720年からの正法寺、頼朝の庇護のもと、頼朝の没後の1200年、亡き頼朝の志を継いだ、妻政子が堂宇を再建したけど、それも、1600年代、1700年後半には、建て替えられ、更に、明治11年(1871)の火災により観音堂が焼失して現飯能市の長念寺から移築され、その当時の堂宇を見たかった、坂東札所十番、巌殿観音堂。国家神道を国教とする、廃仏毀釈は寺院を弱体化させ、寺領であり、修験山岳修行の場であった、山内社寺、山林も召し上げる。明治以降、この影響は観音巡礼にもおよび、参拝者は減少し、門前町も急激にに衰退の途をたどっていき、巌殿観音も、その煽りを受けていく・・・文明開化がもたらした、凝り固まった観念の、イデオロギーに翻弄されての煽り・・硬い木材の耐用は1000年、建築文化がことごとく壊されて・・・👇彫刻は、明治に...坂東道正法寺❷-❷観音堂ぶらり。埼玉県東松山市。