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目を押せば二つに見えるお月様 https://yabunira.blog.ss-blog.jp/

画一的な見方から脱却してみよう。そこに新たな歴史の視点が開けるかもしれない。

Essays on Japanese history trying to get a unique point of view.

おら
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京都府
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2016/01/19

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  • ヤマト王権の成立は七世紀

    考古学的検討と中国文献から、日本の古代は、海峡国家から北九州へと発展したことがわかる。そうすると、卑弥呼の邪馬台国が九州にあったことも確実ではあるが、ここからヤマト王権による統一国家への過程がまだ解明されていない。九州王朝説では「磐井の乱」がヤマトの制覇であるとしているし、「壬申の乱」が王朝交代だと言う説もある。 しかし、二王朝の対決といった構図を確認するにはには、あまりにも痕跡が少ない。これが邪馬台国九州説の弱点だと言える。武器の発達も十分ではないし、文字がなくては統制のとれた軍事組織も作れない。この時代の戦争は、小競り合いの連続のようなものにならざるを得ない。決着には長い年月がかかり、したがって大きな痕跡が残るはずだ。二大王朝の対決には無理がある。 日本の王権が王朝などと言える確固としたものになるのはもっと後代のことだと考えるべきだ。小国の分立が続いたが、これらの小国は時に..

  • 古代の日本は海峡国家

    web版はこちらです。もちろん歴史は原始の時代から続いているのだが、日本の歴史としての始まりは、やはり石器時代が終わり、独得の個性を発揮し始めた頃ということになるだろう。日本に青銅器や鉄器が現れたのは、弥生時代の後半、一世紀頃のことだ。 石器時代から青銅器・鉄器時代への変化を技術史的に見直して見るといろんなことが見えてくる。多くの古代文明は、長い青銅器の時代を経て鉄器に至るのだが。これは、銅と鉄の融点の違いによるものだ。鉄器の使用は炉技術の発達を待たねばならなかった。ところが、日本では、銅と鉄の使用が間髪を入れずに始まっている。 これは金属技術が徐々に発達したのではなく、技術流入があったことを示している。しかし、遺跡からは、1000度を超す高温を発生するような、「ふいご」を備えた炉跡は見つからない。800度程度で銅そのものは溶かせないが青銅なら溶かせる炉、あるいは鉄を赤熱して加..

  • 道鏡事件はなかった?

    中西康裕さんの講演を聞く機会があった。道鏡事件はなかったという大胆な学説だ。道鏡事件は、悪僧道鏡が称徳天皇をたぶらかして、皇位の簒奪を狙った事件だとされている。宇佐八幡宮の神託を偽造したのだが、和気清麻呂が八幡神の正しいお告げをもたらして撃退したという続日本紀の物語だ。道鏡と称徳天皇の男女関係がセンセーショナルに扱われることも多い。しかし、称徳没後も、清麻呂が表彰されたわけでもく、道鏡も失脚はしたが処罰されたわけではない。謎の多い事件である。 続日本紀の宇佐八幡宮神託事件部分は、2つの宣命と、その間に挿入された解説文からなっている。宣命は天皇の声明文であり、書記が記録したものだ。むろん解説文は、後日続日本紀が編簿されたときに誰かが執筆したたものである。 最初の宣命は、和気清麻呂に対する怒りと処罰が述べられている。しかし、後の宣命は、聖武、元明の事績を語り、自己の天皇としての正当..

  • 従軍慰安婦問題

    第二次世界大戦における日本の反省事項のひとつに従軍慰安婦の問題がある。性に関する裏の存在で有ったため、戦後も七〇年代まで取り上げられることがなかった。千田夏光「従軍慰安婦 “声なき女”八万人の告発 」(一九七三年)が問題提起となり、事実が認識されるようになった。しかし、公式な資料の発掘が難しく多くの論争を呼ぶことになった。もちろん従軍慰安婦というのは千田夏光の造語であり正式名称であったわけではない。従軍看護婦や従軍記者などの用語も同じように誰かが作った造語だ。警察の用語としては「陸軍慰安所従業婦」などと言うのが記録に残っている。 慰安所はどの部隊にもあったといわれるが、もちろん公式なものでないから表立った設置規則などはない。これを根拠にその存在すらも政府は否定していたものだ。勝手に業者が戦地で営業していたもので軍は関与していないというのが公式見解だった。しかし、部隊長名で値段を告示し..

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