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  • 大阪ことばを解説しまひょ パート1

    (道頓堀グリコサインの看板)(2014年以降6代目)現在の大阪弁は昔ながらの船場言葉に第二次世界大戦後摂津言葉や河内言葉に泉州言葉が加わってますんや。ごっちゃになって微妙に表現が変わってしまった感じでおます。だから大阪市内で育った鉄ちゃん爺やとしての印象は最近の大阪弁が下品になってしまったように感じますんや。大阪弁と一括りに表現されていますが鉄ちゃん爺やは「大阪ことば」として話を進めていきたいと思いまぁ。大阪ことば標準語=御寮人(ごりょうにんさま)「ごりょんさん」ごりょうにんさま→にが抜けて→さまがさんに変化したとの説当主の妻を船場の商家では「ごりょんさん」と呼んでいました。大阪では「さま」は手紙やはがきの宛先以外には使用しまへん。「ごりょんさん」って戦後は死語になった感じ、今の若い方には通じない大阪こと...大阪ことばを解説しまひょパート1

  • 由緒ある式内社 高屋神社 我が街の郷土史より

    (我が町内を南北に通る東高野街道)平安時代に作られた金剛生駒山脈の麓を通り現在の河内長野市で西高野街道と合流して高野街道となり、紀見峠を越えて高野山に至る真言宗の総本山・金剛峯寺へお参りするために出来た古道なんですよ。現在は乗用車がすれ違うのがやっという細い道ですけどね。この辺りは高屋集落なので南行きの一方通行になってますんや。(式内社高屋神社)現在は小さい祠だけの村社としてお祀りされていますが平安時代の延喜式神名帳にも式内社として記録される神社です。この辺りは今も昔も高屋という地名で呼ばれていますや。物部高屋連(もののべのたかやむらじ)という豪族が住んでいた。饒速日命の十世の孫にあたる方の後裔と言われてますんや。そんな訳でご祭神は「饒速日命=にぎはやひのみこと」と同じ高屋丘陵に有る第27代安閑天皇の合わ...由緒ある式内社高屋神社我が街の郷土史より

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