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古代日本国成立の物語 https://kodaishi-fantasy.hatenablog.com/

自称「古代史勉強家」。趣味は実地踏査と称して各地の遺跡、神社、歴史博物館を訪ねること。学芸員資格保有。

古代日本国成立の物語
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2016/09/01

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  • 飛鳥寺

    飛鳥寺は蘇我馬子が創建した日本で最初の本格的な仏教寺院です。現在は安居院という名称ですが、もとは法興寺や元興寺と呼ばれ、元興寺が平城京に移ってからは本(もと)元興寺とも呼ばれています。この小さなお寺、創建時は現在の20倍の面積があって、塔を中心に東、西、北に3つの金堂を配し、外側には回廊が廻らされていたそうです。日本で初めての瓦葺きの建物でもあります。 本尊は飛鳥大仏。光背や台座が失われ、何度も修復を受けているものの1400年前からこの場所に鎮座しているそうです。 面長の顔立ち、アーモンド形の眼、首を少しだけ左側に向け、ほかのお寺の仏さまとは少し様子が違っています。右から見ると少し厳しい表情に…

  • 酒船石遺跡

    飛鳥宮跡から5分くらいで酒船石遺跡に到着。この遺跡名は丘の上の酒船石と丘の麓から出た亀形石造物遺構を合わせての呼称です。中学、高校のときにはまだ酒船石しか見つかっていなくて、遺跡名はなかった。その後、平成4年(1992年)に酒船石の北の斜面で石垣が発見され、さらに平成12年(2000年)に砂岩でできた湧水設備、小判形石造物、亀形石造物が発見され、このように命名されたとのこと。 まずは丘の上の酒船石へ。途中、板塀で囲われた小屋のようなものがあったものの、あまり気にせずに頂上を目指します。そして頂上へ。この姿を目にするのはまさに50年ぶり。 竹林で囲まれたこの場所で謎の石造物を前にして4人はなんと…

  • 飛鳥宮跡

    飛鳥の中心地へ戻ってきました。飛鳥宮跡と呼ばれる場所は6世紀末から7世紀後半までの間に設けられた複数の宮殿の遺構です。ただ、この場所は昔は「伝飛鳥板葺宮」という名称で、皇極天皇が設けた「飛鳥板葺宮」の遺構とされていました。しかし、その後に調査が進展して宮殿遺構が重複して存在していることがわかり「飛鳥宮跡」と名称を変更しています。 現在わかっている宮としては、舒明天皇の飛鳥岡本宮、皇極天皇の飛鳥板葺宮、斉明天皇の後飛鳥岡本宮、天武・持統天皇の飛鳥浄御原宮の4つです。中学の歴史研究会で来た時の記憶では、写真などでよく見る石敷き遺構のある部分だけかと思っていましたが、今回来てみて「こんなにも広い空間…

  • 都塚古墳・マラ石

    都塚古墳は石舞台から5分ほど南へ走った田んぼのなかにあります。6世紀後半の築造で41m×42m方墳、「金鳥塚」とも呼ばれるそうです。ピラミッドのように階段状に石を積み上げた特殊な構造をしていて、少なくとも6段以上あるとのこと。朝鮮半島の百済の積石塚を模しているとの説があるらしい。 横穴式石室には刳り抜き式の家形石棺がそのまま残されています。この古墳は蘇我稲目の墓とする説があり、それで行っておきたいと思った次第です。 墳丘に登ると遠く生駒山まで見通せました。さっきの石舞台が蘇我馬子の墓だとすると、石舞台よりも少し古い築造であること、蘇我氏の勢力域の中でもっとも高い位置に造られていること、百済と関…

  • 亀石・石舞台古墳

    ランチの後、Oさんの3つ目の希望である石舞台古墳を目指します。南東に向かってチャリで30分くらい、だらだらと緩い上り坂が続きます。電動チャリにしておいてよかった。橿原市を抜けて明日香村へ入ったところで「亀石」の案内が見えたので寄ることにしました。 ここはたぶん、中学の歴史研究会で来て以来だと思うので、ちょうど50年ぶりになります。 記憶が定かではないものの、周囲の景色がすっかり変わってしまったように思います。亀石から少し東に走ったところに「聖徳太子御誕生所」の碑があったので足を止めました。遠くに橘寺が見えます。ちょっと遠かったので眺めるだけにしました。 そしていよいよ石舞台。石舞台は中学の歴史…

  • 橿原考古学研究所附属博物館

    初日はOさんと2人で富雄丸山古墳から天理市の杣之内古墳群を巡り、2日目はSさんとHさんを加えて4人で飛鳥を巡りました。まずはOさんの希望で橿原考古学研究所附属博物館に行くため、朝10時に近鉄の橿原神宮前駅に集合です。東口にあるレンタサイクル屋さんで電動チャリを借りて出発。 開催中の特別展「二上山にはじまりを求めて ―旧石器時代を知る、探る、考える―」の展示解説が始まると聞いたので、まずはそれを聞くことにしました。二上山と言えばサヌカイト、サヌカイトと言えば讃岐。その讃岐はOさんの地元です。私は旧石器時代のことを詳しく勉強したことがないので、解説をたいへん興味深く聞きました。ただ、1時間はちょっ…

  • 小墓古墳

    小墓古墳は西乗鞍古墳からすぐ近く、県道を挟んだ反対側の田んぼの中、杣之内浄水場に隣接しています。最新の情報では全長約90mの前方後円墳で6世紀前半の築造とされています。 墳丘の南側から田んぼのあぜ道を歩かせていただき、墳丘に近づいてみました。 田んぼから一段高くなっていて、その上に墳丘が乗っかっているように見えますが、この一段目が墳丘の一段目なのか、それとも周濠部分なのかがよくわかりません。前方部の東側の隅から見るとくびれ部を感じることができます。 一段下におりてみるとこんな感じです。 墳丘に登ってみようと思いましたが、草木に遮られて叶いませんでした。 当初はこのあと峯塚古墳へ行こうと思ってい…

  • 西乗鞍古墳

    東乗鞍古墳の西隣りにある西乗鞍古墳は5世紀末頃の築造で、全長が約118m、杣之内古墳群では西山古墳に次ぐ2番目の大きさの前方後円墳。埋葬施設は明らかになっていませんが、横穴式石室である可能性が想定されています。墳丘への登り口は墳丘西側の前方部と後円部に2カ所ありますが、今回は前方部から登りました。登り口に「乗鞍山御野立之處」という石碑が建っていました。 墳丘は結構な高さがあり、だらだらと長い坂を上っていきます。上から眺めるとこんな感じで一直線の坂道になっています。 墳丘上は前方部も後円部もそれなりに広いスペースがあります。 前方部には昭和7(1932)年に大阪平野・奈良盆地を中心として実施され…

  • 東乗鞍古墳

    なら歴史芸術文化村の裏手にある天理市営駐車場に車を停めて、徒歩にて3つの古墳(東乗鞍古墳、西乗鞍古墳、小墓古墳)を探索します。まずは駐車場の左手奥にある東乗鞍古墳へ。 東乗鞍古墳は6世紀前半の築造、全長約75mの前方後円墳です。後円部には長さ9mほどの横穴式石室があって内部には石棺が残っているとのことです。 登り口は事前の調べでおおまかにわかっていたものの、いざ墳丘に近づくと意外にも斜度がきつくて草木も茂っていたので、少々不安になりましたが、墳丘に沿って後円部方向(写真左側)に歩いていくと反対側にまわり込む小径が見つかったのでひと安心。 くびれ部あたりを歩いていたときに周濠と思しき場所を発掘調…

  • なら歴史芸術文化村

    西山古墳をあとにして「道の駅 なら歴史芸術文化村」に到着。構内唯一の飲食店「まるかつ天理店」でランチをとりました。まるかつは奈良本店にも行ったことがありますが、なかなか美味いトンカツが食せます。 食後は併設する文化財修復・展示棟を見学します。 ここは、仏像等の彫刻、絵画・書跡等、歴史的建造物、考古遺物の4分野の修復工房を1階とB1階にて通年公開しています。1階はこんな感じでガラス越しに作業している様子が見学できます。 地下にも工房があり、この日は當麻寺の仁王像(金剛力士像)の吽形像の解体修復が行われていました。2022年5月からまず阿形像の解体修復が行われ、続いて吽形像の修復ということのようで…

  • 西山古墳・塚穴山古墳

    天理参考館の職員さんの言葉に従って車を置いて西山古墳まで歩き、5分ほどで到着。目の前に広い職員用駐車場があり、車はほとんど停まっていないではないですか。職員用なので見学者が停めてよい、とは言えなかったのでしょうか。不親切だなあと思ってしまいました。 さて、西山古墳は全長約190m、日本最大の前方後方墳で、4世紀の築造とされています。前方後方墳とは言うものの、前方後方形は墳丘の1段目のみで、2段目・3段目は前方後円形となる特異な形状をしています。 後方部の手前に石標や何十年前の?と思われる説明板(鉄板)が立っています。 墳丘横にある天理大学馬術部の馬場を通り抜けて前方部から登ってみようとしました…

  • 天理参考館

    富雄丸山古墳から天理市内へやってきました。杣之内古墳群を巡るにあたってまずは情報収集を、と思って天理大学附属の天理参考館へ行きました。行かなければ、と思い続けていた博物館です。とにかくこの天理教の建物が立派すぎて、天理市内を車で走るといつも圧倒されます。天理教の協会本部ほか各施設は布留遺跡の上に展開されているのはよく知られているところ。古墳時代前期の標式土器となった布留式土器が大量に出土した布留遺跡があとかたもなくなったのは少し残念ですが、この博物館がそれを後世に伝える役割をしっかりと果たしてほしいと思うのは私だけでしょうか。 この博物館、想像していた以上に展示が充実していました。とくに1階の…

  • 富雄丸山古墳へ

    2025年2月14日、香川県から来阪した古代史仲間のOさんと一緒に富雄丸山古墳、天理の杣之内古墳群を訪ねてきました。またその翌日には関西在住のSさん、Hさんの2名が合流して4人で飛鳥を巡ってきたので、2日間の様子を順に紹介したいと思います。とくに富雄丸山古墳は昨年の熱狂的なブームの最中には訪ねる気にならず、いつかそのうちに、と思っていたのでちょうどいい機会となりました。富雄丸山古墳は4世紀後半の築造、直径が全国最大規模の約109m、造出を持つ3段築成の円墳です。2022年の調査で造出部から粘土槨の埋葬施設が新たに見つかり、木棺を覆った粘土層から過去最大となる2.37m(柄や鞘を装着すると全長2…

  • 電子出版しました

    久しぶりの投稿となります。振り返ってみると、12月と1月の2カ月間、一度も投稿していなかったことに今さら気がつきました。2016年にこのブログを始めて以来、これだけ空いたのはおそらく初めてです。 実はこの2カ月ほど、2冊の本の執筆にいそしんでおりました。そして先日、ようやくAmazonの電子書籍(Kindle版)として出版することができたので、そのお知らせを兼ねて書いております。2冊の本は以下になります。 ①「継体天皇 即位前の継体天皇を考える」 継体天皇: 即位前の継体天皇を考える 妄想古代史 小嶋浩毅 ②「天照大神と伊勢神宮」 天照大神と伊勢神宮 妄想古代史 小嶋浩毅 過去にも2018年に…

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