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2015/11/20

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  • 宗教的人格が陥りやすい「優しさの罠」とは(中編)

    (「Aの幸福はBの不幸である」という考え方に欠けているもの)それと、もう一つ、これは哲学的な考え方にもあるのですが、個々をバラバラに見ていく考え方が一つあるのです。例えば、「Aの幸福はBの不幸である」というふうな考え方があると思うんですね。マルクスの考えなどもそうです。「ある人が幸福になれば、それで損をする人が出る。傷つく人が出る」という考え方です。これはわりあい多くの人間の頭のなかに入っている考えでもあるのですが、はたしてそうだろうかということです。この考え方でいくとどうなるかというと、例えば、会社勤めをしていると、「自分が出世すると、ほかの人の出世が遅れる」という考え方が出ます。「自分が課長になれば、誰かが課長になれない」と。いいですか。「自分が結婚すると、その結果、誰か結婚できない人が出てくる」と。こうい...宗教的人格が陥りやすい「優しさの罠」とは(中編)

  • 宗教的人格が陥りやすい「優しさの罠」とは(前編)

    (なぜ「自分だけよくなってはいけない」と考えてしまうのか)イエスの言葉に「私は自分が神の子であることを信じます。自分が神のただ一人の愛する子であることを信じます」とありますが、この言葉が引っ掛かって、「こういう大それたことはなかなか言えない。他の人々も神の愛する子ではないか」と思ってしまわないでしょうか。そう思う場合は、一つの“罠(わな)”に、今、入っていると思われます。この罠というのは、宗教的人格特有のものなのです。宗教的人格特有の罠は「優しさの罠」というふうにいわれるのですが、優しい性格を求めていくがゆえに、不自由な生き方をするのです。そして、いろいろなところで“落とし穴”に入っていく性格なのです。例えば、今のようなことと同じで、「神の独(ひと)り子(ご)として」というだけで引っ掛かります。「ほかの人はどう...宗教的人格が陥りやすい「優しさの罠」とは(前編)

  • 「疑問」と「不安」の思いについて(後編)

    (「マイナスの不安」と「プラスに転じる不安」の違いについて)それから、もう一つ、「不安」というものがありますね。不安にも、やはり、「マイナス」と「プラスに転じるもの」との二通りあると私は思います。ただ、不安のなかには、やや“否定的な部分”のほうが多いかもしれません。やや否定的なものが多いというのはどういうことかというと、不安の多くが、実際は悩みを生じさせているからです。不安というものが悩みを生じさせている。人の悩みというものは、本当は現在ただいまの悩みであることは少ないのです。現在ただいまではなくて、これから自分を迎えるであろう、漠然とした不安に怯(おび)えていることが多いのです。たいていの場合、そうです。過ぎてしまえば何でもないことですが、これから起きることに対する不安感でいっぱいなのです。それが人間を苦しめ...「疑問」と「不安」の思いについて(後編)

  • 「ロシア軍のウクライナ侵攻」で、首都キエフが制圧されるシナリオとは

    緊迫したウクライナ情勢について、国際関係アナリスト・北野幸伯さんのダイヤモンド・オンラインの記事からお伝えします。―――――ロシア軍がウクライナへの侵攻を開始した。ロシアは2月21日、ウクライナ東部ルガンスク、ドネツクの独立を承認。そして、両地域に「平和維持部隊」を送ることを宣言した。筆者は『ウクライナ侵攻をもくろむプーチンの「本当の狙い」はどこにあるか』で、「ロシア軍がウクライナに侵攻すれば、その目的は『ルガンスク、ドネツクのウクライナからの完全独立を達成すること』だろう。そして、事実上、ロシアの属国となる」と書いたが、悪い予想通りになってしまった。プーチンの目的は、何なのか?ロシア軍は、ルガンスク、ドネツクを越えて、ウクライナの首都キエフを目指すのだろうか?(北野幸伯)~~~~~~~~~~~~~~~~~~~...「ロシア軍のウクライナ侵攻」で、首都キエフが制圧されるシナリオとは

  • 「疑問」と「不安」の思いについて(前編)

    (「疑問」には、「探究心」と「猜疑心(さいぎしん)」の両面がある)「疑問自体がマイナスかどうか」というと、これには両面があると思うのです。疑問には両面があります。よいほう、プラスのほうで生かすとすると、「探究心の強さ」になると思います。いろいろなことに対して素朴に疑問を感じるということは、そういうふうに感じる人ほど、素晴らしい才能を持っている可能性は高いのです。そうした疑問を感じる能力がないと、例えば、科学者などにはなれないと思います。哲学者にもおそらくなれないでしょう。あるいは、神学者、宗教家にもなれないかもしれない。いろいろな人生の疑問に突き当たったときに、「探究していこう」という気持ちがあるからこそ、深いところまで行けるのです。そういう意味における「疑問」というのは大事にしなければいけません。ただ、「疑問...「疑問」と「不安」の思いについて(前編)

  • 海外で長く不安を抱えている人へのメッセージ(後編・下)

    (バブル潰しの時代を戦い抜く強さを)感染症学者が言っていることが全部正しいわけではありません。例えば、アルコールは全部禁止の飲食店もあり、ほとんどのお店は、お昼に行ってもアルコールは飲めないようになっています。アルコールがなくて、ノンアルコールのものばかり売っています。別に、私は酒を飲めるほうではないからどうでもいいのですけれども、酒を飲む人から見れば、「禁酒法の時代が来て大変で、密造酒がこれから出る」ころかもしれません。会社帰りに、路上で一人で飲んでいる人とかも増えてきて、おまわりさんが空き缶を片付けなければいけない時代に、今は入ってきていますので、やはり、本当かどうかという目は持ったほうがいいでしょう。彼らも万能ではないのです。やはり、私は、アルコールは一定の率でコロナウィルス等を殺す力があると思っています...海外で長く不安を抱えている人へのメッセージ(後編・下)

  • 海外で長く不安を抱えている人へのメッセージ(後編・上)

    (LGBTの“行きすぎ”に対する警告)今の札幌地裁的な「憲法十四条の平等原則から見たら、男女だけが結婚できるというのはおかしい。男と男、女と女も結婚できて、それこそが平等だ」という考えは、憲法解釈上、やはり誤っていると、私は思っています。ついに裁判官もこのくらいまで“イカれてきたか”と思っているのです。人間としての生存の権利とか行動の自由は、あることはあります。ただ、やはり、大枠で、公(おおやけ)の組織や文化等が次世代につなげていけるような価値観をなるべく護るように努力するのが、制度を護っている者たちの使命だと思うのです。例外がないものはないので、例外はあってもよい。それを虐殺(ぎゃくさつ)するとか、異常な弾圧下に置くとかいうことは間違いではあるけれども、主流のものの考え方をしている人を、むしろ異端みたいに扱う...海外で長く不安を抱えている人へのメッセージ(後編・上)

  • 海外で長く不安を抱えている人へのメッセージ(前編・下)

    (「自由の擁護」と「チャンスの平等」のバランス)世界の富を全部平準化して均(なら)すことは、不可能です。七十八億の人を同じ所得にしても、それは一瞬できても、一年後には一緒になりませんから、しかたがないのです。「自由」を求めれば、能力の差や努力の差は出てきます。ただ、常に「チャンスの平等」を与えるような努力は要ります。ハーバード大学で有名なマイケル・サンデル教授も、『能力主義は正しいか』(原題『TheTyrannyofMeritWhat`sBecomeoftheCommonGood?』)というような本を、2020年の終わりぐらいに出していたと思います。そこには、「ハーバード大学の学生や卒業生などをいろいろ調べてみたら、彼らのほとんどが、自分たちは勤勉さと能力によってハーバードに入って、道を拓いたと、そう信じている...海外で長く不安を抱えている人へのメッセージ(前編・下)

  • 海外で長く不安を抱えている人へのメッセージ(前編・上)

    (これから“新しいヒットラー”が現れてくる?)海外を見渡しますと、ロックダウンが解除されたと思えば、またロックダウンになったところもあり、一年以上ロックダウンが続いている国もあります。メンタル的にも「どうしたらいいか」ということで、不安がこの先も続くのであれば、どのような心構えをすればよいかと悩んでおられる人もいるでしょう。海外の状況には、いろいろなレベルがありますが、長く不安を抱えている人、「これからまた続くのではないか」ということで希望が見いだせない人、このような人々に対して、どのような心構えが必要なのでしょうか。コロナの流行は続きますけれども、実際には、コロナ自体よりも、コロナで怯(おび)えることのほうが怖(こわ)いというか、怯えることで委縮し、いろいろなものが、判断ミスをしたり、やる気がなくなったりする...海外で長く不安を抱えている人へのメッセージ(前編・上)

  • コロナ不況下での投資判断の基準について(後編)

    (今後の十年は“第二のバブル潰し”がやって来る?)前編では「強靭な経営をやらなければいけない」とも言いましたが、もう一つ、今来ているのは、“第二のバブル潰(つぶ)し”だと思ってください。そう思っておくと、いちばん間違いが少ないのです。「もう経済成長は止まった」と思っていたけれども、「現実にはバブルはたくさんあるのだ」ということです。高度成長期のようではないかもしれないけれども、やはり、「要らないものは、まだまだ、たくさんあったのだ」ということを、今、試(ため)されているのです。「社員の七割、八割が、会社ではなく自宅にいてもいい」という企業は、どれほどバブルの仕事をやっているのでしょうか。本当は、“最大のバブル”は役所でしょう。都庁は、今、仕事が増えて喜んでいることでしょうけれども、「こういうときのために、たくさ...コロナ不況下での投資判断の基準について(後編)

  • コロナ不況下での投資判断の基準について(前編)

    (「プラスを増やしてマイナスを減らす」が基本原則)コロナ禍のなかで、「ピンチをチャンスに変えていく」という意味では、「いかにして、自らの手金、お金を使っていくべきであるのか」を考えなくてはなりませんが、一方では、耐久力というものを維持する意味でも、*「ダム経営」ということが大切だと思います。この両者のバランスをどうすればいいのか。「お金の使い方」あるいは「投資判断の基準」はどうすべきなのでしょうか。[*ダム経営:経営に必要な人・モノ・金に余裕を持った経営をする方法のこと]基本は、防衛が大事ですから、普通の給料であれ、ボーナスであれ、あるいは会社の利益であれ、手堅く、蓄えるものは蓄えて、無駄な経費を使わない努力をすることです。「プラスを増やしてマイナスを減らす」というのは基本原則なのです。個人においても企業におい...コロナ不況下での投資判断の基準について(前編)

  • 景勝への教訓 ⑧

    上杉謙信について、このシリーズは今日で終わりです。―――――――――――――――――――――――――「おぬしは、自分がなにゆえ儂(わし)のあとを継ぎ、上杉の当主となって、三軍を指図(さしず)する身になるのか、分っておるか」景勝(謙信の養子、後の米沢藩初代藩主)はしばらく考え、かぶり(頭)をふる。「何も分りませぬ」謙信はうなずく。「儂にもしかとは分らぬ。われらが現世でのおこないはすべて、神仏の指図であろう。そうとすれば、神仏はなにゆえわれらに殺生をいたさせようとなさるのか。それを考えたことがあるか」「ござりませぬ」「そうであろう。儂は父老がみまかりしとき、葬列を出す時にさえ、甲冑(かっちゅう)をつけねばならぬ有様であった。眷属(けんぞく:一族、家来)を護るため、儂は十四のときから敵の矢面に立ち、知恵をしばって戦わ...景勝への教訓⑧

  • 直江兼続の行動は上杉家家訓と合致する ⑦

    今回のシリーズは、上杉謙信についてお伝えします。―――――――――――――――――――――――――鎌倉時代・室町時代から江戸時代にかけて栄え、上杉謙信や上杉鷹山(ようざん)らを輩出した上杉家には、代々受け継がれた家訓が存在する。その家訓こそが、群雄割拠の戦国時代から明治までの長い期間、上杉家を支えたのだ。中でもとりわけ有名なのが、上杉謙信が残した「上杉家家訓十六箇条」。この家訓に大きな意義があるのは、この家訓を残した上杉謙信の生き方が、時代を超えて尊敬されるべきものだったからにほかならない。謙信は“戦国時代″と呼ばれる群雄割拠の時代を生きながら、決して自分のために戦を行なうことがなかった。戦えば織田信長や武田信玄、北条氏康といった歴戦の戦国武将にもまったく引けを取らないどころか、その生涯においてほとんど負けたこ...直江兼続の行動は上杉家家訓と合致する⑦

  • 鉄砲を重視しなかった ⑥

    今回のシリーズは、上杉謙信についてお伝えします。―――――――――――――――――――――――――「上杉全軍団の軍役量は、全体で槍三千四百九人。手明(てあき:従者または歩侍)六百人。鉄砲三百人。旗三百四十八人。馬上五百三十五人。合計五千百九十二人である。上杉軍団の特徴は、鉄砲が槍の十分の一と比重の低いことである。当時、北条氏の軍役表を見れば、槍五十九丁に対し鉄砲十三丁。毛利氏では槍と鉄砲の装備比率が一対一となっている。謙信は永禄二年二度めの上洛の際、大友宗麟(おおともそうりん:戦国大名)が幕府へ献じた鉄砲の玉薬の調合法を記した書物を、将軍足利義輝から贈られた。だが、越後にいては、南蛮渡来の新兵器と弾丸硝薬は、畿内から入手するしかなく、鉄砲の普及は遅れざるをえなかった。そのうえ謙信も鉄砲の使用に積極的ではなかった...鉄砲を重視しなかった⑥

  • 「上杉陣」「武田陣」⑤

    今回のシリーズは、上杉謙信についてお伝えします。―――――――――――――――――――――――――戦争とは、結局、人の力と力との高度なあらわれである。古今、いつの時代であろうと、その行動の基点から帰速まで、人の力にあることに変りはない。政略、用兵、経済、器能の働きはもちろん、自然の山川原野を駆使し、月光烈日の光線を味方とし、暗夜暁闇(ぎょうあん)の利を工夫し、雲の去来、風の方角、寒暑湿乾の気温気象にいたるまでのあらゆる万象を動員して、それに機動を与え、生命を吹き込み、そして「我が陣」となす中心のものは人間である、人間の力でしかない。また、箇々のものも、他に求められるまでもなく、各々磨かなければ、時代の戦国を生きぬいては行かれない。どしどし踏みつぶされ、落伍してゆく。惜しまれるものの生命すら、顧みられず、また、顧...「上杉陣」「武田陣」⑤

  • 第四次川中島の真の勝利は ④

    今回のシリーズは、上杉謙信についてお伝えします。―――――――――――――――――――――――――この永禄四年の川中島の大戦というものは、いったい甲越のいずれに真の勝利があったものか、武門はもちろん世上に一般の論議になり、ある者は、謙信の勝ちといい、ある者は信玄の勝利といい、当時からすでに喧(やかま)しい是々非々が取交わされていたらしい。太田三楽入道(太田資正:おおたすけまさ。戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。太田道灌(どうかん)の孫)は、戦国の名将として、妙なくも五指か七指のうちには数えられる兵学家の一人であるが、その人の戦評として、次のようなことばが伝えられている。「川中島の初度の戦(明方より午前中の戦況)においては、正しく十中の八まで、謙信の勝目なりと言っても誇張ではない。陣形から観ても、上杉の先鋒...第四次川中島の真の勝利は④

  • 信玄との一騎打ち ③

    今回のシリーズでは、上杉謙信についてお伝えします。―――――――――――――――――――――――――何か、附近で、異様な大声がしたので、ひとしく、そこに在った者が、うしろを振向いたとき、「信玄っ、そこかっ」と、巨大な猛獣に踏み股がった巨大な人間のすがたが、すぐ前に大きく見えた。「あっ.謙信」ここにいた者は直感したにちがいない。帷幕(いばく)のうちではあり、君側まぢかにいた人々はみな檜とか長巻とかの武器は持っていなかった。また一時に、「すわ」と、狼狽(ろうばい)した味方同士のあいだでは、太刀を引抜く間隔さえお互いに保ち得なかったので、「おのれッ」ひとりの法師武者は、そこにあった床几(しょうぎ:折り畳み式の腰掛け)を遠く投げつけた。当たったか、当たらないか、床几の行方も知れない。ただ雨の如く杉の柴(しば:小枝)がこ...信玄との一騎打ち③

  • 大義にはつくが小義にはつかない、理想へは独往邁進 ②

    今回のシリーズでは、上杉謙信についてお伝えします。―――――――――――――――――――――――――由来、謙信は多感な質である。激しやすく感じやすい。二十歳ごろまでは、まま女のごとく泣くことすらあった。その前後には、多感なるばかりでなく、多情の面も性格に見られたが、翻然(ほんぜん:ひるがえす)、禅に入って心鍛をこころざしてから一変した傾きがある。といっても、多情多感な性は、もとより持って生れたもの、禅によってそれが血液から失くなるはずはないが、その強烈を挙げて、将来の大志へ打ちこめて来たのである。大義にはつくが、小義にはつかない。怒れば国の大事か武門の名かで、平常は至極無口になった。たいがいなことは、切れ長な瞼(まぶた)の辺で笑っている。ちと、壮年者には似あわないがそういう風格に変じて来た。そのかわり理想とする...大義にはつくが小義にはつかない、理想へは独往邁進②

  • 謙信の義戦を支えた巨大な財力 ①

    今回のシリーズでは、上杉謙信についてお伝えします。―――――――――――――――――――――――――謙信は義戦と称して信濃、関東、さらには越中、能登としきりに兵を動かした。しかし越中、能登を除けば実効的支配を行い、租税や賦役(ぶえき:農民が領主から課せられた労働と地代のこと)を課したところはない。配下の部将たちはそのことに不満をもたなかったのだろうか。謙信という将帥(しょうすい)の人間性に心服していたとしても、命を的にして働くのである、何らかの恩賞がなければ、部将たちも懸命に働いてくれないのではないか。一方で、謙信は天文二十二年(一五五三)と永禄二年(一五五九)の二度にわたり、数千の兵を率いて上洛し、天皇家、将軍家、あるいは京都や奈良の有力社寺に莫大な献金を行っている。その資金はどこから出たのであろうか。謎を解...謙信の義戦を支えた巨大な財力①

  • 今の日本に必要な思想とは?

    今日も国際関係アナリスト・北野幸伯さんのメルマガからお伝えします。~~~~~~~~~~~~~全世界のRPE読者の皆さま、こんにちは!北野です。私が、28年住んだモスクワから完全帰国して、まもなく3年になります。生まれ育った故郷で暮らすのは、実に幸せです。日本人は、勤勉で、正直で、親切です。日本国は、自然が豊かで、清潔で、安全です。もちろん、問題もあります。私は、日本国最大の問題は、国民の多くが「希望を失っていること」だと考えています。それで、希望を取り戻すために、帰国後2冊の本を出しました。一冊目は、日本に希望を取り戻すためのマクロ政策を論じた「日本の生き筋家族大切主義が日本を救う」二冊目は、日本に希望を取り戻すために、個人はどう生きるべきかを書いた、「新日本人道」,興味がある方は、是非ご一読ください。(「日本...今の日本に必要な思想とは?

  • ドラッカー「カリスマ」と「いい指導者」

    今日も国際関係アナリスト・北野幸伯さんのメルマガからお伝えします。~~~~~~~~~~~~~全世界のRPE読者の皆さま、こんにちは!北野です。偉大な経営学者ピーター・ドラッカーの●「新しい現実」ピーター・ドラッカー詳細は↓https://amzn.to/3I24L6kを読んでいます。ドラッカーさんは1909年、オーストリアで生まれました。ユダヤ系です。若いころはジャーナリストで、政権につく前のヒトラーにインタビューしたこともあったとか。1933年、反ユダヤ主義のヒトラーが政権をとったことを恐れ、イギリスに移住。1939年には、アメリカに移住しています。アメリカでは、ベニントン大学、ニューヨーク大学、クレアモント大学の教授を務めました。ドラッカーさんは、「マネジメント」という概念を発明したことで知られています。私...ドラッカー「カリスマ」と「いい指導者」

  • 史上最強の【悪の天才】は誰?

    今日も国際関係アナリスト・北野幸伯さんのメルマガからお伝えします。~~~~~~~~~~~~~全世界のRPE読者の皆さま、こんにちは!北野です。皆さん、史上最強の【悪の天才】は誰だと思いますか?これはもちろん、私の個人的意見ですが。スターリンだと思います。なぜ?スターリンは1878年、現在のジョージアで生まれました。ジョージア、1991年のソ連崩壊で独立をはたした。しかし、スターリンが生まれた当時は、ロシア帝国の一部でした。スターリンは1905年、27歳のときに、レーニンと知り合います。スターリンは、レーニンに絶対的忠誠心を見せ、どんどん出世していきました。1917年10月、いわゆる「ロシア革命」が起こった。レーニンはその後、「新政府」にあたる「人民委員会議」のトップに就任。彼には、側近が4人いました。「赤軍の父...史上最強の【悪の天才】は誰?

  • あなたは、どこで【自虐史観】を植えつけられた?

    今日も国際関係アナリスト・北野幸伯さんのメルマガからお伝えします。~~~~~~~~~~~~~全世界のRPE読者の皆さま、こんにちは!北野です。私たちが、「自虐史観」にとらわれていること、最近はずいぶん「意識化」されるようになってきました。「自虐史観」の本質は、何でしょうか?・日本は、悪い国です・日本人は、悪い民族ですこういう思考は、大きな問題を引き起こします。まず、元気がでない。「僕の国は悪い国だ。僕は悪い民族の出身だ。僕のご先祖様は、悪人だ。」こう考えている人は、下を向いて、なるべく目立たず生きていこうとするでしょう。もう一つ、思考が停止してしまう。たとえば、「第2次大戦で日本が負けた原因」を知ることは大事です。もちろん、次の敗北を免れるために。しかし、日本では、客観的、理性的に「敗戦理由」が分析されていませ...あなたは、どこで【自虐史観】を植えつけられた?

  • 2022年、世界はどうなる?

    今日は国際関係アナリスト・北野幸伯さんのメルマガからお伝えします。~~~~~~~~~~~~~全世界のRPE読者の皆さま、こんにちは!北野です。皆さん、年末年始は、いかがお過ごしでしたか?私は、妻子と共にスキーにいったり、温泉にいったりしていました。どこに行っても人だらけで、活気が戻っているのがわかります。ありがたいことです。しかし、新型コロナの第6波がまだ終息していないので油断はできません。それでも、2020年とは状況が違います。2020年は、新型コロナのことが全然わからなくて恐怖でした。マスクを入手するのも困難だった。今は、新型コロナのことがよくわかり、マスクはどこでも買うことができる。ワクチン接種で、高齢者の死亡率が下がっている。飲み薬もできている。大局的に状況はよくなっている。ですから、凹まずに進んでいき...2022年、世界はどうなる?

  • 世界が株主第一主義の弊害に気づき始めた

    この章は、「歴史が証明する日本の力」について、お伝えします。―――――――――――――――――――――――――――――アメリカが今、かつての日本を目指しているということは前述しましたが、アメリカが反省を始めたもののひとつに、株式第一主義があります。それも国際金融の画策で生まれたものですが、とにかく「会社は株主のもの」という考えを推し進め、それを世界の国に真似させようとしてきたのです。日本も少しは真似をしました。しかし、世界の中でもいち早くその弊害に気づいたのが日本です。アメリカの場合、会社を財産継承という発想でとらえます。会社は売買できるモノだという考えで、商法の規則をはじめとする法律はそういうふうにできています。そこには会社で働く人の生活を守ろうとか、社員みんなで幸せになろうなどという理念はありません。あくま...世界が株主第一主義の弊害に気づき始めた

  • 黒人水兵の名誉

    この章は、「歴史が証明する日本の力」について、お伝えします。―――――――――――――――――――――――――――――時代は前後しますが、こんな話もあります。真珠湾攻撃の当日、ある黒人兵士が目の前にあった機関銃で飛んでくる日本の戦闘機を撃った。ところが、その彼は、重罰に処せられ、南方戦線に転任させられました。黒人は武器にさわっちゃいかん、白人を撃つかもしれないからということでした。当時、アメリカ海軍は軍艦に黒人の兵士は乗せていませんでした。乗っているとしても、洗濯係かキッチン担当でした。だから私はアーチ・クレメンスというアメリカの第七艦隊司令官と食事をしたときにその話をしました。「その黒人水兵は処罰されて、ガダルカナルとかへ送られて、たぶん戦死したと思うが、名誉を回復してあげるべきだ」と――。その後、彼はハワイ...黒人水兵の名誉

  • アメリカ公民権運動と日本

    この章は、「歴史が証明する日本の力」について、お伝えします。―――――――――――――――――――――――――――――アメリカでは、1950年代に入るとアフリカ系アメリカ人が、公民権の適用と人種差別の撤廃を求めて大衆運動を起こしていきます。当時のアメリカ人は黒人を激しく差別していました。たとえば、バスには「白人専用及び優先座席」が設けられていました。そんな中、アラバマ州モントゴメリーで黒人女性ローザ・パークスが公営バスの「白人専用及び優先座席」に座ったことに対して、白人の運転手が白人客に席を譲るように命じたが、パークスがこれを拒否したため、「人種分離法」違反で警察官に逮捕され投獄されるという事件が起こります。それに対し、キング牧師らがモントゴメリー市民に対して、1年にわたるバス・ボイコットを呼びかける運動(モン...アメリカ公民権運動と日本

  • 日本を見て立ち上がったアジアの人々

    この章は、「歴史が証明する日本の力」について、お伝えします。―――――――――――――――――――――――――――――1981年から2003年まで、21年間にわたってマレーシアの首相を務めたマハティール氏が大変な親日家であることはよく知られています。彼は、イギリス領マラヤに生まれました。彼は日本軍のマレー半島侵攻が始ったとき高校生でしたが、「白人は無敵なんだから、日本はすぐに負ける」と思っていたようです。しかし日本軍は快進撃を続け、あっという間にマレー半島からイギリス軍を追い出してしまいました。そのとき、マハティール氏は初めて「白人が敗北することもある」と学んだと言うのです。そうした思いを抱いていたのはマハティール氏ばかりではありません。中国、北朝鮮、韓国を除く多くのアジアの国々は日本が欧米列強と戦ったことに対...日本を見て立ち上がったアジアの人々

  • 「日本は無条件降伏した」という噓

    この章は、「歴史が証明する日本の力」について、お伝えします。―――――――――――――――――――――――――――――また、誤った戦後教育のせいで、「日本はポツダム宣言を受け入れ、無条件降伏した」と思っている日本人が少なからずいるようです。しかし、それは大きな間違いです。ポツダム宣言は全部で十三条からなっていますが、その十三条目には次のように書かれています。「我々は日本政府が全日本軍の即時無条件降伏を宣言し、またその行動について日本政府が十分に保障することを求める」我々とは、アメリカ大統領のトルーマン、中華民国主席の蒋介石、イギリスの首相チャーチルのことですが、これを読んでもわかるように、連合国は「日本の軍隊」に無条件降伏を求めたのであり、決して日本という国自体に無条件降伏を求めたわけではなかったのです。ところ...「日本は無条件降伏した」という噓

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