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古代日本国成立の物語さんのプロフィール

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ブログタイトル
古代日本国成立の物語
ブログURL
https://blog.goo.ne.jp/himiko239ru
ブログ紹介文
自称「古代史勉強家」。趣味は実地踏査と称して各地の遺跡、神社、歴史博物館を訪ねること。学芸員資格保有。
更新頻度(1年)

114回 / 365日(平均2.2回/週)

ブログ村参加:2016/09/01

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ハンドル名
古代日本国成立の物語さん
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古代日本国成立の物語
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114回 / 365日(平均2.2回/週)
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古代日本国成立の物語

古代日本国成立の物語さんの新着記事

1件〜30件

  • 「考古学から見た邪馬台国大和説」を読んで

    本書は「畿内ではありえぬ邪馬台国」という刺激的な、そして畿内説論者にとっては何とも攻撃的かつ挑戦的なサブタイトルがついています。私は考古学や古代史の専門家ではないので「説」として主張しているわけではないですが、邪馬台国は畿内にあったと考えています。その私が本書を読むにあたって心がけたことは、できるだけ中立的なスタンスで受け止めよう、その上で本書の内容に何ら反論できずに納得することばかりであれば、素直に自分の考えを見直してみよう、ということでした。結果は、そういうことにならなかったのですが、ここでは本書の感想というよりも、本書が指摘することに対する私の考えを書いてみたいと思います。考古学から見た邪馬台国大和説畿内ではありえぬ邪馬台国関川尚功梓書院著者は、多くの邪馬台国畿内説論者が卑弥呼の居所であったと考える纒向遺...「考古学から見た邪馬台国大和説」を読んで

  • 「日本語はどこからきたのか」を読了

    大野晋著「日本語はどこからきたのか」を読了したので、ポイントを以下に整理しておきます。ある言語と別の言語、ふたつの言語を比較すること(比較言語学)によって、①意味が同じで音の対応が成り立つ単語が基礎語の中にたくさん認めれらること、②文法的な共通点が認められること、の2点を証明することができれば、このふたつの言語が共通の祖先をもつ、あるいは一方が他方の祖先である、つまり、それぞれの言語が親戚関係にあることがわかる。著者はこの比較言語学の手法で日本語とタミル語(インド南部およびスリランカの一部で使われているドラヴィダ語に属する言語)を比較し、①については2000語ほどの基礎語のうち約500語が該当すること、②については肯定文の最後に疑問の助詞をつけて疑問文にするなど多くの共通点を持っていることから、タミル語と日本語...「日本語はどこからきたのか」を読了

  • 東京から八ヶ岳・松阪を経て大阪へ帰る車中泊旅②

    東京を出発して八ヶ岳のホテルで一泊。2日目は縄文時代中期の井戸尻遺跡や井戸尻考古館を見学した後、諏訪湖を経て木曽路を南下、名古屋を通過して津市に入ったところにある「道の駅津かわげ」で車中泊。3日目の朝は7時過ぎに目が覚めて、準備を済ませて8時過ぎに出発、松阪駅近くにある松阪シティーホテルを目指します。松阪までやってきた目的の一つが、このホテルの朝食バイキングで提供される松阪牛の牛スジカレーを食べることです。到着したのが終了間際の8時40分頃でギリギリ間に合いました。期待を上回る美味しさのカレーやほかの食材も食べ放題で宿泊客800円、外来客850円という料金はたいへんお得だと思います。40分ほどで朝食を済ませて車に戻りました。この日の目的の二つ目は、松阪市にある宝塚古墳および松阪市文化財センター「はにわ館」を訪ね...東京から八ヶ岳・松阪を経て大阪へ帰る車中泊旅②

  • 東京から八ヶ岳・松阪を経て大阪へ帰る車中泊旅①

    2020年10月9日、北海道一周の旅を終えて東京に戻って3日後、次は自宅のある大阪を目指すことにしました。大阪までは2泊3日の予定で中山道ルートを走ります。9日午後に東京の単身赴任宅を出発、高速で八ヶ岳まで行って1泊、その後はずっと下道で諏訪湖を経由して木曽路を南下、名古屋を通過して津で1泊、3日目は松阪で過ごしたあと、山間部を貫く伊勢本街道を走って大阪へ戻りました。今回の2泊3日の1泊目はワンコも泊まれる「ゆとりろ蓼科ホテル」を利用し、津での2泊目は「道の駅津かわげ」で車中泊です。初日の9日は朝から土砂降りの雨。午後から北品川を出発して首都高、中央道を乗り継いで諏訪南ICを経て現地に到着したのが17時前。チェックインから翌朝のチェックアウトまでホテルでのんびりと過ごしました。このホテルの宿泊客は皆さんがワンコ...東京から八ヶ岳・松阪を経て大阪へ帰る車中泊旅①

  • 北海道一周 車中泊の旅 ⑪

    2020年10月5日、いよいよ最終日となりました。「道の駅なとわ・えさん」での朝は車を打つ雨の音で5時半頃に目が覚めました。残念ながら前夜からの雨が残る最終日となりました。ワンコの散歩に出ると、道の駅のすぐ裏に海岸が迫っていたので驚きました。向こうの方にこれから登る恵山が見えます。準備を済ませて6時半頃に出発しました。 海岸沿いに5分ほど走って左折すると山に登る道に入ります。途中のゲートは6時に開くことを事前に調べていたので問題なし。たぶん一番乗りです。鹿の糞らしきものが道路のあちこちにあったので、車が走らない夜になると鹿が出てくるのだろうと話をしていると、目の前の斜面に鹿が現れました。最終日に野生の鹿に遭遇できたことが何だか嬉しかった。山頂近くの駐車場まで10分ほどですが、そこで見た光景はまさに登別温泉の地獄...北海道一周車中泊の旅⑪

  • 北海道一周 車中泊の旅 ⑩

    北海道へ渡って早くも10日目、残すところあと2日となりました。この日はさすがに疲れが溜まってきたのでしょうか、「道の駅だて歴史の杜」での目覚めはいつもより1時間遅い7時過ぎとなりました。ワンコの散歩に出るとあれだけたくさんいた車の半分くらいがすでに出発していました。焦る必要もないのでいつも通りの準備時間を経て8時に出発しました。この日はまず洞爺湖を目指します。昭和新山と有珠山の間を抜けて洞爺湖畔にぶつかったところを左折して温泉街に入ります。遊覧船乗り場近くの駐車場らしきところに車を停めて湖畔を散策しました。天気は今一つですが少しひんやりした空気が心地よい。足湯があったので入りました。ここにもお決まりのアヒルちゃんがいます。乗り場のおじさんがワンコ好きなようで、ご自身の愛犬の写真を見せていただきながら楽しい会話が...北海道一周車中泊の旅⑩

  • 北海道一周 車中泊の旅 ⑨

    2020年10月3日、北海道9日目は「道の駅みついし」で6時に起床。すぐにワンコの散歩に出ると、道路の向こう側の牧場に馬がいました。ここは日高郡新ひだか町です。となりの新冠町も含めてこの辺りは競争馬の飼育が盛んで、一面に牧場が広がっています。準備を済ませて7時過ぎに出発。朝ご飯は前日に帯広で買ったパンと残り少なくなったりんごです。40分ほどでサラブレッド銀座駐車公園に到着。ここからは牧場が一面に見渡せ、遠くにたくさんの馬が見えます。振り返ると新冠泥火山という小さな火山の周辺にも馬がいる。泥火山というのは火山活動によって地下深くの泥などが地表に噴出してできたものです。これまで牧場で牛ばっかり見てきたので馬は新鮮でした。雨がポツポツと降ってきました。ぶ厚い雲の様子から雨の一日になりそうな予感です。この日の最大の目的...北海道一周車中泊の旅⑨

  • 北海道一周 車中泊の旅 ⑧

    2020年10月2日、北海道8日目は「道の駅ピア21しほろ」からスタート。心配していた雨はほとんど上がっていたので7時過ぎに出発して予定通り北へ向かいました。目指すはナイタイ高原牧場。十勝に来たからには広大な牧場を見たいと思って見つけたのがここでした。写真を見ているだけでも開放感に浸れそうな場所で、ここもまた一番乗りです。朝露に濡れた鮮やかな緑が一面に広がって美しい。朝の冷たい空気も美味しい。遠くに見えるのは雌阿寒岳や阿寒富士かな。開陽台の眺めに負けず劣らずで、心が洗われました。雄大な景色を堪能した後は少し南に戻って、十勝を紹介する写真でよく見十勝牧場の白樺並木です。なかなかいい場所だったので、ついでに地図で見つけた展望台まで走りました。でも、ナイタイ牧場を見た後だったこともあり、わざわざやってきたことを少し後...北海道一周車中泊の旅⑧

  • 北海道一周 車中泊の旅 ⑦

    北海道7日目はこの旅のメインイベントのひとつ、日本で一番早い朝陽を見るところからスタートです。前日は根室のコインランドリーで洗濯や乾燥のあと、衣類や荷物の整理などをして北方領土資料館の駐車場にたどり着いたのは何と23時半でした。そんな遅くなったのにわざわざこの最果てにやってきたのは、ここで水平線から昇る朝陽を見るためでした。この日の日の出は5時14分。駐車場から灯台のある岬までは車ですぐですが、4時30分にアラームで起床して車を移動させました。一番乗りです。灯台の灯がまだついています。空は少しづつ白んでくると同時にオレンジ色になっていきます。でも、水平線は低い雲に覆われています。残念ながら太陽が昇るところは見れませんでしたが、刻々と色の変化を見せる見事な朝焼けを見ることができました。というよりも、雨が降らなかっ...北海道一周車中泊の旅⑦

  • 北海道一周 車中泊の旅 ⑥

    北海道6日目です。「道の駅うとり・シリエトク」で6時過ぎに起床。いつも通りにワンコの散歩のあと、準備を済ませて7時に出発。まずは近いところでゴジラ岩を車から眺めてから知床自然センターへ。乙女の涙と言われるフレペの滝までの遊歩道があって、1時間ほどで行って帰ってこれるのですがあとのことを考えてパスしました。そして自然センターを出てすぐのところで鹿に遭遇しました。知床半島をそのまま北上して知床五湖へ。ここでは車を停めて散策することにしました。熊が出るかもしれないので残念ながらワンコは車で留守番です。高架木道で一湖を眺めるコース、地上遊歩道で五湖を全部回る大ループコース、同じく地上遊歩道で一湖と二湖のふたつを回る小ループコース、の3つの選択肢があります。遊歩道を歩きたいけどあまり時間を割けないことから、小ループコース...北海道一周車中泊の旅⑥

  • 北海道一周 車中泊の旅 ⑤

    北海道5日目は「道の駅あいおい」から。6時半頃にトラックのエンジン音で目が覚めました。ワンコの散歩に出ると、この道の駅が素晴らしい場所にあることに気がつきました。道の駅の裏が旧国鉄の北見相生駅を利用した鉄道公園になっていて、当時の駅舎や列車が残された情景は私たち世代がノスタルジーを感じる情景です。7時半に出発です。この日はオンネトー、阿寒湖、摩周湖、屈斜路湖とまわって知床を目指します。この旅に出てから初めて朝から快晴になりました。絶景シリーズのスタートです。オンネトーは道の駅から30分ほど南下したところにある小さな湖です。途中、褐鉄鉱が堆積して茶色に輝く錦沼に寄りました。褐鉄鉱とは鉄が酸化してできた鉱物のことで、古代には製鉄の原料として使われました。その褐鉄鉱が堆積した沼なんて見たことがない珍しい場所です。オン...北海道一周車中泊の旅⑤

  • 北海道一周 車中泊の旅 ④

    北海道4日目は紋別から。6時半に起床、まずはワンコの散歩、そして朝ご飯にりんごとぶどう、着替えて歯みがきして、出発は8時前になりました。この日も朝から雨模様です。お決まりのポイントで写真だけ撮って先に進みます。向かったのはサロマ湖。この湖はオホーツク海とつながる汽水湖で、そのつながっている部分、つまり砂州の先っぽにある龍宮台展望台を目指します。相変わらず雨と風は止みません。ここではオホーツクの荒波とサロマ湖の静かな湖面の対極を見ることができました。次は湖の反対側の山の上にあるサロマ湖展望台へ。国道から少し入ると急に狭いダート道になります。進むほどに傾斜がきつくなり、道幅も狭くなって、対向車が来ないことを祈るような山道になりましたが、無事に山頂近くの駐車場に到着。雨が強くなって霧が一面に立ち込めて眺望は望めそうも...北海道一周車中泊の旅④

  • 北海道一周 車中泊の旅 ③

    北海道3日目は「道の駅るもい」からスタート。この道の駅は今年7月にオープンしたばかりで設備は綺麗だし、広大な芝生広場やパークゴルフ場、ドッグランまで併設しています。5時半に起床、朝一番にワンコの散歩を兼ねて一周しましたがこんな道の駅は初めてです。一番奥にあるドッグランにも行きましたが大型犬がいたので入りませんでした。ひと通りの準備を終えて6時半に出発。この日はこれまで以上の長距離を予定していたので、立ち寄りポイントは最小限にしようと心に誓ってスタートしました。走る道は国道239号線、通称オロロンラインです。「道の駅おびら鰊番屋」に入った時に雨が降り出し、その後も雨脚がどんどん強くなっていきます。車窓からの眺めが素晴らしい(と聞いていた)オロロンラインのドライブは本当に楽しみにしていたのに残念です。道端の牧場には...北海道一周車中泊の旅③

  • 北海道一周 車中泊の旅 ②

    北海道に渡って2日目、ニセコでの目覚めは7時頃だったかな、雨があがって気持ちのいい朝を迎えました。歯磨き、着替え、ワンコの散歩、、、準備を整えて2日目のスタートです。当初はニセコのカフェでモーニングを、と考えていたのですが、この日のメインイベントである余市でのフルーツ狩りに時間をとっておくため、モーニングは次の機会にしようということにしました。ニセコパノラマラインではキタキツネが道路を歩いていました。連日の野生動物との遭遇です。前日の海岸沿いの快適なドライブと違って森林の中を駆け抜けるのも気持ちがいい。30分ほど走って到着したのが神仙沼レストハウス。駐車場に車を停めてワンコとともに遊歩道に踏み入ります。たぶん一番乗りです。遊歩道は木道として歩きやすく整備されていて、木々のトンネルをくぐりぬけて20分ほど歩くと視...北海道一周車中泊の旅②

  • 北海道一周 車中泊の旅 ①

    2020年9月24日、いよいよ北海道一周の車中泊旅の始まりです。9月25日から10月5日までは休暇を取っています。この日は午後からのリモート会議を欠席して、23:30に青森を出航する青函フェリーに乗るべく、北品川の自宅を出発しました。五反田ICから首都高に乗ってそのまま東北道に入り、途中で給油やトイレのために2回ほど休憩したものの、まっすぐに青森を目指しました。距離にして約750キロ、予定時間は9時間です。ちょっと急ぎ過ぎたこともあって予定よりも早く青森に到着したので、インターから近いところにある「極楽湯」というところでお風呂に入ることにしました。十割そばとセットでひとり650円という大変お得なキャンペーン料金でお風呂とご飯を済ませることができました。23時前に港に到着。乗船手続きを済ませて車で待ちます。最初は...北海道一周車中泊の旅①

  • 大阪から名古屋・東京への車中泊旅②

    2020年9月22日、道の駅富士川楽座を出発、まずは白糸の滝を目指します。ほぼ真北に向かって40分ほどで到着。ワンコの朝の散歩を兼ねていっしょに滝まで行きました。きれいに整備されたばかりの公園を通って、滝に近づくにつれて水の音が大きくなっていきます。崖のあちこちから富士山の伏流水が染み出して白く糸を引くように流れ落ちています。なんとも清々しく、マイナスイオン溢れる場所でした。急な階段を上がると展望台があります。ここからの眺めはまた言葉にならない美しさ。あーたまあをくーもおのーうーえにーだあしいーいつまでもこの場所の空気に触れていたい気分、後ろ髪を引かれる思いで戻りました。車に戻る途中、音止の滝にも行きました。白糸の滝と違ってなかなか豪快でした。次はここからさらに北上し、緑があふれる朝霧高原を突き抜けて本栖湖へ。...大阪から名古屋・東京への車中泊旅②

  • 大阪から名古屋・東京への車中泊旅①

    2020年9月20日のお昼過ぎ、名古屋に向けて大阪の自宅を出発しました。いよいよ3週間にわたる車中泊ツアーの始まりです。この日は久しぶりに名古屋市内に住む長女一家と晩ご飯を食べたあと、東海市にある「天然温泉丸屋玉ノ湯」でお風呂に入り、安城市にある「道の駅デンパーク安城」で車中泊です。4連休のためか、駐車場は車中泊の車でけっこう埋まっていました。翌日は三河湾の眺望を期待して朝一番で三ケ根山スカイラインを走りましたが、空が霞がかっていたこともあってちょっと期待外れでした。次のお楽しみは「うなぎ」。そのまま車を西へ走らせて浜名湖を通過、目指すは浜松市にある「うなぎ大嶋」です。車中泊に出てご飯のお店を探すときに活用しているのが「バナナマンのせっかくグルメ」で、この番組で紹介されたお店ははずれがないどころか、地元民が一押...大阪から名古屋・東京への車中泊旅①

  • 武内宿禰の考察⑦(二倍年暦について)

    ■二倍年暦について武内宿禰の考察の最後にあたって、その長寿を考えた際に触れておいた「二倍年暦」なるものについて自分の考えを整理しておきたい。二倍年暦は九州王朝説を主張する古田武彦氏によって広められた説で、古代においては春と秋を区切りとして年が変わる、つまり現代では一年と数える時間の経過を二年と数える方法を用いていた、というものだ。魏志倭人伝よりも少し先に成立した「魏略」という史書があり、倭人伝には次のようにこの魏略を引用した箇所(赤字部分)がある。其俗擧事行來有所云為輒灼骨而卜以占吉凶先告所卜其辭如令龜法視火坼占兆。其會同坐起父子男女無別。人性嗜酒。魏略曰其俗不知正歳四節但計春耕秋収為年紀。見大人所敬但搏手以當跪拝其人寿考或百年或八九十年。倭人は卜骨によって吉凶を占い、立ち居振る舞いなどでは父子や男女の区別はな...武内宿禰の考察⑦(二倍年暦について)

  • 武内宿禰の考察⑥(神功皇后と武内宿禰)

    ■神功皇后と武内宿禰さて、あらためて記紀を読んでみると、神功皇后に対する忠誠ぶりはやはり特筆ものである。そこには臣下という立場を越えた親密さ、あるいは一体感というものが窺える。皇后の指示に従ったというものではなく、むしろ武内宿禰が主導している感さえある。とくに古事記における仲哀天皇崩御の場面はふたりで天皇を殺害したことを想像させるに十分な描写である。このあたりは当ブログ「神功皇后(その2仲哀天皇の最期②)」などでも触れておいた。ちなみに、ここでの武内宿禰は4人のうちのふたり目、武内宿禰Bである。大阪の住吉大社には底筒男命、中筒男命、表筒男命、神功皇后の4柱の神が祀られている。底筒男命、中筒男命、表筒男命を総称して住吉三神と呼ぶ。黄泉の国から戻った伊弉諾尊が禊ぎをしたときに生まれた神である。この住吉大社に伝わる「...武内宿禰の考察⑥(神功皇后と武内宿禰)

  • 武内宿禰の考察⑤(甘美内宿禰の存在)

    ■甘美内宿禰の存在ここでは甘美内宿禰について少し見ておきたい。すでに触れておいたことも含めて甘美内宿禰と関連がありそうな情報を整理してみる。①古事記(孝元段…3世紀か)第8代孝元天皇の子である比古布都押之信命が尾張連等の祖である意富那毘の妹の葛城高千那毘売を娶って生まれたのが味師内宿禰である。山代内臣の祖である。②日本書紀(応神紀…4世紀末~5世紀初め頃か)応神9年、弟の甘美内宿禰は讒言によって兄の武内宿禰を陥れようとしたが探湯で負けた結果、紀直に隷属させられることとなった。③日本書紀(欽明紀…6世紀中頃か)欽明14年、百済と新羅の対立が激化する朝鮮半島の混乱期において内臣(有至臣)が百済に派遣された。翌年には再び兵を引き連れて半島に渡り、新羅を攻撃して難攻の函山城を攻め落とした。④新撰姓氏録(815年成立)皇...武内宿禰の考察⑤(甘美内宿禰の存在)

  • 武内宿禰の考察④(「内」について)

    ■「内」について「武内宿禰」は一般的には「たけのうちのすくね」と読まれている。記紀には武内宿禰に腹違いの弟(または兄)がいることが記される。書紀では「弟甘美内宿禰」と記されることから弟であることがわかる。応神9年に讒言によって義兄である武内宿禰を排除しようとした人物で、書紀での登場はこの一回のみである。また、古事記では建内宿禰誕生の話の直前に、父の比古布都押之信命が尾張連らの祖である意富那毘の妹の葛城高千那毘売を娶って生まれた子が「味師内宿禰」であり、山代内臣の祖であると記される。ここでは兄とも弟とも記していないが、記述順に従うならば兄ということになる。武内宿禰(建内宿禰)と甘美内宿禰(味師内宿禰)は腹違いとは言え兄弟であるならば姓は同一と考えられ、それは「内」ということになる。また、記紀がともに記す雁が卵を産...武内宿禰の考察④(「内」について)

  • 武内宿禰の考察③(武内宿禰の長寿)

    ■武内宿禰の長寿武内宿禰の年齢について今一度、見ておきたいが、日本書紀によると、生まれは第13代成務天皇と同じであるので、書紀の記述をもとに成務天皇の年齢を起点にして順に確認していく。成務天皇は景行46年、24歳のときに皇太子となり、景行60年に父である景行天皇が崩御した翌年に即位、そして即位60年に崩御した。ここから計算すると崩御したときに年齢は98歳となるが、書紀には107歳で崩御したと記される。ここでは107歳を採用して武内宿禰も107歳ということにする。次の仲哀天皇は景行天皇崩御の翌年に即位して8年後の仲哀9年に52歳で崩御。このとき武内宿禰は116歳となる。そして翌年以降、69年間に渡って仲哀后であった神功皇后が摂政として政務にあたる。武内宿禰が117歳から186歳の期間となる。神功皇后が100歳で崩...武内宿禰の考察③(武内宿禰の長寿)

  • 武内宿禰の考察②(武内宿禰の誕生と終焉)

    ■武内宿禰の誕生と終焉武内宿禰の誕生については記紀の記事で見たとおりであるが、両者には少し違いがある。日本書紀では、孝元天皇と妃である伊香色謎命との間に生まれた彦太忍信命が武内宿禰の祖父とあり、また、景行天皇の時に紀伊国に派遣された屋主忍男武雄心命が紀直の先祖である菟道彦の娘、影媛を娶って生まれたのが武内宿禰である。つまり、系譜としては「孝元天皇→彦太忍信命→屋主忍男武雄心命→武内宿禰」となる。一方の古事記では、孝元天皇と伊迦賀色許売命(伊香色謎命)の子である比古布都押信命(彦太忍信命)が木國造の祖先である宇豆比古(菟道彦)の妹、山下影日売(影媛)を娶ってできた子が建内宿禰である。系譜は「孝元天皇→比古布都押信命→建内宿禰」となる。要するに、古事記は屋主忍男武雄心命を飛ばして一世代少なく書かれているのだ。現時点...武内宿禰の考察②(武内宿禰の誕生と終焉)

  • 武内宿禰の考察①(武内宿禰の事績)

    ■武内宿禰の事績古代史の勉強で記紀を読んでいて大いに興味をもった人物、それが武内宿禰である。景行天皇から仁徳天皇までの5人の天皇および神功皇后に仕え、280歳とも360余歳とも言われるあり得ない長寿の人物として描かれていること、特に神功皇后との関係においては臣下の分際を超えた親密な関係が想像されること、などが興味を持った理由。複数の人物の事績をあたかも一人の人物によるものとして描いているとか、実在の人物ではなく大臣の理想像を投影した架空の人物であるとか、様々な考え方が出されている。今般、改めて日本書紀の応神天皇紀を読んでいて武内宿禰の扱いに大きな違和感を持つ場面があったので、この際、自分なりの武内宿禰像を描いてみようと思う。ただし、あくまで自分なりなので、ほとんど想像の話になることをご了承ください。まず、日本書...武内宿禰の考察①(武内宿禰の事績)

  • 男50歳からの古代史構想学(15)

    ■古代史でセカンドライフを充実これまで14回にわたって素人の私が自分なりに古代史を学ぶ様子をお伝えしてきました。最終回の今回は、古代史に取り組み始めたころのことと、古代史を通じてセカンドライフをどう充実させようとしているのか、をご紹介して終わりにしたいと思います。ビジネスマンとしてのキャリアを店じまいするにあたってセカンドライフをどう過ごそうか、と考えて出した答が「子供の頃からやりたかった古代史をやろう」ということでした。ただ、古代史をやるといっても何をするのか、何をしたら古代史をやったことになるのか、自分は本当に何をしたいのか、、、まずは、とにかく何か形を残していこうと漠然と考えて、本を読んだあとに記憶に留めておきたいことをノートに書き残していくことを始めました。本を読んで線を引き、ノートに書いていく。これは...男50歳からの古代史構想学(15)

  • 男50歳からの古代史構想学(14)

    ■古代史研究とはパズル合わせとストーリー化今回は私が考えている日本建国史における仮説の一部を超ダイジェストで紹介したいと思います。私が古代史を考えるにあたっては、正史である日本書紀をもとに、古事記や魏志倭人伝などの他の文献や考古学の知見を掛け合わせ、自分なりに最も納得性の高いシナリオを仮説としてまとめていく、というプロセスをとっています。その前提として、古事記や日本書紀の記述はたいそうな装飾や編集、嘘っぽい創作じみた話、神話など明らかに現実的でない話などが並べられているものの、基本的に何らかの事実や史実、あるいは伝承などに基づくものであると考えています。さて、日本書紀はまず神代巻で国生み、国譲り、天孫降臨など神様の話が語られます。イザナギとイザナミの夫婦神が日本の国土である大八洲国を作り、続いてたくさんの神々を...男50歳からの古代史構想学(14)

  • 男50歳からの古代史構想学(13)

    ■神武も徐福も熊野へ来た?今回は神武東征と徐福伝説を訪ねる実地踏査ツアーの最終回。熊野三山をあとにして向かった先が、産田神社、花の窟神社、波田須の徐福の宮、阿古師神社です。まず産田神社から。この神社には主祭神として伊奘冉尊(いざなみのみこと)と火の神である軻遇突智(かぐつち)が祀られています。日本書紀には「伊奘冉尊は火の神である軻遇突智を産んだ際に焼かれて死に、紀伊国の熊野の有馬村に葬られた」と記されていて、この産田神社は伊奘冉尊が出産して亡くなった場所といわれています。社殿の両側には日本でわずか二ヶ所しか残っていないと言われている古代の神籬(ひもろぎ)の跡がありました。神籬というのは神社という形ができる前に神様を祀る神聖な場所として設けられた区画のことです。これを見ると石を並べて磐座(いわくら)を作ったという...男50歳からの古代史構想学(13)

  • 男50歳からの古代史構想学(12)

    ■神武は那智山に来なかった神武東征と徐福伝説を訪ねる実地踏査ツアーの3回目になります。勝浦温泉で旅の疲れを癒した3人の2日目は補陀落山寺からスタート。ここは今回のツアー行程に入っていなかったのだけど、極楽浄土を目指して小船で漕ぎ出すという思想に興味があったので立ち寄りました。しかし残念ながら、ここから旅立った人々の名が刻まれた碑を見ても、保存されている実物の渡海船を見ても、本尊の観音さまを拝んでも、その思想は理解も共感もできませんでした。次はいよいよツアーのメインイベント、熊野那智大社の参詣です。熊野まで来て熊野古道を歩かない訳にはいかないという佐々木さんの強い意向で、大門坂の駐車場に車を停め、歩いて登ることにしました。何度も熊野へ来たことのある私にとっても初体験で、いい思い出になりました。(大門坂)(熊野古道...男50歳からの古代史構想学(12)

  • 男50歳からの古代史構想学(11)

    ■原始信仰と記紀神話の融合前回の熊野本宮大社から今回は熊野速玉大社、神倉神社、阿須賀神社を紹介します。熊野速玉大社は新宮川の河口近くにあって、祭神は熊野速玉大神と熊野夫須美大神となっており、これまた聞いたことのない神様ですが、伊邪那岐神と伊邪那美神のことだそうです。神社公式サイトを見ると「熊野の神々はまず初めに神倉山のゴトビキ岩に降臨され、その後、景行天皇58年、現在の社地に真新しい宮を造営してお遷りになり「新宮」と称した」となっており、このことが新宮市の名の由来にもなっています。社殿はすべて朱塗りになっているので本宮大社のような趣や歴史を感じることができませんでした。(熊野速玉大社本殿)この速玉大社を出て少し南に歩いていくと前述の神倉山があり、その中腹に神倉神社があります。油断すると転げ落ちそうな急な石段を五...男50歳からの古代史構想学(11)

  • 男50歳からの古代史構想学(10)

    ■熊野はややこしい今回より実地踏査の舞台を奈良の葛城から和歌山の熊野に移したいと思いますが、ここで奈良の纒向を一緒に回った岡田さんと佐々木さんに再び登場していただきます。昨年2016年の2月、記紀の神武東征説話と徐福伝説を訪ねて、私たち三人は私の自宅がある大阪の富田林を出発地として一泊二日の熊野ツアーに出かけました。熊野へは国道168号線で奈良県十津川村を縦断するルートです。余談になりますが、途中、岡田さんがどうしてもと主張されたので、古代史とは関係ないのだけど、日本一高い吊橋である「谷瀬の吊橋」に立ち寄りました。ここで意外な事実が発覚。佐々木さんが吊橋を渡らないとおっしゃるのです。理由をたずねると、なんと高所恐怖症とのこと。長いお付き合いなのに初めて知る事実。やむなく二人で渡ることにしました。とは言うものの、...男50歳からの古代史構想学(10)

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