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  • おのれもペンキぬりたてか・・・・

    わが家では、一番遅かった春の花、赤いツツジが散り始めた。それに代わるように、梅雨の花、紫陽花が花芽をもち始めた。わが家のそれは、樹齢五〇年を超えるが、今のところ15ほどの花の赤ちゃんを確認することができた。もう少し増えると思う。大輪の花をつけるので、咲き揃うとけっこう壮観だ。花芽を数えていたら、葉陰にアマガエルが鎮座しているのを見つけた。この蛙は、慌てて逃げたりせず、人の手にも平気で乗ってくる愛嬌者だ。芥川竜之介に「青蛙おのれもペンキぬりたてか」の句があるが、アマガエルとアオガエルをあまり厳密に区別しないところから、これはアマガエルだったのかもしれないなどと思ったりする。なおこの句は、「おのれ〈も〉」としたところがいいと思う。〈は〉では単なる比喩に終わり、周辺のものみな緑に輝く、あるは梅雨に濡れて光るとい...おのれもペンキぬりたてか・・・・

  • 今年も八十八夜の新茶が届いた!

    ■今年も静岡県に住む姉から八十八夜の新茶が届いた。立春から数えて八十八夜、今年は5月1日だった。■正確いうと、私の姉は数年前に他界しているので、その遺志を継いだ姪から送られてきたものである。■風薫るこの時期は、私にとっては新茶の季節であり、同時に亡くなった姉を偲ぶ季節でもある。■私と姉は、私の生後すぐに生母が亡くなったため、別々の所へ養子に出され、互いに幻の姉弟であったが、40歳を過ぎた頃、姉の方が私の所在を探し当ててくれた。■その意味では、お互いに生涯の半分しか知らない姉弟ではあるが、それだけにまた、相互に特別の感情移入ををもっていて、通常の姉弟とはまた違ったものであったかもしれない。■いずれにしても八十八夜の新茶は、そうした私たち二人を改めて取り結ぶ季節の使者だといえる。今年も八十八夜の新茶が届いた!

  • 大盛況だった「土岐美濃焼まつり」へ行く

    やっと連休が終わった。といっても、ほとんど独居の年金生活者にとっては連休自体がほぼ無縁。TV番組や新聞の構成が変わって、何曜日なのかがわかりにくくなる。一日だけ、家から出た。4日、効果のサークルの人たちとともに、土岐市で行われている(3~5日)「第49回土岐美濃焼まつり」へ行ってきたのだ。JR岐阜駅で、決められた区間内の乗り降り自由な青空フリーパス(2,620円)を購入。東海道線で名古屋、名古屋から中央線で土岐を目指す。他に、岐阜から高山線で美濃太田、そこから太多線で多治見、そして中央線で土岐というコースもあるが時間的には名古屋経由が早そうだ。「日本三大陶器まつり」の一つと銘打っているが、いかほどのものかと想像が膨らむ。土岐駅からはシャトルバス。街の中心部からどんどん離れ、松林の山林地帯をおおよそ15分、...大盛況だった「土岐美濃焼まつり」へ行く

  • 私のメーデーは家事労働 ハイライトは桜ん坊の収穫

    明日、図書館へ返却する書を、昨夜頑張って読み上げてしまったので、今日は終日家事労働。午前は洗濯物と、半年分ほど溜まった瓶、缶、ペットボトル類を分類、袋入れを行い、次の回収日に然るべき場所にもって行けるように。昼食は余り物をまとめて済ます。午後は風呂場の掃除と、最近排水が悪く、途中で引かなくなってしまうので、排水管を掃除する液体薬を流し、しばらく置いてから放水。以前より少し改善したが、どこか先の方で詰まっている。浴槽の湯が5センチぐらいまでは勢いよく排水されるが、その後は目に見えないスピードでゆっくりしか引かない。この配管も、半世紀以上前なので目に見えないところで問題は起きているようだ。配管といえば、昨日は京都駅付近で水道管が破損し、陥没と浸水騒ぎがあったようだが、例の埼玉県の八潮市の陥没事故の方、未だに運...私のメーデーは家事労働ハイライトは桜ん坊の収穫

  • 緊急のお願いです!

    ■私不注意でのメールボックスが壊れ、やり取りしていた方のメルアドも全部消えてしまいました。■これまでメールのやり取りをしていた方、今後ともメールでの交流が必要な方、または新規ご希望の方、これまでの私のメルアド、またはメッセやコメント欄(メルアドの載ったコメントは非公開に致します)の方であなたのメルアドをぜひともお知らせください。■よろしくお願いいたします。緊急のお願いです!

  • 季節は巡るが多忙で対応しかねている。

    新しい仕事を自分で選んだのだから仕方がないが、とにかく忙しい。あれこれ後回しにしている件があって気ばかり焦る。目についたものの写真と説明のみ。クリニックの帰り、多少の足慣らしにと歩いた川沿いで見かけた、八重桜の花筏。少し上流にその木があったが、やはりほとんど散ってしまっていた。川沿いでよもぎの新芽とまだ黄色い柿の新芽を摘んできた。これを天ぷらに。材料費ゼロ。よもぎはほんのり苦みがあって「大人の味」。酒類に合う。柿の新芽はかすかな甘味がある。これもうまい。二本あるツツジの木のうち、白い方はもう終わりかけているが、10日ほど遅れて赤いほうが満開に近づいている。ガレージの突き当りなので、ガレージそのものがパッと明るくなった。サクランボウがもう色づき始めた。収穫するための時間を作らねばならない。今週も老骨に鞭打っ...季節は巡るが多忙で対応しかねている。

  • 紅梅の実とツツジに囲まれて・・・・

    いろいろあって、長いものを書く余裕がない。もっとも、私の長文は今やウザッタイと思われるのみだが・・・・。紅梅の実が今年は豊作か。鉢植えなのに30個近く実をつけている。もう少し熟したら収穫して針で突っついたあと、安いウィスキーに漬け込んで、ロックや水割りにするとけっこうオツな飲み物になる。ツツジは白い方が満開に近づいた。下の写真は見上げて撮ったが、窓は二階の私の部屋。窓へ向けて机を置いているので、読書やPCに疲れ、見下ろすと白い花々が癒やしてくれる仕掛けになっている。ちょっと幸せな気分。紅梅の実とツツジに囲まれて・・・・

  • 初夏の「初」が抜けて・・・・

    暑い!岐阜は三〇度。もういいだろうと、通常の洗濯の他に、セーター、ベスト、半纏などの冬物をマニュアルを見ながら洗う。縮ませたりはしたくない。昼麺も、温かいスープのものはやめてざる蕎麦を作る。左側の器は一応蕎麦湯。蕎麦を手繰ったあと、薬を飲むのに使うなんて、年寄の食事なんてそんなものだ。そろそろ、冷や麦を仕入れてこなくっちゃぁ。初夏の「初」が抜けて・・・・

  • 萌える若葉

    すっかり若葉の季節に。手前は紫陽花、右上は紅梅、中央は南天、左上は花が終わった連翹。木々の向こう側は隣の材木屋さんの土地。そういえば文部省唱歌に「萌える萌える若葉が萌える」というのがあった。https://www.youtube.com/watch?v=FYOtnMaKtug萌える若葉

  • 白い予兆

    「みよちゃん」と名乗る白鳥に逢った。みよちゃんは金具がついたグラスで自分の羽の色のようなミルクを飲んでいて「あんたもお飲みよ」という。戸惑う私に、「もうすぐお別れなんだから」と。あ、そうか、みよちゃんたち白鳥も、もすぐ北へ帰るんだと気づいたところで目が醒めた。起床し、洗濯物を乾したのち、昨夜の雨と今日の日照で白いツツジが開花し始めたのを見る。みよちゃんの夢はこの予兆だったのかも知れない。白い予兆

  • 昨夜の嵐で・・・・

    花発多風雨ハナニアラシノタトエモアルゾ人生足別離サヨナラダケガジンセイダ于武陵「勧酒」より井伏鱒二:訳昨夜の嵐で・・・・

  • 大澤真幸『我々の死者と未来の他者』を読む

    著者の前提は、この国において、未来に関しての悪弊への抵抗、または積極的な提言などの運動が乏しい、つまり、我々に続く世代=未来の他者についての関心が薄いのはなぜだろうということである。彼はそれを、基本的には加藤典洋の『敗戦後論』を受ける形で、我々の死者の弔い方(日本300万人、アジア2000万人)の問題へと遡及し、そしてその結果としての我々の未来の他者たちへの関わりを問題にしてゆく。彼はその問題を、『鬼滅の刃』や『おしん』、太宰治の『トカトントン』、吉岡隆明と鶴見俊輔の「転向論」への構え方と相違、柳田國男の常民論から司馬遼太郎の描く近代の人物像、さらには村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』を題材にしながら論じてゆく。それらの検討の中での「我々の死者」の改めての発見、そしてそれによって浮かび上がる「未来の他者」...大澤真幸『我々の死者と未来の他者』を読む

  • 身辺整理、洗濯、サクランボウ・・・・明日の人生へ

    7日、月曜日は家事労働というか身辺の整理など、身体を結構使った。通常の洗濯をし、それを乾してから、午前中は、自分のデスク周りの整理。自分で買った本、図書館で借りてきた本、献呈などでいただいた本や雑誌などが、百冊近くも無造作に積読(つんどく)状態でなんともならない。それらを、直ぐに必要として読むべきもの、順を追って読むべきもの、いつ読むかわからないが蔵書として置いておくもの、思い切って捨ててしまうもの、などなどを区分し、しかるべく整理。これで一応、「え~っと、あれはどこだっけ?」という状態が多少は緩和した。そこで昼食。山芋の古い在庫(冷蔵庫の野菜室で結構保つので、つい後回しになる)があったのでそれを使った山かけそば。時期が時期だからまだ暖かい方。すりごまを混ぜると、香ばしくなる。午後は、もういいだろうと冬服...身辺整理、洗濯、サクランボウ・・・・明日の人生へ

  • サヨナラさくら、また会う日まで

    一昨日、今年始めて近くのマイお花見ロードを歩いた。私がこの辺に住み出した数十年前に比べ、樹の老化が進み、危険だとして伐採された箇所もあり、だんだんボリューム感が減退している気がする。しかし、それぞれの樹には責任もなにもあるわけではなく、おのが生命を精一杯花に託して咲き誇っている。満開を過ぎ、散り始めていて、今年はもうこれで見納めの感が強い。長く寒かった冬などといわれたが、来てしまえが季節の移り変わりは早く、駆け足で進んでゆく。ところどころに、花筏ができ始めていた。流るるも留まるもよし花筏・・・・だ。サヨナラさくら、また会う日まで

  • 「夜桜お七」と林あまりの短歌

    5日の夜、名鉄岐阜の前での女性の街頭ライブ。珍しく演歌。曲目は坂本直美のヒット曲「夜桜お七」。この歌は歌詞が面白い。作詞者は林あまりさん。濃艶でエロチックな歌で知られている。濡れ場を詠ったものでは、公にはとても紹介しかねるすごいものが何首もある。林さんにしてはとてもおとなしいなと思う歌でも以下のようなものだ。舌でなぞる形も味もあなたは知らない わたしにはこんなになつかしいのにうしろからじりじり入ってくる物の 正体不明の感覚たのしむ右脚をしずかにひらかせ首にかけ ピアニストの指芯に届きぬ文脈は無視して犬のように仕える 振るべき尻尾などないままにまず性器に手を伸ばされて 悲しみがひときわ濃くなる秋の夕暮れ林あまり『ベッドサイド』(新潮社)街頭ライブに戻ろう。それを聴いてからJR岐阜駅まで歩く。バスターミナルに...「夜桜お七」と林あまりの短歌

  • 季節は駆け足で・・・・

    ■遅い春などといわれたが、来てしまえば足並みは早い。■わが家の鉢植えの紅梅はもうすっかり若葉が。■そしてサクランボのなる桜には赤ちゃんの実がびっしり。早くCDをぶら下げないと、ヒヨやムクが熟す前にすっかり平らげてしまう。■連翹も終わったが次のツツジが控えている。季節は駆け足で・・・・

  • ああ!カタリナ・ヴィット(フィギアスケーター)の東独はいま・・・・

    ■31日、NHK総合午後10:00からの「映像の世紀東ドイツの41年」、とても重い番組だが興味が尽きなかった。■昨夏、ドイツを旅し、ベルリンでもどちらかというと東側を見て、また畏友K氏が住むライプチヒでは、東独崩壊の最後のひと押しになった大衆的デモの発祥地、聖ニコラウス教会(バッハのいた聖トーマス教会とは徒歩数分)のすぐ前のホテルに二泊したからである。■ここで何十人かで始まった集会やデモが、やがて何十万人になり、東独各地に広がり、ついには東独41年の歴史にピリオドを打つこととなった。■しかし、問題は現在にこそある。そうして西側に編入された東独だが、労働者の賃金は旧西側より20%ほど低い。しかも最近は流入する外国人労働者との職の奪い合いの中でしか生きて行けない。■そんなことから、いま、旧東独地域では、排外主...ああ!カタリナ・ヴィット(フィギアスケーター)の東独はいま・・・・

  • 自炊生活の限界 ただし究極のSDGs?

    ちょっと忙しいので、最近の自炊生活で作ったものをそのまま載せる。説明はなし。飽きが来ないようにといろいろバラエティに心がけてるつもりだが、こうしてみると同じようなものしか作っていない。まあ、いまさら新しいメニューを学ぼうという気がしないし、作るのに30分以上かけることはしない主義なのでしょうがない。ただし、前日や在庫の余り物を全部ぶち込むので、原材料の無駄は一切ない。これぞ究極のSDGs生活か?自炊生活の限界ただし究極のSDGs?

  • パレスチナ人の女性作家の『とるに足りない細部』を読む。

    パレスチナ人の女性、アダニーヤ・シブリーの小説である。私は初見参だが、すでに国際的にも名を成してる人の作品であるという。小説は一部と二部に分かれている。第一部は1948年に設立されたばかりのイスラエル国家を確かなものにするため、今のガザ地区に近いエジプトとの国境付近に配備された小部隊の部隊長の視点から描かれる。彼の任務は、そのパトロール範囲内に現れるアラブ人を撃退することにある。事件は1949年の8月9日から13日までの4日間に起こったものである。炎熱の砂漠のなか、彼らの任務は厳しい。語り手の隊長は、自分の兵舎のベッドで毒蜘蛛に噛まれ、化膿に至る負傷を負う始末だ。砂漠での探索はなかなか成果を挙げるのが困難だ。しかしある日、泉のあるオアシスのような場所で、アラブ人の集団と遭遇し、銃撃を浴びせる。アラブ人の集...パレスチナ人の女性作家の『とるに足りない細部』を読む。

  • もう一つの100年目を知っていますか?

    ■NHKは今年が放送開始100年で、さまざまな特集で浮かれてるが(NHK関連の方、ゴメンナサイ)、今年、100年を迎えるもう一つのものがある。■それは治安維持法だ。若い方は知るまいが、軍国化する大日本帝國を支えた弾圧の立法化である。■国家意志に反するものはすべてこの法でもって囚われ処分された。作家の小林多喜二や、川柳化の鶴彬のように、起訴や裁判に至る前に、拷問死させられた者も多い。■政治、法律、経済、文化、宗教などなど、あらゆる分野の団体や個人が、この法の名において抹殺された。■その結果があの悲惨極まりない戦争!■ようするに、「電波を使って情報を流させてやるが、それが国家意志の範囲を脱するやいなやこれがありますよ」とヌッと現れた治安維持法。■NHKは「治安維持法生誕」の特集も組んでみてはどうだろうか。もう一つの100年目を知っていますか?

  • 80年前、国民学校一年生以来の友を悼む

    私は1944年から6年間を疎開先の大垣市の郊外で過ごした。そしてそこで、翌年春、国民学校(今の小学校)へ入学した。その時の同級生で、優等生の男の子がいて、その子と仲良くなった。5年生でその地を離れ、岐阜へ戻ったが、彼とは文通をしたり、時には逢ったりもしていた。そしてなんと、名古屋での大学が一緒で、しかも学部やクラスまで一緒になった。ただし、その間のお互いの過ごした過程での違いもあって、別に仲が悪くなった訳ではないが前ほど親密ではなくなっていた。卒業をして別々の道を歩んだが、小学校で5年間を共に過ごしたということで、疎開先の小学校の同窓会員扱いにしてくれ、毎回、呼ばれた。同窓会長は優等生だった彼であった。最後に出席した同窓会はもう30年ほど前で、それ以降は逢っていない。年賀状のやり取りも最近ではなくなった。...80年前、国民学校一年生以来の友を悼む

  • 読書録「ピアノを尋ねて」(クオ・チャンシェン)を読む

    作者は台湾の郭強生(クオ・チャンシェン)。主人公は、子供の頃から天才ピアニストといわれながらも、ピアニストになれず(ならず?)、ピアノの調律師として生きる男性。ただし、性的指向としてはゲイ。舞台が音楽のそれであるから、ピアノのスタインウェイやヤマハが登場するし、シューベルトやラフマニノフといった作曲家も登場する。ピアニストとしては、ライブを嫌い、スタジオ録音しかしなかったグレン・グールドと、逆に、スタジオ録音を嫌い、ライブ盤が多いリヒテルが対象的に登場したりする。また、独自の物語をもったフジコ・ヘミングも登場する。それはまた同時に、孤独のうちに老いてゆく自分との対比の話でもある。原題は「尋琴者」であるが、この琴がピアノであることはいうまでもない。ただし、中国語の「琴」=キンは、「情」=キンにも通じ、ピアノ...読書録「ピアノを尋ねて」(クオ・チャンシェン)を読む

  • 岐阜に春を告げる大阪フィルの熱演を聴く

    久々にクラシックのコンサートへ出かけた。岐阜サラマンカホールでの大阪フィルハーモニー岐阜定期演奏会で、今年で48回を迎える。この内、半分近くは行ってるような気がする。毎年、三月に開催されるので、岐阜に春を告げるコンサートなどといわれている。定評のあるコンサートなので、ほぼ満席状態だった。このコンサート、最近は演奏前にプレトークがあり、曲目や演奏家に触れた話が行われる。今回は、音楽評論家の奥田佳道氏が、開演前の指揮者・広上淳一を引っ張り出していろいろ訊くというスタイルで、写真で、黄色いシャツのほうが指揮者広上氏である。スタイルもそうだが、なかなか茶目っ気というかユーモアの精神の持ち主とみた。さて、演奏の方の前半は、シューベルトの「交響曲第5番変ロ長調D.485」で、弱冠19歳(とはいえたった30年の生涯であ...岐阜に春を告げる大阪フィルの熱演を聴く

  • 満開を迎えた紅梅と桜

    前にも書いたが、うちには亡父譲りの紅梅の鉢植えと、サクランボウのなる早咲きの桜がある。例年だと梅が一〇日または二週間ほど先行し、それを桜が追いかける展開である。ところが今年は、この冬の寒さのせいか、桜の開花が先行した。これは私も初めての経験であったが、何かで、桜の開花は温度というより、日照時間の変化に反応すると読んだことがあるので驚きはしなかった。で、結果としてどうなったかというと、今日、3月14日、両者揃ってほぼ満開を迎えた。梅の方は、周辺に馥郁とした香を撒き散らせているし、桜の方は、これだけびっしり花をつけると、5月に実るサクランボウの豊作が期待できる。「花の命は短くて・・・・」だから、この満開の時期をしっかり受け止めて楽しみたい。満開を迎えた紅梅と桜

  • 映画『アノーラ』を観る カンヌとアカデミー映画

    久しぶりに映画館で映画を観た。ひところ、一日に3本の映画をはしごし、年間70本以上を映画館で観たこともあったが、いまとなってはあの頃はまだまだ若かったなぁ、という詠嘆に繋がる思い出になってしまった。観たのはショーン・ベイカー監督、マイキー・マディソン主演のロマンティック・コメディ(?)『アノーラ』。新聞などのメディアの報道では、ニューヨークのストリップガールの物語となっているが、もろにセックスワーカーの話である。ほとんど全裸に近い衣装(?)の女性が待ち構える店へ飲みに(?)来る男たち。双方の話(=取引)がまとまれば、「特別室」で「こと」が行わせる。アノーラはその店に出ているセックスワーカーである主人公の名前だが、通称はアニーで本人もそう自称している。そこへ現れたのはロシアの大富豪(新興成金=オルガルヒ)の...映画『アノーラ』を観るカンヌとアカデミー映画

  • パウル・クレー展を観てきた!

    やっと行くことができた。愛知県美術館で開催中のパウル・クレー展である。このチケットを旧知のIさんからいただいたのはもう随分前であった。それから何度か名古屋へ出かけたが、それぞれ所定の会合などで、それと抱き合わせで観にゆくには時間が早すぎたり遅すぎたり、あるいは可能であっても窮屈な時間であったりして無理があった。この度は、会合などとは関係なく、これを主体にしたスケジュールを組んだ。正直言うと、映画との取り合わせ(映画については別途書く予定)であったが、共にゆったりした時間の中で鑑賞することができた。このクレーの絵画の一部については、モンドリアンのそれと同様、大胆不敵と叱られるような思いをもったことがある。どんな思いかというと、これなら俺にも描けるというまさに不遜極まりないものであった。これのみ、モンドリアン...パウル・クレー展を観てきた!

  • やっと紅梅が開花。桜は二分咲き。

    亡父の鉢植えの紅梅がうちへやっきて三〇年余、紅梅の開花後、一〇日ないし二週間で早咲きの桜が開花するのが例年であった。しかし、今年は寒さで梅が佇むなか、桜の開花が先行するという初めての珍現象が現実になったことは先日述べた。以下の写真は3月6日の紅梅と桜。それに刺激されたわけでもあるまいが、その紅梅がやっと一輪のみ開花した。桜の方は早いものでもう二分咲きといったところだろうか。励まし続けた私に、紅梅がいう。「来年はちゃんと先に咲くから・・・・」「来年まで生きていたらそれを確認しよう」と、いう私。行きつ戻りつしながら春はやってくる。三寒四温という言葉を思い出した。やっと紅梅が開花。桜は二分咲き。

  • ほんとうに逆転してしまった! 桜は開花、梅はまだ。

    うちには、サクランボが生る早咲きの桜と、亡父譲りの紅梅の鉢植えがあって、今年は梅の開花が遅れていて桜のほうが早く開花するかも知れない・・・・と書いたのは昨日のことだった。そして今日、3月3日、岐阜は午前中雨だった。上の写真の通り、梅はかなりほころんでは来たが、開花には至っていない。そして午後、桜の方を見たらなんと一枝で開花しているではないか!まさかと思いながら昨日書いたことがほんとうに実現してしまった。亡父から紅梅の鉢植えを引き継いでから31年、こんなことははじめてだ。両者ともに例年より遅れているのはこの冬の寒さのせいだが、それが梅の方に多くの負担をかけたかのようだ。ただし、随分前だが、冬が寒くとも桜の開花はそんなに遅れない、それは桜は気温より昼夜の日照時間の変化に反応するからだ、と書いてあるのを読んだこ...ほんとうに逆転してしまった!桜は開花、梅はまだ。

  • 寒暖が抑え急かせる梅桜(川柳) わが家のそれを昨年と比較する

    今年の冬は寒い。ここしばらく緩んだかと思ったら桃の節句は関東平野も雪だという予報、寒さがぶり返す模様だ。人間は、そうした自然の変化に逆らってその衣服を変え、エアコンを使ったりするが、野生の自然はその変化に忠実に従う。だから、梅祭りに行ったが梅があまり咲いていなかったといって梅を責めるわけにはゆかない。では、暖かかった昨年の冬と、寒かった今年とではどのくらい違うのかをわが家の鉢植えの紅梅と早咲きの桜ん坊の生る桜(ソメイヨシノではない)とで比べてみよう。データは私の写真帳からである。まず最初は、昨年2月7日の梅と桜の蕾である。梅はほころび寸前である。そして昨2月10日、梅の開花が始まった。1週間後の2月17日にはほぼ満開状態になった。一方、桜の方も昨2月24日には開花寸前になり、残念ながら開花日の記録はないが...寒暖が抑え急かせる梅桜(川柳)わが家のそれを昨年と比較する

  • アメリカは今? 前嶋和弘『キャンセルカルチャー』を読む

    本書のタイトルは『キャンセルカルチャー』となっていますが、キャンセルカルチャーそのものというより、それ以降、アメリカで起こってる凄まじい分断の様相を描いています。発行は2022年秋で、バイデン時代になりますが、読み進めるうちに、昨秋の選挙結果に見られるように、トランプが復活してくる背景が見えてきます。もちろん著者がそれを予告しているわけではないのですが、そこに描かれている状況は、なるほど、トランプ復活も無理ないなと思わせるものがあるのです。実は私、いま印刷所で形をなそうとしている所属の同人誌に、それと関連することを書いたのですが、この書を読んでいたらもっと深堀りしたことが書けたのにと悔やんでいます。キャンセルカルチャーは、これまである種の権威や評価をもっていた特定の人物や団体、あるいは事柄が、実は好ましく...アメリカは今?前嶋和弘『キャンセルカルチャー』を読む

  • なんでもない日記 ある日名古屋へ

    JR岐阜駅ウッドデッキから駅舎をみる車窓から岐阜のランドマーク金華山山頂に岐阜城先日、名古屋での読書会に出発。岐阜からJR,、快速で18分、普通で25分。だいたい普通を選んで乗る。普通は岐阜発で楽に座れるし、25分で多少の読書もできるからだ。JR名古屋駅付近は人で溢れ、さほど安くない飲食店に行列も名古屋駅から会場に向かう途中の「財布レス」ホテル。無料か、カードや電子マネー以外受付禁止かと思ったらサイプレス(cypress)だった。意味は糸杉、悲しみの象徴だという。だからゴッホの糸杉は満天の夜空にそびえていても淋しいのだろうか。名古屋近くのレンタルルームで読書会。黙読後の解釈、感想の交換。今回読んだ歴史的事件に関する部分は、リアルタイムで経験していたのは私のみ。だからといって、自体をもっともよく理解しうるの...なんでもない日記ある日名古屋へ

  • AI によるゼレンスキー評価 Chat GPT と DeepSeek

    ロシアのウクライナ侵攻から3年が経過した。米大統領がトランプに代わり、情勢も変化してきている。それとは直接関わりないが、渦中にあるゼレンスキー大統領についての評価をAIに訊いてみた。以下は米製のChatGPTと中国製のDeepSeekに対し、「ゼレンスキーをどう評価しますか?」という同じ問いを発した結果である。問いに対する画面に出たままを載せるが、ChatGPTの後半のぶつ切りになっている箇所は、私の転載ミスではなく、その回答の表記のままである。どちらの内容が正しいかはともかく、回答の形式的整合性ではDeepSeekの方が優れているようだ(中国製だからロシア寄りの評価ということもなさそうだ)。ただし、私のChatGPTが古いバージョンである可能性もある。いずれにしても、まずは停戦。その後の具体的諸事項は、...AIによるゼレンスキー評価ChatGPTとDeepSeek

  • まだまだ咲かない。

    今年は本当に寒い。上が昨年の今日の紅梅の鉢植え。下が同じ紅梅の今日。まだまだ咲かない。

  • 逃亡、脱出が生きるために必要な人たち

    ■日曜午後9:00からの「NHKスペシャル臨界世界ONTHEEDGE生か死か難民たちの”ゲーム”」が凄まじかった。■それがあることを薄々は知りながら、避けて通りたい世界の現実。■多くの人たちが、祖国の悲惨さ、政治的抑圧の中で難民化し、自由な生活を求めて主としてEU圏を目指す。■しかしそこには、数々の国境という難関、しかもそれら難民を排除し、消滅させることも辞さない警備陣が控えている。■それらの難関を突破することを謳い文句にする「運び屋」という闇ルートの商売人たちがいる。■彼らが確実に目的地へ届けてくれる保証はない。しかし、その彼らにすがることなく窮地から脱出できない現実。■運び屋はその折々の相場に応じて金額を設定し、それを支払う者を「脱出ゲーム」に゙参加させる。■アジアからの脱出のルートはトルコ経由のバル...逃亡、脱出が生きるために必要な人たち

  • 気がつけば私も囚われ者

    毎日、就寝前にスマホを充電することにしている。昨夜もそうした。午前はPCでメールのチェックをしたり、SNSで応答が必要なものを確認したりした。昼頃、スマホの方のチェックをしようとした。しかし、その画面は暗いままだ。あちこちいじっていたら、薄っすらと電池のマークが出てきて、その残量が細い線ぐらいしかなく、数値は0.1%でとても使えないことが判明。明らかに充電の失敗である。あるいはバッテリーそのものの故障か。もう一度、充電のケーブルにつなぎしばらく待つ。事態の改善はまったく見られない。ジタバタするのは諦めて、近くのソフトバンクに走る。予約制でしか応対してくれないのだが、たまたま次の予約客が来ていない社員がいて、話を聞いてくれる。そして私のスマホを持って行って自分のデスクで何やらゴソゴソ。しばらくすると戻ってき...気がつけば私も囚われ者

  • 転んではいけないのに転んでしまう・・・・これが老人。

    私のように80代も後半に差し掛かった老人が激しく転ぶのは、下手をすると命取りで、寝たきりになる可能性があるということはじゅうぶん知ってる。だから日頃、それなりの注意はしている。だが、知っていることと実際にそうなってしまうこととはまた別の問題で、洗濯物を干し終わってホッとしたあと、ほんとにちょっとした段差に躓いて激しく転倒してしまった。下は荒打ちのコンクリート。宙に浮いた身体を支えたのは両手と右膝の三点。そして見事、その三点で負傷した。いずれも打撲プラス擦傷。一番軽いのは右膝。転んだ瞬間痛かったが、やがてそれも治まり、ああ、骨などにも異常がなくてよかったと安心した。しかし、後刻調べたら下着に薄っすらと血が。やはり擦傷があり、そこから少量だが出血。ついで左の親指の付け根あたり。当初の出血はここが一番ひどく、テ...転んではいけないのに転んでしまう・・・・これが老人。

  • 久々に30センチ以上の大ニシンを・・・・

    昔はよく、魚屋の店頭やスーパーの魚売り場に並んでいた大型のニシン、どういうわけか最近はあまり見かけない。もちろん大衆魚であるが、これが好きで見かけると買っていた。最近でも出ないことはないが、20センチ以下のひょろっとしたもので、その割に結構値がついていたりする。それでも買っていた。久しぶりに大ニシンに出会った。300円と価格も手頃。即ゲット。塩焼きにする。うちのグリルにはやっと入る大きさだ。アジの塩焼きぐらいなら6~7分で焼けるが、大きいので10分に設定。大きさもあるが、イワシ同様、腹を出さないでの丸焼きだから、内臓にも火が通るようにする。焼き上がる。見たとこちょうどいい具合だ。酢醤油におろしショウガを添え、それをつけて食べる。楽しみは腹の中だ。当然のことだが、メスなら数の子、オスなら白子が入っている。白...久々に30センチ以上の大ニシンを・・・・

  • 【中国製AI (deepseek)に訊いてみました】

    ■私の問い「トランプ大統領の関税政策についてどう思いますか?」■以下がその回答です。トランプ大統領の関税政策については、賛否両論があります。以下にその主なポイントをまとめます。*肯定的な見方1)国内産業の保護関税をかけることで、安価な外国製品からの競争を減らし、アメリカ国内の産業を保護する効果がありました。特に製造業や鉄鋼業界にとっては有利に働いたとされています。2)貿易赤字の是正中国などとの貿易赤字を是正するための手段として、関税政策が有効だったと考える人もいます。交渉の切り札として使われ、一部の国との間で新たな貿易協定が結ばれました。3)雇用創出一部の産業では、関税によって国内生産が増え、雇用が創出されたという報告もあります。*批判的な見方1)消費者への負担増関税によって輸入品の価格が上昇し、その結果...【中国製AI(deepseek)に訊いてみました】

  • 雑感二題

    【その一】石破さん、トランプ大統領との会見をそれほど急ぐ必要はありませんよ。その就任前にもう、安倍昭恵さんとの間で日米関係の大綱は決まってしまっているのですから。【その二】■人間は宇宙の彼方へロケットを飛ばすことができる。■物質を究極の単位まで分割することもできる。■AIのように個々の人知を超える知の体系を生み出すこともできる。■なのに、穴へ落っこちた人を一週間も助け出すことが出来ない。雑感二題

  • 実際にあったこと

    どういうわけか右の目から涙が滴り落ちる頬を伝いポタリと落ちるツツツツーッと流れ落ちたりもする世界の半分が悲しいのだろうかどういうわけか左の鼻から血が流れ落ちるティッシュの数枚はみるみる真っ赤泉のように湧いてくる世界の半分は悲惨なのだろう*右目の涙、左の鼻血は事実です。実際にあったこと

  • その盛衰物語 JR岐阜駅と名古屋駅

    2月の初め、今年何度目かの名古屋。岐阜の県都、JR岐阜駅から快速で18分、普通で25分。この近さが岐阜を名古屋の衛星都市にしてしまった要因の一つだ。折しも土曜日とあって、名古屋駅やその周辺の雑踏に目を見張る。岐阜駅のあの静かな佇まいとはまったく異なる群衆がわんさかといる。私が岐阜駅周辺で見た人たちのほとんどは、ある用件によってある場所へと移動するひとたちであった。むろんそうではない人も若干はいただろうが。しかし、名古屋駅周辺の雑踏の中の人たちは必ずしもそうではない。所定の会合にはやや時間があったので、名古屋駅周辺の人混みのなかをしばらく歩いてみた。用件をもって特定な場所へ急ぐ人もかなりいたろうが、その歩行などからして、とくに急ぐわけでもなく、どこへ行こうかと選択しながら歩を進める個人、カップル、仲間うち、...その盛衰物語JR岐阜駅と名古屋駅

  • トランプのDEI 廃止とLGBT の危機 抑圧と排除の始まり?

    トランプが大統領に就任して以来、矢継ぎ早にさまざまな政策転換を表明し、大統領令に署名したりしていますが、そのなかにあまり目立たないせいかサラッと報道されたのみであまり問題視されていないものがあります。その一つが、DEI政策を廃止するというものです。DEIとは、多様性・公平性・包括性を重んじようとするもので、多様性とは職場や公的組織のなかにさまざまなアイディンティティをもつ人たちを受け入れてゆこうとするものです。ようするに、民族やジェンダー(社会的性別)、宗教、年齢、社会階級などの相違を排除や序列の条件とすることなく受け入れてゆこうとするものです。公平性はこれまで社会的格差や歴史的格差の中で不利な立場にあった人びとにも公正で公平な立場を保証しようとすることで、また、包括性とは、こうした多様性、公平性を組織の...トランプのDEI廃止とLGBTの危機抑圧と排除の始まり?

  • 今年初、岐阜県図書館へ

    22日午後、この時期にしては温かいと思われるなか、県図書館へ。4冊を返し、3冊を借りる。返した4冊のうち、1冊はペラペラットめくっただけで、これはまた次の機会でいいやと読んでいない。著者に申し訳ない。ゆっくり読める時間が出来たらまた借りますから、お許しを。最近読書能力がどんどん低下している。読むのが遅い、少し経つと睡魔が襲う。ノートを取りながらはもっと面倒だ。最近、PCへの音声入力でノートを取るが、その不完全性から、後で読み返してわけのわからないこともある。難儀なもんだ。返却日は2月12日。さてそれまでに読み終えることができるかどうか?黄色いミニバスの向こうは県美術館県図書館正面玄関気候がいいときには散策する中庭今は寒椿以外花がない本を選び、立ち読みも少しして外へ出たらもう夕景になっていた今年初、岐阜県図書館へ

  • ご無沙汰しています。生きていますよ。

    このブログの更新も1月10日以来ということだからずいぶんサボったものである。これは用心すべきだろう。私の歳になると一體週間もご無沙汰するとあいつもとうとうくたばったのかということになりかねないからだ。今回、長い空白ができてしまったのは、所属している同人誌の締め切りとその校正、さらにはそれと並行して、ちょっといたずらごとのようなことをしていたからである。いずれにしてもかつてはそうしたようなこともしながらも、まぁまぁこまめにブログを更新できたのだから、その点では年齢による私自身の能力の劣化といわれても致し方あるまい。ただし、この間何もしてこなかったわけではない。それなりに書も読んだし勉強会などの集まりにも参加した。とりわけこの勉強会では、フェミニズムの最近の動向とりわけ雑誌「情況」昨秋号が特集したトランスジェ...ご無沙汰しています。生きていますよ。

  • 【初冠雪】

    ■目覚めたら一面の銀世界。10センチほどの積雪か。豪雪地帯なら降った中に入らないかも。■農協の朝市へ行くつもりだったが、路面も関節しているし、まだどんどん降っているので急遽中止。■私のポンコツ軽ではとても歯が立たない。野菜のために命を賭ける必要もあるまい。【初冠雪】

  • 【止まらない連戦連勝】

    ■大谷くんや藤井くんの話ではありません。私のことです。■わが家の洗濯機、古いので乾燥機能があまり良くなく、すごく時間がかかる割に乾かないのです。■ですから、天気の悪い日には近くのコインランドリーで乾燥のみをしてきます。■洗濯物の量からして一日おきにしてるのですが、今年は今日で5回目。■この間、けっこう寒く、小雨模様の日もあったのですが、それがどうでしょう、洗濯物の乾燥については連戦連勝なのです。■なぜか?ですか。そんなもの決まってるでしょう。ひとえに私の心がけがいいからです。【止まらない連戦連勝】

  • 平穏な三が日とシューベルトのピアノ曲

    とりわけこれといったこともない平穏な三が日であった。ほぼ書き上がった原稿をチェックしながら久々にシューベルトのピアノ曲を聴いている。弾き手は昨年亡くなったマウリツィオ・ポリーノ。私より4歳若いのに。曲は作品番号D760(op.15)の「さすらい人幻想曲」とD845(op.42)のピアノソナタ16番。両曲ともに、ある種の激しさと優しさが交互に現れてくる。それらが後期ロマン派のように滑らかに融合しているというより、まさに交互に表現される。彼をロマン派に数えるのが普通だが、その意味ではやはり、ベートーヴェン直後の移行期にある作曲家とみたほうがいいかもしれない。もって回った表現よりこうした直裁的なものが性に合っているせいか肌に染みるように聴くことが出来た。ただし、優しい部分はあくまで優しく、ポリーニの演奏はその辺...平穏な三が日とシューベルトのピアノ曲

  • お年賀です。

    お年賀です。

  • ふ〜っ、やっとおせちが出来上がった。

    おせちも年々、しんどくなってくる。練りものが多くなったのは、手抜きもあるが、もらい物があったから。いずれにしても、全盛期に比べるといろんな面で衰えや見劣りが。お正月さん、勘弁してくんろ。あ、そうそう、忘れるところだった。どうか、皆さん、良いお年をお迎えください。ふ〜っ、やっとおせちが出来上がった。

  • 門松の代わりに・・・・なってるかなぁ?

    正月に門松を立てる風習はうんと少なくなった。かつては、役場など公の建物にはほとんどといっていいほど立てられていたし、個人の住宅でも一軒家などではけっこう立てていたものである。わが家は一軒家でここに建ってから半世紀以上になるが、その半世紀ほど前、何回かにわたって門松を立てたことがある。それは見栄でもなんでもなく、亡くなった連れ合いがこの地区でもまあまあ名のある学習塾を経営していたからである。そのうちに、日本全国で門松に使う松竹梅の需要が膨大になったのか、お上からの倹約令のようなものが出て、門松の代わりにこれをというので、門松の絵を描いた縦長の紙が配られたりした。こんなまがい物を貼り付けたって・・・・とこれを機会に門松もやめ、そのキッチュな張り紙もやめにした。それ以後の正月の玄関先であるが、なにもないのも寂し...門松の代わりに・・・・なってるかなぁ?

  • やっと年の瀬超え作戦を開始する

    師走もあと五指に足りぬ頃となった。今頃やっと年の瀬超え作戦の開始。怪しげな空模様のなか、洗濯物を乾し、農協の朝市へ。おせち用と正月期間中の野菜を買い込む。ついで業務店専用食品店アミカへ。それでもなお足りぬものを求めて一般のスーパーへも。やっと百合根を入手。これでなんとかおせちの材料は整う。私のそれは、海なし県岐阜は西濃の農家に代々伝わる田舎料理のアレンジ。だから、エビ・カニの豪華なものはなし。海産物はカヅノコとタツクリぐらい。三店舗回るだけでけっこう疲れる。帰宅し荷解き、収納。漬物など、いまからでないと正月に食べられないものを仕込む。赤カブ、白カブの各甘酢漬け、これは人参と大根の膾(なます)の代わりだ。白菜は、乾して樽漬けは間に合わないかもと思い切り漬けにした。夕刻、赤カブの酢漬けをチェックしたら、輝くよ...やっと年の瀬超え作戦を開始する

  • テンプラーメン?

    ■天ぷらそばや天ぷらうどんがあるなら、天ぷらラーメン(略してテンプラーメン)があってもいいじゃないか・・・・などという積極的な意味はなく、ただ昨夕餉の天ぷらが余ったのでラーメンにしてみた。■ごぼ天に玉ねぎ天、それにとり天、他の野菜はキャベツと白菜、薬味としてネギと柚子。■天ぷらの衣に出汁がしみるのは天丼などと同様うまい。■「テンプラーメン」、私の独創と強弁するつもりはない。きっと、もっと本格的なのがどこかにあるはずだ。テンプラーメン?

  • 師走 私の食事から

    なんやかや忙しいので、写真とキャプションのみ。コンセプトは手元の在庫の取り合わせで簡単にできるもの。*鶏もも肉ソティ入りうどん*ラーメンスープは各種煮物の残った出汁をアレンジしてみた*小カブ葉も一緒に漬けた*ある夕餉少しの贅沢上左から小カブ漬けあんこうの肝(ナマから調理)マグロ山かけ下左から菊菜おひたしすりごま汚し真サバ塩焼き(あん肝は240円マグロは短冊で250円あん肝の上は自家製紅葉おろし)*けつねうどん*ある夕餉その2上左から里芋味噌煮厚揚げカレー風味煮下左からコロッケ(キャベツ千切りが下に)豆腐納豆和え(買い物に行くつもりがすっかり暗くなってしまったので非常用に常備の冷凍コロッケを)*五目あんかけ蕎麦寒い折はあんかけが重宝最後まで暖かく食すことができる*焼きそばソースは控えめにして、薄口醤油を少々...師走私の食事から

  • 最近の食の話題二つ キャベツと弁当

    ▓夏場の日照りがいまなお尾を引いているとかで、野菜が高い。やや落ち着いてきたとはいえ、キャベツが一玉400円を超えたりした。節約しながら使っていたが、近くのドラッグストアで、やや小玉だが一玉99円のものが!すかさずゲット。もう一玉ぐらいと思ったら、「おひとリ様一個限定」と赤い文字が。五個ぐらい残ったうちから、大きくて巻きがしっかりしたものを買う。写真がそれだが、この外皮、これぐらいなら捨てはしない。少し湯がけば、焼きそばの具や、野菜炒めのなかでも使える。▓最近の弁当。上から小松菜のゴマ汚し、ニンジン煮付け、京揚げ、鶏もも肉スキ煮、卵焼き。最近の食の話題二つキャベツと弁当

  • 今どきの話題二つ 韓国&落葉

    【韓国の民主主義】以下は、韓国の今回の事態について、私の友人があるSNSで触れていた記事について、私がつけたコメント。この友人もまた韓国での民主主義機能派。=============================今回の事態を指して韓国の後進性をいい立てるような叙述に出会うが、これは完全な間違い。韓国では日本と異なり、三権分立がちゃんと機能していて、司法が行政をチェックすることが多いが、日本では安倍夫妻の森友への肩入れ、安倍、萩生田の加計学院問題への介入もお構いなしどころか、民間からの告訴も門前払い。また韓国では今回のような事態には何十万単位の民衆が国会へ駆けつけ、意思表示をするが、日本でそんなことは1960年にあったっきり。日本の民主主義と称するものは、敗戦後、米占領軍によって上から形式的に与えられたも...今どきの話題二つ韓国&落葉

  • 24歳で夭逝した詩人、藤田文江全集の刊行によせて

    SNSのMIXIの全盛時代からお付き合いのある畏友・谷口哲郎氏から、文字通り渾身の力作である書籍をいただいた。書名は『藤田文江全集』。1908年から33年とわずか24歳の短い人生を駆け抜けたこの詩人は、生前、1冊の詩集(『夜の聲』1933年)を残すのみであった。しかもその詩集の初刷り300部は、彼女の通夜の席に届くという劇的な生涯であった。もちろん、今回の全集にはその『夜の聲』はまっさきに収録されているが、その他の彼女の作品や散文、手紙などは、当時発刊されていた各詩誌などさまざまな媒体に発表されていて、このままでは散逸は免れがたいものであった。それらを長い年月、全国津々浦々まで足を伸ばし、収集し、一冊の冊子で目にすることができるようにしたのが谷口氏の今回の仕事であった。氏によって集められたそれらの諸資料は...24歳で夭逝した詩人、藤田文江全集の刊行によせて

  • 【踊り串と飾り包丁】

    ■先般、魚の踊り串について書いたら、調理をする人から意外と反応があったので続きを。■断っておくが、私は居酒屋業に携わっていたが調理師ではない。だから、一緒に仕事をした板場の作業の見様見真似にすぎない。■最初はカマス。二尾並んでいるが、手前のほうが魚がよく踊っている。しかしやや問題がある。■カマスが焼き上がったもの。問題があるといったのは、斜めに入れた飾り包丁(これ自身、身をほぐして食べやすくする作用がある)が深すぎて、右の方に汚れが出てしまったこと。■ついでカレイ。魚屋で捌いてもらったのだが、エラの処理など表にも深い傷を残しているのが気になる。■焼き上げる。やはりエラの部分が必要以上にえぐれてしまった。■クロスに入れた飾り包丁がきれいに焼き上がらなかったのは、魚の鮮度が刺し身になる程度に良かったからで、鮮...【踊り串と飾り包丁】

  • 久々の自作弁当公表

    自作弁当の久々の公表。おかずは上から、白カブあっさり煮、ついで削った皮を上にしたためわかりにくいがカボチャ煮付け、赤ウィンナー、鶏もも肉ソティ、卵焼き。ご飯は、岐阜県産米ハツシモ。自己採点、81.6点。ちょっと甘いか?久々の自作弁当公表

  • 岐阜の夜景 JR岐阜駅のイルミネーション

    岐阜に住んでいながら岐阜の夜景を見る機会は少ない。岐阜駅南方の住宅街(数年前までは半ば田園地帯ともいえたのだが)に住んでいるが、年齢とともに夜間の外出を控えているせいもある。また、学生時代や働いていた頃はず~っと名古屋だったので、いまでも名古屋のほうが人脈が多く、夜に至る会合などはほとんど名古屋だからである。その意味では、名古屋の夜景を見る機会のほうが多いといえる。昨日は、久々に岐阜の中心部近くで会合があり(名古屋からの出席者も)、限られた範囲とはいえ、岐阜の夜景に接する機会があった。それらを以下に羅列する。会合が行われたのは岐阜のメインストリート。地名は神田町。で、歩道上にこの垂れ幕。神田町通り(今の名称は長良橋通り)金宝町付近から名鉄岐阜駅方面を以下はJR岐阜駅大階段のイルミネーションイルミネーション...岐阜の夜景JR岐阜駅のイルミネーション

  • 師走!定番料理二題と名古屋駅付近のイルミネーションなど

    カレンダーをめくる。あと一枚。老いの身ながら今年は為すべきこと山積。あと5,60日はほしいところ。ここに記したのは11月30日の体験。まずはこの時期の定番料理から。今季初の赤カブ漬け。目加減の塩ではなかなかカブが赤くなってこないので、少し追い塩。赤くなったところで漬物器から上げた。試食。うん、これならOK.。しばらくは楽しめそう。ついでおでん。代わり映えのするものは何も入っていないが、私のおでんは出汁が濁らないで澄んだままなのが自慢。そのためには下ごしらえが。厚揚げ、はんぺん、がんもなど油処理をしたものは湯をくぐらせて油抜きを行う。大根は下茹でが20分、水に流してアクを取っている。こんにゃくの下茹でももちろん。それらを済ませたものを始めて出汁と合わせるが、ここでも決して沸騰はさせない。低温で長時間かけてじ...師走!定番料理二題と名古屋駅付近のイルミネーションなど

  • 友人の水彩画展と緋色のマントの信長公、そしてキャベツ。

    同人誌の同人で、友人でもある津田氏が所属する水彩画同好会のサークルが、JR岐阜駅近くの会場で作品展を開いているというので観に行った。同好のみなさんが、今度こそはと力作を出品している。この会の作品は、スケッチの上にサッと水彩をのせてゆく感じではなく、けっこう描き込むものがほとんどである。それは冒頭にある講師の作品からもうかがえる。さて、わが友、津田氏の作品であるが、最初に見た数年以上前のそれとは確実に腕前が上がっている。今回は4作品を出品しているが、展示順に言うと、「糸満への巡礼」、「ルーマニアのリリアナさん」、「Let’sGo!」、「伊吹残照」となる。私には、絵画を鑑識する能力などなく、ここまで書けるだけですごいなあと思ってしまうのだが、好みだけでいうと、「ルーマニア」と「伊吹」だろうか。「伊吹」は雲の紫...友人の水彩画展と緋色のマントの信長公、そしてキャベツ。

  • 昭和→平成→令和 フィーバーしたあの岐阜の地域の現在

    私は和風の元号を使わないようにしている。昭和ー平成ー令和というあれである。銀行や役場でこれを書かねばならないときには、あえて西暦で書いている。かつては、それではだめだといわれることもあり、いやいや迎合したこともあったが、最近は拒否されることが少なくなったような気がする。なぜそれらを忌避するかというと、それが担う恣意性、はっきりいってしまえば天皇の即位・退位との対応に好感が持てないのだ。西暦だってキリストの生誕に合わせた恣意的なものではないかといわれるかもしれない。それはたしかにそのとおりだが、遥かに2000年以上遡上する基準値であり、現実的な具体性からは距離感がある。こんなことを言い出すのは、とりわけ「昭和」という時代の血生臭さ、天皇制と引き換えに失った多くの生命に思いを馳せるからである。私の知り合いに、...昭和→平成→令和フィーバーしたあの岐阜の地域の現在

  • ユーチューバーとの対談をギャラリーカフェ「水の音」で行う

    過日、私より少し年下のユーチューバー、H氏から私が何年か前、ブログに書いた是枝監督の映画「万引き家族」に関する記事をもとに対話形式の映像を撮りたいとの申し出があった。映画は好きだけど、取り立ててそれについて論じるほどの知見も持ち合わせていないから尻込みをしていたが、その撮影場所が岐阜の古民家を根城にしたギャラリーカフェ「水の音」という場所だと聞き、その場所に興味をもって出かけた。H氏から振られた私の役どころは下記のブログ記事を自分で解説しながら話を進めるというものであった。https://blog.goo.ne.jp/rokumonsendesu/d/20180720私はこの映画を是枝監督の映画に通底している「カゾクノカタチ」を問うものとして解釈し、大先輩、小津安二郎の同様の問いと重ねながら話を進めた。小...ユーチューバーとの対談をギャラリーカフェ「水の音」で行う

  • 例外的によく歩いた日 大須観音と相国寺展など

    先般の一日、結果としてよく歩いた。私の生活はデタラメで、3日ほど家から一歩も出ないようなこともあり、そんな日の歩数は数百歩ぐらいだろう。健康などに配慮し、歩くために歩くことはしない。ただし、どこかへ出た折に、ついでに少し遠回りしてみようかぐらいの気持ちはある。しかし、最近それも少なくなったのは、かつての田園地帯がほとんど埋め立てられた建築ラッシュで、数年の間に周辺がすっかり新興住宅地に変貌してしまったせいもある。愛岐県境の木曽川の河川敷はススキが占めていた先般の話に戻ろう。午前から名古屋へ出た。まずは旧知の出版社を尋ね、R編集長と面談。私の悪巧みについて告白。その後、少し歩いたところにある店で昼食を共にする。R氏お勧めの中華料理店は、調理人から接客の女性まですべて中国系の人たちで、接客は少し訛りの入った日...例外的によく歩いた日大須観音と相国寺展など

  • あなたは「木本事件」を知っていますか?

    ■これは、私の友人、劉永昇さんがFaceBookに載せた記事のシェアーのようなものだが、今年度の「地方の時代映像祭」のグランプリは名古屋テレビ制作のドキュメンタリー「掌で空は隠せない」に決まったという。■このドキュメンタリーの題材は、1923年の関東大震災当時の朝鮮人虐殺事件の3年後、三重県熊野市木本町で起こったやはり朝鮮人虐殺事件を巡るものだが、恥ずかしながら私もつい最近まで知ることのなかったものである。■それがどのような事件であり、その後、どのような扱いを受けているかは最後に貼り付けたそのドキュメンタリー自体の内容を観ていただきたい。■なお、冒頭で述べた劉氏は私も参加する同人誌「追伸」の編集長であり、同時に、現在、この木本事件についての記事を同志に連載中である。■そしてこのドキュメンタリーにも要所要所...あなたは「木本事件」を知っていますか?

  • 86歳の誕生日を迎えて超えた二つのこと。

    86歳の誕生日を迎え、こんなはずではなかったといささか戸惑っています。私の若い頃、40代50代が老年の入口で、80代などはよく生きているなぁと思うほどの年齢だったからです。それも、80代の後半に差し掛かるなんて・・・・。86歳は私にとって二つの意味でエポックメーキングです。そのひとつは亡父の享年を超えたということです。もっとも私は養子のもらわれ子ですから父との間に遺伝子的なつながりはありません。父はその亡くなる寸前まで、私と同様腰痛の悩みを抱えながらも元気で飛ぼ回っていました。それが12月の末、その年の業務を終えた段階で、大きな総合病院へ出かけ、まずは腰痛対策のためのコルセットを作ろうと言うことでその採寸を行ったようです。それから別の階へ移り内科主体の健康診断を行っていたその最中に倒れたと言うことなのです...86歳の誕生日を迎えて超えた二つのこと。

  • 久しぶりの名古屋駅西口と「駅裏」時代の思い出

    久しぶりの名古屋駅西口である。久しぶりといっても何年ぶりかというほどではない。こちらにある映画館、名古屋シネマスコーレには毎年何回かは来ているからだ。しかし、最近では映画を見る機会が減ったこともあり、一年近く来ていなかったかもしれない。それにかつては、わたしたちの同人誌をわざわざ店においてくれるママさんがやっていた飲み屋があって、映画を見ないときでも岐阜への帰りに時間の余裕がある折にはよく寄ったのだが、その店も閉店してもうかなりになる。今回は映画を観るためではなく、月イチで参加している読書会の会場がたまたまこの西口側になったからだ。西口近辺は今、工事箇所がやたらに目立つ。ほとんどが私の生きているうちは運行しないであろうリニア新幹線の関連工事だ。それらを尻目に、読書会の会場へ歩を進める。私が初めてこの地域に...久しぶりの名古屋駅西口と「駅裏」時代の思い出

  • 通夜への道・主観的には 豊かな粗食・白鷺の舞・大須

    「ちくさ正文館」というのは人文書籍の品ぞろえが良いというので名古屋では知られた存在だったが、昨年7月、惜しまれながら店を閉めた。長年、その店長として頑張ってきた古田一晴氏が、この9日に逝ってしまった。私がその近くの街、今池で居酒屋をもった70年代のはじめ、何年か後に彼も正文館へやってきてすぐに私の店へ来てくれるようになったから、半世紀ほどの付き合いになる。とはいえ、彼は私より14歳下の72歳だから、いささか早い旅立ちだ。11日に行われた通夜に出た。閉店して一年以上経つのに、日本の人文書籍の錚々たる出版社がこぞって花輪を出しているのを見ても、彼の果たした足跡がわかろうというものだ。写真は、その通夜の式場へ向かう道すがらの、黄昏行く空と街の様子である。今は回復しつつあるが、15日頃から幾分私自身が不調で、買い...通夜への道・主観的には豊かな粗食・白鷺の舞・大須

  • ちょっと不調・・・・といっても寄る年波のせいだが

    ■日曜日は家事労働。夏物を片付け、合物に。■これまでのタオルケット2枚、シーツ、布団カバーなど大物の洗濯。■家のある一部の掃除。全部は疲れ切って出来なかった。■よく働いて疲れたはずなのに不眠。睡眠薬を増量しても根付かれず。明け方まで悶々。■翌朝、やはりまともに起きられず。グダグダと体の芯が定まらない。■読書をしてもほんの2〜3ページで目が霞む。■TVでドキュメンタリー系のものを選んで観る。何を見たかもよく覚えていない。■何処かが悪いわけではない。ところ構わず、よだれを垂らして寝込む老域に到達したという自然の成り行き。■ここしばらくブロブも書いていないが、まだ生きておることは生きています。生物学的には・・・・。ちょっと不調・・・・といっても寄る年波のせいだが

  • ショパンを聴きながら・・・・

    ■NHKFMでショパンの大曲「練習曲作品10」をを聴きながら、7月に訪れたワルシャワの風景をいろいろ思い浮かべていた。■ドイツとロシアの大国に挟まれて戦乱の揺り籠で弄ばされた歴史の日々、ここの多数のユダヤ人が戦後ユダヤの建国に馳せ参じ、シオニストとして今や殺す側に回ってるという歴史の悲惨。■日本も近代以降、戦火に見舞われることもあったが、地続きの他者との対面を知らない。「占領軍」であったアメリカを「進駐軍」と呼んで姑息にも自分の味方のように遇し続けたこの民は、かつて国境を超えた進出・侵略先のなかで、自らが醜い他者であったことも知らない。■国境を超えて西に向かったショパンの音楽のなかには、単なる民族主義を超えた、他者のなかでの自己の確立への憧憬のようなものがある。ショパンを聴きながら・・・・

  • 【今日の工作】材料は百均。合計300円。

    玄関脇の大型郵便物など専用のポストを作った。前のものが壊れそうになったからだ。プラスチックは太陽光のもとでは劣化して壊れやすい。というのは前のものも、私が百均のプラスチックの箱を細工して作ったものだった。5,6年はもったろうか。実は今回のもので三代目に当たる。今回のものも百均でA4用紙用のプラスチックトレイ二枚と幅広の黒の粘着テープの都合300円で作った。色が黒しかなかったので、写真では見にくいであろう。大きさは、高さ32cm、幅26cm、奥行き、つまりものを出し入れする間口の幅は8cmである。この左上に、レターパックが入るような幅18cmぐらいの普通郵便受けがあるのだが、それ以上の大きさ、ないしは厚みのあるもの用なのだ。郵便局はこれをきちんと守ってくれる。チラシ入れなどは、これを守ってくれるのとくれない...【今日の工作】材料は百均。合計300円。

  • 親孝行な子どもたちによって実現した夕餉と渓流釣りの話

    私の20代後半から50代前半ぐらいの趣味は渓流釣りだった。エサ釣り、ルアー、フライと一通り全部やった。この時代は、私の居酒屋経営時代とも重なるのだが、顧客のK君は顧客であり、釣り仲間でもあった。彼は、釣りためたイワナを冷凍保存しておき、年末の最終営業日に私の店にもってきて、それを私が焼き、土鍋の酒に浸して岩魚の骨酒をカウンターを取り巻く常連客で回し飲むのが恒例の行事だった。その元気印の彼が、今年、自分の部屋で孤独死してしまった。それを知って、今一度、渓流に立ちたいという思いが募った。しかし、イワナやアマゴを求めて渓流を遡行する釣りは、沢登りにも等しく、腰痛持ちの85歳の私には、はなっから不可能だった。そこで、渓流釣りに近い管理釣り場でのマス釣りをと思い、息子夫妻に話したら同行してくれるというので出かけた。...親孝行な子どもたちによって実現した夕餉と渓流釣りの話

  • 第五福竜丸を撫で回した男

    私の友人、劉永昇氏が7月27日の「朝日」の朝刊(ただし東海版のみ)に写真のようなコラムを載せていらっしゃる。私自身は、第五福竜丸乗員の久保山愛吉さんが1954年のビキニ環礁の米軍の水爆実験で被爆し死亡したことをリアルタイムで知っていたし、そればかりか、1959年には、まだ分裂する前の原水爆禁止日本協議会の焼津大会に参加し第五福竜丸とも逢っている。その折、同船は、焼津港近くの大きな木造の小屋に収納されていた。大きいとはいえ、板目もはっきりみえる木造船で、こんな船で南太平洋までマグロを獲りに行くのだと感心した。船は無造作に置かれてたので、久保山さんらの乗組員のことを思って、船体を撫で回した。しばらくして、「あの船には残留放射能はまだあって・・・・」という報道に接し、オイオイ、そんなことはもっと早くいってくれよ...第五福竜丸を撫で回した男

  • 名古屋へ出かけて帰ってきただけのなんでもない話

    今月三回目の名古屋行き。毎回、行きなれ、見慣れた行程だが、今回は久しぶりに写真を撮ったのでそれを掲載。JR岐阜駅付近の高層ビルと岐阜のランドマーク岐阜城をのある金華山今回の目的は読書会。テキストは決まっていて、その場で黙読したあとのディスカッション。テキストの内容に関してもだが、今回は、最近ある雑誌の特集を巡って問題になり、「反対声明」まででているトランスジェンダーを巡る問題で話が盛り上がる。愛知県との県境木曽川と稲沢駅での貨物列車用機関車まだまだこの歳になって知る事柄も多いので勉強になる。そんなに歳とってからそんなこと学んでもということなかれだ。あの世へ行って閻魔大王に逢った折、たくさん土産話を持っていった方が、地獄へ回される時間を稼げるというものだ。名古屋駅プラットホームと名古屋駅バスターミナルえ?極...名古屋へ出かけて帰ってきただけのなんでもない話

  • あれから76年後の舞鶴を訪れる・・・・

    もう一週間過ぎてしまったが、この14日、校下のサークルの人たちと舞鶴を訪れた。舞鶴といえば私には特別の思い入れがある。1944年に満州はハルビン郊外へ兵士として出征してそこで敗戦を迎え、ソ連軍によってシベリアへ抑留され、そのまま生死すら不明だった父が、1948年、引揚船で帰ってきたのがこの舞鶴だった。舞鶴からの電報を疎開先で受け取ってはじめてその帰還を知った。それから幾日か後、3日間、毎日夜中に疎開地近くの大垣駅に停車する引き上げ列車で帰ってくるというので、その3日間、毎夜、大垣駅で待機した。一日目、姿は見えなかった。二日目、近くで再会を喜ぶ家族を見ながら目を見張ったがだめだった。三日目、何人かが降りてくるのに目を凝らした。・・・・最後の一人・・・・違う人だった。母や母方の親族は皆うなだれた。考えてみたら...あれから76年後の舞鶴を訪れる・・・・

  • 2024・名古屋今池まつり 街中騒然・面の祭り

    1989年、私が仲間たちとともに企てた今池祭りが、今年で35周年を迎えた。当時、今池は「雑然」としているといわれた。本当に雑然がいけないのだろうか?では、その雑然をそのままぶちまけてしまおうと居直って始めた祭りだった。今池公園どちらかというとチルドレン主体の催し普段は魚屋さんのガレージがライブ会場に裏方さんも大変だから、未だに時系列がはっきりしない祭りだ。これが済んだら次はこれといった直線的時系列はない。むしろ面の祭りなのだ。街全体が祭りのメインステージであり、同時多発的にどこかで何かが炸裂している。夜の野外ステージ街中に10箇所近くあるうちで最大のステージて、鉄腕アトム?だから、祭りに起承転結はない。ワッと始まりワッと終わる。どこで何に遭遇するかはいった人の運次第だ。あちこちの街角に大道芸人が・・・・何...2024・名古屋今池まつり街中騒然・面の祭り

  • 86歳の挑戦! 歌手大津美子と私。

    歌手の大津美子が、デビュー70周年記念リサイタルをするという。大津美子といっても知る人はもう少ないであろう。だが、私は知っている。隣県、愛知は豊橋の出身であるということ、そして、年齢は私と同じ86歳であること(私は誕生前だからまだ85歳)などからだ。https://www.toyohashi-at.jp/event/performance.php?id=1671メディアから消えて久しいが、歌の上手い人だった。もっとも私がおぼえているのは「東京アンナ」と「ここに幸あれ」ぐらいだが。この人がデビュー70周年記念のリサイタルを行うという。そのリサイタルに行ってみたい気がするし、なんだか怖い気もする。86歳でのチャレンジ、どんな覚悟でどんなふうに進めるのだろう。https://www.youtube.com/wa...86歳の挑戦!歌手大津美子と私。

  • 久しぶりの昼麺物語 冷たい麺ばっかり

    7月の下旬になろうという頃、10日間のヨーロッパ旅行(ベルリン・ライプチヒ・ワルシャワ)から帰ってきたら、酷暑日を含めた連日の猛暑日。昼は食欲がわかぬまま連日の麺・麺・麺・・・・。しかもすべて冷たい麺。ただしそこにも私なりのルールがある。まず、それを記しておこう。1)麺はすべて乾麺を湯がく。いま在庫の麺は、うどん、蕎麦、冷や麦、中華麺、それに細身のパスタである。夏の定番、素麺がないのは、どちらかというと豪快に啜り上げるひやむぎ派だからだ。2)出汁はその都度作る。やや濃い目にして、氷をぶち込むか、鍋ごと冷凍室で冷ます。うどんと蕎麦は似ているが、みりんなどで蕎麦の方にややコクをつける。中華麺は、オイスターソース、豆板醤、ごま油などでそれらしくする。3)具の基本は前日の夕餉の残り物に在庫のもの、それに薬味などだ...久しぶりの昼麺物語冷たい麺ばっかり

  • ヨーロッパは面舵(右方向)に転じるのか?

    ■先般のドイツ地方選において、極右政党が第一党に躍進した。■今夏の私の旅は、どちらかというと東独圏であった。■そのライプチヒに住む畏友K氏とドイツの政治状況について会話した際、彼はやはり東側に不満が蓄積していると指摘していた。■三十数年前、東西ドイツは統合されたが、平等になったわけではない。■K氏の指摘によると最近まで、同一労働についての東西の賃金格差は85%ほどであったという。むろん東が低いのだ。■この差は、是正されつつあるとはいえ、いまなお不平等は残る。■だから、東の勤労層にとっては外国人の導入などはますます危機と思われる。■アメリカでトランプを支持するプアーホワイトと似た立場といってよい。■加えて、東独時代を懐かしむ層もいる(極限すればナチズムとスターリニズムは類似点もある)。■そんなことでの今回の...ヨーロッパは面舵(右方向)に転じるのか?

  • レイシスト・小池百合子の本音

    ■今年も小池百合子は関東大震災の際の朝鮮人虐殺への追悼文を出さなかった。8年連続だ。■理由は、彼らへの慰霊は大震災全体の犠牲者の慰霊に含まれているとのことだが、単なる自然災害の犠牲者と明らかに人為的に行われた殺人行為とが区別されていない。■ということは、再びそうした事態が起こった際、朝鮮人、ないしはマイノリティが殺されるのは「自然なこと」だとすることによって、自分がレイシストであることを告白しているに等しい。■なお、この事件の前提には、予め朝鮮人を劣等民族として強制連行や強制労働で痛めつけてきたマジョリティとしての日本人のなかに、彼らからの復讐を受けるかもという猜疑心(自らの強権的措置の反映)があったからであり、その意味では、往時の日本人全体、そしていま、その歴史に目を閉ざしている私たち全体の問題でもある...レイシスト・小池百合子の本音

  • 夏休みの宿題提出 思い出の絵日記から

    居座った台風のなか、夏が終わろうとしています。夏休みの宿題提出ですが、今年の夏のいちばんの思い出は10日間にわたるヨーロッパ(ベルリン・ライプチヒ・ワルシャワ)への旅です。その折撮った何百枚かの写真の中から、自薦の何枚かを掲載してこの夏の絵日記といたします。これのみ説明を入れます。自転車が差し掛かったのはかつて東西ベルリンを隔てていた壁の跡です。三十数年前なら、銃撃されていたかもしれません。夏休みの宿題提出思い出の絵日記から

  • やったぜ!逆転大勝利!

    大谷のことではない。私のことだ。朝目覚め、空を見る。どんよりした曇り空。ネットでこの地方の一時間天気をチェック。午前はずーっと雨マーク。午後に少しだけ曇り。洗濯物を乾すには絶望的な情報ばかり。しかし、私には予感があった。いける、いってみせる。なんのことはない、重い洗濯物をぶら下げて近くのコインランドリーの乾燥機にぶち込みにゆくのが嫌なだけだ。予報に逆らい、いつものように自宅で乾す。しばらくしたら小雨が。う~ん、やはり逆張りの敗北か?しかし、これぐらいの雨なんてと負け惜しみでそのままに。やがて雨は上がって曇り空に。なんとそればかりか午後には夏の日差しが!いつもより時間は要したが、何もかも、パリッとするぐらい乾いた。老いの一徹、強気の逆転大勝利だ!わお~!ヴィヴァ!わが人生!(ってはしゃぎすぎだよね)やったぜ!逆転大勝利!

  • ここのところ、書いてこなかった言い訳のようなもの

    ヨーロッパ一人旅の旅日記のようなものをダラダラと書いてきたが、それ以降一週間ほどなにも書いてこなかった。単調な生活に戻って書くべきことがあまりないこと、参加している同人誌の締切が迫っていてそれに没頭していることなどなどが重なったせいもあるが、いちばん大きな理由は、最近、あまり写真を撮っていないことにあるように思う。どういうことかというと、私のブログ記事はほとんど絵日記のように写真が先行し、それに説明をつけるように書かれてきたものが多いからだ。写真を撮っていないのは、冒頭に述べた理由と、続いた酷暑のせいでもある。ヨーロッパの涼しさに一〇日間ほど馴染んだ体には、この間の四〇度近い日々には恐怖すらおぼえた。かつては(私の「かつて」はずいぶん前だが)、夏の甲子園が終わると急に秋めいたものだ。しかも、今のように暑さ...ここのところ、書いてこなかった言い訳のようなもの

  • 最後のアクシデントはこう収拾した 八五歳ヨーロッパ一人旅

    ヘルシンキ在住の親切な女性に案内されてフィンエアー(フィンランド航空)の事務所に着くことができた。そこにいた女性二人はどうやら私を待っていたようだが、それにしてもその連携は悪く、私に新たなチケットを渡したスタッフもただ渡したのみでそれを言わなかった。付き合ってくれたあの親切なヘルシンキの女性がいなかったら、ここへはたどり着けなかったはずだ。彼女たちの説明は概略こうだ。1)あなたの荷物は明日の成田行の便の方にもう回っているから今夜はない。2)あなたのホテルは空港内で確保されていてもちろん無償。3)夕食がまだならそれも無償で提供するが、ただしホテルの食堂はもう閉まっているので、残り物からの選択になる。4)お詫びとして、17ユーロの金券を出すのでこれを出発までに空港内のキオスクで使ってほしい。5)明日の成田行き...最後のアクシデントはこう収拾した八五歳ヨーロッパ一人旅

  • 危機は突然最後にやってくる! 八五歳ヨーロッパ一人旅

    10日間、私のヨーロッパ一人旅は、事前のリサーチの不十分や語学力のなさ、年齢ゆえの行動力不足などで、決して効率の良いものとはいえなかったが、なんとか当初観るべき対象と設定したものにはたどり着くことができた。これには、ライプチヒ在住のK氏の事前の、そして旅行中のLINEを通じての懇切な指示が欠かせないものであったのだが。だから、ワルシャワの最終日の夕刻、駅近くのテラスでいつものようにOnebeeronlyでくつろぎながら、マアマアだったなと自分の旅に合格点を与えることができた。翌日、ホテルをあとにし、中央駅から20ほどのフレデリック・ショパン空港へと余裕をもって向かう。出発ゲートも確認し、駅ピアノの近くに席を確保し、くつろぎながら帰路の確認。近くのピアノから「エリーゼのために」が・・・・。どうしてここでベー...危機は突然最後にやってくる!八五歳ヨーロッパ一人旅

  • 【報告】旅の食事について 八五歳ヨーロッパ一人旅

    一〇日余の旅、さぞかしその土地々々のうまいものをレストランでとお思いかも知れないが、日頃必要に迫られて自炊はしているものの、いわゆる旅の味を満喫するグルマンではない。あちこち歩き回る旅にとっては、栄養源の確保は不可欠である。その意味で、ホテルのバイキング方式の朝食はありがたい。家にいればろくすっぽ取らないような朝食を、ホテルではしっかり食べた。ヨーロッパはチーズやハム・ソーセージが豊富である。パンは比較的小ぶりなものにして、野菜を多く摂り、海産物が少ないので、サーモンのあるところではそれを狙った。卵はスクランブルエッグ。それらを日頃、ほとんど飲まない牛乳とともに摂る。牛乳も3,4種類置いてあるが、あんまりネットリしたものではなくサラッとしたものにする。各地のホテルの朝食から昼はあまり食べない。目的地をいろ...【報告】旅の食事について八五歳ヨーロッパ一人旅

  • ユダヤ人がもっとも住みやすかった国での悲劇 八五歳ヨーロッパ一人旅

    1940年代初頭、世界でのユダヤ人人口は1,000万人弱であり、そのうちの三分の一、約350万人がポーランドに住んでいたといわれる。ワルシャワのみでも約50万人を数えたという。これは中世以来、ユダヤ人への風当たりが少なく、暮らしやすかったからだといわれる。しかし現在、ポーランドはヨーロッパにおいてもっともユダヤ人が少ない国のひとつになっている。ワルシャワには約3,500人ぐらいと聞いたこともある。この大変な落差はドイツ占領下のホロコーストによるものであることは容易に想像がつくが、しかし、その過程にもさまざまな問題があって、一筋縄では行かないようだ。まずはナチスの方だが、ポーランド占領後、ワルシャワにはもともとユダヤ人の密度が高かった地域を中心に、38万人を収容したワルシャワ・ゲットーが設けれれ、ユダヤ人は...ユダヤ人がもっとも住みやすかった国での悲劇八五歳ヨーロッパ一人旅

  • 来なかったソ連軍=ワルシャワ蜂起の悲劇 八五歳ヨーロッパ一人旅

    ワルシャワ蜂起の痕跡を見ること・・・・これが今回のワルシャワ訪問のひとつの目的であった。この事件は、国際的にはともかく、ワルシャワ市民にとっては忘れ難いもので、今も八月一日の同時刻にはサイレンや鐘が鳴り、市民は黙祷に伏すという。ワルシャワ蜂起記念碑会館右側の大きな塑像は残念ながら修理中1944年7月31日、敗走するドイツ軍を追ってきたソ連軍は、ワルシャワ中心地区のすぐ東を流れるヴィスワ東岸に到達してた。そして、そのソ連軍とワルシャワ市内のレジスタンスの間で、翌8月1日を期してソ連軍はワルシャワ市内に進行し、それに合わせて、ワルシャワのレジスタンスがドイツ軍に対しいっせいに蜂起するという約定が交わされた。左側の塑像にて残念ながら写っている女性は私とは関係のない人手前兵士は地下へ潜るようなポーズアンジェ・ワイ...来なかったソ連軍=ワルシャワ蜂起の悲劇八五歳ヨーロッパ一人旅

  • 「旧市街」ではないワルシャワ「旧市街」 八五歳のヨーロッパ一人旅

    厳密にいえばワルシャワに旧市街はない。なぜならここのかつての街は第二次世界大戦の激戦によって徹底的に破壊されつくされて、そんなものが残る余地がなかったからである。最初に掲げた写真は、2002年公開の映画、ロマン・ポランスキー監督の『戦場のピアニスト』のラストに近いスチール写真である。これだけ破壊し尽くされた街のどこに旧市街が残る余地があったろう。にもかかわらず、旧市街は存在する。それはワルシャワの市民たちが、瓦一枚欠けることなくかつての街を復旧させようとしたからである。そうして出来上がったのが現在の旧市街である。だから、いうなれば「新市街」なのだが、ワルシャワ市民はその地域に下手な近代化が侵入するのを拒んできたので、その意味ではどこの旧市街よりも旧市街的なのである。そうしてたワルシャワ市民の意を汲んで、1...「旧市街」ではないワルシャワ「旧市街」八五歳のヨーロッパ一人旅

  • 70歳以上交通費無料のワルシャワでショパンに逢う 八五歳ヨーロッパ一人旅

    ワルシャワはもちろん初めての地、しかもいままでのようにK氏の案内は期待できない。しかし、いい点もある。ポーランド国内は、インターシティなどの鉄道を除き、近郊鉄道、地下鉄、トラム、市内バスなどが70歳以上は無料なのだ。外国人も含めてだ。よく利用した。地下へ潜るとわかりにくいので、トラムとバスをふんだんに利用した。けっこう検札に来るのだが、顔を見ただけで切符などの提示は求めなかった。東洋人でも歳は歳だと識別できるようだ。無料はありがたい。間違えたら引き返せばいい。見えている近くでも疲れていたら乗ればいい。最初に会いに行ったのはショパン。ショパン博物館である。彼はポーランドの英雄である。紙幣にもなっているし、私が帰途利用したワルシャワ空港はフレデリック・ショパン空港と名付けられれている。もちろんこれは彼がポーラ...70歳以上交通費無料のワルシャワでショパンに逢う八五歳ヨーロッパ一人旅

  • ワルシャワへ着く 駅周辺の衝撃 八五歳ヨーロッパ一人旅

    今回の旅の主要目的は旧友にして畏友、K氏を訪れることだったから、あとはせっかくヨーロッパまで来たのだからというおまけのような旅だ。しかし、そのおまけにワルシャを選んだというのには積極的な理由がないわけではない。そのひとつはドイツの侵攻に始まりソ連の反撃に終わるあの第二次世界大戦で、徹底的に破壊されながら、それから見事復旧を果たし、今や世界遺産にまでなった旧市街を見ておきたかったこと、世界的音楽家として知られるショパンと出会うこと、ヨーロッパでもっとも密度が高いといわれたユダヤ人が暮らしたこの国、そしてこの都市でのその変遷の歴史を探ること、そして今一つは、アンジェ・ワイダ監督の映画「灰とダイアモンド」や「地下水道」の痕跡、特に後者の背景、1944年のワルシャワ蜂起の痕跡を探ることなどであった。ワルシャワ中央...ワルシャワへ着く駅周辺の衝撃八五歳ヨーロッパ一人旅

  • 別れの感激・そのときもらったもの 八五歳ヨーロッパ一人旅

    ライプチヒからベルリン中央駅経由でワルシャワ行き列車でポーランドへ移動する。七時間の列車の旅。ライプチヒ駅までK氏が見送りに来てくれる。ここまでのドイツの旅は、ほとんどがおんぶにだっこのK氏の庇護によるものだった。ここからがほんとうの一人旅だ。しかし、K氏の私へのケアーはこれで終わったのではなかった。彼は私にひとつの包みを渡していったのだ。「昼食時は列車の中、そのための弁当を作ってきた」と。何という心配り、これからは一人という私の心細さを和らげてくれるにじゅうぶんだった。やがて発車のベルが鳴ろうかというときだった。もうひとつのハプニングが起こった。昨夕の食事をともにしたZさんが駆けつけてくれて、花を一輪と、旅の幸運を招くというタグをバッグにつけてくれたことである。昨夕の宴は、一期一会のこととして終わったと...別れの感激・そのときもらったもの八五歳ヨーロッパ一人旅

  • ライプチヒ・楽しかった最後の晩餐 八五歳ヨーロッパ一人旅

    いよいよ明朝、K氏の本拠地で私のこの旅の最大の目的地であったライプチヒを離れることとなった。最後の晩餐(パリ五輪の開会式でのそのパロディと目されるものが問題となり、恐喝騒ぎになっているそうだが、私のそれはそんな物騒なものではない)であるが、それについては予め私の方からK氏に頼んでおいたことがあった。それは、ライプチヒへ来た以上、K氏に会うのは当然として、それ以外の彼の人脈のある人々とも逢いたいということだった。彼の方では誰にしようかと困っていたようだが、たまたま彼がここぞと思い予約をしていたレストランの近くに、彼がライプチヒ大学勤務時代の同僚で、今なお勤務を続けている東アジア研究所中国学科の講師Zさん(女性)が住んでいること、しかもその娘さんHさんが、念願の芸術大学へ入学が実現し、その祝いをしたいとのこと...ライプチヒ・楽しかった最後の晩餐八五歳ヨーロッパ一人旅

  • バッハ記念博物館とオルガン演奏会 八五歳ヨーロッパ一人旅

    ライプチヒ最終日、午後三時からのバッハゆかりの聖トーマス教会でのオルガンコンサートでK氏と出会うことを約してそれまでは自由行動。ざっと何があるかを確認したのみで通り過ぎてしまったところなどを今一度詳しく見直したりしたあと、とりわけ聖トオマス教会前の「バッハ記念博物館」はこの街へ来た以上必須の場所だと考え入場する。やはり日本人もよく来ると見えて、日本語のヘッドホンも用意されていたのでそれを身に付ける。確かにバッハ関連の様々な資料が保管されている。あの複雑な家系図等はう~んと眺めているものの特に覚えようとはしない。その他バッハの時代の楽器や演奏の組み合わせ、楽譜などなどが展示されている。それら残されたもののうちでこれはと思ったのは当時のオルガンの基体である。聖トーマス教会のオルガンそのものはもはや当時のもので...バッハ記念博物館とオルガン演奏会八五歳ヨーロッパ一人旅

  • 薄ら鉄ちゃんの記録「ライプチヒ駅とトラムたち」 八五歳ヨーロッパ一人旅

    ライプチヒ駅はベルリン中央駅の立体式とは違い、頭端式(私にいわせるとほうき状)駅である。ベルリン中央駅とよく似た鉄鋼ドームの下、十数の線路が広がっている。インターシティや近郊線など路線も車両もいろいろだ。どれがどれだかわからないまま、駅の構内でそれらを撮してきた。なお、駅のエントランスは伝統的な趣に溢れている。あとはトラムである。色とりどりのそれらが走っている。ただし、それらに乗る機会は一度しかなかった。なぜなら、市の中央部のリング内にはそれらは走っておらず、また、それにに乗ることなく伝統的な建造物などを見ることができるからだ。とはいえ、駅前のトラムのホームでのその発着は途切れることはない。リングの周り、そしてその近郊の街々とを結ぶそれらは途切れることなく頻繁に行き交っている。最後のおまけに付けたのは、た...薄ら鉄ちゃんの記録「ライプチヒ駅とトラムたち」八五歳ヨーロッパ一人旅

  • 音楽の街・ライプチヒ 八五歳のヨーロッパ一人旅

    前回、バッハの存在がライプチヒの大きな歴史遺産となってることを書いたが、それが実現するために今ひとつエポックが必要であったことを示唆しておいた。そう、バッハを中心としてこのライプチヒを音楽の街たらしめたもう一人の音楽家の存在こそが重要なのである。それはユダヤ人の音楽家、フェリックス・メンデルスゾーン(1809~47)の存在である。彼はライプチヒの出身ではないが、38年と言うその短い生涯の後半12年間をライプツィヒで過ごし多くの業績を上げている。彼がやってきたのはライプツィヒゲヴァントハウス管弦楽団の指揮者に任命されたからであるが、まず最初に彼がした事は、当時ヨーロッパでもあまり知られていなかったこの管弦楽団を、現在我々が知るようにヨーロッパでも指折りの楽団の1つに育成したことである。ライプチヒゲヴァントハ...音楽の街・ライプチヒ八五歳のヨーロッパ一人旅

  • 歴史を動かしたライプチヒの二つの聖堂 八五歳ヨーロッパ一人旅

    ライプチヒは住みやすそうな街である。直径数百メートル位かと思われるいわゆるリング内にほとんどのものが揃っている。K氏が勤務していたライプチヒ大学もそうである。彼が退職後もここにその居を定めたのはよくわかるような気がする。ところでこのリング内には著名な2つの寺院がある。その一つは聖トーマス教会である。ルーター派のこの教会は音楽史上の巨人、かのバッハの活躍の根城として知られている。1685年生まれのバッハは、それまであちこちで音楽修行をしその腕を上げてきたが、いずれの地でも短期間の滞在で終始してきた。1723年このトオマス教会の音楽監督(カントル)に就任にも一悶着あったようだが、なんとか決定を見るや、1750年にその生涯を終えるまでここの地に定住し、この教会のみかこの街のカントールにも就任した。音楽監督に就任...歴史を動かしたライプチヒの二つの聖堂八五歳ヨーロッパ一人旅

  • 歴史を動かしたライプチヒの二つの聖堂 八五歳ヨーロッパ一人旅

    ライプチヒは住みやすそうな街である。直径数百メートル位かと思われるいわゆるリング内にほとんどのものが揃っている。K氏が勤務していたライプチヒ大学もそうである。彼が退職後もここにその居を定めたのはよくわかるような気がする。ところでこのリング内には著名な2つの寺院がある。その一つは聖トーマス教会である。ルーター派のこの教会は音楽史上の巨人、かのバッハの活躍の根城として知られている。1685年生まれのバッハは、それまであちこちで音楽修行をしその腕を上げてきたが、いずれの地でも短期間の滞在で終始してきた。1723年このトオマス教会の音楽監督(カントル)に就任にも一悶着あったようだが、なんとか決定を見るや、1750年にその生涯を終えるまでここの地に定住し、この教会のみかこの街のカントールにも就任した。音楽監督に就任...歴史を動かしたライプチヒの二つの聖堂八五歳ヨーロッパ一人旅

  • ライプチヒでK氏と素麺をすする 八五歳ヨーロッパ一人旅

    ベルリン最後の朝、午前中にライプチヒへ向かうとあって特に行くべきところもない。荷物を整理したあと、チェックアウトをし、連日行き来をした近郊線の駅へ向かう。たった3日間だったが、見慣れた風景が心に残る引かれるものがある。ベルリン中央駅からほぼ1時間20分、途中の車窓風景を楽しみにしていたが、線路の両側は防風林のような木立が立ち並び、時折その切れ目から牧場や畑が垣間見える程度。やや欲求不満。ライプチヒ駅はベルリン中央駅と違ってほうき状(正式には頭端式というらしい)のそれで、出口もわかりやすい。あらかじめの指示通りに進むとK氏が出迎えてくれた。駅を出ると頻繁に行き交うトラムの駅と路線があり、それを横切ると緩衝地帯のような小公園があり、それを過ぎて一本目の路地の角がもう彼の住まいであり、しかもエレベーターで登った...ライプチヒでK氏と素麺をすする八五歳ヨーロッパ一人旅

  • すべての国境には壁がある 八五歳ヨーロッパ一人旅

    20世紀ベルリンのもうひとつの特筆すべき点は、この都市が第二次世界大戦後の冷戦下で、東西に分断されていたということである。とりわけ、61年に東西を隔てる壁が築かれ、89年にそれが撤去されるまで、この都市はまさに東西冷戦をもっとも具体的な形で表現する箇所であった。と同時に、89年のその壁の崩壊は、東西冷戦の歴史そのものを終焉させる先鞭をつけるものであった。こうして今や、ベルリンの、そしてドイツの東西の分断は解消され、その差異もなくなったといわれている。しかしである、現実には今もその差異はあるという。東西においての労働の質的評価が異なるのだ。具体的にいうと、同じ労働についても東のそれは西の85%にしか評価されないというのだ。この差異は大きい。年金にまでついてまわるからだ。むろん、それは問題として意識され、近年...すべての国境には壁がある八五歳ヨーロッパ一人旅

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