海鮮丼を出す店まで含めたら、真鶴には数え切れない程の店があるのだけれど、ちゃんとした握り寿司を出してくれる店は5店舗だ。駅前の「鶴鮨」大道商店街を少し下ったところにある「福寿司」おやじさんは寿司下駄の上にヤガラの頭を置いて脅かして来たりする。更に大道商店街
「千の風になって」ではないが、既に僕の心は会社を離れて別のところにある。ただ、ウクライナロシア情勢、世界的な景気後退、各国の金融政策と外国為替の極端な動き、看て来た組織と仲間達の行く末がとても心配ではある。でも、もう皆立派な大人だ。最終日にけじめの為に出
思い出横丁には時々行くが、いつも夕刻からだ。日中の思い出横丁の顔を僕は知らない。思い出横丁の居酒屋さんがランチサービスをしているなんて想像もしていなかったのだが、ひょんな事から「鳥園」という居酒屋さんがランチサービスをしているのを知った。今日は勤務の最終
グレンミラー・オーケストラのスタンダードナンバーに「茶色の小瓶(Little Brown Jug)」というご機嫌な曲がある。元々はフィラデルフィア出身の音楽家ジョセフ・ウィナーが自身のミドルネームであるイーストバーン の名で1869年に発表した曲で、酒席で良く歌われたそうだ。
早朝から書きものをしていた。色々纏めて置くことがある。書斎でばかり過ごしていると、感覚が世の中とずれて来るといけないので、昼食序でに電チャリでポタリングに出ることにした。それにしても、凄い陽射しと気温だ。山手通りを越え、西参道を越え、中央公園を過ぎ、新宿
スライサーで薄切りにしたジャガイモをそのまま揚げると、褐色のポテトチップスが出来上がる。自分の酒のつまみにするのであれば、これはこれで良いと思っているのだけれど、孫達の為にポテトチップスを作れと言われたので、少し真剣になってみた。スライサーで薄切りにした
平日の午後の映画館はとても空いていた。座席の両側6座席程に誰も座っていない。休みを貰っている。6月30日で退職をするのだが、もう会社でやることもないので有給休暇を使わせて貰っている。最終日に会社に顔を出して皆に挨拶をすれば、自由な毎日が待っている。1986年に「T
酒の肴を4種類程、かみさんが準備してくれていた。仕上げはラーメンでいいよねとかみさんが言った。でも、ラーメンは即席麺なのかな、ラーメンの準備は特にしていないようだ。結構、かみさんにも飲ませてしまった。もうラーメンを作る気力はないようだ。焦がし葱の醤油スープ
フェノール値の高いアイラモルトは、食後酒になる。夕飯を皆で一緒に食べるから、ちゃんと間に合うように帰宅しなさいと言われた。確か焼肉にすると言っていた。でも、暑いせいか孫のリクエストか、夕食の献立は焼肉から手巻き寿司に変更になっていた。寿司種がトレーのまま
一人での短期滞在中に、カレーを作るのは止めにする。玉葱と豚肉のシンプルなカレーを作ったのだが、どうにもこうにも調理する最低必要量があり、結局食べ切れない。翌日の昼には、仕方なくカレースープとして食べたが、まだ鍋にたくさん残っている。
朝4時には目が覚めた。目覚めて1時間位はのんびり(ぼー)としていたが、5時から釣行の支度を始めた。山荘から国道に抜ける道は三本ある。険しくで短い道と、険しくて長い道、それと平坦で長い道だ。普段は自分の車の特性も考えて、平坦で長い道を使っている。今朝も何時も通
”道の駅はくしゅう”で買出しを済ませ、田圃の横に何時も座っているおじさんに挨拶をして、何時もの山荘への道を辿る。握手しようと思ったが、梅雨で湿気っていそうだ。山荘に到着して、カーテンを寄せ窓を開けて中の空気を入れ替える。裏庭の林の緑がきれいだ。何時もこち
白州の山荘に来ている。ちっちゃな冷蔵庫の中を整理していたら、3週間前に釣った鱒が冷凍庫の中にあった。既に塩胡椒で味付けしてある。命を奪った以上、しっかり頂かなくてはならない。オリーブオイルとバターをフライパンに引き、小麦粉を塗した鱒を中火で炒める。最後に白
3年振りに食べる石川PAの天玉うどん。やっぱり美味しい。
三階を息子夫婦に明け渡し時、両開きドアの大型冷蔵庫は処分した。今は夫婦二人用の中小型の冷蔵庫を使っている。もう冷蔵庫を買い替えてから2年近く経つのだが、かみさんの買物の仕方はなかなか変わらない。作る料理を想定した食材の序でに、気分で食材を仕込む。だから、時
電話で予約を入れる時に、「飛露喜が飲めるんですよね。」と念押しした。旦那は「もちろんです。因みにうちはビールと日本酒のみで、焼酎やウイスキーは置いてありません。」人数と時間、こちらの連絡先の再確認の後、旦那が付け加えた。「今、店は一人で回しているので料理
父の日はツーリング倶楽部のオフ会があったので、家族との食事が出来なかった。息子と娘からモルトウイスキーが届いていた。自分で買ったラガヴーリンと並べてみた。確かに僕はアイラモルト好きだが、貧乏性であるし、フェノール値が20ppmも30ppmもあるウイスキーをカポカポ
今日は僕が夕飯を作ることにした。実はここのところジャガイモや玉葱を使った料理に拘っている。今日はコテージパイとクリスピーオニオンリングを作った。料理は楽しい。コテージパイとは早い話が、パイ皮の代わりにジャガイモを使う田舎料理だ。マッシュポテトにバターと塩
”家系ラーメン”という言葉はしっかり定着しているのだけれど、最近はこれに加えて”ちゃん系ラーメン”と言う表現がある。”武ちゃんラーメン”とか”のぶちゃんラーメン”とか、”さぶちゃんラーメン”というように”ちゃん”が店名に付く。個人事業主の店に多いのかなぐ
朝、ニュースで鰹が豊漁だと知った。数も多いが身も大きいらしい。初鰹のシーズンは例年は2Kgらしいが、戻り鰹並みに4Kgもあるそうだ。途端に昼食に鰹を食べたくなった。出来れば、たたきではなく、真っ赤な刺身を食べたい。ランチタイムになって同僚に声を掛けた。赤坂で鰹
ようやく「飛龍」の1/350プラモデルの組立と塗装が終わった。細部の塗装が残っているので、竣工とは言えないが、ドッグから出て進水は完了した感じだ。今回は、組立完了後に塗装をするのではなく、部分的に組立てては塗装を行い、また組立てるという手順を採った。とにかく飛
久々に新宿ではしご酒をした。二軒目は思い出横丁の「岐阜屋」と決めていた。思い出横丁を奥へ奥と進む(反対側の出入口から見れば奥ではなく手前だが)。同僚は関西出身で東京の思い出横丁は初めてだったらしく、興味津々らしく付いて来る。「かぶと」の前で少し迷ったが、
時々アイリッシュウイスキーをとことん飲みたくなる時がある。同僚と「ダブリナーズ」に入店した。ビールを飲む前に、胃を温める為にジェムソンをストレートで飲んだ。同僚にも同じ作法を勧める。このパブのつまみは嫌いではないが、フィッシュ&チップスとオニオンリングの揚
僕が薪ストーブを使い始めたのは6年程前からだ。最初は火を熾すのに苦労していたが、今は人と談笑しながらでも簡単に熾せる。3年程前からは、訪れた先に薪ストーブがあると観察する癖が付いてしまった。お蔭でバーモントキャスティングス、ダッチウエスト、ヨツール、ドブレ
赤坂界隈で生牡蠣を食べさせる店と言ったら、最初に思い浮かべるのは赤坂見附駅近くの「オストレア」なんだろうけれど、仕事の後のTPOを考えると牡蠣だけを食べに立ち寄ることはあまりない。ところで、「オストレア」と言う店の名前は"OSTREA"で、ラテン語で”牡蠣”そのもの
一泊二日の山荘滞在は少し慌ただしい。初日はのんびり出来るのだけれど、二日目は常に時計を見ながら動く。中央自動車道の渋滞が始まる前に帰宅したい。昼12:30前に山荘を出るか13:00に出るかで、小仏トンネルの渋滞を抜ける時間が変わる。北杜市の総合支所のゴミを受け入れ
近所のストーブ屋さんの行動は早かった。先週末に新しいストーブを発注したばかりだが、この週末には入替工事となった。まずは煙突のトップの交換だ。新しいトップは水滴が入り難い。午前10時、煙突の塗装も終えた。セネカの撤去の方が大変だった。とにかく重たいので外せる
安いステーキ肉を如何に柔らかく出来るか、美味しく食べられるかは楽しい課題だ。バーボンに漬け込んだ後シャリピアン・ソースに絡めてみたり、下ろした玉葱とスコッチに漬け込んでみたり、色々試してみた。今回も安いステーキ肉を購入した。買った時はやる気満々だったのだ
ストーブ屋さんとの待ち合わせがあるので、早目に家を出た。買出しをしようと道の駅 はくしゅうに向かったが、スーパーの開店10分前に到着してしまった。手持ち無沙汰だ。天気は薄曇りだ。燕がとても低く飛んでいる。餌の昆虫が湿気のせいで低く翔んでいるせいだろう。一匹が
小さなPAの割には、釈迦堂PAの食堂のメニューは充実している。その中でも最近やけにラーメンの品揃いが拡大している。正確には数えなかったが十数種類はある。改めて食堂の暖簾を見たら、”釈迦堂ラーメン食堂”となっている。以前から”ラーメン食堂”だったのかな。たくさ
「BAR MAR」で打ち合わせと食事を終えたが(と言ってもツーリングに関する話は10分程しかしておらず、後は馬鹿話ばかりをしていた。)、おやじ4人はそのままでは互いに離れ難く、もう1軒行こうと言う話になった。「真空管」がすぐ近くにあると移動したのだが、看板が無くな
夏の長距離ツーリングの打ち合わせを兼ねて、おやじ4人が集まることになった。遠くに行くのは嫌だと言っていたら、赤坂の店を予約してくれた。地元の僕がするべきだったと反省している。外食で夜の街に出るのは、5ヵ月振りになる。約束の時刻まで少し時間があったので、「四
訪れ残した赤坂の6店舗の麻婆豆腐店の一つ、「四川雅園」に昼食で入店した。昔、良く訪れていたとんかつ店「末吉」のすぐ近くに「四川雅園」はあった。今まで存在に気が付かなかったが、”食べログ”で中華料理の百名店の一つに数えられているらしい。先に出されたスープを飲
まもなく4歳になる孫Aの性格や行動特性をじいじは読み切っているのだが、1歳半の孫Bは次の瞬間に何をしでかすか、まったく読めない。(多分本人も分かっていない。)何時も回りはハラハラさせらている。偶に大人しくしている時があるが、それは単に眠い時だ。強欲でもある。
出先から直帰したので、早目に帰宅が出来た。外はまだ明るい。帰宅途中にコンビニに立ち寄ってビールを物色した。夏らしい缶の色に惹かれて、新発売のキリン一番搾り 清澄みを購入してみた。ワイシャツを脱いでポロシャツに着替え、ビールとグラスを持って裏のベランダに出た
魚介出汁のラーメンはあまり得意ではないのだけれど、ここのラーメンは本当に美味い。白醤油ラーメンと半鯛飯を注文した。教えられた作法通り、まずはそのまま食べてみる。魚介スープは出汁の旨味も塩味も強い。魚介の臭みは一切無い。麺は縮れ細麺。味変の為に、小皿で出さ
みすじ通りに立派な店構えの和食屋がある。「赤坂阿吽 本店」とあるが支店があるのかどうかは知らない。敷居が高そうな店で入店したことはなかった。ある日店の前を通ったら、大きなA看板が立っていた。コロナ禍で夜の営業の方が不調で、ランチ営業に力を入れ出したのか、品
この齢になると、友達の何人かは既に亡くなっている。元気だった奴が突然心臓麻痺で亡くなったと訃報を受け取ったりする。見渡すに、ここが悪い、あそこが悪いと言う同僚もいる。僕は元気だが、眼と耳が悪くなって来た。(頭は元々悪い。)離れて暮らす姉や弟も元気にしてい
釣りの世界で目的以外の魚を”外道”と言う。但し、鯵を狙っていて鯛が釣れた場合、鯛を”外道”と呼ぶかは意見が分かれる。TO DO LISTの項目の一応消し込んだので、夕刻渓流釣りに出掛けた。夕まずめの釣りだ。だが夏至が近く、日が長く明るい。釣場は、一応渓流なのだが塩
白州に来ている。いい天気だ。何時は中央自動車道を須玉ICで下りるのだが、一つ手前の韮崎ICで下りた。国道20号線の途中にある峡北漁協に立ち寄る為だ。6月になってようやく遊漁券の年券を購入した。渓流は3月に解禁となるのだが、3月、4月は仕事の方が大変だったため渓流釣
何だか急にソーキそばとスパムおにぎりを食べたくなった。昨日作ってみた。ソーキそばはそばとは言うが、蕎麦粉は入っていない。でも、これは中華麺を中華そばとか支那そばと呼ぶのと同じ表現方法だろう。因みにうどんは中力粉や薄力粉が中心だが、中華そばは、小麦粉の中で
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海鮮丼を出す店まで含めたら、真鶴には数え切れない程の店があるのだけれど、ちゃんとした握り寿司を出してくれる店は5店舗だ。駅前の「鶴鮨」大道商店街を少し下ったところにある「福寿司」おやじさんは寿司下駄の上にヤガラの頭を置いて脅かして来たりする。更に大道商店街
カサゴは小さく、ウツボばかりが喰い付いて来る。1mのウツボにMLロッドを折られかと思った。追記真鶴でも磯焼けが心配されていたのだが、この冬の海中は海藻だらけだ。根掛かりではなく仕掛けが海藻に絡む。離れ岩の脇にも青海苔が繁茂している。
昨日、真鶴から東京に戻る途中で吉野家に入店した。牛丼並とお新香と味噌汁が定番なのだけれど、「魯珈」とのコラボレーションカレーがあると知ったので気持を切り替えて注文した。大久保の「魯珈」のカレーはずっと何時かお店を訪れて食べてみたいと思っていたのだけれど、
今日は朝8時半から区役所、年金事務所、税務署を回った。午前中にやるべき事をサクサクと片付けた。作成した書類は問題なくすべて受理された。毎日が日曜日のおやじは自分の現役時代を思い出す。ロートルだと思ってたけど、まだまだお前使えるじゃん。ご褒美にうな重を食べた
野暮用で昨日東京に戻った。午前中にあれやこれや用事を済ませた後、電チャリで街に出てみた。新宿の立ち飲みバーがあった場所におにぎり屋さんが出来ていた。興味をそそられたので電チャリを降りて店先に立った。色々な種類のおにぎりが並んでいる。数年前から米や具材に拘
海釣りではなく河川・湖沼での釣りの話だ。購入して来たミノープラグには大抵トレブルフック(三又)が付いている。トレブルフックはシングルフックに較べてフッキングの確度が上がるのだけれど、魚へのダメージが大きい。トラウトがハーモニカ喰い(横咥え)等した時には、
こう言う立派な方々は北朝鮮か中共に移民すればいいのに。まあ3日も持たないと思うけど。
29cmのカサゴをMLロッドで釣り上げるのはちとしんどい。
自分が考えている以上にダメージを受けているようで、真鶴に帰っても釣りをする気持の余裕が無かった。だいぶ気持の整理が付いた。今日は土曜日、週末なのでたくさんの遊漁船が出ている。随分沖合に遊漁船が並んでいる。一方で琴ヶ浜のすぐ沖で粘っている船もある。この季節
先週渋谷の家に戻っていた時、久々に孫達に会った。書斎に居ると椅子に二人で攀じ登って来て、膝の上に乗ったり背中から頸に手を回して来た。まあ、じいじは孫達のいい玩具ではある。孫AはどうやらLEGOに夢中なようで、LEGOの話ばかりしていた。へえ、LEGOは知育にいいよなと
今日は満月。海を思い切り照らしている。
真鶴の部屋に戻って来てほっとしている。家族のことは好きだが、ずっと一緒にいたいとは思わない。齢を取れば家族との快適な距離感も変わる。カレーと根菜汁を作った。もう手馴れているので手が勝手に動く。料理を作るのは余りものを考えたくない時の最善の過ごし方だ。さて
いい天気だ。風も穏やかで陽射しも暖かい。昨日、東京から真鶴に戻って来た。1月2日にホスピスに入っている母を見舞いに行った後一度真鶴に戻ったのだが、5日に訃報が届き慌てて東京にとって返した。その後役所への届け出、通夜や告別式の準備とばたばたした。喪主も無事務め
前日に亡くなった母親の件で朝から区役所、年金事務所を訪れていたらすぐに昼時になった。こんな時でもお腹は減るんだと自分に呆れる。公園通り脇の路地にラーメン店を見付けたので入店した。「九月堂」と言う名前に惹かれた。東大寺の二月堂や四月堂が潜在意識にあったかも
昨日は東京に戻っていた。まあ戻っていたというより出掛けて来たというのが正しい感覚だ。正月なので渋滞や事故が多いと思い、車ではなく電車で出掛けた。真鶴から東京に初めて電車で帰った。正月もずっと真鶴で過ごすつもりだったのだけれど、姉から急に電話が入り、待ち合
本年の皆さまのご多幸を心よりお祈り申し上げます。
01. 10月08日 真鶴港外側02. 10月11日 真鶴半島 尻掛海岸03. 10月12日 真鶴半島 尻掛海岸04. 10月13日 真鶴半島 尻掛海岸05. 10月15日 真鶴半島 尻掛海岸06. 10月16日 真鶴港外側07. 10月19日 真鶴港外側08. 10月23日 真鶴半島 尻掛海岸09. 10月24日 真鶴半島 尻掛海岸10. 10
まもなく2024年が終わる。振り返れば辰年らしく年初の能登地震からずっと落ち着かない日々が続いた。まあ、一言で言えば糞みたいな一年だった。もちろん国民民主党の躍進とか、トランプの大統領再選とか明るい未来への萌芽が出た。清水寺の今年の漢字は”金”だと言うが、僕
もう色々な拘りは断捨離して良い年齢なのだけれど、長年の積み重ねの中で拘りの料理レシピが存在する。カレーは使う食材で作り方が違う。牛肉や豚肉、ラム肉を使う場合には、玉葱やニンジン、セロリを細かく刻んだりすりおろしてカレーソースを作る。基本的にはカレーソース
自分の調理技術の拙さを棚に上げて、おじさんは頸を傾げている。この頃の油揚げって、コシがないと言うかフニャフニャじゃない? 自分が購入している油揚げが安物のせいなのか、世の中の好みに合わせて全体的に柔らかくなっているのか。お稲荷さんなら分かるかも知れない。小
Facebookに知らない人から前触れもなく友達リクエストが入る。見るからにけばい女の子からの友達リクエストもある。こんなじじいに友達リクエストを送るのはどういう下心なのか、或いは女の子のフリをしたなんかやばい業者なのかと独り言をいいながら、拒否をタップする。Fac
本当は夕食にかつカレーを作って食べようと思っていた。でも冷蔵庫の中でずっと眠っている食材が気になっていた。牛蒡と長芋だ。他の食材と違って潰しが利かない。明確な意思を持って使う必要がある。あと鶏肉も中途半端に残っていた。ちょっと頭をひねって夕食の献立を決め
皆から離れて真鶴で好き勝手をやっているじいじの元にも、孫達の写真は届く。二人は時々喧嘩しながらも、相変わらずいつも一緒に遊んでいるようだ。孫Bは二歳年下だが、孫Aをにいにと呼ぶ時もあれば、名前を呼び捨てにすることもある。基本的にはにいにのやる事は自分もやれ
今年の3月、4月の峡北の渓流はまるで駄目だった。淵でも瀬でもまったくアタリがなかった。5月に入りようやくアマゴが釣れ始めた。● 渓流編01. 05月04日 塩川 下大河原橋・平橋近辺ちびあまご一匹02. 05月08日 塩川 下大河原橋近辺小型あまご数匹03. 05月10日 塩川 下大河原
6月も終わり明日から7月になる。写真では良く分からないが、目の前に30匹近いトンボが飛び回っている。トンボは秋の季語だが、実際にトンボが飛び回るのは6月から9月中旬だ。体色から判断すると、ナツアカネかミヤマアカネだと思う。大量のトンボの発生にほっとしている。ト
昨日の夕方釣り上げたアカハタを、下処理して冷蔵庫で一晩寝かせた。血抜きは完璧だ。今朝、ムニエルにしようかと思ったが、やっぱり塩焼きにすることにした。(椎茸くんと獅子唐くんは俺達だけバター炒めかよと言っている。)アカハタの極上の白身はバターなんて使わなくて
綺麗な朝焼けだ。カラスが目覚めて半島先端の”お林”から飛び立って行く。見下ろすと、もう3人のSUP釣師が”二番”から”釜の口”の脇で釣りを始めている。今日は午前中は曇り、昼前から小雨かな。
僕は麺喰い男で、中華麺、日本蕎麦、うどん、素麺、パスタ他、どれも大好きだ。温かい蕎麦を普段は食べないが、大抵の調理方法は受け入れられる。中華麺の料理で唯一食べないのは冷やし中華だった。もういい齢のおやじなのだが、人生に置いて冷やし中華は二回しか食べたこと
今日も天気が悪かった。冷蔵庫の中が寂しくなって来たので、午後遅く車でスーパーに向かった。僕は几帳面なので、道具類は使用中以外はあるべき定位置が決まっていて、そこに納めていないと落ち着かない。釣り道具の場所も決まっている。だが、部屋を出て車に向かう時に何故
伊賀のカバ丸ほどではないが、焼きそばが好きだ。外食でも食べるし、自分でも良く作って食べる。ただし、焼きそばパンは美味しそだが、栄養のバランスが悪そうなので遠巻きに見ている。外食では、具沢山の餡かけモツ焼きそばから、シンプルなソース焼きそばや素うどんならぬ
牛丼を作って食べようと思ったが、思いついて重箱を引っ張り出した。重箱にご飯と肉を盛り付けた。何だか丼に盛り付けた時より豪華に感じるし、美味い気がするから不思議だ。追記重ねないのに、なんで重箱って言うんだろう。
ずっと雨降りだったが、さっき止んだ。でも、再び降り出すかも知れない。今日は部屋でのんびりしている。ここのところ毎日磯場に釣行していたので、丁度良い休息日だ。足腰に疲れを感じるし、指先は結構ボロボロになっている。雨が降っても、燕の雛達はお腹が空く。雨の中、
久々に麻婆豆腐を作った。もう麻婆豆腐を作るのも数十回を数える。辛さや香りの調整を最初に覚え、次に豆腐の大きさととろみの調整を覚えた。最後は色合いの調整だ。やがて少しアレンジも加えてみたくなる。前回はきくらげを加えた。食感は良かったのだが、麻婆豆腐全体のレ
魚種を問わず一般的に魚が良く釣れる潮時は、下げ7分(満潮から潮が10分の3引いた頃合い)と上げ3分(干潮から潮が10分の3満ち始めた頃合い)だと言われる。何時も仕掛けや釣餌を買っている釣具店のおやじさんは、特に上げ3分がいいと言う。ただ、この通説って大潮や中潮、小
日の出が早い。満潮からの下げ潮を狙う為に、早めに部屋を出て電チャリで海までの坂を下り、膝上まで磯に浸かって離れ岩に辿り着いた。新しいスパイクシューズはいい仕事をしてくれる。半ズボンがびちゃびちゃになったが、すぐに乾くので問題はない。数投目でちびカサゴが釣
Fly Fishermanを気取っていた頃は、ウェイダーを穿き、底がフェルト地のウェイデングシューズを履けば足元は完璧だと思っていた。まあ当時は渓流釣りばかりしていて、海の磯場で役に立つかどうかは考えもしなかった。その後、フェルト地のウェイディングシューズは磯場では殆
今日の昼食は中華そばを茹でた。名無しの権兵衛ではつまらないので、隣町の湯河原町にある「飯田商店」の”醤油らあ麺”をコピーしてみた。みてくれも、スープの味も麺の感じもほぼ本物通りだ。僕は中華そばのかえしに普段砂糖は使わないが、この店のスープを再現するには砂
昼食に蕎麦を茹でた。膳を整える時に気が付いたのだけれど、この部屋には蕎麦を食べる食器を準備していなかった。飯碗で蕎麦を食べた。ちょっと変な感じだ。追記今日は風がとても強かった。早朝から磯場に出たが、風が強くてアタリが取れないどころか、ラインが風に流されて
真鶴ではイソヒヨドリの子育ては6月で終わり雛鳥は巣立って行くが、燕の子育ては5月の頭から7月末まで続く。話が飛ぶが、ディアジオ社の”花と動物シリーズ”の26本は死ぬまでに全部制覇してやろうと思っているのだけれど、僕の飲み方はあっちのボトルこっちのボトルと飲み散
「え、牛乳を入れるの?」「そう」パスタは日常的に作って食べている。この頃のお気に入りはボロネーゼだ。パスタを塩茹で、固茹でにし、フライパンで作ったソースに手早く絡める。手間が掛からず昼食に丁度いい。でもナポリタンスパゲティは本当に偶にしか作らない。嫌いな