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  • ドキュメンタリー映画『デヴィッド・ボウイ ムーンエイジ・デイドリーム』を見ました。

    デヴィッドボウイの音楽人生をたどるドキュメンタリー映画『デヴィッド・ボウイムーンエイジ・デイドリーム』を見ました。私が最も聞いたミュージシャンの一人、デヴィッドボウイの人生を改めて見つめなおすことができました。デヴィッドボウイは最初、グラムロックの旗手として表舞台に出ました。自分を宇宙人と見立てたアルバムを制作し、ステージも「ジギー」という宇宙人になりきっていました。演劇的でありミュージカル的な要素を含んだコンサートでした。彼はその時から自分の真の姿を隠していました。次にアメリカにわたり、ロカビリー風の音楽を作った時代に移ります。この変化から彼の異常さが表れ始めます。彼の真の姿が見えなくなってきます。そして私の一番好きなベルリン時代が来ます。ブライアンイーノとともにノイジーであり、アンビエントな音楽を作り...ドキュメンタリー映画『デヴィッド・ボウイムーンエイジ・デイドリーム』を見ました。

  • 夏目漱石作「カーライル博物館」読書メモ

    明治38年1月雑誌『学燈』に発表された短編小説。「倫敦塔」と同じようにエッセイ風の小説である。「倫敦塔」のような幻想もないのでエッセイといわれれば、エッセイといってもいいような作品でもある。ただし虚構も混じっているようなので、その意味では小説であろう。語り手はやはり「余」。カーライルというのはイギリスの思想家・評論家・歴史家。スコットランド出身で、倫敦のチェルシーに移り住んだ。死後、その家が博物館として公開されている。そこに「余」が訪れ、見物する。案内してくれるのは「五十恰好の太った婆さん」。セリフのように「何年何月何日にどうしたこうした」と流暢に語る。この「婆さん」の存在が小説らしいと言えば小説らしいとも言えなくもない。ユーモラスであり、ロンドンという場所をうまく表現している。カーライルの家のキーワード...夏目漱石作「カーライル博物館」読書メモ

  • 映画『小さき麦の花』を見ました。

    映画『小さき麦の花』を見ました。人間が生きることの意味を考えさせる、静かだが強い作品でした。感動しました。舞台になっている時代はほぼ現代なのだと思われます。しかし中国の貧しい農村は何十年も前と同じような生活をしています。テレビもありません。時々描かれる都会とのギャップから貧富の差の大きさを感じます。主人公は農家の息子ヨウティエと、その男と政略的に結婚させられた女クイイン。ヨウティエは兄にいいように使われていますが、文句も言わずに兄に命じられたままの生活をします。クイインは障害をもっているのか、歩き方がたどたどしく、時々失禁してしまいます。しかし自分では失禁していることに気が付きません。そんな夫婦ですが、お互いがお互いを理解しはじめ、静かに愛が深まっていきます。彼らはお互いのために真面目に生きます。家を作り...映画『小さき麦の花』を見ました。

  • 夏目漱石作「倫敦塔」読書メモ

    「倫敦塔」は明治38年1月雑誌『帝国文学』に発表された。同じ月に『吾輩は猫である』の第一回と「カーライル博物館」も発表されている。『吾輩は猫である』が戯作調であるのに対して、「倫敦塔」は写生的であり、時には美文調である。内容はエッセイ風である。自信がロンドン留学中に「倫敦塔」を見物に出かけたことを語り聞かせるとう内容である。おそらくその時の感想を書いたものであろう。だから語り手は「余」である。「余」とは漱石自身であるように読者は読む。しかし後で加えた解釈によって虚構の部分も多く含んでいる可能性もある。語り手は、「『塔』の見物は一度に限ると思う。」と言う。なぜか。おそらく語り手が「倫敦塔」の歴史の悲惨さを想像し、その想像した情景に苦しめられたからであろう。語り手はこうも語る。「倫敦塔は宿世の夢の焼点の様だ。...夏目漱石作「倫敦塔」読書メモ

  • 市川左團次さんのこと

    市川左團次さんが亡くなった。豪快で器の大きな歌舞伎役者らしい役者だった。残念だ。私が歌舞伎を見始めたのは大学生のころ、1980年くらいからである。左團次さんを襲名したのは1979年なので、私にとってずっと「左團次さん」だった。もうこんな人はめったにいなくなってしまった。左團次さんの演技は豪快だった。役になりきるというよりは、左團次さんがそのままその人になってしまうという印象だった。それがいい。器用さは少しかけていたかもしれないが、左團次さんそのものがいいのである。貴重な役者だった。裏表がないのでみんなに慕われたのだろう。テレビのバラエティに出ても、特に何かをするわけではないのに、やはり話がおもしろい。人柄がよかったのだ。私が見てきた歌舞伎役者はだんだん年をとり、亡くなる人も多くなった。若い役者はいい役者が...市川左團次さんのこと

  • 映画『AIR エア』を見ました。

    NBAのスーパースター、マイケル・ジョーダンと契約するためにナイキがどういう努力をしたのかを描く映画『AIRエア』を見ました。現代的な攻めのビジネスが刺激を与えてくれる映画です。当時のナイキは陸上のシューズには強いがバスケットシューズに関しては3流企業でした。コンバースやバスケットに関しては新興のアディダスに後れをとっています。そんなナイキがバスケットシューズでシェアを獲得するために、新人の一流選手と契約しようとします。まずはそこでマイケル・ジョーダンを選ぶ目を持っていたことが成功の第一歩でした。次にナイキを快く思っていなかったジョーダンと契約するために、シューズの色のルールを逸脱し、違反してもその罰則金をナイキが支払うという手にでます。これには賛否両論あるだろうと思われます。日本人ならばルールはルールだ...映画『AIRエア』を見ました。

  • 三谷幸喜作『笑の大学』を見ました。

    三谷幸喜作の演劇『笑の大学』を仙台市・電力ホールで見ました。戦時下だからこそ、権力に屈せず笑いを描こうする喜劇作家の心意気が、見るものを泣かせ、感動を与える素晴らしい芝居でした、戦時下の日本。国民の娯楽である演劇は、警察に台本の検閲を受けなければならなかった。瀬戸康史演ずる劇作家、椿一は、内野聖陽演ずる担当警官・向坂睦夫に無理難題を投げかけられ何度も書き直しを命じられる。しかし椿はその無謀な条件をクリアしつつ、より笑える芝居へと書き上げることで自己の心意気を示す。しだいに向坂は椿の姿に共感を覚えるようになる。しかし、向坂には召集令状が届いてしまう。真摯に議論を重ねて次第にお互いを尊重していく二人の姿が感動を呼びます。国家の力よりも人間の共感のほうが強いものであり、そんな人間の力こそが戦争よりも大きいと感じ...三谷幸喜作『笑の大学』を見ました。

  • 映画『ワース 命の値段』を見ました。

    9.11アメリカ同時多発テロの被害者遺族への補償金を分配するという仕事を引き受けた弁護士を描く映画『ワース命の値段』を見ました。苦しい仕事であるのは予想がつく。しかしそれは大きな価値のある仕事です。それを成し遂げる人間の苦悩がいたいほどわかる映画でした。弁護士のケンは、同時多発事故の被害者遺族への補償金を分配する困難だとわかっている仕事を引き受けます。対象者は約7000人。ケンはこの困難な仕事をできるだけ公平におこなうために、例外を認めないという方法に固執します。私がそういう仕事をするとしてもそうしているでしょう。例外はひいきです。そんなひいきをしてはいけないと考えるからです。しかしうまくいきません。被害者遺族は納得しません。自分の個別の事情を訴えます。ケンは最初はそれを無視しようと努力していたのですが、...映画『ワース命の値段』を見ました。

  • 映画『オットーという男』を見ました

    トムハンクス主演映画『オットーという男』を見ました。老後の孤独への向き合い方を導いてくれる、感動的な名作です。この作品は2015年のスウェーデン映画『幸せなひとりぼっち』のハリウッドリメイク作品だそうです。『幸せなひとりぼっち』は見たことがないのですが、リメイクであろうがなかろうが、すばらしい作品に仕上がっています。オットーは頑固者で嫌われています。仕事も首になり、いよいよ頑固も本物になります。しかしオットーが頑固になっていったのは、死んだ妻との歴史があったからだったことがわかります。妻との出会い、そして結婚、妊娠、幸せな生活がバスの事故で崩れてしまいます。妻は一命は取り留めるものの、お腹の中の子供は失ってしまいます。年老いて妻はなくなり、孤独になったオットーは自殺を試みます。私も気が付いたら年をとってし...映画『オットーという男』を見ました

  • 『ディスカバー・カーペンターズ』に感謝

    NHKラジオで1年間ずっと1組(1人)のアーティストを掘り下げて特集する「ディスカバーシリーズ」を放送している。昨年度はカーペンターズが取り上げられた。4月2日が最終回だった。とても楽しく、学ぶことが多く、そして懐かしい曲をたくさん聞くことができノスタルジックな気分にもなる素敵な番組だった。カーペンターズは私が小学生ごろ流行した兄弟グループである。カレンカーペンターの優しさを感じさせる透き通った声と、リチャードカーペンターのアレンジがすばらしく、印象に残る曲が多くある。私自身は中学、高校とロックに走ってしまい、しばらく遠ざかっていたが、最近は再びよく聞くようになっていた。古さをまったく感じさせない。きれいで優しいサウンドや声が、ストレスを和らげてくれる。カーペンターズはポピュラーミュージックの代表と言って...『ディスカバー・カーペンターズ』に感謝

  • 『吾輩は猫である』の読書メモ⑫「第十一章の2」

    『吾輩は猫である』を読んで、メモしていく。今回はその12回目。第十一章で「探偵」をきっかけに近代の個人主義についての論争が巻き起こる。これは作者の思想の表明であり、こういう思想を取り入れることができるのが、「小説」というジャンルの自由さを示している。【探偵】まずは苦沙弥が「探偵」という言葉にかみつく。「不用意の際に人の懐中を抜くのがスリで、不用意の際に人の胸中を釣るのが探偵だ。知らぬ間に雨戸をはずして人の所有品を盗むのが泥棒で、知らぬ間に口を滑らして人の心を読むのが探偵だ。ダンビラを畳の上へ刺して無理に人の金銭を着服するのが強盗で、脅し文句をいやに並べて人の意志を強うるのが探偵だ。だから探偵と云う奴はスリ、泥棒、強盗の一族で到底人の風上に置けるものではない。」小説家というのは「探偵」のようなものだ。心を読...『吾輩は猫である』の読書メモ⑫「第十一章の2」

  • 『吾輩は猫である』の読書メモ⑪「第十一章」

    『吾輩は猫である』を読んで、メモしていく。今回はその11回目。第十一章。この章が最終章である。【寒月は結婚していた!】迷亭と独仙が碁を打っている。そこに寒月と東風も苦沙弥のそばで話をしている。寒月は鰹節を三本持参する。鰹節は少々ネズミにかじられている。船の中でヴァイオリンと一緒に袋の中に入れていたらかじられてたのだ。そこから寒月がどうやってヴァイオリンを手に入れたのかなどヴァイオリンの逸話が語られる。夫婦の話になり、東風は次のように言う。「僕の考えでは人間が絶対の域に入るには、只二つの道があるばかりで、その二つの道とは芸術と恋だ。」急展開がある。この小説は寒月と金田嬢との結婚話で進んできたのだが、突然寒月は他の女性と結婚したことが明かされる。鰹節はそのお祝いとしてもらったのだという。そろそろこの小説の連載...『吾輩は猫である』の読書メモ⑪「第十一章」

  • 『吾輩は猫である』の読書メモ⑪「第十一章」

    『吾輩は猫である』を読んで、メモしていく。今回はその11回目。第十一章。この章が最終章である。【寒月は結婚していた!】迷亭と独仙が碁を打っている。そこに寒月と東風も苦沙弥のそばで話をしている。寒月は鰹節を三本持参する。鰹節は少々ネズミにかじられている。船の中でヴァイオリンと一緒に袋の中に入れていたらかじられてたのだ。そこから寒月がどうやってヴァイオリンを手に入れたのかなどヴァイオリンの逸話が語られる。夫婦の話になり、東風は次のように言う。「僕の考えでは人間が絶対の域に入るには、只二つの道があるばかりで、その二つの道とは芸術と恋だ。」急展開がある。この小説は寒月と金田嬢との結婚話で進んできたのだが、突然寒月は他の女性と結婚したことが明かされる。鰹節はそのお祝いとしてもらったのだという。そろそろこの小説の連載...『吾輩は猫である』の読書メモ⑪「第十一章」

  • 坂本龍一さんのこと

    坂本龍一さんが亡くなった。病状が思わしくなく厳しい状態が続いていたことはわかっていたので覚悟はしていたが、やはりショックは大きい。坂本さんの音楽をよく聞いていた。YMOの時代はそれほど聞いていなかったが、その後のソロ活動、あるいはコラボレーション活動で作り出した曲は、本当に繰り返し何度も聞いていた。ソロ活動では、「SELFPORTRAIT」は永遠の名作である。この感覚は他にはない。唯一無二の曲だと思っている。映画音楽もいい。大貫妙子さんとのコラボはすばらしい。初期の大貫さんの作品の数多くのアレンジを坂本さんが手掛けており、透明感のある魅力的な曲に仕上げている。2010年の発表された『UTAU』というアルバムでは、坂本さんのピアノで大貫さんが歌っていて、透明感とともにノスタルジーを感じさせる名作となっている...坂本龍一さんのこと

  • 教員を定年退職しました

    この3月を持って、高校の教員を定年退職しました。現在再任用という制度があります。年金が支給される65歳までの5年間、給料は3割ほど減るのですが働くことができる制度です。現在8割以上の人が再任用するので、当初は私も再任用するつもりがありました。しかし思うところがあり、今年で退職することにしました。4月からは大学院で勉強することになっています。主として夏目漱石の初期作品について研究していきたいと思っています。その外にも日本語文法やナラトロジーについても勉強していきたいと考えています。趣味としては戯曲や小説を書いてみたいという欲も持っています。健康のための水泳や軽いジョギングも続けていきたいと思ってます。ただしやりたいことがあまりありすぎて、ストレスになってしまいそうなので、心を整えることも大切にしていきたいと...教員を定年退職しました

  • 『吾輩は猫である』の読書メモ⑩「第十章」

    『吾輩は猫である』を読んで、メモしていく。今回はその10回目。第十章。やっとここまで来た。【ばぶ】警察が来たその翌日、苦沙弥先生は警察に盗難品をとりに行くために早起きしなければならない。しかしなかなか起きない。ようやく起きて朝ご飯を食べる。三人の娘も一緒にご飯を食べる。この様子がほほえましい。頑固おやじとかしまし娘である。明るい家庭小説になっている。三女は雑巾で顔を洗う。それをやめなさいと姉に言われると「いやーよ、ばぶ」と口ごたえする。いくらちゃんの得意技「ばぶー」は昔からあったオノマトペだったことがわかる。【警察嫌い】苦沙弥先生は探偵が嫌いである。この場合の探偵は警察官のことを言っている。「探偵というものには高等な教育を受けたものがないから事実を挙げる為には何でもする。あれは始末に行かないものだ。」犯人...『吾輩は猫である』の読書メモ⑩「第十章」

  • 今期のドラマ

    今期のドラマは期待外れのものもあったのですが、逆に期待以上のものもあり、結局たくさん見てしまいました。今期のドラマで最後までみたものは5つです。中でも私が一番好きだったのは『リバーサルオーケストラ』と『リエゾン』です。『リバーサルオーケストラ』はドラマの王道を行くようなドラマで、いつも癒されていました。楽しくて心がかるくなる作品でした。門脇麦さんの魅力が伝わってきます。『リエゾン』は発達障害をテーマにしたドラマです。発達障害はそんなに単純なものではありません。個性と障害の境目はあまり明確ではないし、発達障害の子供とどう接するべきか、明確な解答はありません。特別扱いしすぎてもうまくいかないし、かと言って他の子と同じに接してもうまくいきません。むずかしい障害です。しかし誰もがしっかりと目を向けなければいけない...今期のドラマ

  • 映画『コンパートメントNo.6』を見ました。

    2021年・第74回カンヌ国際映画祭のグランプリ作品『コンパートメントNo.6』を見ました。生きることのつらさをぶち破る映画でした。おそらく30年ほど前という時代設定なのだと思われます。ウィンランドからの留学生ウララは恋人と一緒にムルマンスクのペトログリフを見に行く予定だったが、恋人が突然キャンセルして一人で旅することになる。おそらく恋人はほかのパートナーができ、二人の関係は終わったのです。ウララの旅は絶望の旅です。恋人と一緒に乗る筈だった寝台列車の部屋にロシア人の労働者リョーハが乗っています。彼は酒を飲み、ウララに粗暴で猥褻な態度で接してきます。最悪な旅になってしまいます。しかし、彼らは次第に打ち解けていきます。本音で迫るリョーハは実はまっすぐで嘘がない人間であり、人を大切にしてくれる優しい人間であるこ...映画『コンパートメントNo.6』を見ました。

  • 映画『いつかの君にもわかること』を見ました。

    『おみおくりの作法』の監督ウベルト・バゾリーニの作品、『いつかの君にもわかること』を見ました。淡々とした映像が感動を呼ぶ映画でした。不治の病を患っていて死期が迫っている父親と一人息子が二人で生活しています。父親は息子を養子縁組してくれる家族を探します。様々な家族がいて父親は悩みます。仲介役のソーシャルワーカーの献身的な努力にもかかわらず、父親の悩みは深まり、そしていよいよ体も思うようにいかなくなります。父親の苦しむ姿が胸を打ちます。いつか父親も息子も「死」を受け入れるようになります。息子は父の死後も父を忘れることなく、大人になっても父親とつながり続ける、そう見ている人は感じます。父親が選んだ受け入れ家族も、心の痛みがわかり、父親の気持ちがわかる人だったと思います。余計な説明はありません。説明は登場人物を描...映画『いつかの君にもわかること』を見ました。

  • WBCはすごかった

    WBCはすごかった。もちろん日本が優勝したから言えることだが、こんなに楽しませてもらった大会はめったにない。もちろん問題もある。組み合わせや試合日程が日本やアメリカが有利にできているように見えたし、アメリカの試合日程が直前に変わったり、きちんとした大会とはなっていなかったのは事実である。もともとはメジャーリーグが開幕前のちょっとしたイベントとしてやっていた大会という位置づけだったので、そういう出鱈目な部分が残っているのだと思われる。しかし、回を重ねるたびにアメリカも本気になってきた。そして今回はかなり本気で戦いを挑んできた。出場選手もレベルアップしてきた。この大会の意義が上がってきたからであり、そうなるようにアメリカ以外の各国が努力してきたからである。だんだん本物の大会になってきた。そんな中で日本はマンガ...WBCはすごかった

  • 藤井聡太は本当にすごい

    藤井聡太五冠が渡辺明棋王に挑戦した棋王戦五番勝負で藤井五冠が勝利し、棋王位を奪取しました。これで史上2人目にして最年少での六冠を達成したとのことです。「異次元」というのは、こういう場合に使う言葉なのだろうと思います。藤井六冠は当たり前のように勝っているような印象ですが、決して必ず勝っているわけではありません。勝率は高いのですが、もちろん負ける場合もあります。渡辺名人との直近の対戦では終盤に勝ちを見逃してしまい負けてしまったということでした。勝っても負けても紙一重なのです。それでいながらこれだけタイトルを取れるというのは、単純な強さを超える力がある気がします。私は今回インターネットで時々生中継をのぞいていました。将棋のレベルが違いすぎて何がいい手なのかはわかりません。だから見ても意味がないなとは思いながら、...藤井聡太は本当にすごい

  • 『吾輩は猫である』の読書メモ⑨「第九章」

    【鏡】「哲学者」の意見に感化された苦沙弥は書斎に立てこもる。おそらかう心を自由にする修行ををしているのであろう。しかし苦沙弥が何をしているかというと、鏡を見つめているのである。つまり自分に執着しているのだ。これでは自由になれるはずがない。「吾輩」は、「鏡はうぬぼれの醸造器である如く、同時に自慢の消毒器である。」と評す。結果として苦沙弥先生の自慢の鼻は折れたようなので、少しはよくなったのかもしれない。結局は自分に執着するのはやめられないから人間なのかもしれない。【迷亭の叔父さん】迷亭が叔父さんを連れてやってくる。叔父さんは次のように言う。沢菴禅師の「不動智神妙録」の一説を紹介する。「心をどこに置こうぞ。敵の身の働きに心を置けば、敵の身の働に心を取らるるなり。敵の太刀に心を置けば、敵の太刀に心を取らるるなり。...『吾輩は猫である』の読書メモ⑨「第九章」

  • 『ヒトラーのための虐殺会議』を見ました。

    第2次世界大戦時、ナチス政権が1100万人のユダヤ人絶滅政策を決定した「バンゼー会議」の全貌を描く映画『ヒトラーのための虐殺会議』を見ました。権力の圧力は民主的な会議が「忖度」会議になってしまうことを分からせてくれます。今の日本の状況を考える上でも重要な映画です。ナチス政権はユダヤ人を絶滅させる計画をたてます。それを会議で決めていくのですが、一部ではその方針について異論を唱えるものもいます。法律の解釈を変更することへの反論を堂々と主張します。観客はこの男に期待します。しかしそれは人道的な意味でも正義のためでもなく、より効率のいい方法を提案しているにすぎなかったことに気付きます。結局はヒトラーに逆らう気持ちなどまるでありません。自分の存在意義を示しただけだったのです。おそらく現在の会議というものはそういうも...『ヒトラーのための虐殺会議』を見ました。

  • 『吾輩は猫である』の読書メモ⑧「第八章」

    【落雲館戦争】苦沙弥先生の家の隣に落雲館という私立の中学校がある。その生徒たちの態度がくしゃみは気に食わない。学校に抗議すると学校は垣を作る。その中学校の生徒たちが野球をする。ボールが垣を超えて苦沙弥の家に入ってくるので苦沙弥はやはり気に食わない。学校にさらに抗議する。このいざこざを「吾輩」は旅順戦争に譬えて語る。【3人の来客】落雲館とのいざこざもあり、苦沙弥の癇癪はひどくなる。そこに3人の来客がある。【世渡り上手の勧め】一人目は金田の知り合いで、金田から苦沙弥の様子を見てきてくれと頼まれた鈴木藤十郎である。鈴木は苦沙弥に次のように言う。「人間は角があると世の中を転ころがって行くのが骨が折れて損だよ。丸いものはごろごろどこへでも苦くなしに行けるが四角なものはころがるに骨が折れるばかりじゃない、転がるたびに...『吾輩は猫である』の読書メモ⑧「第八章」

  • 真実が力で書き換えられる国

    先週の金曜日、立憲民主党の小西洋之参院議員が安倍政権当時の総務省作成として放送法の「政治的公平」に関する内部文書を公表した。小西氏は「個別の番組に圧力をかける目的で法解釈を変えた」と批判。それに対して当時総務相だった高市早苗経済安全保障担当相は「全くの捏造文書だ」と主張した。捏造でなかった場合は閣僚や議員を辞職するかどうかを問われ「結構だ」と明言した。今日、その文書は総務省の行政文書だということが判明した。しかし高市大臣は理屈をこねくりまわし、辞任を拒否した。このことが辞任に値するのかどうかは別として、少なくとも捏造文書ではなかったのだら、謝罪をすべきなのは当然であろう。そもそも安倍政権になってから、マスコミは安倍政権に対して批判的な言動を避けるようになった。それは誰もが感じたいたことだ。この原因がそこに...真実が力で書き換えられる国

  • 映画『フェイブルマンズ』を見ました。

    スティーヴン・スピルバーグの自伝的な作品だと言われている『フェイブルマンズ』を見ました。見事な作品でした。映画の道を志す青年の成長を描きます。しかし彼の映像によって母親の秘密が暴かれる結果となり、家族関係が破綻してしまう結果になります。お互いに尊重しながら、離れ離れにならざるを得ない家族それぞれの心が、痛みとともに伝わってきます。決してセリフに頼ることなく、描写によって、心を描く監督の手腕が見事です。主人公の高校時代の関係もうまく描けています。ユダヤ人であることによっていじめられるのですが、しかし映像の力で自信を回復していきます。そして映像の力で人の心を動かしていきます。努力は信念を生み、信念が道を開く。青春時代のがむしゃらに頑張ることの大切さを教えてくれます。最期のジョンフォードと出会う場面もいい。こん...映画『フェイブルマンズ』を見ました。

  • 映画『エブリシング・エブリウェア・オール・アト・ワンス』を見ました。

    アカデミー賞最有力候補と言われている『エブリシング・エブリウェア・オール・アト・ワンス』を見ました。残念ながら私には何がいいのかよくわからない映画でした。私が大学生のころ、小劇場ブームがありました。今から40年ほど前です。東京の小さな劇場で、若い人たちの劇団が公演を行っていました。難解でありながら、感動的な音楽と笑いがあり、そして若者の熱い思いを発信する演劇でした。熱い雰囲気が、役者だけでなく観客席にまで伝わり、劇場は異空間と化していました。私はそんな小劇場のブームの中にいました。この『エブリシング・エブリウェア・オール・アト・ワンス』はそんな小劇場演劇に似ています。話はよくわかりません。しかし、異空間に飛びながらカンフーの迫力と下品な笑い、そして感動的な音楽が流れ、最後には「家族の再生」というテーマが浮...映画『エブリシング・エブリウェア・オール・アト・ワンス』を見ました。

  • 映画『BLUE GIANT』を見ました。

    石塚真一さんの漫画『BLUEGIANT』を原作としたアニメ映画『BLUEGIANT』を見ました。強引で「あざとい」展開が多少気になりましたが、ジャズのライブ感が見事であり、そして青春の力強さがビンビンと伝わってくる名作でした。感動しました。青春時代は恐れを知りません。根拠のない自信に満ちており、不可能を可能にする力があります。年を取るにしたがって人生そんなに甘くないということがわかってくるのですが、本当にそんなに甘くないのでしょうか。実は自分をそこまで追い込んでがむしゃらに努力しなかったのではないでしょうか。本当は努力が足りなかっただけなのではないかという気がしてしまいます。自信に満ちたはったり野郎をバカにしながら、そのはったり野郎こそが青春時代を熱く生きていて、自分の人生を豊かにしていたのかもしれません...映画『BLUEGIANT』を見ました。

  • 斎藤幸平著『ゼロからの「資本論」』を読みました。

    『人新世の「資本論」』の著者、斎藤幸平氏の新著『ゼロからの「資本論」』を読みました。これは「NHK100分de名著」において放送された「カールマルクス『資本論』」のテキストに加筆・修正し、新たに書き下ろした章を加えたものだそうです。そのテレビ番組も興味深く見ました。マルクス主義というとすでに終わった思想のように思われた締まっていますが、実はこれからが本当に出現するのではないかと私は思っています。その考えを後押しするような本でした。現在日本ではソ連や日本共産党のイメージから、共産主義が悪いモノ扱いされています。しかし私はマルクスの思想には学ぶべき点が多いように思っていました。マルクスが言っていたのは、資本主義が行き詰った後に共産主義が訪れると言っていたのです。まだみんなが資本主義の恩恵を受け、資本主義を信じ...斎藤幸平著『ゼロからの「資本論」』を読みました。

  • 映画『RRR』を見ました。

    話題のインド映画『RRR』を見ました。見ている人を飽きさせないアクション大作で、楽しむことができました。植民地支配からの解放という強い信念をもった二人の主人公が固い友情を結ぶ。しかしその大義のためにお互いがお互いを裏切らなければならなくなる。そのプロットが複雑でありながら、とてもわかりやすく展開する。後出しされる秘密が見るものの興味を持続させると同時に、その秘密の中にある人間としての矜持に心動かされます。そしてなによりアクションがすごい。アジアの映画はアクションがどんどん進化しています。ありえないことが次々おき、その高揚感がすごい。ダンスシーンも見事です。良質のエンターテイメント作品であり、大ヒットしているのは当然です。ただし、やはり人が死にすぎです。戦争の悲惨さというのはそういうものなのかもしれませんが...映画『RRR』を見ました。

  • 『吾輩は猫である』の読書メモ⑥「第六章」

    【暑い夏】暑い夏の描写から始まる。毛に覆われた猫にとって、暑い夏は窯ゆで状態だろう。恐らくその年の夏は実際に暑かったのだろう。実際のことを小説にそのまま書くという気軽さがいい。小説は自由でいい。【迷亭の馬鹿話】迷亭がやってきて、勝手に水を浴びている。様々な用途のある鋏を見せびらかしたり、蕎麦の食べ方を指南したりと、おそらく作者の趣味をひけらかす。そして失恋のほら話をする。失恋の話しというよりは怪談話のパロディである。落語と言ってもいい。【寒月の研究】寒月の博士論文の研究が「蛙の眼球の電動作用に対する紫外光線の影響」であることがわかる。蛙の眼球のレンズを作るために大変な労力が必要であることが語られる。そのために論文がはかどっていない。これもまた胡散臭い。【東風の俳句趣味の劇】そこへ東風もやってくる。東風は俳...『吾輩は猫である』の読書メモ⑥「第六章」

  • 映画『別れる決心』を見ました。

    映画『別れる決心』を見ました。難解な映画で、筋がつかめず不安がよぎるのですが、映像に引き込まれていき退屈はしません。見終わった後に、もしかしたらこういう話だったのかと考えさせられる、不思議な映画でした。あらすじ(うまく説明できないので、ホームページの説明をそのまま引用します。)男が山頂から転落死した事件を追う刑事ヘジュンと、被害者の妻ソレは捜査中に出会った。取り調べが進む中で、お互いの視線は交差し、それぞれの胸に言葉にならない感情が湧き上がってくる。いつしかヘジュンはソレに惹かれ、彼女もまたヘジュンに特別な想いを抱き始める。やがて捜査の糸口が見つかり、事件は解決したかに思えた。しかし、それは相手への想いと疑惑が渦巻く“愛の迷路”のはじまりだった・・・・・・。事件の真相を追うストーリーなのですが、事件の真相...映画『別れる決心』を見ました。

  • 『吾輩は猫である』の読書メモ⑤「第五章」

    第四章から少し間が空いてしまいましたが、今回は第五章【「語り手」の意識】小説の語り手は事実をそのまま書いていくわけにはいかない。語り手の意志によって省略したり、説明したり、様々な手法を駆使する。第五章の冒頭につぎのようにある。「二十四時間の出来事を漏れなく書いて、漏れなく読むには少なくとも二十四時間かかるだろう。いくら写生分を鼓吹する吾輩でもこれは到底猫の企て及ぶべからざる芸当と自白しざるを得ない。」漱石が「語り」を小説における語りを意識していたことを示す文であろう。【泥棒の出現】苦沙弥の家に泥棒が入る。犯罪小説の雰囲気があるが、やはり猫が情けないので締まらない。犯罪小説のパロディになってしまう。この泥棒、なんと「寒月」とそっくりなのである。これは後半の何かの伏線になっているのではないかと思っていたら、結...『吾輩は猫である』の読書メモ⑤「第五章」

  • 『千と千尋の神隠し』の分析的読解8「ハンコ」

    国語の授業で『千と千尋の神隠し』の分析的読解をやってみようと思い、準備しています。キーワードごとに分析していこうと考えています。まだ構想段階ですがメモ的に書いていきます。8つ目のキーワードは「ハンコ」。『千と千尋の神隠し』で、私にとって今一番わかりにくいのが「ハンコ」です。時系列的に整理します。1日目千尋の家族が新しい家に行く途中で異界に紛れ込みます。千尋がハクによって油屋に連れてこられて、湯婆婆と契約します。ただし名前は「千」としての契約です。契約が終わるとハクが再登場します。千尋は最初優しかったハクが千尋のことを覚えていなかったので悲しくなります。2日目の朝2日目の朝にハクが千尋を呼び出します。やはりハクは千尋のことを覚えていたのです。千尋は友達がくれたカードを見つけ、自分が千尋だったことを思い出しま...『千と千尋の神隠し』の分析的読解8「ハンコ」

  • 映画『対峙』を見ました。

    映画『対峙』を見ました。ものすごい映画でした。ある教会に二組の年配夫婦が集まります。一組は息子が銃乱射事件で命を落とした夫婦。そしてもう一組はその加害者の両親です。。被害者側の夫婦と加害者側の夫婦、どちらもが大きな傷を抱えており、生きていくのが厳しい状況に陥っています。なんとか立ち直ろうと話し合いを始めます。しかしその話し合いはうまくいきません。話し合いは何度も破綻しかけるのですが、それでもお互いになんとか持ちこたえようと努力します。この微妙な心が表情やセリフから伝わってきます。演技を超えた演技があります。お互いに本音をぶつけ合い、長時間向き合うことによって、心と心が触れ合います。芯から許すわけではないのかもしれませんが、被害者側が加害者側を赦します。その微妙な理屈を超えた感覚が映像によって見事に伝わって...映画『対峙』を見ました。

  • 木ノ下歌舞伎『桜姫東文章』を見ました。

    東池袋「あうるすぽっと」で、チェルフィッチュ主宰の岡田利規さんが演出する木ノ下歌舞伎『桜姫東文章』をみました。とても刺激的な演劇でした。いわゆる「普通の演劇」のようなセリフ回しがありません。感情をあまりこめないで、ぼそぼそと語る芝居です。セリフはゆっくりめのはなされるのでぼそぼそしたセリフですが、よく耳にのこります。間の取り方も自分の間で語られます。だからリアルな会話のようにも感じます。最近時々見るリアルな会話の演劇のようにも感じられます。とは言え、役者のダラダラした雰囲気は異様です。決して「演劇」にならないようにしています。見ようによっては自分勝手な「演劇理論」を見せられているような気にもなります。しかも『桜姫東文章』の筋はめちゃくちゃです。わりと最近シネマ歌舞伎で玉三郎、仁左衛門の『桜姫東文章』を見ま...木ノ下歌舞伎『桜姫東文章』を見ました。

  • 貴家堂子さんのこと

    貴家堂子さんが亡くなったというニュースが飛び込んできました。改めて言うまでもなく、『サザエさん』のタラちゃんの声を50年以上もやってきた方です。とても残念です。『サザエさん』は私の世代です。小さいころから『サザエさん』を見て育ってきました。最近はあまり見ることもなくなったのですが、それでも時々見ていました。中でもタラちゃんはかわいらしいので魅力的なキャラクターでした。舌足らずのしゃべり方に特色がありました。その声優さんの貴家堂子さんはどういう方なのか気になりました。まずは読み方がわからない。「きかどうこ」さんと勝手に読んでいました。ネットの時代になり、やっと読み方がわかるようになりました。いつの間にかタイトルバックの紹介にはルビがふられていました。今年87歳だったそうです。その年まで声優を続けてこられただ...貴家堂子さんのこと

  • 『千と千尋の神隠し』の分析的読解7「生と死」

    国語の授業で『千と千尋の神隠し』の分析的読解をやってみようと思い、準備しています。キーワードごとに分析していこうと考えています。まだ構想段階ですがメモ的に書いていきます。7つ目のキーワードは「生と死」。家族たちが車で引っ越し先の家に行く最初のシーンは現実の世界、つまり「生の世界」です。しかし山道に迷い込み、廃墟に入ったところあたりからは別次元の世界になります。ここは死の世界なのでしょうか。「銀河鉄度の夜」の項で申し上げましたが、死の世界まで行くには電車に乗る必要があります。ということはまだ完全には死んではいない。千尋たちが迷い込んだ別次元の世界は、「生と死の境目の世界」と考えるのが妥当です。そしてそこに神々が集うのです。「神々の世界」に現世の人間が迷い込むと、透明になっていくようです。千尋も最初、透明にな...『千と千尋の神隠し』の分析的読解7「生と死」

  • 映画『イニシェリン島の精霊』を見ました。

    脚本家として有名なマーティン・マクドナーの監督作品『イニシェリン島の精霊』を見ました。難しい作品ですが、老いにさしかかった人間の感情をみごとに描く作品だと私は感じました。アイルランドのイニシェリン島に暮らすパードリックはある日、いつもパブで楽しく過ごす親友のコルムから突然絶縁を告げられます。なぜ友人をやめるのか、パードリックには理解できません。このあたりは不条理劇的な要素が感じられます。コルムは残り少ない人生を意味のあることに使いたい、何かを残したいのだと言います。そのためにはパードリックとの無駄話をやめたいのです。私自身も老いを感じ始めてから、焦り始めました。まだ何も成し遂げてはいないではないか。毎日毎日生きているだけで、自分が自分であることの証が何もない。だからコルムの気持ちはよくわかります。コルムは...映画『イニシェリン島の精霊』を見ました。

  • 『千と千尋の神隠し』の分析的読解6「テーマパーク」

    国語の授業で『千と千尋の神隠し』の分析的読解をやってみようと思い、準備しています。キーワードごとに分析していこうと考えています。まだ構想段階ですがメモ的に書いていきます。六つ目のキーワードは「テーマパーク」。家族が紛れ込んだ丘陵地帯には廃墟となったテーマパークがあります。このテーマパーク、私には東京ディズニーランドに見えてしまうのです。道に迷った家族は車を建物の前に停めます。その建物の中を歩き始めます。それは東京ディズニーランドのワールドバザールのようです。そこを通り過ぎると様々な建物が立っており、そこには料理店もあります。そしてさらに奥に進むとそこに「油屋」があります。そそして「油屋」までに橋が架かっています。この「油屋」はシンデレラ城に見えてしまいます。神々が乗ってくる船は「マークトウェイン号」に見え...『千と千尋の神隠し』の分析的読解6「テーマパーク」

  • 『千と千尋の神隠し』の分析的読解5「カオナシ」

    国語の授業で『千と千尋の神隠し』の分析的読解をやってみようと思い、準備しています。キーワードごとに分析していこうと考えています。まだ構想段階ですがメモ的に書いていきます。5つ目のキーワードは「カオナシ」。『千と千尋の神隠し』で印象に残るキャラクターの一番手はカオナシでしょう。カオナシは何だったのでしょう。カオナシが最初に出てくる場面はかなり初めのほうです。千尋がハクとお湯屋に繋がる橋まで来た時、千尋が息をとめながら橋をわたっているときに、カオナシは千尋とハクをじっと見おっくていたのです。ここで注意が必要なのは、カオナシは透明になりかけていたということです。この世界では人間は透明になります。千尋が透明にならずに済んだのはハクから赤い玉を食べさせられたからです。この意味については今、考えている最中です。いずれ...『千と千尋の神隠し』の分析的読解5「カオナシ」

  • 映画『ドリーム・ホース』を見ました。

    映画『ドリーム・ホース』を見ました。夢をもつことのすばらしさを描く、気持ちが明るくなる映画でした。イギリス・ウェールズが舞台です。毎日が刺激がないまま過ごしている中年女性ジャンが主人公です。ジャンは自分の生きがいを競走馬に見出します。牝馬を貯金をはたいて買い、その牝馬に子供を産ませ競走馬にしようとします。その資金まではないために、地域の人たちを巻き込んで、共同馬主となろうとします。本当に集まるかと思われましたが、地域の人たちも刺激をもとめていたのでしょう、意外にたくさんの協力者が集まります。残念ながら牝馬は仔馬を生んだ時に死んでしまいます。しかし子馬は順調に成長します。ジャンたちはいよいよ競走馬にする行動にでます。知らないことは何でもできます。どんどん無理を実現していきます。そして「ドリームアライアンス」...映画『ドリーム・ホース』を見ました。

  • 『千と千尋の神隠し』の分析的読解4「山の神々」

    国語の授業で『千と千尋の神隠し』の分析的読解をやってみようと思い、準備しています。キーワードごとに分析していこうと考えています。まだ構想段階ですがメモ的に書いていきます。四つ目のキーワードは「山の神々」。千尋の一家は引っ越しをしてきます。場所は郊外の丘陵地帯にできたニュータウンのようです。なぜ引っ越したのか。映画を見る限り特に隠された事情があるとは思えません。車のナンバーは多摩ナンバーです。おそらく、貸家暮らしだった家族が少し不便な郊外の丘陵地帯のニュータウンに一軒家を買って引っ越したのでしょう。さて、自動車は道を一本間違えて、舗装されていない道に迷い込みます。その道には鳥居があったのですが、邪魔になるからなのか、道のわきに移動させられています。そこには神様の祠があります。その山は神々が住む山だったのでし...『千と千尋の神隠し』の分析的読解4「山の神々」

  • 『千と千尋の神隠し』の分析的読解3「銀河鉄道の夜」

    国語の授業で『千と千尋の神隠し』の分析的読解をやってみようと思い、準備しています。キーワードごとに分析していこうと考えています。まだ構想段階ですがメモ的に書いていきます。三つ目のキーワードは「銀河鉄道の夜」。はじめて『千と千尋の神隠し』を見たとき、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」とイメージが重なりました。もちろん電車で銭婆の家に行く場面です。片道切符しかなく、それに鋏を入れる車掌、そして透明な乗客など、死の世界に運ぶ汽車のように感じられました。天の川を流れるように、静寂の中で電車が進んでいきます。明らかに「銀河鉄道の夜」の世界です。最近になってネットで調べてみると、やはり宮崎監督自身が「銀河鉄道の夜」の世界を意識していたことがわかりました。以下は書籍『ジブリの森とポニョの海』より、ロバート・ホワイティングさんと...『千と千尋の神隠し』の分析的読解3「銀河鉄道の夜」

  • 『吾輩は猫である』の読書メモ④「第四章」

    【金田家の刺客】「吾輩」は金田家に偵察にいく。探偵のようであるが、「吾輩」は「凡そ世の中に何が賤しい家業だと云って探偵と高利貸程下等な職はないと思っている。」と言う。矛盾していておもしろい。夏目漱石の資本主義に対する反感も出ている。金田家に苦沙弥先生と知り合いの鈴木藤十郎が来ている。金田家では、鈴木君に苦沙弥と話をしてもらい、娘と寒月の結婚話を前にすすめるように願う。鈴木君は苦沙弥の家に来てその話をする。そこに迷亭がやってくるからやはり話は混乱する。しかし、迷亭から寒月が論文を書き始めたことが明かされる。論文を書くという事は博士になるということであり、生活が安定しそうだ。結婚話が進展していきそうな気配が生まれる。【会話の書き方の変化】この章から会話文で、カギカッコごとに改行が行われている。これは現在の小説...『吾輩は猫である』の読書メモ④「第四章」

  • 『千と千尋の神隠し』の分析的読解②「名前」

    国語の授業で『千と千尋の神隠し』の分析的読解をやってみようと思い、準備しています。キーワードごとに分析していこうと考えています。まだ構想段階ですがメモ的に書いていきます。二つ目のキーワードは「名前」。『千と千尋の神隠し』では、千尋は湯婆婆から「千」という名前を与えられ、本名を隠してしまいます。日本人が本名を表にしないというのは昔は普通に行われていたことです。例えば『源氏物語』の作者である「紫式部」や、『枕草子』の作者である「清少納言」は本名ではありません。通称です。では本名は?実はわかっていません。いくつかの説はあるようですが、確証はありません。つまり、本名は隠すのが普通だったのです。古代の日本では実名をで呼びかけることは親や主君などのみに許され、それ以外の人間が名で呼びかけることは極めて無礼であると考え...『千と千尋の神隠し』の分析的読解②「名前」

  • 『千と千尋の神隠し』の分析的読解①

    国語の授業で『千と千尋の神隠し』の分析的読解をやってみようと思い、準備しています。キーワードごとに分析していこうと考えています。まだ構想段階ですがメモ的に書いていきます。まず一つ目のキーワードは「川」。この映画で「川」がカギになるのは明らかです。千尋は小さいころ川で溺れてしまいます。そのことを思い出した結果、ハクは千尋の溺れた「コハク川」の神であることがわかります。そしてハクの本当の名前は「ニギハヤミコハクヌシ」であることもわかります。しかし、そのコハク川も埋め立てられて今はマンションが建っているということです。これは製作者が自然が失われていくことを憂えているように感じられます。その根拠となるのは川の神の登場です。川の神はオサクレ様というヘドロのような存在として登場します。ものすごく臭い。オサクレ様を千尋...『千と千尋の神隠し』の分析的読解①

  • 映画『ミセス・ハリス パリへ行く』を見ました。

    映画『ミセス・ハリスパリへ行く』を見ました。真面目で質素な生活をしていた戦争未亡人が、パリの高級ブランド「クリスチャン・ディオール」のドレスにあこがれ、古い慣習にしばられていたディオールを変革させ、自身も大きく変わっていく物語です。気持ちが明るく前向きになる映画です。自分を変えたいと思うことはよくあります。しかし日常に埋没してしまって昨日までの自分のままで今日を生きてしまうのが普通です。毎日毎日今日の自分に嫌気がさしながらも、それを変えていくことはできることではありません。自分を変えることを可能にしてくれるのは、自分の好きなことに陶酔することです。自分の人生にそれにかけることができるくらいに好きなものを見つけることです。しかしそれがむずかしい。自分が本当に好きなものって何なのだろう。そこで迷っていまいます...映画『ミセス・ハリスパリへ行く』を見ました。

  • 『吾輩は猫である』の読書メモ③「第三章」

    『吾輩は猫である』を読んで、メモしていく。今回はその3回目。第三章。【ようやく「苦沙弥」という名前が現れる】「主人」は原稿を書いているが進まない。「妻君」は「今月は足りませんが・・・」と不満を訴える。そこに「迷亭」があらわれる。「迷亭」と「妻君」との会話から主人の名前が「苦沙弥」であることがわかる。苦沙弥も小説の中ではまだ名前もない状態だったのだ。ここまで続くとは思ってなかったのに、まだしばらくこの小説を続けなければならないとなったがために、構想を練り直して設定も明確にしていこうとしている様子が伺われる。【「寒月」と金田家の娘の結婚話が始まる】「寒月」が現れる。その日の晩の演舌の稽古を始める。罪人の絞罪の刑についての考察である。絞首刑のことである。話が盛り上がらず途中で帰る。数日後、「迷亭」がまたやってく...『吾輩は猫である』の読書メモ③「第三章」

  • 学力格差への対応をきちんと考える必要がある

    朝日新聞EduAの記事がネットで紹介されていた。タイトルは「英語好きの小学生が減少、中学生は成績が二極化の傾向その原因は?」。内容は「学校の英語学習の充実が図られ、語学力が高い子が増える一方で、早くから「英語嫌い」になる子も増えてきています。」というものです。これは予想された事態です。小学校で英語が必修化されれば中学校受験で英語力を測ることになります。お金のある家庭は幼児期から英語を勉強させ、英語力が大きく伸びます。それに対して、それほど裕福ではない家庭では英会話スクールに通わせることができず、英語の力がそれほど伸びません。つまり学校で英語に触れる段階ですでに差がついてしまっているのです。これでは英語嫌いが増えるのは当たり前です。英語力は二極化します。英語力だけの問題ではありません。実は学力格差はすでに始...学力格差への対応をきちんと考える必要がある

  • 源氏物語を読む㉑「乙女」

    「源氏物語を読む」シリーズの21回目、「乙女」です。自分の備忘録として書き残しておきます。源氏と葵の上の息子夕霧が、元服を迎えました。しかし源氏は夕霧を敢えて優遇しません。六位にとどめて大学に入れます。厳しい教育パパになっています。同じ年、源氏の養女斎宮女御が冷泉帝の中宮になります。源氏は太政大臣に、右大将(頭中将)は内大臣になります。内大臣は、娘の雲居の雁を東宮妃にと期待をかけるのですが、彼女は共に育った幼馴染の従兄弟・夕霧と密かに恋仲になっていました。(このあたりのことは言葉を濁しながら書いているという感じで、読んでいてもよくわかりません。)これに内大臣は激怒します。夕霧と雲居の雁のふたりはもとのようには一緒に過ごすことはできなくなります。ここから夕霧の優柔不断の性格が出てきます。いろんな人を次から次...源氏物語を読む㉑「乙女」

  • 歌舞伎『人間万事金世中』を見ました。

    2023年、歌舞伎座の新春歌舞伎第二部を観劇しました。見たかったのは黙阿弥がイギリスの劇作家リットンの「マネー」という戯曲を翻案した『人間万事金世中』。明治期に伝統的な江戸文化を土台としながら、どのように西洋文化を取り入れていったか、つまり日本の近代文化がどういう風に生成していったのかを考えるのに重要な作品ではないかと思い見に行きました。【あらすじ】恵府林之助は叔父の辺見勢左衛門のもとで居候として身を置いていた。勢左衛門は金に汚い男で、甥に当たる林之助も店の丁稚同様に扱っている。その林之助に莫大な遺産が入る。その遺産をもとに商売をはじめようとする。そこに勢左衛門が訪れ、自分の娘を嫁にもらえと言う。もちろん林之助の財産目当てであった。そんなところに、寿無田宇津蔵という男が弁護士の口の上糊を連れて訪れる。宇津...歌舞伎『人間万事金世中』を見ました。

  • ntlive『レオポルトシュタット』を見ました。

    英国で上演された演劇をそのまま映像にして公開するntlive。トムストッパードの新作『レオポルトシュタット』が日本で上映されています。初日に見に行きました。ものすごい映画(演劇)でした。ユダヤ人のおかれた状況、その状況の中でさまざまな困難を克服しながら生きていく人間の姿が描かれます。第二次世界大戦時のユダヤ人の苦しみは想像を絶するものがあります。とは言えだれもが表と裏があり、自分勝手な部分があります。打算もあります。それが人間の真実であり、責める必要はありません。客観的に見ればダメな部分も含めて人間なのです。そしてその虚と実が歴史になっていきます。歴史の悲しさといとおしさが最後の場面にぐっとせまってきます。この作品、登場人物も多く、しかも年代が長期にわたります。誰が誰かがわかりにくくなります。私は日本の上...ntlive『レオポルトシュタット』を見ました。

  • 『吾輩は猫である』の読書メモ②「第二章」

    【近代知識人の苦しみ】「吾輩」は「主人」の日記を紹介する。「主人の様に裏表のある人間は日記でも書いて世間に出されない自分の面目を暗室内に発揮する必要があるかもしれないが、(略)」いわゆる「近代知識人」は、世間一般の人たちと次元の違うことを考えていた。これは「近代知識人」の見栄だったかもしれないし、「西洋文化」を吸収した人の必然だったのかもしれない。いずれにしても世間との乖離に苦しみながら生きていくことになる。【単なる語り手ではない「吾輩」】猫は単に人間社会を語る語り手ではない。自分自身も活動し、それも語っている。「吾輩」は雑煮のもちを食べる。噛み切れず、のどにつかえる。持ちを前足二本で取ろうとする。二本足で立ち、踊りを踊っているようになり、人間たちに笑われる。三毛子に会いに行く。三毛子の飼い主は琴のお師匠...『吾輩は猫である』の読書メモ②「第二章」

  • タモリさんの一撃

    タモリさんが昨年末の『徹子の部屋』に出演し、司会の黒柳徹子さんから「来年はどんな年になりますかね?」と尋ねられると、次のように答えた。「誰も予測できないですよね。これはね。でもなんて言うかな。新しい戦前になるんじゃないですかね」すごい言葉だ。今生きているほとんどの日本人は戦争をしらない。だから戦前の状況なんかわからない。しかし最近の日本の状況を見ると戦争に向かっているのではないかと感じることが多くなってきた。軍事費の大幅な増額も表立った反対は聞かれない。軍事費の増額に対して賛成する気持ちは理解できるが、それがこれまでの2倍になるということは行き過ぎなのではないだろうか。それを議論するような雰囲気もなく、総理の言われたままに進むように感じられる。原子力発電所も大きく政策転換した。それも議論がない。国家予算も...タモリさんの一撃

  • 日本のデフレマインドを作っているものは何か(渡辺努著『世界インフレの謎』を読みました)

    あけましておめでとうございます。今年は私にとっても変化のある年なので、なんとかふんばっていきたいと思います。去年から渡辺努氏の『世界インフレの謎』という本をゆっくり読んでいました。それを元旦に読み終えました。この本は現在進行しているインフレがどういうメカニズムで起きているかを筆者なりの解釈を示してくれているものです。筆者はこのインフレの原因はパンデミックによる行動変容であると説明します。経済はすでにグローバル化しており、パンデミックはこのネットワークを機能不全にしてしまいました。その結果、供給不足になり物価上昇が始まります。しかし多くの人はパンデミックがおさまり経済を回し始めればおさまると思っていました。ところがそうはいかなかった。その原因はパンデミックによって行動変容が起こったからだと筆者は主張します。...日本のデフレマインドを作っているものは何か(渡辺努著『世界インフレの謎』を読みました)

  • 2022年に見た映画

    今年もコロナのためにほとんど遠出できなく、映画をたくさん見ることになりました。今年見た映画は以下の通りです。1SayonaraAmerica2チャサンオポ3クライマッチョ4スパイダーマンノーウェイホーム5コーダあいのうた6フレンチディスパッチ7ドライブマイカー8ウェストサイドストーリー9前科者10ドリームプラン11シラノ12ブラックボックス13テレビで会えない芸人14偶然と創造15スティルウォーター16パワーオブザドッグ17ベルファスト18シネマ歌舞伎桜姫東文章上の巻19アネット20英雄の証明21金のいと22ゴヤの名画と優しい泥棒23シネマ歌舞伎桜姫東文章下の巻24マイニューヨークダイアリー25教育と愛国26トップガン27わたし達はおとな28ナワリヌイ29オフィサーアンドスパイ30エルヴィス31わたしは最...2022年に見た映画

  • 『吾輩は猫である』の読書メモ①「第一章」

    『吾輩は猫である』を読んだ。第一章だけは国語の教科書で読んだような記憶がある。おそらく中学校だった。おもしろかったという記憶だけが残っている。第二章以降、読もうとしたことはあったが、文字だらけですぐに挫折した。この年になり、再度挑戦した。様々なことを考えた。この小説についてもっと深く考察したいと考えている。そこで、さらに再読しながら、気になったことをメモしていきたい。今回はその1回目。第一章を読んでの雑感。【猫の視点】夏目漱石自身をモデルとしたと思われる人物である「主人」(「くしゃみ先生)のことだが、第一章ではくしゃみ先生という名前はまだ出てきていない。)と、その家族、そして「主人」の友人を猫が描写するという形をとっている。この方法によって夏目漱石は自分自身のことを客観的に描こうとしていることが伺われる。...『吾輩は猫である』の読書メモ①「第一章」

  • 映画『ホイットニー・ヒューストン』を見ました。

    ホイットニー・ヒューストンの半生を描いた伝記映画、『ホイットニー・ヒューストン』を見ました。人間の強さと弱さがしみてくる深い、いい映画でした。この映画でホイットニー・ヒューストンはとても繊細な心をもった人物として描かれます。ステージにあがりソロで歌うことに恐れ、体の具合が悪くなるほどです。しかし彼女の実力は自信を与えます。その自信はさらに彼女を強く魅力ある人物にしてくれます。その自信こそが彼女をスターにしてくれます。しかし一方ではその自信は彼女を苦しめます。うまくいかなかった場合の不安がつねに付きまといます。いやなことから逃げるように麻薬に溺れてしまいます。麻薬の力ですばらしいステージを作り上げますが、それがさらに彼女を追いこんでしまいます。これは人間誰もが理解できます。何かを成し遂げるためには自信が必要...映画『ホイットニー・ヒューストン』を見ました。

  • 源氏物語を読む⑳「朝顔」

    「源氏物語を読む」シリーズの20回目、「朝顔」です。自分の備忘録として書き残しておきます。光源氏32歳の秋から冬の話。・源氏を拒否し続けた「朝顔」式部卿宮が死去したので、その娘、朝顔は賀茂斎院を退いて邸にこもっています。それをチャンスと光源氏は朝顔のもとに出向きます。しかし朝顔はそれをやはり拒みます。こうなると源氏はさらに朝顔に熱心になります。となると紫の上の気持ちはおだやかではありません。さすがに「いい加減にしてほしいよ、この男。」と思ってしまいます。朝顔は源氏を拒み続けた女性として、特筆すべき人物です。・源の典侍色好みおばちゃまの源の典侍が、色好みおばあちゃまとして再登場します。朝顔と対照的な女性として登場し、さらに笑いの要素にもなっています。目立ちすぎです、このばあさん。・藤壺の夢光源氏が紫の上にこ...源氏物語を読む⑳「朝顔」

  • 映画『ケイコ 目を澄ませて』を見ました。

    映画『ケイコ目を澄ませて』を見ました。耳が聞こえない人を丁寧に描写し、自分が耳が聞こえなかった場合を想像させ、そしてその状況で生きることを実感させてくれる映画でした。いい映画です。小笠原恵子さんの自伝「負けないで!」を原案にした、耳が聞こえないボクサーの実話をもとに描いたということです。丁寧な描写がこの映画のすばらしいところです。それによってさまざまなことが共感できます。耳が聞こえない人を描いた映画は最近多く見られます。その中でもこの映画は、さまざまな場面を丁寧に描写しています。聞こえないことの苦労も、逆に聞こえないで過ぎていくことによって助かる部分も描かれます。しかし、本当に助かっているのかもわかりません。周りの人々の気の使い方も様々です。それにどう対応するのかも面倒になっていきます。そこで生まれるフラ...映画『ケイコ目を澄ませて』を見ました。

  • ブルックリン・ネッツ

    NBAの話。昔NHKのBSでNBAをたくさん放送していた。ほぼ毎日放送していて、一日2試合放送の場合もあった。冬は野球はないし、サッカーも週末にしかない。私はスポーツ中継が好きだったので、夜、NBAを見ながら酒を飲んでいることが多かった。当時、ジェイソンキッドという選手のファンになった。ポイントガードで、ゲームをコントロールする役割の選手である。その選手がネッツに移籍した。すると弱かったネッツがいきなり強くなった。その当時はニュージャージーに本拠地があった。ニュージャージーというのはニューヨークのとなりの州で、ニューヨーク圏だということがわかり、ニューヨーク旅行をして、ネッツの試合も見に行った。その試合も逆転勝ちして、そこからネッツの本格的なファンになった。ネッツはニューヨーク州のブルックリンに移転した。...ブルックリン・ネッツ

  • 源氏物語を読む⑲「薄雲」

    「源氏物語を読む」シリーズの19回目、「薄雲」です。自分の備忘録として書き残しておきます。光源氏31歳冬から32歳秋の話。この巻は登場人物の心の揺れが描かれます。・女性の視点明石の君は、姫君をどうすればいいか悩みます。源氏との間の子供なのだから源氏に引き取られることもやむをないのかもしれませんが、とは言え自分のもとでこれまで育ててきた子供です。手放したくないのは当然です。姫君の将来を考えれば源氏のもとに置いたほうがいいのでしょうが、継子のように扱われるのも心配です。悩みぬいた末、結局はて姫君を源氏に委ねることを決断します。明石の姫君の心情の表現は、女性の視点が明確に表れています。当時も男性社会であったわけですが、その中で女性の視点での物語が生成しているというのは、画期的なことです。・紫の上の心の揺れ明石の...源氏物語を読む⑲「薄雲」

  • 「グローバリズム」という名の「アメリカ化」がナショナリズムを増長させる

    なぜ日本の軍事費を大幅に増やさなければいけないのか。世界中の国々が、「グローバリズム」と言って肯定的に受け入れていたものが、単なる「アメリカ化」でしかないことに気が付いたからだ。いつの間にかアメリカのために経済活動をしているとわかったのだ。日本もどんどんアメリカ化が進んでいる。スマホはアップル製かアンドロイド。教育にはアップルとグーグルが入り込み、情報も教育もすでにアメリカに支配されている。食べ物でさえ、アメリカからの輸入品が増えている。あきらかにアメリカの属国となりつつある。日本はアメリカと軍事同盟を結んでいるので、それを受け入れるしかないが、中国やロシアはそうはいかない。アメリカに対する恐怖心がナショナリズムを増大させているのである。少なくとも情報が一国に集中するようなことがないようにしなければならな...「グローバリズム」という名の「アメリカ化」がナショナリズムを増長させる

  • 源氏物語を読む⑱「松風」

    「源氏物語を読む」シリーズの18回目。「松風」です。自分の備忘録として書き残しておきます。光源氏は31歳。・明石の姫君の苦悩二条東院が完成し、源氏は東の対には明石の君を迎えたいと考える。しかし明石入道は直接、源氏の所に行くことを躊躇する。大堰川近くの山荘を修理して娘をそこへ住まわせることに決めたという。明石の御方は父入道を一人明石に残して姫君や母尼君と共に上京する。しかし源氏はなかなか大堰を訪れない。ようやく大堰を来訪。明石の御方と3年ぶりの再会をする。そして初めて娘と出会い、感動する。一日も早く姫君を都へ迎えたいと考える。源氏は姫君を養女として育ててほしいと紫の上にお願いする。明石の君は娘を手放すことになり、苦しむ。・紫の上の苦悩紫の上にとって子供ができないというのは大きな負い目である。いつか源氏は自分...源氏物語を読む⑱「松風」

  • 軍縮の議論も忘れてはいけない

    日本政府は5年間で約43兆円の防衛費の大幅増の方針を打ち出した。GDPの2%まで到達させる規模だと言う。私は防衛費の増額は必要だと考えている。近年の中国や北朝鮮の状況を考えると、これまでと同じように考えるわけにはいかない。また、いつまでもアメリカに頼りきっていては、アメリカの属国になってまう。やはり自国の防衛は自国ですべきである。ただし、この防衛費の大幅増はいきなりすぎる。なぜこれまでの2倍なのか、その根拠が明確でないままただ金額が出され、それがあまり批判がないまま突然出されたという印象である。しかも、その後もしっかりとした議論もない。逆に議論をしかけるとその政党は国賊だとばかりバッシングを受ける雰囲気だ。自由な言論が奪われているという雰囲気だ。さらにはその財源の問題もある。いったいどこからお金をもってく...軍縮の議論も忘れてはいけない

  • 源氏物語を読む⑰「絵合」

    「源氏物語を読む」シリーズの17回目。「絵合」です。自分の備忘録として書き残しておきます。・権力争い六条の御息所の娘である斎宮は、内大臣光源氏の後見のもと入内して、梅壺に入り冷泉帝の女御となります。若い冷泉帝は始めは年上の梅壺女御になじめなかったのですが、絵画という共通の趣味をきっかけに寵愛を増すようになります。冷泉帝にはもう一人の正妻である弘徽殿の女御がいます。この女御は、以前光源氏と仲の良かった頭の中将の娘です。冷泉帝にはふたりの女御がいて、寵愛を競いあうことになります。これは源氏と頭の中将との権力争いということにもなります。仲の良かった二人が、年を重ねてライバルとなっていく。男の世界の権力争いがリアルに描かれていきます。・絵合この権力争いは「絵合」に発展します。頭の中将は梅壺の女御に負けじと豪華な絵...源氏物語を読む⑰「絵合」

  • ESAT-Jについて

    東京都で中学校3年生に都立高校入試に導入されるものとして中学校英語スピーキングテスト(ESAT-J)が実施されました。ESAT-Jについては英語のスピーキング能力をつけるという意味では効果があるようにも思われます。しかし採点が困難であることなど入試に導入するには公平性が保てないという問題など、さまざまな問題があります。さらにはこのような改革が検証がたりないまま、とりあえずやってみようという行政の態度も問題があります。「改革にはスピードが必要だ。」と期限を先に決めて無理矢理断行してしまいます。それによってどれだけ現場が混乱するかなんて考えてもいない。政治家と業界の利益が優先されているだけなのです。ESAT-Jはベネッセが作成している。これによってベネッセの教材やテストが売れるのはあきらかです。特定の業者の利...ESAT-Jについて

  • 源氏物語を読む⑯「関屋」

    「源氏物語を読む」シリーズの16回目。「関屋」です。自分の備忘録として書き残しておきます。「関屋」は「蓬生」と同じようにスピンオフのような作品です。出てくる女性は「空蝉」。非常に短い巻です。・「空蝉」「空蝉」は伊予介の後妻です。伊予介との年齢差があり、息子や娘とほとんど同じ年代だったようです。「空蝉」は光源氏の愛を一度は受け入れたのですが、それ以降は受け入れなかった女性です。「受け入れなかった」というよりも「受け入れたかったがそれができなかった」と言うべきなのかもしれません。夫を裏切れなかったのです。当然と言えば当然です。・逢坂関源氏が明石から帰京した翌年、夫である常陸介(元伊予介)が任期を終えて、空蝉と共に戻ってきました。石山寺へ参詣途中の源氏は逢坂関で、空蝉の一行に巡り会います。逢坂関は出会いと別れの...源氏物語を読む⑯「関屋」

  • 映画『アフター・ヤン』を見ました。

    コゴナダ監督作品、映画『アフター・ヤン』を見ました。ロボットを描くことで、人間とは何かを考えさせる、詩的な映画でした。舞台となっているのは、近未来というにはもう少し遠い未来です。人間と見分けがつかないようなロボットがいる世界です。そんなロボットのヤンが突然動かなくなってしまいます。「家族」はヤンが再び動き出すこをを願い、修理(治療?)できないか奔走します。しかしそれがむずかしいことがわかってきます。するとヤンが見ていたものが情報として残っていたことがわかります。ヤンは自分の「意志」で動いていたとしか思えない「記憶」を残していました。いったいこれはなんだったのでしょう。ヤンは人種としてのこだわりを持ち、クローンに対するやさしさを持ち、家族を大切にします。人間としてのつながりを一番に考えるロボットだったのかも...映画『アフター・ヤン』を見ました。

  • 源氏物語を読む⑮「蓬生」

    「源氏物語を読む」シリーズの15回目。「蓬生」です。自分の備忘録として書き残しておきます。・追加情報の巻「澪標」は源氏物語の第一部のまとめであり、第二部の始まりという位置を占めています。そのころのことを描いてはいるのですが、後から付け足したような巻がこの「蓬生」です。登場する女性はあの末摘花。「末摘花」の巻もスピンオフのような巻でしたが、この巻もその流れで存在しています。つまり後から付け足したようなお話なのです。・不思議な女性、末摘花末摘花は美しいわけでもないし、華やかさもない。古風でおとなしだけの女性です。人並ではないとまで「語り手に」言われてしまいます。なぜか源氏からは通われていたのですが、その理由もよくわからない。源氏が須磨に去ったころから、周りの女房達もみんな、逃げるように去っていき、家は荒れ放題...源氏物語を読む⑮「蓬生」

  • 不正が当たり前になっている世界では、まともな人間が自分を保てない

    関西の大手企業社員である28歳の男性が、企業が採用のためインターネット上で実施している「適性診断テスト」に、謝礼を受け取って替え玉受験していたとして逮捕された。この事件にはさまざまな論点があるのはわかる。しかし一番大きな問題は、この事件について、こういう犯罪行為も当たり前のように行われていた、というようなことを言う人が見られることである。不正があるのは知っているが、それを悪いことだと思っていないという人がかなりの数いるということだ。こういう感覚は、相次いで辞任した大臣たちにも共通するものだ。悪いことは悪いがみんなやってることなんだからしょうがない。そんな気持ちで不正を行っていた。いざ、表沙汰になってしまうと、誰も守ってくれなく、袋叩きに会う。オリンピックの不正問題も同じだ。この程度の不正は日本では当たり前...不正が当たり前になっている世界では、まともな人間が自分を保てない

  • 源氏物語を読む⑭「澪標」

    「源氏物語を読む」シリーズの14回目。「澪標」です。自分の備忘録として書き残しておきます。またまた中断してしまいました。我ながら本当に情けない。とは言え、今後も続く自信ありません。頑張らなければいけません。・まとめの巻「須磨」「明石」と続いた激動の展開が終わり、京に戻ってきた源氏が権力を握り、さまざまな問題が解決していく様子、あるいは自然と解決してしまう様子が描かれます。しかし一方では新たな展開の「種」をまき散らします。・権力を得る源氏朱雀帝は東宮が元服を迎えたのを期に、位を退き冷泉帝へ譲位しました。この東宮というのは実は源氏と藤壺の息子です。つまり源氏は天皇の親になりました。表向きは亡き桐壺院の子息なので、帝の親としての権力を得るわけではありませんが、源氏は桐壺院に代わる親代わりとして力を得ることになり...源氏物語を読む⑭「澪標」

  • 「白崎映美還暦大感謝祭 『MOKKEDANO!!』」に行きました。

    2022年11月22日に酒田市希望ホールで開催された「白崎映美還暦大感謝祭『MOKKEDANO!!』」に行きました。酒田市出身の白崎絵美さんの歌の力を堪能できるすばらしいコンサートでした。このコンサートは3部構成になっています。第1部が「白崎映美&白ばらボーイズ」。第2部が「上々颱風」。第3部が「白崎映美&東北6県ろ~るショー!!」。第1部の「白崎映美&白ばらボーイズ」は、酒田市にあった「キャバレー白ばら」が経営不振で店を閉じそうになった時に、酒田の娯楽の火を消さないためにと白崎さんが結成したグループです。昭和の香りのするコンサートです。第2部が伝説のバンド「上々颱風」の1日限りの復活ライブです。「上々颱風」はメジャーなバンドではありませんが、しかし誰もが知っている伝説のバンドです。一度聴いたら絶対に忘れ...「白崎映美還暦大感謝祭『MOKKEDANO!!』」に行きました。

  • 教育改革の混乱

    教育改革が混乱している。以前は教育の改革はゆるやかに行われてきた。それがいいわけではない。そのために旧態依然として教育が平気に行われていたのは事実だ。しかしこの10年教育改革はスピードを急激に増してきた。ここに来てコロナの影響もあってICTの導入が進み、改革のスピードが加速度的に進んでいる。小学校のプログラミングの導入、英語の教科科、スピーキングテストの導入、高校における「情報」の必修化ならびに共通テストへの導入など、どんどん改革が進んでいる。それぞれの改革の意味は分からなくはない。しかし議論が分かれる部分もあるのは事実である。それでも議論がほとんどないまま(少なくとも表立った議論はないまま)に、政府は改革を断行している。一番困っているのは現場である。教員を増やすこともなく、改革だけはどんどん推し進められ...教育改革の混乱

  • 夏目漱石作「倫敦塔」を読みました。

    語り手は「余」。「余」が倫敦塔を見物に行った時のことを語るという形態の小説である。文体は論文風。固い文章である。倫敦塔は一時期罪人が幽閉される場所であった。歴史的な有名人も含め多くのものが処刑された。死者の魂が宿る場所なのだ。人間である限り、死者に対しては過敏に反応する。だからこそ「余」は死者の幻想を見る。この小説の大きな特徴は「余」は明らかに現実をみながら、その現実が幻想とまじりあっていくことである。読者は「余」の語りが幻想なのか現実なのかがわからない。わからないままふわりふわりとした浮遊感を感じながら読むことになる。その浮遊感は不安感であり、恐怖感を生む。ただし、語り手は「余はこの時すでに状態を失って居る。」と自分自身で書いているように、自分が「不安定な視点」となっていることを認めている。読者は不安定...夏目漱石作「倫敦塔」を読みました。

  • 日本ハムファイターズの新球場の問題

    日本ハムが来春に開業する新球場「エスコンフィールド北海道」のファウルゾーンのサイズが問題になっている。公認野球規則では本塁からバックネット側のフェンスまで60フィート(約18メートル)以上が必要とされているが、15メートルほどしかないというのだ。私には子問題が必要以上に大きくなっていることに、日本の姿が見えるように思われる。規則は規則なのだからこれを遵守しなければならないという主張はもっともである。これを否定したら規則なんてなんの意味もなくなってしまう。規則を盾に主張をし続ければ誰も反論できない。しかし一方では、その規則自体が古いものであり、どういう根拠で作られたものかもよくわからないものであるようだ。そもそもがアメリカではアバウトであったものが日本語に訳された際に厳密になったという説明もある。しかもこの...日本ハムファイターズの新球場の問題

  • 映画『アイ・アム まきもと』を見ました。

    私の生まれ故郷である山形県の庄内地方で撮影された『アイアムまきもと』を見ました。少なくとも山形県では話題になっている映画だったのですが、私自身はどういう映画かまったくの予備知識のないまま見に行きました。感動的な作品でした。家族に看取られて死ぬのは幸福なことです。しかし多くの人はそうはいきません。ひとりで死んでいく人がたくさんいます。特に現在の社会状況ではそれが当たり前のようにも思われます。一人で死んでいく人を火葬してあげるのが、牧本の仕事なのでしょう。市役所の職員としてはそれで充分です。しかし、牧本はそれ以上のことをしてしまいます。家族を探し、さらには葬式を自費で行います。ありえないといえばありえない話なのですが、一人で生きる牧本の日常を見ていると、そのありえないこともリアリティがあります。牧本のやること...映画『アイ・アムまきもと』を見ました。

  • 夏目漱石の「思い出す事など」を読んだ。

    夏目漱石のエッセイ「思い出す事など」を読んだ。新潮文庫の『文鳥・夢十夜』に収録された作品である。主に修善寺の大患のことが記されている。読むのに時間がかかったが、漱石の人生観の変化を理解するためには必読の作品であった。この作品は、1910年(明治43年)の修善寺の大患を描いている。漱石の前期3部作と後期3部作の中間の時期に書かれた。朝日新聞に掲載された。漱石は1910年(明治43年)6月18日から7月31日まで胃潰瘍で入院していた。退院後、門下の松根東洋城が北白川宮の避暑に随行して修善寺に行くことになり、漱石は養生のつもりで修善寺へ同行した。養生のために行ったはずの漱石の胃はむしろ悪化し、8月17日に吐血する。東洋城が東京へ連絡し、翌18日に医師が、19日に妻の鏡子が修善寺に到着。彼らの見守る中で8月24日...夏目漱石の「思い出す事など」を読んだ。

  • 映画『窓辺にて』を見ました。

    今泉力哉監督作品『窓辺にて』を見た。会話に引き込まれる作品だが、私には理解しがたい作品だった。監督今泉力哉脚本今泉力哉出演者稲垣吾郎中村ゆり玉城ティナ若葉竜也志田未来佐々木詩音小説家であった市川茂巳は、1作だけ小説を書いた後、小説を書いていない。今はフリーライターである。妻、紗衣は編集者であり、売れっ子小説家である荒川円と浮気している。茂巳はその妻に対して怒りも何も感じないことを悩んでいる。私にはそもそもそのこと自体にリアリティを感じない。妻を愛しているならば怒りを覚えるだろうし、愛していないならば悩みはしないのが当然だ。どうもドラマの設定自体が無理があるのだ。もしかしたらこういう人間がいるかもしれない。しかしこういう人間がいるとすれば、それを納得させるような展開があるはずだ。しかしこの映画を見る限り、私...映画『窓辺にて』を見ました。

  • 新語・流行語大賞

    今年の「新語・流行語大賞」のノミネートが発表された。近年は流行語と言えるようなものはあまりなくなってしまった。近年は一部の人が言っているだけだけど、その年を象徴するような言葉や、ニュースで説明のために頻繁に使わなくてはならない言葉などが対象になる傾向がある。それが悪いというわけではないが、言葉のおもしろさがあまりないのは残念に感じられる。今年の候補を見る限り、わたしにとってインパクトがある言葉は少なかった。中で大賞にしてもいいかなと思う言葉を選んでみた。6.オミクロン株10.きつねダンス13.宗教2世19.丁寧な説明23.村神様以上の5つだ。「オミクロン株」は一番耳にした。とは言え、それが何なのだという言葉のようにも思われる。「きつねダンス」はテレビでもよく取り上げられ、楽しい気分にさせられる。「宗教2世...新語・流行語大賞

  • ミサイルの恐怖

    北朝鮮がまたミサイルを撃った。しかも今回はJアラートが発動され、しかもその対象地域に山形県が含まれていた。私は今山形県に住んでいる。だから恐怖を感じた。これまでも北朝鮮はたくさんミサイルを撃った。とても腹立たしく思っていた。しかし恐怖を感じるほどのことはなかった。他人事のように感じてしまっていた。しかし今回自分の地域が対象になってみると、感覚がまるでちがった。もちろん日本を狙ったものではないということはわかっていた。しかも対象となっている地域も広い。被害が及ぶことはないということは理屈の上ではわかっていた。しかし万が一、あるいは億が一のことを考えてしまう。それが人間なのだ。ウクライナの人たちの感覚はどうなのだろう。この恐怖に慣れていくことなんてあるのだろうか。戦争の恐怖をほんのわずかだが実感した朝だった。ミサイルの恐怖

  • 今村夏子作『むらさきのスカートの女』を読みました。

    今村夏子作『むらさきのスカートの女』を読みました。近代小説の大きな特徴である「語り手」の存在が前面に出てくる二重構造の小説です。その構造が不思議な世界をつくりあげます。語り手はだれなのでしょう。主人公と思われる「むらさきのスカートの女」は確かに変わった人です。しかしすぐにその「むらさきのスカートの女」に、ストーカーのように固執する語り手のほうが異常であることに読者は気がつきます。しかし語り手はそれに気が付いていないようです。読者は「語り手」を観察し始めます。しかしその「語り手」の書いていることは本当に信じていいのでしょうか。どうもあやしい。同じ職場にいながらこんなに「むらさきのスカートの女」に近づけるはずがありません。それなのに無理な行動がさも普通の行動のように語られるのです。だんだん「語り手」が信じられ...今村夏子作『むらさきのスカートの女』を読みました。

  • 日本のプロ野球が変わるべきこと

    プロ野球をよく見ていた。とは言え、最近はそれほどでもなくなった。なぜと言われてもわからない。とは言え、たまには見る。今年の日本シリーズもチョコチョコ見ている。すごい試合をしている。やはり野球はおもしろい。ただし、日本のプロ野球も変わらなければならないことがある。一つ目は、DH制だ。セ・リーグはDH制を採っていない。しかしDH制を採用したほうが、打撃専門の選手が生かされる。これは多様な選手を受け入れることになる。大谷翔平が生かされたのもDH製のおかがなのだ。もうこだわる理由がないのにこだわるセ・リーグの考え方は理解しがたい。二つ目は4番打者がエースバッターだという考え方だ。もはやアメリカの野球はそんな古い迷信的な常識は捨てている。1,2,3番に打力の高い選手を集めている。このほうが理にかなっているのだ。三つ...日本のプロ野球が変わるべきこと

  • 著作権についての問い

    10月24日、音楽教室のレッスンでの演奏で、曲の使用料を払う必要があるかどうか争われた裁判で、最高裁は生徒の演奏については曲の使用料を払う義務がない判断しました。当然といえば当然の判決です。ただし、著作権については改めて考える必要があります。そもそも著作権というのは、「近代」の産物です。「近代」というのは「個人」が重要視される時代です。だから個人の権利が大幅に認められました。著作権もそのひとつです。様々な著作物は個人のものなのでしょうか。小説だって映画だって伝統の上に立ってできているものです。完全に個人のものとは言えないはずです。それでも「近代」という時代は個人を優遇してきました。しかし「近代」は行き詰っています。「個人」の時代はもう終わりつつあるのです。その時代に「著作権」は生き残れるのでしょうか。私は...著作権についての問い

  • 「結果として」という言葉

    山際大臣が辞職した。当然の結末であり、いつ辞めるのかという状態だった。ここに来ての辞職は完全に山際大臣のウソのためであり、国民誰もがそう思っていた。だからここで「結果として」という言い訳をしている山際氏を許すわけにはいくはずがない。もしこれが許されるとしらら、山際氏が袋叩きに会おうと、国会や記者会見で弁明しなければならない。そんな勇気があるはずがない。なぜなら国会答弁がごまかしだったからだ。もしそうでないならば、きちんと対応しなさい。最近、「結果として」という言葉が軽く使われすぎている。「結果として」というのは自分の意図とはまったく違う方向にいってしまった場合に限られる。しかしそうではない場合で簡単に「結果として」という言葉が使われてしまう。許すわけにはいかない。「結果として」という言葉

  • 春風亭一之輔独演会に行きました。

    山形市遊学館ホールで開催された「春風亭一之輔独演会」に行きました。若手落語家ナンバーワンといっていい春風亭一之輔師匠は山形によく来てくれます。今回は遊学館ホールという狭いホールでの落語会です。広さが寄席の雰囲気に似ているので、落語にはよく合うホールです。そこでの落語会。とても楽しめました。最初はダブルブッキングして日程が変更になったことを語ります。一之輔師匠のミスです。これがおもしろい。普段は少し生意気さを演じることが多い一之輔師匠ですが、さすがに恐縮して笑いを生みます。今回の演目は「味噌蔵」と「猫の災難」。どちらも酒の失敗話です。飲まなきゃやってられないということなのでしょうか。疲れがたまっていて厳しい日が続いていたのですが、いい気分転換になりました。春風亭一之輔独演会に行きました。

  • 新国立劇場で『レオポルトシュタット』を見ました。

    新国立劇場中劇場でトムストッパードの新作『レオポルトシュタット』を見ました。演出は小川絵梨子。一筋縄ではいかない大作です。オーストリアのウィーンのレオポルトシュタットに住むユダヤ人家族の歴史を描きます。戦前の華やかな時代、戦中の差別を受けている時代、そして戦後、時代の変遷の中で家族がどう歩んできたか。時代のスパンも長く、登場人物も自然と多くなります。それを2時間あまりで描くのですから整理しきれないかもしれません。私は事前に『悲劇喜劇』に掲載された戯曲を読んでいったので、ある程度は予習できていました。それでも誰が誰だかわからなくなっていまう場面もありました。予備知識がなく見た人はどうだったのでしょうか。気になるところです。舞台の大きな特徴は広い舞台だということです。新国立劇場中劇場の10列までをつぶして、部...新国立劇場で『レオポルトシュタット』を見ました。

  • 『舞いあがれ!』への期待と『ちむどんどん』に対するネットいじめ

    NHKの「朝ドラ」『舞いあがれ!』が始まった。順調な滑り出しだ。特に高畑淳子さんがすごい。近年の高畑さんの演技は「本物よりも本物っぽい」。年老いたまっすぐで融通のきかない母親そのものである。人生を演技にかけている凄みがある。『舞いあがれ!』はまだ始まったばかりだ。今後に期待したい。一方では前作『ちむどんどん』への誹謗中傷はいまでにネットに出てくる。演者や関係者がどれだけ傷ついているか。いい加減にしてほしい。確かに、『ちむどんどん』は雑なところが目立つ作品だった。批判を受けるのはしょうがない。しかしネットに反応は度を越していた。最後は集団での揚げ足取りになり、陰湿ないじめとなっていた。「ネットいじめ」そのものである。今回の『舞いあがれ!』でも、「ありえない」と思うところはいくつか見られる。疎遠になっている母...『舞いあがれ!』への期待と『ちむどんどん』に対するネットいじめ

  • ドラマ『ファーストペンギン』への期待

    いくつかの秋のドラマが始まりました。ドラマ好きとしてはいいドラマに出会えることを期待しています。前回『PICU』への期待を書きましたが、もう一つ『ファーストペンギン』にも期待しています。このドラマも漁港という、あまりドラマの舞台になっていない場所を舞台となっています。しかもそこで、古い慣習を打ち破り新たなビジネスを始める女性を描いています。これまであまりなかったドラマです。どこの世界でも古い慣習が残り、そこを打破することは難しい。既得権は守られるべきものとしてそこにあり、社会は固定化しがちです。しかしそれが様々な弊害を生み出しているのはあきらかです。奈緒さん演じる女性は、そんな既得権にチャレンジしていきます。正しいとは思いながらそれが現実にはできない。しかしそうして戦っていかないかぎり今の時代は生きていけ...ドラマ『ファーストペンギン』への期待

  • ドラマ『PICU』への期待

    いくつかの秋のドラマが始まりました。ドラマ好きとしてはいいドラマに出会えることを期待しています。その中で気になるのが『PICU』です。北海道が舞台となっているのがいい。最近のドラマは東京か横浜しか舞台になっていませんでした。しかしこのドラマは北海道が舞台となっています。地方には地方の人しかわからない多くの問題があります。それを取り上げてくれるのはとてもいい。内容としては病気を丁寧に描き、医者も強さも弱さももっている普通の人間として描こうとしています。これがいい。別に医療ドラマで奇をてらう必要はありません。スーパードクターが出てきてどんな病気でも治療してしまうというドラマも決して悪くはありません。そういうドラマはそういうドラマで楽しめます。しかし、どうしても底が薄くなり、マンネリ感が出てしまいます。病気で苦...ドラマ『PICU』への期待

  • 映画『ヘルドッグス』を見ました。

    山形県の作家、深町秋生さんの小説を映画化した、『ヘルドッグス』を見ました。虚実の虚実が反転し続ける興奮のハードボイルドアクション映画です。監督原田眞人原作深町秋生キャスト岡田准一坂口健太郎松岡茉優MIYAVI北村一輝大竹しのぶ(あらすじ)かつて刑事だった兼高は、自分の落ち度のために、自分が好きになった女性を含む4人の人間が殺された事件の犯人に復讐するために刑事をやめる。その獰猛さから警察組織に目をつけられた兼高は、関東最大のヤクザ「東鞘会」への潜入という危険なミッションを強要される。兼高は組織に入り、次第に出世していく。そして任務を遂行する。かつての日本の任侠映画の伝統と、アメリカのアクション映画のいい面が合わさり、上質なエンターテイメントになっています。ただし、最初の設定に無理があるような気がします。兼...映画『ヘルドッグス』を見ました。

  • 映画『アプローズ・アプローズ』を見ました。

    映画『アプローズ・アプローズ』を見ました。刑務所の囚人たちがパリのオデオン座で講演をするという大人のメルヘンのような物語。しかしその結末も「大人のメルヘン」になっています。人生の機微を感じる佳作です。売れない俳優エチエンヌは、刑務所の囚人たちを対象とした演技ワークショップの講師を依頼されます。彼はなんとサミュエル・ベケットの戯曲「ゴドーを待ちながら」を演目に選びます。囚人たちがいつまでたっても現れない「出獄」を待ち望む姿と、ゴドーを待つ男たちとを重ねたからです。それにしても難しい戯曲を選びました。実際の舞台はドタバタになってしまいますが、それもまた観客に受けてしまいます。意外にも高い評価を得ることになります。彼らの活躍はパリにまでも届き、とうとう大劇場パリ・オデオン座に出演することになります。しかし囚人た...映画『アプローズ・アプローズ』を見ました。

  • アントニオ猪木さんのこと

    アントニオ猪木さんは昭和の大スターである。虚実を超えた屈折した共同幻想の中で輝いていた昭和の象徴だった。私の小さかったころは、ほとんどの人がプロレスを真剣勝負だと思い熱狂していた。しかしいつの間にかプロレスを真剣勝負でないことに人々は気づいていった。「八百長だ。」という人もいたが、八百長ではない。命がけのショーだった。大学生のころ、もうプロレスを真剣勝負だと思っていた人はほとんどいなくなっていた。しかしそれでもプロレスの人気は逆に上がっていた。IWGPという新しいタイトルをつくり、その初代チャンピオンを決める大会は異様に盛り上がった。ハルクホーガンが猪木を失神させて逆に困ってしまっていたが、これもまたプロレスらしい伝説になる。みんなが虚実入り混じった共同幻想に夢中になった。猪木さんのすごかったのは、どんな...アントニオ猪木さんのこと

  • 三遊亭円楽さんのこと

    三遊亭円楽さんが亡くなった。落語会のために尽力なさった方であり、落語会の広告塔を引き受けてくれた方だったように思う。志半ばでの死であっただろう。ご冥福をお祈りする。若い時から『笑点』に出演し、その活躍は誰もが知るところであろう。若い時はさわやかな印象だったが、だんだん悪役になってきた。もちろん悪役を演じているのが視聴者にはわかっている。だから毒舌を楽しむことができた。円楽さんの一番の功績は、落語を広めようとしたということである。多くの落語会をプロデュースした。それによって落語家たちの横のつながりができてきたように思える。かつての大御所たちの確執を溶かすために努力してきた人生だったのだろう。落語家としてはこれからが円熟する年である。自分の落語を極めたかったに違いない。とても残念な死だ。しかし、円楽師匠が今日...三遊亭円楽さんのこと

  • 映画『さかなのこ』を見ました

    映画『さかなのこ』を見ました。「さかなクン」の伝記のような映画なのですが、現実が暖かな幻想につつまれた感覚の不思議な作品です。登場する人物はみんな優しい人たちです。不良たちもどこか間が抜けていて優しさにあふれています。主人公にはそう見えていたのでしょう。みんないい人であり、みんなが自分の好きなことをやっている、そんな風に見えていたことがわかります。主人公も自分の好きなことをやり続けます。現実の困難さにぶつかりながらもやり続けるのです。子どものころ自分の好きなことををやり続ける人はほとんどいないというのが現実です。子どものころはたくさんのことを吸収します。その知識は計り知れないほど大きい。しかしその知識はいつの間にか失われていきます。その人にとって大きな損失です。自分の好きなことをやり続けることができた人は...映画『さかなのこ』を見ました

  • 安倍元総理の「国葬儀」の感想

    安倍元総理の「国葬儀」については、多くの人が語っているので今さら私が意見を言うまでもないのだろうが、2点だけ感想を述べる。1点目。葬儀の当日まですぐ近くで反対デモをするのは、さすがにいかがなものかと感じる。今回の「国葬」には私自身も反対である。安倍晋三氏に対しては政治家として反感を覚えることのほうが多かったのは事実である。しかも閣議決定で「国葬」を決めるというのはこれまでなかったことであるという。最近の政治家の自分勝手さにあきれると同時に怒りを覚える。とは言え、儀式の当日にしかも日本武道館のすぐそばで反対デモをするというのは、さすがに遺族に失礼だ。強く反対する気持ちは、最終的に選挙で意思を示すしかないのである。こんなバカなことをしていれば、反対派に対する反感も高まるであろう。常識的な判断をしてもらいたい。...安倍元総理の「国葬儀」の感想

  • 超低金利政策と国債

    普段の買い物でも、物価の上昇を強く感じるようになってきた。感覚からすれば去年より5割増しのような気がする。5割までの物価上昇ではないと思われるが、急激に物価が上がっているのは明らかだ。インフレ傾向であると言っていいだろう。諸外国では金利を上げ、インフレを抑えようとしはじめた。しかし日本だけは違う。超低金利政策を維持し続けると宣言した。本当に大丈夫なのか。日銀が7月4日に発表した国債の保有銘柄別残高によると、日銀の国債保有額は6月末時点で517兆円となり、5月末時点の513兆円から4兆円ほど増えたということだ。専門家によると長期金利をあげてしまうと国債が暴落するという。なぜ長期金利が上がることが国債の暴落につながるのかというと、低い金利の時に発行された債券を売りに出す際、高い金利の時に発行された債券と同じ条...超低金利政策と国債

  • 村上春樹「鏡」について⑥(2-6.作者は何を言いたいのか)

    2-6.作者は何を言いたいのか「鏡」の「語り」の構造については、以上のように作品との関連から明らかになる。しかしそれによって何が表現されているのか。つまり作品の意図は何なのかという問題が残っている。近代小説は「私」がテーマであった。近代になり、西洋においては神が支配していた時代が終わり、日本においては「家」という制度が崩壊し、個人が主役の時代となった。そして近代において人類が直面したのは「私」という存在である。近代は「私」と格闘している時代であるともいえる。近年「私」を客観的にみるメタ認知が重要になってきた。メタ認知によって「私」を客観的に見ることが可能になってきた。しかし「客観的」に見る「私」と主観的に見る「私」は同じであろうか。いや、私たちは他人が見る「私」とのずれを常に感じている。だから鏡を見ること...村上春樹「鏡」について⑥(2-6.作者は何を言いたいのか)

  • 村上春樹「鏡」について⑤(2-4.「鏡」と「羊をめぐる冒険」との関連)

    2-4.「鏡」と「羊をめぐる冒険」との関連「鏡」と「納屋を焼く」の直前に書かれたのが「羊をめぐる冒険」である。その関連にも簡単に触れておく。第八章「羊をめぐる冒険Ⅲ」の「9鏡に映るもの・映らないもの」に次のような関連する記述がある。列挙して引用する。「夕方になって鼠の部屋に新しい本を取りに行こうとして、階段の上りぐちにある大きな姿見がひどく汚れていることに気づき、雑巾とガラス磨きスプレイで磨いた。しかしどれだけ磨いても汚れは落ちなかった。(中略)磨き終わったあとにはくもりひとつ残らなかった。(中略)ただ鏡の中の像は必要以上にくっきりとしていた。そこには鏡に映った像特有の平板さが欠けていた。それは僕が鏡に映った像を眺めているというよりは、まるで僕が鏡に映った像で、像としての平板な僕が本物の僕を眺めているよう...村上春樹「鏡」について⑤(2-4.「鏡」と「羊をめぐる冒険」との関連)

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