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  • 吉川英治『新書太閤記(六)』

    ◇『新書太閤記(六)』著者:吉川英治1990.6講談社刊(吉川英治歴史時代文庫)信長の中国攻略は総大将に秀吉が据えられて他の先輩幹部は複雑な気持ちを抱えて応援に向かう。頑強に抵抗を続けた三木城は秀吉の遣わした官兵衛の説得に応じ城主別所長治、乙戸友行、一族治忠が割腹し、ついに3年近くに及ぶ籠城が終わりを告げた。これには毛利方は慌てた。丹後を受け持つ光秀は次々と小城を陥すものの牙城八上城がなかなか落ちない。秀吉の華々しい中国攻略の戦果を耳にするにつけ、信長の気持ちを忖度する。秀吉は細かなことでもいちいち信長に報告乃至相談していた。「報連相」を欠かさなかった秀吉は「愛いやつ」だったが、秀吉の中国戦線での快進撃に後れを取っていることへの焦りと、信長の不満不信を懸念する光秀では決定的に格差がついてしまったのである。秀吉が...吉川英治『新書太閤記(六)』

  • ジャーマンアイリスが咲いた

    ◇ラスティック・ロイヤリティとガーデンタイムclesterF6細目庭のジャーマンアイリスが咲きました。色や見た目が魅力的で毎年絵に描きますが、雰囲気を出すのがなかなかむつかしく、いつも不満が残ります。ラスティック・ロイヤルティはベルベットとアプリコットの豪華な色の取り合わせが誇らしげです。ガーデンタイムは花弁の大胆なひだひだが特徴。描くのはいずれも咲いてから3日が勝負で間もなく萎れてしまいます。色面構成からすると葉をもう少し色濃くした方がよかったかもしれません。(以上この項終わり)ジャーマンアイリスが咲いた

  • 2021年のトマトを植える

    ◇令和3年のトマト栽培例年ゴールデンウィークの入口あたりに植えていた畑の作物。今年はおよそ3週間早くトマトの定植をした。昨年も待ちきれずに1週間早めたが、今年は2段階に分けて植えた。畑造りは1か月くらい前から始まる。まずは植わっていた小松菜を掘り返し苦土石灰、乾燥剤として使われていた消石灰を取り出して撒く。酸性化した畑を中和するのだが、凡そ1週間寝かせて土になじんだ頃畝を作り、30センチほど掘り返した畑に元肥として牛糞などの堆肥と配合肥料を入れる。また1週間ほどおいて10センチくらいの高さの畝を作り暖かい日の午前中に苗を植える。ポット大の穴を作りたっぷりと水を注ぎ、ポットから苗をを外して植える。(株間30センチ)風対策で仮支柱を立てます。今年のトマトは基本が大玉の「ホーム桃太郎」これが実生の苗9本。接ぎ木の苗が...2021年のトマトを植える

  • 増尾城址公園のビオトープ

    ◇新緑のビオトープを描く150×200mmおとといの日曜日は暖かい陽気で散歩ついでに増尾城址総合公園ビオトープの新緑の風景を0.1mmの水性ペンで描きました。およそ20分。彩色は家に帰ってからです。およそ20分。ビオトープとは動植物が安定して生息できる空間のことで、できるだけ手を加えない自然の生息空間を人工的に作って人間はそっと脇から見守る場所です。未だ柔らかい優しい色合いの新緑ですが、これがあっという間に濃い緑になっていきます。犬を連れた人、ジョギングの人、散歩する人車で仮眠する人さまざまな人を見かけます。(以上この項終わり)増尾城址公園のビオトープ

  • 桐野 夏生の『日没』

    ◇『日没』著者:桐野夏生2020.9岩波書店刊「ヘイトスピーチ禁止法」ができたときに「文化文藝向上促進法」ができた(ただしこの小説内でのこと)。作家であるマッツはある日突然に総務省文化局文化文藝倫理向上委員会なる組織から召喚状を受け、茨城県某所にある療養所に収監される。収監…まるで刑務所に入れられたような印象であるが、扱いはまさに刑務所だった。所長の多田が説明するところではマッツの作品は性的、暴力的場面が多くの批判が寄せられている。作家は偏向した内容の小説を平気で垂れ流し、異常なことを書いて平気で金を稼いでいる。猥褻、不倫、暴力、差別、中傷、体制批判などを無責任に書くから世の中が乱れるという論法である。こうした偏向を正してほしいというのだ。この証のため作文が求められる。反抗的な言辞・行動をとると減点されて拘留時...桐野夏生の『日没』

  • 松本賢吾の『トラップ 罠』

    ◇『トラップ罠』著者:松本賢吾1999.4マガジンハウス刊ハードボイルド小説。舞台は作者松本賢治の作品ではおなじみの横浜。主役は元刑事の秋元。罠に嵌って警察を辞めた一匹狼が事件にしつこく食らいつく。事件の発端は、横浜港に流れ込む大岡川にかかる黄金橋下に浮いた全裸の女性の死体。秋元が刑事になって3年、警官になって8年経っていた。事件は初め事件性を疑われたが、検視の結果覚醒剤と精液が検出されたことから自殺説に大きく傾いた。しかし事件は呆気なく解決した。18歳でシャブ中のゲーセンの店員が自供し血液型も一致したからだ。ところがその3か月後、情報屋の寿町の住人から死体を捨てる男を見たという証言を得た。男というのは深瀬建設の社長の息子だという。深瀬建設というのは秋元が今務めているガードマン会社カモメ警備保障の契約先である。...松本賢吾の『トラップ罠』

  • 水彩で観音寺の牡丹園を描く

    ◇観音寺の牡丹園clesterF6散歩コースの一つとなっている観音寺(真言宗豊山派)。今ちょうど牡丹が花盛りに違いないと出かけた。もちろん写生も目的の一つ。皆さん花の時期を知っていて、結構花を愛でる人がいた。写真を撮る人も多いが三脚などは禁止されている。ほかの人の邪魔になるし、花床を傷めるからだろう。先月寺院に新しい棟が完成し風景が変わった。牡丹園の描き方が何かぞんざいな感じになって反省。人物を3人だけ入れた。ついでに庭の芝桜と、散歩道に咲いていたポピーも描いたのでご覧ください。(以上この項終わり)水彩で観音寺の牡丹園を描く

  • 吉川英治『新書太閤記(五)』吉川英治歴史時代文庫

    ◇吉川英治『新書太閤記(五)』著者:吉川英治1990.6講談社刊(吉川英治歴史時代文庫)第5巻は奇襲奇策をもって出没する越前一向宗の一揆退治。武田軍と信長・家康連合軍の長篠の戦い、中国地方攻略である。信玄逝去から3年。喪明けを期して勝頼は俄然2万5千の兵をもって家康・信長を攻める。勝頼は胆力武勇も類まれではあったが、この3年間の家康の成長と信長の力の蓄積を読み切れていなかった。しかも騎馬軍団と鉄砲の戦では圧倒的に銃中心の家康・信長軍が優勢で武田軍は長篠の戦いにおいて完膚なき敗北を喫した。その後信長軍に攻められた勝頼は天正10年(1582)天目山麓田野にて自刃し武田家は滅んだ。長篠の戦では有名な鳥居強右衛門の逸話が詳細に語られる。何の取柄もなかった下卒の鳥居強右衛門が、城に籠る五百名の窮状を岡崎城に在る家康に訴え...吉川英治『新書太閤記(五)』吉川英治歴史時代文庫

  • 吉川英治の『新書太平記(四)』

    ◇『新書太平記(四)』著者:吉川英治1990.6講談社刊(吉川英治歴史時代文庫)第4巻は将軍義昭の滅亡と叡山の焼き討ち、各地強豪との対立のあれこれ、小谷城の攻防が描かれる。越中の朝倉・浅井を攻めたもののうまくいかず這う這うの体で逃れた信長、態勢を整え浅井の小谷城を攻撃する。浅井・朝倉は大阪の石山本願寺、門徒宗と呼応し、比叡山の僧兵と山に立て籠った。家康の応援を得た信長軍は叡山を包囲し兵糧攻めを期したが背後にある武田信玄が不穏な動きをしてるとの報に接し足利義昭のとりなしをもって当面和睦ということになった。将軍足利義昭は信長のお蔭で将軍の権威を回復し立派な邸宅を建ててもらったあたりから信長が疎ましくなり、武田信玄など諸国の雄にしきりに書簡を送るなど陰険な動きを見せ始めていた。その翌年、信長は再度叡山攻撃を決心する。...吉川英治の『新書太平記(四)』

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