大船フラワーセンターでは芍薬が見ごろを迎えている。春の花見シーズンが終わって一息ついているころボタンや芍薬が咲くのだけどついつい見逃してしまって、気が付くと牡丹園、芍薬園は葉っぱばかりになっていることが多い今回もボタンはもう花期を終えていたようだった。「
やがて、むこうに銚子大橋が見えてくると、川沿いに建物が並ぶようになり、船が停泊するようになってきた。17:45に銚子大橋についた。さすがに河口近くでは向こう岸は遙かに遠い。3年後の2017年5月に北側の鹿島方面から来て渡った時の写真を載せておく。河口まではまだ2km
16:32に海から15km地点に着いた。サイクリングロードの舗装はなくなりしばらくは砂利道が続いた。このあたりから利根川はとても幅の広い水路となり両岸に高い堤防がなくなり、堤防上の道もなくなってしまった。16:58に利根川大橋につき、海から10kmとなる。この後は川に沿っ
14:40に香取神宮を出て、再び川筋に戻る。結局2時間近く利根川から離れて遊んでいた。10分くらいで川筋に戻ると海から38km地点だった。その少し先に川に向けて大きな鳥居がたっている。後で調べてみると津宮鳥居河岸といい、川から上陸して香取神宮に参拝するためのものらし
14:20に香取神宮についた。伊勢、鹿島とならんで「神宮」と呼ばれる古い神社で、立派な社殿がたっている。夏の大祓にむけて「茅の輪くぐり」が設置されていた。
佐原は香取神宮の門前町で、歴史的な街並みが保存されており、伊能忠敬の出身地でもある。まず伊能忠敬の銅像のところにやってきた。伊能忠敬は江戸時代に隠居後50歳の時に江戸へ出て測量を学び、日本全国を測量して地図を作った「中年の星」である。そのあと忠敬橋を通っ
利根川サイクリングロードの制覇もいよいよ最終回となった。もう夏の気配のする5月の末の30日、8時過ぎに家を出て、前回の終点の滑河駅に着いたのは11:51だった。もう端午の節句からはずいぶんたっているのに駅近くの空き地には鯉のぼりがはためいていた。 すぐに川沿い
15:30頃に海から60kmの地点についた。60kmならあと1回で河口まで行けるので、夕暮れも近づいたことだし、どこか近くの駅でリタイアすることにした。地図で見ると成田線の滑河駅がいちばん川に近づいている。15:58に滑河駅に着き、16:28の成田行きに乗って帰路についた。成田
さらに30分くらい走ると右に印旛沼方面への水路の分かれ目がある。ここから印旛沼を通って新川から花見川になって東京湾の検見川浜に注いでいる。水路に沿って花見川サイクリングロードが整備されていて、何度か走ったことがある。 上の地点で振り返ると、向こう側に左右
左岸をしばらくゆくと常磐線の鉄橋の下をくぐった先に「小堀の渡し」というのぼりが立っていて船が係留されていた。面白そうだけど誰もいない。左岸はこの先で小貝川が合流してくるので大回りになりそうだ。結局国道6号線の大利根橋まで戻って右岸に渡ることにした。だいぶ
利根川を下る旅の3回目は、だいぶ暖かくなってきた2月28日(金)、成田方面を目指した。前回は川から離れて終わってしまって、右岸はゴルフ場が邪魔しているので、柏たなかの対岸の守谷まで輪行し左岸を川沿いに少し戻って、前回迷ったゴルフ場の対岸から始めることにした。
加須未来館を出て15分くらい走ると東武日光線の利根川橋梁が見えてきた。背景に筑波山が見えている。利根川はこの先で北から来る渡良瀬川と合流する。合流した後すぐに今度は南へ流れる江戸川と東へ流れる利根川とに分かれる。右岸は江戸川になってしまうので新利根川橋で左
出発するとすぐ、国道122号線の昭和橋についた。川の近くに「道の駅はにゅう」があり、一休みして途中で買ってきたパンを食べて昼食にした。 道の駅の川沿いに「川俣締切址」の碑があった。江戸時代より前の古利根川はこのあたりで、主流である南に流れる「会の川」と幹流
2回目は、年が明けて2014年1月19日(日)。前回の続きで、利根大堰から渡良瀬川との合流地点を経て千葉県を目指した。 前回の終点である利根大堰へは、東武伊勢崎線の羽生から利根川を渡った先の川俣からの方が近そうにも見えたが、それよりも羽生から秩父鉄道に乗ると、武
11月の末は日の入りが早い。明るいうちに目的地に着きたいと思っていたのだけど、4時半にはやっと向こうに利根大堰(武蔵大橋)が見えてきた。あたりはすっかり夕暮れの風情である。16時43分、利根大堰のたもとに着いた。今回はここを終点にしたい。利根大堰は、埼玉の穀倉
出発してから1時間半、30km近く走って斉田休憩所で一休み。他にも自転車に乗った人たちが結構休んでいた。斉田休憩所からさらに30分ほど下った五料橋で左岸に渡る。右岸はその先で烏川が合流してくるため堤防上の道が一度なくなってしまうようだ。その先坂東大橋までは左岸
利根川サイクリングロードを走った4回のうち3回は寒い季節である。関東地方の冬は強い北西風が吹くので自転車の走行には向かない。しかし関東地方を流れる利根川、荒川、鬼怒川、江戸川などはみんな北(西)から南(東)に向かって流れるので、これらの川を下る道は冬は追
大正橋から入った所はこんな感じである。なかなか走りやすそうな道に見えた。このあたりの河原には大きな石がゴロゴロしていて、さすがに大河の上流という感じがした。15分ほどで5km近く下って、最初の大きな橋である板東橋の所まで来た。
まず1回目、2013年11月24日(日)朝7時前に家を出て、湘南新宿線と高崎線アーバン快速を乗り継いで、10時56分に渋川に着いた。自転車を組み立てて、駅前から国道17号を通り、大正橋で川沿いのサイクリングロードにはいる。
夏も本番になり、毎日暑い日が続いている。本来、日本縦断の旅のゴールを目指して準備中のはずだったのに、首都圏も北海道もコロナ禍の勢いが止まらず、暢気にサイクリングに出かけるのは難しい。昨年はそれでも近場に出かけていたのだけど、今年は近場が危険な状況なので、
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大船フラワーセンターでは芍薬が見ごろを迎えている。春の花見シーズンが終わって一息ついているころボタンや芍薬が咲くのだけどついつい見逃してしまって、気が付くと牡丹園、芍薬園は葉っぱばかりになっていることが多い今回もボタンはもう花期を終えていたようだった。「
昭和記念公園原っぱ西花畑ではネモフィラが見ごろを迎えていた。御本家?ひたち海浜公園のスケールには及ばないけど結構広い範囲にネモフィラが植えられていて人がたくさん出ていた。
久しぶりに昭和記念公園に行った。こもれびの丘はポピーとカスミソウがいっぱいの季節である。カスミソウの小さな白い花と、ポピーの赤い大きな花の対照が美しい。
平和観音像から見下ろすと一面にツツジが植えられている。ツツジの間の小道に沿って斜面を降りてゆく。ピンクから薄紫の色の花が咲きそろっているが赤い系統のものがまだなのでちょっと派手さが足りない気がする。下りきって見上げるとこんな感じである。もう一週間くらいた
「大人の塗り絵」の本の日本の美しい風景の中に出てくる「塩船観音寺のツツジ」を見に行ってきた。お寺の背後の斜面にツツジの丸いかたまりが点々と並んで夢のような景色に思えて一度行ってみたかった。青梅線の河辺駅で降りると駅前のバス停に人が並んでいた。すぐに来たバ
観光案内所でもらった地図を見て大洲市内を自転車で回ってみた。まず、お城の裏手の肱川沿いに出て川の方からお城を見てみる。肱川ではカヌーの練習をしている人たちがいた。次に川沿いの道を走って大洲赤煉瓦館にやってきた。明治34年に建てられた旧大洲商業銀行の建物で今
松山から次は宇和島を目指すが途中、大洲に寄ることにした。松山を13:30発の宇和海15号に乗って大洲駅で降りる。駅の観光案内所で地図をもらい自転車を借りた。駅から2kmほどで、肱川を渡るとすぐに大洲城の下の広場に着いた。ここでも桜が満開で結構人が出ている。坂道を登
松山駅は新駅を作っていて一応昨年の9月に新しいホームでの営業を開始したのだが、まだ旧駅の遺構が残っていて工事中であった。市電などが通っている東側には旧駅の駅標が残っている。しかし、この建物はもう使われておらず、中に入ると仮の通路が続いていて旧ホームの撤去
一の門、二の門、三の門と通ってやっと天守入口に着いた。姫路城に登るときにも感じたが、国宝の歴史的建造物にこんなに無造作にあがっていいものだろうかと思う。今回2つめの現存天守登城である。小天守越しに松山の町が見える。松山は人口51万6千人で四国第一の都会である
石垣の間をくねくねと登る。各所に説明看板があって、みんな見ているとなかなか先に進まずそれだけで疲れてしまう。まだ、本丸は見えない。立派な現存天守の顔を見ないうちにぜいぜい言っている。 それでも隠門をくぐってさらに上ると最後の門である太鼓門が見えてくる。
ロープウェイを降りると早速石垣が見えてくる。少しのぼると待合番所跡というところにつく。看板の説明文によれば、ここは登ってきた東雲口からの登城道と大手門方面からの登城道との接点で番所があったという。ここから石垣の間の狭い道を上って本丸方面を目指す。この突き
松山城という名のお城はいくつかある。これから行く伊予松山城が一番有名だが、「天空の城」として知られる「備中松山城」をはじめとして全国に10くらいあるらしい。 道後公園前から市電に乗り、警察署前で降りる。地図で見るとここがロープウェイ乗り場に最も近い。ビル
道後温泉から歩いてすぐのところに道後公園がある。道後公園は湯築城跡につくられた公園で、堀や土塁などの遺構が残っている。松山城に行く前に湯築城跡を見ることにした。湯築城は中世伊予の国の守護であった河野氏のお城で、1585年の秀吉の四国攻めによって小早川隆景に
バスで今治駅まで戻り今治駅からしおかぜ17号に乗って松山まで行った。せっかく松山まで来たのだから道後温泉に泊まってみようと思って道後温泉に宿をとった。松山駅から市電に乗って道後温泉駅までいく。宿に荷物をおいて温泉街を歩いてみた。宿にも大きなお風呂があるの
早速、天守に登城した。コンクリート製なので立派な階段があるが、エレベーターはついていなかった。6階建てで各階が資料館になっており、2階には自然科学展示まである。上に登ると瀬戸内海の眺望が開ける。自転車で2度渡ったしまなみ海道の来島海峡大橋も見える。天守を
初日から二つの城に登城し、万歩計もとっくに一万歩を超えて、体力も限界に近かったが、松山に着く前にもうひとつ今治城による予定だった。丸亀駅からしおかぜ13号に乗り、一時間半ほどかけて今治駅に着いた。2009年に来たときは今治駅からバスで糸山公園まで行き、サンライ
現存天守は基本的にバリアフリーなどということは考えらえていないので、階数分の急な木の階段をのぼらないと天守の上につかない。丸亀城は3層だから大したことないけど姫路城や松江城などもう降りてこられないんじゃないかと思うこともあった。 でも天守はその地域の最
呼吸を整えていよいよ登山である。最初からものすごい急坂でめげる。昔の武士は強健であったのだつくづく思う。年をとると上り坂は急激に消耗するのでゆっくりのぼる。すぐに高い石垣が見えてくる。10分ほどで三の丸の広場についた。一休みである。三の丸広場からはきれいな
高松駅から予讃線に乗って一日目は松山まで行く。今回の主な目的地は松山城と宇和島城であるが、その前に丸亀城にも寄りたい。高松駅から特急いしづちに乗って丸亀駅まで行く。大した距離ではないので特急料金がもったいないが、地方の幹線鉄道は特急は一時間に一本あるが各
披雲閣のお庭を通って北側にいくと月見櫓が見えてくる。こちらが現在のお城の北東側にあたる。かつてはこの北側はすぐ海になっていたらしい。月見櫓の南側に水手御門という門があって、ここから直接海に漕ぎ出すことができたという。今は広い道が通っていて海は50mくらい向
今回は歩いてでも行ける地元の名所に行ってみた。我が家の前を通る環状4号線(原宿六浦線)で六浦方面に行き、「八軒谷戸」というどこの田舎かと思わせる名前のバス停で降りると、西に向かって急な登り坂が続いている。その坂道を10分くらい登ると鎌倉カントリークラブのゴル
花菖蒲園は今が見頃で,たくさんの人で賑わっています。
4年前の11月に松戸にある本土寺に紅葉を見に行った。その時に結構広い菖蒲園があったので、また菖蒲の季節に行ってみたいと思っていた。本土寺のホームページには「六月上旬にはは花菖蒲が五千本、下旬に向けて十種類以上の紫陽花が境内中に咲き渡り、その数は五万本以上
清澄庭園にも花菖蒲園がある。大泉水を回り込んだ向こうに涼亭という建物があり、その向こう側に花菖蒲田が広がっている。そんなに規模は大きくないが、ちょうど見頃を迎えている。同じ都立の公園である小石川後楽園と「園結び」というわけである。
芭蕉稲荷から地下鉄の駅の方にもどり清澄庭園を目指した。清澄庭園は、大名の下屋敷だった一帯を三菱の創始者・岩崎彌太郎が買い取り、1891(明治24)年に社員の慰安や貴賓を招待するための庭園として開園した。回遊式庭園で、中央の池である「大泉水」の周りには、全国から
小石川後楽園でもらったパンフレットに「花菖蒲がむすぶ園結び」として清澄庭園が紹介されていたので帰りに寄ってみることにした。後楽園の西門を出て5分くらいで飯田橋の駅につく。長い通路を通って地下鉄大江戸線のホームに行き清澄白河まで行った。 清澄庭園は地下鉄の駅
池に沿って進んで行くと花菖蒲田が見えてくる。花菖蒲田の隣に光圀が造ったとされる稲田が1枚だけあり、ちょうど田植えが終わった所である。回り込んで背景を見ると後楽遊園地のジェットコースターが見えて、ときおりワーッという歓声があがっている。
小石川後楽園に行って花菖蒲を見てきました。水道橋の駅を降りると後楽園球場のドームが見え、ドームホテルが聳えています。交差点をわたって5分ほど歩くと小石川後楽園の入り口につきます。ビルのすぐそばに都心とは思えない静かな雰囲気が広がります。ちょうどバスで外国人
ボタンやシャクヤクは残念ながら花期が終わって葉が茂っている。ピクニックグラウンドでは中央のプラタナスの木が堂々と新緑に茂って立っている。春の花が咲き終わって今は花の乏しい季節にさしかかっている。藤棚の藤もすっかり豆になって垂れ下がっている。鉢で育てられて
バラ園に行く。バラのシーズンである。バラ園ではいつも花の多さに圧倒されて、何を写真に撮ったらよいのかわからなくなる。
久しぶりに大船フラワーセンターに行った。ボタンやシャクヤクの季節も終わり、花壇が夏仕様になって花の少ない時期を迎えている。入り口近くの盆栽コーナーであじさいの盆栽が迎えてくれた。すっかり葉が茂った梅林の下で様々なあじさいが咲き出している。花菖蒲にはまだ早
奥の方にいくと、小山にバラが咲き乱れていた。たくさんの人がバラの間に入って写真を撮っている。高島屋の包み紙のようなローズピンクのバラもあった。赤っぽい花が多い中で黄色いバラもひときわ目を惹く。
30分ほどで吹上会場を後にして吹上駅にもどる。次はバラ園のある川里会場に行ってみることにする。吹上駅から高崎線に乗って2つもどり鴻巣駅で、またシャトルバスを待つ。今度はずいぶん立派なバスがやってきた。バスに乗るとしばらくは鴻巣の町中を通る。結構渋滞していてな
19日の日曜日にこうのす花まつりに行ってきた。大船から上野東京ライン籠原行きに約2時間乗って吹上についた。この日は花まつり期間最後の日曜日なので駅前から荒川河川敷にある会場まで無料のシャトルバスがでている。鴻巣市市政70周年記念「こうのす花まつり」は3つの会場
武家屋敷を回った後お城の北門の近くでオムライスを食べた。オムレツの上にケチャップで「たけるふじ」と描かれていた。青森県五所川原の出身だからだろうか。せっかく新入幕優勝をしたのに今場所はけがで休場とは悲しい。 ゆっくりと休んであとは駅にレンタサイクルを返す
藤田記念庭園を後にして、次は弘前ねぷた村に行ってみた。東北地方の町ではその地域によって異なった「ねぶた」があるそうで、ここでは弘前ねぷたまつりに使われるねぷたの展示と津軽三味線の演奏などが行われている。駐車場に観光バスが何台も止まっていて御賑わいである。
禅林街を後にしてお城の方に戻ると広い通りに突き当たったところに藤田記念庭園がある。ここは弘前市が市制100周年を記念して平成3年7月に開園した日本庭園で、もともと、日本商工会議所初代会頭藤田謙一氏が東京から庭師を招いてつくらせた江戸風な景趣の庭園である。広々と
禅林街の坂道を下ると一番奥に津軽家の菩提寺である長勝寺がある。重要文化財の立派な山門が出迎えてくれる。中は静かな佇まいで、弘前公園の人出が嘘のように人がいない。女の人が一人で草むしりをしていた。長勝寺の右手に広場があって、戦没者の供養塔が建っていた。その
翌日はまたレンタサイクルを借りて、弘前市内を回った。まず、宿に近い弘南鉄道の中央弘前駅に行ってみた。ホームには普通列車が止まっていて、ホーム上ではこけしが出迎えている。しばらく進むと五重塔が目立つ最勝院についた。境内はいろいろな花が咲いていて風情のあるお
夕暮れも近いのでレンタサイクルを返して一度宿に戻り、6時頃にもう一度弘前公園にやってきた。桜のライトアップを見ようと思う。東門の所までバスでやってきてた。今日一日分の花びらがお堀の縁にたまっている。東門の前にかがり火がたかれているが、本物の火ではないようで