曲り家というと東北地方でも「南部」地域、岩手県での古民家で特徴的とされる様式ですが、同様に多雪地域である会津地域にもこうした様式が根付いていた。農耕馬の保守管理について別棟ではなく「曲り家」として本屋に対して付加的な別屋をつなげてしまうことで、とくに冬期間の積雪寒冷条件での作業を合理化させるという建築間取り。馬という生身の体温を持つ動物をいっしょの空間で飼い暮らすことで、独特の一体感、心情が人びとに生成された。南部では異種間のイキモノ同士の交流の細やかさが強調されて、人間と馬との同衾までの習慣があったとされる。たしかに寒冷な条件下で「身を寄せ合って」寒さをしのぐという蓋然性はある。奥州産馬は日本史の中で、武士の台頭時期から重要な横軸を形成もしてきた。馬産は東北地方では対日本社会への重要な「交易品」であり続...島会津の「曲り家」/福島市民家園-6】
この福島市民家園には、展示館が別に建てられていて、古民家での暮らしぶりや、その民俗のありようについてのさまざまなビジュアル説明が開示されていた。古民家と民俗は当然ながら建築と人間のくらしの関係性、その淡い領域を浮かび上がらせてくれる。わたしたちの先人は古民家での暮らしの中でどのような精神生活を送っていたのか、が見えてくる。展示で見入っていたのはこの素晴らしい民話譚。内容は方言の話し言葉で読み下していただきたいのだけれど、日本全国どこにもある。Wikiでは以下の要約。〜一般に「翁が罠にかかった鶴を助け、その鶴が人間の女性に姿を変えて翁とその妻に恩を返す」という筋立てが知られている。類似する話は日本全国で報告されており、文献・伝承によって細部で差違が見られる。〜この福島県福島市の郊外・10kmほど離れた地域に...【ツルの恩返し「地域民俗」版/福島市民家園-5】
昨日のブログ記事へはいろいろな反応があって興味深かった。書いている本人も気付かされることが多かったのですが、いちばん大きかったのは「古民家」として現代に移築保存されているような建築は、一般的には建築当時から「立派な」建築と見なされている建物が多く、その当時の一般のひとびとの住んでいた建物とは言えないと深く気付かされたこと。住宅建築もこうした見方を加味して考えて行かなければならないとキモに銘じさせられた。同時に歴史・民俗という実像への視線をあらためて考える契機になった。本日参観するのは内心、初見でビックリさせられた建物。古民家建築の常識的な理解として都市集住型の建築では「瓦屋根」を見る機会が多くそこで2階建ては良くあるけれど、この建物は屋根が茅葺きで2階建てでいわば現代住宅的なプロポーションを見せていたこと...【2階建茅葺き江戸〜大正の「宿店」/福島市民家園-4】
さて先般取材してきた「福島市民家園」の家その3。やはり住宅系ブログとして実際の住宅取材とその写真を整理していると心理が落ち着く。いろいろなネタは書きますが、やっぱり住宅にテーマを戻すと「ホーム感」が静かに盛り上がって無心になれる。ありがたいなぁと思う。そろそろ仕事人生終了後という友人たちも多いけれど、人によっては満たされない心の空洞を感じていると感じられる人もいる。そういったことを考えると、このように同じテーマに向き合い続けられるのは稀有な幸福。この家は福島市大笹生安養寺に建っていた住宅で、なんと江戸時代中期18世紀後半の建築。一昨日まで掲載した北海道栗山の開拓者の家は明治30年代頃の年代なので、約130年前くらい。それと比較してもさらに100年は遡ることになる。栗山の家はこの福島県の北方の隣県、宮城県南...【江戸時代中期「土座」の農家住宅/福島市民家園-3】
娘からの情報で、行列の出来ている蕎麦店を教えられた。そういう情報にはたいへん弱いので、さっそくものは試しと食べに行ってみた。ちょうど不動産関係の要件もあって、清田区里塚のセカンドハウスに向かう予定でその途次に店があった。写真の通り「板前農民」というキャッチで「自ら育て、自ら調理」というコンセプト。行ってみたら11時の開店早々15分後くらいに到着したのだけれど、20人くらいの行列。すでに開店しているのでなかに同数くらいは入っているだろうから、普通は諦めてしまうところだけれど、娘からの情報がアタマにくっついているので、覚悟を決めて待つこと約1時間。ようやく写真のように「天ぷら蕎麦」にありつくことが出来た次第であります。後で確認したら「新そば」の初出日ということで常連ファン大集合だったよう。きのうまで空知南部の...【オホーツク美幌の「板前農家」そばを食す】
わが家の北海道入植地の隣町であったのになぜかスルーしてきてしまっていた栗山町。知るほどにその存在の大きさに深く驚かされる。このブログにさまざまに情報をいただく住宅研究者のTさんから、また栗山町についての気付きのあるご連絡。この栗山町は開拓以来の挑戦者スピリット旺盛で、農業生産でも革新的な挑戦が継続して、北海道での稲作についても最初期から挑戦を行ってきたのだという。さらに商品作物の最たる存在とも言えるユリ根についても挑戦して大成功を収め、大正期には栗沢町からの「皇室献上品」となっていたのだと。この情報に接して、深く「えぐられる」思い。というのは、以前にも書き記したことがあるかも知れませんが、わたしの父母は隣町の「栗沢町」でまるで「農業試験場みたいだ」と人から言われるほどに商品性の高い作物生産に取り組んでいて...【茅葺きと洋式上下窓・栗山の開拓指導者の家-2】
きのうからの続き。明治3年5月、戊辰戦争の敗北側・仙台藩の一領域、現角田市から、その士族群が新天地として北海道への入植に旅立った。当初の入植地は室蘭。集団の規模は44戸51名と記されている。婦女子は当面は故地に残して開拓の労働力としての男性たちが主体で、室蘭の輪西地域の原野の伐採、畑起こしに取り組んだのだろうと思われる。以降18年間に渡って牧場・林業・園芸・炭焼き・養蚕さらには「氷」を作って売ったり、さらには製鉄までも手掛けていたという。すごい開墾努力。10年経過後の明治14年にはさらに第2陣の開拓民を受け入れて本格的な開拓を進めようとした矢先、明治20年、それらの開拓地に新政府側から「屯田兵」110戸528人が入植し、さらに第2陣として110戸の入植が予定されるに至る。戊辰戦争敗者たちがせっかく開拓した...【120年前、明治30年代・栗山の開拓指導者の家】
北海道の中央部の栗山町へは、その西端にある「小林酒造」側からは数回訪問していたのだけれど、今回たまたま、より南側から町中央部に向かったことで、まったく違った印象を持った。わたしはこれまでの仕事経験で東北各地と縁が深まっていたのだけれど、そういう身体感覚経験からどうも宮城県南部地域との空気感の親和性を車窓から入ってくる景色に感じていた。こういう感覚はちょっと理知的に、科学的に説明出来る部分とは思えないのだけれど、強くあったと思うのだ。きのうのブログでも「なつかしい」感じと書いたけれど、そのあとで徐々にこの栗山町の歴史を掘っていく内に、宮城県角田市とのつながりを知るに及んで、北海道的な「民俗」性のひとつの手掛かりかも知れないと思う気持ちが強まってきている。実は別進行している案件に絡んで日本民俗学の祖・柳田國男...【明治開拓入植、仙台藩角田から北海道栗山へ】
子どもの頃から、北海道の川の名前で「ヤリキレナイ」川というのがあるということは聞いていた。子どもたちの耳に大人たちの「ヤリキレナイ」という言葉に込められた独特の厭世感情を感じて、ああ人生にはなんてイヤなことがあるんだろうと、恐れおののくこころを抱いていた。そういう大人的なイヤイヤ感を刺激する「川」というのは、なんという怖ろしい川なのかと想像力を掻き立てられ続けてきた。昨日はカミさんと最近よく野菜類を買い出しに出掛ける北広島市のお隣の長沼町・道の駅へ。またまたコールラビとか、ソー麺カボチャ、収穫期のタマネギ大量買いなどを楽しんでおりました。野菜中心の食事を心がける人間でも最大の楽しみは食なので、せめてもこういう楽しみを持つと幸せを感じさせてくれる(笑)。野菜のバラエティに目覚めると、これまた奥が深いのです。...【ついに発見伝説の「ヤリキレナイ」川】
昨日受診して教えられたまま投薬を受け、大人しくしています。おかげさまで喉の痛みもキレイさっぱりと消えて、出張取材の疲れも徐々に消えてきて、ゆとりが生まれてきました。「ゴジラ雲」について先日ちょっと書いたのですが、個人的には少年期の記憶の大海のなかにさまざまなその表情が残っていて、いつも脳内に残響してくる光景。一昨日あさ、ふと気付いてわが家の3階から遠望を撮影してみたのが、上の写真。わが家は、石狩平野の南方山岳地帯を背にして、まっすぐにアジア大陸・ロシア方向をにらむ地理配置にあたる。朝方の風景で画面右側が東で、左が石狩川河口方面にあたる。札幌からこの石狩川の流路方面を見晴らすとこういった「雲」の表情が日常的に見られるのですね。日本海方向からの「偏西風」が吹き流れていて、石狩川の水流から立ち上る上昇気流・水蒸...【少年期妄想〜蝦夷地石狩川「ゴジラ」雲】
写真は本文とはまったく関係ありません(笑)。日本の宗教画の定番、天井画として一般的な龍の図柄ですね。わたしの心象願望としては、病魔退散、であります。昨日朝、のどの違和感があって寝ていられず、早々に起き上がっていた。寝ている姿勢ではどうしてものどの違和感が昂進する。しかし眠たいので、夜中に2度ほど起きてうがいしてまた寝る⇒またのどの違和感という繰り返しでした。まぁ最後は起きていればのどの違和感は静まるので、やむなく早めに起きていることにして、デスクワークに向かって午前中にメドを付けてから病院へ。いくつかの専門病院が集まっているビルの中、わたしの「かかりつけ医」の糖尿病専門医さんにとりあえず向かったのですが、向かいに「耳鼻咽喉科」があって数回診てもらったことがあることを思い出して、今回はこっちに直行することに...【喉痛で病院へ。「咽喉頭逆流症」との診断】
さてようやく日常のワークデスクに戻って、いろいろな連絡事項の進捗確認をしていたら、直近のひとつの交信先から返書が届けられていた。どんな返信かと確認したら、なんともありがたい感想とともにこころよい受諾の内容。ほっとひと安心すると同時に、当方の提供した諸資料も内容を深くご理解いただいたことが伝わってくる文面。本当に心底がご理解いただけたと感謝。だんだんと伝わってくる心意がありがたい。つくづくと人間のコミュニケーション営為というものに感銘を受けていた。そういった主要実務の進行の合間に、粛々と6.43GBもの膨大な今回の取材写真データの整理整頓作業に取り組み始めています。写真整理はわたしの個人的な手法・我流でやっているのですが、このプロセスは当然ながら「ナマデータ」と対話しながらのものになる。その撮影時の空気感、...【桑の木の中の養蚕民家、湧き上がる暮らしパワー】
さてアポイント最後の地、東京での2日間を終えて昨日やや遅れた飛行機便で札幌に夜8時前に帰還。東京は知人の話では日中最高気温34度とのことで実際に陽射しの中に入るとキツいほど。まぁ移動についてはクルマ、目的は建築行脚なので、完全に外気の中にいる時間というのは、たぶんみなさん1日に1時間程度なのでしょう。移動の公共交通でも建築内部でも遮熱構造や冷房装置が機能して、まぁ日常生活は維持可能なのだろうと思われますね。しかし北海道に降り立ってみるひんやりとした空気感が全身を包んできてくれる。迎えに来てくれたカミさんは「羽織る服、持って来るかどうか、迷った」ということ。で、一晩寝て起きたら、やっぱり気温もあってか、気分が鮮明・爽快になっている。そういえばきのう朝は、上野公園を散歩していたのですが、歩き始めの時はすこし「...【取材写真総量6.43GB、整理整頓作業へ】
写真は「奥の細道」の芭蕉さんとその弟子・曾良さんの旅姿の銅造in栃木・黒羽。どういった考証だったのかはわかりませんが、博物館施設は公営のものなので、銅造依頼の根拠事実の発掘はそれなりだったのだろうと思います。たぶんこういった姿には信憑性が高いのだろうと。江戸期の一定の「公職」従事者であった芭蕉さんは、乗馬しての旅行きが可能だったのだろうと思います。WEB検索で「奥の細道の移動総距離」と入力すると〜元禄2年(1689)3月27日、芭蕉は門人曾良を伴い江戸を発ち、奥羽・北陸の各地をめぐり、8月20日過ぎに大垣へ着くまでの、距離約六百里(約2,400キロ)日数約150日にも及ぶ長旅である。旅の目的は、歌人能因や西行の足跡を訪ね、歌枕や名所旧跡を探り、古人の詩心に触れようとした。〜とある。総移動距離と言うことでは...【レンタカー移動終了・総移動距離1,537km/4日】
昨日は今回の取材ツアーの移動最終日。あちこちと高速で移動しているのですが、その最中、東北道・佐野SAの南方付近から大渋滞が発生してしまった。レンタカーで設定がよくわからなくて、道路交通情報にアクセスはしていなかったので、状況はまったくわからないまま、ノロノロ、停止の繰り返しを余儀なくされていた。まぁしょがない。と、ふと空を見上げると、ここのところの得意技の雲の様子がなかなかにシュール(笑)。きのうも書いたように雲というのは水分が大気に舞い上がって上昇し冷やされて造形されるものでしょうが、ときにいろいろな造形力を発揮する。この状況の中で観たこの雲には、つい「ゴジラ」が連想されたのであります(笑)。少年時代からマンガ少年〜SF好きだったので、ゴジラには深く魅了されてきた。小学校〜中学校を過ごしていた札幌市中央...【坂東太郎「ゴジラ」雲出現・・・暗雲の高速大渋滞】
昨日は今回の取材ツアーのいちばん行きたかった場所を感受することができた。いま、いちばん自分が体験してみたかった住空間。そこで大量の写真撮影をしつつ、心象においてはずっとその住空間を創造した施主のこころと対話するような時間を過ごしている。わたしの写真の先生はひとりいてその方から言われたたったひとことだけを、いわば杖として使わせていただいて、撮影している。そしてその方法を超えて、ある瞬間、心象が飽和してくるような「発見」があったりする。そのあと、写真を整理整頓する作業が始まっていくのだけれど、写真たちにはその時点での自分の心象も多少は反映していたり、あるいは「まんま」がゴロンと出ていたり(笑)、する。それは自分の内面をもひとつの「取材対象」として吟味するような時間。そうやって、対手としての取材対象人物と、取材...【建築空間から人間・社会を考える。雲を追って】
写真は福島県内某所での夏雲の様子であります。きのうは札幌を出発してから関東に入り、その後福島県まで移動していました。ちょっと移動距離がハンパなく、前から気になっていた古建築・古民家などを探訪中。ホテルに入ってもずっと大量に撮影した写真整理などでほぼ没頭中。まぁいま仕掛かり中の企画に関連しているのですが、久しぶりの集中取材日程ということで、ちょっとブログ記事のまとめ時間が確保しにくい環境。日程を詰め込みすぎなのかも知れません。歳を考えなければというところです。飛行機で窓側席を一託するようになったせいなのか、最近は雲の生成、そのビジュアルに単純にこころが奪われてしまっています。日本列島というのは南北に長く、山岳列島でもありしかも四周が海に囲まれているので、たぶん雲の表情の多様性には恵まれた風土なのではないでし...【昨日から取材ツアー中、旅の空から】
昨日、ビデオ収録していたNHK-BS「フロンティア〜80億人/人類繁栄の秘密」を勉強させていただいた。わたしのテレビ視聴はカミさんによるビデオ収録で保存された番組一択。彼女はわたしの志向傾向をほぼ把握してくれているので、こういう一般メディアからの情報整理の勘所が非常に「かゆいところに手が届く」感じでありまして、深く依存しております。というか、カミさんという仏陀の掌の上でキン斗雲に乗って動き回る孫悟空みたいなわたし(笑)。この番組には「人類グレートジャーニー」についての最新科学研究の様子が非常にわかりやすくまとめられていて、居ながらにしてこういう最先端研究の学者さんたちの意見も、その人となりも含めて開示していただける。なんとも素晴らしい時代と思います。わたしのように住宅ジャーナリズムという極少分野の人間にも...【人類・出アフリカ拡散での「タンパク源」変容】
やっぱり建築工事って楽しい(笑)。それもリフォームの場合は施主側にとってはいちばん「変化」が明瞭に見えて、あかるい未来が可視化されていくプロセスのように錯覚させられる。これは自明のことで、工事を依頼する、あるいは自力で「模様替え」するなどのこころの作為は、どうしたって「後ろ向き」な気持ちではできるわけがない。日本の住宅市場はこれまでひたすら新築需要によって支えられてきたのだけれど、人口減少局面に至ってどう考えても新築需要の一本足打法で通用するとは思われない。そしてその後の住宅市場はどのように生き延びていくのかと考えれば、やはり欧米的な市場構造が基本的には構想できるのではないだろうか。「いまあるものをもっとよくする」志向性。わが家の床工事の様子-2。きのうはワックス掛けの工程。前後2回のワックス掛けだったそ...【無垢フロアの再生工事〜ワックス掛け】
わたしの本拠地は札幌市西区山の手ですが、こちらは職住一体の環境でもあり「公的」な関わりの方が大きな割合になってきています。そこで住宅建築そのものはわたしのプランで建設していたもう一軒の方の改装計画を徐々に進めてきています。こっちは新設会社(とは言っても個人企業ですが)の本拠兼用みたいに機能させればいいかと考えています。近隣には大企業の施設が集中し、また住宅企業のモデルハウス住宅展示場などもある環境。高速道路へのアクセス環境が抜群で、これからの移動交通の利便性という意味では、札幌市内でもかなり面白い立地条件。たぶんこれからの「都市環境」の条件を考えたら、発展可能性が高いのではないかと思っています。そういう計画に取り組み始めたら、いろいろ近隣関係も深まって変化が起こってきている。一種の「地域改造」的な機縁にも...【無垢フロアの削り出し研磨で芳香復活!】
今週は週末に至って東京に出掛ける予定なのですが、その準備をしていてふと天気状況を確認したら、まだまだ全然の残暑ぶり。っていうか、ほとんど真夏の状況が継続しているようです。北海道も、ちょっと数年前には写真のようなあきらかな「夏雲」はあんまり見かけなかったのが、こんなふうに見事に北海道の大地一帯を彩るようには、なってきている。これは8月18日に行ってきた富良野の後藤純男美術館の外観全景。それでも、たしかにまだ日中最高気温は30度を超えているのですが、早朝の散歩では長袖・長ズボンといういでたちでないと、肌寒く感じられるようにはなってきている。ほっとひと安心というところでしょうか。北海道ではあっという間に「蒸暑」の季節が去ってしまうことに、少年期には悲しさがあったのですが、最近の感覚では「ほどよい夏」という感じに...【気候変動の夏、兵庫県の「騒乱」状況】
日本語言語と社会の変遷というものに興味を持って、歴史などをみる視点を心がけて来ているのですが、やはり日本社会は過去に何度も大きな「変革期」を経験してきていると思えます。相次いだ大陸からの集団移住の動きなどから考えると、列島社会では多様でバラバラな言語が存在したという説も確率が高い。多様な母集団が数次にわたって「渡来」してきて形成されたという日本社会実態という意味ではやはり古代における「日本語の創造」過程、記紀編纂という変動期は非常に大きなインパクトだったことは間違いない。伝統的に文字を持たなかった社会で、国家というものの成り立ちを「正史」として創造する必要性に迫られて、それまでの列島社会の社会の流れを、それも漢字という輸入ツールを使って表現した作業というのは、気が遠くなる思い。話し言葉での原日本語的な助詞...【「IT認知」を攻撃する現代の詐欺】
日頃から当ブログをご覧いただきありがとうございます。こちらのブログへいただいたコメントは「事前承認制」に設定されておりますが、私が仕様をよく理解できておらずいただいたコメントの大多数が公開保留のままとなっておりました。また、いただいたコメント内容の確認もできておりませんでした。ご意見ご感想のコメントを送って下さった方々を無視した形となってしまい申し訳ありません。現在は、承認なしでコメント公開される設定へ変更しております。また、私の理解不足によりgooブログ上に私のブログが下記のとおり二つ存在していることも気付きました。・三木奎吾の住宅探訪記2ndhttps://blog.goo.ne.jp/replankeigo※旧タイトル:性能とデザインいい家大研究・三木奎吾の住宅探訪記https://blog.goo...当ブログへのコメントについて
わたしは幼年期3歳のときに北海道岩見沢市に隣接した栗沢町のいちばん岩見沢寄り集落の出生地から札幌市中央区に移転してきました。それ以降の記憶しかないので、ほぼ都会っ子。昨日早朝散歩で出会った写真の木の実はまったく馴染みがなかった。「栗っぽいけどイガはないよなぁ」としげしげと観察。栗よりもずっと大ぶりで丸々とした姿はなかなかに楽しげ。栗よりも「食べ応え」に満ちた外観表情でつい拾ってきてしまった。ということでWEBにて情報を検索してみると「トチノミ」という素性が判明した。これはどうやって食べられるのかと調べたら強烈なアクでそれをしないかぎり食用にはできないとのこと。〜【栃の実のあく抜き方法】1収穫した栃の実(とちのみ)を2、3日水に浸す。2カラカラになるまで1ヶ月程天日に干す。こうすると何年も保存が可能になる。...【早朝散歩で「トチノミ」に遭遇】
どうも兵庫県についての大騒ぎが伝わってきてすごいですね。一般メディアはあんまり見ていないけれど、youtuveなどの動画メディアでも再生数の多さは際だっている。その事件内容については報道でしか知りようがないのですが、ここまでの「情報ジャック」ぶりを見ていると、一種の社会現象レベル。大衆社会というのはカタルシスを求めるのが自然な趨勢なので、この状況がどんなふうに社会に変化を加えていくのか、そっちにも興味を持ちますね。さて、時事・ニュースなどで一般メディア接触はほとんどないのですが、夫婦での食事時にバックグラウンドとしてわたしが興味を持つ放送内容のテレビ番組を、カミさんが録画収録してくれるものを見ることが楽しみです。火野正平の自転車ツアーなど、傾向としてはNHKBSの番組が多い。そういうなかで一昨日放送された...【NHK番組「日本人はどこから来たのか?」最新ゲノム解析】
ここ3ヶ月ほど、関わっていた案件。整合性を持って進捗させるのがなかなかに困難だった件ですが、ようやく昨日、準備が完了して事態を一気に進捗させて、無事に一件落着させられました。手探りであれやこれやの困難因子を特定させて、それへの事前対応をなるべくやり終えてから本番に着手するみたいな案件。で、胸の奥にわだかまっていたものがようやく氷解したような気分。まぁ、これからチェック作業があってそれへの対応などが必要にはなってきますが、それは通常的な「作業」ベースのこと。常識的に対応して、落とし所の見えていることがらになります。ということで、久しぶりに「平常心」を復活させられる転換点。人によってそれぞれ、そういう気分の回復の仕方は違いがあるでしょうが、わたしのきのうの心境としては札幌市近郊までクルマを走らせて北海道の晩夏...【面倒ごと一段落、こころの平安を閑静な神社で】
9/2の国の進める「気候風土適応型住宅」シンポジウム参観に引き続き、昨日9/4は北海道建設部・建築指導課の北海道の住宅施策諮問会議に参加していました。北海道は明治以降に日本民族が本格的に国土開発に取り組み、大量の国民の定住に努力してきた特徴的な地域。その過程ではつねに「寒冷積雪」という困難と継続的に悪戦苦闘し続けてきた歴史を背負っている。「北海道開拓使」という日本の政治制度上も極めて特殊な省庁が十数年間歴史に存続したことも奇跡的だけれど、戦後以降も「北海道開発庁」という組織が設立され、2001年6月まで存続した。さらに現代に至るも「国土交通省北海道開発局」という組織が地方行政機関・北海道庁とはまた別に継続してきている。そういったいわば「民族的な悲願」としての北辺領土開発の意思は継続してきて、そのことはもっ...【北海道の住宅施策諮問会議とその動向】
きのうのブログ記事の続篇です。わたし自身のスタンスに大きな変化があったことから、国の省エネ基準策定のいろいろな動きについてはしばらくは距離感を持っていたのですが、久しぶりにその動向について情報のリアルタイム感を持った次第です。で、わたし自身としては「気候風土適応型」住宅という、いかにもなネーミングについていろいろな心象変動を感じさせられていた次第。もちろん住宅政策についての表現なので、官僚機構的な整合性認識がそこには反映されているのでしょう。そのことは理解できる。気候変動という世界的な、今日的な基底要素との連関性も込めた「色合い」は興味深いとも思えた。政策的目標感としては、なんとなく理解できなくもないかと。なんだけれど、伝統的和風木造住宅についての本質的な表現としてはやや違和感がある。写真は愛知県犬山市に...【気候風土適応よりも目標は「民俗感性適合」では?】
きのうは道総研の鈴木大隆理事が司会進行されていた「気候風土適応住宅シンポジウム」を参観しておりました。伝統工法住宅というひとつの「建築文化」が存在して国、国交省などの住宅施策を推進するとき、そうした価値感を持つ作り手の人びとが、断熱性を最重視する施策をされることに危機感を持って声を上げるという現実がある。そういった伝統工法派の人たちと国の対話集会のようなものに参加した経験もあり、そのときにもその「矢面」のような立場として北海道の鈴木大隆氏が正対していた。なにができるわけでもないけれど、一種応援する心理からそこに参加。伝統工法のみなさんの声に耳を傾けていた経験もある。しばらくそういう国の施策についてリアルタイム感を持っていなかったのだけれど、たまたま機会があってそのシンポジウムを拝聴させていただいた次第。気...【民俗・慣習としての「家」と伝統工法「住宅」】
きのうの風神雷神図比較、俵屋宗達と雪舟であります。俵屋宗達は、江戸初期の京都の町人で、ビジネスとしては「扇子」を扱う店舗の主人だったとされる。わたしはとにかくこの人の風神雷神図にぞっこんなのですが、かれの死後、その画業に対して琳派を中興させた尾形光琳がこれまた完全に心酔し、ほぼまったくの複製画を制作した。江戸期にはながく尾形光琳の作品が風神雷神図の本家のように扱われていたのだという。ほぼ完全にコピーするという所業は、まったく創作人としていかがなものかと思うのが自然だろうけれど、むしろそのリスペクトの末の所業として好意的に伝承されてきた。日本社会ではこういう行為に対しての懲罰意識というのはそう重視されないのだろうか。琳派というひとつの芸術流派を発展させた光琳に対して、あえてその画業を否定する風潮は起こらなか...【「雷神」表現、雪舟と俵屋宗達の相違から】
加齢してきて住宅雑誌ビジネス的な立場からだんだん離れ自分自身で「表現」するということに関心が高まってきています。というか自分の「したかったことーPart2」に関心領域が向かってきている。住宅についてはこれまでのメディアの立場から、むしろ取材者・表現者の立場に戻ってきていて、そういうスタンスでの掘り下げにこころが向かってきています。その方向性の表現についてはもう少し時間が経過したら発表することができると思います。で、毎日書き続けているこのブログでは、それともまた少し違う領域での「掘り下げ」をしたいと思っています。前述の住宅テーマ表現についてきちんと発表可能になったら、また環境に違いが出てくるでしょうが、いまはそうした「過渡期」。で、ブログネタとしては「絵画」の領域をしばらくは考えて行きたいと思っています。こ...【雪舟と俵屋宗達〜「風神」の表現篇】
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