最悪の中の最善」を見極めるための現場哲学

    フリーアドレスの職場では、誰もが快適な席を探す 問題は、その席が、煩いメンバーの隣しかあいてなかったり、香辛料の匂いの強い外国人だったり、上司の陰険な目の届く近くだったりすることだ。 つまり、避けたいものの中から「まだマシ」なものを選ぶというのは、職場でも日常でも、極めて頻繁に起こる。そして、その選び方には、ちょっとした“技術”がある。 フリーアドレスは一例だが、職場では毎日毎日、瞬間的な幾つもの判断をしている。 ① 「正解」を探さず、「失敗の軽さ」で判断する たとえば会議で、無意味な議題について発言するか、沈黙して無能扱いされるかという場面。 ここで「正しい答え」は存在しない。あるのは、「後…

  • 「最悪の中の最善」

    人が人生で迫られる選択の大半は、火と熱湯のあいだを選ぶようなものだ。どちらに手を突っ込んでも火傷は免れない。ならば、少しでも浅いやけどで済むほうを――そう考えるのが、私たちのいう「最悪の中の最善」だ。 だが、これは本当に「選択」なのか。選択とは、本来、いくつかの価値ある可能性の中から、自分の望む未来を選び取る、創造的な営みではなかったか。 現実は違う。 まるで、干上がった井戸と泥水の溜まった壺とから「どちらで喉を潤すか」と問われているようなものだ。 こうなると、私たちはもう「希望」を選んでなどいない。「損失の管理」をしているにすぎない。これは「生き方」ではなく「傷の選定」だ。 「最悪の中の最善…

  • 「メールで礼儀正しいのに話すと高圧な人」と「話すと普通なのにメールだと堅苦しく高圧な人」

    究極の選択:「メールで礼儀正しいのに話すと高圧な人」と「話すと普通なのにメールだと堅苦しく高圧な人」問題について 世の中には「メールの人格」と「リアルの人格」が一致していない人が、いる。というか、けっこういる。多い。 で、その人格の不一致をめぐって、こんな究極の選択を迫られることがある。 • ケースA:「メールでは礼儀正しいのに、話すと人の話を聞かず高圧的な人」 • ケースB:「話すと普通なのに、メールだと堅苦しくて命令的で高圧的な人」 さあ、どっちがマシか。 この問い、地味に厄介だ。というのも、どちらも一長一短では済まされないほどの「めんどくささ」を抱えているからだ。 たとえばケースA。メー…

  • 「古古古米を抱いて大阪万博へ行く人々」

    「古古古米が買えた!」と喜んで、そして意外に美味しいと投稿している知り合いを見た。ふるさと納税の返礼品も「お得にゲット!」などとSNSに投稿し、どこかに行けばインバウンドの方が沢山いたと全く危機感がない。私はそれを見るたびに、なぜか胸の奥がざわつく。 同じように、この様な人はマイナポイント欲しさに早々とマイナンバーカードをつくり、大阪万博に期待を寄せ、ついでに新NISAで「これから資産形成!」と意気込む。こうした“国の施策に素直に喜ぶ層”が確かに存在する。そして、そういう人たちとは昔から話が合わなかった。 なぜだろうか。彼らは基本的に「国がやること=良いこと」と思い込みやすい。たとえそれが3年…

  • 「show the flag」旗を出せ、ピンポン玉

    「お前は、いったいどっちの味方なんだ?」 そう聞かれても、ピンポン玉には答えられない。だって、球には立場がない。あっちに打たれ、こっちに返されるたびに、自分がどこに属しているのか、だんだんわからなくなるからだ。 だけど、そうやって「中立」の名のもとに打たれ続けていると、いつまでもピンポン玉から抜け出せない。 「show the flag」という言い回しがある。もともとは軍艦の旗の話で、「自分の属する陣営を明らかにしろ」という意味だ。平たく言えば、「どっちの味方か、ハッキリしろ」ってことになる。 職場の会議やプロジェクトでも、似たような場面はよくある。上司と部下が対立している。得意先と制作現場が…

  • 「板挟みのピンポン球」

    板挟みの話を、つい先日書いたばかりなんだけど、今日はその延長戦として「仲介」について少し触れてみたい。 まず、板挟みになる人というのは、基本的に気が弱い。あるいは、優しすぎる。言い換えるなら、便利に使われがちなお人好しだ。彼らは自ら望んで間に入ってるわけじゃない。ピンポン玉のように、AさんからBさんへ、BさんからまたAさんへと、行ったり来たりしては、打たれ叩かれする運命にある。 まあ、考えてみれば当然のことで、本来なら当人同士が直接に殴り合うべきところを、それは職場という場所では許されていない。だから、ボクシングではなく、卓球やテニスのように間接的に“闘いの球”となってやり合うしかない。かわい…

  • 別れの前奏曲

    この2か月間、練習してきた「別れの前奏曲」。哀愁に満ちた美しい曲で、難易度もちょうど良く、何とか形にはなってきた。とはいえ、どうしても引っかかる箇所があって、レッスンで先生に指摘されて初めて気づく。やはり、自分だけの練習では限界がある。音楽というのは、客観的に見てもらい、指導を受けないと上達しない。 これは仕事でも同じかもしれない。上司や周囲からの指摘なしに、自分のやり方を改善するのは難しい。ただ、人から注意を受けるのは誰でも少なからず傷つくものだ。素直に受け入れるのは、簡単なようでいて実に難しい。でも、だからこそ、受け入れることができたときに、少し成長できるのだと思う。 「Adiós de …

  • 雑用は誰から降ってくるかで、その重さが決まる

    雑用は、物理的な負荷というよりも、心理的な温度差で重たくなる。 言い換えれば、「お前、これやっとけよ」というひと言が、氷のように冷たいか、それとも布団のようにぬくぬくしてるか――そこが分かれ道だ。 たとえば、心の底から信頼している上司に「これ、お願いできるかな」と言われたら、 多少面倒でも「しゃーねぇな」と思いながら引き受けられる。 むしろ、「俺、信頼されてるっぽくない?」と、ちょっと舞い上がることすらある。 それが、嫌味たっぷりな上司だったり、「こいつ人間としてどうなん?」と思ってる先輩から 「おい、これどんな状況か聞いておいて」なんて言われようものなら、 「そんなの何で自分でやらない!」く…

  • わたしという牢屋の話

    ふとしたときに、「なぜ自分は自分で、あの人はあの人なのか」と考えることがある。たとえば電車の窓に映る自分の顔を見たときとか、スーパーで知らない人と目が合った瞬間とか。目の前のあの人にも、わたしと同じように「自分」がいて、「この身体の中に閉じ込められている自我」を持っているはずなのに、その自我がわたしではないという、当たり前だけど理不尽な事実に戸惑うのだ。 意識というのは、結局のところ脳の活動によって生まれるらしい。脳がぐつぐつ煮えてる鍋だとしたら、意識はその湯気みたいなもので、どこにも実体がないのに、なぜか確かに存在している。しかもその湯気は、一人ひとり別の匂いがして、他人の湯気とは混ざり合わ…

  • 時間の無駄と人生暇つぶしの矛盾

    「これは時間の無駄だ」と切り捨てる自分がいる一方で、「人生なんて所詮、暇つぶしだ」と達観している自分もいる。この二つの思想は、どちらも私の中にあるのに、しばしば激しくぶつかり合う。何か意味あることをしなければと焦る時もあれば、すべてを受け流すような無常観に包まれることもある。この揺れが、私の中に自己矛盾を生む。 では、なぜこんな矛盾に陥るのか。思うに、それは「何かを愛する愛」が足りないからではないだろうか。何をしていても、それを心から愛していれば、「無駄」なんて感覚は生まれない。人生が暇つぶしであるとしても、その暇をどう愛し、どう楽しむかがすべてなのだ。 だから私は、もう効率や成果の物差しから…

  • 短篇SF:「最後の暇つぶし」

    老人は、病院のベッドに横たわっていた。医者は「余命一週間」と言ったが、本人はもう何年も前からそれを待っていた気がする。 「人生なんて、暇つぶしにすぎんよ」と、彼はかつてよく口にした。若い頃はその暇を仕事で潰し、中年になれば家族の世話で潰し、老いてからはテレビと散歩で潰してきた。 だが今、その暇がついに尽きようとしている。 看護師が言う。「最後に何かしたいことはありますか?」 老人は少し考えてから、こう頼んだ。 「昔、ある企業の実験に参加していてな。脳の記憶をアップロードする装置があったんじゃ。あれがまだ動くなら、使ってみたい」 数日後、小型の装置が運ばれてきた。かつての実験体だった彼に特別に許…

  • それ、どこの常識?

    設計の現場でしばしば出くわすのが、「それは常識だ」と言い張るだけで、何の根拠も説明しようとしないベテラン技術者だ。若手が「なぜですか?」と聞こうものなら、「そんなの当たり前だろ」「そんなことも知らないのか」と切り捨ててしまう。これでは、真剣な議論も、技術の継承も生まれようがない。 本来、「常識」と言うのならば、その根拠を語るべきだし、もしその“常識”を無視したことで過去にどんなトラブルが起きたのか、実体験をもとに説明するのが筋だ。それがあって初めて、若手にも「なぜ守るべきなのか」が伝わる。ところが、そういう話はほとんど語られない。語られるのは、「昔からそうやってきた」という一言だけだ。 若者は…

  • 「匂いは武器か、偽装か」

    最近、家庭菜園をちょっと始めてみた。といっても、バジル、春菊、大葉とかニラとかしそを育ててる程度。でもびっくりしたのが、このへんの植物って、ほっといても元気に育つ。雑草みたいな強さ。 で、ふと思ったんだけど、これらって全部「匂い」が強いんだよね。人間にとってはいい匂いだけど、虫とか鳥にとっては嫌な匂いなのかもしれない。だからあんまり食われない。匂いで身を守ってるって、なんかすごいなと。 そう考えると、人間も実は似たようなことしてるかも。香水つけたり、柔軟剤の匂いを気にしたりって、もしかして誰かに「いい匂い」って思われたいだけじゃなくて、逆に「本当の匂い」を隠してるのかもしれない。汗の匂いとか、…

  • 主語

    人間というやつは、自分のことを語るのが苦手だ。 いや、厳密に言うなら、「自分の責任である」と言いたくないだけなのかもしれない。めんどくさい自己開示を避けるために、我々は好んで、主語を他人にする。 「最近の若者はすぐ辞める」とか。 「上司が無能で現場が回らない」とか。 「世間が冷たい」とか。 うん。だいたい、主語が「自分」じゃない。で、そうやって他人を主語に据えると、なぜか話がすらすら進む。空気が通る。 本当は、自分の話をしてるはずなのに、他人を主語にするだけで、途端に責任がうやむやになる。 そうして我々は、自分を守るために「他人のせい」にする。もしくは、「他人を通して自分を語る」という、妙な回…

  • 「六人を超える会食には参加しない」

    いきなり自白するが、私は「六人を超える会食には参加しない」というポリシーを、かれこれ5年ほど貫いている。きっかけは単に、会話が成立しないからだ。例外としては親しかった同僚の送別会などは参加するが、それは会食でないく葬儀の時のお別れの気分に近い。 七人を超える食卓というのは、基本的に“会食”ではなく、“同時開催される複数の私語”である。耳を傾けるに値する話題が、常に自分の届かない向こう側の対角線上で展開され、こちらに届くのは皿の上のからあげと、微妙に冷えた愛想笑いだけ。 まことに、侘しい。 思うに、六人という人数は、人間が同時に感情移入できる限界ラインなのだ。七人目が加わった瞬間から、誰かが「聞…

  • 見えているのは結果

    世界は荒れまくっている。物価が上がっても賃金は上がらない。若者が結婚を諦める。これらの現象は、まるで天気のように「仕方のないこと」として語られる。だが本当だろうか? 私たちが目にする現象は、すべて何かの「結果」だ。原因がある。意図がある。市場原理を絶対視する経済政策、教育の格差、資本の偏在。それらが何十年もかけて「いま」を作った。結果だけを見て「かわいそう」と言うのは簡単だ。しかし、それがどうして起きたのか、誰がそれを望んだのか、私たちは因果の鎖を掘り下げねばならない。 さらに言えば、現在の結果は、未来の原因になる。つまり、いまを放置すれば、より深い歪みがまた「当然の結果」として現れる。だから…

  • 「キレる」の経済学

    前にも書いたが、僕は激しく怒るいわゆるキレる事は、どんなに厳しい状況でも、年に最大2回までと制限している。 キレる、という行為には、意外とコストがかかるからだ。 声を荒げる。顔を紅潮させる。机を叩く。あるいは、長文のメールを深夜に打ち込む。 この一連のプロセスは、精神力の浪費であるばかりか、翌日の自分にとって、たいてい後悔の種となる。なぜか。「正しかったのはオレなのに、悪者扱いされてる」という、よくある構図の完成である。 ただし、キレることにはそれなりのメリットもある。 たとえば、「この人、普段は温厚だけど、地雷を踏むとヤバいんだな」という印象を周囲に植え付けることができる。これを一種の「威嚇…

  • 「前泊 vs 始発」

    「出張は、前泊するべきか否か?」 これ、真面目に議論するには少々こっぱずかしいテーマである。なにしろ、われわれの社会には「責任感」とか「コスト意識」とか、耳ざわりのいい単語が過剰供給されていて、そこに「前泊」という生々しい実務の話が混ざり込むと、どうにもこうにも、体面が悪くなる。 でも、だからこそ議論する価値がある。 結論から言えば、「前泊すべき」である。 理由は簡単。予定通りに着かないかもしれないからだ。 新幹線は、たしかに世界に誇れる定時運行の王者である。だが、あの誇り高き東海道新幹線とて、台風には勝てない。人身事故にも地震にも、やっぱり弱い。 つまり、「始発で行けば間に合う」は、あくまで…

  • 代理戦争と板挟み。

    会社というのは、基本的に誰かが誰かの「代理」として動いている場所だ。部長は常務の意向を汲み、課長は部長の顔色を伺い、平社員は課長の胃袋事情を察しつつ、その合間に自分の業務をこなす。つまり、全員が誰かの代弁者であり、同時に犠牲者でもある。 で、問題なのは、これが一つ間違うと「代理戦争」になるということだ。たとえば、営業部の部長が開発部のやり方にご立腹。とはいえ、自分で直接言うのは大人げない。そこで、若手の橋渡し役・中堅社員のAさんが呼び出される。 「おまえさ、ちょっと開発に言っといてよ、“おたくの仕様だと納期が無理”って」 で、Aさん、忠実に伝える。 「うちの部長が言ってたんですけど、“この仕様…

  • 文章の長さ問題

    文章が長いと読まれない。短いと伝わらない。では、どこまでが「ちょうどいい長さ」かという話になると、これがまた厄介だ。 メールなら3行が理想だと言われる。挨拶、要件、よろしく。それで済むなら、それに越したことはない。でも現実には、説明が必要で、前提があり、言い訳が生じ、だいたい7行を越える。そうなると、もう「読ませる覚悟」がいる。 ブログもしかり。ワンスクロールで終わる文章は、言ってみれば「今晩の味噌汁に何を入れたか」レベルの話だ。ツースクロールあたりまでなら、読み手も付き合う気になる。三度目の指のスライドが始まると、「これはもう読書だな」と気合を入れ直すか、そっ閉じするかになる。 SNSはまた…

  • トラブル対応の心構え

    工事が終わって、「さあ動かしてみよう」とスイッチを入れると──まあ動かない。これはもう風物詩に近い。 しかも、動かないだけならまだマシで、液が漏れたり、軸が折れたり、変な音が聞こえてきたりする。 動かない理由はいろいろある。設計段階で想像力が不足していたり、詰めが甘かったり。つまりは、頭の中で完結していた夢想が、現実の重力に耐えられなかったということだ。エンジニアにとっては、これ、なかなか恥ずかしい。 で、そういう時に限って周囲は騒がしい。原因も対処法も分かっていない外野が、まるで火事場見物の野次馬のように、「何が起きたの?」「なんで止まってるの?」と聞いてくる。一方の当事者はというと、目の前…

  • ひがむ人はなぜひがむのか

    僕はひがまない。 というか、「ひがむ」という感情がどういうものなのか、いまひとつ実感がわかない。 けれども、僕の周りにはいる。ひがむ人たちが。わりとたくさん。 たとえば、母。 友人にも、職場にもいる。 で、思ったのだが、ひがみというのは「性格」ではなく、「体質」なのではないか。 湿気に弱い人が梅雨に不機嫌になるように、誰かの成功に自動で皮膚がかぶれる人がいる。 こうなるともう、話が通じない。 こちらが「よかったね」と言えば、向こうは「おまえは偉そうだ、おまえはずるい」と返す。 別に高いところから話したつもりはないのだが、どうも相手には“上から幸福”が降ってくるように感じられるらしい。 やっかい…

  • 丁寧な敵意の作り方。―言い方フィルターが職場を変える―

    人は見た目が9割とかいうけれど、職場でのやりとりにおいては、「言い方が10割」である。 少なくとも、メールやチャットといった非対面の場面では。 「お疲れさまです」から始まり、「よろしくお願いいたします」で締めれば、 だいたいの文面は“礼儀正しい”とされる。 そのあいだに多少の嫌味や圧力が紛れていても、 形式が整っていれば、それは「ちゃんとしてる」文章として通る。 これが、今のオフィスの空気だ。 私自身、あまり話したくない相手がいると、チャットは避ける。 軽さが生む馴れ馴れしさが面倒くさいからだ。 代わりにメールを使う。ccには関係者を盛大に加える。 するとどうだろう、不思議なことに、 相手もこ…

  • 「好きなこと」と「得意なこと」

    人は「好きなことを仕事にしなさい」と言われると、なぜか背中を押された気になるらしい。たぶん、その言葉のなかに「夢を諦めない君って素敵」みたいな、青春ドラマのエンディングで流れるBGM的なご褒美が含まれているせいだ。が、そいつはだいたい嘘だ。 好きなことってのは、けっこう飽きる。ラーメンが好きだからって、毎日3食ラーメン食ってたら、体調悪くなって反省する。それが「好き」という感情の耐久性の限界だ。そもそも、人間の「好き」は「恋」と同じで、錯覚であり、気の迷いであり、ホルモンの気まぐれにすぎない。 それに比べると、「得意なこと」は強い。好きかどうかはさておき、やればそれなりに成果が出る。しかも、周…

  • 寓話: ハリネズミと穴の話

    ある静かな森に、小さな村がありました。村にはハリネズミのハルが住んでいて、誰からも「物静かでいい子」と言われていました。 ある日、村の真ん中に小さな穴が空きました。初めは誰も気にせず、ただのくぼみだと思っていたけれど、数日後、その穴にネズミの子が足を取られてけがをした。 ハルは見ていました。実は、近くに住むモグラのジロが、夜な夜な穴を深く掘っていたことを知っていたのです。でも、ジロはちょっと気難しくて、「そんなことするのは迷惑だよ」なんて言ったら、仲が悪くなるかもしれない。だからハルは何も言えずにいました。 「まあ、黙っておいたほうが角が立たないし…」 ところがある朝、村の真ん中が大きく崩れ、…

  • 分断列島シビルウォー 短篇SF

    関東の人々は、あのコテコテの関西弁が苦手だった。 声が大きく、抑揚が強く、イントネーションが独特で、距離が近い。話し合いというより漫才のように聞こえてしまう。 「そんなオチいらないから」と、会議の後で関東人たちはよくこぼした。 関西の人々は、関東の言葉に馴染めなかった。 無表情で、曖昧で、時に冷たくさえ感じられるその応対は、心が読めず気味が悪いという。 「何を考えてるかわからんやっちゃな」と、帰りのエレベーターで舌打ちした。 それでも、長らくこの列島はひとつだった。だが、経済の悪化、価値観の衝突、そして国の統治機構の機能不全が積み重なり、ついに分離の声が強まった。 ある年、国会は「地域自治権の…

  • 「再設計」エンジニアリング寓話

    「このライン、逆流の可能性は?」 検査担当が口にしたその一言に、K係長の心臓が跳ねた。 高圧ガス製造プラントのバルブ。もし逆流すれば、機器が破損し、重大な事故になりかねない。だが、設計図には確かに完全に逆な作動が記載されていた。 K係長は黙って図面を見直した。 (……やはり) 数分後、彼の指がぴたりと止まった。完全に勘違いした設計だった、しかも誰も気づかずに、そのまま製造工程に入っている。 工事はすでに終盤。手遅れになりかねない。 K係長は背もたれに寄りかかり、天井を見上げた。 (これは完全に……俺のミスだ) ふと、図面の右下に目が留まった。 検図者:O主任。 社歴は長いが、プラント設計ではま…

  • 家庭菜園の状況

    五月初めに植えた野菜が育ち始めました。 上の写真は春菊です。種がダイソーで2袋100円でした。 簡単ですぐに収穫できそうなものばかりですが、育つのを見ているのは楽しいものです。 これはバジル、苗を150円くらいで購入しました。大きくなって来ていい匂いしますが、どうやって食べるかな。 トマトも順調です。大きくなって赤くなってに収穫できるにはまだ時間がかかりそうです。 ゴーヤは家の垣根に巻きつけて育てています。花が咲いて来ました。去年出来が悪かったので、今年は土を良くして気をつけています。 7月になればトマトとナスとゴーヤと春菊とそのもろもろで野菜は自給自足出来そうです。 家庭菜園はコスト考えたら…

  • チームに無能が混ざると、なぜ崩れるのか

    世の中には、「優秀な人だけ集めれば、仕事はうまくいく」と信じている人がいる。 まあ、理屈としては正しい。理屈としては、ね。 でも現実には、どんな職場にもいくらかの“無能”が混じる。 そして厄介なのは、その一人が思いのほかチーム全体を崩す力を持っているという事実だ。 しかも無能にはいくつかタイプがある。以下に、代表的なものをざっと紹介しておく。 ■ 無能の分類と、その害 • ① 猪突型(全力逆走) やる気はある。方向は真逆。手間は2倍。 → 火を消してる隣でガソリンを撒くタイプ。 • ② ウナギ型(責任回避) 口数少なく、意見なし。だが失敗すれば「私は反対でした」と言う。 → 誰よりも早く逃げる…

  • 群馬より怖いところ

    石破茂が群馬で「群馬人の県民性っぽい話」をして、それがニュースになっている。たぶん、アイスブレークとして面白く話そうとしただけなんだろう。 これくらいはセーフだろうけど、 最近は何でも差別につなげてあげあしとってくるので迂闊に発言できない。 とはいえ、あの人が言うぶんには「まあ石破さんだしね」と思える余白が、本当はあるはずなんだけど。 群馬県や群馬関係者が謝罪求めて来たら面白いけど自分たちでも自覚しているだろうし、それより本当はもっと悪い意味で怖い人が多いところはあるだろう。南大阪とか千葉とか茨城とか足立区とか。 というわけで、失言を恐れずに今週もいきましょう。間違えたって、正す心があれば、ち…

  • 何故飽きるのか

    最近家庭菜園を始めてサラダ用の葉っぱや20日大根を作った。簡単にたくさん出来て、毎日食べているのだが、だんだん美味しくなく感じてきた。最初は美味しく感じても、毎日毎日同じ物を食べると飽きてきらいになってしまうということだろう。 で、ふと思ったのだけれど、これって、食べ物だけの話ではない。というか、むしろ「飽きる」という感情は、食べ物よりも、もっと深いところに根ざした、いわば人間の防衛本能みたいなものなのではないか。たとえば、好きな音楽。何度も何度も聴いていると、ある日突然、心がよそ見を始める。これは、脳が「おまえ、その刺激にはもう慣れたから次行こうぜ」と言っている。 「飽きる」という現象は、も…

  • 自慢

    自慢には、少なくとも二種類ある。 ひとつは、「オレってすごいだろ」型。 もうひとつは、「昔こんなミスしちゃってさあ」型。 前者は説明不要だ。筋トレの成果を見せびらかすタンクトップみたいなもので、見せたいのか、見られたいのか、もはや区別がつかない。問題は後者で、こいつがちょっとややこしい。 失敗談を語る人間には、いくつかの分類がある。 教訓を伝えたい人。笑いを取りたい人。自己批判することで場を和ませたい人。あるいは、ただただ話をしたいだけの人。 で、たいていの場合、その人は「昔話を語りたいだけの人」である。 そこには、実際に失敗したという事実の大小は関係なくて、「俺はこの件に関して語る資格がある…

  • ブログアップ800回目

    ブログもとうとう800回。ここまで来ると、ちょっとした節目だ。だが「800」と聞いて、まず思い浮かんだのが「嘘八百」という言葉。せっかくの記念に“嘘”がついて回るというのも、なんとも皮肉である。 そもそも「嘘八百」とは、「ありとあらゆる嘘、数え切れないほどの嘘」という意味で使われる。なぜ“八百”なのか? 八百屋だから? それとも八百万の神から? 実は“八百”は、昔から「とてもたくさん」という意味の象徴的な数字。八百長もそうだし、八百比丘尼なんて伝説もある。 つまり“800”は、数ではなく感覚。無限に近いイメージだ。だとすれば、ブログ800回もまた、「ネタの尽きぬ世界」に足を踏み入れたということ…

  • 休日とは何か、という難問

    いや、休む日でしょ、と言われたらそれまでなんだけど、実態はどうかと言えば、掃除、洗濯、買い物、親の顔を見に行って、ついでに冷蔵庫の中身を確認して……っていう、いわば「生活の下請け業務」を請け負う日になっている。これ、たぶん多くの人が、あえて言葉にしてないだけで実感として持ってる。 かつての休日というのは、「労働の裏側にぽっかり空いた休止符」だった。だが今や、リモート勤務やフレックス制度なんていう、ちょっと気取った働き方のおかげで、平日の午後に銀行へ行ける代わりに、休日の朝に報告書を直す、みたいなトレードオフが成立している。 つまり、「休日らしさ」は溶けて、労働時間の境界線はだらしなく滲んでる。…

  • 頭の中って、自分でコントロールできるのか

    長年、自分の頭の中の変化について感じている事を書く。 小学校の四年生くらいまでは、毎日が「発見」だった。知らない昆虫の動きとか、空の色が昨日とちょっと違うことに気づいたり。そういうのが、頭の中にどんどん入ってきて、考えることが楽しかった。 つまり、思考ってのは、「感じること」とセットだった。 でも、五年生になって塾が始まると、風向きが変わった。外で遊ぶ時間は減って、興味のあったことに触れる余裕もなくなった。 六年生になった頃には、「中学受験」が完全に生活の中心になってた。 勉強はしてた。でも、なんというか、「考える」って感じじゃなかった。ただ、「間違えないようにする訓練」をひたすら続けてたよう…

  • 脊髄反射

    未経験の分野でも、反射的に段取りを語り出す人がいる。流れは確かに合っている。処理も見た目にはスムーズだ。けれど、その手順に“なぜ”がない。 彼らの思考には、内容の重みや意味の深さが欠けている。ただ、「どう動かすか」だけを重視して、「なぜそうするのか」には踏み込まない。いわば、エンジンの中身を知らずに車を運転するようなものだ。 こういう人たちは、答えを出すのが速い。脊髄反射で答えている。処理の流れさえ組み立てられれば、それで一仕事終えた気になる。だが、実際に動かし始めると、肝心の部分でつまずく。なぜなら、大脳や記憶で考えてないので、本質に触れていない。 そして不思議なことに、彼らはその責任を自分…

  • 「OKですが、」の正体

    感じが悪いメールというのは、別に悪口を書いているわけじゃない。言っていることは事実だし、文法的にも間違ってはいない。ただ、受け取ったこっちの胸のあたりに、なんとも言えない違和感がこびりつく。 典型的なのが、「OKですが、」というメールだ。 たとえば、「◯日の15時からで大丈夫ですか?」と送る。返ってくるのはこうだ。 「OKですが、その日は会議が立て込んでいるので、できれば早めに終われると助かります。」 ……え? じゃあダメなの? それともOKなの? というか、こっちはあなたに頼み込んでいるわけじゃないのよ。ただ日程の確認をしてるだけなのに、なぜか「無理して受けてやってる」みたいな雰囲気を全面に…

  • 「正論」と「意地悪」

    職場における「正論」は、しばしば剣のように使われる。 それも、斬るための刀ではなく、試し斬りするためのカミソリだ。 「言ってることは正しいけど、なんで今それ言う?」というタイミングの悪さと、 「あなたがそれ言う?」という人選ミス。これが最悪の居心地の悪さを生む。 で、正論を武器にする人たちは、往々にして、自分が意地悪をしているという自覚がない。 むしろ「私はルールに忠実なだけ」「他の人が甘すぎるだけ」と、どこか得意げですらある。そしてそのルールが自分で勝手に作ったルールだったりするのが癖が悪い。誰も作った時に反対しませんでしたと言い切る。 こういう人がひとり職場にいると、空気がピリつく。 一人…

  • 寓話: 『ウサギとカメ』一度しか言わない

    ある日、フクロウ校長がウサギとカメを呼びました。 「今日は森を出て、山の頂上にある“知恵の実”を取りに行ってもらいます。ただし途中の石橋は、一度しか通れません。間違ったら戻れませんよ。道順を今から言いますが、一度しか言いません。」 ウサギは「よっしゃ、一発で覚えた!」と胸を張り、カメは困った顔をしました。 「校長先生、私は覚えるのが遅いので、もう一度教えていただけませんか?」 しかしフクロウ校長は目を細めて言いました。 「大事なことだからこそ、一度しか言わないのです。」 ウサギはぴょんぴょん跳ねながら出発。カメは道順を思い出そうと必死でしたが、途中で混乱してしまい、誤って崖の方へ進んでしまいま…

  • 虫に食われる

    蒔いた20日大根が、ようやく赤く膨らみ始めた。ほんの少し前まで土の中で眠っていた種が、いまはしっかりと根を張り、地上に葉を広げている。その姿は頼もしく、いとおしい。 ところが最近、葉っぱに小さな穴が空き始めた。犯人は言うまでもなく、虫たちだ。サラダ用の葉物も同じ運命をたどっている。人間の舌に合わせて柔らかく改良された野菜たちは、当然のように虫にとっても魅力的な存在になる。つまり、人間にとって「おいしい」ものは、自然界でもまた「狙われやすい」存在なのだ。 ふと思う。これは今の人間社会ともどこか似ているのではないか。私たちは効率や快適さ、便利さを求めて日々進化している。けれど、そうやって整えられ、…

  • 「ズレた決断と、無理な正義」

    前回に「決められない男」と「勝手に決める女」の話をした。 職場にありがちな、でもできれば一緒に仕事したくない二人。で、じゃあこの二人が“決める”という行為に到達したらどうなるのか、というのが今回の話だ。 まず、決められない男がついに何かを決める。 これはこれでめでたい。腰の重い象が動き出した、みたいな出来事だ。 ただ問題は、決めた内容がズレてる。 こういう人、たいてい「何かを決める」という行為自体がゴールになっていて、その中身が現実に即してるかどうかは、わりとどうでもいいらしい。 結果として、決めたはいいが、誰も動けない。動きようがない。 そしてまた振り出しに戻る。 一方の「勝手に決める女」は…

  • 「決められない男と勝手に決める女」

    世の中には二種類の人間がいる。 決められない男と、勝手に決める女だ。 まず、決められない男。 たいていの場合、肩書きは課長とか部長とか、そんな「一応えらい人」である。にもかかわらず、彼らの口から出てくるのは、「うーん、どうしようか」「うん、ちょっとみんなの意見を聞いてから決めようと思ってて」などという、責任回避の香り高いフレーズばかりだ。 この手の男の言う「みんな」は、だいたい誰でもない。 そして「意見を聞く」と言いながら、結局は何も聞いていない。 なにより問題なのは、この人が決めないことで、他の全員の時間がどんどん消耗していくという事実である。沈黙は金ではない。沈黙は「予定が立たない地獄」で…

  • 「箱の方が大切なとき」

    箱と中身、どちらが大切かと問われれば、多くの人が「中身」と答えるだろう。だが世の中には、そうとも言い切れない場面がある。 たとえば、プレゼント。中身がハンカチ一枚でも、金色のリボンで包まれた箱を見た瞬間、人は期待に胸をふくらませる。あの高鳴りこそが、本当の価値ではないか。 あるいは、棺。中身はこの世を去った人。だが、残された者たちは、その人の人生に敬意を表し、美しい棺で送り出そうとする。中身の重みが失われたとき、箱がその象徴を引き受けるのだ。 そして、空の宝箱。何も入っていないのに、見る人に夢を抱かせる。それが昔の海賊の地図のような、金の香りを感じさせる箱だったらなおさらだ。中身が空であること…

  • なぜペットの犬猫は可愛がられるのか

    例によって余計なことを言って国民の逆鱗に触れ、ニュースに取り上げられて炎上してしまっている。 「辞めろ」は江藤大臣なんだけど、ほんとうに辞めるべきなのは石破、お前じゃないのか、と国民の8割くらいは感じていたと思う。彼の下品さは国の恥とさえ言えるレベルだ。 さて、本題に入る。 ペット、である。 犬とか猫とか、あるいはインコとか、名前を呼べばこっちを見てくれる系の動物たちの話だ。 彼らはなぜ、こんなにも人間に愛されているのか。 見た目がかわいいから? もちろんそれもある。 でも、それだけでは説明がつかないくらい、ペットたちの「癒し力」は高性能なのだ。 まずひとつめ。サイズと見た目。 小さくて、ふわ…

  • 余計なことを言う人の脳内地図

    たとえば、舞台の真ん中でマイクを握った政治家が、笑いでも取ろうと思ったのか、いや、もしかしたら真剣にウケると思って言ったのか、「米は買ったことがない。売るほどある」と口にしたとき、その場の空気がスン……と冷えた瞬間を想像してみてほしい。米の価格が跳ね上がって、スーパーの棚ががらんどうになってるこのご時世に、そんなセリフを堂々と放つ農林水産大臣。米の担当大臣が、米の心配をまるでしていないどころか、「ウチは余っててね」などと自慢気に語ってのける。これ、なかなかの事件である。 昨日書いたタイミングの話で言うと、最悪のタイミングでの発言だった。 さて、こういう「余計なことを言う」心理には、いくつかの段…

  • タイミング

    ミッション・インポッシブル最新作を観てきた。 今回作で何度も繰り返された「タイミング」という言葉。それは、チームメンバーの盗みの名人も、爆弾解除も、命知らずのスパイも、結局はこの一言にすべてを託す。「今だ!」の一瞬に、すべてを懸けていた。 考えてみれば、私たちの日常も同じかもしれない。満員電車のドアが閉まる直前に飛び乗る瞬間。道路をわたる瞬間、上司の機嫌がいいタイミングで休暇願を出す瞬間、苦手な奴に話す瞬間、告白するなら今、いや、もう少し待つべきか…そんな小さな「瞬間」の連続で、人生は形作られていく。 だが、この「タイミング」は気まぐれだ。待ちすぎればチャンスは消え、焦れば失敗する。実際には、…

  • 寓話:正論だけを食べるリス

    アニマル王国には「ツッコミリス」という生き物がいた。森の平和にも仲間の苦労にも興味はなく、他の動物の話や看板から小さな言い間違いだけを探しては指摘することに情熱を燃やしていた。 その頂点に立つのが、大ツッコミリスのガズーム。どんな立派な計画でも、「ここ、“木の実以外”が“木の実意外”になってるよ!」と小さな尻尾を誇らしげに振っては、正しさの実績を積み重ねていった。 ある日、ライオン国王が「大干ばつ対策・命の森プロジェクト」を発表した。森を救うための大計画だった。しかしガズームは玉座の前に飛び出し、「陛下!この看板、“または”と“もしくは”が混ざっています!」と声高に叫んだ。 ライオン国王は静か…

  • 寓話: 『北風と太陽、転職を考える』

    ある日、北風は古びたマントをたたみながら言った。 「なあ太陽、もう俺たちの出番なんてないんじゃないか?」 「そうだねえ」と太陽はうつむきながら、自分の光がすっかりソーラーパネル頼りになっていることに気づいていた。 二人は転職サイトを開き、まじめに新しい仕事を探し始めた。 北風は「最新冷却システムの開発部門」に応募したが、「あなたの風は強すぎて、製品がすぐ壊れます」と断られた。 太陽は「再生可能エネルギー広報大使」に応募したが、「あなたは照らしっぱなしで、かえって地球温暖化を進めてしまう」と不採用だった。 「なあ、世の中って案外シビアだな」と北風は苦笑い。 「ぼくら、もう求められてないのかもしれ…

  • 寓話: クマと旅人

    2人の旅人が山道を歩いていると、突然、大きなクマに遭遇した。 一人は反射的に木に登り、あっという間に高い枝へ逃げ込む。もう一人は取り残され、地面に倒れて息をひそめるしかなかった。 やがてクマは興味を失い、その場を立ち去った。 木の上からのんびり降りてきた男は、涼しい顔で言った。 「おい、大丈夫だったか?それで、クマは何か言ってたか?」 倒れていた男は苦々しい顔で答えた。 「『本当の友達は危機の時に分かる』って言ってたよ。」 すると木に登った男は、鼻で笑いながら胸を張った。 「は?それって、お前が地面で頑張る係で、俺が生き残る係ってことだろ?立派にチームワーク発揮してんじゃん!」 さらに厚かまし…

  • 寓話: 「ウサギとカメとアリとキリギリス」

    森の評判というものは妙なものだった。 ウサギとキリギリスは能力も才能もあるはずなのに、なぜか「怠け者」として語り継がれている。一方で、アリとカメは地味な働き者なのに、なぜか「美徳の象徴」扱いだ。 「納得いかないよな」とウサギが言った。 「まったくだ。オレなんか、冬に備えてオンラインで音楽教室まで開いてるのに!」とキリギリスはバイオリンを肩に担ぐ。 そこでふたりは決意した。もう過去のイメージに縛られるのはやめよう。新時代にふさわしい「カッコいい自分たち」を見せてやろう、と。 ウサギはマラソン大会に出場し、一切立ち止まらず、最後まで全力疾走。ゴール直前ではスマートに一礼してからフィニッシュし、「謙…

  • 会話が噛み合わない理由

    IQが20違うと会話が成立しないらしい。なるほど、それは便利な言い訳だ。だが実際の職場では、もっとやっかいなズレがそこかしこに転がっている。それが「経験20年差」だ。 特に、技術革新の荒波が押し寄せる分野ではなく、職人芸や現場勘、積み上げた失敗と微調整がモノを言う世界。たとえば老舗の営業現場、職人気質の製造業、あるいは政治的な調整力が求められる渉外担当。こうした場所では、知識ではなく“空気の読み書き”が主戦場になる。 そこで何が起きるか。簡単だ。若手は「それ、意味あります?」と聞く。ベテランは「意味を考えずに手を動かせ」と返す。若手は「効率が悪い」と言い、ベテランは「お前は無駄の意味を知らない…

  • 「最後の1%が、みんなを不幸にする話」

    世の中、「だいたいこのへんで手を打っとくか」という勇気ほど、入手困難なものはない。これは家庭の話でも、技術の世界でも、そっくりそのまま当てはまる。 たとえば、機械づくりの現場でよくある話。あの「最後の1%」を求めたばかりに、プロジェクトはズルズル遅れ、予算は青天井、エンジニアは前髪を捧げていく。で、得られる成果はというと「ふーん、それだけ?」程度。これ、昭和の親父が日曜に車をピカピカに磨いた直後に雨が降るのと同じ種類の徒労感だ。 具体的な話をしよう。 まずはNOx(窒素酸化物)排出の話。90年代、エンジニアたちはガスタービンのNOx排出を1桁ppmまで減らそうと無茶な努力を重ねた。でも、今にな…

  • 短篇SF 「考える時間」

    この国の教育は、生成AIの進歩によって劇的に変わった。授業ではAIが即座に途中式やヒントを示すが、結論は必ず24時間後にしか開示されない。「自考促進法」による規制だ。 だが生徒たちは、その時間を無駄に過ごし、翌日には問題自体への興味も失っていた。 「ふーん、そうだったんだ。」 問題は次々に出され、答えはただ待つものになっていた。 少年Tはふと考えた。 (本当に、待つだけでいいのか?) 彼は自分で考え抜き、翌日の発表前に正解にたどり着いた。それが嬉しくて、以後も必ず自分の答えを出すようになった。次第に彼の答えはAIの模範解答を超え、独創的なものとなっていった。 「答えは待つものじゃない。生み出す…

  • 短篇SF:「2oo4の賭け」

    西暦2090年、人類はかつての反省を踏まえ、新たな意思決定システム「2oo4裁定」を導入した。かつて主流だった2oo3システムは三つのAIモジュールによる多数決で合理的な判断を下していたが、モジュールの一つが故障すれば、決定不能に陥るという致命的な弱点を抱えていた。 そこで、モジュールを四つに増やすことで冗長性を持たせた。しかし今度は別の問題が発生した。四つでは2対2の引き分けが頻繁に起こる。どちらにも決められず、物事は停滞し始めた。 この問題に対して、一人の気まぐれな工学者がこう提案した。 「人生には偶然も必要だ。行き当たりばったりこそが、最高のスパイスだよ。」 こうして、2対2の引き分け時…

  • 短篇SF:「2oo3裁定」

    西暦2085年、人類はついに「完全な意思決定アルゴリズム」を手に入れた。それが“2oo3裁定システム”だった。2oo3とは2 out of 3の略。 あらゆる問題は三つの独立したAIモジュールにより審議され、多数決で決まる。二対一で決まれば即実行。それが最も合理的かつ迅速だと証明されていた。政治、経済、教育、そして個人の人生まで──あらゆる選択がこの方式で管理されるようになっていた。 このシステムはやがて、個人の思考プロセスにも適用されるようになる。「内蔵意思補助装置(MDC)」が脳に埋め込まれ、合理性モジュール、感情モジュール、そして衝動モジュールの三体が、本人に代わって最適な決断を下すのだ…

  • 寄せ集め

    会社というのはつくづく奇妙な集団である。とりわけ、寄せ集めや中小企業と呼ばれるところは、その奇妙さが際立っている。何しろ、集まってくる面々がバラバラだ。学歴も職歴もバラバラ、何なら人種や国籍まで多様だったりする。これは、要するに「中途採用の寄せ集め」という現象が生む自然の成り行きだ。 一方で、大企業というのはその点で実に均質だ。いや、もちろん最近ではダイバーシティとか何とか言って、いろんなバックグラウンドの人材を積極的に入れようとしているが、やはり主力は新卒採用組である。要するに、同じ釜の飯を食い、同じ研修で眠気をこらえ、同じ上司の無駄話にうなずいてきた戦友たちである。入社10年もすれば、互い…

  • 寓話:アニマル村の転職動物たち

    アニマル村には、いろんな動物たちが働く会社がある。特に「ナマケモノ製作所」は、どこからともなく集まった動物たちの寄せ集めだ。 新しく入ってくる動物たちは、最初はみんな猫をかぶっておとなしい。でも、時間がたつと本性が出てくる。会議で急に声を張り上げるマントヒヒや、横文字ばかり使うインコが出てくる。「あぁ、やっぱり猫じゃなかったんだ」とみんな思うわけだ。 でも考えてみれば、自分だって誰かからはマントヒヒに見えているかもしれない。だから、この村で大事なのは「礼儀を忘れないこと」。相手が牙をむいても、自分は落ち着いて猫のふりを続ける。イライラしても、「あ、牙が出ちゃいましたね」と笑って流すのが一番だ。…

  • 「One on One」

    最近はどこの会社でも「One on Oneミーティング」なんて横文字が飛び交っています。でもこれ、実は従来の面談とは全然違うらしいのです。 従来の面談は「上司が診察医、部下は患者」。ひたすら上司から問診され、「で、最近どうなの?」と詰問されるだけ。でもOne on Oneは違います。これはお互いに健康診断する“相互問診”の場なんです。つまり、こちらも上司を面接していいというわけ。 【受ける側が最低限話すべきこと】 1. 最近の仕事と感想 単なる報告じゃなく、「やりがいはありますが、もう少し時間が欲しいですね」など感情を一言プラス。 2. 困りごと 「こんなことで悩んでまして…」と言うと、日本の…

  • 「話しかけにくい人、という職場の災厄」

    話しかけにくい人というのは、得てして「威厳がある」とか「自分に厳しい」などと、好意的な解釈をされがちだ。だが、ハッキリ言っておこう。それ、迷惑である。 まず、話しかけにくい人の周りには情報が集まらない。上司であれ、同僚であれ、「あの人、今話しかけたら殺されるかも」みたいな緊張感を常にまとっているようなタイプは、重大なトラブルが起きても「まあ、もう少し様子を見てから話そう」と周りにに思わせる。これ、放っておくと火災報知器が鳴っても「いや、たぶん誤作動」と言われて全員が焼け死ぬタイプの職場になる。 さらに、こういう話しかけにくい人というのは、えてして「なんで自分に何も言ってくれなかったんだ」と後か…

  • インドとパキスタン

    インドとパキスタンの関係を見ていると、つくづく「隣人というのは厄介な存在だな」と思わされる。 もともとひとつの国だった両者が、宗教の違いを理由に分離し、その結果、カシミールをめぐって今なお銃火を交える関係が続いている。民族も文化も似通っているのに、そこに「違い」を見出しては対立し、何度も戦争を繰り返してきた。 この構図、どこかで見たことがないだろうか。そう、日本と韓国、そして中国の関係にも、驚くほどよく似ているのだ。 日本と韓国。文化的には本当に近い。料理、音楽、ファッション、―若い世代ほど似ている。でも、ひとたび歴史問題や領土問題の話題が出ると、空気は一変する。慰安婦、徴用工、竹島。たった一…

  • 「知らぬことには口をつぐめ」

    世の中で「常識」とされていることが、個人にとって「未知」であることは珍しくない。たとえば、スマホの中身がどう動いているかを知らずとも我々は日々使いこなしているし、宇宙の仕組みや金融工学だって、世間には詳しい人がいる一方で、私のように全くわからない人間もいる。 だからといって、その未知を補おうとする場で、「いや、それはね」と素人が得意げに語り始めると、場の空気が一気に重くなる。聞いている側は疲れるし、説明する側は徒労に終わることが多い。それよりも、自分の得意な分野を深掘りしてくれた方が、よほど周囲にも貢献になるし、本人も輝ける。 特にリーダーの立場にある人は注意が必要だ。未知の分野において判断を…

  • ターンダウン

    「ターンダウン」という言葉は一般的だろうか。 音を下げる。主張を抑える。存在感を消す。要するに、あらゆるものを「控えめ」にする美徳である。発言だとトーンダウンと言われているかも知れない。空気を読むのと同じ系統の、やりすぎると呼吸困難になる類の行動様式だ。 もちろん、抑えることが悪いとは言わない。音楽の音量、エアコンの設定、会議中の発言時間――これらはツマミをひねるように調整ができる。そして、やり過ぎないというのは、それだけで一つの才能だ。 ただし、感情や情熱や不安といった、身体の奥から湧いてくるやつらについてはどうだろう。怒りをターンダウンできるなら夫婦喧嘩は半減するし、心配をターンダウンでき…

  • 「疑似的な認知症」

    認知症の母と会話していると、記憶力の低下については本人もある程度自覚している様子がある。だが、「人の話を聞いて理解する力」や、「自分の考えがおかしい可能性」に対しては、ほとんど自省がない。加齢による認知症で仕方がないとは思うが、問題はそれだけでは済まない。気に入らないことがあると暴言を吐き、特に世話になっている人に対して感情をぶつける。 もともと感情的で扱いにくい性格だった。認知症によって理性のフィルターが薄れ、元からあった「悪い部分だけが色濃く残っている」ようにも見える。 ここで感じるのは、「認知症だから仕方がない」という一言で全てが納得できるわけではないということだ。 母は、以前より「バカ…

  • 「楽しみが増えると心配も増える」

    トマトとナスを植えた。 土を掘り返し、指の間に湿った土を感じながら苗を植える作業というのは、思いのほかセンチメンタルなもので、たとえるなら、はじめてランドセルを背負った子供を校門の向こうに送り出す親の気持ちに少し似ている。 言い過ぎかもしれないけれど、そんな気がしたのだ。 で、昨日は大雨。 トマトとナスは、まだかよわい。風に煽られて、ひょろひょろと身体をしならせながら、「もうダメです」と言っているように見えた。 仕方ないので、傘をさして外に出て、支柱を足して、ひもを巻き直して、ちょっとした応急処置をしてやった。 それで、ようやく一息ついた。 こういう時に思うんですな。 猫もそう。クルマもそう。…

  • 「最後に被せる」

    口げんかに限らず、議論というのは、発言の順番が意外にものを言う。プロ野球のホームゲームと同じで、「後攻」が強い。いや、むしろ「最後のひとこと」によって、勝敗が決まってしまうことすらある。 たとえば、職場の会議で「経費削減のためにプリンターを共用にしましょう」と誰かが言い出す。こちらは「業務効率が落ちる」と懸命に反論し、論理も実例もきちんと挙げて説明したのに、最後の最後で部長が「ま、今は経費が最優先だから」で締めくくってしまう。はい、終了。プリンターは撤去され、印刷のために廊下を往復する日々が始まる。 このとき、会議の参加者たちの多くは、自分の考えではなく「最後に聞いた意見」を無意識に採用してし…

  • 人格と人望は両立するか

    人格者というのは、たいてい「いい人」だ。ただし、“いい人”すぎて、気楽につきあえる感じではない。正義感が強く、嘘がつけず、たとえばゴミの分別にも本気で取り組んでいる。尊敬はする。でも、飲みに誘うかというと、ちょっと躊躇する。こちらの愚痴を正論で打ち返されそうだからだ。 逆に、人望のある人は、いわゆる「人気者」。場を和ませ、話を合わせるのがうまく、敵を作らない。だけど、そのぶん、自分を多少は曲げている。場の空気に応じて意見を変えたり、誰にでも調子を合わせたり。裏を返せば、ブレやすいとも言える。 で、人格と人望は両立するのか? 理屈の上では、もちろん可能だ。実際、歴史上の偉人の中には、その両方を備…

  • 家庭菜園もどき

    家の前の空き地――といっても、畳2枚分くらいの小さなスペースなんだけど――そこを貸してもらえることになって、トマトと茄子を植えてみた。これまでは毎年、家の垣根にゴーヤを育ててたくらいなんだけど、せっかくだし少し広げてみようかなと。 ただ、家庭菜園ってやってみると意外とお金も手間もかかる。苗買って、土買って、水やって、虫がつかないか見て、鳥に食べられて、台風でやられて……これ、元を取ろうと思ってやると、たぶんすぐ心が折れる。 でもね、毎年畑をやっているお隣さんが言ってたんですよ。「育っていくのを見るのが楽しいんだよ」って。なるほどなーって思った。確かに、毎日ちょっとずつ大きくなるのを見てるだけで…

  • 寓話「アニマル村の壊れた塔」脅迫

    アニマル村では、見晴らし台を建てる計画が持ち上がった。 設計を任されたのは、勤勉なリスの設計士ルリだった。 ルリは、安全第一を信条とし、時間をかけて強固な設計図を描いた。これなら100年はもつだろう。 ところが、建設を請け負ったタヌキ建設のボス、バクローがやってきてこう言った。 「悪いが、予算が半分に削られた。 しかも村長が、夏祭りまでに絶対完成させろってさ。あんたの設計じゃ無理だ。図面を変えろ。手抜きしてでも間に合わせろ。」 ルリは驚いた。 「このまま設計を変えれば、台は崩れます。村のみんなが危険に晒されます!」 だがバクローは肩をすくめた。 「じゃあ、あんたが責任取るんだな? 工期を延ばし…

  • 感動

    感動というのは、本来、内緒話みたいなものだ。 心の中でひっそり芽生えて、誰にも見せずにそっとしまっておくのが、たぶん正しい。 ところが世の中には、「感動共有圧力」という謎の風習がある。 たとえば、どこまでも続く大平原を見渡して、ひとりで勝手に震えている人がいる。 それはそれで結構だが、問題はそのあとだ。 「ねえ、ねえ、すごいよね? 感動するでしょ?」と、こっちの顔を覗き込んでくる。 あたかも感動が義務であるかのように。 無理だ。 それでも空気を読んで、「うん、すごいね」などと応じると、今度は「やっぱりわかるよね!」などと嬉しそうにされる。 こうなってくると、もう、感動というより、社交だ。 いや…

  • バッハ

    舞台に上がるまで、あれほど練習してきたことが、信じられないくらい遠く感じた。 ギターを持つ手も、座る姿勢も、どこか他人事だった。 それでも、音は出た。 とぎれとぎれに、びくびくしながら、それでも弦は震え、空気に音を渡した。 バッハのBWV998──あの透明な旋律を、どうにかこうにか、たどった。 言って置くが冒頭のプレリュードしか弾けない。 上手くは、弾けなかった。 けれど、あの数分間を、私は確かに生きた。 終わったあと、楽器を抱えて楽屋に戻る道すがら、少し笑った。 「ま、こんなもんだろ」と。 自分にできることと、できないことのあいだにある細い道を、よたよた歩くしかないのだ。 バッハも、たぶん、…

  • 短篇SF: 時間感覚調整装置

    宇宙開発企業「クロノス社」が、ついに「時間感覚調整装置(TAS)」の一般販売を開始した。これは、個人の生体リズムを場所や時差に関係なく自在に調整できるという画期的な装置だった。出張族や宇宙飛行士には救世主のような発明だ。 最初に購入したのは、40代のプロジェクトマネージャー・A氏だった。彼は以前から「時間は存在しない」と主張していたが、出張のたびに時差ボケで苦しんでいた。自称・時間否定主義者なのに、時計に弱いという矛盾を抱えていた。 TASを装着したA氏は、見事に時差の呪縛から解放された。脳が自動で現地時間に順応し、いつも通りの朝に目覚め、会議にも遅れず、プレゼンも完璧。プロジェクトも順調に進…

  • 「きついメールは何時に送るべきか、という問題」

    きついメール。書いてるうちに、心拍数が上がってくるあれである。 指先が火を噴くような怒りで、キーボードが一種の打楽器に変わる。こうなるともう、相手に読ませるという目的は、すっかり背景に消えて、「俺の正しさ」を証明するための祝砲になっている。文字というよりは、もはや弾丸。 では、そのメールを、いつ、送るべきか。 まず、朝。これは一見、理にかなっているようでいて、実はかなり危うい。 一晩寝たから冷静だろう、と自分では思っている。でも、それ、寝たからじゃなくて、むしろ寝ながら反芻(はんすう)してた結果、怒りが発酵して熟成してるパターンもある。 朝イチで出す「おはようございます。さて、昨日の件ですが……

  • 寓話:アニマル村の相談屋タヌキ

    アニマル村には、年中無休で村のみんなの相談に乗ってくれる「相談屋タヌキ」がいた。彼はかつて村役場で働いていた経験があり、山のことから川のこと、商売のことから恋愛のことまで、幅広い知識と経験を持っていた。 ある日、リスのリッキーが相談にやってきた。 「タヌキさん、ちょっと聞きたいんだけど、今度キツネさんが始めるクッキー屋、手伝った方がいいかな?」 タヌキはいつものようにニコニコしながらも、まずは質問した。 「それはリッキーが手伝いたいの?それとも誰かに頼まれたの?」 「うーん、実はモモンガ先輩から聞かれてさ、でもよくわかんないんだよね」 タヌキは内心、「またこれか」と思った。というのも最近、誰か…

  • 寓話: 丸投げ

    昔々、アニマル村には「スゴ腕ものづくり工場」がありました。最新型のロボットを製造するこの工場は、村一番の技術を誇っていたのですが、ある日、大きなトラブルが起こります。 原因は、タヌキ課長の「丸投げ」でした。 タヌキ課長は、とても忙しいふりをするのが得意な動物でした。実際には、書類の山に顔を埋めながら、こっそりお昼寝をしていたのですが、「いやぁ、最近は忙しくてねぇ」と、口癖のように呟いていました。 あるとき、新型ロボットの設計が持ち上がり、タヌキ課長は「専門外だから」という理由で、設計から製造、テストまでをすべて外注先のフクロウ技師に任せてしまいました。 「まぁ、あのフクロウは頭が良さそうだし、…

  • 寓話: 「他人を主語にする話法」

    アニマル村には、さまざまな動物が暮らしていた。 タヌキのパン屋、フクロウの校長、ウサギの保育士、イノシシの消防団。みんなが、それぞれの持ち場で忙しく働きながら、なんとなく平和に暮らしていた。 けれども、この村には、ちょっとした癖があった。 それは、「主語を使わない」こと。いや、正確には、「自分を主語にしない」ことだった。 たとえば、ハリネズミのポチは、パン屋で焦がしたクロワッサンを落とした日、こう言った。 「ああ、最近のオーブンって、すぐ調子が悪くなるんだよね」 誰もオーブンのせいにはしていなかったのに、ポチが先に言った。 で、その言葉はまるで魔法のように、批判の矛先をオーブンに向けさせた。パ…

  • スケールアップ幻想

    プロジェクトの話である。 いや、正確に言えば、「大きなプロジェクトも、小さなプロジェクトのスケールアップに過ぎない」という、耳ざわりのいい幻想についての話だ。 この言い回しは、妙に説得力がある。 なぜなら、日常生活でも「数が増えれば準備も段取りも同じ、あとは手数の問題」と思い込んでいることが多いからだ。たとえば、カレーを一人前作れる人は十人前だって作れると思っているし、パワポを5枚作った経験があれば50枚でも何とかなると信じている。だから、プロジェクトもでかくなってもやることは一緒、ただの拡大再生産だろう、または細分化すれば同じだろうと。 でも、現実はそう甘くない。 プロジェクトというやつは、…

  • 短篇SF: バカ論

    場所は未来の仮想空間、時間も空間も越えた「思想会談ホール」。そこでは歴史上の偉人たちが、AIによって再構築された人格として自由に議論を交わしていた。 ある日、そのホールに二人の男が呼ばれた。空海――密教の巨匠にして言語の達人。そして、アルフレッド・アドラー――心理学の開拓者。 議題は一つ。「バカとは戦うべきか、否か」 空海は静かに座り、光のように穏やかに言った。 「争いは、無明の火種にすぎぬ。バカと戦えば、己もまたバカに近づく。」 アドラーは笑った。 「だが、無視すれば、彼らは他人の人生に土足で入り込む。『嫌われる勇気』とは、バカと対峙することでもあるのでは?」 空海は眉をひそめた。 「怒りは…

  • 格下

    格というのは、もともとあいまいなものだ。学歴、肩書き、年収、身長、SNSのフォロワー数。格を決める要素は世に溢れているが、たいていは比較の中でしか成立しない。つまり「自分より上」か「下」か。その比較のレンズを外せば、格なんてものはどこにもない。 それなのに、政治家が自らを「格下」と呼び始めたとなると、話はちょっと違ってくる。 赤沢大臣。国際交渉の場に向かうはずのその人が、記者の前で何度も「自分は格下」と繰り返した。まるで自己暗示のように。「格下、格下」と連呼しておけば、万一、交渉で失敗しても「ほら、最初から言ってたでしょ?」というアリバイになる、とでも思ったのだろうか。 情けないにもほどがある…

  • 金曜

    今週も、まあ、いろいろありました。 朝の電車は今日も満員で、 リュックを前に抱えてスマホをいじる人が、 目の前の人の存在なんて気にせず、じっと画面に沈んでる。 ぶつかっても知らん顔。 誰かの時間に無遠慮に踏み込んで、それでも自分は「ちゃんとしてる」つもりなんだろうな。 「ちゃんとする」って、いつからこんなふうになったんだろう。 職場では、なぜか自信満々な人が、曖昧な知識で話を進めていく。 間違いを指摘しても、訂正はない。 謝罪なんて、もちろん出てこない。 おかしいな、会話ってもう少し柔らかかった気がするんだけど。 でもまあ、もういい。 そういうのに、いちいち反応するのも疲れるから。 もう期待し…

  • 四月

    四月の通勤電車は、混む。とにかく混む。 新入社員、進学した学生、転勤族――とにかく「初めての人たち」が一斉にホームに並ぶからだ。 そして彼らは、電車という場の作法を知らない。 リュックは背負ったまま、扉の前からどかず、乗り換え案内を調べながら固まる。 とはいえ、責める気にはなれない。 誰だって初めての都会は勝手がわからないし、ラッシュという地獄はテレビで見るより三割増しで辛い。 不思議なのは、この混雑がゴールデンウィークを境に、すっと消えていくことだ。 新人が慣れたのか、数名が故郷に帰ったのか、それは神のみぞ知る。 でも、街に余裕が戻ってくる感じが、少しだけ嬉しい。 年を取ると、月日の流れが尋…

  • 遅延

    「遅れないプロジェクトなんて存在しない」と言ったのは、有名な誰かではなく、私である。名言というより、事実である。もっと言えば、あらゆる計画とは、そもそも遅れるために作られる。あたかも締切が存在するのは、それを破るためであるかのように。 ではなぜ、我々のプロジェクトはことごとく遅れるのか。理由は山のようにある。が、あえてひとつ挙げろと言われれば、それは「計画が甘いから」だ。グラニュー糖をダバダバぶっかけたレベルの甘さ。具体性がないわけではないが、現実味がない。 もっとも、この甘さは偶然の産物ではない。むしろ構造的な必然だ。というのも、我々は競争している。同業他社と、つまりは同じくらい無理なスケジ…

  • 変更

    プロジェクトにおいて、「変更」という言葉ほど便利なものはない。 たとえば、会議の席上で「設計の初期段階における根本的な思想の再確認を前提に、一部仕様を変更したいと思います」などと口にすれば、よほどの短気な上司でない限り、「ふむ、それは必要かもしれんね」とうなずいてくれる。実際のところ、何がどう「再確認」されるのか、あるいは「一部仕様」の「一部」とはどこまでのことを言っているのか、当の本人にもわかっていないことが多い。 でも、それでいいのだ。変更とは、理屈ではなく、雰囲気で進行するものだから。 そもそも、変更が発生するのは悪いことではない。むしろ、最初の計画が現実と無関係な楽観主義に支配されてい…

  • 追加

    プロジェクトの発注における「追加」は、だいたいが悪い知らせです。 スケジュールが遅れ、コストが膨らみ、担当者が目を泳がせる——おまけに関係者の誰もが「俺は最初から言ってたよね?」と責任回避のジャンケンを始める。 誰かが忘れていた仕様。 誰かが知らなかった前提条件。 誰かが気を利かせて勝手に変えた設計。 そういう「誰か」によって追加は生まれる。で、だいたいその「誰か」は自分ではないと思っている。僕もそう思いたい。 もちろん、発注側だって馬鹿じゃない。 「追加が出ると面倒になる」ということぐらい、痛いほど知っている。 だから発注前には、仕様書を何度も確認し、要件定義を鬼の形相で詰める。 けれど、そ…

  • 白と黒と、そのままにした午後

    会議。A案とB案がぶつかり合って、どっちにするかって話になる。そこで声の大きい人が出てくる。音量で勝負をかけてくる。内容じゃなくて、熱量で押してくる。で、大体その人の案に決まってしまう。もちろん本人は「情熱の勝利」だと思ってる。でも、たぶん他の人たちは「うるさいから従った」だけだ。 もうひとつありがちなのが、「間を取って真ん中にしましょう」というやつ。いわゆる妥協案。でもこの“灰色”ってやつが、案外やっかいだ。見た目は折衷に見えて、実は誰の責任でもない曖昧なものになってしまうことが多い。白と黒のいいとこ取り……にはならず、むしろどっちの良さも消えてしまう。お好み焼きとティラミスを混ぜたようなも…

  • 「イエス短し、ノー長し」

    わたしはこれまで、いろんな「ノー」を見てきた。 「それはちょっと……」「会社としては前向きに検討します」「現状では難しいですが」などなど、言い方を変えたノーたちが、あたかもイエスの親戚のような顔をして職場や会議室をうろついていた。 でも、あれ、全部ノーなんです。 「言えよ、ちゃんと」と思う。潔く「ノー」って言えば、相手も「ああ、ノーなのね」とわかる。スッキリする。悩まなくて済む。でも、どうもみんな、ノーを言うと嫌われると思ってる。あるいは、責任がのしかかるとビビってる。 また、当然、論理的にも、前例的にも「イエス」が「ノー」と潔く説明もなく否定される時もある。 で、反対にイエス。 「いいですよ…

  • 腹を立てる男と立てさせる女

    「腹を立てる男も悪いが腹を立てさせる女はその数十倍悪い。」 こんな命題が、まあ世の中には転がっている。で、その続きが、「そして君は謝らない。」 これはなかなか興味深い。 よく考えてみれば、世の中の揉め事というものは、たいてい「どっちが悪いか」という話に収束する。 車がぶつかったら「どちらが加害者か」、夫婦喧嘩なら「どちらが先に火をつけたか」、SNSでの口論なら「どっちの発言が暴力的か」。 だが、この命題が秀逸なのは、「悪い」とされる立場をきっちりと男女で分けているところだ。男が怒るのはまだしも許されるが、女が怒らせるのは許されない、と。 うん、この感じ、どこかで見覚えがある。 「怒らせた方が悪…

  • だから言ったろと言いたいが言わない

    仕事をしていると、「だから言ったろ」と言いたくなる場面が本当に多い。しかし、実際には口にしない。なぜなら、それを言ったところで空気が悪くなるだけで、結局は何も変わらないからだ。 そもそも、物事がうまくいかない背景には、考えが甘すぎるか、方向性がずれているか、あるいは私欲が絡んでいるケースがほとんどだ。それでも本人たちは「一生懸命やっている」と胸を張る。だが、その「一生懸命」がただの自己満足であれば、結果が出るはずもない。 さらに厄介なのが、「やってる感」を前面に出す人たちだ。職場でよく見かけるが、会議で声を大きくする、顔が怖く威圧感が高い、忙しさをアピールする――これらは見せかけに過ぎない。本…

  • 寓話 続編:「前向きなカエル、ついに飛び越える」

    井戸の大プロジェクトが失敗し、仲間たちは疲れ果てた。カエルもさすがに落ち込んで、しばらくは静かにしていた。しかし、ある夜、星空を見上げながらつぶやいた。 「どうしても、外の世界が見たいんだよなあ…」 その声を聞きつけたのは、あのフクロウだった。 「まだ諦めていないのか」 「うん…でも、無理だってこともわかった」 フクロウは少し考えたあと、言った。 「お前は『飛び越える』ことばかり考えているが、そもそも『どうやって出るか』を考えたか?」 「どうやって…?」 新しい視点 カエルはハッとした。これまで「ジャンプ」に固執していたが、他の方法がないとは限らない。 「そうか…飛び越えなくても、登ればいいん…

  • 職場で「やらない後悔」を減らすための3つ

    「やらなかったことを後悔する」というのは、仕事でもよくある話。後から「あの時こうしておけば…」と悔やむくらいなら、ちょっと勇気を出して動いた方が得です。そこで、職場で特に意識したい3つのポイントを紹介します。 1. 不当評価は逆評価で返す 上司からの評価が納得いかない時、黙って受け入れていませんか?それ、次も同じ評価されます。そんな時は「逆評価」が有効です。例えば、「自分では成果が出せたと思っているのですが、どこが足りなかったでしょうか?」と冷静に尋ねてみる。評価基準を逆に問いただすことで、「ちゃんと見てなかったかも」と上司が気づくきっかけになります。万人が認めるスーパーな人は別です、そもそも…

  • 仕事を楽しくするために邪魔する要因

    仕事を楽しくしなければならないという命題は、実に重要である。会社に行くのが楽しみで、ワクワクしながら働ける環境こそが理想だ。残業や休日勤務も苦にならず、まるで趣味のように仕事が好きになれれば、生産性もモチベーションも自然と向上する。しかし、現実には「仕事を楽しめない」と感じる人が多く、その理由を探ってみると、以下のような要因が浮かび上がる。 1. 上司や同僚との人間関係 職場での人間関係が悪化すると、仕事そのものが苦痛になる。パワハラや無視、陰口などがあると、心理的負担が増し、仕事への興味や楽しさが失われてしまう。職場環境を改善するためには、コミュニケーションを活性化し、互いに理解し合う努力が…

  • 人の金で本気になれるのか

    大阪万博に限った話ではないが、各種補助金で運営されるイベントや研究開発プロジェクトというのは、最終的に当初の目標を達成できず、明らかに失敗に終わっても、誰も倒産しないし、責任を取ることもない。結局、税金の無駄遣いで幕を閉じる。これって、要するに「人の金でやってるから」だ。 「人の金で焼肉を食うと、どうしてあんなに美味いのか」という話がある。あれは財布を気にしない解放感が、味覚を数割増しにしてくれるからだろう。だが、その快楽に浸っている時、人は本気で「焼肉を極めよう」とか「このタン塩に人生を賭けよう」とか、そんな気持ちになっているだろうか。たぶん、なっていない。 人の金でやることというのは、得て…

  • 寓話: 「前向きなカエルと深い井戸」

    あるところに、一匹のカエルがいた。井戸の底で暮らしていたが、ある日、ふと「もっと広い世界を見てみたい」と思い立った。井戸の中ではそれなりに快適だったが、どうやら世間では「挑戦する者こそが偉い」という噂を耳にしたのだ。 「よし、オレも飛び出そう!」 カエルは意気揚々と飛び上がった。しかし、井戸の縁には届かない。何度も試したが、やはりジャンプ力が足りない。通りがかったウサギが言った。 「そんな無駄なこと、やめたらどうだい? 君には無理だよ」 だがカエルは耳を貸さない。 「挑戦することが大事なんだ! 成長するためにはリスクを取らなきゃ!」 そこへフクロウがやってきた。頭の良いフクロウは、冷静に状況を…

  • 寓話: 羊たちの沈黙

    ある広々とした牧場に、たくさんの羊たちが仲良く暮らしていました。羊たちはとても平和主義で、争いごとを嫌い、なるべく波風を立てないように心がけていました。 ある日、牧場主がやってきて言いました。 「もっと美味しい草を育てたいんだが、どうすればいいと思う?」 羊たちは木陰に集まり、会議が始まりました。しかし、誰もが「うん、そうだね」と頷くだけで、具体的な意見はまったく出ません。沈黙が続く中、黒い羊が勇気を出して口を開きました。 「このままじゃ、美味しい草なんて育たないよ!もっと日当たりのいい場所に移動するべきだと思う!」 すると、会議をまとめていたリーダー羊が言いました。 「では、あなたがその場所…

  • 対立を避けるという病

    最近の会社というのは、どうにも「対立を避ける」ことに命を懸けているように見える。いや、もちろんわかりますよ。無駄な衝突は避けたいし、空気が悪くなるのも困る。でも、会議で全員がうなずくだけの光景を見ていると、なんとも言えない居心地の悪さが漂ってくるんですね。意見を言えば負け、反論すれば厄介者というムードが、そこかしこに蔓延している。 若者たちも、その空気を敏感に感じ取っているようで、もちろん、争わないこと自体は悪いことじゃない。でも、その裏には「嫌われたくない」「面倒ごとに巻き込まれたくない」という、ある種の恐怖心が透けて見えるんです。 でもね、「対立を避ける」って、一見賢明な選択に見えるけど、…

  • 日本の生産性が低い事の本当の問題

    日本の生産性が低い――。これ、何十年も言われ続けている。働き方改革だのDXだの、いろんな対策を講じてきたけど、なぜか改善しない。理由は簡単だ。日本の職場そのものが「生産性低下装置」と化しているからだ。つまり、職場に通うたびに、その装置に巻き込まれているわけだ。 会議室の沈黙 まず、会議室を覗いてみよう。そこには「椅子と一体化した社員」がいる。会議が始まると、一心不乱に頷くが、発言はしない。意見を求められると「特にありません」と言うだけ。意見でもすれば煙たがられる。反対に会議を欠席すると協調性がないと非難される。 でも、これで給料が出る。むしろ、無難に沈黙を貫いた方が評価が高い。会議は「議論」で…

  • 我が心はPCにあらず

    AIがどうだ、DXがこうだと、世の中はデジタル礼賛一色だ。PCの前でカチャカチャやりながら「効率が命です」みたいな顔をしている人を見ると、本当にそれでいいのかと首をかしげたくなる。 たしかに便利だ。資料はクラウドで共有、打ち合わせはTeamsやZoom。取引先にも行かず、「お世話になっております」とチャットで済む。確かにすごい。けど、そこに何かが欠けてないか? 仕事ってのは、結局「人間関係」だ。PCの前で完結する仕事には、あの泥臭さがごっそり抜け落ちている。 もちろん、デジタル化は必要だ、悪いわけじゃない。でも、効率だけ追って、心と肉体が置き去りになってないか。PC画面に向かうだけの世界で、本…

  • 面倒くさいという気持ち

    世の中には、自分が面倒くさいことを嫌うあまり、さりげなく人に押し付けてしまう人がいる。 「あれ、やっといてくれる?」とか「これ、得意でしょ?」なんて言いながら、しれっと自分の負担を減らそうとする。 ああいうのは、正直許しがたい。 面倒くささというのは、全体でうまく分担して、できるだけ軽減していくべきだ。 誰か一人が引き受けてしわ寄せがくる形では、面倒が倍増するだけで、結局はうまくいかない。 さて、偉そうに他人を批判したが、私も面倒くさいことが苦手だ。 むしろ、人並み以上に嫌いだと思う。 だから、「楽にする方法」を探すのだが、その過程で自分でも驚くほど手間をかけてしまうことがある。 たとえば、ル…

  • 寓話:幸せの市場と不幸せの市場

    むかしむかし、結婚市場が盛んな国がありました。そこでは、結婚相手を探すための大きな見本市が年に一度開かれ、独身者たちは皆そこに集まりました。 市場には大きく二つのエリアがありました。ひとつは「妥協市場」、もうひとつは「理想市場」です。 妥協市場の話 「妥協市場」には、いわゆる“イケてない”者たちが集まっていました。少し太めだったり、髪が薄かったり、背が低かったり。でも、彼らは早かった。朝一番に集まり、互いに話し合い、あっという間にペアを作っていました。 「あら、あなたも結婚したいのね!」 「お互い様だな! 一緒にやっていこう!」 彼らは笑い合い、腕を組んで市場を後にしました。まるで長年の友人の…

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