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相撲史に関心・興味のある方どうぞ https://blog.goo.ne.jp/k3tanaka_1948

江戸勧進相撲以来の相撲史を中心に関聯事項 に対する私見・愚考を発表しています。

 去る十月、訪問者数が延べ30万人を 突破いたしました。

相撲史研究者・田中 健
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住所
長崎市
出身
長崎市
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2015/12/21

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  • 西ノ海3━0玉 錦

    意外な記録━最高位は横綱対横綱なのに…一方的?①大正十五年夏場所八日目西横綱〇西ノ海(寄切り)玉錦●東前頭六②昭和二年春場所四日目東横綱〇西ノ海(寄倒し)玉錦●西前頭三③同三年春場所六日目西張出横綱〇西ノ海(押出し)玉錦●東張小結〔評〕後横綱玉錦は、栃木山らに稽古をつけてもらって強くなったのじゃぁなかったか…。その栃木山と「引分け相撲」を取って横綱免許となった3代め西ノ海(←源氏山)に3連敗の玉錦━当時“未熟者”だから当然❔西ノ海3━0玉錦

  • 疑惑相撲で“貧乏神”へ…

    ※昨日までのトータル訪問者数986,050昭和十年夏場所、東十両筆頭常陽山惠一〔後年寄稲川〕の星。●射水川(前十五)●三熊山(十両3)〇國光(〃2)●錦岩(〃9)●源氏山(〃6)●小戸ヶ岩(〃9)●陸奥錦(〃10)〇越ノ海(仝)●九紋竜(〃12)●星甲(〃5)●加古川(〃4)彼も「春秋園事件」のため“繰上げ”の関取だった。上記、前場所は入幕可能な成績だが、千穐楽の玉ノ海との相撲が「八百長」と断定され“貧乏神”に止められてしまった。師匠出羽海(元小結両國)に睨まれて、その後に引退しても「万年平年寄」じゃぁなかったか。余談だが、のち『大相撲』座談会で某記者が元幕内常錦が「稲川」の株は自力では買えないでしょう云々━の発言を記憶している。疑惑相撲で“貧乏神”へ…

  • 「古今平幕最優…」脱稿

    拙作『相撲史発掘』における長期連載中なのが、「江戸大相撲熱戦譜」とともに「古今平幕最優秀力士星取表」である。〔「明治本場所の幕内記録ア…」は現在休載している。〕この“非文章”がスタートしたのは、第58号(平成20年6月)で、起点の寶暦十一(1761)年冬から明和四(1767)年春までを対象としている。今、振り返って残念なのは、第60~66号は当「古今平幕最優…」を休載していた。江戸時代、幕末まで採りあげてしまったのは第85号(平成29年6月)だった。それは18回に達していた。明治時代のスタートは第87号(平成30年2月)であった。第96号(令和3年2月)の第26回まで。大正時代は短いので第97・98号の2回で終了と相成った。そして、この度は来春の第102号で、昭和十四年春まで採りあげた。愈々、「15日間制...「古今平幕最優…」脱稿

  • 6年前の『相撲趣味』(非売品) 無代進呈

    ※昨日の閲覧…752・訪問者…391トータル訪問者数985,831相撲趣味の会(昭和二十三年発足)が平成二十八年七月に発行した機関誌『相撲趣味』(非売品)の第178号〔52ページ=6氏寄稿〕を重複所蔵していますので御希望の方、先着1名様に無代進呈いたします。下記宛へ送料として140円切手同封のうえお申込み下されば、折返し御送付いたします。尚、当資料は書込みや破損など一切なく、新品同様の保存状態であります。〒852-8113長崎市上野町14-11田中健お問合せはjhisa104@ybb.ne.jpまで…お気軽に。☎095-845-67996年前の『相撲趣味』(非売品)無代進呈

  • 繰上げ関取、“貧乏神”で惨敗

    昭和八年春場所、西十両筆頭七尾泻直右エ門の星取表です。〇灘ノ花(幕内別席)●番神山(十両別席)〇岩城山(前九)〇秋田嶽(十両5)●可愛嶽(〃4)●金湊(十両別席)●綾曻(仝)●銚子灘(仝)●綾若(仝)●外ヶ濱(幕内別席)●土州山(前六)どうも、双葉山らは幕内へ繰上げ入幕したが、彼は十両への繰上げ関取だった。“貧乏神”の実力不足みたい。幕内力士2人から白星を得たのに…。石川県出身、立浪部屋。明治38年生れ、本姓は濱田兵吾、昭和18年歿。繰上げ関取、“貧乏神”で惨敗

  • 九州…“7人衆”の綜括だ

    ※昨日までのトータル訪問者数985,440勝手に選抜した“7人衆”の九州…における寸評&綜括をまとめました。西前頭三枚目〇翠富士8勝7敗「肩透し」で2番白星━かつて天竜三郎氏記事『大相撲』に「肩透かしをやめさせろ」との見出しが躍っていた。真っ向勝負ができず平幕止りで終るかも知れないぞ。同十三枚目〇王鵬10勝5敗漸く相撲に“開眼”━「大器の片鱗」をみせて…上出来と云うよりも“出来すぎ”じゃぁないか。若いのに175㎏超は太り過ぎだ━祖父大鵬が150㎏の増量は30歳ちかくになってからだった?何れ“上位の壁”にぶち当るであろう。同十六(幕尻)●照強15戦全敗桂川・清瀬川の父子から数えて何人めの幕内全敗記録になるかなぁ…?来場所は十両の“二桁”まで急落しそうだ。十両十一枚目〇炎鵬10勝5敗翠富士とちがって「真っ向勝...九州…“7人衆”の綜括だ

  • 相対的評価で高安が再大関

    我国最高の相撲文献とされる『日本相撲史』とともに最早相撲史研究・調査に欠かせない『大相撲人物大事典』(平成十三年刊)━その巻末の「番付」に「昭和4年1月」の末尾の括弧内━3年3月、5月、10月の地位、成績を基準にして作成━と記載している。そこで、鬼が笑う来年の初場所三役番附の私製版を本年後半の名古屋・秋・九州━3場所通算成績を主な基準にしてこしらえてみた。横綱<該当力士なし>東大関貴景勝33勝12敗西大関髙安23勝7敗・15休東関脇豊昇龍28勝17敗西関脇阿炎20勝10敗・15休東小結若隆景27勝18敗西小結照ノ富士16勝9敗・20休元『相撲』⇒『大相撲』編集子だった三宅氏の趣旨に同調する。横綱は1人もしくはゼロでも構わないが、大関は1横綱のとき最少1人、横綱を欠く場合は2人必要━それが江戸時代以来の「番...相対的評価で高安が再大関

  • 幕下初の二桁勝利…

    ※昨日までのトータル訪問者数985,217昭和七年夏場所、西幕下十九枚目三嶋岳の星取表に刮目してください。〇大林(幕下20)〇大化嶽(〃21)〇呉錦(〃10)=元十両●秋田嶽(〃2)=前十両〇八幡錦(〃15)=後十両〇肥州洋(〃5)〇常陽山(〃6)=前十両〇肥州嶽(〃17)=後大関五ッ嶋〇土佐ノ浦(三段目2)〇冨ノ山(幕下16)=後幕内富野山〇栃ノ峰(〃25)=後十両幕下で史上初の“二桁白星”だった━と思われる。後十両の久能山と名乗った。静岡県出身、宮城野部屋。昭和31年歿。幕下初の二桁勝利…

  • 幕内力士2人を破りながら…

    昭和六年夏場所、西十両筆頭羽後響助松の星取表である。●楯甲(十両3)〇晴ノ海(〃5)〇双葉山(仝)〇潮ノ濱(〃2)●旭川(〃8)〇海光山(〃3)●綾ノ浪(前十四)〇髙登(同十五)〇錦華山(同十三)●太刀若(十両6)〇大潮(十両2)翌場所〔番附発行なし〕も勝越したのに十両二枚目へ降下。当時の大幹部出羽海梶之助(元小結両國)は、自らの弟子だって「無気力」相撲には容赦せず制裁を科している。幕内力士2人を破りながら…

  • 対幕内2勝の“貧乏神”

    ※昨日までのトータル訪問者数984,968昭和三十年夏、東十両筆頭劍龍の星取表を掲げたい。〇秀湊(十両2)〇大瀬川(前廿一)●白龍山(同二十)●楯甲(十両1)●前ノ山(〃2)●出羽ノ花(〃4)●吉井山(〃3)〇那智ノ山(〃5)●福ノ里(〃3)●玉風(〃9)〇大龍(〃12)●緋縅(前廿一)〇廣瀬川(同十八)●白雄山(十両8)●平ノ戸(前十九)幕内力士を2人破りながら“貧乏神”が最高位で入幕できず……。尚、後関脇巨砲の父親だった。対幕内2勝の“貧乏神”

  • 正鵠を得た昭和30年秋の「番附」

    鬼が笑う来年の初場所「番附」は1横綱・1大関━125年前の明治三十一年春以来の“椿事”と云うことに…。このとき、東方が大関兼横綱の小錦、西方総帥は大関鳳凰で、他に役力士は2関脇・3小結の陣容であった。当時、「横綱」は現代の如く、大関以上の「最高地位」と確定されておらず、大関が横綱を兼務しても別段可笑しくはなかった。ところが、時津風理事長(元横綱双葉山)のときから「横綱兼大関」なる変な地位を拵えているのは誠に遺憾である。そんな地位が存在するならば、「大関兼関脇」とか「小結兼前頭筆頭」や「同二枚目兼三枚目」も可笑しくない理屈だ。かつて出羽海理事長(元横綱常ノ花)が“外野”の彦山光三の意見を聴いて作成した「正しい」番附が昭和三十年秋場所の完全な「西大関空位」のそれであった。正鵠を得た昭和30年秋の「番附」

  • 照 國4━5千代の山

    ※昨日までのトータル訪問者数984,750横綱同士の旧・新対決だって好取組にちがいない。昭和戦後の実例を御紹介。①昭和二三年夏場所八日目西横綱〇照國(吊出し)千代ノ山●西関脇②同二三年秋場所二日目東横綱●照國(突倒し)千代ノ山〇西前頭筆頭③同二四年夏場所九日目東張横綱●照國(押出し)千代ノ山〇東関脇④同二五年夏場所千穐楽東張横綱〇照國(寄切り)千代ノ山●東大関⑤同二五年秋場所十三日目東張横綱●照國(突出し)千代ノ山〇東大関⑥同二六年春場所十三日目東横綱〇照國(外掛け)千代ノ山●東大関⑦同二六年夏場所十二日目東横綱●照國(下手投)千代ノ山〇東大関⑧同二六年秋場所十四日目西横綱〇照國(寄切り)千代ノ山●西張出横綱⑨同二七年春場所十四日目西正横綱●照國(上手投)千代ノ山〇西張出横綱名横綱照國は対双葉山戦に3勝2...照國4━5千代の山

  • 「巨漢優遇」の犠牲、荒浪

    大正十五年夏場所の成績に加えて、大阪相撲を“合流”させた昭和二年春の「番附」だが、戦後の神若・平ノ戸の“入れ替え”よりもひどい不公平な編成。即ち、東幕下十枚目で4勝2敗の男女ノ川が14枚UPの十両八枚目へ昇進。西幕下九枚目の荒浪も同成績の4勝2敗の星なのに、6枚しか上らず幕下三枚目に止められてしまった。男女ノ川の体格は当時の『野球界臨増相撲號』に拠れば、「六尺三寸」(190cm超)の「三十七貫」(138㎏余)とあり、十両に昇進した荒浪のそれは、「五尺六寸」(170cm弱)・「二十三貫」(86㎏強)━と記載されている。当時も“部屋勢力”の影響の如く不明朗な感じ。荒浪は立浪部屋だが、当時師匠立浪(元小結緑嶋)は、双葉山が強くなって「取締」に就任。それまでは“発言力”がなかったと察するほかはない。問題は、男女ノ...「巨漢優遇」の犠牲、荒浪

  • 幕内皆勤1場所だが…

    ※昨日までのトータル訪問者数984,558昭和二五年秋場所、西前頭十九枚目那智ノ山公晴の星取表です。〇緑國(前十八)足取り●北ノ洋(〃)…出投げ●清惠波(同十五)〃●時津山(同廿一)〃〇甲斐錦(同十九)内無双●神錦(同二十)寄切り〇藤田(同十三)叩込み●櫻國(十両1)…出投〇甲斐ノ山(前二十)下手投●若葉山(同十二)〃●吉田川(十両2)突出し〇神若(前十二)蹴返し〇朝若(十両4)〃〇玉輝(〃5)大股●鬼龍川(仝)掬い投182cm・99㎏の体で珍手を多く使っているので採りあげてみた。幕内皆勤1場所だが…

  • 給金相撲の炎鵬 礼讃…! !

    本日、中入り前の十両おしまいの取組で「給金相撲」の人気力士炎鵬が激闘の末、勝越しを決めた。TV桟敷で観戦、長い相撲になれば…結局は“体力負け”になりそう─と、思いながら、ひやひや・どきどきして観ていた。ところが2分半弱の熱闘で、炎鵬は「執念」をもって苦しいのを我慢・辛抱の末、見事に白星を得た。「なんとしても勝越しを決めてやるぞ」と云う“気力”が当桟敷まで伝わってくるような気がした。これで明日から4日間のうち半分白星なら“二桁勝利”だって夢じゃぁない━現実味を帯びてきた。昨日は十両最初、今日は最後の土俵で━精神的に「神経過敏」な吾輩が力士だと仮定したら…とてもじゃぁない━殊に、中入り前最後の場合、審判が「時間」を気にして微妙な相撲に“物言い”をつけてくれるかな?━と、余計なことまでも頭で考えてしまう。幸い炎...給金相撲の炎鵬礼讃…!!

  • 非売品『相撲趣味』178号 無代進呈

    ※昨日までのトータル訪問者数984,300相撲趣味の会(昭和二三年発足)が平成二八年七月に発行した機関誌『相撲趣味』━第178号〔52ページ=6氏寄稿〕を重複所蔵していますので御希望の方、先着1名様に無代進呈いたします。当資料は書込みや破損など一切なく、新品同様の保存状態であります。下記宛て郵送料として140円切手同封のうえ…お申込みいただければ折返し御送付いたします。〒852-8113長崎市上野町14-11田中健お問合せはjhisa104@ybb.ne.jpまで…お気軽に。☎095-845-6799非売品『相撲趣味』178号無代進呈

  • 理不尽な大正末⇒昭和劈頭番附

    先ず、大正十五年夏場所の星…を御覧いただきたい。西幕下九枚目、荒浪源四郎〔後十両=立浪部屋、昭和七年歿〕や●楢ノ里(幕下9)や〇白根山(幕下7)や〇雷ヶ梅(幕下14)〇髙ノ花(〃13)=後幕内、昭和35年歿や●岩木山(幕下2)=後幕内、昭和10年歿や〇鏡岩(幕下2)=後大関、昭和25年歿“次位”の東幕下十枚目、男女ノ川の星。〇天竜(幕下5)=後関脇、平成元年歿や●諏訪錦(幕下6)〇雷ヶ梅(仝)〇佐賀ノ山(幕下15)やや●開月(幕下5)=後幕内、昭和41年歿や〇浪ノ音(幕下3)=後十両、昭和9年歿や“同成績”なのに翌場所は地位が逆転し、男女ノ川は新十両八枚目へ昇格して、荒浪は幕下三枚目でストップしてしまった。理不尽な“不公平”番附編成だった。当事者のひとり荒浪は協会に「抗議」をしなかったのであろうか…❔理不尽な大正末⇒昭和劈頭番附

  • 横綱 千代の山11━0小結 若葉山

    ※昨日までのトータル訪問者数984,048昭和戦後のパーフェクト記録━最高位は横綱対小結であった。①昭和二六年夏場所五日目東大関〇千代ノ山(突倒し)若葉山●西前頭二②同二六年秋場所五日目西張横綱〇千代ノ山(押切り)若葉山●西小結③同二七年春場所九日目西張横綱〇千代ノ山(突出し)若葉山●東前頭筆頭④同二七年秋場所七日目西横綱〇千代ノ山(突出し)若葉山●西前頭筆頭⑤同二九年春場所四日目東張横綱〇千代の山(突出し)若葉山●西前頭四⑥同二九年夏場所初日西横綱〇千代の山(…出投)若葉山●東前頭六⑦同三十年春場所六日目東横綱〇千代の山(突出し)若葉山●西前頭四⑧同三十年夏場所三日目東横綱〇千代の山(突出し)若葉山●東前頭五⑨同三一年初場所三日目西横綱〇千代の山(切返し)若葉山●西前頭四⑩同三一年春場所初日西張横綱〇千...横綱千代の山11━0小結若葉山

  • 年寄名跡のブランド価値❔

    力士の醜名〔「四股名」は宛字なので採らない。〕にも所謂ブランドネームが存在━谷風・雷電・常陸山・太刀山・栃木山・双葉山、それに貴乃花など今後襲名する力士は出現しないであろう。そこで、「年寄名跡」だって襲名した元力士が明治十六年以前なら筆頭(ふでがしら)・筆脇(ふでわき)、以後昭和四二年までなら取締に就いたものを過日列記してみた。以下、それら執行部入り以外の名跡をあらためて列記しよう。先ず、旧大阪系には━小野川・押尾川・竹縄・三保ヶ関・岩友・陣幕・大鳴戸・鏡山・高田川・中村・朝日山・湊・枝川・千田川・高崎・安治川・不知火・北陣・西岩・大島─以上、20名跡だが、小野川・陣幕・不知火は「横綱名」でもあり、鳥渡ばかり紛らわしい感じがしないでもない。江戸→東京方の年寄名跡では如何。楯山・立田川・秀ノ山・高島・峰崎・...年寄名跡のブランド価値❔

  • 近い将来、土俵で露・烏 対決実現?!

    ※昨日までのトータル訪問者数983,847独裁者プーチン大統領に因るプーチンのためのプーチンの戦争は、どうやら“越年”しそうである。飛行機が離陸よりも着陸が難しい〔我が搭乗していた航空機が羽田上空で何度も“旋回”を繰返して鳥渡ばかり恐怖に慄く体験をした。〕のと同様、戦争だって始めるより終らせるのが簡単じゃぁない。ところで、九州…「番附」をみると、西十両十三枚目に露國出身、二子山部屋所属の狼雅(ろうが)がランクされ、その8枚下位の幕下七枚目に烏克蘭出身、入間川部屋の獅司(しし)が醜名を列している。近々、両者が土俵上で角逐すれば、当の両力士のみならず、まわりの観客だって相当にエキサイトするのを回避できまい。近い将来、土俵で露・烏対決実現?!

  • 昭和20年代「長身力士」13名を選抜

    昭和戦後、二十年代の入幕力士のなかから「長身力士」13名を選抜してみた。①大関・茨城・大内山202㎝・152㎏昭和60年59歳②小結・福岡・大起194・180〃45年46歳③横綱・北海道・千代の山190・122〃52年51歳④前十二・茨城・七ッ海188・109平成6年67歳⑤横綱・兵庫・朝潮188・135昭和63年58歳⑥前一・北海道・双ッ龍185・108平成18年75歳⑦〃・長野・大昇185・116〃21年83歳⑧〃・兵庫・鳴門海183・87〃22年84歳⑨小結・熊本・潮錦183・110〃17年80歳⑩前十一・福岡・吉井山182・92<歿年未詳>⑪前十九・和歌山・那智山182・99平成6年74歳⑫前十三・〃・増巳山182・99〃7年73歳⑬関脇・東京・時津山182・137昭和43年43歳長寿派・短命派が...昭和20年代「長身力士」13名を選抜

  • 後大関大内山の幕下優勝

    ※昨日までのトータル訪問者数983,641昭和二二年夏場所、西幕下二三枚目大内〔後大関大内山〕の星取表。〇大江戸(幕下21)=後幕内や〇秀ノ海(幕下18)やや〇陣ノ花(幕下21)〇前田川(〃25)=後関脇とは別人やや〇紀ノ國(幕下17)江戸・明治も当時も改名が多い━と云うことは“同名”力士が多かったわけである。後大関大内山の幕下優勝

  • 72年前、序二段で14勝の快記録

    昭和二五年秋場所、東序二段二十枚目伊藤改め柏泻の星取表をじっくり御覧。〇鷹巣(序二段21)〇谷(〃20)〇由良ノ花(序ノ口3)〇秀ノ海(序二段15)〇初瀬川(序ノ口4)〇柏谷(序二段13)〇小林(〃10)=後小結時錦なのか〇大嵐(〃6)〇長栄山(〃14)〇尾﨑(〃12)〇若鷹(〃23格)〇北國(〃2)〇朝曻(〃7)●松本(〃22格)=関取になれず?〇安念(〃17)=関脇止りで残念な…山序二段で14勝は「空前・絶後」の記録でしょう。しかし、彼は関取へ昇格していない。72年前、序二段で14勝の快記録

  • 昭和20年代「長身力士」10傑

    ※昨日までのトータル訪問者数983,430昭和二十年代の長身力士①大関・茨城・大内山平吉202㎝・152㎏②小結・福岡・大起男右エ門194・180③横綱・北海道・千代の山雅信190・122④前十二・茨城・七ッ海操188・109⑤横綱・兵庫・朝潮太郎188・135⑥前一・北海道・双ッ龍德義185・108⑦〃・長野・大昇充宏185・116⑧〃・兵庫・鳴門海一行183・87⑨小結・熊本・潮錦義秋183・110⑩前十一・福岡・吉井山朋一郎182・92身長182㎝があと3名いるが、うち2人が体重99㎏なので…順位を決めかねている。昭和20年代「長身力士」10傑

  • 「平和呆け」から眼を覚ませ !

    今日午前中のミサイル落下地点附近の地名から…八甲山→松前山→渡嶋洋→松前山と改名した力士が脳裡に浮んだ。〔最高位前頭筆頭のとき松前山熊義であった。〕尚、出身地は北海道函館…となっている。段々エスカレートして「挑発のための挑発」に日本政府が「厳重に抗議」したって、“ならず者国家”は屁とも思うまい。〔米民主党政権は、北・イラン等々を絶対ならず者国家と呼ばぬ─「多様性」重視だから、そんな国だって存在意義あり…?〕今回の北の「暴挙」は即ち、日本領海を侵犯されたに等しいと思うが如何。愚考すれば、旧大日本帝國だったら「宣戦布告」とみなして「報復攻撃」を試みるはず。ところが「平和国家」なる現代日本は、未だに「専守防衛」に固執して“身動き”が採れないじゃぁないか。吾輩が北の3代め将軍の立場だったら、北海道附近の次は、ずっ...「平和呆け」から眼を覚ませ!

  • 6年前の『相撲趣味』無代進呈

    ※昨日までのトータル訪問者数983,147相撲趣味の会(昭和二三年発足)が平成二八年七月に発行した機関誌『相撲趣味』第178号〔52ページ=6氏寄稿〕を重複所蔵していますので、御希望の方、先着1名様に無代進呈いたします。送料として140円切手同封のうえ下記宛お申込み下されば、折返し御送付いたします。尚、当資料は書込みや破損など一切なく新品同様の保存状態であります。〒852-8113長崎市上野町14-11田中健お問合せはjhisa104@ybb.ne.jpまで…お気軽に。☎095-845-67996年前の『相撲趣味』無代進呈

  • 大正期の“哀れな”横砂

    大正八年五月二一日づけ『東京日日新聞』掲載の相撲記事に「戰の跡」鳳──大錦の“情けない”読みものを引用。鳳七日の相撲で四つの負星にも拘らずよく其恥を忍んで土俵に上るのは今日の大錦に勝たんが爲である見物も是非共鳳に勝たせんものと滿塲鳳に聲援するものばかりである、土俵に上つた鳳の面上には悲壮な決意の閃きが見えた、天は鳳に幸した、其刹那満場は總立となつて鳳の爲めに萬歳を叫んだ西贔屓の面々は鳳と共に支度部屋に雪崩れ込んで更に萬歳を連呼すれば遂に鳳は感極まつて嬉し涙に咽んで居た〇宇都宮(前九)腰投げ●宮城山(同八)掛け凭れや福柳(同一)=現代なら不戦勝●大門岩(同二)寄倒し〇常ノ花(関脇)小手投●源氏山(前六)寄倒し●對馬洋(大関)〃〇大錦(横綱)小手投栃ノ海の場合も「同情」的声援があったみたい。大正期の“哀れな”横砂

  • 後 栃ノ海、幕下で8戦全勝

    ※昨日までのトータル訪問者数982,927昭和三三年名古屋場所、東幕下四十花田〔後…栃ノ海晃嘉〕の星取表。〇大江山(幕下41)や〇東山(幕下48)や〇前田川(幕下54)=後関脇〇恵戸ノ花(〃50)やや〇福緑(幕下26)〇越ノ海(〃63)や〇納谷(幕下9)=後横綱大鵬や〇千葉(幕下12)=後関脇羽黒花や大抵“全勝同士”で対戦しており、8番相撲の相手、千葉は「納谷」に黒星をつけられていた。後栃ノ海、幕下で8戦全勝

  • 145年、番附最上段に「鷲ヶ濱」なし

    Y氏が『大相撲』誌へ連載していた「しこ名の代々」は、途中から“五十音順”に方針を変更したため、「鷲ヶ濵」(わしがはま)なる5字音醜名は一番あとまわしにされた挙句、中途半端で寄稿を打切られてしまった。①大関・新潟・鷲ヶ濵音右エ門前名─鳴澤、後名─玉垣。横綱谷風の好敵手。②前七・愛知・鷲ヶ濵灘右エ門幕内在位3場所で1勝もできなかった看板力士。③関脇・佐賀・鷲ヶ濵音右エ門前名─箕嶋、後名─常盤山幕内在位20年超の持久力を誇った。④関脇・長崎・鷲ヶ濵音右エ門前名─箕嶋、後名─常盤山勝率7割台だから大関級の名力士だった。⑤前四・長野・鷲ヶ濵音右エ門前名─箕嶋。明治九年、彼が最後の幕内鷲ヶ濵。その後、明治二七年から三九年にかけて…万年幕下の鷲ヶ濵〔下の名は喜惣二〕が存在。明治四十年、三段目へ陥落し翌春かぎり。したがっ...145年、番附最上段に「鷲ヶ濱」なし

  • 80年前の若手「三羽烏」

    ※昨日までのトータル訪問者数982,703昭和十七年春場所、当時の「若手三羽烏」として新入幕を果した3力士とは━何れも東方平幕下位へ…。前頭十八枚目神風正一同二十枚目輝曻勝彦二十一枚目(幕尻)若瀬川泰二当場所の成績は━後関脇の神風が11勝・4敗後関脇の輝曻が12勝・3敗後小結若瀬川は、8勝・7敗殊に、輝曻は「優勝旗手」で現代ならば「敢闘賞」に相当するであろう。逆に、「持久力」は若瀬川が発揮した。80年前の若手「三羽烏」

  • 「大正期の新聞…」脱稿

    拙稿「大正期の新聞記事から」(14)を2ページ書きあげた。そのなかで、問題箇所をひとつ採りあげてみたい。大正8.5.21『東京日日新聞』だが、夏場所九日目の◆兩國(けん〱)藤の川おしまいに批判を次の如く述べた。飽くまでも「掛投」が正式呼称旧國技館焼失のため靖國神社興行の4場所め━大正八年夏の九日目、新関脇●藤ノ川(雷五郎)対元関脇〇両國(梶之助←勇治郎)戦の決り手は「掛け投」が穏当である。彦山光三が昭和三十八年に選抜した「相撲175手絵とき」(読売新聞社刊『大相撲』臨増)─「掛けなげ」の解説に……一度で決らなかったときには、掛けない方の足を軸にしてぐるぐる回って繰返す。この場合「けんけん」という━とあるも、私見では正式呼称は「掛投」であり、江戸期の相撲関聯古書に「けん〱」なる記載は一切あるまい。「大正期の新聞…」脱稿

  • 81年前、十両で14勝の新記録

    ※昨日までのトータル訪問者数982,438昭和十六年夏場所、東十両七枚目輝曻勝彦〔後関脇〕星取表。〇布引(十両7)〇武ノ里(〃6)〇大ノ森(〃11)〇大熊(〃6)〇富ノ山(〃4)●矢筈山(〃8)〇廣瀬川(〃14)〇神風(〃2)〇照ノ海(〃15)〇一渡(〃4)〇若瀬川(〃2)〇平戸灘(〃9)〇常陸海(〃11)〇小戸ヶ岩(前廿二)〇朝明山(十両13)十両での14勝は、前例なき新記録だった。81年前、十両で14勝の新記録

  • 角界訣別後、帰郷していた…?

    最近落手の古雑誌━『野球界臨時増刊夏場所相撲號』(昭和二年五月)このなかに「初代橫綱丸山權太左衞門」なる記事が掲載されている。〔前略〕好角家に話をして居つた先年栃木山常の花の一行が來た時に有志を連れて常陸嶽と崎陽の花が墓參をして呉れたが橫綱大關は知るか知らずか見向もしなかつた處が大正十三年の秋西の海太刀光一行が來たとき、勸進元の宮崎久次郞君や同苗俊一君や元の若鳴門君等の義侠心によりて之の墓を力士團に紹介し、長崎着と同時に日は變るが丸山の死んだ十月の十五日に停車場から自動車を飛ばして之の山道に墓參したのであつた〔後略〕注目箇所は「元の若鳴門…」である。大正十年春(不出場)限り忽然と姿を消した元十両八枚目の若鳴門長暢と同一人物に違いない。即ち、角界訣別後は郷里長崎へ帰っていた━或は、戦前昭和何年かに「召集令状...角界訣別後、帰郷していた…?

  • 「小手投」18番、「掛け投」ゼロ

    ※昨日までのトータル訪問者数982,193文化十(1813)年冬、東大関に登場したのが「看板大関」鳳(おおとり)谷五郎。そのフルネームを襲ったのが大正期の鳳谷五郎だが、実は“看板倒れ”に終った。彼は、「掛け投」が十八番(おはこ)と云われているが、この度星取表を調べて愕然とした─白星の極り手に掛け投は全然記録されていなかった。但し、資料不備で新入幕の明治四二年春のそれはわからない。逆に、正真正銘の18番の極り技は、「小手投」だった。103勝のうちの18番だから、17.5%が小手投での白星なのだ。殊に、横綱4場所めの大正六年春なんか、二日目の対関脇對馬洋、五日目の小結両國、八日目の九州山戦━3番が小手投と記録されている。「小手投」18番、「掛け投」ゼロ

  • 復活待望の「緋縅」と「鷲ヶ濱」

    つい最近、二所ノ関親方(元稀勢の里)ら出演のNHK衛星放送の番組で大相撲における「しこ名」〔「四股名」は宛字〕を話題に採りあげていた。話に挙がったひとつに「緋縅」(ひおどし)なる4字音が……。①大関・広島・緋縅力弥→勝五郎②大関・京都・緋縅力弥←錦(にしき)③前一・東京・緋縅力弥←荒玉④前十七・千葉・緋縅祐光⑤前十・秋田・緋縅力弥幕内力士として土俵へ上った最後は、昭和三十三年春場所三日目「●金ノ花」だ。もう64年ばかり中入後取組に登場してない。尚、番附では同年九州場所幕下四枚目が最後で、昭和三四年以降「緋縅」と名乗った力士は皆無なのか…。江戸番附では「縅」の“糸偏”を省略した事例もあった。江戸の両大関とも、大関では全然土俵へ姿を現さないで終った。「鷲ヶ濵」については後日詳述したい。復活待望の「緋縅」と「鷲ヶ濱」

  • 『相撲趣味』No.178 無代進呈

    ※昨日までのトータル訪問者数981,932相撲趣味の会(昭和二三年発足)が平成二八年七月に発行した機関誌『相撲趣味』第178号〔52ページ=6氏寄稿〕を御希望の方、先着1名様に無代進呈いたします。下記宛て郵送料として140円切手同封のうえ…お申込み下さい。折返し御送付いたします。尚、当資料は書込みや破損など一切なく新品同様の保存状態であります。〒852-8113長崎市上野町14-11田中健お問合せはjhisa104@ybb.ne.jpまで…お気軽に。☎095-845-6799『相撲趣味』No.178無代進呈

  • 角界から政界へ転身

    昭和二三年夏場所、東序二段二枚目荒馬〔後幕内豊山鬼吉〕の星取表。〇竹錦(序二段3)〇若櫻(〃1)や〇水嶋(三段目15)や〇立ヶ嶽(序二段11)や〇鶴ヶ岡(序二段7)やや〇能登ノ山(序二段2)秋田県出身の彼は在幕1場所の力士生活だったが、角界から180度転身して本姓名の矢野忠治で北海道釧路市会議員となっていた。角界から政界へ転身

  • 角聖 常陸山、初の“全勝”

    ※昨日までのトータル訪問者数981,715明治三六年夏場所、西大関常陸山谷右エ門の星取表。〇松ヶ関(前九)寄切り〇海山(同八)〃〇緑嶋(同六)〃〇甲(同四)捻り〔別資料は突放し〕〇鶴ヶ濵(同三)吊出し〇太刀山(同二)押切り〇荒岩(同一)持出し〔某氏曰く、財布の相撲〕〇國見山(関脇)突落し〇梅ケ谷(大関)突放しや全勝同士で敗れたⅡ梅ヶ谷とともに横綱を免許─「梅・常陸時代」の花が開いた。尚、常陸山の序ノ口~序二段における成績は一切不明、或いは“全勝”が記録されているかも知れない。角聖常陸山、初の“全勝”

  • 3度めの対戦はなかった…

    昭和三八年『大相撲』誌の新年号所載「部屋便り」─「宮城野部屋」の記事に…。〔前略〕四季の花と長谷川(佐渡ヶ嶽)の取組が十二日目に取り消しとなった。理由は、四季の花の姉が長谷川の母に当たるため。四季の花は「俺はもう十両に上がる星じゃないけれど、長谷川は十両が賭かっているからね。過去に2回対戦して2回とも俺が勝っているが、甥が十両になるというんじゃ、闘志もわかない。親方が協会に申し入れてくれたのだろう」とホッとした表情〔以下略〕四季の花は、十両の“一桁”まで上っておらず通算5場所。「幕下の主」みたいな存在で、昭和四八年、三段目へ陥落し廃業。週刊P誌のスキャンダル記事では主役だった。3度めの対戦はなかった…

  • 60年前、従兄弟戦、急遽中止

    ※昨日までのトータル訪問者数981,549昭和三七年九州場所、東幕下二枚目長谷川〔後関脇〕の星取表である。や〇洋の海(幕下2)〇幡龍洋(〃5)=後十両や〇淺瀬川(十両18)=後幕内やや●北の冨士(幕下15)=後横綱北の富士●新岐山(十両18)=元幕内荒岐山やややや〇千里岩(幕下9)〇清國(〃3)=後大関次に、同場所西幕下六枚目四季の花(後十両)の星取表です。や〇中島(幕下6)=後十両金剛〔後関脇とは別人〕〇若乃洲(〃4)=後幕内やや●石見冨士(幕下1)〇三輝山(仝)=後十両やや●髙鐵山(幕下4)=後関脇ややや〇北海(幕下11)〇津軽國(〃10)=後十両6番相撲に3勝2敗同士の長谷川─四季の花が予定されていたが、「従兄弟同士」なので長谷川の関取が想定で急遽中止された。60年前、従兄弟戦、急遽中止

  • 小兵 阿久津川の大活躍

    ※昨日までのトータル訪問者数981,364大正十一年夏場所、東前頭六枚目阿久津川〔後佐渡ヶ嶽理事〕の星。〇栃木山(横綱)押切り〇常ノ花(大関)掬い投〇大門岩(小結)〇大ノ里(関脇)突出し〇福柳(前二)●大錦(横綱)叩込み●柏山(前十五)〇鶴ヶ濵(同一)●阿蘇ヶ嶽(同十)〇東雲(同五)現代ならば「殊勲賞」相当の活躍ぶりだった。昭和二十九年…、相撲協会に造反し、同三二年の協会「法人問題」では参考人〔協会が“被告”だとすれば、“検察”側証人と云う立場〕として「茶屋制度」など追及した。小兵阿久津川の大活躍

  • 元レスラー天山、序二段V

    昭和三二年春場所、東序二段三十枚目甲泻〔後十両天山〕の星取表です。〇立ノ花(序二段30)=後幕内北ノ國〇益田川(〃29)やや〇吹雪嶋(序二段28)や〇十勝嶺(序二段31)〇飛鶴山(〃59)やや〇大蛇浪(序二段15)〇清勇(〃9)や〇光角(序二段5)や中盤戦以降“全勝同士”は一番もなく、6番相撲の大蛇浪なんか前日まで3勝2敗の成績だった。十両五枚目まで昇った天山の前身はプロレスラーであった。元レスラー天山、序二段V

  • 103年前、大錦卯一郎の「布袋腹」

    ※昨日までのトータル訪問者数981,181拙稿「大正期の新聞記事…」に採りあげる『東京日日新聞』の大正八年五月二十一日づけ相撲記事「夏塲所大相撲」の◆大錦(寄り出し)千葉﨑━手捌き=取口説明は……。千葉は錦が突掛ける左手を引張り込み小手投を打ちしも錦は少しも動ぜずほてい腹を突き付けて寄出して錦の勝昭和戦後の横綱鏡里は、平成十六年二月末に満80歳9箇月で長逝。時津風部屋だが双葉山直系弟子に非ず、戦前の元大関鏡岩(善四郎)から譲られたもの。彼の「太鼓腹」はよく知られているだろうが、「布袋腹」なる表現の記事にお眼にかかったことはない。逆に、103年前の名横綱大錦卯一郎を「太鼓腹」と表現したものは皆無であろうか…?103年前、大錦卯一郎の「布袋腹」

  • 秋の序ノ口、珍・怪 星取表

    かつて相撲史跡研究会代表世話役の竹ヶ戸梅右衛門関はY新聞社刊『大相撲』誌について「もう…どこも読むところがなくなった」云々━当時アンチ彦山派のN氏が編集し、誌面から彦山色一掃を…ばかりじゃぁなく、「江戸相撲はプロレス並み」だと誹謗・中傷━プロレスファンからも抗議殺到したんじゃないの…❔最近の『相撲』誌面だって、相撲史研究者の“端くれ”の立場から…忌憚なく云えば、好読物が殆んどございません。いちゃもんは以上。以下、最新号の「秋場所全力士星取表」から、西方序ノ口最下位、肥後光の星が面白い。初日●濱﨑(序ノ口19)二日目や三日目や四日目や五日目や六日目●若箭原(序ノ口14)0勝2敗七日目●潮来桜(〃18)0勝3敗八日目●宇瑠寅(〃13)1勝2敗九日目●隆太陸(〃7)0勝4敗十日目~不出場後尾は相手の前日までの成...秋の序ノ口、珍・怪星取表

  • 6年前の『相撲趣味』を無代進呈

    ※昨日までのトータル訪問者数981,047相撲趣味の会(昭和二三年発足)が平成二八年七月に発行した機関誌『相撲趣味』第178号〔52ページ=6氏寄稿〕を御希望の方、先着1名様に無代進呈いたします。郵送料として140円切手同封のうえ下記へお申込みいただければ折返し御送付いたします。当資料は書込みや破損など一切なく、新品同様の保存状態であります。尚、内容に就きましては落手後の「お楽しみ」とさせていただきます。〒852-8113長崎市上野町14-11田中健お問合せはjhisa104@ybb.ne.jpまで…お気軽に。☎095-845-67996年前の『相撲趣味』を無代進呈

  • 「文化の日」の所為で……

    現在、大相撲界における「番附発表」は初場所以外の春・夏・名古屋・秋・九州の5場所が初日の13日前の月曜━と、なっている〔だから初日は「忘れた頃」に…なんて批判的意見だってあるはず。〕それで場所前発行の『相撲』誌〔奇数月号〕が新番附に関する情報も掲載するため、番附発表の3日後の木曜発売━当地は更に2日後の土曜発売が通常のパターンなのだ。ところが、国民の祝日「文化の日」が木曜で東京都内の発売が1日遅れて金曜となり、西の果て長崎は更に遅れ月曜になっちまう。往時、番附編成会議直後に「新入幕」等々の“情報”をすっぱ抜いてやろう━所謂“特種”合戦で会議出席者からの「極秘」情報を漏洩する“事件”がちょいちょいあったのさ。でも、機関誌の記者に「漏らす」不行き届き的親方はいない━当然の話ではある。かつて『大相撲』誌のM記者...「文化の日」の所為で……

  • やっと『相撲』最新号を…

    ※昨日までのトータル訪問者数980,816日本相撲協会機関誌と銘打つ『相撲』を購入するのに当市繁華アーケード街に在る老舗書店へ…往復で一時間━以前なら直近の本屋まで片道を徒歩五分ほどで済んだ。バスや電車(路面・市電)利用ならば、二時間ちかく要するかも知れず、しかもマスク着用したって感染リスクが怖くて乗れない。最近の情報で、バス運転手や電車運転士にウィルス陽性反応=感染者が相当発生してるらしい━かねてから、「感染経路」不明の何%かは公共交通機関利用者関係だろうと睨んでいた。それで吾輩もう3年ほど利用してない。感染経路不明者の割合とか・ワクチン未接種者の陽性率とか━全然「秘密主義」で公表せず「注意喚起」なんかできっこあるまい。「個人名」は別として、集団感染が発生したら施設名は実名を発表すべきではないか。やっと『相撲』最新号を…

  • 105年前、名横綱雲龍が消えた…?!

    最近落手の古雑誌━大正六年五月発行の『角力世界』である。この巻末をみて鳥渡ばかり吃驚した。天下無雙日下開山本朝橫綱司家調初代橫綱明石志賀之助年號不明二代橫綱源氏山綱五郞年號不明三代橫綱丸山權太左衛門寛延二年四代橫綱谷風梶之助寛政元年五代橫綱小野川喜三郎同年六代橫綱阿武松緑之助文政十一年七代橫綱稻妻雷五郞同十三年八代橫綱不知火諾右衛門天保十一年九代橫綱秀の山雷五郞弘化四年十代橫綱不知火光右衛門文久三年十一代橫綱陣幕久五郞慶應三年十二代橫綱鬼面山谷五郞明治二年十三代橫綱境川浪右衛門同十二年十四代橫綱梅ケ谷藤太郞同十二年十五代橫綱西の海嘉治郞同廿五年十六代橫綱小錦八十吉同廿九年十七代橫綱大砲萬右衞門同卅四年十八代橫綱若島權四郞同卅六年十九代橫綱常陸山谷右衛門同卅七年二十代橫綱梅ケ谷藤太郞同年廿一代橫綱太刀山峰右...105年前、名横綱雲龍が消えた…?!

  • 太刀山、十両で10戦全勝 !

    ※昨日までのトータル訪問者数980,659明治三五年夏場所、東十両三枚目後横綱、太刀山の星取表です。〇松ヶ関(前頭四)押切り〇有明(同十四)突放し〇頂キ(同十二)〔資料不足で…〕〇松ノ風(同十三)〔極り手は不明〕〇緑嶋(同十二)〔仝〕〇甲(十両1)吊出し〇大江山(前十一)極り手?〇駒ヶ嶽(十両2)渡込み〇大泉(幕尻格)凭れ込み〇立岩(幕下1)叩込み見事、10戦全勝を成し遂げ、翌春は平幕の“ひと桁”へ躍進・入幕を果したのである。太刀山、十両で10戦全勝!

  • 「取締」は21名跡

    過日、江戸~明治前期における筆頭(ふでがしら)・筆脇(ふでわき)に関係した「年寄名跡」を列記した。今夜は、明治十六年五月から昭和四三年一月までの凡そ85年におよぶ旧制「取締」になった名跡を調査した。登場・時代順に並べてみたい。髙砂境川伊勢ノ海大嶽宮城野根岸雷阿武松友綱二十山出羽ノ海→出羽海入間川井筒春日野藤嶋錦嶋立浪伊勢ヶ濵時津風武蔵川二所ノ関註①当初、「取締編輯人」と番附に記載。番附や取組編成の責任者を示唆していると思われる。②芥川龍之介が「峯岸」と間違えたらしい根岸は唯一の「世襲年寄」で、元力士でも・元行司でもない。しかも、明治十九年夏のたった1場所の取締だった。当時、協会の「規約」を検討・協議中だったことが関係していると愚考したい。③春日野→入間川は、唯一元行司の木村宗四郎で、会長は番附に載らず「會...「取締」は21名跡

  • 『相撲史発掘』第96~100号

    ※昨日までのトータル訪問者数980,501拙作&私家版『相撲史発掘』バックナンバーが下記のとおり在ります。第96号(令和三年二月刊)〇改名の嫌いな力士たち●天保十年冬場所〇大正期の新聞記事から●大分県出身入幕力士一覧〇大関追手風喜太郎詳細星取表第97号(令和三年六月)●改名の嫌いな力士たち〇天保十一年春場所●大正期の新聞記事から〇横綱稲妻の相手地位つき星取表●愛媛県出身入幕力士一覧第98号(令和三年十月)〇全勝力士が消えた星●天保十一年冬場所〇大正期の新聞記事から●昭和二十年代の軽量力士〇高知県出身入幕力士一覧第99号(令和四年二月)●全勝力士が消えた星〇天保十二年春場所●大正期の新聞記事から〇昭和二十年代の重量力士●島根県出身入幕力士一覧創刊100号記念号(本年六月)〇日本國技の洋風化について●天保十二...『相撲史発掘』第96~100号

  • 太刀山なんとか負越し回避

    明治三六年夏場所、東前頭二枚目太刀山峰右エ門の星取表です。〇野州山(前十四)●逆鉾(同六)下手投〇駒ヶ嶽(同十一)踏切り●稲川(同一)上手投〇朝汐(関脇)極り手不明●常陸山(大関)押切り?●両國(前四)襷反り✖大江山(同九)水入り後…〇大蛇泻(同三)渡込み?や太刀山の一番不成績な本場所─入幕2場所めの最低成績でした。太刀山なんとか負越し回避

  • 大晦日まで訪問者…百万は無理❔

    ※昨日までのトータル訪問者数980,291どうやら…当方のブログ目標たる本年大晦日までの「訪問者数」が延べ1,000,000に達するのは極めて難しくなりました。吾輩の“力不足”でもあります。その理由は、1日平均の訪問者…が339.8以上を記録せねばミリオンに到達いたしません。例えば、去る十月十六日なんか一日「137」名の方しか御訪問されておらず、最近では300超が滅多に記録されません。大晦日まで今日を含んで58日━仮に、毎日200の訪問…で11,600+980,291=991,891─と、云った勘定ですから、年内99万を突破するのは99.9%まちがいないのですけれど……。大晦日まで訪問者…百万は無理❔

  • 悲運力士 桑ノ弓

    拙稿「“時代”を超えた力士たち」─幕末→明治篇㊦は既に脱稿し、四分の三は原稿清書も完了。そのなかで一番短文にまとめた「悲運力士桑ノ弓」を転載しておきたい。田子ノ浦と共に慶應二年春、幕尻へ入幕した桑ノ弓は熊本藩細川家お抱えのため「戊辰戦争」に参加、函館に向う途中、千葉県勝浦沖で坐礁に因る海難事故に遭遇し、明治二年正月…現役で急逝、享年はわからない。幕内出場3場所、黒星・引分けが同数の各10は珍記録。「日本の歴史」で重要事項のひとつ「戊辰戦争」とは、手許の電子辞書に…。慶應四年、戊辰の年に始まり、維新政府軍と旧幕府側との間に1年4箇月余にわたった内戦。政府軍勝利に因って、日本近代国家がスタートするに至ったわけだ。ともあれ、桑ノ弓の行動は、往時の「力士気質」の一斑を垣間見ることができるであろう…。悲運力士桑ノ弓

  • 『相撲趣味』No.178 無代進呈

    ※昨日までのトータル訪問者数979,997相撲趣味の会(昭和二三年発足)が平成二八年七月に発行した機関誌『相撲趣味』第178号〔52頁=6氏寄稿〕を御希望の方、先着1名様に無代進呈いたします。送料140円切手を同封のうえ下記宛へお申込み戴ければ、折返し御送付いたします。尚、当資料は書込みや破損など一切なく、新品同様の保存状態であります。内容に就きましては、落手後の「お楽しみ」とさせていただきます。〒852-8113長崎市上野町14-11田中健お問合せはjhisa104@ybb.ne.jpまで…お気軽に…。☎095-845-6799『相撲趣味』No.178無代進呈

  • 昭和の荒岩亀之助が大活躍

    昭和三二年秋場所、西前頭七枚目荒岩亀之助〔後小結若ノ海〕の星。●若前田(前八)突出し〇大起(〃)内掛け〇双ッ龍(同六)切返し●信夫山(同七)吊出し〇栃光(同六)上手投〇羽嶋山(同九)切返し〇宮錦(同十二)小手投〇星甲(同九)押倒し〇鳴門海(同十四)掛け投〇大晃(同十五)…出投〇國登(〃)寄切り●北ノ洋(小結)〃〇時津山(関脇)上手投●鏡里(横綱)寄切り〇大瀬川(前十二)下手捻「敢闘賞」候補に挙がらなかった…?昭和の荒岩亀之助が大活躍

  • 横綱 栃木山の不成績とは…

    ※昨日までのトータル訪問者数979,764大正四年夏場所、東前頭二枚目栃木山守也〔入幕2場所め〕〇鶴渡(前十一)よりたおし●綾浪(同二)うっちゃり〇鳳(西張横)きりかえし〇浦ノ濵(関脇)よりたおし●朝潮(大関)したてなげ●太刀山(横綱)はたきこみ●黒瀬川(前五)とったり〇伊勢ノ濵(大関)おしだし〇綾川(小結)はたきこみ✖千年川(前七)古今最軽量横綱力士栃木山は、初土俵から引退まで「負越し皆無」だった。そのなかでもっとも不成績の記録が上記星取表なのだ。横綱栃木山の不成績とは…

  • 彦山翁も『野球界…』へ寄稿

    この度、大正~昭和戦前の相撲資料を数点落手した━主に、『野球界臨時增刊…場所相撲號』であり、大正期のそれで“未収”は、大正十一年夏場所號と同十三年春場所號のふたつだが、後者は「関東大震災」の影響・混乱の所為で入手困難を覚悟せねばなるまい。扨て、『野球界臨増相撲號』では、昭和八年春場所號に彦山光三稿の…「盲人相撲讃稱」が面白く読める。タイトルと執筆者名とのあいだに━全國盲學生競技大會相撲部の眞劍味と緊張味、賤劣な僞盲人相撲、昔の盲人相撲のグロ味とエロ味、盲人心理と相撲、凄烈な鬪志と精神統一、氣がち氣まけの妙味。この論考が昭和十六年刊『相撲美開眼』の最後の方に転載・収録されている。因みに、『三田文學』初出の「釋迦嶽雲右衞門考」は“再録”のとき「検閲」で伏字箇所があるが、「盲人相撲」は隠蔽箇所はないみたい…。彦山翁も『野球界…』へ寄稿

  • 炎鵬よ、もっと「危機感」をもて…!

    ※昨日までのトータル訪問者数979,533九州…の新「番附」発表━“弱体”が眼にあまる上位・三役陣なんかに興趣は殆んどございません。矢張り…関取最軽量の人気力士、元幕内炎鵬の動向が一番気がかりなところだ。1弗=三百六十円の「固定相場」制以前から採用されてるのが角界の「番附編成」会議における「変動相場制」なのであります。従前から…平幕乃至十両では、勝越し1点につき1枚昇進、負越し3点ならば3枚降下が一応の基準値とされている〔勿論、成文化に非ず〕。ところが秋…で十両七枚目で6勝・9敗だった炎鵬が4枚下降して同十一枚目へ━これは、“昔流”に表現すれば、5勝9敗・1引分と査定・評価された━と、愚考する。さあ、炎鵬の調子が2箇月前頃と五十歩・百歩ならば…“二桁黒星”で「幕下陥落」を想定外にはできなくなりそう─28歳...炎鵬よ、もっと「危機感」をもて…!

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