海鮮丼を出す店まで含めたら、真鶴には数え切れない程の店があるのだけれど、ちゃんとした握り寿司を出してくれる店は5店舗だ。駅前の「鶴鮨」大道商店街を少し下ったところにある「福寿司」おやじさんは寿司下駄の上にヤガラの頭を置いて脅かして来たりする。更に大道商店街
孫達のことは息子夫婦がしっかり看ているので、じいじやばあばは余り教育に口出しすべきではない。ただ突撃して来る二人と遊んでいればいい。でも二人とも少し不器用なぐらい、真っ直ぐに育って来ているのが嬉しい。 二人とも頭の回転は速い。速いだけでなくトルクもある。
高田馬場で遅い昼食を済ませた後、早稲田通りを電チャリで小滝橋方向に進む。早稲田通りは小滝橋まで緩い下り坂と上り坂が連続する。小滝橋の交差点を過ぎるとまた上り坂になる。坂を上って暫くしたところで左折すると「松本湯」がある。14:30に「松本湯」に到着した。”まつ
電チャリで高田馬場に行くには幾つかの推奨ルートがあるが、僕にとって最も快適なのは山手通りを神田川まで北上して、その後は神田川沿いに進み小滝橋の交差点で早稲田通りに入るルートだ。ちょっと書きものをしていたので家を出たのが遅く、「一番飯店」に到着した時は午後1
今朝はご飯ではなくパンを食べたい気分だった。かみさんの朝食も作って上げることにした。(ホテルではないので希望は訊かない。)イングリッシュマフィンの直径は90mmなので、挟む目玉焼きの直径はそれ以下であることが望まれる。と独り言をいいながらセルクルをあちこち探
性格は直すものなのか、或いは治すものなのか。昨日かみさんと外出した時に、沖縄物産展が開催されていた。刺激を受けた。夕飯は僕が作ると言い張ってしまった。もちろん沖縄料理だ。と言っても、僕のレパトリーにはソーキそばとスパムおにぎりしかない。ところで沖縄そばは
カクテルを作る為のリキュールやシロップ類のボトルは、数度使った後はずっと棚の上で眠ることが多い。基本的に僕がウイスキー飲みだからだ。モナンのブルーキュラソー・シロップを僕が最期に使ったのは、去年の3月17日のセントパトリックデーの日だ。グリーンビアを作る為に
「先代旧事本紀」なんて難しい本を読んでいたので午前中から書斎でウトウトしていた。突然かみさんが入って来て、ランチに行こうと誘って来た。今日は仕事はお休みだそうだ。コスパの良い店があると言う。ただし早目に行かなければならないと言う。家から歩いて7-8分の場所に
今日は代々木上原駅近くの「大黒湯」を訪れた。普段は午後3時からが営業時間だが、日曜日は正午に開く。幡ヶ谷駅の南口から西原商店街に入った後、更に坂を下ると代々木上原駅手前の谷地に辿り着く。少し迷うかなと思ったのだが、下って来た一本道から少し逸れた路地に「大黒
赤坂の事務所から戻る時、大抵は赤坂見附駅から新宿駅まで丸ノ内線を使っていたのだけれど、街に繰り出した時には店の位置により赤坂駅の方が最寄になるので、赤坂駅から千代田線に乗って代々木公園駅で降車していた。駅前の商店街裏の古い階段を上れば山手通りの跨線橋の上
かみさんは同窓会で留守だ。お昼にしっかりうな重を食べたので、夕食は簡単にラーメンにすることにした。普通に作っても面白くないので、”木耳叉焼麺”を作ってみた。
昨日、中野新橋界隈で見付けた鰻屋「すが原」に、今日入店して見た。相変わらず気温は低いが天気はいい。「すが原」に到着した。店内は昭和のままだ。居心地がとてもいい。うな重を食べる前には余計なものは食べない。昼間から酒は如何なものかなと思ったのだが、ドリンクメ
花街という言葉は誰が考え出したのか。誰にとっての花街だったのか。花街という言葉は曖昧で明確な定義は無いようで、娼妓の居る単なる遊郭・遊女屋が集まった場所も、ちゃんと芸妓が居る置屋が集まった場所もともに花街と呼ばれたようだ。そして人が集まる場所には料理屋や
僕のホームメイドカレーの”型”はほぼ決まって来たのだけれど、作る度に味わいにばらつきが出る。レシピにおいて、使う具材とスパイスの種類は一定だが、量的管理が甘かったようだ。今回は4人分を前提として厳しく各食材とスパイスの量を確認した。それに加えて、玉葱が多過
今日は四谷の「こうや」にタンメンを食べに行った。”タンメンを巡る冒険”は続いている。かみさんが苦行のようねと呆れて言うのだが、珍しく野菜をたくさん食べるから良いかと笑っている。「こうや」と聞くと、最近は皆担々麺のチェーン店である「香家」を思い浮かべると思
あと1ヵ月ちょっとで渓流釣りが解禁になる。道志川水系の解禁日も、山梨の釜無川水系の解禁日も3月1日だ。密かにほくそ笑む。3月1日は火曜日なのだ。余程の渓流釣りファンでも、勤め人をしていたら3月という仕事の繁忙期に休みを取って釣行するのは無理だ。週末の3月4日、5
日々新たなりなんて呟いてみる。まあ、日々の向上は一歩一歩だ。この地味な生活がとても気に入っている。振り返れば、サラリーマン時代は向上心を押し付けられ、薬の代わりに大量のアドレナリンを脳下垂体から分泌させて、建前や引用に近い言葉の嵐の中を駆け抜け来た。無理
10日程前に訪問したらお休みだった。今日、ポタリングの序でに再訪した。しっかり暖簾が掛っていた。もちろんタンメンを注文するつもりで入店したのだけれど、メニューを見ている間に気が変わった。”タンメンを巡る冒険”はちょっとお休みして、サンマーメンを注文すること
とても寒い日だ。こんな日こそ家風呂ではなく銭湯だ。今日は幡ヶ谷駅の南側にある「仙石湯」に行くことにした。駅前を過ぎ遊歩道を横切って西原商店街へ入る。「仙石湯」はゴルフレンジの斜向かいにある。到着した。オーセンティックな造りの銭湯だ。お、暖簾の下に人影が見
東金町での野暮用が済んだ。時間があったのでちょっと足を延ばして、柴又の帝釈天界隈を散策することにした。10年振りの帝釈天参道だ。柴又駅前から散策を始めた。帝釋天参道は一度二車線道路を横切って二天門へと進む。寒い平日の午後なので、参道はとても空いていた。右手
昼時だ。勝手が分からない街だったので、Google Mapで食事出来る場所を探した。「ぶんぶく庵」という蕎麦屋に入店した。連れは鍋焼きうどんを注文した。僕も鍋焼きうどんにしようと思ったのだが、店頭の石臼を見てしまっていた。結局、かつ丼と蕎麦のセットを注文した。かつ
この頃我が家には、自家製叉焼と自家製スープが常備されている。
自分では手先が器用だと思っているのだが、かみさんは何時も僕が不器用だと笑う。こいつ、そんなにからかうのはかまって欲しいのかと思うが、大人しく聞いている。何時もひとのことを不器用だというのに、今日はなぜか「プラモデルとか組み立てるの上手だったよね」と言って
どうにもこうにも狂暴で貪欲なアーリア系人種と違って、大和民族は戦いを好まないし皆殺しや略奪を基本的にはしない。戦国時代は例外的に大和民族が荒ぶり、戦いに明け暮れた時期だった。それでも略奪や皆殺しは少なかった。織田信長が比叡山延暦寺を焼き討ちしたのは、僧侶
今年になって”タンメンを巡る冒険”を始めたのだけれど、元々僕は担々麺フリークである。真鶴に通う内に真鶴・湯河原だけでなく、周辺地域の様々なものに興味が出て来た。毎度食べものの話で恐縮だが、”小田原タンタン麺”と”小田原タンメン”というものがあるのを知った
真鶴半島は面積3.5 km²程のとても小さな半島だ。そしてその5分の2程が自然公園になっている。最近気が付いたのだけれど、この小さな半島にたくさんの神社がある。”貴船神社”、”貴船稲荷社”、”愛宕神社”、”船玉龍神社”、”津島神社”、複数の”児子神社”、”淡島明
パリパリのウインナーソーセージを食べたい時には、少し時間を掛ける。フライパンにウインナーソーセージと水を入れる。油は使わない。中火にかけ、フライパンの水が湯になり蒸発して無くなるまで待つ。時々、ウインナーソーセージを転がす。パリパリのウインナーソーセージ
午前中は真鶴半島の番場浦の磯で散々本気モードで釣りをしていたが、”小田原タンタン麺”を食べた後は、早川漁港の堤防でのんびり五目釣りをした。午後から気温があがりポカポカ陽気だ。堤防釣りに来ている人達と馬鹿話をして盛り上がる。ヘチ竿で堤防下を探っていたら、か
早朝から張り切って、真鶴半島 番場浦で釣りを始めた。景色はとても良いのだけれど、ふぐの餌取りの猛攻に閉口する。あまりの人気釣場せいで大物は釣り尽くされたのか、釣れるカサゴは全て小さくリリースサイズばかりだ。うちの二歳の孫Bはとても小さいので、家族みんなにゆ
家の近くの二車線道路から新宿駅に向かう京王バスは、山手通りを横切った後、新宿中央公園と消防署の角で左折して四車線道路に入る。四車線道路の正式名称は新宿副都心十三号線だが、通称は十二社(じゅうにそう)通りだ。因みに角を右折すると西参道で甲州街道を横切って参
チュートリアルの段階でパラメーターを増やすのは良くない。”タンメンを巡る冒険”の初期は他の要素を排除してプレインなタンメンを食べ歩くべきだ。西新宿の小滝橋通り近辺はラーメン激戦区で、凄腕の料理人が腕を競い合っている。この内の一軒に「麺屋 翔」がある。塩ラー
還暦を過ぎてからは新しいことを始めるのではなく、今まで身に付けたことを磨くか周辺分野に広げて行った方が良いと言う意見がある。物覚えも悪くなっているし、素直に先生や師匠に頭を下げられないからだと言う。僕は物覚えが悪くなっているが、先生や師匠がどんなに若くて
美味しいと勧められた東陽町の「トナリ」を訪れた。現役で仕事をされている方々の昼食の邪魔にならないように、ぷー太郎おやじの僕は午後1時過ぎに入店した。永代通り沿いにあったので店はすぐ見付かった。最近移転したばかりだそうで、店舗はとてもきれいだ。移転したと言っ
ダウンジャケットを着たまま1万2千歩も歩いたので、汗をかいた。銭湯に直行しなければならない。なんて銭湯に行く理由を探している振りをしているが、最初からリュックの中には入浴の支度がしてあった。東陽町から九段下に戻り、都営新宿線に載ればそのまま京王新線への乗入
おじさんは初めからおじさんだったわけではなく、幼児の頃があり、少年期があり、青年期があった。子供の頃に熱狂していたのに、自然に熱が冷めて剥落していったものもあるが、意識的に自分から遠ざかったものもある。自分の狂気を認識し、うまく飼い慣らすことが出来て人は
午後3時に雨が止んだ。今日は幡ヶ谷の銭湯に行ってみることにした。六号通り商店街から脇道に入ってすぐのところに「観音湯」はある。昨日行った坂下の「かねき湯」もそうだが、最近の銭湯はとても清潔な感じがする。浴槽も進化してジェット(超音波)風呂や電気風呂は当たり
”タンメンを巡る冒険”のペースが少し速過ぎると感じた。タンメンを食べるのは週一回、多くても二回程度にしようと思う。今日の昼は自分でオーソドックスなラーメンを作って食べることにした。叉焼も煮玉子も自家製だ。それにしても、ラードや鶏油、メンマ、ナルトが常備さ
昨年の秋にたくさんの栗を拾った。皆で頑張って食べたのだけれど、かなりの量が冷凍庫に残っていた。年末に大掃除を生き延び、栗はまだ冷凍庫に入っていた。かみさんが土曜日の朝に天啓を得て、孫達の為にマロングラッセを作ろうと言う。曲者なのは作るではなく、作ろうとい
寒いので温泉に浸かりたいなと急に思った。温泉に入った後、熱燗を飲みながら鍋をつつきたい。箱根の温泉宿などいいなと思うのだが、急に思いついて今日出掛けられるわけもない。温泉だけなら、真鶴に行けばすぐ近くに湯河原の温泉街があるし、白州はフォサマグナの真上にあ
タンメンが美味しいと評価されている都内の店をリストアップした後、暫く眺めていた。さてさてどこから始めようか。丸の内の「トナリ」がいい感じだが、休日に丸の内には行きたくない。南麻布の「大宝」か、経堂の「かみ山」はどうだろう。経堂には昔住んでいたせいか、やは
絶対音階を持っている娘は、同じ曲を数度聴くとほぼコピーが出来るし楽譜も起こせる。僕にとっては信じられない能力だ。僕にはそんな能力はないが、取柄はある。何度か同じものを食べるとコピーして作ることが出来る。これは能力と言うよりは、この齢になるまで色々な食材や
”タンメンを巡る冒険”を年初から始めたのは、単純に鶏ガラ出汁と野菜の旨味の組合せに目覚めてしまったからだ。醤油ラーメンや担々麺と異なり、僕にとってはほぼ未知の領域と言っていい。タンメンが美味しいと評価されている都内の店をリストアップ出来たのだけれど、タン
麻婆豆腐の食べ歩きはちょくちょくしていたのだが、この1年間自分で作ることはしなかった。1年前に作った時も、自分でレシピを組み立てたのではなく、赤坂の「陳麻婆豆腐」で購入したレトルトパックのソースに多少手を加えただけだった。以前はあれこれ自分で工夫していた。
今日読むべき本を読み終えて、書斎でウトウトしていた。これからウトウトの時間が少しずつ増えて、最後はそのままお迎えが来るのだろうと思っている。突然、特攻服の孫Bの襲撃を受けた。抱き上げ、居間を横切って廊下のコーナーの水槽前までじゃれながら押し戻した。改めて見
都内の天満宮、天神さまと言えば、亀戸天神社、湯島天満宮、平河天満宮、大宮天満宮(大宮八幡宮境内)が有名なのだけれど、他にもさまざまな由来により勧請された天満宮が都内には28社存在する。その中に一つが新宿の成子天神社だ。どちらかと言うと神社自体より境内にある
かみさんに春巻を揚げて置いてと頼まれた。これは20分仕事だったのだけれど、せっかく天ぷら油を熱したので何かを揚げて遊びたい。でも、春巻以外に既に夕食のおかずは複数ある。キョロキョロしていたら、今朝開いたお供えの鏡餅があった。これで揚げ餅を作ろうと小さく切っ
この本は日系アメリカ人のK・カール・カワカミ氏によって、1938年に上梓された。まず当時の世界情勢をしっかり確認してから、読み始めた。とても勉強になった。支那の組織的な反日教育は第二次世界大戦に始まったのではなく、国民党の南京政府設立時(1927年)から始まってい
かみさんは仕事で留守だ。夕方、貰いもののウイスキーを開けることにした。今日は何だか台所遊びをする気分ではない。つまみはアーモンドでいいやとウイスキーをちびちびやり始めた。氷が溶けてしまったので、グラスを持って台所に入ったら、調理台の隅にお皿があった。かみ
家族が揃った時に、時々火鍋パーティーをする。辛いものが苦手な人も子供もいるので、二色鍋を使って麻辣スープだけではなく白湯スープも準備する。朝起きたら、かみさんが天啓を得たように「今日は皆も揃っている。皆で火鍋を囲みたい。」と言い出した。おそらく冷蔵庫の中
半年程前に、小学館の魚図鑑を購入した。孫に勉強させる図鑑なので、印刷された大型本が欲しかったのだが、ちょっと手違いがありKindle版を購入してしまった。悔しがった後、暫く考えて大型本も購入した。とんだ無駄遣いをした。片方はA4サイズのフルカラー印刷本でDVDの付録
煙草の投げ捨てはしない。携帯灰皿はいつも持ち歩いている。百円ライターはプラゴミになるので使わない。釣りに行ったらゴミは全部持ち帰るし、堤防が寄せ餌で汚れたらバケツで海水を掛けて洗って帰る。食べものは残さないように努めている。ポロシャツは最低でも3年は着る。
毎日が日曜日のようなものなのだが、この頃は平日に遊びに出掛けて土日は家で過ごすようにしている。暇なので夕飯係を買って出る。インド風チキンカレーとは別に、僕なりの家庭用カレーの作り方が確立した来た。具材の準備完了ここまでは30分だが、ここからは1時間以上掛かる
大陸で”湯麵”と言えば、スープに入った麺の総称でチャーシュー麺やワンタン麺、五目ラーメンなどすべて湯麺に分類される。チャーシュー麺は叉焼湯麺、ワンタン麺は云呑湯麺、五目ラーメンは什錦湯麺だ。日本で”タンメン”と言えば、関東地方発祥で主に関東地方で食される
真鶴の部屋を早目に出て、湘南に寄り道して帰って来た。昔かみさんと良く食べに行った七里ヶ浜の「珊瑚礁」のカレーを急に思い出したのだ。Googleで「珊瑚礁」が健在であることは確認出来た。営業開始は10:30だ。西湘バイパスを大磯の終点まで進み、国道134号線を更に東に進
かみさんと出掛けた時には、必ずお土産を買う時間を設ける。後からあの時あれを買っておくんだったとか、くどくど言われないようにだ。僕はサラリーマンを辞めてから義理の付き合いはすべて放擲している。土産も、特にこれをあいつに上げたいとか食べさせたいと思った時以外
かみさんもカサゴ釣りがしたいと言い出した。まさか藪の中を抜けて、ロープで堤防に攀じ登る大浜の釣場に連れて行くわけには行かない。4日の午後に半島の南西側の福浦の赤燈前に連れて行った。友人達と釣行する時と違い、手取り足取りだ。仕掛けをセットして鉤に餌を付けて渡
昨日からかみさんと真鶴で過ごしている。
真鶴半島の内部はたくさんの路地がありその殆どが坂道だが、これらを束ねるような形で半島を周回出来る道路が通っている。この道路の名前は県道739号線 真鶴半島公園線と言い、駅前から少し行ったところで海側の広い道と山側の狭い道に分岐する。分岐をどちらに向かって進ん
早川漁港と小田原漁港は同じ場所にあるけれど、どこが境目? 何が違うの?と良く訊かれるのだけれど、面倒臭い時には「同じ港。”小田原漁港”が正式名称で”早川漁港”は通称。」と答える。歴史的にはまず小さな早川漁港が造られ、その後陸側に掘削工事が行われて漁港は大き
すべてを垂れ流しの私小説は別にして、小説を読んでも執筆者の人格や思考形態は分からない。分かってしまうなら、その作品は小説としては愚作なんだろうと思う。一方で誰かが自らの史観を記述する時には、良くも悪くも執筆者の人格や思考形態は丸見えになってしまう。田中英
昨年末に白州から戻る途中、初狩PAの売店で吉田うどんを購入した。真空パックの生麺だ。実は僕は人生において、吉田うどんを二度しか食べたことがない。一度は仕事で冨士吉田に出向いた折に、老舗らしき店で食べた。何だかとてもずしりとしたうどんだった印象がある。もう一
午後三時過ぎに階下が急に騒がしくなった。孫達が旅行から戻って来た。ばあばはそわそわして玄関まで迎えに行った。孫Aが普段ふざけて「ただいま」の代わりに「おかえり」と言うのを聞いているので、二歳の孫Bは本気で帰宅の際には「おかえり」というものだと思っている。満
孫達はまだ旅行中だ。居ると煩いが、居ないと確かに寂しい。”みてね”の12月の纏めを閲覧してみた。黄色い玩具はじいじが孫Bの誕生日に与えたものなのだが、なぜか孫Aが仕切って遊んでいる。まあ、そう言うことに一々口出しはしない。それにしても、考え事をしている時の孫B
今年最初のラーメンは、自分で作った。自分で言うのも何なのだが、とても深味のあるスープが出来上がり、ラーメン全体がグレードアップした。スープを作る時、普段砂糖は一切使わずに野菜の甘みだけで仕上げている。今日も砂糖も味醂も使わずにスープを作った。トッピング用
昨年の12月半ばに、かみさんが急にがっかりした顔をした。何の背景の説明もなく、面倒が無くなって良かったと僕に言うのだが、何だか寂しそうだった。何時もじいじとばあばは孫達を独占し、何時もばあばは孫達に独占されているだが、息子夫婦が奥さんの御両親と元旦から旅行
家では角餅、外では丸餅。
神道では人は亡くなると神になる。仏教では人は亡くなると仏になる。江戸時代の検校、鍼灸師である杉山和一は亡くなって神となった。同じ神社には杉山が21日間の断食祈願を行い、その後も参詣を続けた江島弁財天(江島神社)も勧請され合祀された。境内には杉山和一が修行を
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海鮮丼を出す店まで含めたら、真鶴には数え切れない程の店があるのだけれど、ちゃんとした握り寿司を出してくれる店は5店舗だ。駅前の「鶴鮨」大道商店街を少し下ったところにある「福寿司」おやじさんは寿司下駄の上にヤガラの頭を置いて脅かして来たりする。更に大道商店街
カサゴは小さく、ウツボばかりが喰い付いて来る。1mのウツボにMLロッドを折られかと思った。追記真鶴でも磯焼けが心配されていたのだが、この冬の海中は海藻だらけだ。根掛かりではなく仕掛けが海藻に絡む。離れ岩の脇にも青海苔が繁茂している。
昨日、真鶴から東京に戻る途中で吉野家に入店した。牛丼並とお新香と味噌汁が定番なのだけれど、「魯珈」とのコラボレーションカレーがあると知ったので気持を切り替えて注文した。大久保の「魯珈」のカレーはずっと何時かお店を訪れて食べてみたいと思っていたのだけれど、
今日は朝8時半から区役所、年金事務所、税務署を回った。午前中にやるべき事をサクサクと片付けた。作成した書類は問題なくすべて受理された。毎日が日曜日のおやじは自分の現役時代を思い出す。ロートルだと思ってたけど、まだまだお前使えるじゃん。ご褒美にうな重を食べた
野暮用で昨日東京に戻った。午前中にあれやこれや用事を済ませた後、電チャリで街に出てみた。新宿の立ち飲みバーがあった場所におにぎり屋さんが出来ていた。興味をそそられたので電チャリを降りて店先に立った。色々な種類のおにぎりが並んでいる。数年前から米や具材に拘
海釣りではなく河川・湖沼での釣りの話だ。購入して来たミノープラグには大抵トレブルフック(三又)が付いている。トレブルフックはシングルフックに較べてフッキングの確度が上がるのだけれど、魚へのダメージが大きい。トラウトがハーモニカ喰い(横咥え)等した時には、
こう言う立派な方々は北朝鮮か中共に移民すればいいのに。まあ3日も持たないと思うけど。
29cmのカサゴをMLロッドで釣り上げるのはちとしんどい。
自分が考えている以上にダメージを受けているようで、真鶴に帰っても釣りをする気持の余裕が無かった。だいぶ気持の整理が付いた。今日は土曜日、週末なのでたくさんの遊漁船が出ている。随分沖合に遊漁船が並んでいる。一方で琴ヶ浜のすぐ沖で粘っている船もある。この季節
先週渋谷の家に戻っていた時、久々に孫達に会った。書斎に居ると椅子に二人で攀じ登って来て、膝の上に乗ったり背中から頸に手を回して来た。まあ、じいじは孫達のいい玩具ではある。孫AはどうやらLEGOに夢中なようで、LEGOの話ばかりしていた。へえ、LEGOは知育にいいよなと
今日は満月。海を思い切り照らしている。
真鶴の部屋に戻って来てほっとしている。家族のことは好きだが、ずっと一緒にいたいとは思わない。齢を取れば家族との快適な距離感も変わる。カレーと根菜汁を作った。もう手馴れているので手が勝手に動く。料理を作るのは余りものを考えたくない時の最善の過ごし方だ。さて
いい天気だ。風も穏やかで陽射しも暖かい。昨日、東京から真鶴に戻って来た。1月2日にホスピスに入っている母を見舞いに行った後一度真鶴に戻ったのだが、5日に訃報が届き慌てて東京にとって返した。その後役所への届け出、通夜や告別式の準備とばたばたした。喪主も無事務め
前日に亡くなった母親の件で朝から区役所、年金事務所を訪れていたらすぐに昼時になった。こんな時でもお腹は減るんだと自分に呆れる。公園通り脇の路地にラーメン店を見付けたので入店した。「九月堂」と言う名前に惹かれた。東大寺の二月堂や四月堂が潜在意識にあったかも
昨日は東京に戻っていた。まあ戻っていたというより出掛けて来たというのが正しい感覚だ。正月なので渋滞や事故が多いと思い、車ではなく電車で出掛けた。真鶴から東京に初めて電車で帰った。正月もずっと真鶴で過ごすつもりだったのだけれど、姉から急に電話が入り、待ち合
本年の皆さまのご多幸を心よりお祈り申し上げます。
01. 10月08日 真鶴港外側02. 10月11日 真鶴半島 尻掛海岸03. 10月12日 真鶴半島 尻掛海岸04. 10月13日 真鶴半島 尻掛海岸05. 10月15日 真鶴半島 尻掛海岸06. 10月16日 真鶴港外側07. 10月19日 真鶴港外側08. 10月23日 真鶴半島 尻掛海岸09. 10月24日 真鶴半島 尻掛海岸10. 10
まもなく2024年が終わる。振り返れば辰年らしく年初の能登地震からずっと落ち着かない日々が続いた。まあ、一言で言えば糞みたいな一年だった。もちろん国民民主党の躍進とか、トランプの大統領再選とか明るい未来への萌芽が出た。清水寺の今年の漢字は”金”だと言うが、僕
もう色々な拘りは断捨離して良い年齢なのだけれど、長年の積み重ねの中で拘りの料理レシピが存在する。カレーは使う食材で作り方が違う。牛肉や豚肉、ラム肉を使う場合には、玉葱やニンジン、セロリを細かく刻んだりすりおろしてカレーソースを作る。基本的にはカレーソース
自分の調理技術の拙さを棚に上げて、おじさんは頸を傾げている。この頃の油揚げって、コシがないと言うかフニャフニャじゃない? 自分が購入している油揚げが安物のせいなのか、世の中の好みに合わせて全体的に柔らかくなっているのか。お稲荷さんなら分かるかも知れない。小
僕は麺喰い男で、中華麺、日本蕎麦、うどん、素麺、パスタ他、どれも大好きだ。温かい蕎麦を普段は食べないが、大抵の調理方法は受け入れられる。中華麺の料理で唯一食べないのは冷やし中華だった。もういい齢のおやじなのだが、人生に置いて冷やし中華は二回しか食べたこと
今日も天気が悪かった。冷蔵庫の中が寂しくなって来たので、午後遅く車でスーパーに向かった。僕は几帳面なので、道具類は使用中以外はあるべき定位置が決まっていて、そこに納めていないと落ち着かない。釣り道具の場所も決まっている。だが、部屋を出て車に向かう時に何故
伊賀のカバ丸ほどではないが、焼きそばが好きだ。外食でも食べるし、自分でも良く作って食べる。ただし、焼きそばパンは美味しそだが、栄養のバランスが悪そうなので遠巻きに見ている。外食では、具沢山の餡かけモツ焼きそばから、シンプルなソース焼きそばや素うどんならぬ
牛丼を作って食べようと思ったが、思いついて重箱を引っ張り出した。重箱にご飯と肉を盛り付けた。何だか丼に盛り付けた時より豪華に感じるし、美味い気がするから不思議だ。追記重ねないのに、なんで重箱って言うんだろう。
ずっと雨降りだったが、さっき止んだ。でも、再び降り出すかも知れない。今日は部屋でのんびりしている。ここのところ毎日磯場に釣行していたので、丁度良い休息日だ。足腰に疲れを感じるし、指先は結構ボロボロになっている。雨が降っても、燕の雛達はお腹が空く。雨の中、
久々に麻婆豆腐を作った。もう麻婆豆腐を作るのも数十回を数える。辛さや香りの調整を最初に覚え、次に豆腐の大きさととろみの調整を覚えた。最後は色合いの調整だ。やがて少しアレンジも加えてみたくなる。前回はきくらげを加えた。食感は良かったのだが、麻婆豆腐全体のレ
魚種を問わず一般的に魚が良く釣れる潮時は、下げ7分(満潮から潮が10分の3引いた頃合い)と上げ3分(干潮から潮が10分の3満ち始めた頃合い)だと言われる。何時も仕掛けや釣餌を買っている釣具店のおやじさんは、特に上げ3分がいいと言う。ただ、この通説って大潮や中潮、小
日の出が早い。満潮からの下げ潮を狙う為に、早めに部屋を出て電チャリで海までの坂を下り、膝上まで磯に浸かって離れ岩に辿り着いた。新しいスパイクシューズはいい仕事をしてくれる。半ズボンがびちゃびちゃになったが、すぐに乾くので問題はない。数投目でちびカサゴが釣
Fly Fishermanを気取っていた頃は、ウェイダーを穿き、底がフェルト地のウェイデングシューズを履けば足元は完璧だと思っていた。まあ当時は渓流釣りばかりしていて、海の磯場で役に立つかどうかは考えもしなかった。その後、フェルト地のウェイディングシューズは磯場では殆
今日の昼食は中華そばを茹でた。名無しの権兵衛ではつまらないので、隣町の湯河原町にある「飯田商店」の”醤油らあ麺”をコピーしてみた。みてくれも、スープの味も麺の感じもほぼ本物通りだ。僕は中華そばのかえしに普段砂糖は使わないが、この店のスープを再現するには砂
昼食に蕎麦を茹でた。膳を整える時に気が付いたのだけれど、この部屋には蕎麦を食べる食器を準備していなかった。飯碗で蕎麦を食べた。ちょっと変な感じだ。追記今日は風がとても強かった。早朝から磯場に出たが、風が強くてアタリが取れないどころか、ラインが風に流されて
真鶴ではイソヒヨドリの子育ては6月で終わり雛鳥は巣立って行くが、燕の子育ては5月の頭から7月末まで続く。話が飛ぶが、ディアジオ社の”花と動物シリーズ”の26本は死ぬまでに全部制覇してやろうと思っているのだけれど、僕の飲み方はあっちのボトルこっちのボトルと飲み散
「え、牛乳を入れるの?」「そう」パスタは日常的に作って食べている。この頃のお気に入りはボロネーゼだ。パスタを塩茹で、固茹でにし、フライパンで作ったソースに手早く絡める。手間が掛からず昼食に丁度いい。でもナポリタンスパゲティは本当に偶にしか作らない。嫌いな
昨日はとてもいい天気だった。風も無かった。ここのところずっとスパイクシューズを履いて磯場をうろついていたので、昨日はのんびりと真鶴港の内堤防で小物釣りをすることにした。カサゴ釣りオフ時に、釣り以外にやることはないのかと自嘲する。サビキ釣りとヘチ釣り用の竿
一日の食事の中心は朝食で、昼はパスタやラーメン、蕎麦等を食べ、夜は酒のつまみの延長という食生活をしている。朝食はしっかり作ってしっかり食べている。変化があったのは夕食だ。そうそう酒も飲んでいられないよな、しっかりしたものを食べよう。かと言って食器をたくさ
ダイソーで買った茹で玉子の殻むき器は優れものだった。茹で玉子を中に入れてシェイクし、その後取り出して指で殻を剥くのだけれど、面白いように剥ける。結構激しくシェイクするので4 - 5回使ったら、内壁が傷だらけになって来た。ずっと使っていると玉子が見えなくなるまで
朝食の準備をしている時に悪戯心が出た。「吉野家」の牛鮭定食を真似てみた。器が違うのでやはりイメージは違う。牛肉は煮ないで炒めた。食物繊維が足りないので一皿添えたけれど、「吉野家」で食べる時だっておしんこを追加する。材料費だけで「吉野家」の値段688円を超えた
昨夜からずっと雨だ。天気予報によれば午後からはもっと激しく降るらしい。こんな日には爪を砥ぐ。と言っても猫ではないので、代わりに釣りの仕掛けをひたすら仕込む。まあ、猫も僕も魚を狙っているのは一緒だ。とにかく鉤にハリスを結んで行く。ロックフィッシュの釣りは根
潮回りは余り良くないのだが、明日は天気が悪いので今日釣りに出ることにした。(まあ、余程天気が悪い時を除いては毎日釣りをしているが)真鶴半島の東側にある真鶴港外側の磯には、ここのところ通い過ぎているので、今朝は半島の西側の尻掛海岸の磯に出掛けた。9日振りの尻
早朝から雨だったが8時過ぎに止んだ。上げ潮時だったので、電チャリにロッドを載せて何時もの磯場に急いだ。今朝はちびカサゴばかりが4匹釣れた。部屋に戻ったら、天気が良くなって来たのでベランダに簡易テーブルを出して、昼食を取ることにした。喉が渇いていた。貰い物の