自称「古代史勉強家」。趣味は実地踏査と称して各地の遺跡、神社、歴史博物館を訪ねること。学芸員資格保有。
紀伊半島を一周する車中泊旅の4日目。最終日です。前々日、前日に続いてまたしても快晴、猛暑な朝でした。 この日の朝に決めたことのひとつは、どこにも行かずに松阪近辺で過ごすこと。そしてもうひとつはお昼ご飯でちょっと贅沢するために朝ご飯を抜くこと。 朝一番で向かったのは多気郡多気町の丹生にある水銀鉱山跡。丹生のあたりは古代からの水銀坑道が無数にあり、昭和の時代まで掘られていました。 左側が昔の坑道、右側が昭和に掘られた坑道です。奥から白い冷気が溢れ出してあたりをひんやりと冷やしてくれていました。気持ち良かったです。 水銀鉱から採掘されるのは辰砂と呼ばれる硫化水銀。そもそも古代人はなぜ水銀を重宝したの…
紀伊半島を一周する車中泊旅の3日目。気温が異常に高かった前日、夜になっても気温がそれほど下がらずにたいへん寝苦しく、途中で窓を開け、USB扇風機をつけました。寝るときにエンジンを切っておくのが車中泊のマナーなのですが、隣の車が夜中にエンジンをかけてエアコンをつけたようで、やかましかったぞ。そんなこともあって朝の4時過ぎに目が覚めました。しばらくまどろんでいたのですが、この道の駅が海岸近くにあることを思い出し、日の出を見ようと急きょ海岸に移動しました。 太陽はすでに雲の向こうに昇っていましたが、朝の海岸で気持ちよく過ごしました。ランニングをするお爺さんたちとも挨拶を交わしてそれなりに楽しい時間で…
紀伊半島を一周する車中泊旅の2日目。 「道の駅みなべうめ振興館」を朝8時すぎに出発。モーニングを食べようとGoogleで検索した白浜の喫茶店を目指します。途中、梅林の間を抜ける道を走っているとあちこちうで収穫していました。あー、南部はやっぱり梅の町なんだなあと改めて実感。 白浜と言えばお決まりの「とれとれ市場」。吸い込まれるように駐車場に入ってしまいました。 店内を二周したけど、結局何も買わずに退店。決して安くはないです。 喫茶店「Colony」に到着。最近はこういう喫茶店に入ることがめっきり減りました。モーニングも喫茶店のモーニング、という感じで美味しくいただきました。 とりあえず海岸沿いの…
2025年6月14日から17日までの4日間をかけて、大阪の自宅から紀伊半島を時計と反対回りに一周する車中泊旅に行ってきました。 まず初日は昼過ぎに自宅を出て和歌山県有田郡のあらぎ島を目指します。国道170号線から480号線に入り、和泉山脈を縦断、紀ノ川を渡って山の中をクネクネと走って2時間ほどで到着。雨の中、田植えが終わったばかりのあらぎ島はシンプルだけど絵になる景色でした。島とは名ばかりで、有田川の蛇行が生み出した地形です。 稲が青々と伸びる盛夏、金色に輝く秋、雪の積もる冬、田植え前に水を張る初夏、四季それぞれに素晴らしい景色が見られます。 近くの「道の駅あらぎの里」で生こんにゃくと豆腐、わ…
但馬・丹後ツアーの3日目。与謝野町立古墳公園をあとにして、いよいよ最後の目的地、福知山市の広峯古墳記念公園に向かいます。途中、道の駅「シルクのまち かや」でランチをとりました。この道の駅、車中泊をしようと来たことがあるのですが、車が1台もいなくて、真っ暗であまりに寂しかったのでパスをしたところです。 福知山市内まで30分ほど。広峯古墳群は1986年の区画整理事業に伴って調査が実施されましたが、なかでも15号墳は全長40m、4世紀後半の前方後円墳で、広峯古墳群の盟主墳とされています。 現在は広峯古墳記念公園内に3/4の大きさで復元されています。この公園に来るのは2回目です。 後円部の半分が消失し…
但馬・丹後ツアーの3日目。日吉ヶ丘遺跡の次はお隣の与謝野町立古墳公園です。前回は車中泊の途中に寄ったのですが、ワンちゃんと一緒に入れなかったので断念した公園。公園内には蛭子山1号墳・2号墳、作山1号~5号墳が整備、保存されるだけでなく、与謝野町内で出土した遺物を展示する「はにわ資料館」が併設されています。 まず、蛭子山1号墳に登ります。4世紀中葉の築造で全長145mの三段築成、各段に埴輪列が巡り、川原石の葺石が見られます。3基の埋葬施設があり、中央の第1主体に直葬されていた舟形石棺から内行花文鏡や三葉環頭大刀が、棺外からも直刀、鉄鏃、鉄斧などの鉄製品が見つかっています。 後円部の墳頂には発掘さ…
但馬・丹後ツアーの3日目。次の目的地、日吉ヶ丘遺跡に向けて籠神社を出発。左手には阿蘇海が広がり、天橋立が見えています。せっかく天橋立に来たのだから絶景を楽しんでもらおうと急きょ成相山に行くことにしました。 天橋立に来た多くの人は籠神社の隣りにあるケーブルカーに乗って傘松公園へ行き、股覗きを楽しむのでしょうが、成相山からの眺望はそれを凌駕します。 冠島と沓島まで望めます。 ひとり500円の入山料がかかりますが、おススメのスポットです。私たちは五重塔がそびえる成相寺には目もくれず、絶景だけのために入山したのでした。 さて、丹後半島とはこれにてお別れして、日吉ヶ丘遺跡に向かいます。弥生時代中期中頃か…
但馬・丹後ツアーの3日目。大宮賣神社の次は、前日に走った阿蘇海沿いの国道を戻って籠神社、眞名井神社を目指します。8年前に来た時は籠神社に車を停めて眞名井神社まで歩いたのですが、今回は眞名井神社に駐車場があると聞いたので、先にそちらに向かいました。ちなみに8年前は社殿の解体修理中だったので何も見ることができませんでした。 眞名井神社は籠神社の奥宮で境外摂社とされています。本宮が「下宮」で奥宮は「上宮」に位置づけられるそうです。祭神は、磐座主座が豊受大神、相殿神が罔象女命・彦火火出見尊・神代五代神、磐座西座が天照大神・伊射奈岐大神・伊射奈美大神とされます。 籠神社の宮司である海部家の祖先である彦火…
但馬・丹後ツアーの3日目。最終日はホテルから近い途中ケ丘遺跡からスタートです。途中ケ丘遺跡は竹野川支流の鱒留川の右岸、北向きの河岸段丘上に立地する弥生時代前期中頃から後期にいたる環濠集落遺跡です。 遺跡があったところには峰山途中ケ丘公園が広がっています。 集落の人口増加に伴って環濠が外側に広がっていき、合計で8本の濠が確認されています。出土物はガラス製管玉、陶塤・紡錘車などの土製品、鉄斧・鉄鏃などの鉄製品など多種多様。 それにしても丹後の弥生遺跡ではいたるところで製鉄に関連する遺物が出土しています。弥生時代前期から中期にかけて、すでにたたらによる製鉄が行われていた可能性が指摘されています。さて…
但馬・丹後ツアーの2日目。新井崎神社をあとにしてホテルに向かう途中、まだ少し時間があったので3日目に予定にしていた大風呂南墳墓群に行くことにしました。ここも2回目です。阿蘇海に面した丘陵上に築かれた墳墓群です。 弥生時代後期後半の1号墓は丹後を代表する王墓とされます。27m×18mの長方形墳の中心の墓坑には長さ4.3mの大きな舟底木棺が納められ、内部に朱が敷き詰められていました。ガラス釧1個、銅釧13個、ガラス勾玉6個、鉄剣14本など、総数412点もの副葬品が見つかっています。とくにガラス釧は全国で4例目、完形では初めてとなります。また、弥生時代の墳墓からこれだけ大量の鉄剣が出たのも初めてです…
但馬・丹後ツアーの2日目。浦嶋神社と新井崎神社を目指して、雄大な景色を横目に見ながら丹後半島をぐるっと周ります。まずは浦嶋神社です。2回目の参拝となります。 祭神は浦嶋子、つまり浦嶋太郎です。この神社は宇良神社とも呼ばれる式内社です。 浦嶋子(浦嶋太郎)の話は『日本書紀』の雄略天皇紀に次のように記されます。 丹波国餘社郡管川人・瑞江浦嶋子、乘舟而釣、遂得大龜、便化爲女。於是、浦嶋子感以爲婦、相逐入海、到蓬萊山、歷覩仙衆。 丹波国余社郡の管川の人、瑞江の浦嶋子が船に乗って釣りをしているときに大きな亀を捕まえた。その亀はたちまち女性になった。浦嶋子は感激してその女性を妻とし、女性に従って海に入った…
但馬・丹後ツアーの2日目。遠所遺跡をあとにして黒部銚子山古墳に向かいます。この古墳は初めてとなります。全長105m、二段築成の前方後円墳で、築造時期は5世紀前半とされます。墳丘表面から埴輪片が検出されたことから円筒埴輪列の存在が想定されますが、発掘調査は実施されていません。 後円部を下から見上げると勾配がきつく見えましたが、一気に登りました。上から見るとこんな感じです。かなり急斜面です。 二段築成がいまひとつわからなかった。後円部墳頂はほぼ平坦でした。 後円部から前方部を。 前方部から後円部を。 おそらく葺石ですね。 くびれ部から下りました。後円部側から見たくびれ部です。 後円部斜面にも葺石と…
但馬・丹後ツアーの2日目。コンビニでランチを済ませて次のニゴレ古墳に急ぎます。丘陵を切り出した全長20mほどの不整形墳ということですが、不整形墳というのは耳慣れない墳形です。地山を切り出したまま、形を整えなかったのか、それとも調査で墳形が確定できなかったのでしょうか。 簡単に登れそうに見えますが、見た目以上に傾斜がきつく、足を滑らせると下まで転がり落ちます。3~4mとされている高さは7~8mあるように感じます。 築造時期は5世紀中葉とされます。段築や葺石はなく、丘陵から切り離した溝の部分に円筒埴輪列が検出されています。墳頂部は10m×6mの平坦面で、中央部から舟形木棺(あるいは割竹形木棺)が検…
但馬・丹後ツアーの2日目。大田南古墳群の次は奈具岡遺跡です。ここも2回目。国営農地開発事業に先立つ調査で弥生時代中期の玉作り工房跡が見つかり、水晶の原石、玉製品生産の各工程における未製品が多数が出土しました。 現地に遺跡の痕跡はなく、ただ説明板があるのみで、国営農場のハウスが立ち並んでいます。 水晶や玉作り工房のほか、大量の鉄製工具や鍛冶炉も見つかり、弥生中期に鉄の加工技術があったと考えられます。 周囲にはこの遺跡のほかに奈具遺跡、奈具谷遺跡が隣接し、さらに奈具岡古墳群などの古墳群が広がっています。 丹後古代の里資料館に展示されている水晶の原石などの出土品。 道路の向こうには奈具岡南古墳群が広…
但馬・丹後ツアーの2日目。網野銚子山古墳の次は赤坂今井墳丘墓です。ここも2回目となります。弥生時代終末期前後(2世紀末~3世紀初め)の巨大な方形墳丘墓。丘陵の先端部の東西45m、南北51mの方形域を墓域としてその上に東西36m、南北39mの墳丘が築かれています。この時代の墳墓としては列島最大規模で、王墓であることは間違いないでしょう。 これは丹後古代の里資料館に展示されるジオラマです。 墳頂部に6基、墳裾の平坦面に19基以上の埋葬施設があり、墳頂部の第1主体は14m×10.5mの大きな墓坑で、庄内式古段階の土器が破砕された状態で出土しました。さらにその第1主体部を切り込んで作られた第4主体部も…
但馬・丹後ツアーの2日目。芦高神社をあとにして網野銚子山古墳に向かいます。4世紀末から5世紀初頭の築造とされる全長201mの前方後円墳。神明山古墳(190m)、蛭子山1号墳(145m)とともに日本海三大古墳とされます。 ここは2017年3月に来たのですが、そのときは前方部の裾を発掘調査をしていました。たしか裾部分を確定させるための調査だったと記憶しています。 それから8年が経過して史跡公園に生まれ変わろうとしていました。 8年前は上の写真の階段の左下あたりを掘っていました。今から思えば史跡公園化の一環の調査だったのかもわかりません。 遠くに日本海が見渡せますが、古代には目の前に潟湖が広がってい…
但馬・丹後ツアーの2日目。気比銅鐸出土地のあと、山越えで丹後に入って湯舟坂2号墳を目指します。途中、衆良神社や川上麻須屋敷跡にも寄っていく予定でしたが、いずれも車を停める場所がなく、写真を撮るだけになりました。 衆良神社の祭神である河上摩須(川上摩須)はこのあたり(丹波国熊野郡川上郷)の支配者で、『古事記』に「美知能宇志王娶丹波之河上之摩須郎女生子比婆須比賣命(美知能宇志王が河上の摩須の娘を娶って生んだ子が比婆須比賣命である)」と記されます。 美知能宇志王は丹波道主命で、第9代開化天皇の孫にあたり、第10代崇神天皇のときに四道将軍のひとりとして丹波に派遣されました。衆良神社のすぐ近くに川上摩須…
但馬・丹後ツアー、2日目に入ります。豊岡市内のホテルを8時に出発して最初に向かったのが気比銅鐸出土地。途中、城崎温泉を通過するので雰囲気だけでもと思って温泉街をぐるっと回ってから円山川を渡りました。円山川沿いの道は何度も走っていますが、下流あたりはいつも川の水が溢れんばかり。20年ほど前の台風被害は記憶に残っています。そんな円山川も古代には日本海から内陸部の出石盆地へ通じる航路として栄えたことと思います。天日槍もこの川をさかのぼったことでしょう。 そんな円山川のすぐ隣を流れる気比川右岸の石切場から4つの銅鐸が見つかりました。1912年ことです。 4つの銅鐸はいずれも外縁付鈕式で、流水紋に加えて…
但馬・丹後ツアーの1日目。最後の行き先は森尾古墳。古墳時代前期、約9m×6mの長方形墳または楕円形墳で、この地の大地主、平野家の別荘建築の際に見つかったそうです。 事前にネットを検索しまくってようやく見つけた百合ヶ丘公園への登り口。事前に調べていなければこの金網の扉を開けて入る勇気は出なかったでしょう。斜面に沿って歩くので滑りやすく、石ころや木の根っこに足元がとられたりするので思っていた以上に危険。(このブログを見て行ってみようと思った方、この金網の入口は上の説明板の左に建つお宅の右手を少し入ったところにあります。ご参考まで。) 丘陵の上は意外にも平坦で広いけど、古墳の形跡はまったくありません…
但馬・丹後ツアーの1日目。豊岡市立歴史博物館をあとにして入佐山3号墳へ急ぎます。出石城の近くにある入佐山は公園になっていて、西側の登り口から丘陵に登っていきます。 丘陵上に広がる入佐山墳墓群に3基の古墳があり、1号墳が前方後円墳、2号墳が円墳、そして丘陵のもっとも高いところに位置するのが長方形墳の3号墳。 階段や急坂をどんどん登っていくと最初に登場するのが1号墳。東屋の横に表示板があります。 前方後円墳というものの、この見方であってるのかな。大きさなどの解説がないのでまったくの想像です。手前が後円部で東屋のあたりが前方部先端。何となく前方後円形に見える。 東屋からの出石盆地の眺めがなかなかの絶…
但馬・丹後ツアーの1日目。内場山墳丘墓の次は日本一低い中央分水嶺(分水界)、石生の水分れ公園へ。行程に組み入れていた朝来市埋蔵文化財センターや茶すり山古墳へ行く途中にあることを思い出したので、関東方面の皆さんを是非お連れしたいと思って急きょ立ち寄ることにしました。 日本一低い中央分水嶺は石生の交差点付近で標高が約95mです。ここから1キロほど小さな川をさかのぼったところにあるのが水分れ公園で、この川沿いの小径が分水嶺になっています。 右に流れた水が由良川を経て日本海へ、左に流れた水が加古川から瀬戸内海へ。まさに水分れです。 この由良川と加古川の水系は昔から人・物・文化が行き来する交通路であった…
但馬・丹後ツアーの1日目。千歳車塚古墳の次の目的地は京都府南丹市の園部黒田古墳です。古墳時代出現期あるいは弥生時代終末期の3世紀前半に築造された全長52mの前方後円墳です。 盗掘抗から古い壺形土器(加飾壺)が出ており、発掘調査に参加した高野陽子氏は「京都府埋蔵文化財論集 第5集」において、庄内式新段階、おおよそ庄内3式に帰属すると述べています。さらに、二基の埋葬施設のうちの第1主体部から後漢中期の双頭龍文鏡も見つかっています。 また、墳形は後円部が楕円形を呈していますが、高野氏によると築造時は正円形の規格であったとのこと。また、前方部は先端が大きく開いていて、この発達した前方部が他の出現期古墳…
但馬・丹後ツアーの1日目。最初の行き先は京都府亀岡市に鎮座する出雲大神宮。主祭神は大国主神と三穂津姫尊。式内社で丹波国一之宮。旧称は出雲神社、元出雲や千年宮とも呼ばれています。 社伝によれば『丹波国風土記(逸文)』に「元明天皇和銅年中、大国主神御一柱のみを島根の杵築の地に遷す」と記されることから、古来、元出雲の信仰がある、とのことですが、その逸文そのものが不詳で一般的にはこちらの祭神が杵築大社から勧請されたと考えられています。そういえば熊野大社も同じように出雲と紀国で本家争い(?)があったはず。 この日はたまたま「鎮花祭」が執り行われていて、境内は多くの人で賑わっていました。鎮花祭とは、和銅年…
2025年4月18日~20日、古代史仲間6人で但馬・丹後への旅に出かけました。行程は下記のとおりです。 【1日目】 出雲大神宮 千歳車塚古墳 園部黒田古墳 内場山墳丘墓 水分れ公園(石生) 豊岡市立歴史博物館 入佐山3号墳 森尾古墳 (豊岡市内宿泊) 【2日目】 気比銅鐸出土地 川上麻須屋敷跡 湯舟坂2号墳 芦高神社 網野銚子山古墳 赤坂今井墳丘墓 大田南古墳群 奈具岡遺跡 奈具神社 ニゴレ古墳 遠所遺跡 黒部銚子山古墳 京丹後市立古代の里資料館(竹野神社) 浦嶋神社 新井崎神社 大風呂南墳墓群 三坂神社墳墓群 扇谷遺跡 (京丹後市内宿泊) 【3日目】 途中カ丘遺跡 大宮賣神社 眞名井神社 元…
ランキング参加中gooからきました 今年の11月で長年やってきたgooブログが閉鎖になります。 2016年から古代史ネタを発信し続けて、そのコンテンツを再編集して電子書籍化したものものあれば、noteで有料記事として再配信したものもあり、私の古代史への取り組みにおいて最も重要な役割を果たしてくれました。 そのgooブログが閉鎖になるのは何とも残念ではありますが、致し方ありません。その事実を受け止め、活動を続けていくためにこのたび、このHatenaBlogへの引越しを完了させました。 これまでgooで私の記事を読んでいただいていた皆さん、引き続きこちらでもよろしくお願いしたいと思います。また、新…
一昨年来、伊勢神宮(皇大神宮)の成立についていろいろと勉強して、様々に考えを巡らせた結果を自身の論考として本(Kindle版)にしました。 天照大神と伊勢神宮 妄想古代史小嶋浩毅 また、つい先日、2月半ばに古代史仲間とともに飛鳥を訪ねました。このときに訪ねた場所や感じたり考えたことはこれまでに順次投稿してきました。 飛鳥ではいろいろと感じるところがあったのですが、石舞台や都塚古墳、飛鳥寺など、とりわけ蘇我氏に思いを馳せる場面が多く、当時の最大氏族であり天皇家を支えていた物部氏を倒してまでして仏教を取り入れ、その後の日本の方向を決定づけたといっても過言ではないその影響力を改めて認識した次第です。…
二日間にわたる天理・飛鳥を巡る古代史ツアーの最後は古代の漏刻跡とされる飛鳥水落遺跡です。発掘調査の結果、特異な正方形の基壇を持つ大型の建物遺構のほか、基壇内を走る木樋暗渠、銅管、漆塗木箱などが見つかっていて、『日本書紀』斉明天皇6年条に記される中大兄皇子が製作した漏刻であることが確認されています。 水落という地名がこの漏刻に由来すると考えたくなりますが、果たしてどうなんでしょう。 水落遺跡のすぐ北側が石神遺跡といって古代の迎賓館があった場所とされています。 陽が傾いて甘樫丘の向こうに沈みかけています。レンタサイクルを17時までに返さなければならないので飛鳥巡りはここで終了することにしました。 …
飛鳥寺は蘇我馬子が創建した日本で最初の本格的な仏教寺院です。現在は安居院という名称ですが、もとは法興寺や元興寺と呼ばれ、元興寺が平城京に移ってからは本(もと)元興寺とも呼ばれています。この小さなお寺、創建時は現在の20倍の面積があって、塔を中心に東、西、北に3つの金堂を配し、外側には回廊が廻らされていたそうです。日本で初めての瓦葺きの建物でもあります。 本尊は飛鳥大仏。光背や台座が失われ、何度も修復を受けているものの1400年前からこの場所に鎮座しているそうです。 面長の顔立ち、アーモンド形の眼、首を少しだけ左側に向け、ほかのお寺の仏さまとは少し様子が違っています。右から見ると少し厳しい表情に…
飛鳥宮跡から5分くらいで酒船石遺跡に到着。この遺跡名は丘の上の酒船石と丘の麓から出た亀形石造物遺構を合わせての呼称です。中学、高校のときにはまだ酒船石しか見つかっていなくて、遺跡名はなかった。その後、平成4年(1992年)に酒船石の北の斜面で石垣が発見され、さらに平成12年(2000年)に砂岩でできた湧水設備、小判形石造物、亀形石造物が発見され、このように命名されたとのこと。 まずは丘の上の酒船石へ。途中、板塀で囲われた小屋のようなものがあったものの、あまり気にせずに頂上を目指します。そして頂上へ。この姿を目にするのはまさに50年ぶり。 竹林で囲まれたこの場所で謎の石造物を前にして4人はなんと…
飛鳥の中心地へ戻ってきました。飛鳥宮跡と呼ばれる場所は6世紀末から7世紀後半までの間に設けられた複数の宮殿の遺構です。ただ、この場所は昔は「伝飛鳥板葺宮」という名称で、皇極天皇が設けた「飛鳥板葺宮」の遺構とされていました。しかし、その後に調査が進展して宮殿遺構が重複して存在していることがわかり「飛鳥宮跡」と名称を変更しています。 現在わかっている宮としては、舒明天皇の飛鳥岡本宮、皇極天皇の飛鳥板葺宮、斉明天皇の後飛鳥岡本宮、天武・持統天皇の飛鳥浄御原宮の4つです。中学の歴史研究会で来た時の記憶では、写真などでよく見る石敷き遺構のある部分だけかと思っていましたが、今回来てみて「こんなにも広い空間…
都塚古墳は石舞台から5分ほど南へ走った田んぼのなかにあります。6世紀後半の築造で41m×42m方墳、「金鳥塚」とも呼ばれるそうです。ピラミッドのように階段状に石を積み上げた特殊な構造をしていて、少なくとも6段以上あるとのこと。朝鮮半島の百済の積石塚を模しているとの説があるらしい。 横穴式石室には刳り抜き式の家形石棺がそのまま残されています。この古墳は蘇我稲目の墓とする説があり、それで行っておきたいと思った次第です。 墳丘に登ると遠く生駒山まで見通せました。さっきの石舞台が蘇我馬子の墓だとすると、石舞台よりも少し古い築造であること、蘇我氏の勢力域の中でもっとも高い位置に造られていること、百済と関…
ランチの後、Oさんの3つ目の希望である石舞台古墳を目指します。南東に向かってチャリで30分くらい、だらだらと緩い上り坂が続きます。電動チャリにしておいてよかった。橿原市を抜けて明日香村へ入ったところで「亀石」の案内が見えたので寄ることにしました。 ここはたぶん、中学の歴史研究会で来て以来だと思うので、ちょうど50年ぶりになります。 記憶が定かではないものの、周囲の景色がすっかり変わってしまったように思います。亀石から少し東に走ったところに「聖徳太子御誕生所」の碑があったので足を止めました。遠くに橘寺が見えます。ちょっと遠かったので眺めるだけにしました。 そしていよいよ石舞台。石舞台は中学の歴史…
初日はOさんと2人で富雄丸山古墳から天理市の杣之内古墳群を巡り、2日目はSさんとHさんを加えて4人で飛鳥を巡りました。まずはOさんの希望で橿原考古学研究所附属博物館に行くため、朝10時に近鉄の橿原神宮前駅に集合です。東口にあるレンタサイクル屋さんで電動チャリを借りて出発。 開催中の特別展「二上山にはじまりを求めて ―旧石器時代を知る、探る、考える―」の展示解説が始まると聞いたので、まずはそれを聞くことにしました。二上山と言えばサヌカイト、サヌカイトと言えば讃岐。その讃岐はOさんの地元です。私は旧石器時代のことを詳しく勉強したことがないので、解説をたいへん興味深く聞きました。ただ、1時間はちょっ…
小墓古墳は西乗鞍古墳からすぐ近く、県道を挟んだ反対側の田んぼの中、杣之内浄水場に隣接しています。最新の情報では全長約90mの前方後円墳で6世紀前半の築造とされています。 墳丘の南側から田んぼのあぜ道を歩かせていただき、墳丘に近づいてみました。 田んぼから一段高くなっていて、その上に墳丘が乗っかっているように見えますが、この一段目が墳丘の一段目なのか、それとも周濠部分なのかがよくわかりません。前方部の東側の隅から見るとくびれ部を感じることができます。 一段下におりてみるとこんな感じです。 墳丘に登ってみようと思いましたが、草木に遮られて叶いませんでした。 当初はこのあと峯塚古墳へ行こうと思ってい…
東乗鞍古墳の西隣りにある西乗鞍古墳は5世紀末頃の築造で、全長が約118m、杣之内古墳群では西山古墳に次ぐ2番目の大きさの前方後円墳。埋葬施設は明らかになっていませんが、横穴式石室である可能性が想定されています。墳丘への登り口は墳丘西側の前方部と後円部に2カ所ありますが、今回は前方部から登りました。登り口に「乗鞍山御野立之處」という石碑が建っていました。 墳丘は結構な高さがあり、だらだらと長い坂を上っていきます。上から眺めるとこんな感じで一直線の坂道になっています。 墳丘上は前方部も後円部もそれなりに広いスペースがあります。 前方部には昭和7(1932)年に大阪平野・奈良盆地を中心として実施され…
なら歴史芸術文化村の裏手にある天理市営駐車場に車を停めて、徒歩にて3つの古墳(東乗鞍古墳、西乗鞍古墳、小墓古墳)を探索します。まずは駐車場の左手奥にある東乗鞍古墳へ。 東乗鞍古墳は6世紀前半の築造、全長約75mの前方後円墳です。後円部には長さ9mほどの横穴式石室があって内部には石棺が残っているとのことです。 登り口は事前の調べでおおまかにわかっていたものの、いざ墳丘に近づくと意外にも斜度がきつくて草木も茂っていたので、少々不安になりましたが、墳丘に沿って後円部方向(写真左側)に歩いていくと反対側にまわり込む小径が見つかったのでひと安心。 くびれ部あたりを歩いていたときに周濠と思しき場所を発掘調…
西山古墳をあとにして「道の駅 なら歴史芸術文化村」に到着。構内唯一の飲食店「まるかつ天理店」でランチをとりました。まるかつは奈良本店にも行ったことがありますが、なかなか美味いトンカツが食せます。 食後は併設する文化財修復・展示棟を見学します。 ここは、仏像等の彫刻、絵画・書跡等、歴史的建造物、考古遺物の4分野の修復工房を1階とB1階にて通年公開しています。1階はこんな感じでガラス越しに作業している様子が見学できます。 地下にも工房があり、この日は當麻寺の仁王像(金剛力士像)の吽形像の解体修復が行われていました。2022年5月からまず阿形像の解体修復が行われ、続いて吽形像の修復ということのようで…
天理参考館の職員さんの言葉に従って車を置いて西山古墳まで歩き、5分ほどで到着。目の前に広い職員用駐車場があり、車はほとんど停まっていないではないですか。職員用なので見学者が停めてよい、とは言えなかったのでしょうか。不親切だなあと思ってしまいました。 さて、西山古墳は全長約190m、日本最大の前方後方墳で、4世紀の築造とされています。前方後方墳とは言うものの、前方後方形は墳丘の1段目のみで、2段目・3段目は前方後円形となる特異な形状をしています。 後方部の手前に石標や何十年前の?と思われる説明板(鉄板)が立っています。 墳丘横にある天理大学馬術部の馬場を通り抜けて前方部から登ってみようとしました…
富雄丸山古墳から天理市内へやってきました。杣之内古墳群を巡るにあたってまずは情報収集を、と思って天理大学附属の天理参考館へ行きました。行かなければ、と思い続けていた博物館です。とにかくこの天理教の建物が立派すぎて、天理市内を車で走るといつも圧倒されます。天理教の協会本部ほか各施設は布留遺跡の上に展開されているのはよく知られているところ。古墳時代前期の標式土器となった布留式土器が大量に出土した布留遺跡があとかたもなくなったのは少し残念ですが、この博物館がそれを後世に伝える役割をしっかりと果たしてほしいと思うのは私だけでしょうか。 この博物館、想像していた以上に展示が充実していました。とくに1階の…
2025年2月14日、香川県から来阪した古代史仲間のOさんと一緒に富雄丸山古墳、天理の杣之内古墳群を訪ねてきました。またその翌日には関西在住のSさん、Hさんの2名が合流して4人で飛鳥を巡ってきたので、2日間の様子を順に紹介したいと思います。とくに富雄丸山古墳は昨年の熱狂的なブームの最中には訪ねる気にならず、いつかそのうちに、と思っていたのでちょうどいい機会となりました。富雄丸山古墳は4世紀後半の築造、直径が全国最大規模の約109m、造出を持つ3段築成の円墳です。2022年の調査で造出部から粘土槨の埋葬施設が新たに見つかり、木棺を覆った粘土層から過去最大となる2.37m(柄や鞘を装着すると全長2…
久しぶりの投稿となります。振り返ってみると、12月と1月の2カ月間、一度も投稿していなかったことに今さら気がつきました。2016年にこのブログを始めて以来、これだけ空いたのはおそらく初めてです。 実はこの2カ月ほど、2冊の本の執筆にいそしんでおりました。そして先日、ようやくAmazonの電子書籍(Kindle版)として出版することができたので、そのお知らせを兼ねて書いております。2冊の本は以下になります。 ①「継体天皇 即位前の継体天皇を考える」 継体天皇: 即位前の継体天皇を考える 妄想古代史 小嶋浩毅 ②「天照大神と伊勢神宮」 天照大神と伊勢神宮 妄想古代史 小嶋浩毅 過去にも2018年に…
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