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古代日本国成立の物語さんのプロフィール

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ブログタイトル
古代日本国成立の物語
ブログURL
https://blog.goo.ne.jp/himiko239ru
ブログ紹介文
自称「古代史勉強家」。趣味は実地踏査と称して各地の遺跡、神社、歴史博物館を訪ねること。学芸員資格保有。
更新頻度(1年)

86回 / 365日(平均1.6回/週)

ブログ村参加:2016/09/01

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古代日本国成立の物語さん
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古代日本国成立の物語
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古代日本国成立の物語

古代日本国成立の物語さんの新着記事

1件〜30件

  • 美山かやぶきの里 車中泊の旅(後編)

     前夜は早い目に温泉に入って食事も済ませ、21時過ぎには就寝態勢になっていました。テレビを見たりスマホを触ったり、おそらく22時頃には寝入ったようです。年末の四国旅行と同じように車中の寒さ対策を十分にしていたつもりですが、朝方に寒さで何度か目が覚めました。よく考えるとダムの下、川の横にある道の駅です。子供が小さい頃、毎年夏になると十津川の河原でキャンプをしたものですが、河原のテントで寝ていると真夏であっても深夜になると震えるくらいに冷え込みます。そのことを思い出しました。 早く寝たことと寒かったことから、朝は5時半ころに目が覚めてしまいましたが、外は真っ暗なのでしばらくウトウトしながら時間が過ぎるのを待ちました。そうこうするうちに車やトラックが入ってきます。ダンプカーもいます。トラックやダンプカーはエンジンを切...美山かやぶきの里車中泊の旅(後編)

  • 美山かやぶきの里 車中泊の旅(前編)

    2020年1月12~13日、急に思い立って車中泊の旅に出かけました。行き先は京都の山奥、美山というところにあるかやぶきの里。かやぶきの里といっても写真で見る限り、白川郷ほどに個々の家は大きくないし村も広くないけど、風情があってほっこりした気分が味わえそうなので、前から行きたいと思っていました。実は白川郷にも行ったことがなくていつかは行きたいと思っていたので、それよりも先に美山にという気持ちがありました。大きいのを見た後に小さいのを見るとガッカリするかもしれないと思って。いつも通りのペースで朝10時に自宅を出発。例によって高速は使わない方針でナビは一般道優先で設定。何も疑わずにナビにしたがって運転していると、京都市内を通りぬけるルートになっていて渋滞に巻き込まれました。前日にGoogleで検索したときに想定してい...美山かやぶきの里車中泊の旅(前編)

  • 纒向遺跡・纒向古墳群(葛城・纒向ツアー No.29)

    上ツ道をJR巻向駅付近まで南下してJRの踏切を渡ると、卑弥呼の神殿跡かと大騒ぎになった大型建物跡が出た纒向遺跡辻地区に出ます。前回訪ねたときには発掘後に埋め戻されたままの状態でしたが、その後に整備が行われたとのことだったので再訪しました。柱を復元することで建物の位置がわかるようになっていますが、この整備はどうなんだろう。いまひとつ想像力が働かない。地面もこんな風にしてしまうと3世紀の風景が甦ってこない。個人的にはこれなら整備前の方が良かったと思います。三輪山をバックに。二度目の訪問であることと、整備状況にガッカリしたこともあって短い滞在時間でした。団地の間を抜けて次の目的地へ向かいます。途中、纒向小学校の東側に見える纒向石塚古墳を撮影します。前回訪問時に墳丘に上ったのでパスします。そのあと、右折して小学校の南側...纒向遺跡・纒向古墳群(葛城・纒向ツアーNo.29)

  • 馬口山古墳・フサギ塚古墳・矢矧塚古墳(葛城・纒向ツアー No.28)

    大和神社を出て少しだけ北に向かうと左にすぐ見えるのが馬口山古墳です。全長110メートルの前方後円墳で、墳丘上で特殊器台型埴輪の破片が採取されたことから、古墳時代前期前半の3世紀後半に築造されたと考えられます。大和神社の参道からすぐのところは前方部。この裏手に回ると後円部が見えます。馬口山古墳を確認した後は国道と並行する村の中の道を南へ向かいます。この道はおそらく古代に上ツ道と呼ばれた道だと思います。走り出してすぐを左に曲がったところにフサギ塚古墳があります。全長110メートルの前方後方墳ですが、築造時期を推定できる遺物がないとのことでいつ造られたのかわかっていません。他の方のブログなどを見ていると、少なくとも2016年時点ではこの説明板の文字がくっきりとしているですが、私たちが訪ねたときにはほとんど読み取ること...馬口山古墳・フサギ塚古墳・矢矧塚古墳(葛城・纒向ツアーNo.28)

  • マバカ古墳・栗塚古墳・大和神社(葛城・纒向ツアー No.27)

    ノムギ古墳の周濠跡で両足にくっついた無数のひっつき虫を取りながら自転車に乗って次に目指したのは栗塚古墳でしたが、その途中に見つけたのがマバカ古墳。岡田さん、佐々木さんはどんどん先を目指すので声を掛けずに写真を撮るだけにしました。大きさは約80メートルと書いてあります。形状はたぶん前方後円墳です。「たぶん」と書いたのは、この古墳の情報がネットから見つけることができなかったので、説明板にある図からの見立てです。築造時期は具体的に示されず「大和古墳群の中でも最も遡る時期」とあるだけです。大和古墳群は3世紀後半の築造が多かったので、その中でも最も遡る時期となると3世紀半ばとか前半の可能性があるということかな。それならもっと詳しい調査をすればいいのになあ。少し走ると国道との交差点。ここにコンビニがあって、その向こう側に見...マバカ古墳・栗塚古墳・大和神社(葛城・纒向ツアーNo.27)

  • 波多子塚古墳・ヒエ塚古墳・ノムギ古墳(葛城・纒向ツアー No.26)

    西山塚古墳を少し北へ行ったところの左手にあるのが波多子塚古墳です。全長約140メートルの前方後方墳で、特殊器台型の埴輪が検出されています。また、1998年の発掘調査で古墳の北側に周濠が見つかり、多量の埴輪が出土しました。3世紀後半に築造された古墳時代前期前半の古墳です。特殊器台型埴輪というのは特殊器台が円筒埴輪に変化する過程のもので、特殊器台の台座の部分がなくなったものと考えればいいと思います。特殊器台が弥生時代後期後葉、円筒埴輪が古墳時代なので、特殊器台形埴輪が見つかることによって、その古墳の築造時期が古墳時代の早い時期、それこそ出現期あるいは前期前半ということが想定できることになります。でも、遠目から見てもこの古墳が140メートルもあるようには見えなかったのですが、それもそのはず、後方部の正面からの眺めだっ...波多子塚古墳・ヒエ塚古墳・ノムギ古墳(葛城・纒向ツアーNo.26)

  • 下池山古墳・西山塚古墳(葛城・纒向ツアー No.25)

    東殿塚古墳の探検を終えて再び柿畑のあぜ道を引き返し、佐々木さんの待つ念仏寺まで戻ってきました。今回の実地踏査ツアーもそろそろ終盤戦です。とはいえ、まだまだ重要な古墳が残っているのは纒向ならでは。次もそのひとつの下池山古墳です。下池山古墳は全長が約120メートルの前方後方墳で古墳時代前期前半の築造と考えられています。中山大塚古墳や、このあとで行く予定のノムギ古墳とともに「大和古墳群」として国の史跡に指定されています。調査の結果、直径が37センチもある内行花文鏡が出土しました。日本最大の銅鏡が福岡県の平原遺跡から出た直径46.5センチの内行花文鏡なので、それと比べると小さいですがそもそも37センチでも十分に大きい。この古墳は西殿塚古墳、東殿塚古墳、中山大塚古墳と同様に古墳時代前期前半という古い古墳であることに加えて...下池山古墳・西山塚古墳(葛城・纒向ツアーNo.25)

  • 西殿塚古墳・東殿塚古墳(葛城・纒向ツアー No.24)

    燈籠山古墳に佐々木さんを残して岡田さんと私は西殿塚古墳を目指して柿畑のあぜ道を歩き出しました。ダラダラとした登り坂の向こうに青空に映えて美しい姿の前方後円墳が見えています。途中、左手の柿畑の中に見える小山が火矢塚古墳です。全長49メートルの前方後円墳らしいのですが、柿の木がたくさんあって左側の前方部を隠してしまっているので円墳に見えます。熟した柿が甘く匂ってきます。これだけたくさんの熟した柿に囲まれると、その甘い匂いで気持ち悪くなりそうです。そしてついに西殿塚古墳に到着です。この古墳は衾田陵(ふすまだのみささぎ)として第26代継体天皇皇后の手白香皇女の陵に治定されています。全長は約230メートルで大和古墳群では最大規模となります。斜面に造られたという意味では行燈山古墳や渋谷向山古墳と同じですが、このふたつの古墳...西殿塚古墳・東殿塚古墳(葛城・纒向ツアーNo.24)

  • 中山大塚古墳(葛城・纒向ツアー No.23)

    黒塚古墳の見学を終えたあとは再び国道を渡って斜面に向かいます。目指すは中山大塚古墳ですが、坂道を上る途中に小岳寺塚古墳という古墳があるので写真だけでもと思っていたのですが気が付かずに通り過ぎてしまい、そのまま中山大塚古墳に到着してしまいました。ちょっと悔しい。この中山大塚古墳からは大和古墳群に入ります。中山大塚古墳は全長が約130メートルで古墳時代前期初頭の前方後円墳です。前期初頭ということは出現期に近い古い古墳です(古墳時代は3世紀半ばから始まったとされているので出現期といえば3世紀半ばから後半あたりを指します)。前方部が後円部よりも低く、前方部の前面が緩やかに曲線を描くバチ形であるという特徴は黒塚古墳と同様に出現期前方後円墳の特徴に該当します。黒塚古墳も4世紀前半あるいは3世紀半ばにさかのぼる可能性が指摘さ...中山大塚古墳(葛城・纒向ツアーNo.23)

  • 黒塚古墳(葛城・纒向ツアー No.22)

    行燈山古墳は国道169号線に面しています。次の目的地の黒塚古墳は国道を渡ってすぐのところにあるのですが、時刻はちょうど12時。そろそろ腹ごしらえを、ということになり近くの回転寿司屋に行ってみたところ、お店から溢れんばかりの順番待ちのお客さん。すぐにあきらめて引き返し、コンビニでおにぎりやサンドイッチを買って外のベンチに座って食べました。これはちょっと想定外でした。お腹を満たしたあとはいよいよ黒塚古墳。全長が約130メートルの前方後円墳で、4世紀初頭から前半頃の築造とされています。前方部と後円部の落差が大きく、前方部正面に弧状のふくらみがあるバチ形をしていて、この特徴が前期古墳であることを表しています。平成9年からの調査で国内最多の33面の三角縁神獣鏡と画文帯神獣鏡1面が発見されました。三角縁神獣鏡は卑弥呼が魏か...黒塚古墳(葛城・纒向ツアーNo.22)

  • 行燈山古墳と陪塚(葛城・纒向ツアー No.21)

    さて、次は行燈山古墳です。全長242メートルの前方後円墳で全国で第16位、柳本古墳群では300メートルの渋谷向山古墳に次ぐ第2位の規模で、古墳時代前期の4世紀前半の築造と考えられています。宮内庁によって「山邊道勾岡上陵(やまのべのみちのまがりのおかのえのみささぎ)」として第10代崇神天皇の陵に治定されています。この左側(南側)の周濠に沿って舗装された道があります。西に向かって斜面を下る坂道です。岡田さんと佐々木さんは脇目もふらに一気に坂道を下っていきます。気持ちいいだろうなあ、と思いながらも私はこの巨大古墳をしっかり目に納めながらゆっくり行こうと思いました。向こうに二上山が見えます。この古墳も渋谷向山古墳と同じく傾斜地に築造されているため、湛水のために3ヶ所で渡堤によって区切られています。後円部の先端です。前方...行燈山古墳と陪塚(葛城・纒向ツアーNo.21)

  • 櫛山古墳(葛城・纒向ツアー No.20)

    渋谷向山古墳(景行天皇陵)のあと、山麓の傾斜に沿って山の辺の道を北へ数分走ると左手にまたしても大きな古墳。行燈山古墳(崇神天皇陵)です。そして右手(山側)の池の向こうに櫛山古墳。この池は櫛山古墳の周濠です。後円部南側からみた行燈山古墳。右手には櫛山古墳。まず、櫛山古墳から見学します。行燈山古墳と櫛山古墳は周堤を共有しているようにみえ、この周堤が山の辺の道になっています。この周堤から櫛山古墳の周濠を渡る渡堤が設けられています。渡堤を渡ります。途中に説明板があります。櫛山古墳は全国でも珍しい双方中円墳、つまり円墳を真ん中に挟んで両側に方墳をくっつけた形をした古墳で、岡山で行った弥生後期(3世紀後半)の楯築墳丘墓が原形となって、それからおよそ100年後の古墳時代前期後半(4世紀後半)にこの纒向の地に築造されました。墳...櫛山古墳(葛城・纒向ツアーNo.20)

  • 渋谷向山古墳とその周辺(葛城・纒向ツアー No.19)

    珠城山古墳群と纒向珠城宮跡の間を抜けて北上すればすぐそこに渋谷向山古墳が見えてきます。ここから柳本古墳群に入ります。それとともに、この実地踏査もこれ以降は古墳一色になります。渋谷向山古墳は全長約300m(全国第8位)の前方後円墳で柳本古墳群では最大規模。「山辺道上陵(やまのべのみちのえのみささぎ)」として第12代景行天皇陵に治定されています。築造時期は4世紀後半(古墳時代前期後半)と考えられており、古墳時代前期の古墳としては全国で最大規模です。出土品として、宮内庁書陵部の調査で出た円筒埴輪(普通円筒埴輪・鰭付円筒埴輪・朝顔形埴輪)・形象埴輪(蓋形埴輪・盾形埴輪)があるほか、伝世品として、江戸時代に出土したと伝わる碧玉製の石枕(国の重要文化財)があります。まずは前方部の手前にある拝礼所から眺めます。何とも言えない...渋谷向山古墳とその周辺(葛城・纒向ツアーNo.19)

  • 纒向日代宮跡・纒向珠城宮跡・珠城山古墳群(葛城・纒向ツアー No.18)

    穴師坐兵主神社から下り坂を少し下ったところに第12代景行天皇の纒向日代宮伝承地、さらに下ると同じく景行天皇の纒向日代宮跡とされる場所があります。このふたつの違いはよくわかりません。その距離はわずか数十メートルなので同じ宮跡に碑が2カ所あるということなのか、それとも違う宮跡を意味しているのか。まずは日代宮伝承地です。大和高原龍王山の尾根の延長の傾斜地、標高の高いところにあるので、奈良盆地を見下ろす眺めがいい。桜井市が説明板などを整備したと思われます。景行天皇陵に治定される渋谷向山古墳が右手に見えます。数十メートル下ったところにある纒向日代宮跡の碑。こちらは穴師坐兵主神社による説明です。石碑も神社が建てたのでしょうか。伝承地と宮跡。やはりこの距離なら同じ場所にふたつの碑があると見ていいでしょう。何だかどうでもいいこ...纒向日代宮跡・纒向珠城宮跡・珠城山古墳群(葛城・纒向ツアーNo.18)

  • 檜原神社・相撲神社(葛城・纒向ツアー No.17)

    崇神天皇磯城瑞籬宮跡の次の目的地が檜原神社です。平等寺を抜けて進むと大神神社の拝殿横に出ました。せっかくなので境内への入口付近に自転車を停めて参拝することにしました。ここからの行き方を事前にGoogleストリートビューで調べてみて少し悩みました。というのも山の辺の道は大神神社を横切るように北上して檜原神社に通じているのですが、途中で人ひとりが通るのがやっと、という細い道になります。楽観的に考えれば人ひとり分の幅はあるので自転車でも行ける。ただ、ほかに通行人がいればかなりの迷惑をかけることになります。悲観的に考えれば引き返すことになりかねない。結局、その道を迂回することにしていったん西のJRの線路近くまで下ってから北上、茅原大墓古墳を過ぎたあたりで右に曲がっていくことにしました。茅原大墓古墳。前回来た時は墳丘に上...檜原神社・相撲神社(葛城・纒向ツアーNo.17)

  • 仏教伝来の地・海石榴市・磯城瑞籬宮跡(葛城・纒向ツアー No.16)

    いよいよ葛城・纒向ツアーも後半戦、纒向編に入ります。2日目も前日に続いて快晴です。8時に大和八木駅を出発して3つ先の桜井駅で下車。1台1,000円でレンタサイクルを借りて纒向踏査をスタートさせました。まず目指したのは大和川が奈良盆地に流れ込むところ。古来、大陸からの船が瀬戸内海、大阪湾を経て難波津から大和川をさかのぼって到着する船着き場があった場所とされています。6世紀半ばの第29代欽明天皇のとき、百済からの使節がここに上陸し、仏教を伝えたと言われています。仏教伝来の碑。仏教伝来の年代はいくつか説がありますが、有名なのが538年説と552年説です。小学校の時に覚えた「ほっとけほっとけゴミ屋さん」は今でも頭にこびりついています。538年説は、「上宮聖徳法王帝説」や「元興寺伽藍縁起并流記資財帳」に欽明天皇の「戊午年...仏教伝来の地・海石榴市・磯城瑞籬宮跡(葛城・纒向ツアーNo.16)

  • 四国一周 車中泊の旅 No.4

    2泊3日で四国を一周する予定が1泊延長して3泊となりました。振り返ると1泊目が徳島県美馬市、2泊目が愛媛県西宇和郡伊方町、そして3泊目が高知県土佐清水市。四国を長方形に例えると、右上の角から左回りにまわって現在は左下の角、つまり3日間で半分しか回れていないのです。この最終日で残り半分を走破しなければなりません。ひたらすら走る旅となることを覚悟して迎えた最終日です。最終日の朝は6時に起床、ワンコの散歩、着替え、歯磨き、トイレを済ませて早々に出発しました。ナビにしたがって足摺岬を目指していたのですが、途中の交差点で「足摺岬東回り」という標示が見えたので、どうせなら折り返しよりも一周がいいと思って進路変更しました。そしてついに四国最南端の地に到着です。駐車場にはすでにたくさんの車が停まっています。観光案内所のトイレが...四国一周車中泊の旅No.4

  • 四国一周 車中泊の旅 No.2

    四国一周の車中泊ツアー、2日目は「道の駅藍ランドうだつ」にて7時過ぎに起床。まずはワンコに朝ご飯をあげてそのままトイレのための散歩に出かけました。駐車場の裏手からうだつの町並みに入ることができるので、早朝の誰もいない町並みをワンコと一緒に歩きました。その後、車に戻って着替え、歯磨き、トイレを済ませて、もう一度奥さんと一緒に町並みを散策しました。なかなか風情がある町です。倉敷や近江八幡に引けを取らない観光ポイントだと思いましたが、60年近く生きてきて、この徳島にこんないい所があるなんて全く知りませんでした。すぐそばには雄大な吉野川が流れていて、この堤防を歩くだけでも清々しい気持ちになりました。今回の想定ルートに沿って車中泊ポイントや観光ポイントを事前に調べたときにこの地を発見したのですが、ここに来ようと決めていた...四国一周車中泊の旅No.2

  • 四国一周 車中泊の旅 No.1

    2019年12月28日、四国一周の車中泊ツアーに出かけました。2泊3日の予定で出発したものの、あちこちで楽しい時間を過ごしたために結局は1泊追加して3泊4日の旅になりました。これまで出かけた車中泊の中では最も充実した旅となりましたので紹介したいと思います。まずはおおまかなコースを。富田林の自宅を出て阪神高速から第2神明を経て、神戸淡路鳴門自動車で明石海峡、淡路島、鳴門海峡を通過、鳴門北インターでおりて四国に入りました。大塚国際美術館を見学したあと、吉野川に沿って西に進んで「道の駅藍ランドうだつ」で車中泊。翌日はさらに西に向かい、新居浜、松山を経て佐田岬半島に入って伊方町の「健康交流施設亀ヶ池温泉」で食事、入浴、車中泊。3日目は半島の先端の佐田岬灯台まで行った後、南下して宇和島、宿毛を経て「道の駅めじかの里土佐清...四国一周車中泊の旅No.1

  • 四国一周 車中泊の旅 No.3

    3日目は雨です。6時半頃に目が覚めて雨の中をワンコの散歩。その後、とりえあえず車を「道の駅瀬戸農業公園」に移動してトイレと歯みがきを済ませ、佐田岬の先端までまっしぐら。思っていたよりも遠い。もうすぐかな、と思った矢先、手に大きなミカンを持ったおばあちゃんが道端の小屋から出てきて何か叫んでいます。あまりの突然のことに助手席の奥さんが「ミカンくれるんかな」とつぶやき、それを聞いた私は思わずブレーキを踏んで車を停めました。窓を開けると、四国一周車中泊の旅No.3

  • 新沢千塚古墳群(葛城・纒向ツアー No.15)

    新沢千塚古墳群は畝傍山の南に広がる越智岡丘陵上にあって、古墳時代前期〜後期に形成された円墳など総数600基以上の墳墓を有する日本有数の群集墳で、1976年(昭和51年)に国の史跡に指定されています。これらの墳墓は4世紀末から7世紀、つまり古墳時代を通じて造営され、特に5世紀半ばから6世紀末まで盛んに作られたそうです。なお、巨勢山古墳群と違ってこの古墳群の氏族ないし埋葬者は特定されていません。公園の案内板。古墳群の全体がわかります。もともと行程に組み込んでいなかったこの新沢千塚古墳群。どうして直前で行くことにしたのかと言えば、事前学習で訪ねた古代オリエント博物館の「しきしまの大和へ-アジア文華往来-」という秋の特別展を見たからです。「国際色豊かな副葬品が出土した新沢千塚古墳群」と紹介されているのを見て心を動かされ...新沢千塚古墳群(葛城・纒向ツアーNo.15)

  • 掖上鑵子塚古墳(葛城・纒向ツアー No.14)

    日本武尊白鳥陵から北東に向かって走ること数分、低い尾根を横切る切り通しを抜けると突然現れるのが掖上鑵子塚(わきがみかんすづか)古墳。全長が149メートルの大型前方後円墳ですが、航空写真を見ると、前方部の南側に直径50メートルほどの円墳があるために奇麗な前方後円形にならず、ホタテ貝形とも思える中途半端な墳形になっています。古墳を取り囲む田畑は周濠跡だとはっきりわかるような形で並んでいます。車が走る道路がその周りに敷かれ、これも周堤跡を思わせます。南葛城地方では238メートルの室宮山古墳に次ぐ規模で、その宮山古墳と同様に墳頂部から様々な形象埴輪が見つかっています。ほかに金銅製帯金具、心葉形垂飾、挂甲小札、琴柱形石製品などの副葬品が検出されていること、5世紀後葉の築造とされていることと合わせて考えると室宮山古墳の被葬...掖上鑵子塚古墳(葛城・纒向ツアーNo.14)

  • 日本武尊白鳥陵(葛城・纒向ツアー No.13)

    陽が沈みかけているので先を急がないと最後の新沢千塚古墳群に着くころには真っ暗になってしまいます。やって来たのは車ですぐの日本武尊白鳥陵(しらとりのみささぎ)です。御所市観光ガイドには「現在、宮内庁が治定している陵墓には根拠の薄弱なものが多いが、この陵もその典型と言える。記紀には戦野に死んで魂のやすまらなかった日本武尊は、白鳥となって三度羽根を休めたといい、そのとどまるところが現在、全て白鳥陵として治定されている」と書かれています。これは御所市教育委員会の見解です。たしかに日本武尊の陵墓は全国に3カ所もあるのでとりわけ怪しい。そもそも日本武尊の実在性を疑う考えもあるくらいなのでこの見解には同意ですが、行政が宮内庁の治定をここまで悪く書いて公開しているのは珍しくないですか。記紀における日本武尊の薨去の記事は少し違い...日本武尊白鳥陵(葛城・纒向ツアーNo.13)

  • 條ウル神古墳・條池古墳群(葛城・纒向ツアー No.12)

    室宮山古墳から條池古墳群へは東へ5分足らずで到着するのですが、その途中、京奈和自動車道の下をくぐります。そのすぐ北側に御所南インターチェンジと御所南パーキングエリアがあるのですが、この工事の最中にたいへんな遺跡が見つかっています。中西遺跡と秋津遺跡です。秋津遺跡からは古墳時代前期(活動の中心期は4世紀初頭)の方形区画施設、いわゆる豪族居館跡と呼ばれるような大規模な遺構が見つかっています。すぐ近くにある室宮山古墳の築造が5世紀初頭、南郷遺跡群が5~6世紀とされているので、それらよりも前の時代ということになります。2キロほど北にある鴨都波遺跡が弥生時代前期から古墳時代後期にかけての集落遺跡で、鴨都波1号墳が4世紀中頃の築造であったことからすると、秋津遺跡はむしろ鴨都波遺跡との関係で考えたほうがよさそうです。つまり、...條ウル神古墳・條池古墳群(葛城・纒向ツアーNo.12)

  • 室宮山古墳・ネコ塚古墳(葛城・纒向ツアー No.11)

    室宮山古墳は葛木御歳神社から車で数分のところにあります。ここは駐車場がないので路上駐車を余儀なくされます。3年前の訪問時と同様に後円部の先端、墳丘の裾部にある八幡神社の入口付近に車を停めました。この八幡神社の存在から宮山古墳と呼ばれるようになったらしいです。室宮山古墳の全景。右が前方部、左が後円部。倍塚のネコ塚古墳から撮りました。八幡神社。八幡神社というからには祭神は応神天皇ということになりますが、なぜここに応神天皇を祀る神社ができたのかは定かではありません。ここは第6代孝安天皇の室秋津島宮趾ともされています。神武天皇遥拝所の碑も立っていました。八幡神社の拝殿左側の鳥居をくぐって階段を上ると後円部の頂上へ通じています。室宮山古墳は全長238メートルの前方後円墳で古墳時代中期前葉の5世紀初頭の築造と考えられていま...室宮山古墳・ネコ塚古墳(葛城・纒向ツアーNo.11)

  • 葛木御歳神社(葛城・纒向ツアー No.10)

    鴨神遺跡で古代の幹線道路を感じたあとは現在の幹線道路である国道へ出て風の森峠を一気に下っていきます。小殿北という交差点まで3キロほどで120メートルを下ります。奈良盆地はこの最南部から北に向かって大和川のあたりまではダラダラと標高を下げていくのですが、風の森峠は標高が260メートルほどで、そこから20キロほど北上すると大和川に突き当ります。その標高差はざっと220メートルになります。奈良盆地で最も低いところがこの大和川が流れるあたりで標高40メートルほどなので、盆地の四方の山々から流れ出た川はすべてそこに向かい、最終的には大和川一本になります。葛城山や金剛山の山麓の傾斜だけでなく、平地のダラダラとした傾斜があるのも奈良盆地の特徴かな。さて、葛木御歳神社は中鴨社とも呼ばれる鴨三社のひとつ。主祭神は御歳神(みとしの...葛木御歳神社(葛城・纒向ツアーNo.10)

  • 鴨神遺跡(葛城・纒向ツアー No.9)

    高鴨神社の参拝を終えたところで葛城山から金剛山にいたる山麓の標高の高いところの踏査は終了です。このあとは山麓を一気に下って奈良盆地の最深部ともいえる南西部を踏査します。まずは鴨神遺跡です。鴨神遺跡は南郷遺跡群同様に山麓の圃場整備に伴って大規模な調査が行われた遺跡ですが、なかでも調査地の東端に出た古墳時代の道路遺構が最も注目されます。5世紀後半から6世紀の頃、当時の大和政権あるいは葛城氏が大和と紀伊を結ぶために整備した官道とも考えられる道路で、奈良盆地の最南部、奈良県御所市から五条市へと抜ける風の森峠の上に位置しています。現在は国道24号線が西に出っ張った尾根を切り通して南北に直線的に通じていますが、古代においてはこの尾根を避けて山裾に沿って道路が敷設されていたようです。まさに、東西の交通の要衝である葛城を象徴す...鴨神遺跡(葛城・纒向ツアーNo.9)

  • 高鴨神社(葛城・纒向ツアー No.8)

    念願の南郷遺跡群の踏査を終えたあと、もういちど山麓バイパスに戻って次の目的地である高鴨神社へ向かいました。高鴨神社は鴨三社のなかでも上鴨社と呼ばれて、これはやはり三社の中では最も格上ということになるのでしょう。それとも一番高いところに鎮座しているからかな。神社の駐車場はランチを予定していた蕎麦屋さん「そば小舎」の駐車場を兼ねています。ここまで頭も体もフル回転、しかも時刻はお昼時をとっくに過ぎています。神社を参拝する前に腹ごしらえです。メニューは5つくらいしかありません。岡田さんはきのこそばの大盛、佐々木さんはとり南蛮の大盛だったかな、私は鴨汁そば。鴨氏のふるさとに来ているのだからという理由で初めて食べる鴨汁そばでした。食後は店の奥にある小さな資料館「葛城の道歴史文化館」を見学しました。ここも床一面に奈良盆地の航...高鴨神社(葛城・纒向ツアーNo.8)

  • 南郷遺跡群(葛城・纒向ツアー No.7)

    葛城山東麓の葛城一言主神社から名柄銅鐸出土地を経て、山麓バイパスをさらに南下すると金剛山の東麓に入ります。奈良盆地を一望できるバイパスあたりから東へ下っていく斜面はけっこうな急斜面で、標高140メートル~250メートルで100メートル以上の比高差があります。斜面一帯は一見すると段々畑が連なるのどかな田園風景が広がっていて遺跡を示す痕跡は何もなく、それとわかって来ない限り、ここに5世紀~6世紀の古墳時代の集落、葛城氏の拠点があったとは知る由もないでしょう。南郷遺跡群は東西1.7㎞南北1.4km、面積にしておよそ2.4㎢の広大な範囲におよびます。本格的な発掘調査の開始は、平成4年の橿原考古学研究所による県営の圃場整備事業に伴う事前の調査で、それ以降、圃場整備の事業地を中心に調査がおこなわれました。したがって遺跡はす...南郷遺跡群(葛城・纒向ツアーNo.7)

  • 名柄銅鐸出土地(葛城・纒向 実地踏査ツアー No.6)

    今回、綏靖天皇の葛城高丘宮址へ行くのに少しだけ葛城古道を歩いたのですが、葛城山麓を山沿いに縦断するこの古道はなかなか風情があってよかったです。いつかこの葛城古道をスタートからゴールまで歩いてみたいという気持ちになりました。さて、葛城高丘宮址から車に戻って次の目的地である名柄銅鐸出土地へ向かいました。ここは事前に場所を特定するのに難儀したところです。その説明はあとにするとして、まずはここから出土した銅鐸と鏡について、御所市の広報紙や国立博物館による文化財紹介サイト「e国宝」を参考に紹介します。名柄銅鐸出土地としていますが、実は銅鐸とともに鏡(多紐細文鏡)も一緒に出ています。銅鐸と鏡が共伴(一緒に出土)することは全国的にも極めて稀(おそらくここだけ)であり、しかもいずれもが大変珍しいものであることがわかっており、と...名柄銅鐸出土地(葛城・纒向実地踏査ツアーNo.6)

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