プロフィールPROFILE

六文錢の部屋へようこそ!さんのプロフィール

住所
未設定
出身
未設定

自由文未設定

ブログタイトル
六文錢の部屋へようこそ!
ブログURL
https://blog.goo.ne.jp/rokumonsendesu
ブログ紹介文
心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ
更新頻度(1年)

102回 / 365日(平均2.0回/週)

ブログ村参加:2016/01/13

六文錢の部屋へようこそ!さんのプロフィール
読者になる

六文錢の部屋へようこそ!さんの人気ランキング

  • IN
  • OUT
  • PV
今日 12/08 12/07 12/06 12/05 12/04 12/03 全参加数
総合ランキング(IN) 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 980,138サイト
INポイント 0 0 0 0 0 0 0 0/週
OUTポイント 0 0 0 0 0 0 0 0/週
PVポイント 0 0 0 0 0 0 0 0/週
その他日記ブログ 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 27,406サイト
その他男性日記 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 222サイト
今日 12/08 12/07 12/06 12/05 12/04 12/03 全参加数
総合ランキング(OUT) 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 980,138サイト
INポイント 0 0 0 0 0 0 0 0/週
OUTポイント 0 0 0 0 0 0 0 0/週
PVポイント 0 0 0 0 0 0 0 0/週
その他日記ブログ 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 27,406サイト
その他男性日記 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 222サイト
今日 12/08 12/07 12/06 12/05 12/04 12/03 全参加数
総合ランキング(PV) 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 980,138サイト
INポイント 0 0 0 0 0 0 0 0/週
OUTポイント 0 0 0 0 0 0 0 0/週
PVポイント 0 0 0 0 0 0 0 0/週
その他日記ブログ 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 27,406サイト
その他男性日記 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 222サイト

新機能の「ブログリーダー」を活用して、六文錢の部屋へようこそ!さんの読者になりませんか?

ハンドル名
六文錢の部屋へようこそ!さん
ブログタイトル
六文錢の部屋へようこそ!
更新頻度
102回 / 365日(平均2.0回/週)
読者になる
六文錢の部屋へようこそ!

六文錢の部屋へようこそ!さんの新着記事

1件〜30件

  • 八事山興正寺で岐阜から移築された旧日下部邸を観る

    岐阜県には日下部邸と名のつく建築物が二つあった。ひとつは、重文に指定されていて、飛騨の民芸資料館にもなっている高山のそれで、いまもなお、連日、観光客で賑わっている。かつて岐阜にあった頃の旧日下部邸もうひとつのそれは、岐阜市にあったもので、半分洋風、半分和風の取り合わせで、桑名の六華苑とやや似ているが、多少違って道路に面して、左半分は洋風、右半分は和風とはっきり別れていた。それだけにそれは容易に分離でき、もう10年以上前にその和風部分が取り壊され移築されることとなった。この双方とも、築100年近く、岐阜市の重要景観物指定建造物となっていて、和風部分は大正時代に建て替えられたものの、それ以前は徳川幕府時代の岐阜本陣の跡地であることから市民の愛着もあり、保存運動も起こったが、移築が決定されてしまった。その日下部邸の前...八事山興正寺で岐阜から移築された旧日下部邸を観る

  • 戒律 再び階段から転落しないために・・・・

    私は基本的に二階の住人で、一日に何度か階段を利用する。自宅で階段を踏み外して転落し、左手一本で全体重を支えた結果、グキッと嫌な音がして、見事に骨折をしたことがある。4年近く前の1月末のことである。救急車で病院に担ぎ込まれ、応急手当のあと、2月はじめに第一回目の手術。手首を数センチ切開し、ずれていた骨を金具を入れて矯正し固定。金具を取り出すための2度目の手術が9月はじめ。そしてその傷口がふさがり全治するまでになんと八ヶ月を要した。その折の恐怖感からか、いまも左手をかばいがちで、あまり重いものを持たないようにしている。転落の原因は単純で、夜更けの階段を降りる際、勝手知ったる自分の家と横着をして、暗がりのまま階段を降りたことによる。その折、知らぬ間に斜行をしていて、踏み出した足の下になにもないまま、もんどおりうって転...戒律再び階段から転落しないために・・・・

  • 湖北の秋を行く 観音の里&余呉湖など

    もう10日も経つだろうか、滋賀県は湖北地方に行く機会があった。以下はその記事であるが、遅れたのは、沖縄シリーズが長引いたためである。まずは石道寺から鶏足寺の周辺。近づくに連れ嫌な予感が。平日だというのに車は渋滞し、ぞろぞろと歩行者の列が続く。ついに警備員から駐車場は満杯、こちらへ進めとの指示が。で、その通り行くと、どんどん遠ざかり、またもとの渋滞の列のシンガリにつくことになりそう。そうなのだ、この石道寺から鶏足寺は、全国級の紅葉の名所として、遠くからの観光客も押しかけるのだ。ましてやこの時期、他県ナンバーの観光バスが次々と列をなしていた。ここは潔く諦め、次へ向かう。訪れたのは、雨森芳洲(あめのもりほうしゅう)庵。雨森芳洲は1668(寛文8)年~1755(宝暦5)年、江戸中期の儒学者として知られるが、とりわけ、朝...湖北の秋を行く観音の里&余呉湖など

  • 初めての沖縄拾遺集 残された写真から

    過日の初めての沖縄への旅、何回かにわたってレポートしてきましたが、その文章との関連などで載せきれなかった多くの写真があります。それらを以下に載せます。沖縄を車で案内していただいて、まず気づいたのが私が住まいする地方との植生の違いです。まずは、空港前の道路で見かけた並木が南国風で、ナンやらというヤシの一種だそうです。小さな実をつけていて、熟したものは赤く色づいていました。ヤシと聞くと食べられそうな気がするのですが、これがどうなのかはわかりません。以下は、那覇で見かけた花をつけた街路樹です。その花の拡大は下のようです。名前はわかりません。これはご存知ガジュマルで、あちこちで見かけました。無数の気根に取り巻かれた様相は、なんだか王者の貫禄すら感じました。下はどこかで見かけた、たぶん蘭の一種だと思います。この幹が膨らん...初めての沖縄拾遺集残された写真から

  • なんやかんやで初めての沖縄(8)沖縄戦終焉の地は美しい公園になっていた

    沖縄の旅も三日目、いよいよ最終行程である。当初からの私の希望であった沖縄平和祈念公園へと向かう。「記念」ではなく、「祈念」であることに注意されたい。凄惨な戦禍を経験してきて、今なお準戦場のような軍事基地が遍在する沖縄にとって、「記念」すべき「平和」などありはしない。ただただ、来たるべき平和の実現を「祈念」するのみなのだ。この地図の上は東であり、海岸に面した台地となっているこの公園は糸満市米須霊域、ひめゆりの塔などと並んで沖縄戦跡国定公園を形成し、その中核となるものである。公園内の諸施設については写真を見ながら順次触れていきたい。なお、なぜここにこの公園があるかについては、Wikiによれば以下である。1945年(昭和20年)5月、アメリカ軍の攻撃により、首里(那覇市)にあった日本軍司令部は、この沖縄本島南端部(島...なんやかんやで初めての沖縄(8)沖縄戦終焉の地は美しい公園になっていた

  • なんやかんやで初めての沖縄(7) 嘉手納で基地を眺望 ああ、この広大さ!

    沖縄を車でゆくと、当然ながらここは基地、そこは基地といった具合に米軍基地に行き当たる。日本全国の米軍基地の70%がここにあるからで、その面積比は、沖縄本島の15%に至るという。東京都全体を沖縄県とすると、その23区のうち13区が米軍基地という割合になる。しかし、これら広大な基地も、長ったらしいフェンスで仕切られているのみで、その向こうの様子はなかなか窺えない。そこで、嘉手納(かでな)基地を一望に収める箇所があるというのでそこへ案内してもらう。嘉手納は野國總管という人が1605年に甘藷を中国から沖縄に持ち帰って広げたとのことで「おいものふるさと」と言われている。青木昆陽が日本にサツマイモを普及させたという史実を100年以上遡る。「道の駅かでな」で愛嬌のある看板の写真を撮ったが、この右上にかすかに見えるフェンスの向...なんやかんやで初めての沖縄(7)嘉手納で基地を眺望ああ、この広大さ!

  • なんやかんやで初めての沖縄(6) チビチリガマ 集団自決の悲劇

    勝手にそれは、海辺にあるとばかり思い込んでいたがそうではなかった。とはいえ、読谷村は波平集落、海からは数百mの箇所だから、まんざら間違いではない。駐車スペースの周りは、ザワワ、ザワワのサトウキビ畑であった。ついでながら、機械化不可能で労働集約性が高く、収益も少ないサトウキビ生産は減少しつつあると聞いていたが、本島の中部南部ではけっこう目にする風景であった。そこで車を降りて、少し急な階段を下ると、やや陰鬱な窪地の底へと至る。陰鬱な印象は、折からの好天にも関わらずここへはその陽光が届かず、私たち以外人影がなかったことにもよる。その窪地の一隅に穿たれた洞窟がチビチリガマであった。1944年末から始まったこの地区への空爆は45年の春先、つまり米軍による上陸を控え、一段と激しくなった。このチビチリガマは、波平集落の人たち...なんやかんやで初めての沖縄(6)チビチリガマ集団自決の悲劇

  • なんやかんやで初めての沖縄(5) 戦争のために殺される美ら海・辺野古

    沖縄の海は、これまで私が見てきたものとは明らかに違っていた。海岸からしばらくは透明感のある水色が沖に向かって広がり、なにがしかの箇所でそれが深いマリンブルーに変わる。そして、その境界線には、白波が立つのが見える。この白波こそ、手前のサンゴ礁と外海とを隔つボーダーラインなのである。そのコントラストの鮮やかな美しさ、沖縄の人たちがこれを美ら海(ちゅらうみ)として誇りに思うのもむべなるかなである。訪れた辺野古の海は、そうした美ら海中の美ら海といっていいほど美しかった。それを目撃した途端、私には、この辺野古での基地闘争の本質がわかったと思った。それは、この美ら海が、人類が生み出したもっとも醜く悲惨な戦争という目的のために無きものにされようとしているということだ。政治、経済、軍事とさまざまな屁理屈が流通している。しかし、...なんやかんやで初めての沖縄(5)戦争のために殺される美ら海・辺野古

  • なんやかんやで初めての沖縄(4) 南国の花園と伊江島の悲劇

    この沖縄訪問記を記し始めた折、私のこだわりとして、贖罪と鎮魂を抜きにした訪問はありえないと書いた。しかし、過去三回、それらしい記述はなく、やはり単なる物見遊山ではないかとお叱りを被るかもしれない。もっともである。その理由は、今回、案内していただいたコースが、まず一旦北上し、それから南下するコースをたどったからである。つまり、沖縄戦で相対的により激戦地区であったし、いまなお米軍基地などが集中している中部や南部は後半の日程になったからである。北部で最後に訪れたのは、1975~76年にかけて行われた沖縄国際海洋博跡地に作られた海洋博公園の一角にある「熱帯ドリームセンター」、ようするに南国ならではの熱帯植物園である。入ってすぐの庭園には、色とりどりのブーゲンビリアンやハイビスカスが咲き乱れ、この島が年中、花の途切れるこ...なんやかんやで初めての沖縄(4)南国の花園と伊江島の悲劇

  • 記念ガラ・コンサートは赤ワイン付きで・・・・@岐阜サラマンカホール

    岐阜サラマンカホール会館25周年記念ガラ・コンサートにいってきた。25年前というと、まだ居酒屋稼業に追われていて、コンサートもままならなかったが、リタイヤーして即、サラマンカメイトに入ってから20年近くになる。そして、私が最も多くのライブ・コンサートを聴いたホールでもある。そのお祝いのようなコンサート、これは是が非でも行かずばなるまいということで、この日、重複した名古屋での、やはりクラシック関連の例会を欠席して、でかけた。そうした祝祭気分もあってか、通常のコンサートよりも晴れ着姿の聴衆が多かった。私はいつものドブネズミスタイルのまま。岐阜に工房を構えていたパイプオルガンの世界的な製作者・辻宏氏が、スペイン最古の大学都市、サラマンカにある大聖堂の、もう何年も演奏不可能だったオルガン「天使の歌声」の修復に尽力したこ...記念ガラ・コンサートは赤ワイン付きで・・・・@岐阜サラマンカホール

  • なんやかんやで初めての沖縄 ヤンバルクイナ・隔離の痕跡・沖縄の松並木

    沖縄へ来て、まず最初にやってきたのがヤンバル(山原)地区、ここに来てこれを見逃して帰る手はない。ヤンバルクイナ(山原水鶏)のことである。たしかに昨夜、そして朝方も、民宿でそのさえずりを聞いた。自分の縄張りを宣言しているのだという。しかし、その容姿は想像する以外なかった。安田の集落を散歩している折も、気をつけていたのだが、それらしい姿は見えなかった。彼らの天敵はカラスで、カラスが活躍する時間帯にはあまり姿を見せないのだという。しからばということで、人工飼育し、一般にも公開しているヤンバルクイナ生態展示学習施設「安田くいなふれあい公園」へ案内してもらう。1981年に「初めて」発見されたというこの新種の鳥は、アメリカ大陸に初めて足を踏み入れた人間がコロンブスではなかったように、地元の人達には昔から知られていて、アガチ...なんやかんやで初めての沖縄ヤンバルクイナ・隔離の痕跡・沖縄の松並木

  • なんやかんやで初めての沖縄 第二日 安田(あだ)集落の朝

    11月11日は中国の影響で「独身の日」とかいうのだそうだ。どこで調べたのか連れ合いを亡くした私のもとに、「独身の日特別セール」と銘打った広告メールがやってきたりする。その日の朝、沖縄は安田の集落の民宿で目覚めた。6時!日頃不健康な生活をしているせいで、こんな時間に起きて動き回ることはめったにない。朝食前の散歩に出かける。昨日も書いたが、経度の関係で夜明けも遅い。まだ暗いままだ。それでも、昨夜漆黒の闇の中に到着した頃に比べると、かすかながら集落の全体像が浮かび上がってくる。民宿の前の川(安田川)に沿って下ると、河口まではものの数分で、その辺まで来るとまだ仄暗い橋の上に地元の人が何かを待っている。日の出だ。今日は6時45分だという。空が白み始める。河口に伸びた防波堤がくっきりしてきて、その向こうにある無人島(安田ヶ...なんやかんやで初めての沖縄第二日安田(あだ)集落の朝

  • なんやかんやで初めての沖縄 第一日

    なまじっか沖縄の凄惨な歴史を戦前から知っていただけに、一度は行きたいけれど、なかなか物見遊山気分で行けない屈折した私がいた。そんな私を理解した上で同行してくれる友人夫妻、それに、彼の地で案内をかって出てくれた友人に恵まれ、やっと実現した旅だった。初日は、空港からどんどん北上して、ヤンバル(山原)地区の国頭村にある民宿を目指す。沖縄で最初に撮った写真。戦後の占領期の雰囲気を今に留めるバーガー屋さん。バーガーというものを口にしたことがないので詳しくはわからないが、ここはドライブスルーともまた違い、駐車場に備え付けのボードに注文を打ち込むと、音声で確認が返ってきて、それが成立するとまもなく店員さんが注文した品を車まで運んでくれる。そこで食べるもよし、そのままテイクアウトもよしというスタイル。店内飲食ももちろんあるが、...なんやかんやで初めての沖縄第一日

  • カラヴァッジョの絵画にほとばしる生と死

    名古屋市美術館で開催中のカラヴァッジョ展を観に行った。平日とあってか、予想したほどの人出はなく、ゆっくり観ることが出来た。この種の著名な画家の展示は、本人自身の作品は少なく、その周辺や影響関係の作品を掻き集めてなんとか数を合わせるというのが一般的だが、この展示もそうであった。しかし、カラヴァッジョ本人のものも一〇枚近くあり、その意味ではまあまあだった。数年前のフェルメール展(豊田市美術館)は、わずか一枚だった。今春の大阪市美術館のフェルメール展では数枚が展示されていたが。まあしかし、考えてみればフェルメールは世界中で現存が確認されているのは三十数点だというからやむを得ないだろう。カラヴァッジョはどうかというと、六〇点から一〇〇点というからかなり大雑把な把握という他はない。おそらく個人蔵が多くて掌握しきれなかった...カラヴァッジョの絵画にほとばしる生と死

  • 「文化の日」と「明治節」

    今日、文化の日は、戦前は明治天皇の誕生日にちなんだ「明治節」という休日だった。それをなぞり、11月3日を「文化の日」から「明治の日」とするよう促す日本会議をはじめとする署名運動がかなりの数を集めているという。その背景には、メディアによって醸成された「週刊誌天皇制」による皇室への賛美(安倍よりましという自称リベラルのそれも含めて)もあるのかもしれない。しかし、ここには祝日に関する発想そのもののとんでもない逆コースがが潜んでいることに気をつけなければならない。戦後、祝日は「国民の祝日」とされ、その主体は国民によるものとされた。何故わざわざそんなことが規定されたのかというと、戦前の祝日は国民のものではなく、天皇家のものだったからである。それらは、神武天皇の即位した日(2月11日)=紀元節、昭和天皇の誕生日=天長節(4...「文化の日」と「明治節」

  • 【旅にしあれば】ロシアの爪楊枝をめぐる謎

    食後、歯にモノが挟まった状態のままでいることは不快極まりない。私には、いつも挟まりやすい箇所があって、食後の爪楊枝や歯間ブラシは必需品ともいえる。家食にしろ外食にしろ、日本の場合には爪楊枝に困ることはほとんどない。飲食店でもそれを置かない店はまずないだろう。しかし、諸外国では事情が異なるようで、そもそも爪楊枝を使うこと自体がマナー違反であるようなところもあると聞く。だから、数少ない海外旅行ではあるがその際には、それらを持参することとなる。今夏、ロシアのサンクトペテルブルクとフィンランドのヘルシンキを訪れた。やはり爪楊枝や歯間ブラシを携えて行った。ところがである、サンクトペテルブルクの飲食店では、レストラン風のところでも、アイリッシュバーや屋台に毛が生えたようなところでも、どこにでも爪楊枝がテーブルに常備されてい...【旅にしあれば】ロシアの爪楊枝をめぐる謎

  • 身近な秋 ノコンギクと誰も刈らない稲の稲穂揚げ

    数々の台風がやってきて、夏の名残りを引きずっているようだが、私の周辺では確実に秋は深まっている。庭の片隅で何輪かのノコンギクが咲いている。多分私の記憶では、もっと前に一度開花しているのをみていて、それらが終わったと思っていたところでの開花だ。いうところの二度咲きのようだ。何らかの気象条件と関係があるのだろうか。もう何度も触れたが、耕作者が急逝したまま放置されている田んぼが近くにある。他の田では、すっかり稲刈りも終わったが、ここでは稲穂が垂れたままだ。とはいえ、この稲穂、今年田植えされたものではなく、昨年刈り取られた株からヒコバエのように自生してきたもので、ここに至るまで人の手はまったく加わっていない。しかし、その穂の色合いからして完熟の時期を迎えていることは間違いない。放置が続けば、このまま朽ちていって、その中...身近な秋ノコンギクと誰も刈らない稲の稲穂揚げ

  • 桃色吐息の丘・コキアの丘 そして郡上八幡

    以下は先般の奥美濃訪問、分水嶺公園の項の続き。「北と南の泣き別れ、われても末に逢わむとぞ思ふ」の分水嶺からものの三分もかからないところに、ひるがの高原スキー場がある。このスキー場、スキーシーズン以外は「ひるがのピクニックガーデン」として、広大なアウトドア空間を堪能することが出来るようになっている。入園料は五〇〇円だが、よく整備された空間、とりわけ山頂付近のお花畑の見事さ、加えてそこからの眺望の素晴らしさは、まさに値千金で、リーゾナブルな設定だといえる。。頂上へは、健脚ならば一時間もすれば到達できるだろうが、往復八〇〇円のリフトがお勧め。その傾斜や角度による風景の移りゆきは、登りの高揚感、下りの足下に開ける大パノラマと、老若男女ともに十分堪能することが出来る。もう少し早いとこの前方がペチュニアの赤い海だったという...桃色吐息の丘・コキアの丘そして郡上八幡

  • 「われても末に」逢えるかどうかの分水嶺

     先般、ほぼ10年ぶりぐらいに、ひるがの高原を訪れた。その折にも日記やブログに記したので、今回のものはその二番煎じとなる。国道156号線、ないしは東海北陸道を名古屋・岐阜方面から北上する。当初は長良川に並行しその上流へと進む。当然上り坂の連続だ。しかし、やがていつしか下り坂になり、今度は、荘川沿いに下流へと進むことになる。要するに分水嶺を越えるわけなのだが、その周辺がひるがの高原で、標高はほぼ1,000mといわれる。ひるがの高原内にある分水嶺公園はその二つの川の別れざまを分かりやすく見せてくれる場所である。公園といってもさして広くはない。上流から幅2メートルにも満たないせせらぎが小さな池のような箇所に至る。その流れの緩やかな場所では、イワナの子どもたちが戯れているのを観ることもできる。その池からの出口で水たちは...「われても末に」逢えるかどうかの分水嶺

  • オダギリジョー監督『ある船頭の話』を観る

    これを観たのは、オダギリジョーが自ら脚本を書き、長編初監督に挑んだ映画だからである。彼はこれまで数々の映画に出演し、私が観た範囲では、そのどれもいい映画であり、彼の演技も良かった。それだけに、今度はメガホンをとる立場でどんな映画を作り上げたかに興味があった。作品に込められたメッセージは明らかで、近代化、合理化が人間に何をもたらし、何を奪ったかという古くて新しい問題である。そして、それはよく分かる。いや、分かりすぎてしまうのだ。そこが問題だと思う。古くからの渡船場、その渡し船の船頭を演じるのは柄本明、彼がこの役を演じたらこうだろうなという期待通りの持ち味を発揮していて、その意味でははまり役と言える。この渡守の小屋と、その上流に築かれつつある橋、というだけで、伝統的なものと近代的なものとの二項対立はガッチリと設定さ...オダギリジョー監督『ある船頭の話』を観る

  • 読まないほうがいい話 読むなら「自己責任」

    ■「てんとうデンデン虫症候群」をめぐる経緯についてデンデン虫の抜け殻がひっくり返った状態のまま発見される事態の頻発を受けて、NASAの自然観察部門が非公式に調査した結果、カルフォルニア州のみで前年比56.8%増とという驚くべき数値に至っていることが判明。しかもそれらの現象は、ヨーロッパからアジアの広い範囲にわたって発生していることが確認された。なお、オセアニア大陸については、それに関する権威ある数値が今のところないため、そうした現象が起きているかどうかについては未確認としている。こうした結果を受けて、各国の諸研究機関がその原因などの解明に動き始めているが、そのうちのひとつ、日本の東動大(東京動物大学)の動物形態学研究室の根中幹札(ねなか・みきふだ)教授のチームが、この度、以下のような仮説をまとめるに至った。それ...読まないほうがいい話読むなら「自己責任」

  • 敗者の墓標 風景に寄せて

    あいちトリエンナーレの話といい、関西電力の原発資金還流詐欺といい、権力や金の亡者たちが、悪徳の限りを尽くしているのを見せつけられるのは実に胸糞が悪い。吐き気がしそうだ。こんなとき、弱い私は逃げ道として自然へと逸れる。とはいえ、もはや私たちの前にある自然が、実はこの時代の人工物に過ぎないことは承知しているし、それ自体が、政治や経済と連動し、刻々と変わっているのも事実ではある。私のまわりで今急速に増えつつある廃墟廃屋、耕作されず荒れ地となった田地田畑も、経済構造のなかで敗北し、打ち捨てられたものたちの墓標といえるだろう。この時期、残され、数少なくなった田の近くを通りかかると、稲わら独特の匂いがする。まだ刈り取られたわけではないが、その匂いが日増しに強くなる。遅場米の産地であるこの辺りの稲刈りは、恐らく来週の週末から...敗者の墓標風景に寄せて

  • 愛国者トランプとオボッチャマン小泉のことなど

    アメリカのトランプ大統領は、開催中の国連総会での演説で、「未来は国際主義者のものではなく、愛国者のものだ!」とぶち上げたという。国連を絶対視するものではないが、少なくともこれは、国連でするにもっともふさわしくない演説と言っていいだろう。18世紀末に、イマヌエル・カントが、その著、「永遠平和のために」でその理念を語り、20世紀に至ってやっと実現した国際機関を、ちゃぶ台返し同様に、ひっくり返してみせたようなものである。同じ演説のなかで、彼は、イランを激しく非難し、北朝鮮や中国を牽制している。しかし、これらの国々もまた、彼のような「愛国」の原理に従っていることに思いが至らないのだあろうか。残念ながら私には、それらの国々の愛国に比して、トランプの愛国の方が優れているという理由を見出すことが出来ない。相対的にいえば、アメ...愛国者トランプとオボッチャマン小泉のことなど

  • 無題

    初々しい恥じらいに赤く染まって昇った朝日夕べともなれば人の所業の愚かさに怒りに染まって沈むわれらが父母の世代は朝夕のお天道様に掌を合わせ崇拝したものだ朝はその初々しさに感嘆し夕べはその怒りを鎮めるために明日もまた陽が昇るとは限らない怒りのあまり昇らなくなることだってあるだから朝日は有難いことなのだそして夕日は明日の再見を念じながら心して見送らねばならないのだ無題

  • 田園将に蕪れなんとす@茜部界隈=私の散歩道

    行きつけのクリニックへ薬をもらいに出かけたついでに、ここ二、三日ほとんど歩いていないことにかんがみ、少し遠回りして帰ることにする。いわゆる「ついで散歩」だ。私の場合、わざわざ散歩に出たり、歩くために歩くということをする習慣がないので、いつもそんな調子だ。前々から書いているので、また蒸し返しかと思われる向きも多かろうが、最近、かつての休耕田とは違い、明らかに耕作放棄と思われる田畑が目立つのだ。理由はいろいろあるだろう。耕作者の高齢化、あるいは死亡、そして後継者の途絶。そのうちの一つが、私が長年ウオッチングをしてきた田んぼで、今年1月にオーナーが急逝して以来、耕作がストップしている。最初の写真の田がそれで、昨秋刈られた切り株から出たヒコバエが、他の田んぼの稲同様に穂をつけているのが憐れだ。「主(あるじ)なしとて秋な...田園将に蕪れなんとす@茜部界隈=私の散歩道

  • 肉体で聴く音楽シーン@名古屋今池祭り

    今年も名古屋の今池祭りに行ってきた。懐かしい知己に会うことが出来た。今回はその音楽シーンについて書くことにしよう。正直いって、ともに、いつも聞くジャンルではないのだが、これらについては今池つながりということでジャンルもへったくれもなく、身内の音楽のようなものだ。今池に寄り添い、今池とともにあるようなバンドが三つある。そのひとつは、生粋の今池生まれ、「バレーボールズ」だ。ブルースっぽいものが主体だがその幅は広い。リーダーの森田裕氏は、私から数えて6代目の今池祭りの実行委員長だ。https://www.youtube.com/watch?v=JpvSYiBaAoYもうひとつは、今池では絶対の人気を誇るロックバンド、「原爆オナニーズ」だ。彼らの舞台はハードだが、同時に開放的でもある。興にのった聴衆は誰でも舞台に駆け上...肉体で聴く音楽シーン@名古屋今池祭り

  • ゴロツキに促された「あいちトリエンナーレ」三会場

    名古屋市長の河村たかしという男はゲスでゴロツキである。私は一度、今池という街で店を持っていた折、直接対話をしたことがあるのだが、彼の開口一番は、「マスター(私のこと)、今池はチョーセンが多いで、商売、やりにくにゃぁきゃぁ」であった。頑迷なレイシストの言葉であった。この男が、今回のあいちトリエンナーレの企画展示「表現の不自由展・その後」の少女像などにイチャモンを付け、それをなぞるように菅官房長官の公金での支援を疑問視するが談話が続き、それらが火付けとなって事務当局への妨害電話、脅迫電話が相次ぎ、ついには、京アニ事件を想起させるガソリンをもって参上という武力攻撃を示唆する書き込みがネット上で公開されるに及んで、その企画が閉鎖されて今日に及んでいる。表現の不自由を検証しようとする企画が、はからずもそのまま、今日の表現...ゴロツキに促された「あいちトリエンナーレ」三会場

  • 旅の終わりは切なくて・・・・@フィンランドナショナル・ギャラリー・アテニウム

    サンクトペテルブルクとヘルシンキの旅、ぐだぐだと一ヶ月近くにわたって掲載してきたが、実際のところは一週間、実質5日間の旅だった。長々しく書いてきたのは、要点をかいつまんで述べることができない私の欠陥と、旅慣れた人にはアタリマエの事物に、オノボリさんの私にはいちいち立ち止まって感嘆していたことによる。それはさておき、いよいよ旅は最終日で、午後にはヘルシンキを離れなければならない日の午前、選択した行く先は、ヘルシンキのナショナルギャラリーともいうべき美術館、アテネウムであった。この美術館、ヘルシンキ中央駅の斜め前に堂々と建っていて、ヘルシンキの初回に書いたように、この街のほとんどの見どころが、80歳の私の足で到達できるという意味で、私の身の丈に合っているといったまさにっその象徴のような場所にある。ホテルからも徒歩で...旅の終わりは切なくて・・・・@フィンランドナショナル・ギャラリー・アテニウム

  • 教会三題@ヘルシンキ 赤レンガ造り・白亜の殿堂・そしてなにこれ? 

    前にも書いたが、ヘルシンキに着いたのは日曜の夜。翌日は美術館でもと思っていたが、はたと気づけばこちらでもそういうところは月曜日は休み。急遽予定を変更して著名な教会三箇所を回ることに。最初は、港のすぐ近くの丘にある「生神女就寝大聖堂」(別名、ウスペンスキー寺院)という日本ではあまり聞かない寺院名である。「生神女就寝祭」とは聖母マリアの永眠を記念するという意味のフィンランド正教会(ギリシャ正教会やロシア正教会と同系列)の大祭のひとつで、カソリックの聖母被昇天の大祝日に相当する。したがって、生神女就寝大聖堂とはその大祭を記念する寺院ということになる。こうした寺院は、正教系ではどこにでもあり、ロシア正教のモスクワ、クレムリンにあるそれは、世界遺産になっている。赤レンガ造りの生神女就寝大聖堂は南港から手を伸ばせば届くよう...教会三題@ヘルシンキ赤レンガ造り・白亜の殿堂・そしてなにこれ?

  • フィンランドを象徴するような要塞島スオメンリンナへ

    フィンランドは、いまでこそ平和で国民の満足度も高い国のトップクラスに数えられるが、長年、デンマークやロシアなどの強国に支配されていて、その自治州になったりはしたものの、国として独立したのはわずか100年ほど前、ロシア革命のどさくさ紛れの1917年のことだった。しかし、その独立後も、ソ連の赤軍の侵攻によりその領土の10分の1を奪われるなど、その抑圧に苦しんだ。そのせいもあって、1941年に始まったナチスドイツ軍のサンクトペテルブルク包囲にあたっては、一時期、ドイツ軍と手を結んだこともあったが、途中でソ連と和解し、ドイツ軍の残党狩りに協力したこともあって、辛うじて敗戦国扱いから免れた。もし、あの折、第2次世界大戦の敗戦国側に位置づけられていたら、東欧諸国等と同様、ソ連の支配下に置かれたろうといわれている。ことほどさ...フィンランドを象徴するような要塞島スオメンリンナへ

カテゴリー一覧
商用