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テストテスト
仲間たちとの裏山歩き、今日も雨です。でも、タカ長は行くつもりでした。Kohdai君にレクチャーすることが残っているからです。しかし、Kohdai君の都合が悪くなって、、、、、、、他の仲間も裏山に行く雰囲気がないので、タカ長もお休みにしました。寒い時期の雨中登山は嫌ですが、この時期になれば問題ナシ(?)と言うことで、これからは、たまには雨の裏山を歩くつもりになっています。女房殿と夏山登山の思い出を話しました。北アルプス、燕岳登山のことです。その日は雨が予想されたので、雨具のズボンだけは着用して出発するように指示していました。しかし、女房殿ともう1名はタカ長の指示を無視したようです。タカ長はそこらの具体的なことは忘れているのですが、女房殿は「縦走中に雨が降り出し、雨具を着るのに苦労した」と言っていました。Ko...雨の中の登山
安蔵寺山の一発でゲットしました。現地に下りるのは健脚向きだと思います。私有地なので詳細は内緒です。キレンゲシヨウマ
先月タカ長の山ときどきタカ見に投稿した記事の再録です。タカの渡りの季節です。色々な事情があってタカ見旅が出来なくなりましたが、他所の情報も気になるのでこの時期になるとタカの渡り全国ネットワークの情報をチェックしています。各地を渡ったタカの情報も気になりますが、それとともに何か所かの観察地の観察者名を見ているのです。A観察地に○○さんの名前が見えないB観察地に□□さんの名前を久しぶりに見つけてひと安心そのようなことを見ているのです。タカ長の鳥友は各地にいて、その人たちの活躍される様子が上記の観察地やFacebookの情報で見られると嬉しいのですが、名前を見ることが無くなった人も複数います。その中には一緒に海外まで出かけた鳥友もいます。タカの渡り観察は思いのほかキツイことなので、加齢とともに観察地から遠のくのは仕方...名前が見えない
向山でハチクマの飛来を待つています。向山
以下はタカ長の山ときどきタカ見と同じ内容です。コロナの感染拡大が止まりません。緊急事態宣言を連発されると「緊急」では無くなり、オオカミ少年の感じになります、、、、、と言うようなことを書き始めるとキリがないので、今日は別の話題です。この本を読んで、本間真二郎医師の発言に「わが意を得たり」の思いを強くしたことです。感染症対策には二つの軸があります。「外側の軸」と「内側の軸」です。「外側の軸」というのは、自分の外から来る敵であるウイルスを防ごうとする対策です。手洗い、マスク、ソーシャルディスタンス、ロックダウン、これらはすべて外側の軸です。もちろん、これらにも意味はあると思います。でも、それ以上に私は「内側の軸」のほうが大切だと思っています。つまり、自分の免疫力、抵抗力、解毒・排出力をあげることで、ウイルスに対抗する...二つの軸
団地ののり面にあるササユリが見ごろになりました。こののり面はそばに住む人の私有地ですが、その人に話を聞きました。最初は1本だったササユリが、環境を整えることに専念していたらのり面全体に咲くようになった、と言うことでした。いわゆる「園芸種」みたいなものを移植したわけではありません。ここは私有地ですし、急な斜面なので「花ドロボー」も入りこめません。そのため順調に数を増やしているのでしょうが、、、、、このようなことを書くのは良いことではありませんね。取材したことは団地のホームページや団地新聞にも紹介します。団地の中には花を楽しんでおられる人が多いので、来春は「花特集」を組んでみたいと考えたことです。山ではほとんど見ることが無くなったササユリの花を、団地の中で見ることが出来るのは嬉しいものです。ササユリが見ごろ
広島県安芸太田町の丸山に登りしました。小さな山ですが、骨がありました。とてもいい山でした。丸山
タカ長の山ときどきタカ見と同じ内容です。伯耆大山の想い出を書いていますが、タカ長が初めて大山を縦走したのは三鈷峰から剣ヶ峰、弥山だと思っていました。しかし、それはタカ長の記憶違いであることが分かりました。机の奥の方を探していたら、捨てないでおいた古い山日記が出てきたのです。初めて山らしい山に登った。と言う文で始まる山日記の骨子を紹介します。1960年7月16日18時15分貸切バスで出発。三次・米子経由7月17日2時30分大山寺着仮眠5時45分登山開始夏道を登る8時10分頂上着ガスが巻いてくる時間記録ナシ縦走開始ユートピア着時間が遅れているので三鈷峰には登らない上宝珠越えから砂滑りを通って元谷に下りる画像はネットより借用したものです今では信じがたい気持ちですが、大山の尾根を団体で縦走していたことは間違いありません...伯耆大山の想い出~3
伯耆大山には何度も登っています。伯耆大山は広島から一番近い、アルペン的な風貌を持った山です。だから、タカ長だけではありませんが、広島の山好きは大山に通うことになるのです。その頃の記録は手元にありませんが、3月と9月以外は一応大山に登っているはずです。その中で一番の思い出は昨日も紹介した初めての冬山大山です。その頃、この遭難者のルートを下りて亡くなった登山者がいたはずです。その罠に落ちないためリーダーのKは実に慎重に行動していました。リーダーのKを信頼していたからでしょうか、グレイアウトの状態になっても怖さは感じませんでした。しかし、無事に生還して、大山寺から雲のかかった山頂を見た時には泣けてきました。生還の喜びと山の怖さを教えられた瞬間でした。初めての夏山は三鈷峰から山頂、弥山への縦走でした。三鈷峰で北壁の展望...伯耆大山の想い出~2
先日、古い鳥友から電話がありました。このブログの更新が止まっているけど元気なのか、と言う電話です。このブログの容量がいっぱいになり、これからはタカ長の山ときどきタカ見に引っ越しする、と案内したはずですが、それを見ていなかったのでしょうか?何かにつけてドジをする歳ですから深くは考えません。このブログも写真の枚数を減らせばもう少しは更新できますから、これからは週1くらいは更新しましょうか?タカ長の山ときどきタカ見と同じような内容です。YAMAPからの情報です。正直言うと、アホかぁ、、、、と思いました。突然の吹雪、ホワイトアウト。冬の大山ならそんなの当たり前じゃん。タカ長の知っている冬の大山はいつも吹雪状態です。チョット吹雪くだけで遭難騒ぎを起こすような人は冬の大山に行くなやぁ、、、、と思うのです。右が正規のルート、...伯耆大山の想い出~1
「たった独りの山旅」と言うタイトルですが、寄り道みたいな話題です。たった独りの山旅ではなく、タカカノと二人で行った信州の高原歩きです。昭和40年のゴールデンウイークに信州の高原歩きをしました。証拠物件の写真が残っていました。古くから登山をされている人は記憶にあると思いますが、昭和40年のゴールデンウイークと言えば全国の山で大量遭難が起こった年です。死亡62名重症12名軽症29名行方不明1名その時タカ長たちは菅平高原にいました。前日から天気が悪かったので、少しでも雨が凌げると思い、運よく見つけて東屋みたいなものの下にテントを張りました。その東屋が深夜に倒壊。テントを張る場所が少し違っていたら、死亡者の数字が64名になったかも分かりませんし、運が良くても重症者が14名になっていたかもわかりません。そのように考えると...たった独りの山旅~7
このシリーズを書きながら考えていたことです。たった独りの山旅には賛否両論あると思いますが、それとは別に、独りであるがゆえに人さまから好意を受けたことが少なからずあることが想いだされました。その一つです。甲斐駒ヶ岳を下山したあと余った時間を使って能登半島の最先端まで観光しました。宿泊は民宿。民宿の玄関を開けて開口一番「安く泊めて、、、、」と言うと、対応に出た親父さんから「お兄ちゃん、安く泊めてやりたいけど、うちも趣味でやっているのではないから、、、」と言われてしまいました。あの時の親父さんの言葉は今も耳の底に残っています。玄関を開けた、薄汚れた若者からいきなり「安く泊めてくれ」と言われた親父さんは、ただ同然で泊めてくれと言われている、と思われたのでしょう。当然のことですが、料金を聞くとタカ長の想定内、気持ちよく泊...たった独りの山旅~6
このシリーズを書きながら昔の登山を思い出してみました。ここで書いたように、たった独りの山旅は淋しいものですが、そのようなことを考えながら山を歩いていることは少なかったようです。その頃は串田孫一の影響を受けていたようで、単独行のときはベレー帽を被って、スケッチブックを持って山を歩いていました。そのような時は見るものが多くて、淋しさを感じる時間はありませんでした。楽しい時間ばかりでした。その頃、山を歩きながら楽しいとか淋しいとか、そのようなものとはまったく違った感情を持った経験が1回だけあります。木曽駒ケ岳に登ったときのことです。その日、北沢峠のテントを出発して、仙水峠に登り、摩利支天の岩壁に圧倒されたあと駒津峰をへて無事甲斐駒ヶ岳の立つことが出来ました。その登山のどの段階からか記憶にありませんが、唐突に親父のこと...たった独りの山旅~5
白い雲に憧れて霧まく尾根を行く夢は星空仰ぎ山男カンテラふって山男「雲に消えゆく山男」でこのように歌われているカンテラとは、このランタンだと思います。タカ長の物は処分したので、元山岳部長の登山講座さんの画像を使用させて頂きました。余談ですが、このサイトはタカ長の貴重な情報源、色々なことを勉強させてもらっています。タカ長もこのような屋根型のランタンを使用していました。テント生活で使うことが多いのですが、山径で使ったこともあります。四国の三嶺の稜線。キリが深くて風のない夜でした。このランタンを持って歩くと、キリの中にランタンの柱の部分が黒い影となって現れました。ローソクの明かりの光と影、タカ長の目の前に大きな劇場が出現したようでした。今は明るいLEDのヘッドライトがあるので、ローソクの明かりで山を歩く人はいませんが、...たった独りの山旅~4
広島県の北東部にある比婆山連峰は何度も歩いた山です。その頃、土曜日は半ドン、午前の仕事を終えてから急ぎ列車に乗り、JR比婆山駅から歩いて、比婆山連峰の竜王山の麓にある熊野神社までは長いりロード。熊野神社から山道に入り、那智の滝を過ぎるころには夏でも陽が暮れて、竜王山の山頂近くにある小屋までは夜道を登ることになります。小屋に素泊まりした翌日は竜王山から比婆山、吾妻山へと縦走して森脇に下り、そこからバスで三次(みよし)に出て帰る1泊2日山旅が基本的なパターンでした。タカカノとテントを持って冬の竜王山に登り、山頂近くでテン泊したこともありますし、日本製鋼所山岳部の人と、無謀な(?)スキー縦走をして土地の古老から叱られたこともあります。今から思うと時間的な感覚が合わないのですが、しかし、そのような登山をしていたことは間...たった独りの山旅~3
植村彦次郎に言われるまでもなく、たった独りの山旅は淋しいものです。夕暮れどき、厚い雲に覆われた山に入って行くときなど、登山を止めて逃げ帰りたいような衝動にかられたこともあります。しかし、独りだけの山旅には仲間たちとの山歩きにはないものがあるので、性懲りもなく単独行をしていたのでしょう。半世紀以上前、タカカノと信州を放浪したときに買ったものです。山旅や旅行のとき買った土産物の類はほとんど処分したのですが、これだけは捨てられないで今も部屋の隅に掛けています。山を想えば人恋し人をおもえば山こひ志慎太郎北アルプス柏原新道を登りながら撮った針ノ木雪渓方面の写真です。細かいことを忘れてしまいましたが、百瀬慎太郎がこの方面の開拓に残した功績が大きかったことは良く知られていることです。その百瀬慎太郎のことば。たったこれだけの言...たった独りの山旅~2
コロナ問題があって自由に山に行けないような状況が続いています。自由に行けたとしても、今週は北アルプスで、来週は九州の山、来月は北海道に遠征、、、、と言うような登山が出来るわけではありません。今のタカ長が出来ることは小さな山歩きだけですが、それでもバスやJRを利用するのは億劫で、その小さな山歩きも自由にできない気分です。丘の上の歌姫さん撮影のワンショットです。そこで紙上登山。今は「忘れえぬ山」(串田孫一編・ちくま文庫)などを拾い読みしています。ここに収録されているのはタカ長よりひと時代もふた時代も前の登山ですが、、、、、その中の、植草彦次郎と言うまったく知らない人の「尾瀬の詩」という文章の一節が目にとまりました。山旅も三日目になると疲れてはいるものの、誰にも会うことのない独り旅は淋しく、無性に人を恋うのであった。...たった独りの山旅
今朝の庭です。雪国の空を思わせる暑い雲。寒々とした風景です。今朝も室温が4℃まで下がっていましたが、先日は1.5℃まで下がりましたから、これでも今朝は暖かいほう???今日は予定を入れていません。天気もハッキリしないようなので、本でも読みながら過ごすつもりです。先日higeさんのブログで、山は丹田で歩くと言うことを知り、、、、昨日そのことを意識して歩いてみたら具合が良かったのですが、、、、その感覚を自分の言葉に出来るか、、、、、そのようなことを考えながら炬燵の番をすることにします。今朝の庭
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