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大叔父・大田節三の慕情
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シアトルからロスアジェルスそして・・・胸の中に仕舞っていたものは・・
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171回 / 365日(平均3.3回/週)

ブログ村参加:2015/12/12

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大叔父・大田節三の慕情

大叔父・大田節三の慕情さんの新着記事

1件〜30件

  • 古代の住処に馬の目、橋立堂。秩父。

    来る日も来る日も坊主、橋立川のヤマメ釣りに尋ねた、二日徹夜しても、元気なころ・・。同行した友が2匹釣っただけでした。近年訪れたのは、足の骨折でギブスが取れた、解放感に、鍾乳洞が見たいとなった時。梯子の昇り降りがあると聞いて断念し、今度いつ来るだろう・・と、忘れてた、札所28番・石龍山・橋立堂。当時は、札所に関心は無かったけど、老人が菅笠をかぶって、お参りして巡礼の、記憶がありました。👆65メートルの切り立った断崖に朱いお堂、👇12万年前は、古代人が住んでいた場所だったと、学生時代の宮沢賢治さんも訪れ、古代の学識を得ていたという。日本百観音霊場で、馬頭観音を本尊にしているのは、西国の29番だけで、珍しい・・と。狭い馬車が通れるだけの道、伐採した木材を運ぶ馬車が、荷崩れして、絶壁の谷に滑り落ち、馬方は雑木につかまり...古代の住処に馬の目、橋立堂。秩父。

  • 円融寺でドジって、スキップの大渕寺。秩父。

    ドジつてしまいました。昼についた札所26番・円融寺、👇👇👇来年6月までの工事中、職人の休憩をいいことに、シートの隙間から、どんなとこ、修理するかと、鵜目たかの目。巡礼の本道から外れて・・。別名・岩井堂と呼ばれ観音堂は、近くの工場内を横切って、二百数段、険しい巌に立つ観音堂から、27番の大淵寺までは、山道がいいけど、町中を歩く格好では、まず無理と。と・・・知識を持ってはずなのに・・・自宅に帰って・・またやっちまった・・ドジ!期待してた建築、観音堂見ずに移動してた。円融寺さんの観音堂は後日にいたします。👇札所27番、大渕寺・月影堂。なつやまやしげきがもとのつゆまでもこころへだてぬつきのかげもり👆案内看板にあるように、大正8年の火事は、汽車の煤煙からの類焼だといい。和尚さん、粋な口っぷり、「御朱印帳の隅になあ~、札所...円融寺でドジって、スキップの大渕寺。秩父。

  • 鬼婆ぁ~と言わないで、久昌寺。秩父。

    民家は少なく、うっそうと茂る木立の、荒川沿いのルート72号・秩父荒川線。父母親類縁者から疎まれた、身ごもってた娘が一人、業の深さ、鬼よ鬼よと追い立てられ、果てに、村人たちに荒川に沈められはしたが、縛られた縄が解け助かり、逃げて久那の岩洞に住み、子を産む。15年経ち、岩堂で亡骸にすがって泣いてる、鬼と呼ばれた女の、子に修験者が声をかけた。母は子を守るのに、木の実をとって命をつなぎ、里山に知れて危害から守るために、またも鬼と呼ばれるようになった・・と。母の生きてきた一部始終を娘に、語って息絶えた母。手に花を持った火照りのいい顔の女性が、途方に暮れてた、娘の前に現れ、「観音を本尊にし、毎日祈るように・・母は必ず私のような姿形になるであろう・・」修験者は、里山に娘を連れていき、鬼と呼ばれた娘の母の心情を伝え・・・・。娘...鬼婆ぁ~と言わないで、久昌寺。秩父。

  • 口中の病に、恋が窪の遊女、法泉寺。秩父。

    札所23番の音楽堂から、24番のここ、法泉寺までは農家が点々と、のどかな景色に、のんびりと歩いてみたいと思わせます。今の東京・国分寺あたりに「恋が窪」と言う地名があり、信号を見るたび、いいねぇ~などと、ほくそ笑んでしまいます。昔、慈悲深い遊女が住んでいて、修行僧に毎朝施しをしてた。秩父の修行僧が来て、口中が痛む病にかかった遊女に、一本の楊の枝を与えて口を注ぐようにと・・。病が治った遊女は、今まで以上に、観世音を信仰するようになったという・・。👇秩父霊場の象徴・武甲山。看板には武州とありますが、「恋が窪」源義経の家来、畠山重忠が足蹴く通った、遊女・夙妻(あさづま)。武士と遊女の熱烈な恋。恋路に嫉妬した男の嘘は、「西国で平家に討ち死にされた・・」と悲しみに松の木を植えて、その松の枝は、西国へどこまでも伸びていったと...口中の病に、恋が窪の遊女、法泉寺。秩父。

  • 音楽の 御声なりけり 小鹿坂の 調べにかよう 峰の松風・音楽堂。秩父。

    日本の文献に音楽という文字が初めて現れるのは,713年に勅撰された『常陸国風土記』だとされてるなら、秩父札所23番「音楽寺」というお寺の名も、頷ける、ウン!慈覚大師が名付けた小鹿野坂の中腹まで、息を切らせば、納経所👇登り切って、手水屋で手を清め、👇清めの水は、近寄れば流れる、近代的。👇観音様に行く前には、梵鐘を鳴らすのが手順、札所巡りで、初めて梵鐘の綱を持った。鐘の下部周囲に、聖観音、不空羅索観音、十一面観音、如意輪観音、千手観音、馬頭観音の順に六観音が、鋳造されている。1768年、今の栃木県佐野市の冶工・大川太郎兵衛、藤原宗封さんの銘が・・。年越し除夜の鐘の音とは違う、やさしい響きだった。札所23番・音楽堂、若い世代に、音楽関係の方たちが良く訪れると・・。👇回廊の段差に1枚板を削って・・。音楽の御声なりけり小...音楽の御声なりけり小鹿坂の調べにかよう峰の松風・音楽堂。秩父。

  • 猫の祈願所?、童子堂。秩父。

    どてっと、枕に飛び込み扇風機ガンガン回し、干乾びる肌に水をがぶ飲み、仕事をシャットアウト。明日もか・・・!風呂上り、白鳥柄の浴衣で立膝の足の爪を、行燈を背に、亭主待つ間のチョキン。江戸下町の夏の日の夕方の情景画。江戸の頃は、今よりはるかに涼しかったのでしょうね、それだけなのに見ていて、涼しい。田園風景が続く、秩父札所22番・童子堂(永福寺)へ着くと、広大な敷地に単層の茅葺の仁王門が、いかめしい仁王様とは程遠く、童子のよな造り、以外この仁王門の姿から、永福寺を童子堂というのだと。👆👇仁王門に比べて、極彩色の彫り物、内部も蓮華唐草模様に施された、1702年に建立した堂宇。かつては子供たちの間に天然痘が流行し、観音を祀って、祈念し岩間の清水をつけたら、病が消えたという900年ごろの伝説。童子堂の名の起源は仁王門に絡め...猫の祈願所?、童子堂。秩父。

  • アハハァ~眼を隠して、観音堂。秩父。

    昨日、雨模様で札所巡りの人はいないだろぅ~、と、初めての札所巡り経験、甘かった。ぽつぽつ雨粒に濡らすまいと、小袋に納札や御朱印帳を守って・・・。デザイン鮮やかな輪袈裟をかけて・・。いるいる夫婦があちらから、こちらから。語り合いながら・・秩父の巡礼は御開帳がなくても、いっぱい。江戸の頃の開帳には1日300人も訪れ、案内の駄賃もきちんと決められ、決して、雲助みたいなぼったくりは無かったといいます。私は車で巡って、昔は籠に乗れば、350文から400文、約6kmの駄賃。1文25円にして1万円。投宿先の民家への謝礼など、雨が降れば2文の渡しが約3倍になり、やはり、江戸から近距離、信仰と物見遊山、案内書や道中記を見て、当時の巡礼には金がかかる。それでも、明治の廃仏毀釈のあたりまでは、観光を兼ねて、自然に触れ・・・。👇荒川沿...アハハァ~眼を隠して、観音堂。秩父。

  • 岩の上に観音様が、岩之上堂。秩父。

    小さな十字路、手前の坂道を下れば、荒川の崖の上に建てられた、札所20番、法王山・岩之上堂で、低い蹴上がりに踏み面が低い石段は、花を見ながら下るのに、程よく、納経所の小坊主の案内に、順番を待つ間、椅子で小坊主に声をかけた。手を下げたら・・!と。・・・・・まっ、いいか。秩父札所で一番古い堂宇、1400年代、いよいよ戦国時代の頃。堂宇の名の由来は荒川の崖の上ではなく、苔むし、荒廃しきったこの地に、聖観音が、岩の上に置かれてた、ところからです・・と。観音開き、向拝たたきから、土間になる内部は、格式を超えて何となく、親しみやすい。須美壇の上に、母たちが、夜なべで子供の成長を願って、子猿の姿に似た瓔珞の奥に、荒川の川向うに住む病の母を、見舞う子に大雨の日に舟はなく、途方に暮れた時、小舟。観音様が子の願いを叶えて、母の元へと...岩の上に観音様が、岩之上堂。秩父。

  • 子育て婆さん、龍石寺。秩父。

    秩父札所巡りをしてを始めて3日、秩父へ着くのに2時間、巡礼は地元の民宿なりに泊まり、開門時刻に合わせて、訪れるのがいい、と思いながら、市内を外れて秩父の古代に触れる、札所19番飛演淵山・龍石寺。巨大に岩に建てられた、堂宇の前の岩盤に、あぶちゃんをかけた、身代わり地蔵さん。👇観音堂が建つ盤石は、約1600万年前に上昇した外秩父山地から、流れ込んできた角礫質砂岩。境内の岩は、かつて荒川の川床だったところ。観音様、千手観世音は室町時代の歴史も、そりの大きい宝形型の建物は、昭和47年、信者が浄財を集めて建立したものです、と。このそりに、相撲の貴乃花さんの土俵入りで、きれいに足を上げ、柏手を打って広げる手の姿に、似てる・・と妙に思ってしまった。👇三途婆堂には「三途の川の川辺で死者の服をはぎとる、奪衣婆(だついば)の座像」...子育て婆さん、龍石寺。秩父。

  • 巫女のお告げに、白道山・神門寺。秩父。

    ゲンチアナ・アルペンブルー👆👇の、目の覚めるような青さを以ってもコロナワクチン接種の好転反応は、眠い、だるい。30日午前に打って、当日の夕刻は爆睡、翌日は輪をかけてのだるさ、眠気。で、昨日は朝からすっきり、シャカリキ。好転反応の短さに晴れた空、ビール、どんぶりに入れ、ぐふふ!結局早めに寝てしまった。歴史ある寺社の資料が、火事で燃えてなくなるというのは、関係者の人たちにとって、どれほどの悔しさであろうか。札所18番、神門寺(ごうど)には、擬宝珠の1858年と、絵画、書道、詩文にも優れた秩父生まれの、森玄黄斎さんの御詠歌の扁額が、時代を知らせるだけ、向拝の彫り物は彫刻にも、たけた森玄黄斎さんと、思うのに、眺めては想像の世界。伝えに、ここは神社とのこと、荒廃で亡くなり、村人たちが惜しんで、神楽を奉納してたら、霊感巫女...巫女のお告げに、白道山・神門寺。秩父。

  • めんまへの手紙、定林時。秩父。

    👆スマホで撮りまくってた青年、「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない」の、アニメに出てくる絵は、札所17番、定林時でした。そう教えられ、彼を待つ恋人の姿も穏やかに、アニメの思い出に二人の「思い出物語」を、創ろうとしていた青年。美しい時の流れでした。👇今宮坊で御詠歌を唱えてた、御夫婦も、笈摺を手にして、18番に向かうのでしょうか。『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない』~めんまへの手紙~めんまへの手紙、定林時。秩父。

  • 秩父夜祭り、明けて西光寺。秩父。

    ♫ハ~エ秋蚕仕舞うて(コラショ)麦蒔き終えて秋蚕仕舞うて(コラショ)麦蒔き終えて秩父ナ~エ秩父夜祭り(アレサ)待つばかり(コラショ)ハァ~ソウトモソウトモソートモネ♪秩父音頭総鎮守秩父神社で執り行われ、細々と暮らす、山合の人々の養蚕豊穣を祈り、近隣諸国との絹取引の機会でもあった、秩父夜祭。昔から盛んだった、秩父詣り。秩父神社・三峰神社・宝登山神社の三社を、詣りした後、多くの人たちが立ち寄ったのが、霊場・札所16番、西光寺👇だったといいます。👇1710年のままの本堂を見据えて・・。👆👇向拝から欄間の、大きな釈迦の涅槃像が見えた。👇西光寺には、10年歳月で建てた、1783年浅間山噴火の世情不安を鎮めるための、回廊堂があり、👇入り口には、砂場があり、👇四国八十八カ所の模像が泰安されている。👇木立の中に、3軒紙面のお堂...秩父夜祭り、明けて西光寺。秩父。

  • 漆喰、清楚に少林寺(蔵福寺)。秩父。

    寺社巡りをして境内の樹木の名の札が、下がってるのを見ると、何となく穏やかな気持ちになる。札所15番、母巣山・少林寺の植え込みには、牡丹、さつき、モミジ、モクレン、フジなど、小さい札がひらひらと舞っている。住職が、巡礼者の目も楽しませる、心遣いで、春先の福寿草は5000株もあり、少林寺本堂を「福寿殿」と呼ぶといいます。👇駐車場からトイレの横を進むと、👇千鳥破風に様式形式の本堂に、お寺さん?かと思わせます。以前は秩父神社の境内にあった蔵福寺で、明治の廃仏毀釈で廃寺になり、信者の巡礼の信仰が薄れると、民政役所に存続の願い出て、市内柳島にあった五葉山少林禅寺を、現在のところへ移し両寺合わせて秩父札所15番としている霊場にある観音様は、百観音の中の観世音、すべての観音信者が礼拝できる観世音。札所が変わろうと巡礼は、それに...漆喰、清楚に少林寺(蔵福寺)。秩父。

  • 飛天、雲から今宮坊。秩父。

    昭和の1枚の写真、10人ばかり、雪融けのわだちを、菅笠、白衣、金剛杖に鈴を鳴らしてる巡礼の人たち。車で、ひょいひょいと「巡礼です」と言うのも、なんか、浅ましいよな気がして・・。秩父霊場が最も盛んだったのは江戸時代で、1750年の名主報告では、正月から3月21日までに、4万余の参拝者が訪れ、1日約3000人余りの巡礼、当時は日帰りもない頃ですから、秩父領16か村で1万7千人の総人口で、受け入れは容易ではなかったことでしょう。👇の御夫婦に、秩父観光の二人と思いましたが、あれよ、あれよで、聖観世音菩薩様にきれいな響きの御詠歌、納経所で頂いた、笈摺をきれいにたたんで・・。看板👆今宮神社は、この場所から2~3分にあり、神仏分離令のあおりに、ちと寂しい・・・。納経所にはこんな👇人形が置かれ、ほとんどの札所に置いてあります。...飛天、雲から今宮坊。秩父。

  • ぷっきり飴、頬に慈眼寺。秩父。

    👇「め」の看板を背負った小坊主が迎える、門型・薬医門は、秩父市内の賑やかな通りにあって、札所巡りの貴重な資料を見られる、秩父図書館から徒歩10分程度。👇秩父札所13番、旗下山・慈眼寺。👇経堂前の地蔵さんに手を合わせ、次いで、巡礼目的を外れて・・サクランボ?いつ赤くなるかなぁ~と!秩父の札所の多くは、明治11年の秩父大火で類焼し、再建にはかなりの時間を経ていて、慈眼寺も24年の歳月がかかったようです。👇彫り物があるとつい、見入ってしまいます。やわらかいフォルムに包まれて中国の故事、疲れた体を癒すような向拝が、合わせる掌に伝ってきます。👆地蔵さんの後ろに、👇石造りの経堂があって、六角の輪蔵に、1630巻の一切経が収められ、周りには、札所を開拓した13人の権者の像、👇その下には、歌川広重(二代),歌川国貞/画万亭応賀...ぷっきり飴、頬に慈眼寺。秩父。

  • 野坂寺 ② 秩父札所12番。

    投薬減らし、思考回路がすっきり。なんと、一葉の写真に、あそこの寺で、こうだった、あ~だっだと、だいぶ経つのに、思い出されて、今日は草むしり・・、むしり取った跡を眺めて、ニンマリの今日です。桜並木の坂道から見える、秩父札所12番、仏道山・野坂寺は、この日の札所巡りで一番人出の多いお寺さんでした。訪れた5月2日は、緊急事態宣言中でしたが、秩父は、人、人、人。私もその中の一人でした。1700年代の楼門では千社札を眺めたり、と、本堂までが遠かった。千社札が好きで、手の届かないところに貼ってると、どうやって貼ったろう、などと、状景を浮かべてしまいます。👇向拝に気迫ある彫刻を施した本堂は、明治39年の火事で焼失し、昭和49年に再建したものでした。👇建立した17世の名が刻まれてた。👇ふれあい観音様物心がついて、悪さを覚えるこ...野坂寺②秩父札所12番。

  • 花の声を聞き、一枝の花に野坂寺 ①。秩父。

    『花語らず』花は黙って咲き黙って散っていくそうして再び枝に帰らないけれどもその一時一処にこの世のすべてを託している一輪の花の声であり一枝の花の真である永遠にほろびぬ生命のよろこびが悔なくそこに輝いている京都南禅寺・臨済宗南禅寺柴山全慶派官長(遷化1974年)が、悟りの境地を花に托して詠んだ、詩。『花語らず』全慶老師を師と仰いで、修行した、秩父札所12番、野坂寺の新井宏英住職は、観音様のお姿を仰ぐとき、いつもこの詩を思い出すといいます。庭に咲く一輪の花の声を聞き、花の一生の如く無心になり、観音様を念じ、観音様と出会うことが願うならと・・観音様のお姿を花に托し、境内には、一年中花が咲いてるように心がけています・・と。👇明治39年の火事から、延焼を免れた、1700年初めに建てられた楼門。👇楼門の右・左の花頭窓からは、...花の声を聞き、一枝の花に野坂寺①。秩父。

  • 人の不幸は蜜の味、に常楽寺。秩父。

    携帯で、記事一覧の下書きから、いらないのを削除したら、昨日の投稿記事まで削除してしまったようで・・。慌て者、ずぼらな性格が出てしまったようです。ここのスペースには、降圧剤を飲んで、頭がボ~ッとする記事内容でしたが、同じ文は書けないので、スカッと割愛。札所11番の寺社は、かろうじて思い出せそうなので・・。秩父札所11番、南石山・常楽寺。秩父の町を見渡せる高台、昔は壮大な仁王門があったといいます。羽金文雄・常楽寺堂守、冊子のインタビューで、しゅうとの神経痛が進みますようにしゅうとめの血圧がますます高くなりますように夫の姉には、交通事故にあって私の家に来られなくなるように息子の嫁には、私に絶対服従するように……なんかわかるような気がいますねぇ~・・・・それぞれ、不幸になるように書かれた観音様への、お願い所が最善箱に入...人の不幸は蜜の味、に常楽寺。秩父。

  • 人の不幸は蜜の味・・に札所11番常楽寺。秩父。

    降圧剤を服用して50日、ここ数日、集中力を高めるギアーが入らず、歳の割には働きすぎ‥気をつけなぁ~・・なんて、言われて、早めに就寝してしまってた、ここ2~3日でした。板戸に寝かされ波に任せて漂ってる感じ、昨日、問診で投薬が減り1日1錠の服用になって、数値112/65が保てれば、♪良し♫と。集中力を鈍化させる薬の効用に、改めて、すごさと、何とかせにぁ~と、思った次第です。それにしても、200近い血圧の、原因は何だったのでしょうね・・。巡礼秩父11番、秩父市内を一望できる高台に位置する、南石山・常楽寺。明治11年の秩父大火以前は仁王門もあり、広い敷地内にあったといいます。常楽寺・羽金文雄堂守、冊子のインタビューで、しゅうとの神経痛が進みますようにしゅうとめの、血圧がますます高くなりますように夫の姉が交通事故にあって...人の不幸は蜜の味・・に札所11番常楽寺。秩父。

  • 砂利道の矢車草から、大慈寺。秩父。

    秩父札所10番の大慈寺まで、田園風景に午前の一服でしょうか、トラクターの音は止まり、物音は、👇矢車草の砂利道、小石のすれる音だけで・・。👇大慈寺まで道草、くびの垂れたところも撮って・・。👇巡礼は、砂利道が似合う、なんてぶつくさ!👇笑顔の小坊主が待つ、石段あたりは、おしゃべりな少女が、言葉で人を傷つけた罰に・・、随所に大慈寺の景色を盛り込んだ、アニメ映画『心が叫びたがってるんだ。』👇大工棟梁は誰かわかりませんが、中央からの振り分けた、軒のしなやかさな美しい曲線が、印象に残りました。👆👇アケビの花。砂利道の矢車草から、大慈寺。秩父。

  • 礼文草、強く生きろと子育て、明智寺。秩父。

    海沿いの、季節風がまともに当たる斜面に、ザラザラと流れていきそうな砂地の崩壊地でも、しぶとく咲き続け、そんな花の生命力をあやかり人生、再び、しゃけ・筋子・紫蘇昆布を和えて、むすび3個、ジョージア背中に、巡礼の手ほどき受けながら・・・。生命力くれる、その花👆♫レブンソウ(礼文草)♪秩父札所8番から徒歩なら、30分ばかりところ、武甲山が一望できる境内に、秩父札所9番、堂宇は20年前に再建するも、歴史は1191年まで遡り、江戸時代には、歌川広重が、明智寺の御詠歌を書いて参拝風景を、歌川豊国は、明智寺の伝説を残していて、予備知識があれば、感慨もまたひとしお。古くから安産・子育て祈願のお寺・明智寺。👇子育て観音礼文草、強く生きろと子育て、明智寺。秩父。

  • 煩悩消える白い指、西善寺。秩父。

    秩父巡礼2日目、武甲山に見下ろされる札所8番、小坊主看板が、昨日と同じところで待ってた。と、つつ~と近寄り・・まさか?耳打ち。ここでは写真を撮ると、住職に叱られます~・・!喝~ッ!天からだみ声ながら艶やかな住職の声、「仏は拝むもので写真に撮るものではない!撮るなら600年の楓くらいは、よろしい・・・」観光も兼ねてる札所巡り・・ここで「はい」と素直に。👇頭のよくなる花数日前、八重のカランコエを見た、まさかと思ったけど、ここでカランコエの魔法が・・。👇庫裏の板戸に掲げた11面観世音菩薩の御真言、意訳すると「おお、あらゆる苦を抜く願いを成す者よ」・・と。思わず、手を合わせ、そっと板戸を引いて、寡黙にして毅然とした女性の、御朱印帳へ筆運ぶに白い指に、時間が止まった気がした。煩悩消せない頭が、くらくら・・と。開創は142...煩悩消える白い指、西善寺。秩父。

  • 牛が見つけた観音さまに、法長寺。秩父。

    平賀源内さんが図面を引いたという、秩父札所で一番大きい寺社・7番青苔(せいたい)山・法長寺。秩父谷には将門伝説があり、多くが将門に好意を持っていて、昔から、都会の風潮や権力には馴化されない、気骨の精神があり、江戸時代からの増税に、借財をし困窮に、負債の延納、雑税の減少などを求めて、群馬、長野県の数千人の呼んで、困民党を結成した。明治17年に起きた無残な結果にも、秩父の人たちは農作業の手を休めても、道案内に優しく応えてくれる。行基さんが背負って歩いた菩薩が、この地に来ると急に重くなって、菩薩を置いて回国した後、草刈りしてた牧童のそばに寄ってきた牛が、ぴたりと動かなくなった、と、草の中から11面観音像が見つかった、という伝説!札所8番についたのは5時を回っていて、山門前で、うろうろ・・小坊主の看板もそろそろ、お役御...牛が見つけた観音さまに、法長寺。秩父。

  • 山姥、悶絶して向陽山・卜雲寺。秩父。

    昔、10年よりもっと昔。100年よりもっと、もっと昔。牡蠣飯にカツオのたたきのユッケで、琥珀ヱビスビで誕生日祝いの、ひと時の至福に時を過ごす、なんぞ、夢の希望さえなかった頃、ジャイアント馬場さんさえ、見上げる、3メートルばかりの、里山の住人に危害を与え、腹が減ると里人を食らう、気性の荒い山姥が秩父の谷に住んでた。秩父札所6番あたりで、遭遇した菩薩と言われた行基さん、武甲山山頂の、蔵王権現に27日間籠り、山姥の清誠を祈願、山姥ついに悶絶し、非を改め、3本の歯を抜きどこか他国に去って、その歯は今、卜雲寺(ぼくうんじ)に・・・と!👇酢の木・・酢ではなく、葉っぱかじると酸っぱいので、酢の木の名・・・。👇酢の木の花。10月黒い実がつき、甘酸っぱいとのこと。忘れないようにして、食べる予定です!山姥、悶絶して向陽山・卜雲寺。秩父。

  • クリンソウ、子の声に語歌堂。秩父

    知らない町で信濃の一人娘がいなくなり、ひたすら観音様にすがり尋ね、疲れ果てて倒れてしまった、語歌堂の境内、娘の声に身を起こし、そこに、観音様が娘を抱いて現れた。語歌堂の別名を「子がえしの観音」と呼んでいた。今も遊び場のないここは秩父市横瀬町、子供の遊び場になっていて、なのに、怪我をした子はいないという。本尊・准胝(じゅんてい)観世音菩薩は、18本の手、3つ目で、女尊。坂東・西国・秩父札所100番で、西国霊場11番の上醍醐寺の2か所にしか、祀っていないと知りました。御詠歌・父母の恵みも深き語歌堂の堂大慈大悲の誓いたのもし・・・ウン・・。ここは無人のお寺で、御朱印は、近くの長起寺さんで頂きます。クリンソウ、子の声に語歌堂。秩父

  • 子育て観音、金昌寺 ② 秩父。

    ピレネー山脈に咲くという鬼イワタバコ。秩父札所4番、金昌寺の境内を埋め尽くした、石仏には、迫るものがありました。健脚のお寺ともいわれ、それが草鞋の門でしょうか👇仁王さんの上には、西国33所観世音像と500羅漢の石像が・・。👇楼門から見上げた観音堂。日暮れて子を思う方なら涙して手を合わせ、慈悲にすがるより癒すことができない深い悲しみ・・。吉野屋半左衛門さん、授からない子に、金昌寺の本尊に霊験し、ようよう授かった子。なのに、子も妻も亡くして・・・下絵を浮世絵師に頼んで、台座・寛政4年(1792)に建立し、供養をと・・。美しい姿の像の前に、癒しを乞う吉野屋半左衛門さん、手を合わせる姿に、自分の出来事が重なり惑い、かすんで見えます。子育て観音、金昌寺②秩父。

  • 一尊への祈り、金昌寺。秩父札所4番 ①

    👆秩父札所4番、11面観世音菩薩を本尊にする、高谷山・金昌寺の、草鞋の山門をくぐると、石仏で埋められた空間で、御詠歌、あらたかに参りて拝む観世音二世安楽と誰も祈らん1700年代後半から寄進された石仏。浅間山大噴火は秩父にも被害をもたらし、無念のままの人達の供養にと・・。飢饉から立ち直り始めた、6年後、石仏1000体を成就させた後、信者の寄進はつづき、紀州から、武州から越前まで、大名家奥女中の名を刻んだ石仏もある。その数1319尊。カメラを構える前は、石仏に手を合わせ、撮り終わったらまた手を合わせる。ここでは、とてもマナーとする規律?を、守ることができなかった。英雄の名もなく、庶民の安楽を願う名も知らない、一尊への祈り。一尊への祈り、金昌寺。秩父札所4番①

  • サクラソウ、磯牡丹。秩父札所3番

    無人の札所2番、大棚山真福寺の御朱印は、管理する、光明寺👆👇でいただき、3番行くのでした、が、4番に行ってしまい、頭をひねったものでした。3番、岩本山・常泉寺。👇観音堂はお墓近くにあり説明案内を見なければよかった・・。乱れた心を落ち着かせ、浄土を願い巡るはずの巡礼。観音堂を見上げて、静かながざわめきから、小躍りしてしまった。👇案内板・向拝の龍の彫り物は飯田和泉さん・・。群馬県塙彫刻集団の、礎を造った石原銀八郎さんの、2代目石原吟八明義さんの弟子飯田仙之助さんの兄。飯田和泉藤原安軌さん、宮大工棟梁として、埼玉県では名を刻んでいて、今、末裔の方たちは、建築に携わり仙之助さんたちが、携わった、東松山市の箭弓神社の修復を手掛けてます。👇田園に昇る煙にほんわか、目にうろこの発見が重なり、のどかな心地になった、札所3番でし...サクラソウ、磯牡丹。秩父札所3番

  • 釣鐘つつじ、札所2番・真福寺。秩父市。

    👆4万部の経典の写しを岩の下に埋めた四萬部寺から、山道を歩けば40分、車だと10分ほどに、札所2番は、高篠山(665m)の中腹に、無人の大棚山・真福寺が沢の冷気を受けていました。ベンチで青年がキャンプ用のコンロで、朝食にと札幌ラーメンの煮あがりを待っていて、石段近くのベンチには、女性が歩いて巡礼、冊子に膝に堂宇を眺め・・。釣鐘つつじ、札所2番・真福寺。秩父市。

  • 紫陽花と四萬部寺①。秩父。

    関東夜には雨、梅雨の知らせに、時の速さを感じます。スーパーの花屋にも、近所の庭にも紫陽花の花が見られ、古刹に紫陽花・・今年はそんな情景に身を置けるのでしょうか・・。秩父札所1番、誦経山、四萬部寺。巡礼はここから始まり、34番まで・・。巡るのは順番通り回らなくてもよいらしく、巡り終わったら、長野県の善光寺に行く、といいます。札所巡りの手順やらを下調べをし、お寺さんを調べての巡りでしたけど、御朱印を頂いて、境内で一時を過ごす、そんな札所巡りでした。👇札所27番までは巡りましたが、水子地蔵がたくさん見られたのはここのお寺さんでした。紫陽花と四萬部寺①。秩父。

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