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セルフコラボレーション、この趣味とあの趣味をコラボ https://blog.goo.ne.jp/idealblog2

日本の城、写真、ダートレース等の趣味を相互に関連づけて趣味を深く追求!

三重県を中心に徹底訪城、伝えて残したい山城遺産。時々ダートレースで若さを保ちつつ、セルフコロボレーションを試みる。

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  • 発見!! 出丸城

    これまで出丸城の場所を確定した報告や資料は無かったが、今回確率の高い遺構を発見したことでこれまでのブログ記事を全面改訂し旧記事は削除した。過去2回(20172019年)は単独訪城、今回(2020年)は山城会会員の同伴を得た訪城である。山桜がこれ見よがしに枝を張り尾根のところどころに花びらを散らしていた。城名出丸城読みいでまるじょう【*1】住所津市一志町波瀬出丸/松阪市嬉野宮野町形式山城/のろし台遺構曲輪、土塁城主出丸四郎国道【*2】一族波瀬氏の分家。波瀬城の支城。【*2】標高206m(三角点)比高125m歴史信長により落城。書籍【*2】日本城郭大系・【その他の城郭一覧】伊勢の中世城館・第22号【上出城の調査】忍者学講座・第7章【忍者の火器を作ってみる】環境多気御所と一志平野部を結ぶ多気街道と波瀬の平野部を眼下に...発見!!出丸城

  • 上出江大権現 行者

    施設名大権現/行者住所多気町上出江形式単郭遺構削平地腰曲輪規模15×20m標高131m比高56m環境北から南へ大きく櫛田川が湾曲する要因となる舌状丘陵地の側面を形成する一連の山塊の一つである。側面側は急峻で反対側は緩やかに平坦地へつながる。側面側の視界は本来は良好で上出江・片野の集落や和歌山街道に繋がる間道を俯瞰する。小さいが側面側には腰曲輪が認められる。現地権現さんや行者さんの祭事場である。維持管理された状態と見受けられる。考察出江地区は小祠が点在する。山神、金毘羅、弁天、浅間、明神、薬師堂、大日、庚申等がある。感想山頂の削平地を城郭とする根拠は見出せない。北に存在するひよどり城から尾根伝いに出曲輪、小さな峠を越えてこの削平地と、一連の動線を仮定することも確立の極めて低いこととなる。権現、行者さんの祭事場の施...上出江大権現行者

  • 樋ノ谷遺跡

    遺跡名樋ノ谷遺跡読みひのたにいせき住所大紀町(旧大宮町)神原566時代縄文早期(7000~8000年)前形式竪穴式住居跡遺構復元モデル規模2棟(一棟は現在閉鎖中)標高79m歴史県内屈指の古い時代の住居跡経緯畜産環境整備事業に伴って昭和57年秋、1か月に亘り1000㎡を対象に県教育委員会文化課によって発掘調査された。平成の初めころ復元が行われたが、風雨の影響などで傷んだ。令和2年夏に一棟の再復元が完成した。町文化財調査委員の中瀬氏は「多くの人に見に来てほしい」と言われている。書籍現地案内資料夕刊三重環境宮川中流右岸の河岸段丘上にある。神原集落の西側を南から北の宮川へ向けて小支流の樋ノ谷が小さな扇状地を形成しながら開いている。感想今でこそ道路によって短時間で行くことが出来るが、周辺の地勢や環境から当時を察すると、「...樋ノ谷遺跡

  • 奥野城

    👆定本三重県の城👆定本三重県の城(巻末に「字小広」で記載あり)👆松阪市史別巻(古地図で「字小廣」を検出)👆昭和22年航空写真(該当地の鋭角で変則的な様子)👆4図で位置の検出👆西野町現地付近👆字小廣の尾根を攻めるが何もない👆山すそに削平地はある👆これだけでは判断しがたい城名奥野城読みおくのじょう別名奥の屋敷住所松阪市西野町字小廣(広)形式居館遺構不明規模不明城主不明標高132m比高30m(無量寺前より)経緯定本三重県の城にてNo,104として奥野城が記されている。巻末の記事には「丘陵地を削平して三方を防塁とした単郭構造の城で、郭内より出土した備前焼の大甕が現存する」とある。書籍定本三重県の城環境西野町集落より南西の方向で、棚田の最高点から山林にかけての範囲を、旧称でいう字小廣(広)である。現地棚田自体も圃場整備が...奥野城

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