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  • 夏目漱石作『虞美人草』を読みました。

    漱石の『虞美人草』を読みました。この本読んだつもりでいたのですが、実は初読でした。漱石の最初の新聞小説。おそらく夏目漱石の小説でなければこの小説は消えてなくなっていたはずです。それくらい小説としての出来はよくない。私も漱石の作品だから最後まで読みましたが、最後まで何がよかったのかわかりません。とは言え、これが書かれた時代はまだ小説の形式や文体が確立していなかった時代であり、試行錯誤の途上だったのだと思われます。なにしろストーリーが雑すぎます。「藤尾」という女性、そしてその母は性格の悪い女です。自分の利益しか考えていません。ではそれ以外の人物はどうなのかと言われれば、やはりかなり打算的です。最後に正義の味方のように突如として「宗方君」が活躍しますが、そこまでの人物造型は曖昧であり、正義の味方が悪を退治すると...夏目漱石作『虞美人草』を読みました。

  • 林家木久扇師匠「笑点」卒業

    昨日「24時間テレビ」で林家木久扇師匠が来年の3月で「笑点」を卒業することを発表した。私にとって木久扇師匠こそが「笑点」の顔だったので、大げさに聞こえるとは思うが、「ひとつの時代の終わり」のように感じられる。木久扇師匠は今年85歳である。「笑点」を見ていても痛々しい感じがして、そろそろ潮時かなという気はしていた。とは言え、「笑点」に初期のころより出演して、「与太郎」を演じてきた。「落語家らしい」落語家ではなく、「落語らしい」落語家だった。それが人気だったのだと思う。木久扇師匠の「卒業」はとても残念ではあるがしょうがない。しかし木久扇師匠の「卒業」をしょうがないと感じるように、自分の老いを実感せざるを得ない。終わりが近づいているという気持ちは、いいものではない。これからは終わりゆく時間を楽しむと思うしかない...林家木久扇師匠「笑点」卒業

  • こまつ座『闇に咲く花』を見ました。

    東京・紀伊國屋サザンシアターでこまつ座『闇に咲く花』を見ました。何度も見た作品ですが、この年になってきてわかることも多く、しかも「今」の社会状況と重なることもあり、改めてこの作品のすごさがわかりました。すばらしい舞台でした。この作品はは、井上ひさしによる「昭和庶民伝三部作」の2作目として1987年に初演された作品です。戦時中の庶民の不条理な現実を描いています。こんな時代は二度と作ってはいけないと感じながら、日本、あるいは世界の状況がどんどん「ものがいえない」状況になっている今を感じてしまいます。恐ろしさと怒りと、何とかしなければいけないと言う思いが強くなります。劇中の「忘れちゃだめだ。忘れたふりはなおいけない。」というセリフは耳に残ります。人間はなんでもすぐに忘れてしまいます。そしていざとなれば忘れたふり...こまつ座『闇に咲く花』を見ました。

  • 山形県の学校教育は崩壊状態だ

    厳しいことを言わせていただく。山形の学校教育は崩壊状態である。先日、米沢市の中学生が熱中症で亡くなった。学校では部活動を早く終了させたあと、自転車で帰宅途中に熱中症になったのだ。学校を責めすぎるのも気が引ける部分もあるが、生徒ひとりの命を失ったのである。重大事案として受け止めなければならなかったはずだ。ところが昨日、山形の中学校で熱中症になり、10数人の生徒が救急搬送されたという。昨日は予報段階から厳重な注意を呼び掛けていた日である。それなのにグラウンドで練習をしていたのだ。しかも今日になって、救急搬送された後も練習を継続したという報道がなされた。なんなのだろうこの学校の教員たちは。山形は東北だから涼しい土地であり、今年の夏の暑さを甘く見ていたのではないかと思われる方もいるかもしれない。しかしそれは違う。...山形県の学校教育は崩壊状態だ

  • 映画『ウィ・シェフ』を見ました。

    映画『ウィ・シェフ』を見ました。典型的なお仕事映画ですが、孤独なフランスの難民の問題がきちんと描かれており、気持ちよく見終わることができる映画でした。こういうタイプの映画、大好きです。カティは有名レストランでシェフとして働いています。ある日、オーナーシェフと大ゲンカをして店を辞めてしまいます。やっとのことで見つけた新しい職場は移民の少年たちが暮らす自立支援施設でした。カティはとまどいながらもプライドを捨てずに働き始めます。施設長ロレンゾはカティに、少年たちを調理アシスタントにすることを提案します。最初はあまり乗り気ではなかった少年たちも、自分たちの未来を夢見て意欲的に働き始めます。カティも前向きに働く意欲を取り戻し、自分の人生を変えようとします。この映画で印象に残るのは移民の少年たちの表情です。言葉もうま...映画『ウィ・シェフ』を見ました。

  • 夏目漱石の『門』の読書メモ②

    『門』について柄谷行人氏が、「『門』の宗助の参禅は彼の罪感情とは無縁であ」ると言い、「小説の主題が二重に分裂して」いるのだと言っています。そしてその理由を次のように言っています。「『門』における宗助の参禅は、三角関係によって喚起されたものでありながら、その三角関係が宗助の内部の苦悩に匹敵しないで別の方向にむけられるほかないというところに起因している。したがって「どのように筋を仕組んでも、そういう宗助を表現するわけにはいかないのであって、やはり漱石も「彼の手に余る問題を扱おうとしたと結論する」ことができると私は思う。」そしてその「手に余る問題」について次のように説明します。「漱石の長編小説では、他者との葛藤が提示されながら、それが他者との関係では解決できないような「自己」の問題に転換され、そして『行人』の一...夏目漱石の『門』の読書メモ②

  • 夏目漱石の『門』の読書メモ①

    夏目漱石の『門』を読みました。3度目のはずなのですが、ほとんど頭に入っていませんでした。初読と同じような感覚でした。適当な読書を反省します。意味のある勉強にしなかれば時間の無駄でしかないということを肝に銘じたいと思います。意味のある読書にするために『門』の読書メモを残します。あらすじは次の通りです。主人公は野中宗助。親は資産持ちだった。宗助が学生のころは派手で積極的であった。京都大学に入学した。安井という友人がいた。ある時、下宿から一軒家に引っ越した。そこに女性が住んでいた。その女性がが御米であった。安井は自分の妹だと宗助に紹介したのだが、おそらく同棲している女性だったのであろう。その御米と宗助が男女の関係となってしまう。その結果、2人は駆け落ちする。大学はやめていまい、逃げるように広島、福岡と居を移す。...夏目漱石の『門』の読書メモ①

  • 映画『わたしたちの国立近代美術館』を見ました。

    東京・上野の国立西洋美術館が世界文化遺産に登録されたことを機に改装工事を行った。その期間を中心に、国立西洋美術館の職員の仕事を追ったドキュメンタリー映画『わたしたちの国立近代美術館』を見ました。美術館の仕事の実態を知ることができると同時に、日本の文化に対する予算の貧弱さを知ることができました。美術館の職員の真剣な仕事ぶりに好感を持ちました。協力しながらも、妥協をゆるさない仕事ぶりが映像化されています。職員は国立西洋美術館で働くことにやりがいを感じており、仕事に喜びがあります。。しかし一方では税金で運営されているということに責任を感じています。どんな仕事でも責任のある仕事にはやりがいがあり、喜びがあります。その姿が伝わってきます。しかし一方では日本の文化に対する国家の支援が少ないことが語られます。日本は文化...映画『わたしたちの国立近代美術館』を見ました。

  • 映画『君たちはどう生きるか』を見ました。

    宮崎駿監督の最新作『君たちはどう生きるか』を見ました。難解な映画ですが、象徴的な意味を散りばめ、背後に大きなテーマを見通せる構造を維持しつつ、全体として主人公が成長していく姿を描く計算されつくした映画でした。一つの物語が見終わった後に大きな時空の物語として迫って来る作品です。一度みただけでは、整理できないところが多く、内容について掘り下げていくのはここではやめたいと思います。しかし、一方では戦争や、現代文明や、社会的な差別などの現代における困難が描かれています。また一方では愛や友情、いつくしむ心、勇気、努力など、人間として大切にしていかなければならない心を描いているのがよくわかります。謎解き自体はすぐに答えが出ないように作られていますが、映画を見た後の満足は得られるようにできているのが、さすが宮崎駿だよな...映画『君たちはどう生きるか』を見ました。

  • 『三四郎』読書メモ③(視点の転換)

    夏目漱石の『三四郎』の読書メモの3回目。視点の転換。三人称小説は「語り手」の位置は作者の戦略の1つです。作品世界全体を見渡せる「神」の眼の位置にいる場合もありますし、ある特定人物に寄り添う場合もあります。あるいは複数の人物に寄り添う場合もあります。だれかに寄り添う場合、視点がその人物の内部に入り込むこともできますし、内部には入り込まないで外からの描写でおわってしまう場合もあります。内部に入り込む場合はその人物の心理を描くことができます。作者は「語り手」をどう操るかを考えながら小説を書くわけです。『三四郎』は三人称小説です。「語り手」は基本的に「神」の位置にいるのですが、主人公の「三四郎」に寄り添っていくことが多くあります。さらに三四郎の心まで入り込みます。しかし、他の人物の心にまで入り込むことはありません...『三四郎』読書メモ③(視点の転換)

  • 京都南座で『牡丹燈籠』を見ました。2(演技と劇場について)

    『牡丹燈籠』での玉三郎さんの演技はリアリティのある興味深いものでした。歌舞伎の女形の演技は声色をつかって演じるというイメージがあります。古典作品だと確かにそういうイメージ通りの演技をするケースが多いように思われます。しかしそういうイメージとは違う演技をする場合も多くあります。今回の玉三郎さんの演技も中年女性の純真さと意地汚さという相反する心の揺れを、リアリティある演技で表現していました。間の取り方が絶妙です。これは本当に台詞をわすれてしまったのではないかと思わせるような長い不自然な間があったりします。その不自然さが逆に現実に口に出しにくいことを言うときのためらいのようにも感じられます。いわゆる歌舞伎調の語りとは違った、現代劇風の台詞回しにリアリティを覚えずにはいられません。愛之助さんは、きちんとした演技で...京都南座で『牡丹燈籠』を見ました。2(演技と劇場について)

  • 京都南座で『牡丹灯籠』を見ました。①(三遊亭円朝について)

    京都南座で坂東玉三郎と片岡愛之助出演の歌舞伎『牡丹灯籠』を見ました。素晴らしい舞台を堪能しました。その感想を書こうとしたのですが、長くなってしまったので分割します。今回は『牡丹灯籠』の作者円朝について書かせていただきます。『牡丹灯籠』の原作は三遊亭円朝の落語です。三遊亭円朝の落語は日本文学においてとても重要です。意外に感じる方が多いと思いますが、明治時代の初め、日本には言文一致の文体がなかったのです。今は私たちは当たり前のように言文一致の文体で文章を書いています。しかし実は、私たちは言文一致の文体が浸透し、それをまねをして書いているのです。真似をするもの(規範)がない明治時代の人たちはどういうふうに言文一位の文章を書いていいかわかっていません。ではどういう風に文章をかいていたのか不思議に思う方もいるかもし...京都南座で『牡丹灯籠』を見ました。①(三遊亭円朝について)

  • 映画『山女』を見ました。

    凶作に苦しむ農村を描く映画『山女』を見た。生きることが目的だった時代を神話的に描く意欲作だった。舞台は東北地方の山村。気候が思わしくなく、住民は冷害に苦しめられている。村の伊兵衛は娘と息子の3人で暮していた。一家は曽祖父がかつて悪事を働いたために、村八分となっていた。唯一許された仕事は死体の処理の汚れ仕事だけだった。生活は苦しく伊兵衛は盗みを犯してしまう。父親をかばって娘の凛が罪をかぶる。村にいられなくなった凜は村を去る。おそらく山で死ぬつもりだったのであろう。しかしそこで山男と出会う。山男は野生の人間であった。凜は山男に安らぎを覚える。そこにあるのは人間社会の相対化である。人間は社会を作らないと生きていくのは難しい。しかしその「社会」は理不尽を生み出す。差別が生まれるのだ。その「社会」の内部にいるつまは...映画『山女』を見ました。

  • 『三四郎』読書メモ②「汽車の女」

    夏目漱石の『三四郎』の読書メモの2回目。私がこの小説の一番印象に残るのは、最初のシーンです。ここである女と知り合いになります。田舎のお光さんと比べて、「ただ顔だちからいうと、この女のほうがほど上等である。口に締まりがある。目がはっきりしている。額がお光さんのようにだだっ広くない。なんとなくいい心持ちにできあがっている。」と三四郎の好みの顔のようです。この女の素性が本人が近くにいるじいさんへの語りから見えてきます。「子供の玩具はやっぱり広島より京都のほうが安くっていいものがある。京都でちょっと用があって降りたついでに、蛸薬師のそばで玩具を買って来た。久しぶりで国へ帰って子供に会うのはうれしい。しかし夫の仕送りがとぎれて、しかたなしに親の里へ帰るのだから心配だ。夫は呉にいて長らく海軍の職工をしていたが戦争中は...『三四郎』読書メモ②「汽車の女」

  • 『三四郎』読書メモ①

    夏目漱石の『三四郎』を再読しました。同時に小森陽一氏の『漱石を読み直す』と石原千秋氏の『漱石と三人の読者』を読み、たくさんの示唆をいただきました。『三四郎』の読解のためのメモを残します。『三四郎』において混乱するのは借金のやりとりです。どうなっていたのでしょうか。整理します①広田先生が野々宮さんから20円借りる。広田さんの引っ越しの費用だった。②野々宮が用立てた20円は、妹のよし子がバイオリンを買うための費用だった。③広田先生はしばらく返せなかったが、答案調べの臨時収入があり返すことになる。④広田先生は与次郎にその使いを頼む。広田さんはお金を返したのだから、借金問題は解消したことにしてもよさそうだ。(もちろん実際にはこの時点ではまだ返してはいない。)⑤与次郎はそのお金を競馬ですってしまう。⑥困った与次郎に...『三四郎』読書メモ①

  • アイルランドのドキュメンタリー映画『ぼくたちの哲学教室』を見ました。

    北アイルランド、ベルファストの男子小学校で実施されている哲学の授業を2年間にわたって記録したドキュメンタリー『ぼくたちの哲学教室』を見ました。根気強く子供たちと向き合い、自分自身が「考える」ことによって解決していく教師の姿に心打たれました。大人たちはアイルランド紛争の中で生きてきた世代であり、子供たちはその紛争を知らない世代です。しかし子供たちは紛争の世代の影響を受け、暴力によって解決しようとしてしまいます。子供たちは興奮すると自分をとめられないのです。冷静に考えることができません。教師は、暴力が何も生まないことを語り、解決するために「考える」ことを求めます。すぐにうまく行くわけではありません。しかし対話の継続が未来につながると信じています。教育的な効果はすぐに表れるものではありません。テストの成績は短期...アイルランドのドキュメンタリー映画『ぼくたちの哲学教室』を見ました。

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