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古代日本国成立の物語さんのプロフィール

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ブログタイトル
古代日本国成立の物語
ブログURL
https://blog.goo.ne.jp/himiko239ru
ブログ紹介文
自称「古代史勉強家」。趣味は実地踏査と称して各地の遺跡、神社、歴史博物館を訪ねること。学芸員資格保有。
更新頻度(1年)

58回 / 365日(平均1.1回/週)

ブログ村参加:2016/09/01

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古代日本国成立の物語

古代日本国成立の物語さんの新着記事

1件〜30件

  • 國學院大學博物館

    昨年、学芸員の勉強がてら区立の歴史博物館をいくつか見学したのですが、どこも中途半端な印象がありました。それぞれの区の歴史という限定的な視点になっていて、区を越えた広い範囲で俯瞰できないこと、旧石器時代から近代までを網羅的に展示しているためにどの時代も資料が少ないこと、特に考古遺跡の少ない区では考古資料が少ないこと、などが不満として残りました。それ以来、東京では東京国立博物館を除いて、考古資料を堪能できる博物館はないものだと思っていたのですが、ひょんなことからこの國學院大學博物館のことを知り、大きな期待をもって見学に行ってきました。この博物館は「校史」「考古」「神道」の3つのゾーンに分かれています。公式サイトによると、校史ゾーンの説明には「國學院の校名に冠する「国学」とは、日本の伝統文化に関する諸現象・事物の成り...國學院大學博物館

  • 味美古墳群

    2019年9月に訪ねた愛知県春日井市にある味美古墳群は、二子山公園に集まる味美二子山古墳、白山神社古墳、御旅所古墳の3つの古墳と、県道102号を挟んだ西側に位置する味美春日山古墳から構成されています。かつてはドンドン塚と呼ばれた前方後円墳のほか、6基の円墳がありましたが開発によって滅失したとのことです。春日井市の公式サイトから転載させていただきます。右下が二子山古墳、その上が白山神社古墳、左側が御旅所古墳です。その真ん中にある小さな青い丸は「ハニワの館」です。名鉄の味鋺駅で下車、線路沿いに北に歩いていくと数分で到着、国史跡の石碑が建っています。後ろに見えるのが味美古墳群最大の味美二子山古墳。全長96mで盾型の周濠を持つ前方後円墳です。周濠に沿ってぐるりと一周することができます。後円部の先端。南側。前方部から見る...味美古墳群

  • 琵琶湖一周 車中泊の旅(No.7 近江八幡)

    稲部遺跡のあとは近江八幡の八幡堀の散策です。事前にGoogleMapで駐車場を調べたところ、すぐ近くに市営駐車場があって510円で停められるのがわかったのでそこへ向かいました。そこから徒歩ですぐの新町通りは昔ながらの近江商人の商家の街並みが残されています。街並みを抜けると八幡堀へ出ます。あまり人がいなくてゆったりとした時間が流れる堀沿いをワンコと一緒に散策です。Wikipediaによると、八幡堀は安土桃山時代に豊臣秀次が八幡山城を築城した際に市街地と琵琶湖を連結するために造られました。城下町の都市計画として整備され、城を防御する軍事的な役割と当時の物流の要であった琵琶湖の水運を利用する商業的役割を兼ね備えたことから、船や人の往来が増えて商業が発達し、江戸時代には近江商人による町の発展に大きな役割を果たしたとのこ...琵琶湖一周車中泊の旅(No.7近江八幡)

  • 琵琶湖一周 車中泊の旅(No.6 奥琵琶湖パークウェイ)

    車中泊の経験は今回で5回目となります。これまで、倉敷(1泊)、九州北部一周(4泊)、尾道(1泊)、金沢(1泊)を訪ねましたが、経験を重ねるにつれて少しづつ工夫を重ねて、あるいは備品類を購入して車中で快適に過ごせるようになってきました。今回は前回以降に購入した「シートをフラットに倒した時の段差解消用のマット」と夏場のための「USB経由でモバイルバッテリーから給電できる扇風機」「窓を開けても虫が入ってこないウインドーネット」を初めて使用するので楽しみにしていたのですが、ここのところ一段と涼しくなってきて夜間の気温がそれほど高くなかったので、扇風機とネットは使うことなく少し残念でした。段差解消マットはそれなりに効果はあったのですが、これだけでは十分ではなく、快適に寝るためにはその上に敷くマットレスが重要であることを再...琵琶湖一周車中泊の旅(No.6奥琵琶湖パークウェイ)

  • 琵琶湖一周 車中泊の旅(No.5 田中王塚古墳)

    完全に日が沈んでしまいましたが、まだ少し明るさは残っています。真っ暗にならないことを祈りながら車を走らせました。目的地は北の方向へ数キロのところにある田中王塚古墳です。第26代継体天皇の父親である彦主人王の墓と考えられているため、宮内庁が管理する陵墓参考地(安曇陵墓参考地)となっています。この古墳は高島平野の西部、泰山寺野台地の東端部に形成された田中古墳群の盟主墳で、直径約58メートル、高さ約10メートルの帆立貝形古墳です。築造年代は墳形や埴輪から5世紀後半頃と推定され、安曇川以南で最初に造られた首長墓とされています。先に見た稲荷山古墳は6世紀前半の築造だったので、この田中王塚古墳のあとになります。空にはわずかに白さが残っているものの、古墳が林の中にあるために地面にはわずかな光も届かずに暗闇になってしまいました...琵琶湖一周車中泊の旅(No.5田中王塚古墳)

  • 琵琶湖一周 車中泊の旅(No.4 鴨稲荷山古墳)

    白鬚神社を出たのが18時過ぎ。太陽は西の山に沈みかけています。次はどうしても行きたかったところのひとつ目、鴨稲荷山古墳です。高島平野の中央部、鴨川右岸にある古墳で、見ての通り現在は墳丘は完全に失われています。本来は南に前方部を向ける墳丘長約50メートルほどの前方後円墳であったと推定されています。明治35年(1902年)の県道改修工事で刳抜式の家形石棺が発見されました。発見当時には、長さ9メートル・幅約1.8メートル・高さ約1.8メートルの石室内にあったとされ、棺内からは冠・沓など多くの豪華な副葬品が見つかりました。現在これらの副葬品は東京国立博物館に保存されていますが、石棺はそのままの位置に建屋で覆って保存されています。築造時期は6世紀前半と考えられ、当地で生まれたとされる第26代継体天皇を支えた三尾君(三尾氏...琵琶湖一周車中泊の旅(No.4鴨稲荷山古墳)

  • 琵琶湖一周 車中泊の旅(No.3 白鬚神社)

    湖岸を舐めるように国道161号線を走ると見えてきました。湖の中に立つ白鬚神社の赤い鳥居。途中、渋滞があって予想以上に時間がかかったのでパスしようかと思っていたのですが、この鳥居を実際に目にすると車を停めないわけにはいかないと思って目の前の駐車場に入りました。なんと、ここも満車です。少し待って車を停め、ワンコと一緒に車を下りました。神社の公式サイトによると、この神社は近江最古の大社で、第11代垂仁天皇の25年に皇女倭姫命が社殿を御創建(御再建とも)、第40代天武天皇の白鳳3年(675年)に勅旨を以て「比良明神」の号を賜った、とあります。先に訪ねた高穴穂神社は、第13代成務天皇が先帝の偉徳を追頌して祀ったのが始まりで、伊勢、三輪に次ぐわが国最古の神社、となっていたのですが、ここは第11代垂仁天皇の時代なのでそれより...琵琶湖一周車中泊の旅(No.3白鬚神社)

  • 琵琶湖一周 車中泊の旅(No.2 浮御堂)

    高穴穂神社から浮御堂までは20分ほどで到着。しかし駐車場がいっぱいで停められないので、しかたなく空くのを待ちました。浮御堂は正確には「臨済宗大徳寺派海門山満月時浮御堂」と言い、禅宗のお寺なのです。近江八景のひとつになっています。いただいたパンフレットによるとその歴史は「一条天皇の長徳年間(995年頃)比叡山横川恵心院に住した源信(恵心)僧都が、びわ湖を山上より眺め湖中に一宇を建立して自ら一千体の阿弥陀仏を刻んで「千仏閣」「千体仏堂」と称し湖上通船の安全と衆生済度を発願したに始まる」と書いてあります。湖面に浮かぶように建つお堂は写真でよく見る風景です。拝観料は300円。ダメもとでワンコも一緒に入れるかどうか聞いてみると「抱っこなら大丈夫です」とのことだったので、ショルダーキャリーに入れて一緒に拝観しました。ここは...琵琶湖一周車中泊の旅(No.2浮御堂)

  • 琵琶湖一周 車中泊ツアー(No.1)

    2019年9月14日~15日、思い立って久しぶりの車中泊ツアーに出かけました。行き先は琵琶湖。当初は四国へ渡って室戸岬まで走ろうかと考えていたのですが、前夜、東京からの帰省で自宅に着いたのが22時を過ぎていたために準備ができなかったこともあり、手近なところで済ませようという気持ちが働いて、以前から企画していた一泊コースの琵琶湖一周ということになりました。いつも通り、奥さんとワンコと一緒です。ということで当日の朝に準備をしたために出発は12時を少し回った時間となりました。そして、今回は全く時間を気にせずに行き当たりばったりで行こうと決めたので、高速道路も使わずに全て一般道を使うことにしました。しかし、これは少し失敗だったようです。よくよく考えれば世の中は3連休です。あちらでもこちらでも渋滞に巻き込まれてしまい、琵...琵琶湖一周車中泊ツアー(No.1)

  • 金隈遺跡

    2019年8月、福岡県福岡市博多区、福岡平野の東を御笠川に沿って南北にのびる月隈丘陵のほぼ中央部、標高30mのところにある金隈(かねのくま)遺跡に行ってきました。福岡空港からバスに乗って金隈遺跡前で下車、ダラダラとした坂道を登りきったところです。この遺跡の西2kmほどのところには板付遺跡があり、南西3kmのところには須玖岡本遺跡があり、いずれも弥生時代を代表する遺跡です。坂道の途中から見あげる丘陵。この上に遺跡があります。ここは一昨年の11月に「魏志倭人伝と神功・応神の痕跡を訪ねる旅」と称して古代史仲間3人と巡った実地踏査ツアーの踏査地として候補に挙げていたものの、当時はリニューアルのために閉館中だったのであきらめたところです。今年の5月にリニューアルを終えて再開されたのでようやく来ることができました。ここを上...金隈遺跡

  • すみだ水族館

    2019年8月の暑い日、「東京金魚ワンダーランド2019」を開催中のすみだ水族館に行ってきました。スカイツリータウンの中にあることがわかっていたので北品川から京急に乗り、品川で乗り換えて押上で下車したまではよかったのですが、どうやら反対側の出口へ出てしまい、ソラマチを楽しむことなく水族館へ行くことになってしまった。入館料は2,050円。ビルの上の施設なので規模は大きくなく、展示される生物も小さなものばかりだろうと思っていたので「2,050円は高い!」が第一印象。ひととおり見学を終えたあとは「これくらいなら許せるかな」と、高額な印象が少しだけ和らぎました。それはこの水族館が自分にとって少なからず価値を感じられるものだったからだと思います。休日ということもあって小さな子供のいる家族連れで大賑わいでした。6Fのフロア...すみだ水族館

  • 原美術館

    2019年8月、東京都品川区北品川、御殿山の閑静な住宅街に佇む原美術館へ行ってきました。単身赴任宅から徒歩10分のところです。東京への転勤でこの北品川に住むようになって4年とちょっとになりますが、引っ越してきたときから気になっていた美術館です。いつでも行けると思いながらも訪ねることなく4年以上が経過、そしてついに来年末に閉館という記事を目にしたので重い腰がようやく上がって見に行ってきました。この美術館は、実業家であった原邦造氏が昭和13年(1938年)に建てた邸宅を再生して昭和54年(1979年)に開館しました。年に何度か美術館を訪ねることがありますが、通常は作品を鑑賞することが目的なのですが、この美術館の場合は作品の鑑賞が目的ではなく、建物そのものを見たい、邸宅がどのように美術館として利用されているのかを見て...原美術館

  • 西上免遺跡・今伊勢古墳群

    2019年8月、愛知県一宮市にある西上免遺跡を訪ねました。名古屋駅から名鉄に乗って石刀(いわと)駅で下車、太陽が容赦なく照りつける中を真西に向かって歩きます。東海北陸自動車道に突き当たったところで左に折れて少し歩くと高速の高架下に目的地がありました。石刀駅からは10分ほどで到着です。高架下に設けられた休憩所が遺跡の場所になります。高速道路の高架下ということで、この遺跡が東海北陸自動車道の建設に伴う調査で発見された遺跡であることがわかります。1990年(平成2年)から1995年(平成7年)にかけて発掘調査が行われた結果、弥生時代中期、古墳時代初頭、奈良時代、鎌倉時代、戦国時代の5つの時代にわたる複合遺跡であることがわかりました。なかでも墳丘長40.5mの前方後方墳である西上免古墳が発見されたことによって、この遺跡...西上免遺跡・今伊勢古墳群

  • 学芸員の資格取得を目指している皆さんへ

    7月以降、プライベートでいろいろあってブログの更新が滞っています。アクセスが激減するのではないかとヒヤヒヤしながらアクセス解析データを確認する毎日ですが、幸いなことにアクセスが大きく減る事態には至っていません。ご覧いただいている皆さま、ありがとうございます。実はこのひと月ほどで気がついたことがあります。昨年、私は学芸員資格の取得を目指して通信制大学で学んでいましたが、そのときに書いたレポートを当ブログの記事としてアップしています。そのレポートの記事へのアクセスがこのひと月ほどで急に増えたのです。とくに博物館展示論の科目修得レポート(博物館機能における「展示」と「収集」・「保管」・「調査研究」の関係について)の記事が顕著です。6月ひと月間のアクセス数が79PVだったのが、7月には154PV、さらに8月は昨日までの...学芸員の資格取得を目指している皆さんへ

  • 東之宮古墳

    犬山市といえば犬山城。観光で犬山を訪れる多くの人は犬山城を目指すのでしょうが、今回の私は東之宮古墳を訪問。愛知県最古級、古墳時代前期の3世紀後葉から4世紀初めの築造とされる全長67mの前方後方墳。昭和48年(1973年)の盗掘を機に発掘調査が行われ、竪穴式石槨や豊富な副葬品が出土しました。また、このときの測量では全長が72mとされたのですが、その後の再調査の結果、葺石が分布する範囲から67mと修正されています。3月に訪ねた青塚古墳史跡公園にあるガイダンス施設「まほらの館」には東之宮古墳の副葬品である銅鏡11面などが展示されていました。まほらの館を見学したときに受付のおじさんから「是非行ってみてください」と勧められたこともあって今回の訪問となりました。まほらの館に展示されている11面の鏡。東之宮古墳へは名鉄の犬山...東之宮古墳

  • 青塚古墳

    2019年3月、愛知県犬山市にある青塚古墳を訪ねました。全長123mの前方後円墳で、愛知県下では名古屋市熱田区にある断夫山古墳の151mに継ぐ第二位の規模を誇ります。出土した埴輪や土器から古墳時代前期、4世紀中葉の築造と考えられています。名鉄の楽田駅で下車、県道を西へひたすら歩くこと30分、小さな橋を渡った左手に綺麗に整備された古墳が突然現れます。墳丘は前方後円形の基壇の上に構築され、後円部が3段築成、前方部が2段築成で、墳丘表面は河原石の葺石で覆われ、各段に壺形埴輪が2m間隔で並べられていたことがわかっています。墳丘周囲にはやや不定形な盾形の周濠および外堤が巡らされていました。発掘調査を終えた古墳は復元整備され、青塚古墳史跡公園として公開されています。一見すると前方部が3段で後円部が4段のように見えるのですが...青塚古墳

  • 百間川遺跡群(吉備国実地踏査ツアーNo.16)

    2日間にわたる吉備国実地踏査の旅もいよいよ最後の踏査地、百間川遺跡群を残すのみとなりました。吉備高島宮跡からまっすぐ県道を南下して数分で到着です。遺跡群のある百間川は岡山平野のほぼ中央部を流れる旭川の放水路、つまり人工河川です。改修工事の際に中流域の河川敷で縄文時代から中世にかけての複合遺跡が発見され、1977年より発掘調査が行われました。このときに調査が行われた原尾島遺跡、沢田遺跡、兼基・今谷遺跡、米田遺跡を総称して百間川遺跡群と呼びます。調査の結果、弥生時代後期末には水田耕作がかなり広大に行われていたことがわかりました。また、部分的に稲株跡が見つかっており、株の大きさやその分布状況から「田植え」が行われていたことが想定されます。また、これらの古代遺跡のほか、旭川の氾濫から岡山城下を守るために造られた放水路や...百間川遺跡群(吉備国実地踏査ツアーNo.16)

  • 吉備高島宮跡(吉備国実地踏査ツアーNo.15)

    津島遺跡のある岡山県総合グラウンドを出たのが13時半を過ぎていました。次の目的地は神武天皇が東征の際に吉備に寄港して営んだ吉備高島宮跡とされる高島神社です。日本書紀は「吉備国の高島の地に行宮を造って3年間滞在し、その間に船舶や武器の準備、兵糧の備蓄を行った上で再び大和へ向かい出航した」と記しています。一方、古事記は高島宮での滞在を8年間としています。戦前に文部省が行った「神武天皇聖蹟調査」の結果、高島宮跡として「聖蹟伝説地」に認定されたのは岡山市南区宮浦の児島湾に浮かぶ高島でした。この島には高島宮の跡地に創祀されたと伝わる高島神社が鎮座していることから、ここが高島宮跡であることがほぼ確定したとされていますが、高島宮跡とされる場所は以下のように岡山県内およびその周辺に複数あるのです。①が上述の聖蹟伝説地とされた高...吉備高島宮跡(吉備国実地踏査ツアーNo.15)

  • 津島遺跡(吉備国実地踏査ツアーNo.14)

    中山茶臼古墳の次の目的地は岡山県総合グラウンドにある津島遺跡。この遺跡は1968年(昭和43年)の発掘調査において全国で初めて弥生時代前期の集落と水田が隣接して発見された著名な遺跡です。その後、2005年(平成17年)の「晴れの国おかやま国体」の開催に伴う岡山県総合グラウンドの再整備の際に改めて発掘調査が行われ、弥生時代後期の高床倉庫の建築部材などが検出されました。つまり、この遺跡の上に岡山県総合グラウンドがあるということです。国の史跡指定に伴って行われた遺跡の整備工事が2009年(平成21年)に完成し、竪穴式住居や高床倉庫のほか、湿地や水田部分が再現されています。加えて遺跡からの出土品は、岡山県総合グラウンド陸上競技場のメインスタンド内に設けられた「遺跡&スポーツミュージアム」に展示されています。復元遺跡とこ...津島遺跡(吉備国実地踏査ツアーNo.14)

  • 中山茶臼山古墳(吉備国実地踏査ツアーNo.13)

    古代吉備文化財センターの見学を終え、徒歩で数分のところにある中山茶臼山古墳に向かいました。古墳時代前期(4世紀)に築かれたと推定される全長105mの前方後円墳で「吉備津彦命」の墓に治定され、現在は宮内庁が管理しています。そのため例によって考古学的な調査は行われていないのですが、墓域から特殊器台形埴輪が採取されていることから古い時代の古墳であることがわかります。二段築成で、墳丘表面では葺石が検出されました。拝所。足元に柵があってこれより先に入れません。少し離れて横から。吉備の中山の山麓に鎮座する吉備津彦神社、吉備津神社の祭神が大吉備津彦命であったことを考えると、その中山の山頂に築かれた古墳にその祭神が葬られているとするのはおかしな話ではないですね。ただ、吉備津彦が崇神天皇のときに実在した人物であるとすると時代はお...中山茶臼山古墳(吉備国実地踏査ツアーNo.13)

  • 古代吉備文化財センター(吉備国実地踏査ツアーNo.12)

    吉備津神社を出た車は吉備の中山を登っていき、5分ほどで岡山県立古代吉備文化財センターに到着です。岡山県内の埋蔵文化財の保護・保存を図るための拠点施設で、発掘調査をはじめ、出土品等の収蔵管理や活用に取り組んでいます。小さな展示室には岡山県内の遺跡から出た様々な遺物が展示されています。岡山県立古代吉備文化財センター。土器の色と思うのは私だけでしょうか。小さな展示室だとわかる入口。入口を入るといきなりの特殊器台。これは新見市の西江遺跡から出たものです。特殊器台の中では比較的新しい向木見(むこうぎみ)型です。特殊器台を調べていてわかったこと。最も新しい宮山型の特殊器台が大和の箸墓から出たことは「宮山墳墓群」の記事に書きましたが、胎土の研究によって箸墓で見つかったものが吉備で製作されたことが判明しているとのことです。さら...古代吉備文化財センター(吉備国実地踏査ツアーNo.12)

  • 吉備津神社(吉備国実地踏査ツアーNo.11)

    吉備津彦神社の次は吉備の中山の北西麓にある吉備津神社へ。備中国一之宮で祭神は吉備津彦神社と同じ大吉備津彦命です。吉備津彦神社の記事にも書いた通り、吉備国が備前、備中、備後に分かれる前はこの吉備津神社が吉備国総鎮守であったので、こちらが大吉備津彦命を祀る本宮ということになります。ちなみに、備後国一之宮は広島県福山市新市町にある吉備津神社で、こちらも当然のことながら大吉備津彦命を祀っています。公式サイトの縁起によると「当社がいつごろ誰によって造営されたのかについては、文献もなく確かなことはわかりませんが、ただ言い伝えによると、一説に吉備津彦命から五代目の孫にあたる加夜臣奈留美命(カヤオミナルミ)という人が祖神として吉備津彦命をお祀りしたのが起源であると云われております。また一説に若建日子吉備津彦命から三代目の孫と云...吉備津神社(吉備国実地踏査ツアーNo.11)

  • 吉備津彦神社(吉備国実地踏査ツアーNo.10)

    吉備国実地踏査もいよいよ2日目です。前夜に3時まで遊んでしまったことを受けてこの日は少し遅い9時出発としました。最初の目的地は吉備の中山の北東麓にある吉備津彦神社です。吉備の中山は古来、神体山として信仰されていて北西麓にはこのあと行く吉備津神社があります。正面の鳥居。随神門。吉備津彦神社は備前国一之宮で、夏至の日の出には太陽が正面鳥居の真正面から昇って神殿の御鏡に入ることから「朝日の宮」とも称されます。主祭神は大吉備津彦命(日本書紀では「彦五十狭芹彦命」、古事記では「比古伊佐勢理毘古命」)で、第7代孝霊天皇の皇子です。第10代崇神天皇のときに四道将軍の一人として山陽道に派遣され、腹違いの弟である若日子建吉備津彦命と協力して吉備を平定したとされます。社伝によると創建が推古天皇の時代ということらしいのですが、持統天...吉備津彦神社(吉備国実地踏査ツアーNo.10)

  • 鬼ノ城(吉備国実地踏査ツアーNo.9)

    宮山墳墓群の踏査を終え、この日の最終目的地である鬼ノ城へ向かいました。しばらく走るとゆるい坂道に入り、そこから細い一本道を結構走って山に登って行きました。対向車に気を遣いながら走らないと少し危ない道です。百射山神社から20数分で到着、時刻は16時をまわっていたので、広い駐車場には車が2台停まっていただけで少しさびしい雰囲気でした。まずは駐車場近くのビジターセンターで基本情報の収集です。663年の白村江の戦いにおいて百済に大規模な援軍を派遣した大和政権は唐・新羅連合軍に大敗を喫しました。国内への侵攻を恐れた大和政権は矢継ぎ早に防衛作戦を展開します。まずは、対馬・壱岐・筑紫に防人と烽(とぶひ)を配置して監視体制と情報伝達網を構築、さらには大宰府防衛のために筑紫に水城を築造するとともに各地に山城を築城しました。金田城...鬼ノ城(吉備国実地踏査ツアーNo.9)

  • 宮山墳墓群(吉備国実地踏査ツアーNo.8)

    作山古墳から次の目的地である宮山墳墓群に向かいました。事前の調査ですぐ近くの百射山(ももいやま)神社の駐車場に停めればいいことがわかっていたので、ナビをセットして出発。まもなく到着という所で右折と左折で細い道に入り込んでしまいバックもUターンもままならない。でもこれがナビの通りなので行くしかない。運転手の岡田さん、慎重なハンドル操作で切り抜けて少し広い道に出ることができた。なんと、右折も左折もせずに真っ直ぐにくればこの道につながっていたことが発覚。頼むで、ナビ!百射山神社の駐車場にあった説明板。宮山墳墓群は総社平野南西端の低丘陵の尾根上に築かれた弥生時代後期から古墳時代初期の墳墓群である三輪山遺跡群の中にあって、丘陵北西部の尾根に沿って並ぶ墳墓群です。ちなみにこちらは百射山神社の説明です。祭神は大山祇命。御崎神...宮山墳墓群(吉備国実地踏査ツアーNo.8)

  • 作山古墳(吉備国実地踏査ツアーNo.7)

    こうもり塚古墳から西へ2キロ、車で5分ほどで作山古墳へ到着。独立した丘陵を加工して築造された三段築成の前方後円墳で、全長282mは県下第2位、全国では第10位の規模。5世紀中頃の築造と推定されています。造山古墳同様に国の史跡に指定されているために詳しい調査は行われていません。上からの写真。駐車場は古墳の左下の逆三角形のところです。よーく見ると後円部は正円ではなく少し楕円形になっています。また、前方部の前面(写真の下側)には丘陵の一部が取り除かれないまま残されています。左の林が古墳前方部で右の林は取り残された丘陵部。この状況から周濠がなかったと考えられます。また、この削り残しがあることから、この王は古墳築造を完遂するだけの余力がなかったのではないか、という考えも出されています。前方部の左隅から墳丘に登ります。前方...作山古墳(吉備国実地踏査ツアーNo.7)

  • こうもり塚古墳(吉備国実地踏査ツアーNo.6)

    千足古墳を出て次のこうもり塚古墳に向かう途中、県道270号線沿いにある「らーめん夢民」というお店でランチをとりました。シンプルな醤油ラーメンでおいしかったです。そして、こうもり塚古墳はもう目と鼻の先。このあたりは「吉備路風土記の丘県立自然公園」と呼ばれ、先の造山古墳、これから行くこうもり塚古墳や作山古墳のほか、備中国分寺跡や備中国分尼寺跡など「吉備文化の発祥の地として日本の歴史を探る上でも大変興味深い重要なところ」とされています。実はこの日に訪ねる場所をGoogleMapにプロットしてみると、最後の鬼ノ城跡を除くすべてが県道270号線に沿ったところにあることに気づいていました。この道は古代の山陽道にあたる道で、この山陽道のすぐ南、現在の新幹線が走るあたりが古代の海岸線であったこともわかっており、古代吉備の権力者...こうもり塚古墳(吉備国実地踏査ツアーNo.6)

  • 日本の神社、日本の神々

    麗澤大学の生涯学習講座「日本の神社、日本の神々」を受講してきました。担当の岩澤先生は昨年のセカンドアカデミー(株)主催の公開講座「Japanリベラルアーツ入門~神話と芸能~」以来となります。全5回の講座で参加可能なのが2回しかないのは残念なのですが、先生のお話は大変示唆に富む濃い内容なので是非とも聴きたいと思っていました。期待した通り、今回も様々な気づきがありました。今回のお題は「伊勢神宮・創建の謎に迫る:前編」。まずは「神(カミ)」のお話。前回も教えてもらったキリスト教の「God」との違い。そして「御生れ(みあれ)」。神様は海から、そして川を通ってやってくる。そういえば日本書紀には、大巳貴神(大国主神)が出雲の国造りを終えた後、ともに国を治める者がいようか、と言ったときに神々しい光が海を照らしながらやって来た...日本の神社、日本の神々

  • 造山古墳(吉備国実地踏査ツアーNo.5)

    鯉喰神社から造山古墳まで車で5分。その間にいよいよ雨が強くなってきました。雨が強いとは言っても、傘を持たない佐々木さんや私が濡れる覚悟ができるほどだったので土砂降りというわけではありません。駐車場に車を停めた岡田さんは「ちょっと待ってくれ」と言って車の外に出て持参したレインウェアを着始めました。見ていると上だけでなく下も履いています。帽子もかぶって完全防備です。岡田さんは認めないでしょうが、この行為が裏目に出ました。造山古墳に登っている間に小雨になり、戻ってくる頃には雨はほぼ止んでいました。それだけなら雨を防いだ効果があったと言えるのですが、おそらくここでレインウェアが入っていた袋を紛失したのです。着替えたときに車の外に落としてそのまま気づかずに次の目的地に向かったと思われます。何とそのことに気がついたのは翌日...造山古墳(吉備国実地踏査ツアーNo.5)

  • 鯉喰神社弥生墳丘墓(吉備国実地踏査ツアーNo.4)

    楯築遺跡を見学しているあたりから雲行きは怪しく雨粒がパラパラと落ち始めました。次の鯉喰(こいくい)神社までは北西へ車で5分ほどですが、ちょうど到着した頃に雨足が少し強まってきました。この日の天気予報は曇りで翌日は晴れだったので傘は持ってこなかったのですが、佐々木さんの雨男ぶりを侮っていました。鯉喰神社は楯築遺跡のところで触れたように、楯築神社を合祀した後しばらく、ご神体である亀石を祀っていたところです。鯉喰という不思議な名前はどこから来ているかというと、桃太郎伝説のもとになった温羅(うら)のお話からです。岡山県神社庁サイトに掲載された神社由緒を転載します。吉備の国平定のため吉備津彦の命が来られたとき、この地方の賊、温羅が村人達を苦しめていた。戦を行ったがなかなか勝負がつかない。その時天より声がし、命がそれに従う...鯉喰神社弥生墳丘墓(吉備国実地踏査ツアーNo.4)

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