カーテンを閉め切った部屋に、その隙間から細い光が射しこんでいる。宙に舞う埃が光の筋を浮かび上がらせ、汗に濡れた彼女の上半身を照らしている。形の良い胸から、くびれたウエストへのラインが、神秘的な美しさで冬馬の眼前にあった。 「おい。なにぼーっと見てんだよ。ソープじゃねえんだぞ」 胸の上についている頭部からそんな声がする。ハスキーな声だった。 いい声だな。 怒ったように激しくなる動き…
カーテンを閉め切った部屋に、その隙間から細い光が射しこんでいる。宙に舞う埃が光の筋を浮かび上がらせ、汗に濡れた彼女の上半身を照らしている。形の良い胸から、くびれたウエストへのラインが、神秘的な美しさで冬馬の眼前にあった。 「おい。なにぼーっと見てんだよ。ソープじゃねえんだぞ」 胸の上についている頭部からそんな声がする。ハスキーな声だった。 いい声だな。 怒ったように激しくなる動き…
繁華街にある小さなゲームセンターの前に、背の高い男が立っていた。年齢は20歳前後。長袖の青いシャツに、下は黒のダメージジーンズ。銀色に染めた前髪に、両サイドは刈り上げている。寝ぼけたような顔をしていて、目が半分しか開いていない。 店の前の道を通る女子高生たちが、彼を見てひそひそと笑いあっている。なにしろ彼は大きな図体をしながら、右手の親指を咥えているのだ。赤子のように。 やがてゲームセ…
その店は、市の繁華街にあるアーケード街にほど近い通りに面していた。 映画館や大型ゲームセンターなどが近くにあり、その通りは平日の昼間にもかかわらず、若者たちが大勢行き交っている。 「で、なんなんですか今日は。この店に用があるんですか」 冬馬は隣で澄ました顔をしている部長を見た。桜色のブラウスにブラウンのフレアスカートという格好で、あいかわらずかわいらしい。 二人とも身長も高い美男…
西警察署に冬馬がやってきたのは、妹が誰かと喧嘩をしていて補導された、という電話をもらったからだった。 驚いて家から飛び出してきたのだが、自転車をこいでいると、少し冷静になってきた。 妹と聞いて、秋奈のことと思い、焦ってしまったのだが、あいつが喧嘩なんかするだろうかと首を捻った。秋奈は生来の蒲柳の質で、性格的にも喧嘩などするタイプではない。 そもそも、冬馬が兄で、秋奈が妹だというのは…
眼鏡をかけたスーツ姿の男が、道行く人々を追い越していく。走っているわけでもないのに、その動きは早く、並んだ瞬間にはもう抜き去っている。信号待ちの人々がまばらに立っている場所でも、その歩調は変わらず、まるで体をすり抜けでもしたかのように横切っていった。それを見た買い物帰りの主婦が、ギョッとして男の後ろ姿を見送る。男は大通りに面したビルの中に消えていった。 「あ、服部くん」 ビルの1階フ…
「それにしても、月引きの縄とは」 嬰子の部屋で、冬馬は向かいの座布団に座っていた。蓮は嬰子が部屋に戻させたので二人きりだ。 冬馬は最初にそれと遭遇した時のことを話した。浴衣姿の嬰子は、日本酒の御猪口を片手に、面白そうに聞いていた。 「なんとのう。あんな古い怪異、わしも見るのは初めてじゃ。逃がした獲物に執着しておるようじゃな。弱みを見て、襲ってきおった」 嬰子はあぐらをかいてゆらゆら…
大きな釘が意思を持ったかのように群れをなして宙を舞い、蓮に迫ったが、密集した火の塊が鞭のようにしなってそれを弾いた。 「うおっ」 冬馬の目の前の床に釘が刺さり、重い音を立てる。 蓮の背後から2本、まるで尾のように火の帯が伸びている。黒図暁の時には見られなかった形態だ。本気の攻撃態勢ということなのか。 「下がって、冬馬さん」 さらに釘が火の帯に弾かれて降ってくる。冬馬は転がってそ…
「え」 真っ先に思ったのは、(やばい。壊しちゃった)ということだった。 黒い瘴気の中に金色の粒子が混ざって、不規則に風を巻いている。そしてそれが、弾けるように洞窟の外へ向かって一斉に流れ出していった。 足を引きずりながら現れた冬馬を見て、蓮が飛びついてきた。 「成りました」 「わかるのか」 「はい」 潤んだ目だった。 それから二人で、近くの岩場に腰かけてお弁当を食べた。…
その日の夜。冬馬はガチガチと震えながら風呂に入っていた。一軒家のくせにやたら広い浴場の湯船に肩までつかっていたが、一向に身体が温まらない。 「あのー、冬馬さん。お背中流しましょうか」という声が風呂場の外から聞こえる。蓮だ。 「いや、いい。一人にして」 ブクブクと泡を吹きながら、冬馬は天窓の外の星空を見上げた。山の中だから、散りばめられた星が良く見える。 (俺はなんでこんなところまで来…
「これは、黒鳥の女が呪(しゅ)を放つ際に用いる呪具じゃ。簡単に言うと、呪いの箱じゃな。これはさほどでもないが、数百年使い続けたものは、素手で触れるだけで手が爛れるほどの瘴気を放つものもある」 嬰子は、ちゃぶ台に置かれた桐箱に、右の人差し指を向けた。 「こうして、呪具に指を向け、呪いそのものと繋がりを持つのじゃ」 嬰子が箱に指を向けた瞬間、周囲の空間に、ゆいん、ゆいん、という耳障りな音が…
次の日だった。 冬馬はシトロエン2CVの後部座席で揺られていた。赤いボディの、かわいらしい車だった。カリ城で、クラリス姫が運転していた、あのレトロなフランス車だ。 ハンドルを握っているのは、黒鳥嬰子。今日は狩衣姿からうってかわって、黒いドレス風の服を着ている。日焼け防止の長い手袋がやけに似合っていた。 「静かじゃのう冬馬。起きておるか」 バックミラーで嬰子がちらりと視線を向ける。…
翌日、冬馬は部長とモリゲンと三人で、駅の地下改札に向かった。 時刻は深夜0時過ぎ。まだ通常の運航便はあったが、正面玄関である東口の地下への階段のところに立ち入り禁止テープが貼られていて、地上階からしか改札を抜けられないようになっていた。 冬馬たちも、そこで駅員から止められた。話が通ってなかったのか、工事中ですからの一点張り。しばらく押し問答を続けていると、「あれ?」という声とともに、見…
冬馬は、暗闇の中にいた。 突然のことに驚いて、なにも見えない周囲に視線を巡らせる。デパートの地下だ。辺りからはざわざわとした声や悲鳴が聞こえる。 冬馬は周りの気配を避けながら、壁際に移動した。気をつけたつもりだったが、壁につこうとした手が誰かに当たった。 「きゃっ」という声。 「あ、すみません」 ざわざわとした音が大きくなる。明かりが点く様子はない。完全な闇だ。 まずいな。…
pixiv 2023年11月27日 19:18 ●田舎〈3〉 【みこがみを喰らうもの】 「おはよう」 ユキオの声に目を覚ました。 思わず、夕べの続きのように瞬間に臨戦態勢に入った。 「寝起き、えいにゃあ」 すぐに起き上がった俺を感心したように見て、ユキオは笑った。見回すと、師匠の布団はもう空だ。kokoさんもだった。起こしてくれてもいいのに。そう思いながら、ユキオに言った。 「みんなは?」 「散歩かな」ユキ…
pixiv 2023年11月27日 19:17 ●田舎〈2〉 【いざなぎ流】 朝が来た。目を覚ますと、隣で師匠がひどい寝相をしていた。少しほっとする。それから4人と伯父夫婦と合わせて、6人で朝食を取る。なにか足らない気がした。 そうだ。新聞がない。 「ああ、昼にならんと来ん」 そういえばそうだった。俺のPHSも師匠の携帯も通じない、情報を制限された田舎なのだ。 食べ終わって部屋に帰ると、師匠に昨日の夜のことを訊…
pixiv 2023年11月27日 19:08 ●田舎〈1〉 【田舎への招待】 大学1回生の秋。 そのころ、うちの大学には試験休みというものがあって、夏休みのあとに前期試験があり、そのあとに試験休みがくる、というなんとも中途半端なカリキュラムとなっていた。 夏休みは我ながらやりすぎと思うほど遊びまくり、実家への帰省もごく短い間だった。 そこへ降ってわいた試験休みなる微妙な長さの休暇。俺はこの休みを、母方の田舎…
pixiv 2020年5月6日 23:59 『バチェルダーの部屋』 大学1回生の冬だった。 そのころ俺が出入りしていた地元のオカルトフォーラム『灰の夜明け』には、常連だけが参加している裏サイトがあった。 なにしろ一応黒魔術について語るというサイトの目的があったものの、もはやだれも守っておらず、オカルトよろずコミュニティーと化していたので、一時的に怖いものにハマッた高校生や大学生の一見さんがわんさか湧いては…
pixiv 2020年5月4日 19:27 3 もう死んでる 突然真っ暗闇になったことで、そこかしこから息をのむような気配がする。私も驚いた。無意識に、テーブルの端を掴んでいた。 天井に小さな光の粒が現れた。それはまたたくまに頭上を覆うように広がり、夜空が生まれた。 プラネタリムだ。そういえば、部屋の四隅に、なにか黒い機械が設置されていた。あれがそうだったのだろうか。 「あら、綺麗」 マダムの声が…
256『毒 中編』 2/3 『ケーティではなくてよろしいのね』
pixiv 2020年5月3日 19:29 2 ケーティではなくてよろしいのね 夜の7時半。私は、駅の西口にやってきた。地下の東西連絡通路の入り口のそばに、街路樹があり、その周りを囲むように設置されている石のベンチに、京子が座っていた。 京子はスリムな体のラインがわかるような、薄手のチェスターコートを着ていた。丸いサングラスをしていて、まるでお忍びの芸能人のようだ。 私は、と言えば、スカジャン姿とい…
255『毒 中編』 1/3 『シュレディンガーの猫って知ってるかしら』
pixiv 2020年5月2日 14:03 1 シュレディンガーの猫って知ってるかしら 京介さんから聞いた話だ。 高校1年の12月のことだった。 2学期の期末試験がもうはじまるというころ。私は不本意ながら家で勉強をしていた。どうせいい点は取れないことはわかっているが、やらずにひどい点を取ると、のちのち面倒なことが次々とわいてくるのは、目に見えている。 数学の教科書と見比べながら、自分でノートに書…
pixiv 2020年5月1日 23:52 『失せ物探し』 1回生の冬。市内の居酒屋で『灰の夜明け』というオカルトフォーラムのオフ会があって、そのあと、一部の主要メンバーたちで裏オフ会をすることになった。 闇の幹部会とも称される、その裏オフ会の主要会場となっている歩くさんの部屋に集まったのは6人。本人と、みかっちさん、ワサダさん、京介さんという女性組4人と、伊丹さん、俺の男性組2人。 このメンバーでよく…
pixiv 2020年4月30日 22:58 5 いつもそれで赤点だったのね 京介さんから聞いた話だ。 高校1年の12月のことだった。 寒いのは好きじゃないので、毎年この時期はつらい。まして高校生にもなって、制服がスカートなのが納得いかない。ジーンズを穿いて登校したい。そう言うと、クラスメートの高野志穂は、こんなかわいい格好できるのは、いまだけだよ、と妙にババくさいことを言った。 気安くなるにつれて…
252『毒 前編』 4/5 『なんだいまの。かわいいじゃねぇか』
pixiv 2020年4月29日 21:13 4 なんだいまの。かわいいじゃねえか 松浦から依頼されたCというクスリの件が、思うように進んでいないなか、僕は資料整理のバイトのために小川調査事務所に来ていた。 これまでに何度かタカヤ総合リサーチの資料ファイルを見せてもらって、その仕組みを自分なりに研究し、小規模ながらそれに似たやりかたができないか、試行錯誤をしていた。小川所長からは、「綺麗にできたら、金一封…
pixiv 2020年4月28日 22:14 3 科学的検査を信じろ 僕と師匠は、西沢が去ったあと、大学へ向かった。師匠の提案で、この小瓶の中身が本当に水なのか、確認したほうがいいということになったのだ。 それもそうだった。そうなると、液体の検査ができる研究室があるところ、ということになる。 僕が、薬学部に知り合いがいます、と言うと師匠は首を振った。 「医学部と薬学部は、ヤクモのテリトリーだ」 学生に頼…
250『毒 前編』 2/5 『マリファナとハッシッシを少し』
pixiv 2020年4月27日 23:17 2 マリファナとハッシッシを少し 高谷所長と会ったその足で、僕らは小川調査事務所に向かった。今日は重要な依頼があるのだ。 「ギリギリになっちまったな」 早足で歩く師匠のうしろで、僕の足取りは重かった。なにしろ相手がヤクザだからだ。 「なんだ、元気がないな。嫌なら今日は、お前はいなくてもいいんだぞ」 「そういうわけにはいかないですよ」 「こっちは別にいいけどな…
249『毒 前編』 1/5 『アンタッチャブルってことですか』
pixiv 2020年4月26日 23:00 師匠から聞いた話だ。 1 アンタッチャブルってことですか 大学2回生の冬のはじめだった。 僕は師匠に連れられて、タカヤ総合リサーチにやってきた。何度も来ているので、いまさら驚くこともないが、これが自社ビルだという。 「どうした。いくぞ」 見上げていると、ためいきが出そうになる。同じ興信所なのに、我らが小川調査事務所との格差を思い知らされるのだ。 なか…
pixiv 2019年5月19日 20:47 3 魔よけ 師匠から聞いた話だ。 大学2回生の春だった。 そのころ僕は、小川調査事務所という興信所でバイトをしていた。普通の興信所の仕事ではない。その業界で、『オバケ』と呼ばれる不可解な依頼を専門に受けている師匠の、お手伝いのようなものだ。 師匠もバイトの身だったが、そこそこいいバイト代をもらっているようだった。うらやましいが、当時の僕にとっては、バ…
pixiv 2019年5月17日 22:07 2 防火水槽 師匠から聞いた話だ。 大学1回生の秋だった。 僕の師匠は、大学院に在籍しながら、興信所の調査員という変わったバイトをこなしつつ、オカルト道をまい進するかたわら、地元の消防団に入っていた。実に忙しいことだ。 さいごの消防団は、イメージにあるファイアマン、つまり消防署員と違って、機能別団員とやらだそうで、いわばイザ鎌倉という際だけの協力員の…
pixiv 2019年5月15日 12:50 1 石 大学2回生の夏だった。 俺はオカルト道の師匠に連れられて、ある神社に来ていた。西のK市にある山のなかの神社だ。 師匠の軽四でノロノロと山道を登っていると、石垣が見えてきた。路肩の広いところに車を停めて、神社の敷地に入った。 雑草を踏みながら進み、師匠の懐中電灯が狛犬を照らし出す。苔むしたそれは、片割れがいない。向かって左側の台座から、本体が失われ…
pixiv 2019年1月18日 21:31 師匠から聞いた話だ。 9 写真屋 大学2回生の秋の終わりだった。 僕は1人で、小さなマンションの前に立っていた。繁華街から少し離れたところにある、古くてみすぼらしいマンションだ。 ここには、『写真屋』と呼ばれる、天野という男が住んでいる。師匠の悪友で、普通の町なかの写真屋ではプリントしてくれないような、危ない写真を割高な料金で手がける人物だった。 師…
pixiv 2018年12月23日 00:51 『落し物』 ウニ 大学6回生の夏だった。 そのころ俺は、卒業まであと数単位となっており、レポートさえ出しておけば単位はくれてやる、という教授のお言葉に甘え、ひたすら引きこもっていた。いまだにもらっている仕送りと、たまにやるパチスロで生計を立てており、バイトはやめてしまっていた。ネットゲームをしたり、2ちゃんねるにひらすらはりついたり、就職のしの字も頭に…
pixiv 2018年7月7日 21:45 8 冬が来る前に 「なんの用なの。1人で来るなんて、珍しいわね」 「まあ、ちょっと」 僕は、喫茶店の窓際の席で看護婦の野村さんと向かい合っていた。彼女は大学病院で看護婦長をしていて、師匠とは古くからの知人だった。その縁で僕も何度か会ったことがあった。もちろん、1人で会うのははじめてだ。 「あんまり時間はとれないわよ」 野村さんは窓の外をチラリと見た。イチョウの…
pixiv 2018年6月30日 21:32 7 星型要塞都市 角南家での老人との会合から2日が経っていた。 その日、僕はバイトで小川調査事務所にやってきた。特に調査の依頼は入っていない。ただの資料整理だ。情報が命の興信所は、最近の様々な事件を常に整理している。タカヤ総合リサーチなどは、その辺がかなりシステマティックに整備されている。わが小川調査事務所も、スズメの涙の賃金で働く物好きなバイトが増えたおかげ…
pixiv 2018年6月23日 20:47 6 老人 目の前に、深い皺の刻まれた老人がいる。彫りの深い顔は、まるで往年の映画俳優のようだ。ただ映画を撮るには、少し痩せすぎているように見えた。 年季の入った黒檀の机のうえに、和服のそでからのびた細い腕が置かれている。その腕が、大きな灰皿を引き寄せて、もう片方の腕がタバコの灰を落とす。 老人は値踏みするように、さっきから一言も発せずに僕と、その隣に座る師匠…
pixiv 2018年6月16日 15:10 5 地下 巨人を見た次の日、僕らはJRに乗って、となりの町へやってきた。 うちの大学の日本史研究室の元教授で、退官した今では、郷土史家という肩書きでのんびりと好きな研究を続けている、宮内氏を訪ねてきたのだ。 「だいだらぼっち?」 宮内氏は面白そうに、黒縁の眼鏡をずり上げた。 「ええ。このあたりで、だいだらぼっちの伝承があるのか知りたくて。先生ならご存知かと」…
239『秋の日々』全8話 / 第4話『アポカリプティック・サウンド』
pixiv 2018年6月9日 19:38 4 アポカリプティック・サウンド その音を聞いたのは、大学祭の大騒ぎのすぐあとだった。 福武さんという、師匠の知り合いが描いた不気味な絵をめぐって、人の群にもみくちゃになり、散々な目にあってから僕らは師匠の家で落ち合った。 師匠はその絵を、サークル棟のそばにある焼却炉で燃やしたという。ばけものの絵だというそれを。 「あれが、くじら座のくじらだとは知りません…
pixiv 2018年6月2日 21:36 3 狂心の渠 劇団くじら座の公演を見た2日後だった。 よく晴れた日で、見上げれば秋らしい高い空が広がっていた。僕は、久しぶりに洗濯をして干してくればよかったと思いながら、自転車をこいでいた。後輪の上には師匠が立ち乗りをしている。両手は僕の肩だ。 「えっ、行ったんですか」 昨日、劇団くじら座の座長に会うべく、師匠は稽古場に乗り込んだらしい。けれど、聞いていたと…
pixiv 2018年5月26日 22:37 2 くじら座 師匠に、劇団を見に行こうと誘われた。 弓使いが部屋を訪ねてきて、一晩を一緒に過ごしたことを師匠に言い出せず、もんもんとしていたころだったので、正直気まずかったが、ついていくことにした。 手にしたパンフレットを見ながら歩く師匠のあとに続いて、僕はためいきをついていた。僕がある意味師匠を裏切っている現状を、まだ自分のなかで整理できていなかったからだ…
pixiv 2018年5月19日 23:13 『秋の日々』 1 窮鳥懐に 師匠から聞いた話だ。 大学2回生の秋だった。 去年にも増して、身の回りに様々な事件が起きた夏がようやく過ぎ去り、肌寒さを感じるようになったころ。キャンパスの妖精という変なあだ名で呼ばれていた師匠と出会ってから、これまでに体験してきた、おかしな出来事の数々を思い返すと、奇妙ではあったけれどそれらは個々の事象だった。だが、この…
pixiv 2018年3月25日 14:19 真夜中の教育学部の学部棟の屋上で『妖精』と出会った、その次の日だ。 僕は昼間にその学部棟の下に立って、空を見上げていた。 昨日の夜、あの空中に、この世のものではないものが浮かんでいたのだ。人の体のツギハギでできたような不気味ななにかが、大きくなったり、小さくなったりしながら、あそこに。 ぞわっ、と首筋が寒くなる。 これまでに望まなくとも見てしまった幽霊たち。かぼそく…
pixiv 2017年10月17日 00:13 大学2回生の春だった。 「幽霊がでるホテルがあるらしいぞ」 京介さんからそう誘われたとき、なんとも言えない違和感があった。 「行ってみるか」 「はい」 違和感の正体なんかより、俺には京介さんから久しぶりにお誘いがあったことが、とにかく嬉しかった。 京介さんが怖い夢をみた日から、連絡が途絶えていたのだった。ネットのオカルトフォーラムにも姿を現さなくなっていた…
pixiv 2017年9月14日 23:27 6月28日、日曜日の朝だった。 夜明け前に目を覚ました僕は、隣の師匠の部屋につっかえ棒が下りたままなのを確認してから、足音を忍ばせて階段を下りた。1階では、女将がもう朝の食事の支度をしていた。 「あら、今日はお早いですね」 「ちょっと、散歩でもしてこようかと」 「まだ暗いですよ」 「ええ」 玄関を開けてもらって、外に出た。闇はほのかに白かった。息を吸い込むと、…
pixiv 2017年8月16日 23:00 3 <6月27日> 月本実 6月27日、土曜日の朝だった。 僕は師匠に頭を踏まれて目を覚ました。 あれ? 寝過ごした? 慌てて起き上がると、部屋の時計は7時を指していた。 「まだ7時じゃないですか」 「おまえの昼夜逆転クソ大学生活と一緒にするな。世間では朝飯を食う時間だ」 そういえば、朝ごはんは7時半に、って言ってたな。 しかたなく僕は起き上がり、のびをし…
pixiv 2017年8月15日 00:02 2 <6月26日> 双子を忌む村 6月26日は金曜日だった。その日の朝、僕は師匠の運転するボロ軽四で、北へ向かう旅路にあった。県北の笹川町に向かっているのだ。僕らの住むO市は、瀬戸内海に近い南側にあったから、県北の町までは結構な距離がある。 「晴れて良かったなぁ」 窓から吹き込んでくる風を気持ち良さそうに顔に受けて、師匠がそう言った。 そんな爽やかな朝に、ステ…
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カーテンを閉め切った部屋に、その隙間から細い光が射しこんでいる。宙に舞う埃が光の筋を浮かび上がらせ、汗に濡れた彼女の上半身を照らしている。形の良い胸から、くびれたウエストへのラインが、神秘的な美しさで冬馬の眼前にあった。 「おい。なにぼーっと見てんだよ。ソープじゃねえんだぞ」 胸の上についている頭部からそんな声がする。ハスキーな声だった。 いい声だな。 怒ったように激しくなる動き…
繁華街にある小さなゲームセンターの前に、背の高い男が立っていた。年齢は20歳前後。長袖の青いシャツに、下は黒のダメージジーンズ。銀色に染めた前髪に、両サイドは刈り上げている。寝ぼけたような顔をしていて、目が半分しか開いていない。 店の前の道を通る女子高生たちが、彼を見てひそひそと笑いあっている。なにしろ彼は大きな図体をしながら、右手の親指を咥えているのだ。赤子のように。 やがてゲームセ…
その店は、市の繁華街にあるアーケード街にほど近い通りに面していた。 映画館や大型ゲームセンターなどが近くにあり、その通りは平日の昼間にもかかわらず、若者たちが大勢行き交っている。 「で、なんなんですか今日は。この店に用があるんですか」 冬馬は隣で澄ました顔をしている部長を見た。桜色のブラウスにブラウンのフレアスカートという格好で、あいかわらずかわいらしい。 二人とも身長も高い美男…
西警察署に冬馬がやってきたのは、妹が誰かと喧嘩をしていて補導された、という電話をもらったからだった。 驚いて家から飛び出してきたのだが、自転車をこいでいると、少し冷静になってきた。 妹と聞いて、秋奈のことと思い、焦ってしまったのだが、あいつが喧嘩なんかするだろうかと首を捻った。秋奈は生来の蒲柳の質で、性格的にも喧嘩などするタイプではない。 そもそも、冬馬が兄で、秋奈が妹だというのは…
眼鏡をかけたスーツ姿の男が、道行く人々を追い越していく。走っているわけでもないのに、その動きは早く、並んだ瞬間にはもう抜き去っている。信号待ちの人々がまばらに立っている場所でも、その歩調は変わらず、まるで体をすり抜けでもしたかのように横切っていった。それを見た買い物帰りの主婦が、ギョッとして男の後ろ姿を見送る。男は大通りに面したビルの中に消えていった。 「あ、服部くん」 ビルの1階フ…
「それにしても、月引きの縄とは」 嬰子の部屋で、冬馬は向かいの座布団に座っていた。蓮は嬰子が部屋に戻させたので二人きりだ。 冬馬は最初にそれと遭遇した時のことを話した。浴衣姿の嬰子は、日本酒の御猪口を片手に、面白そうに聞いていた。 「なんとのう。あんな古い怪異、わしも見るのは初めてじゃ。逃がした獲物に執着しておるようじゃな。弱みを見て、襲ってきおった」 嬰子はあぐらをかいてゆらゆら…
大きな釘が意思を持ったかのように群れをなして宙を舞い、蓮に迫ったが、密集した火の塊が鞭のようにしなってそれを弾いた。 「うおっ」 冬馬の目の前の床に釘が刺さり、重い音を立てる。 蓮の背後から2本、まるで尾のように火の帯が伸びている。黒図暁の時には見られなかった形態だ。本気の攻撃態勢ということなのか。 「下がって、冬馬さん」 さらに釘が火の帯に弾かれて降ってくる。冬馬は転がってそ…
「え」 真っ先に思ったのは、(やばい。壊しちゃった)ということだった。 黒い瘴気の中に金色の粒子が混ざって、不規則に風を巻いている。そしてそれが、弾けるように洞窟の外へ向かって一斉に流れ出していった。 足を引きずりながら現れた冬馬を見て、蓮が飛びついてきた。 「成りました」 「わかるのか」 「はい」 潤んだ目だった。 それから二人で、近くの岩場に腰かけてお弁当を食べた。…
その日の夜。冬馬はガチガチと震えながら風呂に入っていた。一軒家のくせにやたら広い浴場の湯船に肩までつかっていたが、一向に身体が温まらない。 「あのー、冬馬さん。お背中流しましょうか」という声が風呂場の外から聞こえる。蓮だ。 「いや、いい。一人にして」 ブクブクと泡を吹きながら、冬馬は天窓の外の星空を見上げた。山の中だから、散りばめられた星が良く見える。 (俺はなんでこんなところまで来…
「これは、黒鳥の女が呪(しゅ)を放つ際に用いる呪具じゃ。簡単に言うと、呪いの箱じゃな。これはさほどでもないが、数百年使い続けたものは、素手で触れるだけで手が爛れるほどの瘴気を放つものもある」 嬰子は、ちゃぶ台に置かれた桐箱に、右の人差し指を向けた。 「こうして、呪具に指を向け、呪いそのものと繋がりを持つのじゃ」 嬰子が箱に指を向けた瞬間、周囲の空間に、ゆいん、ゆいん、という耳障りな音が…
次の日だった。 冬馬はシトロエン2CVの後部座席で揺られていた。赤いボディの、かわいらしい車だった。カリ城で、クラリス姫が運転していた、あのレトロなフランス車だ。 ハンドルを握っているのは、黒鳥嬰子。今日は狩衣姿からうってかわって、黒いドレス風の服を着ている。日焼け防止の長い手袋がやけに似合っていた。 「静かじゃのう冬馬。起きておるか」 バックミラーで嬰子がちらりと視線を向ける。…
翌日、冬馬は部長とモリゲンと三人で、駅の地下改札に向かった。 時刻は深夜0時過ぎ。まだ通常の運航便はあったが、正面玄関である東口の地下への階段のところに立ち入り禁止テープが貼られていて、地上階からしか改札を抜けられないようになっていた。 冬馬たちも、そこで駅員から止められた。話が通ってなかったのか、工事中ですからの一点張り。しばらく押し問答を続けていると、「あれ?」という声とともに、見…
冬馬は、暗闇の中にいた。 突然のことに驚いて、なにも見えない周囲に視線を巡らせる。デパートの地下だ。辺りからはざわざわとした声や悲鳴が聞こえる。 冬馬は周りの気配を避けながら、壁際に移動した。気をつけたつもりだったが、壁につこうとした手が誰かに当たった。 「きゃっ」という声。 「あ、すみません」 ざわざわとした音が大きくなる。明かりが点く様子はない。完全な闇だ。 まずいな。…
pixiv 2023年11月27日 19:18 ●田舎〈3〉 【みこがみを喰らうもの】 「おはよう」 ユキオの声に目を覚ました。 思わず、夕べの続きのように瞬間に臨戦態勢に入った。 「寝起き、えいにゃあ」 すぐに起き上がった俺を感心したように見て、ユキオは笑った。見回すと、師匠の布団はもう空だ。kokoさんもだった。起こしてくれてもいいのに。そう思いながら、ユキオに言った。 「みんなは?」 「散歩かな」ユキ…
pixiv 2023年11月27日 19:17 ●田舎〈2〉 【いざなぎ流】 朝が来た。目を覚ますと、隣で師匠がひどい寝相をしていた。少しほっとする。それから4人と伯父夫婦と合わせて、6人で朝食を取る。なにか足らない気がした。 そうだ。新聞がない。 「ああ、昼にならんと来ん」 そういえばそうだった。俺のPHSも師匠の携帯も通じない、情報を制限された田舎なのだ。 食べ終わって部屋に帰ると、師匠に昨日の夜のことを訊…
pixiv 2023年11月27日 19:08 ●田舎〈1〉 【田舎への招待】 大学1回生の秋。 そのころ、うちの大学には試験休みというものがあって、夏休みのあとに前期試験があり、そのあとに試験休みがくる、というなんとも中途半端なカリキュラムとなっていた。 夏休みは我ながらやりすぎと思うほど遊びまくり、実家への帰省もごく短い間だった。 そこへ降ってわいた試験休みなる微妙な長さの休暇。俺はこの休みを、母方の田舎…
pixiv 2020年5月6日 23:59 『バチェルダーの部屋』 大学1回生の冬だった。 そのころ俺が出入りしていた地元のオカルトフォーラム『灰の夜明け』には、常連だけが参加している裏サイトがあった。 なにしろ一応黒魔術について語るというサイトの目的があったものの、もはやだれも守っておらず、オカルトよろずコミュニティーと化していたので、一時的に怖いものにハマッた高校生や大学生の一見さんがわんさか湧いては…
pixiv 2020年5月4日 19:27 3 もう死んでる 突然真っ暗闇になったことで、そこかしこから息をのむような気配がする。私も驚いた。無意識に、テーブルの端を掴んでいた。 天井に小さな光の粒が現れた。それはまたたくまに頭上を覆うように広がり、夜空が生まれた。 プラネタリムだ。そういえば、部屋の四隅に、なにか黒い機械が設置されていた。あれがそうだったのだろうか。 「あら、綺麗」 マダムの声が…
pixiv 2020年5月3日 19:29 2 ケーティではなくてよろしいのね 夜の7時半。私は、駅の西口にやってきた。地下の東西連絡通路の入り口のそばに、街路樹があり、その周りを囲むように設置されている石のベンチに、京子が座っていた。 京子はスリムな体のラインがわかるような、薄手のチェスターコートを着ていた。丸いサングラスをしていて、まるでお忍びの芸能人のようだ。 私は、と言えば、スカジャン姿とい…
pixiv 2020年5月2日 14:03 1 シュレディンガーの猫って知ってるかしら 京介さんから聞いた話だ。 高校1年の12月のことだった。 2学期の期末試験がもうはじまるというころ。私は不本意ながら家で勉強をしていた。どうせいい点は取れないことはわかっているが、やらずにひどい点を取ると、のちのち面倒なことが次々とわいてくるのは、目に見えている。 数学の教科書と見比べながら、自分でノートに書…
pixiv 2023年11月27日 19:18 ●田舎〈3〉 【みこがみを喰らうもの】 「おはよう」 ユキオの声に目を覚ました。 思わず、夕べの続きのように瞬間に臨戦態勢に入った。 「寝起き、えいにゃあ」 すぐに起き上がった俺を感心したように見て、ユキオは笑った。見回すと、師匠の布団はもう空だ。kokoさんもだった。起こしてくれてもいいのに。そう思いながら、ユキオに言った。 「みんなは?」 「散歩かな」ユキ…
pixiv 2023年11月27日 19:17 ●田舎〈2〉 【いざなぎ流】 朝が来た。目を覚ますと、隣で師匠がひどい寝相をしていた。少しほっとする。それから4人と伯父夫婦と合わせて、6人で朝食を取る。なにか足らない気がした。 そうだ。新聞がない。 「ああ、昼にならんと来ん」 そういえばそうだった。俺のPHSも師匠の携帯も通じない、情報を制限された田舎なのだ。 食べ終わって部屋に帰ると、師匠に昨日の夜のことを訊…
pixiv 2023年11月27日 19:08 ●田舎〈1〉 【田舎への招待】 大学1回生の秋。 そのころ、うちの大学には試験休みというものがあって、夏休みのあとに前期試験があり、そのあとに試験休みがくる、というなんとも中途半端なカリキュラムとなっていた。 夏休みは我ながらやりすぎと思うほど遊びまくり、実家への帰省もごく短い間だった。 そこへ降ってわいた試験休みなる微妙な長さの休暇。俺はこの休みを、母方の田舎…