プロフィールPROFILE

大叔父・大田節三の慕情さんのプロフィール

住所
八王子市
出身
鹿角市

自由文未設定

ブログタイトル
大叔父・大田節三の慕情
ブログURL
https://blog.goo.ne.jp/toyo0181
ブログ紹介文
シアトルからロスアジェルスそして・・・胸の中に仕舞っていたものは・・
更新頻度(1年)

177回 / 365日(平均3.4回/週)

ブログ村参加:2015/12/12

大叔父・大田節三の慕情さんのプロフィール
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ハンドル名
大叔父・大田節三の慕情さん
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更新頻度
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大叔父・大田節三の慕情

大叔父・大田節三の慕情さんの新着記事

1件〜30件

  • 「おお、よき月よのかな」と詠めば、月夜野。

    👆台地の三峰山に昇った月を見て、歌人、言葉遊びの達人源順・みなもとのしたごう、が、執掌を持てず、位官に甘んじて、晩年、能登守の補任される途中に立ち寄ったのだろうか、平安時代の短い歌。「おお、よき月よのかな」月夜野。有名歌人が詠えば、厳かになり地名にもなる。暴れ川、利根川の上流に流れる、赤谷川が流れる、大利根山の麓、群馬県・みなかみ町月夜野。昔は朝廷に献上する馬の牧があったところ。昭和12年当時月夜野町の町民が、1.5キロ先の寿命院から、神社を人力で曳家した。明治41年、月夜野神社と改称した都神明宮。天照大神を祀っていた、神社を、江戸時代初期、沼田藩主、真田伊賀守信利が再建したもので、曳家は寿命院の山腹から、かなりの労力だったろうと・・。利用した道具は、木のソリとコロだったといいます。月夜野に鎮座した神社を観れば...「おお、よき月よのかな」と詠めば、月夜野。

  • あきる野市草花、猛者武将と豪族のタックル。

    東京の西の8万人が住むあきる野市、米軍基地、横田基地が、160万年前の全骨格のクジラの化石が、発見された昭島市が、僅か20分程度車で走れば、秋川の峡谷が、今は、閑静な住宅街になっているけど、鎌倉時代、一の谷の戦いで名を挙げた、平山季重、一時は500騎の平軍勢に17騎で戦った猛者が、社殿を奉納する。1207年。一宮神社。室町時代には、この地の豪族が、再建し、小宮大明神と呼ばれ、戦国時代には、豪族たちの祈願所になって、市井の生活苦から建てられた神社とは、趣きが、ちと、違う。再建したのは、地元豪族、小宮上野介憲明。今は、彼岸中日の獅子舞の催しは、家内安全、雨ごいの獅子がいて、稲作文化の舞いもあり、天然理心流.棒術の流儀を子供たちが披露するのだそうです。前日五日市の同名の・小宮神社を訪れ、彫刻が無く、スカ、を、地中海の...あきる野市草花、猛者武将と豪族のタックル。

  • 閉めた本殿、木立に白い建物「メリダ」

    👆彫刻が施されている小宮神社。シャキッと目を開いて♫ワン・ツー・ワン・ツー♬ナビの通りにハンドルを握って出かけた神社。着いたのは、👇五日市駅近く、あきる野市戸倉の小宮神社。道中、台風被害を復旧している光景を見て、「う〜ん」ダンプカーの往来する道に、駐車場が無い神社。高台の神社を覗ける、地中海料理店の店先を、渡りに船とばかり、支払いを、スープ、生野菜、ポテトの、なんとかかんとかの食事代にして、車を置かせて頂いた。盆堀川の盆堀集落の夕暮れ。ちと、この店の売り上げを心配した。が、ここは民宿の予約も受け、👇離れたところに、古代のトンボ玉、ピカソの版画、などのギャラリーが・・。アクセサリー、クラフト作家の作品がある。布小物、陶器もあって、販売もしている。小宮神社の彫刻を撮りに来たのに彫刻は無く、スカ!あきる野市には、小宮...閉めた本殿、木立に白い建物「メリダ」

  • 篭彫り松に鶴、住吉神社。青梅宿。

    1613年落雷で、社宝や、拝殿、社記が類焼したものの、本殿だけが燃えなかった住吉神社大阪で生まれて、江戸で宮大工の修業をした棟梁が、神社を後にしました。石段を下り、煙管の刻み煙草に付けた青梅街道の砂利道。見上げた住吉神社の本殿は見えないけど、春日造りを少し変えたデザインに、少し胸を張ったに違いない、貝塚作右衛門泰久さん。1716年の事。1835年には、誰が彫ったか、青梅街道の宿場町だつた、住民は、べらぼうに有名文人ではないけど、知識人が町をにぎわしています。その流れが、神社の彫物に伺えます。向拝や軒下には、牡丹に獅子、獏の彫刻が、添えられ、圧巻なのは、海老紅陵の図柄、曲がりには松の木と葉を中心に、鶴の親子、夫婦鶴を配しています。海老紅陵には水の神、龍が巻き付いている、神社が多いところに、松、鶴の夫婦、親子が、デ...篭彫り松に鶴、住吉神社。青梅宿。

  • 風邪消えたか、冬の花。

    昨日の風邪が、消えかけています。早く治りかけている原因は、分りませんが、昨日、寝る前に摂ったのは、市販薬、15歳未満の服用は禁止している、錠剤の3錠のところを1錠。アカシアの蜂蜜、柿、バナナ3分の2本、水1リットル、後はたっぷりの睡眠でした。熱を出し切るまで3~4日かかるのに、昨日の今日、熱が下がり始めて、ブログに書いてしまった、「煙草の節煙」いいきっかけになりました。箱根湿地花園の花たちも、終わる、秋の気配にだんだんと減ってきました。でも、冬の期間、土の中で、春に咲く準備をしている花もあるのだから、「つまらない」なんて言わなくていいやね!見えない花の成長を想像するのも、胸,昴まるひと時であります。風邪消えたか、冬の花。

  • 鬼の霍乱か、いわし雲。

    出先で、お腹が膨らんだ。チョットだけ胃から込み上げたものがあった。いわし雲の下でちょっとした、風物の主人公になってしまった。序ノ口二段東の筆頭の風邪と、西の筆頭と年寄りが、序盤戦の土俵で、壮絶な闘いを始めています。現在、風邪が一気に土俵際まで押し込み、年より、必死にこらえ、年より脳裏に「祝いの、イカの刺身」を浮かべています。押し出しか,うっちゃりか。序ノ口二段ながら、手に汗握る一番。年より、負けたら向こう5年間「節煙」勝ったら次は「ツキノワグマ」と、がっぷりよつの取り組みに、「きりたんぽ鍋」で、英気を養い、さらに磨きをかけます。サイドテーブル。水よし、森永のキャラメル3個よし、ビターよし。老眼鏡よし。眠りにつきます。20時04分。👇しもばしら鬼の霍乱か、いわし雲。

  • 箱根湯本の堀文子さん。成川美術館 

    出品の為に絵が運ばれてしまったら、それが私の葬式で、それを送ってしまったら、私はもう二度と振り返らない。私はいつでも臆病、白い紙に絵を描く時のあの恐怖・・・。日本画家、堀文子さんの100年の胸の中。82歳でヒマラヤ山脈を踏破して青いケシを見た。翌年、解離性動脈瘤で1か月、入院した。私は病院で、何かが擦り落ちた。説明を省いた、研ぎ澄まされた画風は、絵を見ていて、張りつめた空気に覆われてしまう。箱根湯本の成川美術館で、館主、成川氏が収拾した「堀文子」の日本画。4室の会場に、すべて堀さんの作品を展示した。今年2月、亡くなった堀さんの追悼。海外の作品を含め、一躍脚光を浴びた青いケシ。群れず、師を持たず、弟子も置かなかった、孤高の画人。気さくで若い頃、描いたた絵を「上手ね」と、白髪を掻きあげて、ケラケラ笑う画家の物を見る...箱根湯本の堀文子さん。成川美術館

  • 千条の滝。箱根、鷹巣山の流伏水

    箱根に出かけました。しょっぱなで、つまづく。相模原からの「箱根裏街道・道志みち」は2ヶ所の陥没で、前面通行止め。ここまでたっぷりハンドルを握っていた。2018年には台風24号で土砂崩れ、今年4月ごろ、片側通行で開通したばかり。「道志みち」のバイクのツーリングドライバーは、まぼろし探偵や、月光仮面ばり、いつでも、追い越せと、シグナルを送れば、追い越して、、「ありがとう」のシグナル、片手を上げて、瞬く間に、小さな点になる。マナーがよくて、運転の疲れは、吹き飛んでしまう。その姿を見られないのは残念。高速まで戻り、神奈川県の滝では、一番の規模という「飛竜の滝」へ・・。えぐれた道路、注意深く来たのに、重機が道路で作業をしていた。看板は無いけど「やめた方がいい」とオペレーター。ありゃハレ、ありゃハレ・・。観光客が意外と多か...千条の滝。箱根、鷹巣山の流伏水

  • 予期せぬ一言、吾亦紅。

    最近、散らかし放題の部屋にいて、片付ける意欲が無くなってきた。散らかしているのは新聞。これさえ、きちんと廃棄袋に入れてしまえば、すっきりするのに、その片付け作動のスイッチが入らない。折り込み広告は断っているので、さほどの量ではないのに、片付けない。布団の中に潜っていた新聞に、目が覚め、足で外に押し出したこともある。片付けの協力者がいたらいい、とぼやいたら、♪小間使いじゃな〜い♬が、澄んだ秋の空を泳いで、耳たぶを揺らした。なんともはや!箱根に出向きます。予期せぬ一言、吾亦紅。

  • 秋晴れなのに・・。

    おはようございます。久しぶりに時間に余裕ができた朝です。ですが、首里城の焼失は、心の拠り所を失った、地元の人たちの、シンボルを失った、姿を見ていると、たまらない気分になります。マラソンも北海道になる公算が強く、都民として、権力のすごさに唖然とさせられます。古代オリンピックを復興させたクーベルタンは、オリンピックを通じて,人々は平和に暮らすことを学べると思っていたのに・・。準備の段階で、きな臭い猜疑心にばかり走ってしまいます。台風災害と・・重なる出来事、直接手助けできる技量はないけど、出来る何かがあるかもしれませんね。昨日仕事の打ち合わせの後、通りに咲いていた、花です。秋晴れなのに・・。

  • こんな時は、音楽を聴く。イグレシアス・Hey。

    もともと文章を書くのは苦手、本となれば、必要なら読むけど、好きかと聞かれたら、嫌いのボルテージがマックスになります。それでも書くとなると、それこそ、頭を抱え、腕組みをし、頬杖をつき、気晴らしに外を見たり、クモの巣がどこまで伸びるかなんて、見ては、テレビの録画のボタンを押してしまいます。結果、ブログは一日延び、二日延び・・・。一竹美術館河口湖フリオ・イグレシアスでこんな時は、音楽を聴く。イグレシアス・Hey。

  • 辻が花・久保田一竹美術館 ③ー③

    久保田一竹さんが室町時代の紋様染、「辻が花染め」に出会ったのは、20歳の時。シベリア抑留を経験して、辻が花を本格的に、研究したのは、40歳からだといいます。無くなる85歳まで、それこそ、貧乏な時は、黒くなるまで100回も染め直し、研究したといいます。久保田さんを知っている人は、気さくで、温厚だったと・・・。👇美術館の外は、遊歩道・・👇美術館の傍の「蜻蛉玉」という名のミュウジアムカフェに、久保田さんが各国から集めた、トンボ玉(蜻蛉)を、展示しています。👇テラスで、コーヒーを・・。👇野外ステージ。👇久保田さんのライフワークの「光響」80連作。46連作が完成しているものの、ク保田さんは、残り34作のデザインを残し、2003年4月26日逝去。一作に一年以上かかり、私も80連作の完成は、見ることができない。それでも絞りの...辻が花・久保田一竹美術館③ー③

  • 辻の花、一竹美術館 ④-②

    河口湖の一竹美術館は、奇抜な設計で、知られるガたウディの作品に似ていると教えられ、訪れました。富士山が冠雪した翌日の今月23日、良く晴れた日でした。凝灰石で作られ、やはりガウディーでした。スペインを訪れた、久保田一力さんが自分の「辻の花」染色に、合うとプロデュースしたのでしょう。この絵は、名前は忘れましたが、寄贈された作品です。敷地内は、久保田さんが集めた、東洋の置物が、展示されている、ガウディー風の建物と、ピラミッド型に、木造の吹き抜けの美術館。こちらの内部は、撮影禁止で写真はありません。建築物を見学に行ったのですが、久保田一竹さんの染色作品を見て、驚ろき、時間を忘れ、目は、しょっちょゅう点、点。辻の花、一竹美術館④-②

  • 辻が花・一竹美術館 ①

    山梨県河口湖に、室町時代から桃山時代にかけ、盛んだった、紅を基調にして草花文様の絞り染め、江戸時代の初めには、一旦すたれた「辻が花」を、復活させ、世界に名を轟かせた男がいる。久保田一竹さん。河口湖に生まれ、富士山を題材にした、気の遠くなるような細かい絞りの作品を、展示するために自分でプロデュースして、スペインの建築家アントニ・ガウディの、作風をまねて造ってしまった。その「一竹美術館」のある河口湖迄、行ってきました。👇絞りを入れた単衣。制作には早くて、一年はかかるとという。そのポスター。👇スカーフ。辻が花・一竹美術館①

  • 古河橋、最古の移設されない鉄橋。足尾

    歌を忘れたカナリヤは、月夜の海に象牙の舟に銀の櫂で、浮かべれば、思い出す歌も、記事が浮かばない私ブロガーは、あちこち歩いても記事は浮かばない。果て、どうしたものか。救いの神が現れた。7ページばかりの冊子。足尾銅山の世界遺産登録を推進する会、の、2年前の会報。会員になるつもりはないけど、訪れた足尾銅山の古河橋の歴史が、載っていた。閑散とした今の足尾銅山。鉱毒カドミュウム被害者で千人以上の死者を出した、足尾銅山。一時は、半数を超える北陸の抗夫たちよそ者たちが花街があり、夜通し気勢を上げて栄華を誇った町。明治の終わり、夏目漱石が新聞に連載した「抗夫」には、栄華の町は描かれていないけど、足尾銅山を念頭に描かれた小説。小説の主人公が銅山に着いた時にはすでに、掛けられていた橋。👇古河橋。明治23年、架設して以来、120年間...古河橋、最古の移設されない鉄橋。足尾

  • koko et kaori s・・鶴岡、羽黒山。

    村治佳織。ギタリスト。14歳でリサイタルデビュー2003年英国の名門クラシックレーベルDECCAと、日本人初の長期専属契約を結ぶ。谷川公子。2008年公開映画《火垂るの墓》の音楽監督。平和への祈りを込めたギター曲『一億の祈り』を作曲。演奏者・村治佳織。映像と一体化した総合的な音楽制作kokoetkaorisKaoriMuraji-村治佳織-Nuovocinemaparadisosuite出羽三山神社、一億の祈り・村治佳織さんのギターでkokoetkaoris・・鶴岡、羽黒山。

  • 川越の氷川神社・一億の祈り。

    ギターリスト、村治佳織さんは、東日本震災の後、本人の病気も重なり、ピアニストで作曲家の谷川公子さんと、亡くなった方への鎮魂と復興を願う「一億の祈り」を創った。谷川公子さんも、乳がんを食事療法だけで、治した女性。今回も、早く元の生活に戻れるよう、祈りで、ページを潰すとは・・・。氷川神社・川越。本殿は入母屋造り。天保十三年(1843年)起工、嘉永二年(1849年)に竣工されました。本殿の周りに彫った彫刻家は、嶋村源蔵と氷川神社では公表していますが、飯田岩(巌)次郎との共作。源蔵はもともと江戸彫り、島村家の7代目。先代たちは、日光東照宮も手掛けた、名工です。岩次郎の父は飯田仙之助。群馬県勢多郡の花輪に住んで、石原吟八の愛弟子で、吟八がくなると、生まれ故郷、東松山で、大工棟梁、飯田和泉守安軌の子の元で、武藏国で活躍した...川越の氷川神社・一億の祈り。

  • 足尾銅山

    曇っていたし、宿で災害の画面を見ているうち、花輪彫刻集団の親分、関口文治郎さんの末裔と、会うのをやめた。どうせ約束は取ってないし、手も足も出ない状況になんだか、気が晴れない。ドアを開け出れば、会って話はできるけど、部屋にいる間に、会いに行かないと決めた。足尾銅山、資料館と精錬所跡まで、昨日の続き。鹿沼の古峯神社も通行止め。早めに切り上げ、帰宅。帰りはすんなり高速も開通していました。👆👇資料館、資料から👇松木ゲート、足尾砂防堰堤、これから先は、車両進入禁止になってます。渡良瀬渓谷の源流の碑。👇群馬県桐生市から、わたらせ渓谷鉄道の終点、栃木県の間藤駅。11月の紅葉に、訪れる人たちの歓声が、聞こえそうなのですが・・・。足尾銅山

  • 廃墟、足尾銅山・渡良瀬渓谷。

    👆八王子を襲った台風で、氾濫するかもしれないと、一役買ったのですが、今朝は水かさも減り、杞憂に済んで、足尾銅山に向かいます。👇高速は、土砂崩れが数か所、至る所通行禁止の張り紙、一般道で行くことに来ることに。👇足尾銅山の町。👇廃墟、足尾銅山の精錬所の前を走る、渡良瀬の電車。寺社彫刻集団の親分、関口文治郎の末裔と、会うために、一日早く来ました。どんぐり頭???、宿でビールに酒。ちと、気分のいい酔いが・・。文字が躍ってます。眠ります。👇渡良瀬渓谷、花輪駅。廃墟、足尾銅山・渡良瀬渓谷。

  • 心配をおかけしました。

    台風まもなく上陸の情報前、すでに八王子の浅川では、八王子市浅川氾濫警戒情報が、出ていて、氾濫区域に、はまる知人の家は、👆の橋の向こう側、知人を我が家に連れてくる前に撮ったもので、これから、もっと降るなら今後の事、やはり心配です。心配をおかけしました。知人たちは、我が家で今晩を過ごします。氾濫すれば、ひとたまりも無い地域、その時は、又考えましょう。被害の出た地域もあります。知人は家の心配もあるのでしょうが、以外とあっけらから〜んとしているのが救いです。知人の友達も非難は済んだようだし、私の友達も安心できる状況。後は台風が過ぎていくのを待つだけです。14時、無事帰宅です。心配をおかけしました。

  • 台風養生に出かけます。

    八王子は大降りの雨で暗いです。台風が現実味を帯びてきました。これから知人宅の台風養生に出かけます、比較的、台風被害の少ない八王子ですが、今日は、安心できません。知人の子供たちも自宅待機のようですが、心もとないです。昨日のスーパーはどのレジも長い列を作りました。皆さんのところへ、訪問できる時間が、限られると思います。7時、風の音が一段と聞こえるようになりました。私の住家は比較的高台、堅牢なアパートですので、停電の際の、冷蔵庫が気になるくらい。とりあえず、出かけることにします。台風養生に出かけます。

  • 明治神宮にワイン。

    関東直撃の台風、八王子も霧雨です。明日あさっては、出かけないことにしました。10月7日、久しぶりに渋谷に出ました。土地勘が鈍っていました。👇国立代々木競技場の周りの、ケヤキも、まもなく秋秋です。もともと占領アメリカ軍施設・ワシントンハイツがあって、1964年のオリンピックの競技場の敷地として、アメリカ軍との返還交渉が難航し、出来上がったのは、開催の39日前に竣工した歴史。1964年の7月からは、24時間体制での、まさに、突貫工事だっと。アリーナ・室内に柱がない・当時としては画期的な、図面をを引いたのは、丹下健三さん。👇手入れもまもなく終わりそうです。👇陸橋を降りて明治神宮の入り口。日本人がいない休み処ですが、木陰下の雰囲気・・なんとなく様になっている。1912年7月30日、明治天皇が崩御。陵墓は京都の伏見桃山陵...明治神宮にワイン。

  • 何年振りか、渋谷から原宿まで。そして記事が消えた?

    秋田で生まれて、小学校五年から中学までの夏休みは、池袋の近くに住んだ。あちこち連れ廻される多感な少年が、何時も立ち止まるのが、映画館の手書きの看板。通路で絵描きが一服の煙草を吸うまで、眺めていたことがある。今は手書きの看板がない。たまに八百屋と魚屋に見る。ホッとする。昨日は、インターネット、あの山この山、登山の記録を見ていた一日。自分が登った気になって・・・。👇原宿駅のすぐそば。昭和57年に架橋された二代目。石親柱(石灯篭)は初代のもので、重量感たっぷりの橋は、もう作らないのかもしれない・・・。👇モデル料に¥500返礼は、シャリ〜ン。👇原宿駅、開業は1906年4月「ハーフティンバー」・骨組みを表に出し、土や、セメント、レンガ、石などを充填した様式で、屋根上には小さな尖塔が載る。この尖塔は木製のルーバー8面で構成...何年振りか、渋谷から原宿まで。そして記事が消えた?

  • 日高市の酔芙蓉から、聖天院②-② 

    暑くなる日といわれて、秋。朝晩は涼しさを通り越し、寒い。通りの車の音が、部屋にこだまする、八王子の夜明け前。取り込み忘れたタオルが2枚、ふらり、ふら〜り。日高市巾着田の曼殊沙華を見たあと、出向いた聖天院勝楽寺。近くの高麗神社には、皇族が参拝し、著名人が沢山訪れるのですが、聖天院は、高麗郷・奥多摩を見ながらひと時を過ごせるところ。👇聖天院👇奈良時代、高句麗から渡来した若光(じゃっこう)は、日高市の豪農になって、渡来人の王様。聖天院勝楽寺は、若光の菩提寺。👇阿弥陀堂。宝永年間、(1704年〜1711年)建てたのは高岡村金子六左衛門。(インターネット引用)👇平成12年完成した、京都神護寺をモデルにした聖天院。総欅造り、立川流宮大工九代目、石川吉登の作。鐘楼の向こうの高台には、在日韓民族慰霊塔や、高句麗の王様、八角亭、...日高市の酔芙蓉から、聖天院②-②

  • 渋谷、絵画鑑賞に街並み、湧く新しい息吹。

    👆「私、失敗しないので」以前、ちょっと痛快なドラマだったので見た。実生活ではいつでも、ドジを踏む。👇いっそ、頭を丸めて、人生の修業をすれば、いいかもしれないけど、辛抱が足りない、まず無理。暇を見つけては、あちこち出歩くのが、丁度いいかもしれない。昨日は、渋谷に出ました。人、人だけど、ほとんど外人ばかりしか目に入らなかった。桜通りをのんびり、都心も、まもなく紅葉の景色になるなぁ〜と思いながら・・。ひょいと、青山学院大学の卒業生が開いた「オール青山美術展」に、寄りました。皆さん上手い。出品された方々が、数人いて、写真も黙って撮らせて頂きましたが、同窓生の語らいは特別な連帯意識があるのでしょう、一向に話が途切れなかった。渋谷、今度来るのは来年かな、と思い、美術展の出品作を浮かべながら・・・、原宿辺りまで。渋谷、絵画鑑賞に街並み、湧く新しい息吹。

  • 日高市、聖天院勝楽寺②ー①、山門。 

    埼玉県日高市、5.5万人が住む、関東平野の西側の街、車で一時間も走れば、秩父連山。唐が高句麗の首都、平壌を滅ぼし、新羅が高句麗を完全に潰し、高句麗の一部の遺民が日本に、逃げてきた。1300年前、奈良時代の頃。甲斐、駿河、相模、上総、下総、常陸、下野の各地に散らばっていて、その各地に住んでいた1779人を、集めて住んだのが高麗郡で、今の日高市。(参考・看板)参道から見える山門を見て、辺りを見て、山門に潜り抜けた時、お辞儀を忘れることがよくあります。大体すぐ気が付くますが、そんな時は、茅の輪を潜るように、右に曲がり、山門の外側から正面に、お辞儀をして、今度は左に曲がって正面から潜る。2度お辞儀をすることになる。何もそこまでしなくたって・・・。最近山門を潜るときのルーティーンになってしまった。日高市、聖天院勝楽寺、高...日高市、聖天院勝楽寺②ー①、山門。

  • 白萩の大悲願寺②-② 政宗の手紙。

    仙台市に「萩の月」のお菓子があって、美味い!萩は仙台の代名詞、昔から萩の街と思っていた。一通の手紙が東京あきる野市に、保管されていた。仙台のヒーロー、伊達政宗が、近くの川で鮎釣りをして、宿泊した大悲願寺。垣根からあふれる程の、白い萩のさ揺らいだ光景を見た、政宗が国に帰ってから、是非ほしいと送った、手紙。政宗が統治していた仙台に、萩は無かったのか?伊達政宗は仙台のが伊達家の当主になって23歳の時。弟との家督争いに母が一枚かんで、目が悪い政宗より、弟の政道を担いで、当主に据える思いが、裏目に出て、政宗、弟を殺害したことになっている。その政宗の弟が、あきる野市の大悲願寺で、住職になっていた伝えが現住職の説法からうかがえる。15代住職秀雄のこと。政宗の長女五郎八(いろは)姫は12歳で、徳川家康の6男松平忠輝に嫁ぎ、不運...白萩の大悲願寺②-②政宗の手紙。

  • 白萩の大悲観寺① 観音堂、仁王門。

    数年前、結核で隔離され、院内から出られない2か月ばかり、時間を持て余していた時、知人が持ってきた、平岩弓枝さんの「御宿かわせみ」を、「ニヤ〜」の薄笑いで、ベットに散らばした、文庫本全巻の32〜3冊。肩の張らない本だった。一気に読んだ中で、印象に残った短編に、「白萩屋敷の月」がありました。一昨日スタンドで、大悲願寺の枯れ始めた「萩」の、立ち話を聞いて、昨日訪れました。八王子の在から40分ばかりところの秋川渓谷の傍です。👇周りには樹齢五百年を超える大杉に、囲まれていました。1613年に建てられ、1859年安政6年に再々建された物仁王門。天井に地元五日市の、絵師、藤原善信、森田五水の画が、色剥げしていますが、梵字を真ん中にして、見えます。👇観音堂は1794年に建立し、1824年から1827年にかけて、観音堂内陣に欄間...白萩の大悲観寺①観音堂、仁王門。

  • 猿たちを見て作った。大月市猿橋。

    昨日山梨県大月市桂川に掛る猿橋を見学しました。刎橋(はねばし)工法は、橋脚の無い橋で、造ったのは地元の伝説で、百済の渡来人造園師である志羅呼(しらこ)さんで、1400年前の歴史があると云います。。原生林の場所だったこの地で、猿が峡谷の向こう岸にケヤキの木を伝って、いる光景を見て、橋脚の無い橋を造る方法を思いついたといいます。1676年に橋の架け替えの記録が残っていようです。猿橋は何度か焼失していて、記録に、昭和51年に1851年、刎木に銅板を張り、腐食を防いで、橋を復元した、とあります。刎橋は一方を固定して短い桁を重ねながら、だんだん長くしていく方法で、現存する刎橋は、少ないのでは・・。幅3.3m、長さ30.9m9高さ31m。現在は国道20号線に写真の猿橋を含めて、3本の橋が架けられいますが、最初の橋。室町時代...猿たちを見て作った。大月市猿橋。

  • 日高市巾着田の曼殊沙華

    埼玉県日高市巾着田公園。俯瞰した公園の形が、巾着袋に似ていて、高麗川が巾着袋をくるり、悠々と流れている。地獄花。子供の頃、遊び場お寺のお墓にちょっとだけ咲いていた花。花を見ると、脳裏を自在に行き来する故郷が、いきなり、パッ、と広がる。彼岸花と名前を覚えたのは、ずっと、ずっと後から。彼岸花の名は、方言を含めて、全国1000もあるという。9月27日、群生している巾着田をテレビで見て、好奇心、出店の雰囲気も手伝って、行ってきました。入り口辺りまだ3分咲きの看板に、気落ちしたけど、歩く、歩くで、帰着袋底の辺りでは満開。花音痴、河原でポットの味噌汁と握り飯を、頬張りながら、解説書を読んで、触れず観賞すれば、触るなと言われ、怖かった郷での地獄花も、今日は、可愛く曼殊沙華。スポーツの秋、昨日から、ラグビー・バレーボール・世界...日高市巾着田の曼殊沙華

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