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2015/11/20

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  • 「親善」と「戦争」のあいだ

    繰り返すが、日本には力がある。日本人は、訪れる国難のレベルに応じて自らを決せられる力、ポテンシャルを持っている。だが、誰であれ指導者たらんとするならば、その力を活かす外交術を歴史に学ぶ必要がある。大東亜戦争時の指導者に最も欠けていたのがそのセンス、柔軟な感覚だった。たとえば、1941(昭和16)年12月10日、日本海軍航空隊は、イギリスが誇る戦艦プリンス・オブ・ウェールズとレパルスをマレーシア沖であっという間に撃沈した。時の首相チャーチルは、「日本人は不思議である。交渉ということを知らないらしい。交渉の最初はどこの国でも少しは掛け値をいうものだが、日本人は反論せずに微笑をもってそれをのんでくれる。そこでもう少し要求をエスカレートさせてみると、また微笑をもってのんでくれる。しかし、それを続けると、あるとき突然顔を...「親善」と「戦争」のあいだ

  • 庶民は「有事」を理解している

    ここで今日の日本に戻ろう。「国民が幸福なとき、偉大な政治家は要らない」と書いた。逆をいえば、「国民が不幸なときは、偉大な政治家が必要」となる。口を開けば外国との「友好親善」しか説かず、また国連第一主義しか方針がないような、開発援助金の配布先も要請主義を貫き、摩擦回避を専一にするなどのレベルの政治家ばかりだと、民間のパワー(中流の力)が弱まった時点で日本は坂道を転げ落ちてしまうだろう。繰り返すが、「暗黙知」を備えた中流(庶民)が社会の主流を占めているかぎりは、指導者が偉大でなくとも日本は大丈夫である。「人に頼らず計画的に生きてゆける」という庶民の強さが、政治の非力を補って国を支える。戦後を見ても、大方の国民(庶民)は、日本国憲法が日本人の心、身の丈に合わないものだという違和感をどこかに抱いてきた。そうでなければ、...庶民は「有事」を理解している

  • コサック騎兵隊は「放浪者」

    日本は明治維新で「四民平等」となった。以後、陸軍士官学校も海軍兵学校もその扉はすべての「国民」に開かれた。海軍兵学校の教師に招かれたイギリス人は、生徒の出身が四民平等になっているのに驚いている。そもそも西欧の軍隊の階級制度は、かつての社会的な身分制度を引きずっている。ヨーロッパの軍隊の士官はほとんどが貴族出身で、彼らと下士官兵とは身分のうえで天と地ほどの差があった。ヨーロッパの軍隊では士官はまさに絶対的存在で、下士官に対する指揮命令も絶対だった。日露戦争の頃、フランスとロシアは同盟国だった。フランス軍から観戦武官が派遣されロシア軍に従軍していた。その観戦武官の日記に日本人からは信じられない記述がある。フランス観戦武官の乗馬が脚を痛めて動けなくなり、これから戦場に移動するのに予備の馬がない。ふと見ると、草原の向こ...コサック騎兵隊は「放浪者」

  • 内部争いのコストがゼロの江戸時代

    今日は日下公人著書「『超先進国』日本が世界を導く」より転載します。歴史的に日本の庶民が指導者というものをどのように考えていたか、また指導者が庶民をどう考えていたかを見てみよう。日本の庶民の水準の高さは以前にも述べたが、たとえば司馬遼太郎の『世に棲(す)む日々』にも、<徳川社会というのは知識人口の厚さという点では同時代のヨーロッパの文明国を抜きんでているが、その特徴のひとつは知識人口が首都である江戸に集中しておらず各藩に分散していることであり、むしろ江戸のいわゆる旗本八万騎の教育水準よりも田舎の諸藩のそれのほうが高いことであった>という記述がある。藩校というのは、もともと藩士とその子弟を対象にした藩直営の教育機関だったが、やがて多くの藩校が庶民の聴講も認めるようになった。士分による民衆の教化という面が強かったが、...内部争いのコストがゼロの江戸時代

  • 真剣勝負のなかに創造的アイデアが湧く(後編・下)

    (社長が本気でぶつかるとき、創造的アイデアが生まれる)自社の社員が一生懸命に働いている姿を見て、「何とか報(むく)いたい」という気持ちを持つことです。経営者として、そういう気持ちを持っていなければ、大手の有名企業や一流企業などとぶつかったときに、相手の会社の格(かく)などに、どうしても負けてしまいます。向こうは、看板(かんばん)が大きく、エリート社員をたくさん持っていて、偉(えら)そうに見えるので、ひるんでしまうのです。ときには、一流企業の若いエリート社員が、中小企業の社長に対して、軽くあしらうような態度で、偉そうにものを言ってくることがあります。商談で先方に出向いても、対応に課長クラスさえも出てこないで、主任や係長、平社員あたりが出てきて、「まあ、考えておきます」という感じで、てきとうにあしらわれることがある...真剣勝負のなかに創造的アイデアが湧く(後編・下)

  • 真剣勝負のなかに創造的アイデアが湧く(後編・上)

    (企業経営も「真剣勝負」の世界である)宮本武蔵の例を出しましたが、企業経営であっても、真剣勝負と同じようなことは起きるだろうと思います。「六十数人対一人」で戦わなければいけないような状況とは、「巨大企業」対「町の中小企業」のような戦いでしょう。IBMや日本で言えばソニーやパナソニックや日立のような巨大企業と、中小企業とが、同種の商品で、がっぷり四つに組んで戦わなければいけない状況が出てきたら、おそらく、そのような感じになるでしょう。あるいは、自分が恩義を受けた人と敵対しなければならないような局面が出てきたり、いろいろなライバル企業が出てきたりすることもあるでしょう。そのときには真剣勝負です。例えば、相手が、値切ってきたり、「商売の相手を替えるぞ」と言ってきたりするようなときにも、やはり、真剣勝負の気持ちがなけれ...真剣勝負のなかに創造的アイデアが湧く(後編・上)

  • 真剣勝負のなかに創造的アイデアが湧く(前編・下)

    (「巌流島の対決」における一撃必殺のアイデア)武蔵のいちばん有名な戦いは、佐々木小次郎と戦った「巌流島(がんりゅうじま)の対決」でしょう。「武蔵、卑怯(ひきょう)なり」という声もあったのですが、ただ、現代の時代考証(こうしょう)によれば、「必ずしも卑怯だったとは言えない」と言われているのです。武蔵は、戦いの前夜に行方不明になっているのですが、それは、自分を推薦(すいせん)してくれた人に迷惑がかからないようにするためでした。彼は、ある船宿に身を隠していて、そこから出撃するのです。また、巌流島には敵側が大勢いたので、「決闘で小次郎を倒したあと、どうやって逃げるか」ということまで考えておかなければなりません。そのため、武蔵は、沖に逃げやすいように、引き潮になる時間帯を選んで行っているのです。そして、敵の佐々木小次郎は...真剣勝負のなかに創造的アイデアが湧く(前編・下)

  • 真剣勝負のなかに創造的アイデアが湧く(前編・上)

    (何事においても「真剣勝負」の気持ちを持つ)アイデアを出すに当たって、熱意は大事ですが、熱意という言葉だけではまだ不十分であり、さらに言うならば、「真剣勝負の気持ちを持たなければいけない」ということです。仕事のみならず、何事においても、「人生は真剣勝負だ」と思わなければいけません。真剣勝負とは、本来、刀で命の取り合いをすることであり、負けたら今世の人生は終わりになります。そう思えば、やはり、考えうるかぎりのことを考えるはずです。鍛錬(たんれん)もするでしょうし、いろいろな作戦も考えに考えるでしょう。「負けたら、人生はそれで終わり」ということであれば、必死になります。真剣勝負という言葉で思い浮かぶのは宮本武蔵です。現代では野球選手のイチローが「宮本武蔵のようだ」などと言われていますが、雰囲気(ふんいき)は少し似て...真剣勝負のなかに創造的アイデアが湧く(前編・上)

  • 強い熱意がアイデアを引き寄せる

    アイデアについて、一般的に言われていることとは少し違うことも述べておきたいと思います。前述のように、「馬上・枕上(ちんじょう)・厠上(しじょう)」の三上(さんじょう)や、散歩中、喫茶店にいるときなどに、アイデアが出やすいとされていますが、それらに共通する条件は「リラックスしていること」ということです。例えば、馬上に関しては、「乗り物に乗ってリズミカルに揺(ゆ)られているうちにリラックスしてきて、アイデアが出やすい」と言えますし、寝(ね)ているときやトイレのなかにいるときも、リラックスして、くつろいでいます。お風呂のなかもそうでしょう。特に、女性の場合は、お風呂は楽しみの一つかもしれません。ビジネスで疲れた人のなかには、香りを立てたり、浴室を暗くしてロウソクをともしたりし、何か怪(あや)しげな雰囲気のなかで、お湯...強い熱意がアイデアを引き寄せる

  • アイデアが生まれやすい場所(後編)

    (散歩中や静かな喫茶店などでもアイデアはよく出る)この「三上」以外にも、「散歩中にアイデアがよく出る」ということが一般的には言われています。それは、「散歩をすると、目に映る景色が変わっていくため、普段の日常生活から心が遊離(ゆうり)してくる」という面と、「歩くことによって血液の循環(じゅんかん)が良くなり、頭の血の巡(めぐ)りが良くなってくる」という面があるからです。散歩中にアイデアを思いつくこともありますし、散歩のあとに、たくさん本を読むことができたり、仕事上のアイデアを一気に思いついたりすることがよくあります。したがって、現代では散歩も非常に大事なものだと言えます。お金のある人なら、海外へ行き、海岸などで保養をする方法もあります。海辺で、一日、波を眺めていると、同じような効果はあるでしょう。そこまでする余裕...アイデアが生まれやすい場所(後編)

  • アイデアが生まれやすい場所(前編)

    (伝統的な三つの場所――馬上・枕上(ちんじょう)・厠上(しじょう))「アイデアと仕事について」というテーマで述べていきます。この内容は、経営者向け、一般の人向け、学生向けなど、さまざまなレベルがあって、一般化することは難しいので、総論的な内容を述べたいと思います。昔から、一般的に、「アイデアは三つの場所で生まれる」とよく言われます。年配の方はご存じかもしれませんが、その三つの場所とは「三上(さんじょう)」といわれる「馬上(ばじょう)」「枕上(ちんじょう)」「厠上(しじょう)」です。伝統的に、アイデアが浮かぶ所は、「馬の上」と、「枕(まくら)の上」、つまり寝ているときと、「厠(かわや)の上」、つまりトイレのなかの三つだと言われているのです。一番目は「馬上」です。現代では、一部の職業を除いて、普通の人は馬には乗りま...アイデアが生まれやすい場所(前編)

  • 異性経験の多さが魂に与える影響とは(後編・下)

    (「色情霊が憑いている者同士」が惹かれ合うことも多い)以前に述べましたように、「海水を飲んでも飲んでも、喉の渇きは癒えない」というのと同じで、まあ、恋多き人はいてもいいとは思うんですけれども、ただ、お酒を毎日飲み続けなければたまらないような状態で、異性を求め続けたりするような感じになりますと、もう霊的な感覚はかなり薄れてくるし、おそらくは、色情(しきじょう)霊といわれるものにも取り憑(つ)かれてくることになると思うので、自分の思いではなくなって、憑いているものの思いで惹かれていく。だから、「色情霊が憑いている者同士が惹かれ合って・・・・・」ということも多いのではないかと思います。そういう人の将来の行く手は明らかで、そういう人たちが集まるところに行くことに、結局なる。これは男女のなかでもそうですが、同性愛のなかで...異性経験の多さが魂に与える影響とは(後編・下)

  • 異性経験の多さが魂に与える影響とは(後編・上)

    (「社会的責任を負おう」と思う人が出てくることが大事)古い考えであろうとは思うが、やはり、「結婚が許されるようなレベル」というのはあるだろうと思います。学業がいちおう終わって、職業選択がある程度できて、食べていける目処(めど)が立って、結婚して二人の生活、あるいは子供ができても、何とかやっていける目処が立っている。そのくらいになってから、男性は本気で相手を探すぐらいでよいと思うし、追いかけ回すよりも、結婚してもいいぐらいの自分になったときに、「必然的に、そういう人が現れてくる」のではないかなと思います。女性も、同じようなことは言えると思うのです。プレイガール化する方も多いかとは思いますが、これも、なかなか男性に満足できないで、終わりがない世界で、次から次へと新しい男性を取っ替え引っ替え、まるでチョコレートでもい...異性経験の多さが魂に与える影響とは(後編・上)

  • 異性経験の多さが魂に与える影響とは(前編・下)

    (学齢期に異性遍歴にのめり込むとどうなるか)のめり込む感覚の多くは、唯物(ゆいぶつ)的なもののほうに走っているところが多いのではないかと思うのです。まあ、「動物的に」といいますか、そうした、エネルギー的に余剰(よじょう)があって、どうしても、「恋愛とか、愛とかいうものを通して異性間の気持ちを育もう」という傾向を抜きにしてですね、「即物(そくぶつ)的に相手を手に入れよう」というか、「その気持ちを晴らそう」というような傾向は、よく出てきているのではないかなと思います。年齢相応に人間の感覚も違ってくるので、必ずしも一緒には言えないとは思いますが、特に、学齢期の方ですね。小学校、中学校、高校などが中心ですが、あと大学も、真面目(まじめ)に勉強するかしないか、人によってもちょっと違いはあると思いますけれども。そうした学齢...異性経験の多さが魂に与える影響とは(前編・下)

  • 異性経験の多さが魂に与える影響とは(前編・上)

    異性経験の多い人のなかには、異性経験が多いことを「人間的価値が高い」と考える人もいると思います。例えば、男性として、あるいは女性として魅力があるとか、それによって人間の幅が培われているんだとか、この世的にも賢いというか、知恵があるとか、「それが人間としての価値である」というように考え、逆に、異性経験のない人をバカにしたりする人も見られます。そのような考えや行いが魂に与える影響や弊害(へいがい)等はどのようなものなのでしょうか。(「情欲の渇き」は海水を飲むようなもの)時代的には、やや難しい時代に入っているのかなと思います。今は、日本人だと、五十歳で結婚したことない男性が四人に一人、女性は七人に一人いると言われているので、昔より結婚しなくなってきているし、晩婚化も進んでいます。男女共に、三十歳、三十一歳近くになって...異性経験の多さが魂に与える影響とは(前編・上)

  • 情欲と修行への悟り(後編)

    (「宗教的人間かどうか」を判定する“リトマス試験紙”とは)経験的に見れば、精力的なものをよく食べていたりしてエネルギーが余っていれば、異性に対する煩悩も強くなりますから、そういう“唯物的なところ”もないわけではありません。断食行(だんじきぎょう)はいろいろな宗教にもありますけれども、断食している間に、多少、霊的な感覚が身につくようなところもあるのかなと思うところもあります。そういうことはありますが、これには、ある意味で、「その人が宗教的人間であるかどうか」を判定するための、簡単な“リトマス試験紙”になるところもあります。「肉体感覚から来る思いを、もう一段高次な自分がコントロールできる」という視点を持っている人は宗教的人格と言えますが、この世的なものに起因する、いろいろな反射的行動、情報に対する行動で動く心を持っ...情欲と修行への悟り(後編)

  • 情欲と修行への悟り」(中編)

    (悟りとは「肉体に宿りながら、魂の感覚で生きること」でもある)「眼・耳・鼻・舌・身・意」で男女の問題を感じることも多いのですが、それ自体は本能に基づくものだろうと思います。「魂が肉体に宿っている」とはいっても、肉体に乗っているかぎり、感じるものではあろうと思うのです。ただ、釈尊は、「本当にそうなのか。それは、おまえの眼が、そう判断しているのではないか。耳の判断ではないか。鼻ではないか。舌ではないか。あるいは手触りとか、胸が急にときめいたとか、そのようなことではないか。あなた自身の本当の思いなのかどうか。よく考えてみよ」というようなことを言うわけです。それは、「いろいろな感覚器官から来る反応、その自分の反応の快・不快によって感じるものを、もう少し分析的に見て、理性的になれ」というようなところでしょうか。その正反対...情欲と修行への悟り」(中編)

  • 「情欲と悟りへの修行」(前編)

    (「情欲と悟りへの修行」は仏教ではメジャーなテーマ)このテーマは、仏教ではけっこうメジャーなテーマです。というのも、釈尊(しゃくそん)が悟りを開き、教えを説いた始まりに関係があるからだと思います。自分自身の探究から入っているわけですが、要するに、釈尊の悟りは、「眼(げん)・耳(に)・鼻(び)・舌(ぜつ)・身(しん)・意(い)」という、「六つの煩悩(ぼんのう)の発生源」に関するものなのです。「眼(げん)」というのは眼(め)です。眼で異性を見て、「好ましいな」と思う。「ああ、あの子はきれいだな」とか、「この人は男前だな」とか思う。眼で恋をする。「耳(に)」は耳(みみ)です。声を聞いて、「ああ、あの歌声が美しいから、あの歌手に惚(ほ)れてしまう」というようなこともあります。そのように、声で「心地よい」と思うような方も...「情欲と悟りへの修行」(前編)

  • 民の昼寝に励まされる織田信長

    「あいつはとんでもないやつです!」「なぜだ?」馬を止めた信長が聞く。武士はこういった。「この国の領主さまが命がけの戦いに出て行くというのに、あいつは呑気に昼寝をしています。許せません」「かれは農民だ。われわれは武士だ。それぞれ仕事に役割分担がある。今はきっと暇なのだ。きょうは陽気が暖かいから気分がよくて、眠ってしまったのだろう。放っておけ」「そうはいきません」武士の怒りはおさまらない。バラバラと畑の中に駆け込もうとした。「どうする気だ?」信長が聞いた。武士は振り返っていった。「血祭りに殺します!」「バカなことはよせ」信長は笑って武士を止めた。信長は、武士に向かって言った。「おれは前の拠点の岐阜にいたときに、兵士と農民の区分を行った。それまでは、農民を兵士として動員していた。他の大名は、まだそうしている。おれが、...民の昼寝に励まされる織田信長

  • 信長は合戦をなくすために速戦即決で勝てる軍団をつくった

    「ほんとうですか」武田勝頼は思わず膝を立てた。快川紆喜(かいせんじょうき:臨済宗の僧)がいうのは、「信長は、この国から合戦をなくすために、合戦に勝つ方法をあみ出したのだ」ということである。快川紹喜はうなずいた。そして静かな眼で勝頼をみつめたまま、こういった。「それが信長殿を強くしているのです。つまり、この国から合戦をなくしたいという志があるからこそ、かれは自分のおこなう常識はずれな行為をすべて自ら是認しているのです」勝頼は息を飲んだ。快川紹喜の話がやっと頭の中にストンと落ちた。(そういうことだつたのか)勝頼は気づいた。快川紹喜のいうのは、・信長は、若い時から尾張国で城下町を通る人間たちに接触し、いま生きている人間たちがいったいなにを求めているのかを探った。・整理した結果、その願いの最大のものがこの国から合戦をな...信長は合戦をなくすために速戦即決で勝てる軍団をつくった

  • 同時代人のニーズを実現した織田信長

    幸福を主とする「楽市・楽座」を出現させた。楽市・楽座の目的は、①規制を緩和する。だれがどんな商売を営んでもよい(この当時は、ものを製造したり販売するのには、いちいち面倒くさい許可と、上納金が必要だった)。②進出商工業者には、税金をかけない。③関所や船番所を廃止して、旅や物流の妨げになるものを全部廃止する。④良貨を流通させる。などである。これを彼が率先しておこなった。また、「兵農分離」の結果、プロ化した兵士を城下町に住まわせて、動員のスピードアップをはかった。そして、この「岐阜」というのは日本のどこにもない、中国の地名だ。中国の西北部に渭水という川(黄河の上流)があって、この川のほとりに岐山という山がある。この山の麓から興ったのが有名な「周」という国だ。興したのは武王という王である。父は文王。周の政治については、...同時代人のニーズを実現した織田信長

  • 信長は主権の下降を嗅ぎ取った

    信長は、通り過ぎて行く諸々の通過者、即ち、旅の僧、商人、芸能人、乞食、浪人、土地を失った農民などを凝視しているうちに、彼等が持つ情報や、物の考え方から、その法則を嗅ぎ取ったのである。嗅ぎ取った法則とは、現代の言葉でいえば、「主権の下降」ということである。主権の下降というのは、そのまま、「政治は誰のために行わなければならないのか」という、その「誰」に相当する。信長がみつめる時、日本の主権というのは、かつては天皇が持っていた。その次は、藤原氏をはじめとする、貴族が握った。その後に、貴族の番犬でしかなかった武士の手に移った。その武士の中にも階層ができて、大大名が握った。将軍というようなものもできた。しかし足利氏に例を見るように、将軍は、半ば貴族化していた。はるか前の時代でも、それを、そうすまいとして頑張った源家は、結...信長は主権の下降を嗅ぎ取った

  • 光秀の反逆心の原因は

    光秀がよく言われるように「相当前から、信長に逆意を抱いていた」という説は信じ難い。光秀軍法(本能寺の変の1年前に発布、主君である信長に、わが身の出世を感謝している)を書いた時点では、光秀には信長に対する謀反(むほん)などかけらもなかったはずだ。後に彼が本能寺の変を起こす原因となった何らかの感情は、ほんのわずかな期間に芽生え爆発的に膨らんだことになる。では、光秀を短期間にそこまで追いつめた信長の行為とは一体どのようなものだったのだろうか。信長は、いわゆる世襲についてはあまり関心を持ってはいなかったと言われる。確かに、出身や家格などを無視して、能力本位で人物を登用してきた。ところが、この頃の信長には一族重用の傾向が表れている。武田討滅戦の総大将には嫡男の信忠を命じたし、さらに、信忠の弟たちにも、大事な仕事を任せてい...光秀の反逆心の原因は

  • 久秀と信長の差異は大義の有無

    信長が自分の存在をおもしろがっていることを久秀(松永)は知っていた。と同時に、興(きょう)を感じているうちはいいが、飽(あ)きればあっさりとうち棄(す)てにされることも見抜いていた。うち棄てられる前に、こちらが裏切るしかない。裏切りという行為には、ある種の麻薬性もあるにちがいない。天正5年(1577)8月、久秀は上杉謙信が加賀一向一揆と和睦し、上洛するとの情報を得た。かれは直前に信長から逼塞(ひっそく)(門を閉ざし、昼間の出入りを許さないもの)を許され、石山本願寺攻めのため天王寺表に在陣していたが、8月17日、突如兵を退き、再び信長に反旗を翻(ひるがえ)して信貴山(しぎさん)城にたてこもる。だが、朗報はとどかなかった。北陸は降雪の季節に入っており、上杉軍は兵を越後に退き、久秀の読みは外れた。信長は久秀と親しい松...久秀と信長の差異は大義の有無

  • 信長の懲罰の特徴は過去の過ちを許さないこと

    「本願寺攻撃に、身を入れないで怠けてばかりいた」というものだった。だが、本当の理由は別のところにある。三方ケ原の戦いの時、佐久間は徳川家康への援軍の隊長格として浜松城に赴いた。「徳川殿がどんなに血気にはやろうと、絶対に武田信玄と戦ってはならぬ。浜松城を死守しろ」という信長の命にもかかわらず、佐久間は、戦いにはやる家康の勢いに呑まれて、3000人の織田軍を率いて出撃し、大敗を喫した。この時、同僚の平手汎秀(ひらてひろひで)は戦死してしまった。林秀貞の追放については、遠い昔の信長への反抗であることを明言している。勝家(柴田)と一緒になって、弟の信行を擁立したことを罰しているのだ。つまり24年も前の出来事を理由に、自分に害となる可能性のある人物を排除したわけだ。信長の人事の特徴が「機能主義・能力主義」にあることは以前...信長の懲罰の特徴は過去の過ちを許さないこと

  • 比叡山焼き払いに対し近江の一般民衆からはあまり非難の声は上がらなかった

    元亀2(1571)年9月12日、信長はほとんど全軍を動員して、比叡山の東西南北の出入り口を塞がせた。早朝、まず坂本の町を焼いた。翌13日には、山上の東塔・西塔・無動寺谷に放火した。指揮を執(と)る光秀は、気が進まないまま部下に命じて松明(たいまつ)を振り周させた。信長は、「逃げ出す者はすべて斬れ」と命じていた。14日には、わずかに残った坊にも放火した。そして15日には完全に山上の妨も焼き払ってしまった。根本中堂・山王二一社・東塔・西塔・日吉山王御社関係の108社なども、すべて焼き尽くした。当然、納められていた仏像・宝物・経巻・文書なども灰になった。それだけではない。山中や坂本にいた僧俗数千人がすべて殺された。比叡山焼亡の報はたちまち日本全国に広まった。特に京都を中心にした上方人の動揺は大きかった。公家の山科言継...比叡山焼き払いに対し近江の一般民衆からはあまり非難の声は上がらなかった

  • 用意周到で勝利した長篠の戦い

    信長は「この機会に、いかにして勝頼をたたきのめすか」を考えていた。その点、つねに一歩先を考えている。三方ケ原戦の勝ちに乗じて勢威を増しつつある武田勝頼を、ここで完膚(かんぷ)なきまでにたたいておかないと、あとあと脅威となる。仮りに勝頼が取るに足らない人物だとしても、連戦連勝して大国を支配するとなれば、軽薄な人びとは錯覚して畏敬の対象としかねない。また、仮に、勝頼が非凡なる人物であるとすればなおさら、ここでたたいておかねばなるまい。天下布武の障害は、芽のうちに取り除かなければならない。単に、援軍を出して、引き分け、などというのではだめなのだ。勝頼を完膚なきまでにたたきのめさないといけないのだ。その構想が成ったとき、そしてその準備が完了したときはじめて信長は、「出陣!」と全軍に命令した。天正3年(1575)5月13...用意周到で勝利した長篠の戦い

  • 世界が日本を好きになっている

    私は、「柔よく剛を制す」という日本のやり方がいかに優れているか、もう間もなく世界にもはっきりわかるだろうと繰り返していますが、それには前述したように安倍晋三首相が大いに貢献していると思います。安倍首相は、第二次安倍政権が発足した2012年12月から本稿を書いている2016年6月までの間に63の国と地域を回っています。そして安倍さんはそれぞれの国や地域で、日本人としての心がこもった演説をし、とても歓迎されています。どうせ後で外務省がペーパーを配ってくれるからそれを読めばいいと思っているし、官製情報をそのまま報道するばかりですから、肝心の日本人に安倍さんの真意が伝わっていないのです。でも、安倍さんの真意は確実に相手国の人々には伝わっています。私はこれからそうした努力の効果が溜まりに溜まって、国際社会の中で日本人の価...世界が日本を好きになっている

  • 日本になろうとしているアメリカ

    実は、私は2008年2月に、「アメリカは日本になろうとしている」というコラムを書きました。その年の11月、アメリカ大統領選でオバマ大統領が誕生することになりますが、それに先立ち、大統領選挙の候補者選びが山場を迎えていたときのことです。民主党の大統領候補であるヒラリー・クリントン氏が全米を巡回しているところをテレビで見ていると、彼女は「アメリカの中間階級が貧乏になってやる気がなくなって、中流から下層へ脱落しかけているのを直さなければいけない」と主張していたのです。そのとき、私は、「中流階級を大事にする?それはかつての日本がやっていたことである」と思いました。それまでのアメリカは、「金持ちは金持ちになれ、貧乏な人は自己責任なのだからあきらめろ」というシステムを推し進めていました。ところが、大統領候補に立候補したヒラ...日本になろうとしているアメリカ

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