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  • 春・箱根湿地花園 ①

    眼ざめの洗面所、鏡を見ていい顔してると、喜んだけど、心を映した姿見には、口をへの字にした、般若が写った。あと半月ばかりは、仕事で缶詰状態は続く。心はどこかで正直だつた。こんな時は、塩えんどう豆を助手席に、ウン‼心の般若に、外食付きの・特効薬、不意の電話が来る前に、行っちまえ・・・箱根湿地花園、4月19日。足柄パーキングでの仮眠が、年寄りになった足取りとは、ちと違った。湿地花園は種別ごとに群生しない。壮大への感動は無いけど、それなりに・・。👇翁草の一生。👇エチゴルリソウ👇プリムラ・ベリスヨーロッパ産とちっこい案内看板。ほったらかしの庭なんかに、似合いそうで・・。👇イカリソウ花言葉・君を放さない・・なんかわかる羽交い絞めにされそうだ。戦闘機のようにも見えるし子供に、ウン‼鶴の折り方を教えたこともあった。久しぶ...春・箱根湿地花園①

  • 江戸後期の花形スターの決断。 宿稲荷神社。群馬県榛東村

    遠く榛名山系をのぞむ、田んぼの中で、江戸後期の花形スターが、最後の鑿を持った。明治年号まであと5年爪のように磨いた鑿は、指先の動きのように自在に動き、樫の木に喰い込む。掘っ立て小屋で寝起きしたのは、1858年、石原常八主信72歳(前回、雷電稲荷の彫り物師)その子の、石原常八(恒蔵)主利49歳。主利の長男、石原(高沢)改乃助28歳と、一世を風靡した石原3代。北関東の彫り物師として、関東の社寺に鑿裁きを残した爺さんの、常八主信は、榛名講の信仰が浸透する中、信者が、寄金を出して神社建設を計画する。そこで呼ばれたのが石原常八主信。高齢の主信は、63歳で常八を継がせた長男の常八主利を棟梁にして図柄を描く。けれど・・・まもなく明治、群馬花輪の彫り物集団の彫り師への、受注がほとんど無くなり、彫師たちはどんな生活を強いら...江戸後期の花形スターの決断。宿稲荷神社。群馬県榛東村

  • 鑿に賭けた男たち ⑤ 石原常八主信。群馬県邑楽郡。

    頭痛に、歳を思うとやばい、と思うのですが、片肺で生きてる私には、白内障の施術後の、調子の悪さを抱える私には、美人の顔もぼやけて・・・花粉症より黄砂が始末の悪い現象のようで、行楽を楽しみにしてた、今日の休み、出掛け予定のメモは円を描いて、ゴミ箱に・・。群馬県わたらせ渓谷に江戸中期、日光東照宮お参りに整備された、銅(あかがね)街道の花輪宿。東照宮の彫刻を手入れする彫師が、11人の弟子を持ち、やがて大集団となって、それぞれが独立して、北関東の社寺に腕を競って、全国に類を見ない数の、彫り物を残した。八王子市の高尾山に残こした、石原常八雅詖の子、1786年生まれで、1863年5月2日に亡くなった、石原常八主信。宮大工の棟梁に見込まれ、彫物棟梁に名指しされて、1819年、33歳で栃木県の野木市の、梟の里、野木神社を手...鑿に賭けた男たち⑤石原常八主信。群馬県邑楽郡。

  • 武尊山麓に 春の風物 群馬県川場村

    4月2日、見なければよかったのに、記入した資料に、つじつまが合わない項目。群馬県川場村にある武尊神社の彫刻は、石原改乃助知信・1858年と・・しているまさか、で3日、群馬県川場村に出向きました。現地で白黒つけられる訳では無かったけど、気晴らしに、春の陽気が後押しして・・。この日の昼飯は、相変わらず握り飯、具はちょっと趣向を変えて、ワサビ茶漬けをまぶして、ゆかりをまぶしてシンプル。武尊神社、この辺りには20社ほどあって、石原改乃助の彫刻は、川場村ではなく、水上町だと気づいたときは、握り飯を食い終わって煙草をくゆらした時。訪ねた川場村の武尊神社の彫り師は3年前に書いてた👇長いので、スルーも‼群馬県川場村。武尊神社・胡粉下地。-春.夏.秋.冬.河童の散歩八王子今日も晴れてるけど、明日からは雨が降るという。我が家...武尊山麓に春の風物群馬県川場村

  • 桜貝と絆創膏先生。 神奈川県真鶴。

    住み着こうと胸を弾ませた思いはすっかり遠退いた、神奈川県真鶴町。たまに行くと、キャンプシートマットを敷いて、のんびりしたくなる。ただ、周りの眼が有って、隅の岸壁で足をぶらぶら。コロナ前には、キンメダイの煮つけが、飲食店の目玉だったのに、今年の荷開けでは、お目にかからないという。以前、煮つけの土産を、鍋ごと持ち帰ったこともあった。今回は、岬の遠藤貝類博物館の土産物で、ノンアルコールを添えて👇高校時代、石原慎太郎ばりの、若くてモダンな、ハンサムな教師がいた。入学して数日後、教室の引き戸を開けるなり、とよ〇〇は居るか・・と・・廊下に呼び出されて、言われた。♪美術部に入れ♬・・晴天の霹靂とんでもない事、一応入ったけど、それ以来腐れ縁、ろくなクラブ生ではないのに、絵を描かされた。女性ヌードのデッサンにも誘われて、職...桜貝と絆創膏先生。神奈川県真鶴。

  • 真鶴海岸。神奈川県下足柄郡。

    ここんとこ、仕事が有ったり無かったりで、1日出ては2日休み、2日出ては2日休みと、私にとってはいい事なのですが、何となく気が休まない。で、3月末日は、真鶴港へ、一時間30分のドライブです。源頼朝が石橋山の戦に敗れて、安房へ逃げるときに、真鶴港のしとど窟👇から、1.5キロばかり、利用した岩海岸は曇ってて、雨が降り出しそう。ここの岩海岸で、2021年6月、遠藤貝類博物館の学芸員と琉球大学の研究チームが、新種を見つけ『イワツノスナギンチャク』と名付けたという。オレンジ色した、小さいイソギンチャクに似た個体。身体に砂粒を取り込んでいて、骨粗鬆症に効果があるという、赤い壁の凝灰岩?が、ちょっと不気味。真鶴、箱根火山の外輪。今は行政の厳しい規制で、町が守られていて、新築建造物の条件は厳しく、奇抜な建物は建てられない・...真鶴海岸。神奈川県下足柄郡。

  • 家なき子、猫の名を与太郎に ‼ 群馬県みどり市。

    孤独な家なき子。群馬に行ったときは、できるだけ立ち寄る、わたらせ渓谷の花輪駅。5年前の秋、無人駅の改札の柵で寝そべっていた猫、私はこの猫に、彫り物師・関口文治郎から名を貰い、『文治郎』👇と呼んだ。その後、幾度訪れても『文治郎』は、姿は無く、その後も、その後も、あちこち、探したけど、逢うことができなかった。今年3月末、箕郷町から帰り道、のどかな日和に、花輪駅の猫。がらがらに、やせこけた猫。にゃん太郎、にゃん太郎と呼ぶ私に、応える親愛は優しい、👇まなこ。誘われたのはベンチがりがりの体に、ほだされて、コンビニのロールパン👇を出したけど、一口でプイ‼👇私の昼飯、中身は鮭に紫蘇昆布、で筋子も詰めてる。半分づつの、むすびに食らいつきが、いい。おっちゃん・御馳走さんでした。花輪駅の猫、今度来る日は、メールを送るからと伝...家なき子、猫の名を与太郎に‼群馬県みどり市。

  • 桜、松山寺。

    日暮れの八王子は雨です。明日は絶好の花見日和と気象予報・・・今年こそライフワークに専念する年にしたいと、根回しもまるっきり効果がなく、うじうじ、ビールをチビリ。なんで毅然とした、意思表示ができないのかと・・優柔不断もここまでいじけると、始末が悪い。昔?、おかっぱの少女が大人になって、このお寺の天井に絵を描いた。少女が更に大人になって、逢うことができ、天上に描いた絵を、写真に・・・。春に桜が咲くと亦、雰囲気が違います。か細い声が、耳の奥に住み着いていました。桜が咲き始めた文も読み、で、待ってました。それ行け‼です。誰もいない境内、桜の幹の下で👇可憐に。少女が大人になって描いた松山寺の天井画描いた少女のペンネームがmamanjyun326you桜、松山寺。

  • 津久井湖城山公園。神奈川県相模原市。

    最近、早寝する癖がついて、今頃になると、瞼が閉じてきます。今21時。朝、突然の知らせは、予定のキャンセル。で、タイヤ交換に、オイル交換のあとは、20分ばかり所の、津久井湖まで桜を見に行きました。昔は城があったといいますが、詳しい事は判らずの記事です。道路を挟んだ山👇に城跡があったようですが、暗くなり始めたので、登りませんでした。公園内に『蛍の光』が流れてます。もう、写真はパチパチっとです。駒草に形に似た、グレビレァ👇が咲き、花の形状は彼岸花にも似ているという。👇私=木瓜👇雪柳が真っ盛りでした。津久井湖城山公園。神奈川県相模原市。

  • 高尾山御本社、 石原雅詖・唯一の彫り。八王子市。

    高尾山のすみれ👆も一週間を過ぎると、なんで早く公表しなかったかと、膝をつねられ、遅まきながら・・。3月16日、薬王院飯綱大権現、石段脇の恋人です。👇飯縄大権現いいづなだいごんげん、誰が彫ったか興味のない方には、ぐるり一回り、♬綺麗ね~♪と、脇をすり抜けて通る処は、彫刻探索人には、貴重な場所・・・・。明治の廃仏運動で、運動員が高尾山に登るのに疲れ、中腹で回れ右、下山して廃仏毀釈を逃れたエピソード。投稿した、わたし、破壊されず彫刻歴史の記録を燦燦と残し、回れ右した明治の廃仏毀釈の運動員には、感謝状を贈りたい。飯縄大権現、白狐に乗った剣と索を持つ烏天狗形、歴史は古いのですが、ここは彫刻を・・初代石原雅詖が、1780年65歳で彫った、記録に残っている、唯一の作品。飯縄大権現の御本社👇この時期の社寺は、火災や災害で...高尾山御本社、石原雅詖・唯一の彫り。八王子市。

  • 高尾山、散歩。八王子市。

    普段野球のペナントレースなど見ないのに、昨日はしっかり見た。年度末までの仕事に、ほぼ出ずっぱりに、出社禁止令が出て、昨日と今日は体力補充の休日。そんな禁止令に黙って家にいる訳がない与太郎河童。夜は野球応援と決めて、高尾山で散歩。何年振りかです。ただただ~ただのんびり・・こんな日が毎日あればいい・?・・。登って見たいのがあります。折り紙のバンクシー。なんかの紹介で見たもので・・誰なのか、いまだ不明、1か月位ごとに飾るのだそうです。今回は、桜にメジロメジロにしても、花よりみたらし団子👇今の時期、高尾山の平日は登山者は少なく、小気味いい‼👇神変堂は、1300年前、山岳修験道の開祖、役の小角を祀っている堂で、全国を修験した体力に、『南無神変大菩薩』と唱えて、足、腰、心身の健康をお願いしましょう・・と。百歩歩いて5...高尾山、散歩。八王子市。

  • 鑿に賭けた男たち ③ 関口文治郎有信 ②

    彫物師・関口文治郎有信1731~1807没制昨年・1770年・39歳前掲・榛名神社の海老虹梁の龍と一緒で江戸後期まで、多くの彫り師たちにオマージュされたフォルムかと群馬県前橋市植野惣社稲荷神社鑿に賭けた男たち③関口文治郎有信②

  • 鑿に賭けた男たち ② 関口文治郎

    彫物師・関口文治郎有信1731~1807年没肩書公儀御彫物棟梁関東彫物大工彫工武衛棟梁日光山彫物棟梁制作年・1805年、75歳榛名神社文治郎最後の彫物代は1年後、そっくり榛名神社へ奉納した記録。鑿に賭けた男たち②関口文治郎

  • 鑿に賭けた男たち ①。武志伊八郎信由 。

    彫物師・武志伊八郎信由たけしいはちろうのぶよし1751~1824没通称『波の伊八』制作年1802年52歳高藏山大山寺・鴨川市鑿に賭けた男たち①。武志伊八郎信由。

  • 裏高尾 ネコ・・探し。散歩。

    昨日4日の明け方、花を撮ってる夢を見て、ガバっと‼アパート追い立てられるように、裏高尾・日陰沢辺りまで。小下沢林道は梅見物の、人でいっぱい。夢で見た花は、ハナネコノメソウ、いるわいるわ、ネコを見つけようと、鵜の目鷹の目の女性たち。以外、今年はまだ早かった。場所替え、場所がえして見つけた30~40輪ばかり。👇ズコッ‼勢いあまって転落・・・なんか似てるなあ~、俺と・・ネコ・・探しは、小下沢から日陰沢キャンプ場に入る、駐車場から1分、南浅川の橋の下👇の、小さい流れの日向の岩場。👇いた。眼を開けてない猫ハナネコ‥もいた。👇ついでに、名前知らないけど、撮った。ユリワサビ?でっしょ・・?。・・・・‼👇コチャルメルソウも一輪。大きな杉の木の下、裏高尾鼻水、垂らし垂らし、瞼晴らしてもいい日でした今日の日曜日は定番、昼行燈裏高尾ネコ・・探し。散歩。

  • 伊根の舟屋。京都市与謝郡

    破れたパンツの隙間に黄色の花粉払って、くしゃみ3発高尾山の杉山、がん睨みこの喧嘩ウン・・・だな勝てない仲間が行きたいという伊根浦・伝統的建造物群保存地区河童は行かない、なんつったって夜通し9時間だった今年は体力、バッタリ‼👇♫伊根の舟屋♪伊根の舟屋。京都市与謝郡

  • 長純寺の鬼瓦と彫刻。群馬県高崎市。

    群馬県箕郷町に国の史跡に指定され、日本100名城の箕輪城。1500年代、この地を支配していた、長野氏の家紋が👆檜扇。訪ねた上野氏ゆかりの長純寺に、長野業尚が?築城したときの、鬼面鬼瓦が2つ。1598年廃城になった時の鬼瓦だったら、いいですね‼👇長野氏の檜扇・・前掲した、この地近くの善地村の彫刻家が、居たことに嬉しくなりましたが、長純寺さんには欄間と、本堂の祠の彫刻があり、どっちなのか‥。両方を何点か・・。近いうち、判明すると思ってます。👆の部分拡大、丁寧な彫りですね。眼が点柱と彫刻が同じ色なのですがと、質問したら前住職が柱と一緒に欄間も同じ色にしてしまって・・多分いろんな色があったと思うのですが。👇鎮守様1736年に彫ったのは👇?箕輪城主、長野業政公のお墓は、👇不動様の道を登り、本堂の後方にありました。箕...長純寺の鬼瓦と彫刻。群馬県高崎市。

  • 長純寺。頭あっちに、こっちにいったり。 群馬県箕郷町。

    👆相馬山(1411m)榛名白川の水源に相当。「黒髪山」の異名をとる、雷様が宿る神域でもあります。私が見ている看板は、暴れ川の異名をとった榛名山系から流れる、車川の中流辺り、この善地村👇に昔、彫り物師が居た。車川は、下流は箕輪城の下あたり、10月に『狐の嫁入り祭り』会場になる、ふれあい公園の脇を流れる、榛名白川に合流する。その白川も、昔は暴れてたよう・・。1497年に箕輪城主が、『狐の嫁入り祭り』会場の下方に創建した、長純寺、のに、翌年には、白川の洪水で流され、後年、洪水を避けて、現在の地に再建したのは1557年。白川の河岸段丘に建っている、箕輪城。上杉謙信や、武田信玄・織田、北条との戦にも、ひるむことなく、敵陣を唸らせた、城主・長野信業、業政、代々の供養塔が、長純寺にある。👇約束の午後1時30分、2時間前...長純寺。頭あっちに、こっちにいったり。群馬県箕郷町。

  • 滝行。群馬県赤城山

    今まで春になると、気が晴れていたのですが、今年は、花粉症らしい症状になって、花粉の飛散が弱くなるまで、ちょっと憂鬱です。市販の薬を飲むように、助言され、飲んで、3時間ぐっすり眠ってしまった2月23日。頭痛は無くなって、いい調子です。👆赤城山・小沼を黒檜山山頂から2018年11月の写真で、今日の記事、御嶽講の人が、滝行した粕川の上流は、この小沼から流れてます。埼玉県から、毎月第1週の日曜日は、ここで、滝行し沢を下って行くのだそうです。以前・群馬の写真家が二人の滝行を撮った写真が、何やらの賞を取ったとか・・40分ばかりの存分に撮ってくださいと。緊張してた時間が溶けて来月は一緒に沢を下りましょうと誘われて、ピンボケの写真👇春の陽気にまして春なんか、いい‼沢下りの先達後ろ姿にいつか一緒に、と滝行。群馬県赤城山

  • 粕川沢の枯れっ葉たち。群馬県赤城山。

    前回の滝沢不動尊から、赤城山小沼から流れる沢で、助六で朝食をとった後、30分ばかりところの、不動の滝へ行くのには、ちょっとだけ、深い沢水を横切る・・、靴を脱いでと、思ったけど迷ってしまい、しばらく、沢の景色を眺めてました。コナラ、ミズナラの葉っぱたちに、話しかけたら、『沢水に乗って、のんびり、都会を見たかっただけ、餅屋は餅屋、コナラの肥やしになればよかった、しがみついたけど、のに遅いやね・・』・・と。・・・・・?巌の向こうで、きしむ枯葉のアンサンブル、身構える姿勢は、顔の毛穴を目玉にし、髪の毛をアンテナにし・・、姿を見せたのは、男2人。合わせた瞳は爛爛として思わず、気持ちが後ずさり。昨日から花粉症で、鼻水、くしゃみついでに頭がずきずきこの年になって初めての重症の花粉症明日は仕事の気力なし思考能力なしに付き...粕川沢の枯れっ葉たち。群馬県赤城山。

  • 粕川、沢の瀬音に滝沢不動尊。群馬県赤城山。

    久しぶりの山道、早朝に訪れた三夜沢赤城神社の、風景撮りは後にして、回れ右、広めの山道を、滝沢の不動滝方面に、20分ばかり、不動滝の看板のある駐車場へ。👇赤城、小沼から流れる粕川沿いを群馬、♫かわいい子分たちとも今宵限り・・侠客人、潔さに、人情熱い国定忠治が、赤城山に籠って、追っての役人を見張った忠治見張り岩。👇冬の山歩きは、緑の葉っぱが無いので、見晴らしはいいけど、色が無いとなぁ~画面中央に白く、氷柱。👇近くまで登る気力、今は無くです。駐車場からここまで20分の看板、いつもの通り、私の短い脚では1時間ばかり👇赤城滝沢不動尊。本尊は、1408年ごろ、群馬邑楽郡の豪族が、栃木県の佐野市の佛師に、鋳造させ奉納し、100キロばかりの赤銅で、後年、右腕、両足がもぎ取ら『片手不動』と呼ばれたという。一時、新里村のお寺...粕川、沢の瀬音に滝沢不動尊。群馬県赤城山。

  • 杉の木の杜、三夜沢赤城神社。群馬県前橋市。

    群馬県前橋市、博徒の父から生まれ、15歳で他国の博打打ちを追っ払い、ひょんな殺傷をして、しばらく他国を流浪。いっぱしになって、侠客同士の揉め事を、ひょいひょいと、丸く収める度胸と頭の切れは、侠客一家から、莫大な信頼を得て、もらい受ける、縄張りは、200とも言われ、『関東一の親分』と崇められ一目を置かれた。その大前田栄五郎は、三夜沢赤城神社に献塔していた。前橋市大前田町、栄五郎のお墓から車で10分ばかり。👇夜明け前、宿を出て着いたときは、日が登り始めた時刻。大前田町の住民が1600年代、寄進したという、杉の木に囲まれて、まるっきり黒い景色。やめた・・ひとまず不動大滝へ移動です。写真は、陽が当たる午後3時ごろ。👇それでも暗い。👇十六葉一重菊が施されている。👇八本の鰹木平安時代から歴史があると知るのですが、赤城...杉の木の杜、三夜沢赤城神社。群馬県前橋市。

  • 妙見寺の春の花、長谷川源太郎の胴羽目。高崎市。

    熊本大学大学院自然科学研究科(工学系)人間環境計画学教授の伊藤龍一氏が、1982年から1989年までには論文の中に、『北関東の社寺建築の造営修理に関与した彫物大工』の表があり、その中で、長谷川(小林)源太郎が、高崎市の妙見寺に、彫刻を施し、刻印が認められたと記録している。3日間の休暇を利用して、見学に行きました。道の端、染谷川の土手に、春👆踊子草が、👇小雨の日です。平安時代から、土地の人々から崇拝され、1656年、1807年2度の類焼し再建を始めたのは1839年。小林源太郎が胴羽目に彫り、刻印を入れたは1843年、妙見寺が再建されたのも、同時期となります。彫物師。小林源太郎、1799年熊谷宿に生まれ、親父は、小林源八、源八は、花輪彫刻集団の礎を作った、石原吟八郎の子、2代目吟八明義の弟子(関口文治郎の兄弟...妙見寺の春の花、長谷川源太郎の胴羽目。高崎市。

  • 錫色の日暮れに柳沢寺。北群馬郡市榛東村。

    男やもめに雪が降る、8時に目覚めた八王子の景色は、雪。7時ごろから降り始めたという。出かける先までの高速は、通行止めも有るといいう訳で、今日は取りやめ、明日のことは状況を見計らって・・。ちょっと前なら、この位の雪なら、と、出かけたのに今は、ちょっと臆病になってきた。👇船尾山・柳沢寺の山門敷地内の建物は1600年代後期から、1700年代、中期に建てられ、上州七福神毘沙門尊天霊場として、隅々まで歩くと、いつか宝物に出逢うと教えられた。船尾山と船尾滝榛名山の麓、水澤観世音ちかくに落差72メートルの滝で、下方には2股に分かれた滝、バリエーションに富んだ,船尾滝があって、柳沢寺の榛東村は、滝の真下方に位置してる。もう、陽は落ちて、野武士が今夜の寝床にしたかもしれない、本堂へ。👇人で言えば体を支える足、寒さでひび割れ...錫色の日暮れに柳沢寺。北群馬郡市榛東村。

  • 日暮れの、柳沢寺の散歩。北群馬郡榛東村。

    1月31日、まもなく日が暮れる。寺門にわずかな西日は、群馬県北群馬郡榛東村しんとうむら、柳沢寺りゅうたくじに。開基は古く、平安時代と判ったけど、戦国時代の戦禍で焼失し、一時は廃寺になってたという。おや、まあっきょうは、お寺の歴史に触れるのではなく、柳沢寺、なぁんにも考えず、日暮れの散歩・・・。寺門前の駐車場から👇山門はここだった車が2台、子供たちが走り回ってお母さんは、後を追いかけて仁王像が4体次回に日暮れの、柳沢寺の散歩。北群馬郡榛東村。

  • 松山寺に新しい息吹。箕郷町。群馬県高崎市。

    撮って出しのファイルは、先月末に訪れた、高崎市箕郷町にある松山寺シンプルなたたずまい手入れが行き届いた芝生通された本堂の外陣の天井には花が咲いてました約半世紀、色あせることなく燦然と描いたのは、住職のお母さん妹とお兄さん二人妹さんの名が私に箕郷近郊の社寺の彫刻や自然の、情報を教えてくれたたかさん後世の、拝観者にひと時の安らぎを与えるのでしょう外陣の格子天井の花たち👇ブログにしなければ、聞くことは無かったのですが、つい根ほり葉ほり、聞いてしまったお兄さんの義雄さんが描いた絵👇まだ2枚?ばかり、有ったと思いましたが撮り忘れてた海外の山、国内の山を登りながらたかさんは子供たちには絵を教えていたといいます描いた年賀状が👇描いた絵は後世に残るのですがいつか筆を取る日があるなら描く姿を、そっと写真に撮って後世に残すそ...松山寺に新しい息吹。箕郷町。群馬県高崎市。

  • 箕郷

    群馬県、榛名山麓に水資源に恵まれた町、箕郷。1512年から始まる、戦国時代に、上州の西側中心の箕輪城があり、地元長野氏に、武田氏、織田氏と北条氏、井伊氏に、戦国の領地争いは、1590年、前田利家・上杉勝景連合に、80年の歴史・箕輪城を開城し、箕郷村から城が無くなった。1598年のこと。戦続きで、疲弊する領民。重なる、榛名山からの水害はあっても、五穀豊穣の地、不幸は慶長2年1597年、境内800坪に建つ、然室玄廊大和尚が、釈迦牟尼仏を本尊に、開基した、松山寺しょうざんじは焼失し、以降、松山寺の記録は鐘楼だけになった。👇寺の入り口では、1748年の六地蔵と如意観音が迎え、鐘楼の脇には、山村暮鳥の両親と弟の墓が・・、朽ちる柱を保護する鐘楼のやぐらに、箕輪の豪家・下田利左衛門が、1727年、当時九代和尚に寄進した...箕郷

  • 輝いた日、箕郷町。群馬県高崎市。

    とんでもない、世界に足を突っ込んだ。群馬地方に、足を運んで5年近く、一カ所の寺に、神社に幾度も訪ね、出かけるからと言えば、群馬ですかと、言われ、私の顔は群馬県でした。今日のブログ、編集トップで、つい先に見てしまい、気持ちが広くなりました。絵、榛名山麓に広がる、のどかな町、箕郷町に住む、たかたかのトレッキング駆け足登山は卒業、これからは一日で登れる山を二日かけ自然と語らいながら自由気ままに登りたい。【たかたかのトレッキング】gooblog👆わたくしの山の師匠。師匠が幼いころお兄さん2人と描いた絵が👇お兄さんが描いた一枚が👇拡大すれば、なんと、なんとです。師匠が描いた格子天井の絵は、何枚もあります。次回以降に展示いたします。お寺さんの名は、私の仕事が終わるまで、おまちくださいますよう。でもちょっとだけ写真で・...輝いた日、箕郷町。群馬県高崎市。

  • 汗をかく観音様とヘマな雷神。正法寺。滋賀県大津市。

    福井県、石川県、岐阜県にまたがる白山連峰、白山信仰・山岳信仰の礎を作ったのは、越前の修験僧泰澄和尚。722年、元正天皇の病気平癒祈願を成満した後、白山に行く途中、天皇の勅願所・岩間山正法寺を訪れ、桂の木で、千手観音像を彫った。ご本尊は、日が暮れると厨子を抜け出し、136地獄を駆け巡り、苦しむ人々を、ことごとく、救済して夜明け前、山に戻った時には、体中汗だらけ、当時、歴代天皇の尊崇厚く、熊野、吉野に並ぶ霊場の一つで、かなりの隆盛してた、岩間寺=正法寺の観音様は、♪汗かき観音♬さんと、呼ばれた。たびたびの落雷で焼失した正法寺、雷神さんが、千手観音様に帰依しようと来たのに、ヘマをして、正法寺に雷を落としてしまった。一度ならず、2度3度。泰澄和尚が、千手観音様に聞いたら、雷神の所為だと・・。で、泰澄和尚、雷神を弟...汗をかく観音様とヘマな雷神。正法寺。滋賀県大津市。

  • 石山寺・最古の懸造りは ②-② 滋賀県大津市。

    琵琶湖から流れる瀬田川、硅灰石の石切り場、巨大な東大寺の建立に必要な資材は、滋賀県甲賀、高島から伐採した材木を、瀬田川に流し、ここ660年から始まった、石切り場に集積場にしていたという。後、天然記念物硅灰石の上に、建てられたのが、源頼朝が建立したという多宝塔👇迫力ある大きい庇は、言葉に無い優美。👇私が撮っている場所は、壬申の時代、皇位継承の争いで、叔父に敗れ、自害した大友皇子を葬ってると云うのですが・・華厳宗から、密教、真言宗、天台宗が盛んになった平安時代、貴族たちの、石山詣が盛んになり、京から石山寺に籠って夜通し念仏を唱えたという。1004年には、紫式部が滋賀県最古の本堂で、光源氏を・・👇紫式部(左)の供養塔と、芭蕉句碑、あけぼのはまだむらさきにほととぎす👇西国33カ所霊場の尊像を拝観します。👇本堂前に...石山寺・最古の懸造りは②-②滋賀県大津市。

  • 籠る君は・紫式部。石山寺 ① 滋賀県大津市。

    滋賀県大津市、石光山・石山寺、清少納言が立ち寄り、藤原道綱母がいて、和泉式部が、恋に破れて籠り、紫式部は、光源氏の「須磨」「明石」を、石山寺の離れで、月を見て書き上げる。紫式部がこもっていた部屋は、天皇や皇族,高僧の身分の高い人が、使用する部屋で、紺地に白抜きの👇石山寺の寺紋十六裏菊が、吊るされているところ。1078年1月2日、落雷によって本堂が半焼し1096年に本堂(国宝)を再建し、新たな本尊として如意輪観音坐像(重要)を祀る。源頼朝が織田信長の影が、豊臣秀吉の加護があって、〆は淀殿の復興の願いで、今の石山寺が形成されたといい・・・、※※石山寺の歴史を、ブログにするには歴史に疎い私の、頭の中は、とっ散らかって、ギブアップ。西国13番札所に行ったという、足跡だけにします。出迎えは、大津市の観光マスコット。...籠る君は・紫式部。石山寺①滋賀県大津市。

  • 姨綺耶山(いきやさん) 長命寺 ②-② 滋賀県近江八幡市

    👇石段を登って、何でぇ~~後で判った。西国31番札所にある、石碑の詩の怪。作詩家がただ、10番の言い回しが良かったからだと・・。近江八幡の歴史ある古刹、長命寺。👇長寿にして、虫歯なし、抜歯痕無く、お見事。けど、ちと、よだれの量多い・・。👇1524年に再建された本堂は重文で、杮葺きの屋根の曲線はシンプル、本堂正面は石垣になっていて、須美壇の、千手観音、十一面観音、聖観音に会うのには、👇左の間、外陣から入っていく。👇本堂正面。常夜灯の所に、琵琶湖周航の歌の石碑。👇本堂から廊下がつながって、1184年には三仏堂が建立され、1570年頃再建し、1793年に改造されて現在に。堂内に釈迦如来立像阿弥陀如来立像薬師如来立像の三仏を安置して・・。👇彩度を落とした、丹塗りの三重塔、近くで見て、丹塗りの効果でしょうか、細かい...姨綺耶山(いきやさん)長命寺②-②滋賀県近江八幡市

  • 柳に雪折れなし命寺、長命寺 ① 滋賀県近江八幡

    旅先米原市で、パソコンのファンが止まって、使うほどに本体が熱くなり、ドライバーをフロントで借りて、分解。ファンは、埃は埃を超えて綿状態に・・・。ダストブロワーは、フロントの粋なお姉さんの厚意に甘えて、難を免れたものの、どんだけ埃の中で生活をしてたかと・・。808段の石段は、きつかった近江八幡・西国31番長命寺、330メートルの長命寺山、長命寺は250メートル辺り、とまでは調べで。👇長命寺港にある日吉神社にパンパン手を合わせ。出羽三山の石段2200段を登ったのを思えば、何の‼と思いたいけど・・・・。👇あと少し落ち葉を飛ばすブロワーの音に気を持ち直す。ご本尊・千手十一面聖観世音菩薩は、健康長寿、無病息災を授けて下さるというけど、もう何でもいいと思ったけど、息切れして休み処の幟を見てたら、少しづつ、ウン‼登って...柳に雪折れなし命寺、長命寺①滋賀県近江八幡

  • 悠久の観音正寺②-② 滋賀県近江八幡市

    水や土、空気を浄化させる葦、コイ、ニゴロブナ、ゲンゴロウブナの魚が、ヒメタニシは葦の茎に張り付いて生活する。オヨシキリ、バン、カルガモなどは葦群落の中で卵を生みスズメ、ツバメ類は葦群落を、ねぐらにし、朝の光芒に穂先の輝きは、葦の風景は時代劇にも似合い、どこまで続くのだろうかと・・、近江八幡市西の湖畔の、葦、ヨシ、葦。1993年、灰燼に帰し、2004年に再建された、観音正寺の屋根は、葦じゃなかった。👇干拓された琵琶湖周辺の地は、田んぼで、俯瞰して、生活の場を眺めることに、気は引けるけど、葉っぱの陰からちょいと・・。👇2022年は、聖徳太子が無くなって1400年経つと・・、👇弁才天さんもいる。👇コロナ終息の〇〇地蔵さんが居た。夕暮れのひと時、白檀の香りを聞きながら静かに過ごしてみませんか・・と、ご自身のためだ...悠久の観音正寺②-②滋賀県近江八幡市

  • 観音正寺 ②-① 琵琶湖近江八幡

    今日までの休みは、いい休養でした。明日から仕事には戻って、今月一杯はフル活動月になります。昨年訪れた滋賀県琵琶湖、米原市の宿を夜明け前に出発し、琵琶湖畔のさざ波街道・・中山道になるわけで、湖に朝焼けが、山側には、雲からの光芒が壮大でした。👇400メートルばかりの小高い繖山、狭い道を登りきると、数台停められる駐車場にはすでに先客。伝承で、聖徳太子が開基したという、1400年の歴史の、繖山(きぬがささん)観音正寺さん。西国32番札所近江西国三十三箇所びわ湖百八霊場神仏霊場巡拝の道👇駐車場から10分ばかり入山料と公開されていた、聖徳太子の絵伝、阿迦井観音像の拝観料を、確か❝1000円❞を払って・・観音正寺さんは聖徳太子さん👇が、605年この地で、自分で彫った千手観音を祀ったのが始まりだそうで・・立像は信楽山系・...観音正寺②-①琵琶湖近江八幡

  • 2023年 元旦

    新年になって皆さま、ご家族の皆様が元気ですごされるよう願ってます花を植えて安らげない国もあって今年は、今年こそは凍える心が溶けて小さな灯りが、輝く大きな灯りになって町一杯に、国一杯に嬉々として、花を咲かせている人々の姿を早く見てみたい2023年2023年元旦

  • リンゴをかじって12月31日。

    昨日、寺務所で仕事納めして今日、穏やかな陽ざし明日は一杯飲んで、きっとドテ~ぇ~~っ♬なんやかんや、仕事に穴をあけ皆に頭を下げながら自分の意志をちょっとだけ貫いた2022年あけた穴の残りはもう今年は埋められな~いので腹をくくり、リンゴをかぶり、ガブリ今日は、休憩の多い掃除です皆さまにとって今年はいい年でありましたでしょうか♬今年の一枚♪👇長野・善光寺さん参拝の前夜の光景リンゴをかじって12月31日。

  • 弁天堂 竹生島 ➂-③ 琵琶湖

    湖畔から釣り人の舟に便乗した、後醍醐天皇、島に漕ぎつけば、神前に女人が居て、驚く家来、この島は女人禁制と承って候と言えば、女人、弁才天は女人にてその神徳もあらたなる天女と現じおはしませば女人とて隔てなし女人禁制の謂れなき旨を論じるは、ただ知らぬ人の詞なり・・・・とそのまま、社殿の中に入ると、この女人こそ弁才天の化身だった。130段登った、あと30段ちょい、よいしょっと、登り切って、派手な色彩で不動明王。長浜市辺り、地元の人たちが信仰する、👇1565年の銘がある、弁才天像本堂外陣に座す、弁才天です。秘仏のご本尊は60年に一回開帳、次回の開帳は西暦2037年・・・ダハ~~、そのころ私は、足腰は枯れ木になってる・・・2022年、冬の竹生島ミステリアな、空想に取りつかれ胸をときめかせた竹生島空想が消えないように袋...弁天堂竹生島➂-③琵琶湖

  • 舟廊下、発想にきょとん。宝巌寺 ③ 琵琶湖。

    宝巌寺唐門から、ちょっと右を覗くと、薄暗い廊下で、豊臣秀吉さんが朝鮮出兵の時に、作った船の底をひっくり返しての、天井‼‼😲‼になる👇舟廊下の足場は、竹生島の崖を利用して、懸造りで、楔で堅牢に締めてた。接続しているのは、秀吉公が寄贈した言う、都久夫須磨神社の建物には、接続していなくて、舟廊下の途中で段差があって登り、都久夫須磨神社へは、数段の石段を下りてから、敷地にでるようになっている。この段差は、崖に合わせたのではなく、もともとこのような設計で、この舟廊下も、移築したのかもしれもせんね。👇都久夫須磨神社というより、竹生島神社本殿と呼ばれて、親しまれてる。湖側から見ると、鳥居の向こうに拝殿、一段高い屋根が竹生島神社で、船が岸に着くまであと、ちょいッ、その間に、鳥居さん越しに手を合わせてみる。汽船が何便も出る...舟廊下、発想にきょとん。宝巌寺③琵琶湖。

  • 浅井姫の宝巌島 ① 琵琶湖。

    その昔ふたつの山が背比べをしました息吹の神が宿る伊吹山と浅井姫が棲むという浅井山ある夜どうしたことか浅井山の背が急に高くなり次の朝になると伊吹山を見下ろしていました「ゆるしがたし‼」怒った伊吹の神は浅井姫に切りつけた浅井山の頭は切り落とされ、琵琶湖の中へ転げ落ちたそれが今の竹生島(ちくぶしま)である琵琶湖の北の方に浮かぶ周囲2㎞の竹生島には誕生にまつわるこんな言い伝えが残っている神様同士の争いから生まれた島が今は、神様と仏さまが共存し不思議な霊力をもつ島として信仰を集めている2つの建造物の国宝1つの書跡等の国宝建造物、絵画、工芸品・書跡等の17点は重文。平安、鎌倉、桃山時代と琵琶湖に現存していて、全部、拝見することはできないけど、そんな島に上陸しました。まだ紅葉が残ってる、12月13日でした。奈良時代、行...浅井姫の宝巌島①琵琶湖。

  • 谷汲山・華厳時 西国三十三番札所。岐阜。

    万世(よろずよ)の願いをここに納めおく水は苔より出る谷汲満願堂御詠歌岐阜・華厳時に着いたのは午後2時頃。参道の駐車場からは700メートルの山門。立ち止まっては、江戸時代の頃には、巡礼者の懐を当てにする、宿屋が沢山出来たという、情景を浮かべて見ますが、最近、想像力がちょっと乏しい。👆👇1750年頃再建された仁王門の、像にはわずかばかり、朽ちかかった木片に、彩色が残っていて、何とも言えない趣です。仁王門から本堂の前の高炉までは、デザインの違う、夥しいほどの献灯は、華厳寺に帰依した人たちの、心の重さが見えます。本堂の屋根の吹き替え中で、下地に銅板を施してました。細い材木を、番線で結わえた足場材は、歴史ある、華厳時の景観を損ねないようにとの、職人の技が温かいです。来年も桜が咲くころまでは、完成したい、と‼谷汲門前...谷汲山・華厳時西国三十三番札所。岐阜。

  • 谷汲山・華厳時 ① 山門まで7丁 の参道 岐阜県

    『お伊勢参りをして信州・善光寺を詣いらないのは、片詣り・・詣りまっしょ‼』と、木曽路をふうふう言い、尻を押されて・・筑豊育ちの女子4人の会話。江戸末期の小田宅子さんの「東路日記」を、俳優高倉健さん(宅子さんの5代目)に促されて田辺聖子さんが、「姥ざかり花の旅笠」で現代風に解いた、愉快な本から。秩父・坂東を満願して、善光寺にお礼参りはしたけど、日本百観音霊場に、西国33番札所はまだで、小田宅子(いえこ)さん風にして、方参り。善光寺での詣りの時、西国33番は、いつか参りますと、約束してた。それから、だいぶ時が経ってしまって・・札所の歴史を紐解けば、知らないこと100%に近いので、今回も歴史はパス。👇日本最古の観音霊場「西国三十三所観音霊場」の、第三十三番札所で結願・満願のお寺谷汲山・華厳時。👇訪れた2日後の昼...谷汲山・華厳時①山門まで7丁の参道岐阜県

  • 出直しにさばさば、

    👆西国11番札所醍醐寺(京都)きょうは、朝いちばん、晴れやかな気分になりました。山道ぐいぐい、着いた、正法寺👇は西国12番。山門代わりの、でかい仁王像を背にして、胸がざわめきました。ここの敷地のしっとり感、西国札所6カ所巡って、初めての安堵感。秩父坂東の札所巡りを終えた時、今度の西国では、札所だけではなく、札所あたりも見聞したいと、強く、つよく思ってたけど、巡りだけを消化しようと、思いが走ってる一両日・・・、フツ・・ふつとフラストレーション。地を踏む足に威力が無い。👆西国12番、正法寺で、巡礼者がお礼に収めた、額を見ていて、金持ちも、路銀に余裕のない人も、巡礼道で繰り広げる辛苦と喜びの、情景が浮かんできて・・・・。なんか、すとんと、緊張感が取れた。西国札所、国宝の建物も、仏像も素晴らしいけど、それを見てい...出直しにさばさば、

  • 今夜も大津で、足止め。西国13・14番。切り取り編

    今日の札所参りは3カ所の予定でしたが、2カ所止まり。西国の札所の敷地はあまりに広くて、見るものが多く、なかなか次の札所にたどり着かない。撮影禁止もまた多い。ちょっとストレスは、甘味を・・とぜんざい。西国14番、三井寺。弁慶鐘。延暦寺山門と三井寺の山門が、勢力争いの喧嘩して、弁慶が三井寺の鐘を引きづって延暦寺に持ってった。で、延暦寺こんな鐘、いらないと、弁慶がいない時代に蹴飛ばし、転げて、三井寺の古巣に戻ってしまった。ぜんざい屋の女将さんが教えてくれた。👇引きづった跡が、転げた時の傷?が・・・石山寺、13番は、紫式部が「源氏物語」を構想したところだと。侍女の方が利発そう・・・青銅の式部👇、👆と2つの紫式部。実物、写真でも見たことないしなあ~山門から、本堂、一山巡って、多宝塔など、見るところ満載。今夜も大津に...今夜も大津で、足止め。西国13・14番。切り取り編

  • 近江八幡、町は遠く ‼ 西国札所31 32番。切り取り。

    昔江戸の頃、女性の旅は関所近くの宿と決まっていて、朝4時ごろには宿を出た。関所監視者の隙をねらってのこと。宿屋は関所に袖の下で、あうんの密約。現代、宿を何時に出ようが、取り締まりは無く、まして、一人旅となると、ますます時間にルーズになって、今日は、あっちもこっちも、見る予定が結局札所、2カ所だけで日が暮れた。夜明けと同時に向かった長命寺では、近くの港に車を置いて、石段808段👇登ってしまった。何を思ったか駐車場まで車を飛ばせばいいものを・・これが今日、つまづきの一歩。草鞋だったら、きっと紐づれして足袋で、登ったに違いない。江戸の高名な俳人は、日ごとの紐づれで、鳥の足のようになったという。帰りは、もう嫌だ、アスファルトの坂道転げるように・・長命寺だけで、5時間が過ぎてた。腹も減るし、土産物屋の食堂は席がない...近江八幡、町は遠く‼西国札所3132番。切り取り。

  • 着たきり雀 船に乗る。滋賀県琵琶湖。

    旅2日目にして、朝の雨、予定は琵琶湖2番目に大きい島、竹生島にある、ちくぶしまと呼びます、と、汽船乗り場の案内の方が、呼び名を訂正した西国30番の宝巌寺。一日2便、午後は出るかどうかと・・滞在時間80分ばかりは心細けどここを抜かせば、宝巌寺は遠くなる。出航時刻には、船室一杯の人、人。厳寒服が役立った。航路30分をデッキで過ごす。けれど、昼、気温が上がった昼頃には、全身・・・汗。今朝、着替えのバックが無いのに気づいて、首から足まで、昨日の服。馬鹿垂れ・ドジ・顔を洗ってこい、と自分に罵詈雑言。そんな言葉の悪い人間でも、👇観音様の前では、心が静かになり、何かが洗われた心になってしまう。この、人間の心の変わりよう、なんと表現すればいいか・・・。下船後、高月市渡岸寺観音堂の平安時代の、国宝・11面観音様を見学チケッ...着たきり雀船に乗る。滋賀県琵琶湖。

  • 小さい旅・西国33カ所、華厳時参道。岐阜

    江戸の頃なら今の季節、都から離れた果てしないこの地、雪道も、心清めと・・・なんて思いながら、雪景色を想定して、しっかり厳寒対策。西国33番霊場。岐阜県揖斐郡揖斐川町。今日の天気はしっかり晴れ、最近、勘が鈍くなった。午後2時、参道で迎えてくれたのは、マスコット「いのりちゃん」👇男一人の霊場巡りはどうも様にならない女性がいれば、皺伸ばしに一杯と徳利をかたむけ瞼の紅色に、旅の疲れも癒えようが・・・判ってたけどまた一人旅米原市に来て宿で、一人酒ワンカップ一杯で意識が消えかけてきた明日は、琵琶湖の日本海寄りの竹生島へ船が出なければ、近江八幡を先に4~5日の旅帰ったら旅の全容を・・小さい旅・西国33カ所、華厳時参道。岐阜

  • ガラスの森美術館 箱根町仙石原

    フェロー‼・とよ・どこへ行ってた?闇の中なら、山を越え、谷を越え、灯りはそこでも、千里の向こう。ここ数日、あだ名は、ミドナイト・ウオーター。けど・・・今日でお役目御免と、なっちまった。風呂前脱いだ、ルーズソックス、あと2足あるけど・・。👇なぬぅ~、紀元前1世紀?風化作用で見せる銀化現象の玉虫模様、作った人は、まさかこんな姿になっているとは、思わなかったかも知れない。日本の土器、西洋のガラス、なんちゅうことなく、生まれた所の地質が、何千年の生活の産物、でも、綺麗だと思うのは、理屈がなく・・・・、ガラスの森美術館箱根町仙石原

  • 一粒ずつの雨水を運んで、ドテ ‼

    雨にも負けず風にも負けず一合の米を3個のにぎりにし味噌カップ麺をすすりビフテキにも水炊きにも、牡蠣雑炊にも目をくれずコンビニの唐揚げを小脇に水の配達人疲れた、をの禁句が解けるまであと3日東には砲撃で電気も無く水もなく寒さに耐え西には干ばつで、雨水を飲む子供が・・水の、ありがたさは不公平だった薬より水を飲ませろと、水路を引いた中村哲さんの命日は明日八王子の山あい迫る漆黒の稜線に点、点、点、生活の灯りがまぶしかった一粒ずつの雨水を運んで、ドテ‼

  • 高瀬忠七さん晩年の彫り。泰寧寺・群馬県みなかみ町。

    群馬県沼田市に、生方鼎齋(ていさい)さんという、1799年生まれの、書にたけた方がいて、優れた書家になってからは、女性に飽きっぽいのか、大間々でも、月夜野でも、娘の婿に迎えられは離縁する。江戸に出てからは絵にも通じ描いたのは、欄竹梅菊の水墨画・四君子。その方が描いたのかわからないのですが、龍の絵。襖を表装に出した時、見つかった下張りは、ぎっしりと漢字ばかり。江戸後期の襖の秘密が、後年になって知ると、当たらなくても、想像が膨らんできて、小躍りしてしまいます。👇生方鼎齋さんではないのです・・ね‼本堂台間の天井には狩野法橋水春源義信さん・う~ん・の龍が泰寧寺本堂には、群馬県花輪村で生まれた、高瀬忠七さんと繁八さんの彫刻が3点、外陣欄間に・・1804年の作。関口文次郎さんの兄弟弟子の、高瀬万之助さんの子らで、彫り...高瀬忠七さん晩年の彫り。泰寧寺・群馬県みなかみ町。

  • 優美典雅な桃山時代の彫刻・泰寧寺。群馬県みなかみ町。

    季節を外れるほどの花に、どんだけ投稿してなかったかと・・真夜中の水運び屋、受水槽に戻れば、汲み上げポンプの傍に、置いてある清涼飲料水。暗闇で孤独の瞳がパット輝いてしまう。後、一か月もすればきっと、いつもの昼行燈に・・・。1309年の開基から、衰退を繰り返して、1795年現在の地に再建された群馬県みなかみ町の泰寧寺、木槌で訪問を促す前に、本堂からの読経が・・・張り紙、法要中・お静かに・・でした。👇ここは禅寺、東司ですっきり、体の下ごしらえ、法要が終わるまで、👇賽銭箱の横に座って、天上を見上げて・・花も撮って・・で、法要に人たちを見送って、住職に案内されて本堂へ・・。欄間は、桃山時代・江戸時代・令和と内陣に飾られた彫刻は、すべて安土桃山時代に彫られたといわれ、👇本尊を安置する須弥壇にも桃山時代の彫刻。優美で整...優美典雅な桃山時代の彫刻・泰寧寺。群馬県みなかみ町。

  • 広徳寺散策、銀杏と茅葺。東京都あきる野市。

    名もない小山をいくつか登れば、古愛宕山。渓谷の紅葉を堪能して流れる、鏡のような水面の名は、秋川。夏になれば、中洲はバーベキューの小さな盛り場に。一昨日は、仲間が作ってくれた休日。崩れ簗を撤去している3人の男たちを横目に、細く急な坂道を行けば・・・。室町の頃・1373年・から幾度、葺き替えたか今も茅葺。むした苔屋根には花が咲く、550年の趣き。東京多摩あきる野市、広徳寺・室町建築様式をそのまま、👇惣門からの散策です。👇江戸時代になって建てられた山門、👇本堂の縁側でひと時を過ごしたくなる雰囲気が、広徳寺には在って、前回訪問の時にも、入れ替わり立ち代わり、誰かがいて、私はとうとう、座りはぐって仕舞ってた。👇お母さん、地べたにべったり、格式にこだわらない、遊び場になるのが、爽やかで小気味がいい・・。これが最後の・...広徳寺散策、銀杏と茅葺。東京都あきる野市。

  • 泰寧寺・朱い橋を渡って天女に。群馬県水上町。

    月夜野・なんと美しい呼び名、群馬県みなかみ町月夜野、草紅葉に、暮れる陽ざしの、赤く染まった猫じゃらしの穂、リンゴ果樹園に群れる客の、コーヒーの香りが、甘い。平安の歌人が歌うおうよきつきよのかな・・と書いて、ちゃうチャウここは水上町須川、月夜野は関越道のインターの近辺。月夜野の言葉の綺麗さが、尾を引いて、つい。目指した、泰寧寺は、👇こんもりした小山の裾辺り、お寺に着くまでこの景色が車を停めてしまった。1309年鎌倉時代の後期、開基された泰寧寺(たいねいじ)は、南北朝の時代時代が揺れて、一時は寂れた寺になり、ようやく世が静かになった頃、豊臣秀吉さんが、おぎぁ~と生まれた翌1537年、曹洞宗の禅寺として開山したのは、月夜野の和尚が隠居寺として。泰寧寺には、桃山時代の欄間彫刻と、花輪彫刻集団、関口文治郎さんの兄弟...泰寧寺・朱い橋を渡って天女に。群馬県水上町。

  • 無記事投稿の顛末。みなかみ町月夜野風景をバックに。

    👆ヘマをした、ごめん昨日、記事の無いページを投稿してしまい、見てくださった皆様に、大変申し訳なく、思っています。穴があったら、もっと掘って、できるだけ掘って、入りたいと、汗を拭いています。先週10月23日、群馬県のみなかみ町月夜野の泰寧寺👇から帰って月曜日、60人ほどが住んでる施設の職員が、てんやわんや。3~40年前の地下水のくみ上げポンプが、錆びで、破裂。受水槽が空っぽで、トイレ、風呂、洗濯用の飲み水が無い。張り紙がいたるところまで張ってあって・・・。小型七夕飾り・・。貰い水は、確保できるけど、運搬の手段に、職員の、白羽の鋭く光る眼の矢が、私に目をめがけて一斉に・・。瀬戸際、断っては男が廃るとばかり、義侠心が湧いてしまい、4トン散水車と、2トン散水車のタンクに汲んで、この一週間、水中ポンプで、タンクから...無記事投稿の顛末。みなかみ町月夜野風景をバックに。

  • 2022/10/30

    2022/10/30

  • 専福寺。関口文治郎さんと判った。高崎市新町。

    👆昭和17年、戦時中に廃材を利用して建てた、古くなった庫裏、取り壊して同じ場所に、間もなくの完成に狸、タコを背負った専福寺境内。👇旧中山道は、新町宿入り口近く、群馬県高崎市新町に境内を構える真言宗智山派の寺院です。中学生が地域見学で社寺を見学するのに、専福寺を、素通りしていく様を眺めて、専福寺に、誇れるものは無いか、と思い、調査を始めるきっかけと、地元区長さん。本堂内陣と外陣の境の欄間で見つけた、彫刻の墨書。👇當國勢多郡上田沢村東都公儀棟梁関東彫物大工関口文治有信彫之開山された1660年後、1667年の大火で本堂、本尊を焼失して、記録は残ってなく、一時、廃寺に近い状態から、本堂新築の棟札が見つかった1775年から、28年後の1803年、養蚕で財を成した地元の個人が、寄進した欄間彫刻。昨年10月24日、地元...専福寺。関口文治郎さんと判った。高崎市新町。

  • 文字を読めない河童になりたい。群馬県桐生市で。

    久しぶりの晴れ間、2日の休みの予定を組んで、愚図にサヨナラ、シャキッと襟を正す、土曜日、日曜日と予定を組んで。ながら、持って生まれた日和見の術、20歩、歩いて心変わりの芽がひょっこり‼昨年、10月24日、上毛新聞に載った記事。泉福寺(高崎・新町)欄間彫刻関口文治郎作だつたこの記事投稿は後日出掛けに見た見出しが、赤城山・黒檜山の山歩きをあきらめさせた。で、土曜日その欄間を見ることに。住職との歓談後は、宿に入るには早すぎて・・👇わたらせ渓谷・銅(あかがね)街道を、行ったり来たり。青木湖の水が減ってる、だとか、👇寝釈迦さんの足は、でっかいな、とか向こうに見える二子山がご本尊様があるのか?とか・・・、紅葉を撮ったり、わたらせは、白妙の峡谷だと呟いたり宿に入って山登りは、日曜日にして体調管理ここで、またまたみなかみ...文字を読めない河童になりたい。群馬県桐生市で。

  • 秋はこの花、玉泉寺で・・また。東京都青梅市。

    青梅市の藍染屋、藍染工房壺草苑さんで買い物をして、なんでここへ寄ったか・・判らない、臨済宗建長寺派のお寺、玉泉寺。住職がブロアーで落ち葉を飛ばす姿は、アスリートの身のこなし。鎌倉建長寺十七世が、1317年に開山して、江戸期には末寺17ヶ寺を有してたという。インターネット依存境内の花をいい気になって撮ってたのに、👇池のふちでレンズのアクセサリーが、悠然と泳いでた、鯉の隙間に・・若い大黒さんが、魚網に竿を縛って下さって・・。もう帰れってことかなと、ベンチでカメラに呟いて・・。もう~9月、10月はカメラの受難月。ブログ更新しなければ愚図ら愚図らと気も晴れずたまに更新すれば取り止めはなくまた、愚図ら明日はシャキッと隠密同心の気分で群馬まで秋はこの花、玉泉寺で・・また。東京都青梅市。

  • 日の出山荘、中曽根康弘書院 ②-② 東京都西多摩郡。

    借地の刈きれなかった、枯れ始めた草、それ行け・・‼明日もやれば、それが今年最後草刈り、勢いでつい、やぶ蚊のアパートを襲撃して、やぶ蚊の猛反撃に遭ってしまった。帯状疱疹と見間違うほどの斑点、痒いぃ~~ぃ~・・・で・・ブログの更新は、ここ、中曽根康弘元首相の、日の出山荘までは、やぶ蚊の好みと、思える湿り気の坂道から。やぶ蚊に悩まされた記録は、無かった‼👇日の出町で見た秋終戦を終えて2年、制度も、文化も、否定され生活の方向に、不安を抱えた人々に、日本古来の文化と伝統をと、歴史に沿って、高官を蹴って、高崎市に戻り、青年運動を起した中曽根康弘さん。代議士になって、自説をなすためには、あっち向いて、こっち向いても、地に着いた軸は揺るぎなく、空っ風の一刻は、101歳まで続き、敬意を感じてしまいました。平成18年中曽根さ...日の出山荘、中曽根康弘書院②-②東京都西多摩郡。

  • 日の出山荘・②-① 日米首脳会談記念館。東京都西多摩郡。

    西多摩・日ノ出町にある、日の出山荘。故・中曽根康弘さんの別荘で、受付を出ると、👆金木犀が休憩場所の湿った小道に、落とすまいと、蜘蛛の巣が絡めていて、👇なんで?1850年頃に建てた農家の母屋に、誰も住んでいなかった1961年(昭和37年)中曽根さんは買い、ここを別荘にして改修した後、政治家の集まりの場所にして、青雲堂と名付け・・👇土間に入ると、股旅小説、渡世人・木枯し文次郎笹沢佐保さんの軽快な文体で、1971年、赦免花は散った、で登場、「あっしは面倒なことに、関わりを持ちたくねえんでございます」竹の楊枝で吹く音は、木枯らし模様・・。飢饉で苦しむ庶民を目を剥き、宿場の厄介ごとの、悪を懲らしめる、楊枝は人を刺す武器にも・・。👇昭和58年には、アメリカ大統領、故・レーガン夫妻らとここで食事をする。宮沢喜一さん、安...日の出山荘・②-①日米首脳会談記念館。東京都西多摩郡。

  • 床に漫画、剣客商売。

    大菩薩峠・ニヒリスト机竜之介の生まれ変わり、円月殺法の眠狂四郎は「剣は、敵の闘魂を奪う働きを示す」「敵をして、空白の眠りに陥らしめる殺法」にして、刀剣正宗で円を描いて、勝負を物にする。相手は眠ったかは、ともかく、バタッバッタと・・最近、視力が悪くて。狂四郎と戦えば、月を描く刀の残像は、2重にも3重にも見えて、戦わずして、コテン‼1月に白内障の手術を終えて以後、眼が渋く、いつも瞼を瞬いていました。8月頃からは、眼鏡をかけても、かすみ、文字を読み切ることが困難。で、眼科医は、今月初め、眼鏡買いなおしの検査では、矯正できるレンズは無く、処方できませんと・・・?‼ど・どど、どいうこと?11月、高血圧の常備薬の頂く、医院に行く前に検査です。文字が見えないのは、薬の副作用か・・眼を育てている、体の障害かとも・・最悪は...床に漫画、剣客商売。

  • 小諸懐古園。長野県小諸市。

    城跡を進めば、どこまでも石垣と桜の木。小室の桜の開花を知らせるのは、ここ小諸城址👇のようです。どこまでも、石垣と桜の木、花が咲くころの景色はと想像すると、おおおぉ~ぅ👇信濃川を見下ろして中山道、馬籠宿の、庄屋の子にして裕福な家庭に育った、島崎藤村さんの小諸生活、6年で、初めての小説は、当時のセンセーショナルな内容にして、「破戒」はこの地で構想を立て、後「新生」し、老獪さも表してしまう。👇晴れたら右のほうに浅間山が見えたでしょうか・・。👇天守台の向こうには、小諸城主の御殿があって、今は菅原道真公を祭神した懐古神社がありました。神社の剥がれた欅の皮を乾かし、米糠で磨き、透明ニスを塗り、キーホルダーにして持ち歩けば、御利益があると教えられ、作ったことがありますが・・・👇欅の向こうは、島崎藤村記念館、この時は、時...小諸懐古園。長野県小諸市。

  • 日原鍾乳洞 東京都西多摩郡。

    今日は、奥多摩の日原川を行ってきました。家から2時間足らず、青梅市を過ぎたあたりからは、山の景色に変わり、スピードを落として、前方の景色で英気を養います、ただ日原川沿いに入いれば、さらにスピードを落とさないと、狭い道、大変なことになります。👇車で行ける最後の場所が、日原鍾乳洞になります。今日は橋の上から日原川を・・外との温度差5~6度以上も違う鍾乳洞、濡れては、鍾乳洞が見られません。目的は日原鍾乳洞ですので、沢下りは今度にします。絶好の天気でしたこんな日は外の景色がいいのに穴のなか滴でびしょ濡れになって手は凍え昔、山岳宗教で中に入る人を修験者がたいまつを燃やして道案内し乳白色の鍾乳石は黒ずんでしまったといいますその鍾乳石も撮ったのですが訳の分からないものになってここまでです日原鍾乳洞東京都西多摩郡。

  • 河童の川流れ。東京檜原村。

    日曜日、台風が去った檜原村は、心地いい日差しでした。まったくの、ぶらり散歩。広い東京の端、山を越えれば山梨県、そこまで自宅からは40分ほどで、秋川渓谷沿いは、自然に触れる人たちが多く、一時、遠出ができない時期には、混雑で地元から、檜原には来ないでと、悲鳴が上がった村でした。👇あきる野市、広徳寺の銀杏を見上げて、👇で、ここまでは良かったのですが、檜原村に入るちょっと前の、瀬音の湯という泊りができる保養地で、この辺はキャンプ場がいっぱい。イヌシデの葉っぱを見ながら、👇中身は鮭に筋子と紫蘇昆布を具にしたむすび2個、ザックに2個で、腹ごしらえをして・・檜原村の神戸岩のふもとへ、👇秋川渓谷に流れる沢水は澄んでて・・よくあることだけど、昔なら滑っても、体制を整えられたのに、濡れた岩場、ふたつの岩の向こうで、カメラごと...河童の川流れ。東京檜原村。

  • 曼殊沙華 埼玉県日高市巾着田。

    妻は曼殊沙華が嫌いでした。嫌いと言ったのは、私の些細な、不始末をなじった時以外、聞いたことはありませんでした。母も嫌いでした。枯れた水路の淵に咲けば、母さんは、その花は好きじゃない・・・母の顔をまじまじと、見上げたことがありました。二人の嫌いの理由は、これからも判らずじまい。私が、一等嫌いなものは、勉強。これは、生きてきた時間と、これからの時間も、一貫。鋼より硬く、猫パンチを受けても、変わらなくて・・。伝説の河童は、悪さをして、気の利いた大人に助けられてから、人のために良い事をしたのに比べ、私の影武者、河童はぐうたらな、やもめのまんま。改心して行動したのは?昨日の墓参りだけ。夏が過ぎて花が枯れるころ召集パイプが響けばあなたは行ってしまう帰ってくる日があって私がいなければ草原が冬で白く染まってもあなたは雪を...曼殊沙華埼玉県日高市巾着田。

  • 布引観音 長野県小諸市

    長野県小諸市の、布引観音堂を見学しました。正式には、天台宗布引山釈尊寺といい、724年、行基さんの開基と伝えられ、1592年に断崖に造営された観音堂は、20メート余8本の、柱で支えられてました。👇釋尊寺1500年代、武田信玄さんらの兵火にあい、1700年代の、野火などで焼失しても、観音堂👆は、延焼しなかったといいます。巌窟は3年かけて西行さんが彫ったと伝えられ、西行さんの一句、三年経て折々さらす布引を今日立ちそめていつか来て見ん(西行)👇布引観音堂(重文)👇小諸市の町が見えます。本尊聖観世音(しょうかんぜおん)左に十一面観音・右に馬頭観音・百体の黄金色に輝く仏像群と宮殿が納められていました。幻牛伝説善光寺まで、牛の角に引っかかった布を取り返そうと、善光寺まで追いかけた、欲張りばぁさんは小諸で生まれ牛は布引...布引観音長野県小諸市

  • 善光寺詣り、長野県。

    拠無い出来事に、皆さんのブログに訪問できませんでした。今日からは平常の生活に戻ります。善光寺、光三尊阿弥陀如来を本尊として創建以来、約1400年。百済から日本へ伝えられた日本最古の仏像10世紀、京の貴族に広まった浄土信仰を、僧侶、善光寺平さんが本尊を背負って、全国を遍歴をして、善光寺信仰を広めたといい、大衆のためのお寺。👇火災のたびに、再建する費用は、本尊の分身を全国に出開帳して浄財で賄ったといい、今の堂宇は、1707年に再建されたといいます。読経が響く堂宇の中で、手を合わせ、もう一度、この時ポンと気が落ちました。👇橋の傍の、喫煙所、腰掛け石に座った時には、境内の写真を撮る気力が、無くなってた。出来上がった善光寺、入り込む隙がない。👇本堂の一本の柱だけ、ひん曲がってた。長い年月で、天上から下2mばかりから...善光寺詣り、長野県。

  • 善光寺参道をぶらり。長野県。

    善光寺詣り、ホテルに車を置いて、長野駅から1800m、かつては宿坊だったでしょうの通り。88日間(4月3日~6月29日)にわたって、開催された過去最長の御開帳では、600万人が訪れたといい、土産と飲食代だけで400億円だと聞いて、御開帳の威力が伺い知れます。👇あと800m、ここで椅子に座って、ふと・・・です‼今日は秩父、坂東霊場の結願の報告に来た。ここは善光寺。まずは、善光寺本堂だった。ちゃらんぽらんな、性格がこんな時に出て。ここでカメラを仕舞って本堂へ。訪れたのは土曜日時折、雨の日でしたが詣り後👇撮った風景長野・善光寺参道は、賑わってました境内は次回にします善光寺参道をぶらり。長野県。

  • 秋の夜長は、ねじり鉢巻き。

    長野・善光寺、小諸・布引観音、等只今、出汁の味付けに準備中ですしばし、お待ちくださいますよう体調が悪いのではありません休み明けの仕事中予期しない尾篭の世界尻に栓をしてよろよろ駆け付けた、閑所湧き水5合飲んで全部、障害物よろしく物ともしないで体をすり抜けていったような快感・・‼くわえた煙草の青い煙にこれは・好転反応ウン‼扉を閉める所作も優しくあれほど出張ってた体形姿見の姿に、ニンマリ‼今夜、差し入れの栗赤飯は、ぉ~お~美味い👇小諸・布引観音の猫にも裾分けしたい👇高村光雲さんと米原雲海さんの、善光寺の仁王の足。今日は善光寺表参道、の花を添えてここで終わらせていただきます秋の夜長は、ねじり鉢巻き。

  • 善光寺詣り、その前にちょっと一杯。 長野市。

    8月23日箱根湿地園のキンロバイ?先月から、食べた後胃が張ったまま、いつまでも、へっこまない。首に縄、無理やり連れていかれた、気が置けない医院のやぶ・・何もしないで、薬飲んで寝てろ・・と、これは至難の業・・。だけど、恐怖の心境に。付き添いの青年が車の中で、いつ聞いたか、軽い胃炎だそうです・・と。しめた・・。で、秩父三十四カ所観音巡り、坂東三十三カ所観音巡りの結願(けちがん)し、西国三十三カ所巡りは、いつ始められるか判らず、始めても、かなりの日数がかかるので、2カ所の結願報告に善光寺へ・・。会社には後ろめたいけど、昨日は長野市まで。途中、小諸市の布引観音、牛に魅かれて善光寺の伝説の、続きがあるところ。でお参りし、小諸城址懐古園では、詩情に触れてからの、長野駅の夜です。👇悩みや苦しみの裏には「呪い」の存在呪い...善光寺詣り、その前にちょっと一杯。長野市。

  • 小坊主に満たされて・寶徳寺。群馬県桐生市。

    植え込みの葉っぱに落ちてた、小さい木くず👇青年は、拝観時刻前から作業をしていたのでしょう、麦わら帽子から汗。「イヤな虫にキンチョール」を脚立に登って、モミジの枝に吹きかけてた。落ちたおがくずの真上の枝には、カミキリムシがいて、枝の中に食い込むと、紅葉が、枯れますので・・・と。寶徳寺は今日から10日間に限って、緑の床紅葉が見られるのですが・・私は見たいのですが・・。前回は寶徳寺の、風鈴でした。方丈と枯山水を見学すると、墓地までは、石の小坊主の径を行きます。途中、境内をきれいにしている方に、声をかけ、径の傘を見上げて帰りは、風鈴の径で、墓地で墓参りをしていた檀家さんの言葉が耳から離れませんでした住職は、檀家に相談しないでひとりで決めるだけど、今は文句言う人は、誰もいないです寄付を強いられたことも、無くご住職が...小坊主に満たされて・寶徳寺。群馬県桐生市。

  • 桐生市、大光山・寶徳寺の風鈴。

    大光山・寶徳寺さん、ご住職さんに感謝して。吹割の滝を訪れる前に立ち寄った、群馬県桐生市の宝徳寺さんの、関東では珍しい床に映る紅葉の景色、それだけで、拝観時刻に合わせて出かけました。👇参道前の民家に梨?に被せた袋にまず一枚。👇風鈴まつりの幟、山門辺りから、涼しい音でした。受付で500円の拝観料を支払い、風鈴に付ける短冊を頂きます。👇動物実験で肺がん細胞が完全に消滅し、高血圧や、狭心症、心臓病、腎臓病、に効果が有るという、天台鳥薬の木に、どこかで、見たことがあったろうかと・・。👇方丈まで吊るされた風鈴、室町時代からの、臨済宗の禅寺「宝徳寺」方丈は、仏の世界ではなく、自分を見つめる修行道場で、自然に生息するものが、仏とする説法。あなたがあなたらしく輝きありのままで生きるために経典や文字に依らずに、禅を組み、宮本...桐生市、大光山・寶徳寺の風鈴。

  • 箱根仙石原の花たち。

    2018年5月21日の山椒薔薇山椒薔薇👆山椒♪ミカン科♪の葉に似ていて、5月頃5弁の花が咲バラ科、幹は10センチくらいで世界で一番太くなる薔薇。薔薇にして花は、2~3日で散ってしまう。陽地性で、日照不足になると枯れる性質で、高い木の下では、ほとんど見ることが出来ない。別名、ハコネバラと呼んで箱根町の花。👇花が散った後に刺の有る実、味は・・・う~ン‼箱根・仙石原にある湿地花園、江戸時代になるちょっと前、民家が4軒だけだった言い、江戸半ばには、馬41頭、民家が43件、人は280人、辺りの景色は田畑があって、仙石原の山の頂まで、カヤだらけと地図が。👇湿地園に入るためには、柵の終わりにあるマットで、きちんと靴の底を拭いてからです。👇ミソハギ👇イチモンジセセリ?が、止まったら次に、止まったら次にと、花の数に負けず劣...箱根仙石原の花たち。

  • 盆疲れ、ちょっと一服サワギキョウ。神奈川県箱根町。

    今日から南多摩、八王子での仕事で、今年の盆には、墓参りが出来ず、ここ・箱根湿地花園に来るときは、いつも風が吹いていて・・・👆吾亦紅8月25日に生まれた人の花、愛慕・もの思い・と語らせるのは、吾亦紅。日暮れに山がおろす風に、たおやかに、揺れる赤い萼片を追いながら、俺も、亦生きてる。綺麗な物には、名は無く、名前を知らなくても、花は咲いていて、足が止まれば、しゃがんで観ている。君の名は?応えず、凛として、咲いてる花が愛おしい。ミステリー小説、悪魔の手毬歌、金田一耕助が現場で触るな、と捨てたのが、👇岡山県辺りでは、お庄屋殺しの異名をとる、沢桔梗。花に着いた細い毛、そっと毛を触ると、雄しべが花粉を出し、蜜を求めてもぐりこんだ虫が、毛を触るたび、雄しべの中にある、花粉が、虫の背中につく仕組み、雄しべの花粉が無くなる頃...盆疲れ、ちょっと一服サワギキョウ。神奈川県箱根町。

  • ぶらり旅、渡し船を待って、西叶神社。神奈川県横須賀市。

    今年の夏が過ぎたら、出向くフットワークは、のんびり・・予備知識を持たず、行き当たりばったり・・と。👇浦賀の渡し、信号待ちから、前を歩く女性が一人、看板のボタンを押してしまい、しばらく後ろを歩いてたので、気恥くて、同じ船に乗るのはあきらめた・・。女性が座った後、手を小さく振ったら、女性も手を上げた。1733年からの歴史があって、当時、船頭の生活は一家で、米6合だったと・・。浦賀の渡し場から5分。高台に、叶神社があって、向拝に、すごい彫刻だと思ったら、横須賀に、千葉で100余りの彫刻を施した、後藤利兵衛橘義光さん・・彫ったのは、社殿が落成した、1842年で。社殿の中の柱は、金箔ばりで、格子天井の、花鳥草木は透かし彫りで、74面が施されてるようです。開基は、1181年、源頼朝さんの再興を願って、京都石清水八幡宮...ぶらり旅、渡し船を待って、西叶神社。神奈川県横須賀市。

  • あの子なんなのさ・港の横須賀。神奈川県。

    どこへ行く、のッ・・めまいしたって言ってて、また眩暈したら、自分の歳判ってますかッ?こてんと行っちゃったら、八つ当たりできない、しょッ‼電話の向こうで、孫の手を振り上げてる姿が浮かぶ。行くなら、早く帰るんだよ、まだ秋は早いんだから・・スピードは出さないんだよ・・・・・・年寄り扱いから、子ども扱いに・・若さの自尊心をくすぐる一番星の輝き「若い」の、私への言葉が抜けてる。口をへの字にして、3歩家を離れたら、それ行けドンドン。横須賀に行ってきました。👇三笠艦の記念公園の、日露戦争の英雄艦。来る曜日を間違えた、土曜日の船の中は、人、人、人。で、近くの叶神社まで・・。この日は、スカ‼ここも、人、人、人。人様の手前、わが身の変化さらけ出したくは無いのですがもう、眠い今晩は、ここで皆さんに、さよならです👇大河ドラマで大...あの子なんなのさ・港の横須賀。神奈川県。

  • 瀑のミストに足を停めて。吹割の滝。群馬県沼田市。

    滑って滝つぼの中に落ちたら、今日のブログはありませんでした。無事、八王子の住み慣れた、我が家に戻れたことに、感謝です。出先での仕事、夏バテ対策に全休した16日。朝から猛烈な気温に、真っ先に、出かけた、吹割の滝。👇つり橋を渡って、小さい堂宇の前に、看板が、読み切ったら、ドデッと倒れそうな細かい字で、日光東照宮で、眠り猫を彫った後、金精峠を超え、利根町の追貝宿で一晩で彫ったという、👇文字が小さいので、スルーですね・・‼後年、金箔に彩色された、👇浮島如意輪観音像が、見えて・・・彼の作なら、ガードマンを常駐させねばと・・老婆心。左甚五郎さんの作・・、可能性はありますよね、彼の描いた大黒様と恵比寿さんの木魚には、墨書があり、今は閉鎖されてる、隣村、片品村の美術館に在ったわけで・・。柔らかい巌が削られて片品川が造った...瀑のミストに足を停めて。吹割の滝。群馬県沼田市。

  • 長旅をいやす露店、五徳山・水澤寺 群馬県渋川市。

    熱波地帯伊勢崎市、明日は40度近くなるという。今日は早く仕事を切り上げ、墓参りにと思ってたけど、高速の渋滞で、仲間の心配も考慮して、宿のキャンセルをキャンセルして、ホテルからの西に手を合わせ、静かな、ほんのりした孤独に浸ってる所。伊香保、水澤寺の続きです。坂東観音様巡りの16番目、食料も待たず、ひたすら歩き続けた昔、今晩の宿で食する材料を、提供する名残は今でも続いていて、広場には、露店が並んでます。仲間と語らいながら、長旅の疲れを癒して、次は、17番栃木県出流山に向かうわけで・・。坂東33箇所巡りでの露店は、ここだけでした。ここは五徳山・水澤寺。宿の主人は、観音様巡りの人たちとわかると、一杯目の酒は、無料にする心配りする慣習が、有ったといいます。内陣天井には、迦陵頻伽(かりょうびんが)と、龍の絵が色彩濃く...長旅をいやす露店、五徳山・水澤寺群馬県渋川市。

  • 五徳山・水澤観世音。群馬県渋川市伊香保。

    👆だらしなく、ふてくされてる足は机の上、折角の休み2日間の昼間。テレビを見たり、漫画を観たり・・・とにかく、動くのがおっくう‼見えない歳の弊害・・。けど、ちと言い訳に、東北の水害のニュースを見ると、このままの恰好で、動けなくなるのですよね‼こんなふしだら恰好で、観音様の、ブログ記事を書く気がしれない‥ねッ‼あきれた‼水澤観世音・坂東三十三観音霊場群馬、よく通ったのに訪れたのは、今回で2回目。拝殿の前でちょろちょろ流れる、手水の傍に・・イワタバコ。開基された1300年前は・・👇無かったね👆風神👇雷神さま出たぁ~狩野探雲さんの龍。👇利根郡川場村の武尊神社の龍。法眼の位を授かっただけあって、ウン・・すごい迫力。👇今日は仁王門で〆て、階段から上の、拝殿はこの次に・・鞄につめこんでも割れない、漆のマグカップ、便利と...五徳山・水澤観世音。群馬県渋川市伊香保。

  • 赤城若御子神社。群馬県高崎市箕郷町。

    昨日、群馬からの帰り、冷たく心地よい車内で、ちょっと煙草、と、開けた1センチばかり隙間から38度の熱波が、一瞬の張り手一発、車内の冷気、土俵中央でばったり。熱波地帯だった出張先。榛名湖はまゆみの群生地、湖畔を巡ればあちらこちらに、圧巻は、榛名山の噴火した岩石が堆積しているオンマ谷のまゆみの里。ここを教えてくれたのは、山の師匠。探せない私に、幾度も手間をかけてしまった。秋になってピンクの果実が開けば、たかが花、私には、されど、されどの花、落ち着かなくなります。1731年に生まれた、群馬の彫り物師、関口文治郎さんの、特技は護身術で、免許皆伝を持ってた。彼には2人の子供がいて、父親の手伝いをした記録はあっても、親方として、社寺彫刻をしたという記録がなく、関口家では、文治郎だけがクローズアップされ、以後、彫り物師...赤城若御子神社。群馬県高崎市箕郷町。

  • ゆうすげの里から、懺悔の北野神社。群馬県高崎市箕輪。

    8月7日、ブログ記事探しに出かけた、群馬県榛名山。山麓のゆうすげの里を・・・日暮れから咲いて、見てもらず、人が来たら、さっさとしおれる。日暮れて懐中電灯で撮ったこともありましたが、今年は、訪れるのが遅かった。菅原道真公を祀っていて、近在からたくさんの方が、見ていく。看板に彫り物師、小林源太郎1861年作と・・。1799年に生まれた彼は、榛名山の門・双竜門を1855年に彫り上げたばかり。父親は、花輪彫刻集団の、石原吟八郎さんの、2代目吟八明義の弟子、小林源八さん。長谷川家の養子になって、存分に腕をあげたものの、普段は呑兵衛でぐうたら、けど、一旦火が付いたら、傍に置いた徳利さえ振り向かない程、血道を上げたという伝説。北野神社の覆屋の中の本殿には、昔の武士同士の戦いなら、お主、やるのう~七福神をモチーフに、緻密...ゆうすげの里から、懺悔の北野神社。群馬県高崎市箕輪。

  • 華のやまがた、山居倉庫。 山形市酒田市

    あと20~30年で、日本は明治を迎えるころ、ニュージーランドの南部の港で、捕鯨基地を作って、捕鯨船に荷を運び、食料など、火薬もあり、ラム酒も紅茶も、売主、ウィラー兄弟は羽振りが良かった。捕鯨船の従業員の10代の若者が日本、明治の頃海を歌った軽快な曲ニュージーランドの民謡に髭のおっちゃん👇25年もの間RAI響やトスカニーニ響、ミラノ・スカラ座フィレンツェのテアトロ・コムナーレなどイタリアの著名なオーケストラで首席奏者を務めたアンドレア・ジュッフレーディAndreaGiuffrediウイラーを吹く"Wellerman-SeaShanty"暑い‼しめたと思った休日なのに、出かけのドアを開けて、熱波に押され、回れ右した昨日。一日クーラーの温度調節のスイッチ係に。今日も、窓の外は関東、サウナ室‼明日から1週間、群馬...華のやまがた、山居倉庫。山形市酒田市

  • 庶民が飾った、歓喜院 ②-① 埼玉県妻沼。

    粋な、縁結びの蛇の目をひょいと肩に置いて、あついぞ‼熊谷久しぶりのリアルタイムの絵で投稿です。29日、群馬出張合間は、熊谷市妻沼・歓喜院へ一直線です。荘園領主だつた、斎藤別当実盛さんが、先祖代々の御本尊聖天さんを、1179年にお祀りしたという伝承で、次男斎藤六実長さんが出家して、1197年に本坊の歓喜院を開創した由緒。👆の説明の門が👇歓喜院から20分も歩けば東国にある、日本一の大河、あだ名は坂東太郎と、暴れ川。源流は群馬県みなかみ町の、大水上山1840mで、昔は東京湾に注いでた。今は改良されて、鹿島灘銚子の先に轟轟と。👆の門をくぐって一枚。日本一の酷暑地帯の12時30分、これから小一時間、暑気当たりしないよう、まず、腹ごしらえ。👇千代桝さんで・・・。明治の小説家、群馬、館山生まれの、田山花袋さんが、歓喜院...庶民が飾った、歓喜院②-①埼玉県妻沼。

  • 庄内砂丘で・・・山形県鶴岡市。

    「砂の女」を探しに、砂丘に行ったのですが。2019年、まだコロナ騒ぎがないころでした。ハマナスの群生地があって、野ブドウがなってた9月でした。千葉から旅行で訪れた学生が、離岸流に飲まれて、亡くなった1週間後のことでした。学生が短い命を落としたのは、山形県庄内砂丘の海岸、砂丘には、群生するウンランが、青年の命の代わりに目一杯、咲いていて・・・青森の大学で、講演を終え、汽車の中で見た、週刊誌のグラビア、作家・安部公房さんは、赤い番傘を吊るして、食事する異様な写真に、魅かれ、途中下車をして訪れたのが、庄内砂丘でした。彼は、上京して「砂の女」を、一気に書き上げたという。映画にもなって、岸田今日子さんの、裸体に滑る砂の官能美と、共同を嫌う都会の男と、共同体がなければ生きられない女。水の採集に成功して、7年、今更逃げ...庄内砂丘で・・・山形県鶴岡市。

  • 大瀬岬の守護神、大瀬神社。静岡県沼津市。

    何をやってんですかと、言われても、鼻歌は、なんで草は伸びる・・のか夏、元気なのは、草だけ~・・と。ところ嫌わず生えてくる草。昨日は、2時間ばかり、仕事場の出入り口で草むしりでした。お陰さまで、昨日は爆睡。差し入れの八つ橋が、今朝は生ぬるい。今のところ腹痛なし・・で大瀬神社。2日前、近くの山からの土砂が流れて、海水浴場は遊泳禁止になった、テレビのニュースに、ちと心配でした。👇7人家族の子ら、ベンチでいつまでも見ていました。大瀬海岸の130本のビャクシン(白慎)の群生地に、駿河湾を見渡せる丘に、火災で焼失して、昭和初めに建造された大瀬神社があります。祭神は、昔、土佐の地震で盛り上がった、土地を引いて伊豆に持ってきたという、引手力命。歴史は古く、源氏の再興を願って、為朝さん、頼朝さんが、弓、矢、兜を、宗近の名刀...大瀬岬の守護神、大瀬神社。静岡県沼津市。

  • 大瀬海岸。 静岡県沼津市

    仕事が終わって、また仕事。今年の年頭で練った予定を、ことごとく破ってる。時間が余ってる方が、いらしたら、少し裾分をして頂きたい‼高価買取、売って損は無しです。静岡県沼津市から伊豆半島を下って、40分ばかりところ、大瀬海岸、ここがビャクシンが繁る最北端。👆👆👇👇なんでこんな生え方をする?海中生物700種類サンゴも見れてシュノーケルがあれば、浅瀬でもきれいな魚が、近寄って、1年を通して、スキューバーダイビングのメッカ僅かな金と、暇が出来たら、もう一度、もう一度行きたい大瀬海岸おととし行ったばかりなのに大瀬海岸。静岡県沼津市

  • わたらせのせせらぎに、祥禅寺。群馬県みどり市花輪。

    仕事場から帰ってテレビ・・これが良くなかった。もう、今日のブログは出来上がってたはずなのに、平野レミさんの料理番組を見てしまった。なんつったって、楽しい・・。納豆にトマトにパクチーの上に生卵・・湯がくそうめんにエノキタケも入れて・・鶏肉のひき肉に玉ねぎ炒めて生卵の親子丼・・あみだくじは、どれになる?忘れずスーパーに・・👇みどり市花輪の祥禅寺、彫り師、関口文治郎の師匠・石原吟八郎さんと、師匠の師匠・高松又八さんの、お墓があるところ。👇今、無縁墓になった墓石をまとめて、わたらせ川の流れを見られるようにして。沼田藩の家臣だつた、蜷川佐平太さん、改め、高松又八さんの資料が残ってるお寺。花輪彫刻集団は彼がいなければ、群馬県・北関東の、江戸中期、後期の社寺の彫刻は無かった。それほどの方だったと思います。👇墓地へ、👇左...わたらせのせせらぎに、祥禅寺。群馬県みどり市花輪。

  • 竹林の風に、文治郎の墓参り。

    ♪~Stargazers~♬星に願いをOmarAkram勢多郡東村。1700年初頭から彫刻集団を形成し始めた村。1743年花輪へ2つの峠を越えて12歳の少年が、あかぎれの指に小さい仏像を抱えて、東照宮の飾り彫刻の修繕を手掛ける、公儀彫物師・石原吟八郎さんののもとへ。即決、弟子を許されました。以後、独立した後も吟八郎さんが亡くなる1767年、最後も看取ったのが、関口文治郎。彼の遺骨は、黒保根村の医光寺に在ります。医光寺は文治郎が、師匠を失って傷心のまま、隠れるように一人、21歳の時から、欄間に彫刻を施したお寺。👇その一部です関口文治郎、榛名山の榛名神社の海老虹梁の龍を彫り上げ、一度は給金の全額を、受け取りながら、一年後、彫物代金を全額、寄進した実話。更に一年後妻と子ら、ライバルらに看取られて・・・・1807...竹林の風に、文治郎の墓参り。

  • 八王子の散歩 子安神社。

    天から降ってきた男が、綺麗な人に恋をして、嫁さんにと娘の父に、父君、姉も一緒に貰ってくれと・・・姉を差し出したところ、果報者の男、妹に比べてブスの姉を送り返してしまい、姉さんイワナガ姫は呪う・・。私の子供を産めば、岩のような頑丈で長生きできたでしょうに・・、妹だけを選んだなら、生まれる子供は、木の花のように、はかなく散ってしまうでしょう・・と。一夜を共にして宿ったお腹の子は、ほんとに自分の子かと・・我儘で猜疑心の強い天から降った男に、妹は・・・産屋に火をつけ、その中で子供を産んで、神の子だと証をたてた。妹の名はコノハノサクヤ姫。人の命は石のように長く続くものではなく、短いものだと・・・彼女の孫に神武天皇が・・・。神話の話はベランダ、掌に夜露の色とりどりに照らして、今夜はノンアルコールビール。木花開耶姫命を...八王子の散歩子安神社。

  • 八王子・武蔵野陵 むさしののみささぎ

    甲州街道、八王子追分から高尾駅まで、4キロばかり銀杏並木。1929年に植えられた770本。一昨日12日、小雨の朝でした。信号、多摩御陵入口を右に曲がれば、欅の街路樹から公園が、南浅川の土手に・・・。高尾山あたりから流れる、南浅川の白い橋からは、高尾山が見えて、1キロの欅の街路樹。私は、大正天皇と貞明皇后の陵、多摩陵と多摩東陵、昭和天皇と、香淳皇后が眠ってる武蔵野陵と武蔵野東陵に向かってます。池を見た後は、京都の北山杉の並木が150本。鬱蒼としていて、びり砂利が敷き詰められていて、歩経路は樹脂舗装が施されていますが、皇族はこの歩きづらい、びり砂利の真ん中を、500mばかりの、多摩陵と武蔵野陵に、挨拶されます。👇1926年(大正15年)12月25日に崩御した、大正天皇大正天皇多摩陵が・・少し低めの陵は、195...八王子・武蔵野陵むさしののみささぎ

  • 桑都八王子市、河童の散歩 ①

    高気圧も嬉して夏バテ気味ですと、曇りに雨の知らせもありましたが、何日かぶりの八王子市の駅前に・・・。撮りたてのファイルは、なんとも小気味がいい。甲州街道の宿場町、武田信玄さんの四女、松姫が、山梨から敵の目を掻い潜って、八王子に住んで、蚕を育て、信松尼として、多くの人たちに、織物を教えました。👇桑の都は織物の町。そうとのみやこ。大学も高専を含めて23校の11万人が、八王子に住んでいて、学園都市としても・・・・。桑都八王子市、河童の散歩①

  • 心に残った北関東の社寺⑦ 月夜野神社 群馬県利根郡みなかみ町。

    夜中の雨、気づかず13時間の熟睡、部屋の向こうで、家の馬鹿亭主がさあ~おや、あんたとこもかい・・うちもだよ・・寝惚け眼、明けた冷蔵庫の中から、カウンターパンチ。合鴨のローストと、玉ねぎ、ニンジン、ブナシメジは、前に買ったものと、同じ物、所せましと、それぞれが、井戸端での会話、買った主を罵り合ってる。焼が回った、河童の日曜日。開き直って、小さな旅の、テレビの画面に、冷蔵庫の中の妻たちを、差し置いて、冷や麦の朝食・・・うまい‼群馬県利根郡水上町月夜野。ホタルの里、みなかみ町、月夜野、きれいな名の地名。早朝訪れたのは、2019年11月15日、月夜野神社。沼田藩の真田伊賀守信利さんが開創したという、神社。後世の、朱塗りの神楽殿が、朝陽に眩しかった。近在の吾妻谷神社から曳家にして運んだ、本殿は1792年、ここに。誰...心に残った北関東の社寺⑦月夜野神社群馬県利根郡みなかみ町。

  • 心に残った北関東の社寺 ⑥ 雷電神社、群馬県板倉町。

    群馬県、栃木県と茨城県の県境、雷の季節になると、渡良瀬川と利根川の水害も多く、徳川家光公の4男、館山徳川家初代藩主の徳川綱吉さんは、民を水害から守るのに1674年、聖徳太子が創建した小さい祠を再建して、でっかく造ってしまいます。更に、社殿を改装したのは、1835年。そこへ、2年前埼玉県小川町の八宮神社の彫物を終えた、石原常八主信さんが、駆け付けた。売れっ子であった。49歳。弟子たちも多く、晩年には金に困って、借金もした。郷土の料理は、鯰料理、雷電神社に置物があって、地震の災難除けにもなり、触ると自信が着くとも・・石原常八主信さんのおとッつぁんも彫り物師で、花輪彫刻集団の礎を築いた石原常八雅詖まさともさん、沢山の彫り物を残したけど、ほとんど火災に遭い、残って確認できるのは、八王子市、高尾山の薬王院に施した、...心に残った北関東の社寺⑥雷電神社、群馬県板倉町。

  • 心に残った北関東の社寺 ⑤ 八宮知神社 ②-② 埼玉県小川町

    明日から♬雨に歌えば♫の日が続く・・・氷水に、そうめんが欲しかった身体、久しぶりに昼寝の日曜日‼この歳になるまで、誰にも言えず、言わなかった一つに・・鬼百合のつぶツブ斑点・・山百合にも・・・泰然としていて、そばかす女性を見た瞬間には、我をわすれ、足元がふらつきこけそうに・・ブログはいい、言えなかったことが書けた、そばかすフェチ‼鍵を掛けてた、♫言えない袋♫を開けて、少し気が楽になった。♫井波彫刻長いのでスルーも・・川越街道沿い、埼玉県小川町の八宮神社の敷地には、青麻三光宮本殿があって、宮大工は林兵庫さん、八宮神社の棟梁で、青麻三光宮本殿を、造られたのは1842年で、八宮神社から12年経っていて、彫り物師の名は残されてなくて、新たな検証を期待しています。心に残った北関東の社寺は、埼玉県比企郡小川町の、八宮神...心に残った北関東の社寺⑤八宮知神社②-②埼玉県小川町

  • 心に残る北関東社寺 ④ 八宮神社 ① 埼玉県小川町。

    散りどきを、のがした余花、花弁の色もあせて、決断力が衰えて連日、釜ゆでに漬かって河童。くたばりを知らない、♪夏のお化け♫の異名、今年はもう、首をうな垂れて歩いてる。節電・・無理・むり。夏のお化け・・返上‼群馬県の呉服屋の、おかっぱ姿の少女が、大人になって、子を産んで・・、子は大人になって、この町に嫁いできた・・。それだけで、記憶から消えない町。人口、29000人ばかり、埼玉県比企郡小川町。♬小川町観光協会PR動画借りました紙すきの村に1830年頃、群馬の47歳の、石原常八主信さんが、円熟した彫物を施しました。宮大工、林兵庫正尊さんとは、名コンビです。本殿の造りは、大工と彫り物師の境なく、彫り物が建造物となるほどの、相互の信頼関係ですね‼心に残る北関東社寺④八宮神社①埼玉県小川町。

  • 心に残った北関東の社寺 ③ 武尊神社・川場村。

    薄根川沿い、奥利根湯けむり街道の田んぼ道は、サラドウダンやシャクナゲが咲くという、群馬県の北部に位置する、武尊ほたか山。浸食が激しく「武尊九十九谷」と謳われる豪雪地帯で山岳信仰の霊山。2020年の1月2日。👇赤城インターから見た武尊山毎年、上州武尊山スカイビュートレイルの名で、距離140キロ、累積標高差9200mを、タイムリミットを38時間として、男女合計600名が今年は、9月23日から25日の、日程で、山道を駆け抜けていく。武尊山の麓には、18社の武尊神社があり、この日事務局の女性👇が、大会の安全を祈願をして、毎日、武尊神社にお参りしていた。この年、大会はコロナで中止になって・・。武尊神社の彩色に目が天。炭酸カルシューム・蛤貝や牡蠣貝を長い間、風雨にさらして砕き粉にした顔料、胡粉を下塗りにした輝きの、欄...心に残った北関東の社寺③武尊神社・川場村。

  • 河童、雲の切れ間から、こんにちは‼

    雲の中に隠れて、このまま雲が晴れなかったら、どうしよう・・かと‼天からの声・・・素知らぬ振りには、心が痛かった。振り返って、見せる横顔が美しいの美人なら、幾度見ても心が和ごこうもの・・。開いて楓のプロペラでは・・・ねぇ~・・。尻に火が付いた仕事の思考回路の錯誤も、峠を越し、心に余裕・・。。もう雲に隠れなくて済みます。と、ベランダに心地よい風、八王子の夜景に心を置いて、いきなりの投稿は、舌ったらずのまま・・の・・こんにちはです。河童、雲の切れ間から、こんにちは‼

  • 河童、雲に隠れる。

    のほほんと、年寄りと思って仕事さぼってたら尻に火が付いて・・仕事はチャッチャッっと片づけますがとろくなった思考の回路・・ウン‼しゃきっとするまで・・河童ちょっとの間ほんのちょっと・だけ雲に隠れさせていただきます河童、雲に隠れる。

  • 心に残つた、北関東社寺 ② 桐生天満宮 ②-②

    ここ数日、仕事をさぼって、梅雨の前にと、掘っ立て小屋周りの草むしり、さすが年には勝てない。59歳、仕事前には武芸の免許皆伝を持ちふんどし一丁、禊の水を被ってから鑿を持つルーティーンを生涯続けた江戸中期の彫り物師関口文治郎見習う前に、寝起きの欠伸3発、決めた、今日は三食昼寝つき。桐生天満宮の社殿には彫り物がいっぱい。拝殿には向拝木鼻にちょびっとだけど本殿に回ると床下にも榛名神社、文次郎さんの最後の彫り、海老虹梁の龍を彷彿させる、龍の彫りは、文治郎さんだと・・・。本殿の後方の末社・春日には、室町時代後期の社で桐生では、一番古い建造物だと・・。不動明王の化身・倶利伽藍竜王。人の住むこの世を現し剣を外道、不動明王の龍を智と表現し、衆生の心の内に、仏と人が一体となることを、剣を飲む龍に表し。時が経って、倶利迦羅竜王...心に残つた、北関東社寺②桐生天満宮②-②

  • 心に残った、北関東の社寺 ② 桐生天満宮②-①

    👆日曜日、5月29日の桐生天満宮は群馬県、子供が背中で、何撮ってんの?北関東、心に残ってた社寺を撮るには、暑つっ・・熱かった‼桐生近辺を1187年から、支配していた桐生氏が、京都の北野天満宮の御分霊を合祀して「桐生天満宮」と改称した1350年、1778年から15年かけて、1793年落成した社殿は、1789年の棟札から、群馬渡良瀬川・花輪の近くに住んでた、関口文治郎、58歳。公儀御彫物棟梁関東彫物大工日光山彫物棟梁として、使いぱっしりを、自分の子供2人にして、弟子8人が装飾に技術を競うように、彫り上げたもの。1731年に生まれた関口文次郎さん末裔の方たちが語る伝説群馬県に数十回通い始めるきっかけが彫り物師・文治郎の人間像文治郎が武州公儀彫物棟梁として独自の世界を繰り広げた桐生天満宮の彫り物画質は悪いけどもう...心に残った、北関東の社寺②桐生天満宮②-①

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