明治十四年夏場所の幕内取組数と、引分け数を列記してみたい。初日16番3引分け二日目14番1引分け三日目12番2引分け四日目12番5引分け五日目13番4引分け六日目12番2引分け七日目11番4引分け八日目11番3引分け九日目7番3引分け千穐楽〔全幕内力士不出場〕計108番27引分け143年前の日別引分け数
江戸勧進相撲以来の相撲史を中心に関聯事項 に対する私見・愚考を発表しています。
去る十月、訪問者数が延べ30万人を 突破いたしました。
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明治十四年夏場所の幕内取組数と、引分け数を列記してみたい。初日16番3引分け二日目14番1引分け三日目12番2引分け四日目12番5引分け五日目13番4引分け六日目12番2引分け七日目11番4引分け八日目11番3引分け九日目7番3引分け千穐楽〔全幕内力士不出場〕計108番27引分け143年前の日別引分け数
※昨日までのトータル訪問者数1,115,908昭和二七年夏場所、東幕下十七枚目二豊山〔後十両〕の星取表である。〇天津風(幕下15)〇朝昇(〃19)=後幕内福ノ海〇鯉ノ勢(〃25)=後幕内鯉の勢〇水嶋(〃29)〇成山(〃10)=後小結〇朝見山(〃11)●常門(〃21)=後十両●河津山(〃20)〇一葉山(〃13)〇津々美嶋(〃22)〇錦海(仝)〇若椿(〃4)=後十両〇速浪(〃8)〇柏龍(〃24)=後十両〇大汐(〃26)当場所の幕下優勝であった。尚、復刊当初の『相撲』収載「幕下全力士略歴星取表」では出羽ノ海に非ず「出羽海」と記載している。連敗で13勝の幕下V
拙作&私家版『相撲史発掘』第106号は予定より早く全頁の原稿清書が完了した。そこで「目次」を御披露しよう。時代超越の力士……………1ページ江戸大相撲熱戦譜…………5ページ天保十五年冬の別表………折込み大正期の新聞記事から……8ページ昭和三十年代の軽量力士…10ページ京都府出身入幕力士一覧表……………折込み昭和十九年夏七日目の大観衆…………仝不知火諾右衛門の詳細星取り表………仝初代歌川國貞の相撲浮世絵を評価………仝古今平幕最優秀力士相手地位付成績……11ページあとがき………………………………12ページ「横書きコラム」だけ省略させていただきました。拙作No.106の「目次」
※昨日までのトータル訪問者数1,115,684“上昇”ムードだった頃は「技能賞」までも獲得した小兵・軽量級の人気力士、元幕内炎鵬だが、最早「一年を零日で暮らす…」と揶揄されても仕方があるまい。夏の新「番附」では序二段の“3桁”━もしかして序ノ口陥落も想定していたから…辛うじて序二段に止った。でも、今秋場所後には三十路になる。もう力士生活も絶体絶命に……?兎に角、矢張り力士に必須条件の“相撲勘”を取戻すのに「自信」を喪失したのじゃぁないか。夏の土俵へ復帰・再出発する決意は未だにないのか・どうか。元幕内炎鵬、夏へ再出発の意思は❔
窪寺紘一氏著『日本相撲大鑑』【画像】(466ページ。平成四年、新人物往来社刊。函入定価5,000円)を御希望の方、先着1名様に無代進呈いたします。送料のみ御負担ねがいます。主要内容は……。第一章日本相撲史第二章大相撲の組織第三章土俵の主役─力士第四章大相撲本場所第五章相撲と芸術保存状態良好で、切抜きや書込み等は一切ございません。御希望の方は520円分の切手を同封のうえ…下記宛てお送りいただければ、折返し「レターパック…」にて送本いたします。〒852-8113長崎市上野町14-11田中健お問合せはjhisa104@ybb.ne.jpまで…お気軽に。☎095-845-6799『日本相撲大鑑』520円分切手でOK
※昨日の閲覧…419・訪問者…275トータル訪問者数1,115,492親・子で「…島」になったり・「…嶋」になったり云々━コメントを頂戴したので、兄・弟で「…富」・「…冨」とお冠…のお話。『國民新聞』の創刊者、徳富蘇峰は「ウ冠」で実弟の徳冨蘆花は「ワ冠」なのである。恰も、若・貴の如く兄弟は“訣別”したのだ。〔亡父の書斎に在る『德冨蘆花全集』は全然読んでいない。〕兄貴の蘇峰は九十代の長寿に対して蘆花は五十代で急逝してしまった。尚、拙稿「大正期の新聞記事」での大正七年頃の古新聞所蔵分は大抵『國民新聞』なので、当分他紙は採りあげられない。【追記】元小結の冨士錦が富士錦と“改名”するまでワ冠「冨」の存在を知らなかった。若・貴の如く、蘇峰と蘆花
江戸勧進相撲が番附面中央上部に「勧進大相撲」乃至「勧進大角力」と表記した第一号が263年前の寶暦十一年冬場所━同時に当該本場所から「勝負づけ」記録が厳存している。但し、この勝負附なるものの欠点は、勝者を上段、敗者を下段へ列記、どっちが土俵の東もしくは西から登場したのか…番附を照合しなければわからない。もう一つは、一方が欠場した場合、その取組の記入が一切ないのだ。その翌寶暦十二年春は、65番の幕内関係取組が行われ、引分け相撲が皆無であった。初日10番二日目11番三日目9番四日目8番無勝負1五日目8番無勝負1六日目8番七日目7番無勝負1千穐楽4番262年前、65番で引分け皆無
※昨日の閲覧…603・訪問者…368トータル訪問者数1,115,217未だ本ものの新「番附」が手許にないので、この眼で未確認だが、大関2場所めの琴ノ若が「琴櫻」と改名━にもかかわらず、各紙〔すべて確認せず〕は「琴桜」と表記しているみたい。なんでか?かつて昭和三七年名古屋…で新十両の琴櫻は、幕下時分から「櫻」で、琴桜と番附面に書かれたことはなかったと思う。相撲協会機関誌『相撲』奇数号の「幕内幕下全力士略歴星取表」で昭和三八年頃から清國・琴櫻・高鐵山…など番附どおり、〔記事は他の新聞等々と同様舊字體は不使用〕に表記するようになり、その後、数年後『大相撲』誌「異色調査」でM氏が番附表記に従う方針に転じた。各マスコミでは、大関若島津が若嶋津と改名したとき、それを大抵無視したものが多数派だった。球界では長嶋茂雄を一...なんで琴「櫻」と表記しないの❔
新しい呼称となった昭和二八年の初場所、西幕下二七枚目、芳野嶺〔最高位は前頭八枚目、年寄熊ヶ谷〕〇鯉ノ勢(幕下27)=後幕内鯉の勢●豊光(〃25)=後十両〇檜山(〃26)〇藤見山(〃30)〇時錦(〃21)=後小結〇松惠山(〃22)=後十両〇若羽黒(〃23)=後大関〇北勇山(〃31)〇常錦(〃26)=後幕内〇筑後山(〃11)〇時ノ花(三段目3)〇前ヶ潮(〃6)=後幕内〇若ノ海(幕下13)=後小結〇淀ノ花(〃16)●大日山(〃5)=元十両当時、三段目以下は全日出場に非ず、8日間制であった。13勝…で幕下優勝
※昨日までのトータル訪問者数1,114,849窪寺紘一氏著『日本相撲大鑑』【画像】(466ページ。平成四年、新人物往来社刊。函入定価5,000円)を御希望の方、先着1名様に無代進呈いたします。送料のみ御負担ねがいます。保存状態良好で、切抜きや書込み等は一切ございません。御希望の方は、520円分の切手を同封のうえ…下記宛お送りいただければ、折返し「レターパック…」にて送本いたします。〒852-8113長崎市上野町14-11田中健お問合せはjhisa104@ybb.ne.jpまで…お気軽に。☎095-845-6799平成4年刊『日本相撲大鑑』進呈
拙作&私家版『相撲史発掘』第106号の最終葉(P.12)「横書きコラム」が脱稿した。タイトルは☆大阪横綱大木戸について★前号「兵庫県出身入幕力士一覧」において大阪横綱の大木戸森右衛門を除外した点、訝しいと思われるかも知れない。確かに“横綱連名表”に載っており抹殺すべきではないけれども、先達の若嶋權四郎と違って大木戸は現日本相撲協会の流れを汲む江戸→東京大相撲に所属した経歴が全然なく、カテゴリー(範疇)が異なり古今幕内力士と“同列”に扱うことはできない━と愚考する。参考のため彼の大阪本場所における在幕綜合成績を掲げれば、場所数21取組数173勝利数143敗北数20引分け6預り4休数21、勝率8割5分5厘〔分預0.5勝、休はノーカウント〕で一応立派なものだが、某書に拠れば…合併相撲での東京方横綱との対戦成績は...大阪横綱若嶋>大木戸
※昨日の閲覧…402・訪問者…254トータル訪問者数1,114,616夏場所の開幕が五月十二日の第2日曜なので、その新「番附」発表は13日前の今月二十九日━即ち、今朝の午前六時だと思いきや、本日は「昭和の日」なる国民の祝日のため明朝だって…。話はそれで終りじゃぁなく、日本相撲協会機関誌と銘打つ『相撲』の「…展望号」の発売が都内乃至周辺で来週の七日(火曜)と某HPで予告されている。恰も、新年号発売が年末に非ず、年明けにずれ込む如し…。しかも、トラック運転手不足とか・その「残業規制」等の関係で当地の発売日はもっと遅延するかも知れない。やや一般論になるけれども、従前は、日本人の「勤勉」が「安保ただ乗り」との“両輪”で戦後の「高度経済成長」を実現し、アメリカ合衆国に次ぐ“経済大国”になったのは周知のとおり…それも...最早日本人は「勤勉」に非ず…!
昭和五年春場所、西幕下十一枚目出羽ノ花〔後幕内=武蔵川理事長〕の星取表である。〇大矢﨑(幕下15)=元十両や〇三嶋岳(幕下20)=後十両久能山や〇開心(幕下10)=元十両や〇會津竜(幕下30)や〇大岩(幕下23)や〇三池山(幕下14)=元十両当場所の幕下優勝は、出羽ノ花と同部屋・“同期生”の後幕内綾若で地位は西幕下筆頭であった。尚、出羽ノ花の「全勝」はこの場所だけの記録だった。出羽ノ花國市幕下6戦全勝
※昨日の閲覧…411・訪問者…291トータル訪問者数1,114,362幕末の嘉永年間と云えば、日本の歴史では「黒船来航」が脳裡に浮ぶ。角界での特色としては引分け相撲花盛りのイメージなのである。そこで、もっと具体的な記録調査をやってみた。嘉永期は13度の江戸本場所興行が〔嘉永四(1851)年春は、五日目で打切り。〕あり、トータル1,229番の幕内取組が行われた〔対幕下(現十両)戦を含む〕。そしてこの期間の引分け相撲の合計は、153番であった。その結果、引分け率を算出すれば12.45%と相成った。ナイター本場所だった昭和三十年秋場所の横綱千代の山VS関脇若ノ花は都合15分超の引分け相撲━その約100年前の土俵では、そこまで凄い大相撲は想定外ではある。嘉永の引分け率は12.45%
窪寺紘一氏著『日本相撲大鑑』【画像】(466ページ。平成四年、新人物往来社刊。函入定価5,000円)を御希望の方、先着1名様に無代進呈いたします。送料のみ御負担ねがいます。保存状態良好で、切抜きや書込み等は一切ございません。主要内容は次のとおりです。第一章日本相撲史第二章大相撲の組織第三章土俵の主役・力士第四章大相撲本場所第五章相撲と芸術御希望の方は、520円分の切手を同封のうえ…下記宛てお送りいただければ、折返し「レターパック…」にて送本いたします。〒852-8113長崎市上野町14-11田中健お問合せはjhisa104@ybb.ne.jpまで…お気軽に。☎095-845-6799古本『日本相撲大鑑』進呈
※昨日の閲覧…424・訪問者…250トータル訪問者数1,114,071平幕止りだが、「蹴手繰り」を十八番とする出羽湊秀一が最も成績のよかった昭和三十年夏、西前頭九枚目の星取表。〇北ノ洋(前九)外掛け●潮錦(同十)上手投●大昇(同八)吊出し〇大蛇泻(同十一)寄倒し〇二瀬山(同七)押出し〇清惠波(同十二)仝〇若瀬川(同七)寄切り●若ノ海(同十一)掛け投〇泉洋(同十四)肩透し〇大天龍(〃)蹴手繰〇國登(同十六)寄倒し●櫻國(同十九)仝〇時津山(同一)打棄り〇玉ノ海(同四)外掛け〇琴ヶ濵(同一)吊出し尚、同成績の若ノ海が「敢闘賞」を受賞しているが、“候補”には上ったのではないか…。出羽湊(秀…)の大活躍
大正十年春場所、東幕下二七枚目常陸岩〔後大関=年寄境川〕の星。や〇谷泉(幕下41)や〇葵竜(幕下41)や〇大滝(幕下25)や〇晴ノ海(幕下43)=後幕内や●朝日岩(三段目10)=後十両❔朝日岩は当場所の三段目優勝だが、関取にはなれなかったかも知れない。後大関…、幕下Vを逸す
※昨日までのトータル訪問者数1,113,821自家製ノートには江戸・明治期における各本場所ごとに引分け数を記入している。鳥渡ばかり話題を披露してみたい。幕末期、嘉永二(1849)年冬から…同七年冬までの連続11場所の幕内取組における引分け相撲の数値は下記のとおり。嘉永二年冬102番うち14分〃三年春9016分〃三年冬11414分〃四年春6013分〃四年冬9315分〃五年春8414分〃五年冬11211分〃六年春10311分〃六年冬10211分〃七年春9911分〃七年冬9210分私見・愚考をふたつ。①当時の相撲内容は、あくまでも勝手な想像だが、「押し相撲」は極めて稀で、大抵が土俵中央附近で“がっぷり四つ”になる。②「日本史」的に俯瞰すれば、「黒船来航」に象徴される如く、日本内・外でどこからともなく不穏な空気━...幕末、連続11場所2桁の引分相撲
たまには所謂“無名力士”を採りあげてみたい。昭和三一年春、西幕下三七枚目北ノ花〔非関取〕北海道出身、時津風部屋。〇谷ノ花(幕下37)〇栃旭(〃38)やや〇初昇(幕下39)や〇萩ノ里(幕下31)〇富士昇(〃45)やや〇志岐(幕下53)や〇佐賀ノ里(幕下20)=後幕内宮柱●九十九海(〃31)や8番相撲の相手は初日●を記録していたが、結局4力士の同点決勝で北ノ花が優勝。無名力士の幕下V
※昨日の閲覧…412・訪問者…295トータル訪問者数1,113,608窪寺紘一氏著『日本相撲大鑑』【画像】(466ページ。平成四年、新人物往来社刊。函入定価5,000円)を御希望の方、先着1名様に無代進呈いたします。送料のみ御負担ねがいます。保存状態良好で、切抜きや書込み等々は一切ございません。主要内容は次のとおりです。第一章日本相撲史第二章大相撲の組織第三章土俵の主役力士第四章大相撲本場所第五章相撲と芸術御希望の方は520円分の切手を同封のうえ…下記宛てお送りいただければ、折返し「レターパック…」にて送本いたします。〒852-8113長崎市上野町14-11田中健お問合せはjhisa104@ybb.ne.jpまで…お気軽に。☎095-845-679932年前の本『日本相撲大鑑』進呈
大鵬・柏戸の新横綱時代、手数入(でずいり)の「下の構え」が極端に“前傾姿勢”を採るので彦山光三が土俵上でなにかさがしているようでみっともない━と厳しく批判した。その頃の記事「“位”無視の“手数入”非難」に拠れば、大正中期以降、完璧に…腰を据えた横綱力士は、栃木山・常ノ花・玉錦・双葉山・照國の5名だと云う。私見・愚考では、プロレスに一時転向の東冨士も写真では立派な手数入ぶりにみえる。扨て、拙稿「岡山県出身入幕力士一覧」では折込み裏面に“余白”を常ノ花の写真などで埋めた。平成二三年刊の本より転載した写真説明に━前傾姿勢を採らぬ横綱常ノ花の“下の構え”━と記載した。更に、「昭和五年三月(大阪)場所まで…検査役が四本柱を背に土俵上に坐り、観客こそいい迷惑だった。」と記述した。「前傾姿勢」は柏・鵬以後…?
※昨日までのトータル訪問者数1,020,002大正末から昭和初期の名大関、大ノ里万助〔『大相撲』誌などに「大の里」と表記されたこともあるが番附で“の”は不使用〕は、明治二五年…青森県…生れ。全盛期の体格は164cm・97kgと記録されている。入幕前に負越しなしの11場所だから凄い。尚、所属を2度移籍で、出羽海部屋に入る前、新十両のとき後横綱常ノ花と対戦して白星を得ている。大正七年夏の新入幕、4勝5敗1引分けで初土俵以来初めて負越し。同十一年春に小結、翌場所は新関脇、1度平幕へ落ちたが、十三年春に再関脇、そして翌十四年春場所は大関に昇進したが、初の休場を余儀なくされる─理由は調査してない。その後、大関を23場所━うち、中途欠場2場所以外“皆勤”している。成績は、11日間制で全勝や1敗は皆無だ。昭和七年、菊池...「相撲の神様」大ノ里
長い大相撲の歴史━今夜は「明」に非ず「暗」の事件を…。66年前の昭和三十二年五月四日、日本〔当時「大日本」〕相撲協会出羽海秀光理事長(元横綱常ノ花寛市、前年寄藤嶋義久=当時60歳)が割腹自殺〔未遂〕事件を起した。もう現代の若い相撲記者は碌に相撲史を勉強しないから…てんで知らないであろう。吾輩だって当時9歳の小学四年生で未だ相撲通の“初土俵”を践むまえで、自宅にTV受像機は存在せず、ラヂオのニュースでこの衝撃事件が耳に入った記憶は全然ない。協会の「公益法人」問題の核心は「茶屋制度」だった。平成元年、TBSブリタニカ刊『昭和の大相撲』での三宅充氏記事、当該末尾より━。自殺未遂事件は全くのムダではなかった。時津風新理事長〔註=元横綱双葉山〕も、ただ単にバトンを受けただけでは、改革の踏んぎりもつきにくかったろうし...66年前「角界の悲劇」
※昨日の閲覧…911・訪問者…411トータル訪問者数1,019,814百年ばかり前の大正初期乃至中期に「明治大帝御事蹟保存會」なる組織が発行した、明治十七年三月十日に挙行された天覧相撲━「御濱御殿内延遼館相撲天覽」と銘打つ絵葉書〔旧官製葉書と同じ9cm✕14cm〕を御希望の方、先着1名さまに譲渡いたします。120円切手10枚を同封のうえ…下記宛てお送りいただければ折返し御送付いたします。尚、頂戴した切手は『相撲史発掘』の発送に使用しますので必ず額面120円の切手にて…お願い申しあげます。〒852-8113長崎市上野町14-11田中健お問合せはjhisa104@ybb.ne.jpまで…お気軽に。☎095-845-6799明治天覧相撲の絵葉書を廉価で
六月上旬完成予定の拙作&私家版『相撲史発掘』━「横書きコラム」が脱稿した。☆陽暦採用で花見が梅から桜へ…?★彦山光三の不朽の名著『橫綱傳』(昭和28年刊)に「天地の成りたちと陰陽道」なる一節がある。某HPに陰陽道ではサクラの陰と宴会の陽が対になっていると解釈…とあるも、最近の認識では“桜が陽で梅が陰”と思惟するに至った。第88号(平成30/6)折込み掲載「東都大角力遊覽圖」(豊國筆)は幕末安政期の作でバックに梅が描かれており、前号へ掲げた「花見宴」(國輝筆)は15年を隔てて背景が桜に変っている。旧暦明治5.12.3⇒太陽暦の明治6年元旦とした改革は日本人の生活に多大な影響を及ぼしたに違いない。花見の対象が桜になる一因か。尤も、昔の花見は特権・上流階級に限られ、一般庶民が花見酒など楽しむようになったのは高度...No.103「横書きコラム」脱稿
※昨日までのトータル訪問者数1,019,403明治本場所大相撲のパーフェクト記録…。最高位は大関対関脇である。①明治二三年夏場所九日目西前頭五●鞆ノ平━朝汐〇東前頭十②同二四年春場所初日東前頭三〇朝汐━鞆ノ平●西前頭四③同二五年夏場所八日目東前頭筆頭〇朝汐━鞆ノ平●西前頭三④同二六年春場所八日目東関脇〇朝汐━鞆ノ平●西前頭六⑤同二六年夏場所三日目東関脇〇朝汐━鞆ノ平●西前頭八43歳で鞆ノ平が引退したため、この取組は終了してしまった。鞆ノ平は下り坂、初代朝汐は上り坂なのだから致し方ない。後大関朝汐5─0元関脇鞆ノ平
昭和二五年春場所、西序ノ口五枚目南秋山〔後小結若ノ海〕の星取表。〇戸村(序ノ口6)〇常錦(〃2)=後幕内〇常ノ海(〃1)●朝曻(〃5)〇小出(〃4)●関東山(序二段17)〇三野谷(序ノ口4)〇谷ノ花(序二段18)〇秀ノ海(序ノ口2)〇神室山(序二段13)●鳴門泻(〃18)〇山形(〃12)=後幕内泉洋〇八染(〃11)=後幕内〇小林(〃14)=後小結時錦〇大幡山(〃20)過半を序二段と対戦━力士総数が少ないので「15日間全日出場」は鳥渡ばかり無理があったと思う。相手の星を考慮しての取組編成は難しいはず。尚、当場所序ノ口優勝は、上位の後幕内福ノ海が…。序ノ口で12勝、優勝同点の…
※昨日までのトータル訪問者数1,019,215大相撲の報道━各相撲記者諸氏は所謂「叛骨精神」を微塵も感じさせないので、協会を批判したりは絶対しない。それじゃぁ面白くも・なんともない━「無味乾燥」だ。毎年今頃になると、『大相撲』誌におけるS記者の「なぜGWを無視する?」を想い出す。即ち、「夏場所」開幕が黄金週間が終ってから…の場合が大抵の日程だ。尤も、レジャーの多様化した現代日本ではナンセンスかも知れぬ。その夏の新番附を批判せずにいられない━。“貧乏神”で13勝の元大関朝乃山がたったの4枚しか昇進せず、こりゃ10勝程度の“評価”乃至査定である。更に、元幕内で関取最軽量の人気力士、炎鵬だって今度はすこしばかり“冷遇”されたみたい。幕内力士も破り9勝6敗で2枚しか上ってない。またしても“二桁”白星でなければ「再...炎鵬、夏の番附で冷遇…?!
百年ばかり前の大正初期乃至中期に「明治大帝御事蹟保存會」なる組織が発行した、明治十七年三月十日に挙行された天覧相撲━「御濱御殿内延遼館相撲天覽」と銘打つ絵葉書〔旧官製葉書と同じ9cm✕14cm〕を御希望の方、先着1名さまに譲渡いたします。120円切手10枚を同封のうえ…下記宛てお送りいただければ折返し御送付いたします。尚、頂戴した切手は『相撲史発掘』の発送に使用しますので必ず額面120円の切手にて…お願い申しあげます。〒852-8113長崎市上野町14-11田中健お問合せはjhisa104@ybb.ne.jpまで…お気軽に。☎095-845-6799百余年前の絵葉書を廉価で
※昨日までのトータル訪問者数1,019,048昭和十一年夏、西幕下十二枚目羽黒山〔後横綱〕の星取表。〇石狩嶽(幕下12)〇富田濱(〃13)=後十両〇桂山(〃15)〇神武山(〃11)=後幕内神東山〇白鷲(〃16)=後十両平戸灘〇源氏山(〃3)=後幕内●荒駒(〃1)=元十両〇陸錦(〃26)=後幕内九ヶ錦〇鹿島洋(〃7)=後幕内鹿嶋洋〇一渡(仝)=後幕内〇若潮(〃19)=後幕内幕下2桁なので十両力士とは全然対戦させなかったのか……。七日目は21連勝成らずの相撲だ。後横綱羽黒山、20連勝で止る
六月上旬完成予定の拙作&私家版『相撲史発掘』第103号の進捗状況。1~4頁〇“時代”を超えた力士たち●明治→大正篇①◎原稿清書完了。折込み表面●明治に入幕、大正で引退45力士一覧◎原稿清書完了。折込み裏面●岡山県出身入幕力士一覧◎原稿清書完了。5~7頁〇江戸大相撲熱戦譜●天保十四年春場所◎原稿清書完了。折込み両面●幕内関係勝負&星取表◎原稿清書完了。8~10ページ上段〇大正期の新聞記事から◎原稿清書完了。10頁下段〇江戸本場所18世紀“最初の記録”◎原稿清書完了。11ページ〇古今平幕最優秀力士星取表◎原稿清書完了。未だ白紙になってるのは12頁の「横書きコラム」と「あとがき」だけです。103号の進捗率93.75%
※昨日までのトータル訪問者数1,018,906対戦成績が五分・五分と拮抗しているカード。最高位は、大関対関脇。①明治六年春場所二日目東関脇△兜山改雷電━武藏泻(十両格3)②同六年冬場所三日目東関脇〇雷電━武藏泻(十両格1)③同七年春場所四日目東関脇〇雷電━武藏泻●西前頭六④同七年冬場所五日目東関脇〇雷電━武藏泻●西前頭三⑤同九年正月場所五日目東関脇●雷電━武藏泻〇西前頭三⑥同九年春場所六日目東関脇●雷電━武藏泻〇西前頭三⑦同十二年春場所六日目東張?●阿武松━武藏泻〇西関脇これは、やっぱり雷電の体調不良が要因と思われる。元大関雷電3─3関脇武藏潟
昭和三二年夏場所、東三段目筆頭千葉〔後関脇羽黒花〕の星取表。●大和川(三段目2)や〇琴ヶ浦(三段目8)〇北上山(幕下79)や〇大和海(幕下79)やや〇美鈴山(三段目5)や〇嶺本(三段目9)や〇岩永(三段目3)=後十両雲仙山や〇相葉山(幕下72)相手の幕下3力士は何れも“同成績”で対戦しているが、岩永は前日まで4勝・2敗の星だった。尚、羽黒花は引退後に大鳴戸から名門玉垣を襲名したが、立浪もと取締(元横綱羽黒山)歿後ほぼ3年経過して角界を去った━双羽黒同様、元安念山と“馬”があわなかった━と邪推するほかない。7人の決定戦で三段目V逸す
※昨日までのトータル訪問者数1,018,743百年ばかり前の大正初期乃至中期に「明治大帝御事蹟保存會」なる組織が発行した、明治十七年三月十日に挙行された天覧相撲━「御濱御殿内延遼館相撲天覽」と銘打つ絵葉書〔旧官製葉書と同じ9cm✕14cm〕を御希望の方、先着1名さまにお譲りいたします。120円切手10枚を同封のうえ…下記宛てお送りいただければ折返し御送付いたします。尚、頂戴した切手は『相撲史発掘』の発送に使用しますので必ず額面120円の切手にて…お願い申しあげます。〒852-8113長崎市上野町14-11田中健お問合せはjhisa104@ybb.ne.jpまで…お気軽に。☎095-845-6799明治天覧相撲の絵葉書を廉価で
明治中期の好取組とその結果。最高位は、関脇対小結である。①明治二二年春場所六日目西前頭三〇若湊━鬼ヶ谷●東前頭五②同二六年夏場所初日西前頭五〇鬼ヶ谷━若湊●東前頭六③同二七年春場所二日目東前頭五●若湊━鬼ヶ谷〇西前頭七④同二九年夏場所八日目西前頭三●鬼ヶ谷━若湊〇東前頭五⑤同三一年春場所二日目東前頭筆頭〇若湊━鬼ヶ谷●西前頭七⑥同三二年春場所六日目西前頭二●鬼ヶ谷━若湊〇東前頭三⑦同三二年夏場所八日目東前頭三●若湊━鬼ヶ谷〇西前頭四⑧同三三年夏場所七日目西前頭四〇鬼ヶ谷━若湊●東前頭五⑨同三五年春場所二日目西前頭二〇若湊━鬼ヶ谷●東前頭八⑩同三六年夏場所五日目西小結〇若湊━鬼ヶ谷●東前頭八両力士とも何れも平幕での対戦かな…と思ったら、最後の取組は若湊が小結で。尤も、鬼ヶ谷の三役は小結2場所〔連続〕だけであ...関脇若湊6━4小結鬼ヶ谷
※昨日までのトータル訪問者数1,018,537昭和三十年秋、東序二段四一枚目杉山〔後関脇若三杉→大豪久照〕の星。〇岩村(序二段41)や〇鞆錦(序二段42)〇浪速海(〃40)や〇伊達登(序二段43)や〇長谷川(序二段32)=後関脇…とは別人。やや〇出羽ノ岩(序二段62)や〇嶺本(序二段51)〇佐渡(〃71)すべて相手は杉山のために初黒星をつけられている。優勝は“兄弟子”の若秩父が「上位」V。兄弟子の若…、序二段V
江戸本場所大相撲のなかで、幕末におけるパーフェクト記録を御紹介。最高位は、横綱対関脇である。①萬延元(1860)年冬場所二日目東小結〇鬼面山─東関(十両格2)②文久二(…62)年春場所二日目東小結〇鬼面山─東関(十両格2)③同二年冬場所初日東関脇〇鬼面山━東関●西前八(幕尻)④同三年夏場所三日目東関脇〇鬼面山─東関●西前七(幕尻)⑤同三年冬場所五日目東関脇〇鬼面山─東関●西前頭六⑥元治二(…65)年春場所六日目東関脇〇鬼面山─東関●西前頭四⑦慶應元(…65)年冬場所五日目東大関〇鬼面山─東関●西前頭三⑧同三年春場所九日目東張小結格?〇鬼面山─東関●西前頭二その後、鬼面山が西方へ異動したのが要因で取組は終り…明治の土俵で顔合せは全然なかった。尚、当時は引分け相撲が多いので「完全試合」は相当な“実力差”が必須...後横綱鬼面山8─0後関脇東関
※昨日までのトータル訪問者数1,018,371昭和三十年初場所、西三段目二十一朝ノ海〔後幕内=奄美大島出身〕の星。〇時津浪(三段目21)=後十両や〇小城ノ花(三段目18)=後関脇〇大海(〃24)や〇勇山(三段目27)や〇須藤(三段目30)=後幕内一乃矢やや〇湊山(三段目11)〇光昇(〃14)や●谷ノ花(三段目3)や決定戦は行わず、上位の谷ノ花が優勝。谷ノ花は2番相撲が黒星であった。でも、彼は関取になれなかった。後幕内朝…、三段目全勝を逸す
百年ばかり前の大正初期乃至中期に「明治大帝御事蹟保存會」なる組織が発行した、明治十七年三月十日に挙行された天覧相撲━「御濱御殿内延遼館相撲天覽」と銘打つ絵葉書〔旧官製葉書と同じ9cm✕14cm〕を御希望の方、先着1名さまに譲渡いたします。120円切手10枚を同封のうえ…下記宛てお送りいただければ折返し御送付いたします。尚、頂戴した切手は『相撲史発掘』の発送に使用しますので必ず額面120円の切手にて…お願い申しあげます。〒852-8113長崎市上野町14-11田中健お問合せはjhisa104@ybb.ne.jpまで…お気軽に。☎095-845-6799百余年前の絵葉書を廉価で
※昨日までのトータル訪問者数1,018,139昭和三三年秋、西序ノ口十五枚目川内〔後幕内逆鉾與…〕星取表。〇瀧(序ノ口18)や〇巴嶋(序ノ口15)〇高岡川(〃14)や〇植田(序ノ口10)や〇長田(序ノ口9)や〇小野岩(序二段126)やや〇英ノ花(序二段114)や●平戸(序二段124)=後十両隆昌山序二段3力士は何れも前日まで「1敗」の星だった。決定戦で植田に敗れVを逸す。当時、172㎝・71.2㎏と記録されていた。京都女性との“逃避行”がなければ、幕内上位で面白い存在になったはず━角界の「損失」であった。序ノ口V逸した後幕内…