2025年5月
カーテンを閉め切った部屋に、その隙間から細い光が射しこんでいる。宙に舞う埃が光の筋を浮かび上がらせ、汗に濡れた彼女の上半身を照らしている。形の良い胸から、くびれたウエストへのラインが、神秘的な美しさで冬馬の眼前にあった。 「おい。なにぼーっと見てんだよ。ソープじゃねえんだぞ」 胸の上についている頭部からそんな声がする。ハスキーな声だった。 いい声だな。 怒ったように激しくなる動き…
繁華街にある小さなゲームセンターの前に、背の高い男が立っていた。年齢は20歳前後。長袖の青いシャツに、下は黒のダメージジーンズ。銀色に染めた前髪に、両サイドは刈り上げている。寝ぼけたような顔をしていて、目が半分しか開いていない。 店の前の道を通る女子高生たちが、彼を見てひそひそと笑いあっている。なにしろ彼は大きな図体をしながら、右手の親指を咥えているのだ。赤子のように。 やがてゲームセ…
その店は、市の繁華街にあるアーケード街にほど近い通りに面していた。 映画館や大型ゲームセンターなどが近くにあり、その通りは平日の昼間にもかかわらず、若者たちが大勢行き交っている。 「で、なんなんですか今日は。この店に用があるんですか」 冬馬は隣で澄ました顔をしている部長を見た。桜色のブラウスにブラウンのフレアスカートという格好で、あいかわらずかわいらしい。 二人とも身長も高い美男…
西警察署に冬馬がやってきたのは、妹が誰かと喧嘩をしていて補導された、という電話をもらったからだった。 驚いて家から飛び出してきたのだが、自転車をこいでいると、少し冷静になってきた。 妹と聞いて、秋奈のことと思い、焦ってしまったのだが、あいつが喧嘩なんかするだろうかと首を捻った。秋奈は生来の蒲柳の質で、性格的にも喧嘩などするタイプではない。 そもそも、冬馬が兄で、秋奈が妹だというのは…
眼鏡をかけたスーツ姿の男が、道行く人々を追い越していく。走っているわけでもないのに、その動きは早く、並んだ瞬間にはもう抜き去っている。信号待ちの人々がまばらに立っている場所でも、その歩調は変わらず、まるで体をすり抜けでもしたかのように横切っていった。それを見た買い物帰りの主婦が、ギョッとして男の後ろ姿を見送る。男は大通りに面したビルの中に消えていった。 「あ、服部くん」 ビルの1階フ…
「それにしても、月引きの縄とは」 嬰子の部屋で、冬馬は向かいの座布団に座っていた。蓮は嬰子が部屋に戻させたので二人きりだ。 冬馬は最初にそれと遭遇した時のことを話した。浴衣姿の嬰子は、日本酒の御猪口を片手に、面白そうに聞いていた。 「なんとのう。あんな古い怪異、わしも見るのは初めてじゃ。逃がした獲物に執着しておるようじゃな。弱みを見て、襲ってきおった」 嬰子はあぐらをかいてゆらゆら…
大きな釘が意思を持ったかのように群れをなして宙を舞い、蓮に迫ったが、密集した火の塊が鞭のようにしなってそれを弾いた。 「うおっ」 冬馬の目の前の床に釘が刺さり、重い音を立てる。 蓮の背後から2本、まるで尾のように火の帯が伸びている。黒図暁の時には見られなかった形態だ。本気の攻撃態勢ということなのか。 「下がって、冬馬さん」 さらに釘が火の帯に弾かれて降ってくる。冬馬は転がってそ…
「え」 真っ先に思ったのは、(やばい。壊しちゃった)ということだった。 黒い瘴気の中に金色の粒子が混ざって、不規則に風を巻いている。そしてそれが、弾けるように洞窟の外へ向かって一斉に流れ出していった。 足を引きずりながら現れた冬馬を見て、蓮が飛びついてきた。 「成りました」 「わかるのか」 「はい」 潤んだ目だった。 それから二人で、近くの岩場に腰かけてお弁当を食べた。…
その日の夜。冬馬はガチガチと震えながら風呂に入っていた。一軒家のくせにやたら広い浴場の湯船に肩までつかっていたが、一向に身体が温まらない。 「あのー、冬馬さん。お背中流しましょうか」という声が風呂場の外から聞こえる。蓮だ。 「いや、いい。一人にして」 ブクブクと泡を吹きながら、冬馬は天窓の外の星空を見上げた。山の中だから、散りばめられた星が良く見える。 (俺はなんでこんなところまで来…
「これは、黒鳥の女が呪(しゅ)を放つ際に用いる呪具じゃ。簡単に言うと、呪いの箱じゃな。これはさほどでもないが、数百年使い続けたものは、素手で触れるだけで手が爛れるほどの瘴気を放つものもある」 嬰子は、ちゃぶ台に置かれた桐箱に、右の人差し指を向けた。 「こうして、呪具に指を向け、呪いそのものと繋がりを持つのじゃ」 嬰子が箱に指を向けた瞬間、周囲の空間に、ゆいん、ゆいん、という耳障りな音が…
次の日だった。 冬馬はシトロエン2CVの後部座席で揺られていた。赤いボディの、かわいらしい車だった。カリ城で、クラリス姫が運転していた、あのレトロなフランス車だ。 ハンドルを握っているのは、黒鳥嬰子。今日は狩衣姿からうってかわって、黒いドレス風の服を着ている。日焼け防止の長い手袋がやけに似合っていた。 「静かじゃのう冬馬。起きておるか」 バックミラーで嬰子がちらりと視線を向ける。…
翌日、冬馬は部長とモリゲンと三人で、駅の地下改札に向かった。 時刻は深夜0時過ぎ。まだ通常の運航便はあったが、正面玄関である東口の地下への階段のところに立ち入り禁止テープが貼られていて、地上階からしか改札を抜けられないようになっていた。 冬馬たちも、そこで駅員から止められた。話が通ってなかったのか、工事中ですからの一点張り。しばらく押し問答を続けていると、「あれ?」という声とともに、見…
冬馬は、暗闇の中にいた。 突然のことに驚いて、なにも見えない周囲に視線を巡らせる。デパートの地下だ。辺りからはざわざわとした声や悲鳴が聞こえる。 冬馬は周りの気配を避けながら、壁際に移動した。気をつけたつもりだったが、壁につこうとした手が誰かに当たった。 「きゃっ」という声。 「あ、すみません」 ざわざわとした音が大きくなる。明かりが点く様子はない。完全な闇だ。 まずいな。…
2025年5月
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