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性能とデザイン いい家大研究 https://blog.goo.ne.jp/replankeigo

こちら 住まいの雑誌・Replan編集長三木奎吾です  いい家ってなんだろう、を考え続けます

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2015/10/15

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  • 【108年前、大正初期の南紀・田辺市の街区と現在】

    南方熊楠さんの自邸探訪その2であります。こちらの敷地はおおむね400坪ほどで、江戸期に紀州藩の「支藩」であった安藤氏の城下町というのが街区の由来。旧邸で質問にお答えしていただいた女性からの伝聞では、南方家というのは、この安藤氏の家臣の家系であって熊楠氏の父親は明治以降、金融業で財を成したのだという。そういった経済的背景で次男であった熊楠氏は、夏目漱石や正岡子規などと同時期に東大の予備門で学び、そこから海外遊学にまで旅立って行ったとのこと。明治という時代の雰囲気、その空気感がかれの学業・探究に大きな基礎を形成していたことがわかる。その家系環境の中で、南方家の財産分与のようなカタチでこの400坪の屋敷地は熊楠氏にわたった。さすがに郷土を代表する人物について地域を挙げての調査活動がされていて、上のような「当時の...【108年前、大正初期の南紀・田辺市の街区と現在】

  • 【1916(大正5)年頃の南方熊楠の家・台所空間】

    昨日は久しぶりのわが家帰還で、体力涵養を第一に過ごしておりましたが、都合5日間で札幌ー東京ー新幹線移動ー大阪ー南紀白浜ー奈良ー播州兵庫ー神戸ー大阪・堺ー関空から帰還、という長距離移動での疲労なので、すぐには全快はいたしませんね(笑)。仕方ないので、しばらくはジミジミとひっそり気味にしていたいと思っております。しかし今回見て来た住空間で、印象に残っているのはやはり南方熊楠さんの居宅。和歌山県田辺市という南紀の中心地に建てられていた建物で、いまから過ぐる100年ちょっと前のこの地域の「民俗」が伝わってくる空間でした。植物学、知の巨人という南方熊楠さんの暮らしぶり、息づかいの部分が感じられた。全体が植物学者らしくたくさんの自然の植え込み植物が中心の家で、かれはこの庭空間での「観察」で日々研究心を持ち続け、涵養し...【1916(大正5)年頃の南方熊楠の家・台所空間】

  • 【司馬遼太郎さんとの「縁」 in 姫路英賀】

    きのうのブログテーマ「霊柩車遭遇」ですが、わたし自身は「いい方」解釈派だったのですが、昨夕関西から帰還したのですが、なぜか搭乗機が「機体トラブル」で後発便よりも新千歳空港到着が遅れて、約2時間の遅延の事態に。こういうトラブル経験はしばらくなかったので、どうもあの霊柩車遭遇との関連を疑わざるを得ませんでした(笑)。まぁしかし、そういうトラブルでも遅れたとは言え、安全を確保してなんとか運航してくれたので、災い転じて安寧も得られたと考えられるので、やはり「禍福はあざなえる縄のごとし」でしょうか。写真は、播州姫路の縁の英賀神社境内のとある箇所に鎮座している、石碑。読みにくいと思いますが、司馬遼太郎さんがその自筆筆跡を残したものです。とくの「司」の字の崩しぶり、また「太郎」の簡略ぶりにはファンとしては完全にノックア...【司馬遼太郎さんとの「縁」in姫路英賀】

  • 【関西のあちこち探訪、ふと前に霊柩車・・・】

    一昨日、南方熊楠さんの探訪をしましていわゆる「民俗」についてのわたしなりのフィールドワークに1章が加わった感がありました。たくさんの体感写真群を撮影したので、札幌に帰還後その写真類を整理整頓して、「シン民俗」とでも言えるようなテーマを掘ってみたいと思っています。書物を通して人物や事柄への知識を深めるというよりも、わたしの場合は、その体験した肉体感覚を基礎にして、リアリティを構築するという方が数寄なようです。で、きのうは関西にきたら会う知人と会合しておりましたが、その場への道すがら一向に進まない渋滞にため息をついていたら、ふと前に停車しているクルマの長大さに気付いた。徐々に「気付いて」きて、これは「宮形」ではない、洋式だけれど霊柩車であると知れてきた。霊柩車についてはそれと遭遇すると、いかにも「禍福はあざな...【関西のあちこち探訪、ふと前に霊柩車・・・】

  • 【南紀白浜にて「南方熊楠」探訪】

    今回関西方面に来たかった目的のひとつが、こちらの南方熊楠氏の記念館や自邸などの探訪。大阪府内の根拠地としている地・堺市からいつも使っているレンタカーで一路、南紀白浜に向けて移動。わたしは仕事生活は一段落したわけですが、相変わらず「住宅探訪」は習い性になっていて、いまは全国に残っている人物とその住環境、みたいなテーマで行脚を続けているのです。住宅雑誌を創刊して、現実に建っている住宅について、主にその「作り手」主体の取材をしてきたのですが、どうしてもそうすると「個人情報」の制約が強くなってきて、住まいの基本要素である「人間の本然の実現」みたいな部分に十分には突っ込んでいけない部分を感じてきていた。もちろん多くのユーザーにとっては「家を建てる、持つ」というモチベーションが人生のひとつの究極的願望であるので、その...【南紀白浜にて「南方熊楠」探訪】

  • 【久しぶりの東海道新幹線…タイムトラベル感】

    きのうは急遽入った日程でその前日から東京におりまして、そこから本来の目的地である関西地方に長躯移動。で、仕事現役時にはよく利用していた体験記憶が甦って、タイムトラベル感……。写真は大好きな「伊吹山」であります。関東から関西に移動するとちょうど「関ヶ原」を過ぎたあたりで、その山容が顔を覗かせてくれる。わたしは地質学などはよく知らないのですが、全国の神社では「さざれ石」という小石が凝塊した石塊が置かれています。それらはこの伊吹山の組成から採取されているという説を聞いてから、この列島国家の成り立ちのなにごとかを表しているように思えて、一種の「ファン心理」を持っているのです。実際に壬申の乱や、関ヶ原合戦など、この伊吹山周辺地域で日本列島国土を二分するような政治・軍事対立の極限点が勃発しているのには、なにごとかの誘...【久しぶりの東海道新幹線…タイムトラベル感】

  • 【狩猟採集文化と現代人〜ところ遺跡-6】

    この竪穴の「ところ遺跡」探訪ブログ記事シリーズは、その前の「福島市民家園」で、珍しく復元展示されていた「庶民の住宅」事例で江戸期後期の建築であるのに「土座」住宅に強く惹かれたことがきっかけ。オイオイ、と深く驚かされたのですね。日本の農耕文化社会でもほんの200-300年前までは、床上げ自体もまだ完全に普及していたとは言えなかったのだという事実。そうだとすれば、わたしたちの住空間意識の基底にまだまだそういった、郷愁のような印象部分が残っているのではないかと想像を膨らませられた。そして竪穴の構造木組みや、外皮の構成、そのデザインマインドのようなものが非常に気になってきたという次第。この「ところ遺跡」はその後のアイヌチセが平地住宅に移行してしまったのに対して、明瞭な竪穴住居としては最後期のものだと考えられた。米...【狩猟採集文化と現代人〜ところ遺跡-6】

  • 【竪穴住居の木組みと外皮構造〜ところ遺跡-5】

    今回取り上げている北海道東北部オホーツク沿岸の北見市常呂町の遺跡群についての研究は「東京大学大学院人文社会系研究科附属北海文化研究常呂実習施設」として現地で半世紀以上調査研究を継続し歴年の成果を上げてきている。北海道民のひとりとしてその労を謝とするものです。施設ではyoutuve動画も公開していて、概要は非常にわかりやすく公開されている。「3000軒の竪穴を残した人々−ところの古代文化−」https://www.youtube.com/watch?v=UfR4bQdQXH0わたし自身は2009年にこの地を訪れて、一訪問者としてひととおりの取材写真を撮影していた。竪穴住居本体とともに併せてこちらの東大の研究展示施設も見学して来ていた。そうやって残していた画像データを再編集していると、そのときの臨場感はある程...【竪穴住居の木組みと外皮構造〜ところ遺跡-5】

  • 【木製床仕上げ・1000年前北海道住宅〜ところ遺跡-4】

    きのうのブログで触れた「アイヌ期」住宅では、もうひとつ重要な擦文期までとの違いとして、縄文・続縄文・擦文と約3,000年間「竪穴」住宅で北海道の先人たちは暮らしていたのに、アイヌ期には「平地住宅」に移行していることが挙げられる。一昨日のブログで触れたように竪穴という住宅仕様は、なによりもその温熱環境的効果を期待したことが確実。人類史ではある期間、洞窟住居という段階があって、そこでの暮らしでの温熱的な「郷愁」に似た人間感覚記憶がDNAとして刷り込まれ、その後、より食糧を得やすい環境に移動していく過程で、その地で定住をはじめるとき、竪穴という新空間に惹かれ導かれて行ったのではないと夢想している。そういう人類史の普遍的スタイルに対してアイヌ期の住居は平地住宅なのだ。このことはいろいろな想像力、交易民というアイヌ...【木製床仕上げ・1000年前北海道住宅〜ところ遺跡-4】

  • 【1000年前北海道「カマドと囲炉裏」〜ところ遺跡-3】

    昨日に引き続き、擦文期(約1000年前当時の北海道島での時代区分)の竪穴住居。きのうは主に竪穴住居の土壌面の掘り下げ土木工事作業と、その「温熱的」人類知に沿ってまとめてみた。成員30名程度のムラ社会にとっての価値感を考えて見た次第。それに対してこのブログの「協働者」とでも言えるShigeruNarabeさんから反応。いつも的確なポイント指摘でわたしの着目するテーマ領域に対しての啓示をもたらしてくれています。長文ですが、要旨は以下の通り。「炊事道具一般を「鍋・釜」と呼ぶ。カマを据える処という言葉が恐らくカマドの語源。ナベにはツルというハンドルが着くのがデフォルトかと思う。全国にナベツル岩がある。ナベはツルで吊るのがデフォルトであろうと想像する。アイヌ文化は鉄ナベを吊る文化。住居にはカマドではなくてイロリがあ...【1000年前北海道「カマドと囲炉裏」〜ところ遺跡-3】

  • 【竪穴住居・基礎外周のつくり〜ところ遺跡-2】

    北海道北見市常呂町に残る「ところ遺跡」には約4,000年前頃からの竪穴住居痕跡が残っている。最後の「擦文文化期」が約1,000年前ということで延べ3,000年間の先人の痕跡。住の側面からみると、一貫して「竪穴住居」が建てられて人間活動の基盤になってきた。竪穴はいわば北海道における人類文化の「ゆりかご」と言えるだろう。こちらの遺跡では訪問時・2009年には竪穴住居の再建プロセスを見学することが出来た。この遺跡全体は東京大学が長年発掘調査を行ってきている。その研究成果に基づいて「工法」が解析されたと思われる。竪穴という住環境は、その地域の「凍結深度」〜そのレベルまで土壌が凍結してしまう深さ〜よりも掘り下げた地盤面を住空間の床面とすることで、その地域の「年間平均気温」レベルの安定した「地熱」環境を獲得することが...【竪穴住居・基礎外周のつくり〜ところ遺跡-2】

  • 【北海道の遺跡「古民家」再見〜ところ遺跡】

    さて、全国各地の住宅探訪をライフワークのように続けてきて、一方でそういった取材の「整理整頓」が生来の怠け者のせいでまったく進んでおりません(泣)。せっかく高断熱高気密などの現代的住宅進化のただ中で住宅取材を続けて来られた人間なのに、その責任をしっかり果たしていないなと深く反省してきております。そういうことで徐々にそういった「振り返り」をして、罪滅ぼしに着手していきたいと思います。そういう活動についてはこのブログに限らず、いろいろな発表機会を活用してまとめていきたいと念願しています。わたしは住宅の取材者・ジャーナリストなので、一応の建築知識自体はあるけれど、より生活レベルでの視点、住んでいた人間側の目線での気付きを心がけて行きたいと思っています。ということで飛び飛びになると思いますが、今回は「ところ遺跡の森...【北海道の遺跡「古民家」再見〜ところ遺跡】

  • 【早朝散歩で「交通事故」現場に近接遭遇】

    昨日は早朝散歩、けっこう好きな西野緑道コースにいたしました。散歩道はわたしの場合、いくつかのコースを順繰りしておりまして、その日の気分に合わせて「きょうはこっち、あしたはあっち」と決定している。西野緑道はもともと農業用水路だったそうですが、周辺が完全に宅地化されたことでその流路に沿って整備されたもの。で、わが家からはその入口まではそこそこの距離もあって、総歩数は7~8,000歩程度。西野緑道に向かう発寒川河畔公園の入り口への橋を渡って川沿いを歩行中、いま通ってきた橋の周辺の信号交差点から「ドン」という大きな衝撃音が響いてきた。ちょうどその入口近くにいまは使われなくなった旧病院建築があって、その様子がなんとなく気がかりな雰囲気というか、独特の陰鬱感があってちょっと気になってはいたのですが・・・。そんなことか...【早朝散歩で「交通事故」現場に近接遭遇】

  • 【ことしの北海道の紅葉、赤よりも黄色主体か?】

    仕事人生いち段落夫婦、カレンダー曜日からは比較的自由に行動予定を決められる。カミさんの調査で、ことしの旭川方面の紅葉、見頃は10/20日頃までという情報。仕事上では土地測量と契約日程の合間の1日、それも休日の混雑を避けられる自由さを発揮して、旭川周辺まで探訪して参りました。クルマの運転については意識することもなくわたしは自由に行動できています。きのうも旭川地域への往復、約300kmの運転でしたが、ほとんど疲れを感じません。ただ、いつもよりは寝付きの「熟睡度」がより高かったので、眼精や肉体面での「疲労」は確実にあったのでしょうが、かえって心身はスッキリしております。出張時にもおおむね移動はクルマ一択なのですが、ホテルでの休息でスッキリできる。目的地は冬場にはスキー場になる「カムイスキーリンクス」と神居古潭。...【ことしの北海道の紅葉、赤よりも黄色主体か?】

  • 【不動産取引・現場測量、仮杭設置立会い】

    きのうはセカンドハウスの敷地の現場測量の立会い。札幌圏は広域経済圏としてどちらかというと北広島・千歳方面に向かって拡大されていくという実感があります。札幌市は例の札幌ドームからの北海道日本ハムファイターズの本拠地撤退、北広島への移転という事実が象徴するように行政サイドのトンチンカンな対応ぶりが露わになっている。迅速な対応が要求されるあらたな「経済動向」への感度が相当鈍っているように思えてならない。ファイターズの移転先である北広島市は、さまざまな公共投資の可能性も出てきているし、千歳はラピダスの建築と半導体産業への巨額投資が、人口増化・人流の増大にも寄与する趨勢が見えてきている。いずれにせよ、札幌広域経済圏としてはより「南側」へと移行していく可能性が高まっている。わたしの関係するこちらの敷地と住宅建築は、近...【不動産取引・現場測量、仮杭設置立会い】

  • 【宮城のコメ、2024新米ひとめぼれ到着】

    昨日、宮城県の農家から直接購入していることしの「新米」が到着致しました。この農家さんはある断熱材メーカーでの「営業職」としての勤務を終えた方が、その後実家の農家を継いだ方。そういうことで仕事上のご縁が継続していることから、わたしの家では購入しておりました。今回はわたし自身の立場の変更もあったのですが、相変わらず、会社スタッフ宛の分として送付していただいた次第。30kg袋がドーンと寄せられたので、それを小分けして札促社の各スタッフごとに分配配布。その農家さんのコトバではことしの新米は上出来で、食味にも自信があるとのこと。前職時代にはわたしも一度、仕事のついでにその農家に伺ったことがあります。宮城県大崎市鹿島台大迫という土地で、川沿いの田園で栽培されていた。昔は隣接する河川の氾濫などもあったそうですが、まこと...【宮城のコメ、2024新米ひとめぼれ到着】

  • 【体調良好につき、健康管理&料理三昧】

    連休の最終日、老夫婦連れだっての早朝散歩。ふたりでの行動だといろいろ話合いをしなければならない。「きょうはだいたい、7000歩のコースでどうだい?」「いいね」みたいな会話が必要になってくる。自分ひとりだけの散歩コース選択は出来ませんね。それと経験知の豊富な夫としてはさまざまな選択肢を提供して、彼女の「自分でも決めた」気分を尊重したい。あ、2日間の経験から、彼女は「上り坂」は避けたい、できれば下り坂希望、という条件があることがわかった。わたしは多少負荷がかかる上り坂はキライではなく、そういった困難を乗り越えるという心理に惹かれていることがわかった。こういう気付きはいっしょに歩いたことで得られたもの。わたしの早朝散歩習慣はたぶん20年くらいは続いていると思うのですが、そういった経験から、おのずと体感蓄積があっ...【体調良好につき、健康管理&料理三昧】

  • 【レンタカー、イヌも歩けばこうなるか?】

    前々回の東京出張時に借りたレンタカー。わたしはクルマの種類など一応は気にするけれど、最近のクルマは厳しい競争からか、それほど気にもならないレベルの性能差になってきている。クルマも永く乗り続け、免許証をいただいてからでも(?)54年が経過。狭いニッポンですが、あちこち巡り続けてもまだまだ、好奇心と探究心をお供に走り回り続けている。昨日は久しぶりに長い付き合いのクルマメーカーの担当者と話していましたが、道の狭い本州地域では軽の方がなにかと好都合という話題に持ち込んで、かれの高額車販売志向を封じておりました(笑)。そうなんですよね、いろいろな取材対象・箇所に行くのに本州の市街地域では道路幅事情が非常に厳しかったりする。普通車に乗っていて、車幅を気にしながら路肩と話し合いながら運転するようなケースも多いのですね。...【レンタカー、イヌも歩けばこうなるか?】

  • 【高齢化社会と「連休」感覚の変容】

    世間は3連休ということですが人生一段落夫婦としては行動予定はおおむね自由度が高いのでその連休にあわせる必要は特段ない。これまでならば「今度の連休、どこいこか?」と計画していた記憶があるのですが、そういった「追い込まれる」ような心理から解放されてしまった。そういった計画最優先という強迫観念がすっかり薄らいで来ています。これはいいことなのか悪いことなのか(笑)。早朝散歩はひとりで出掛けるのが習慣だったのですが、カミさんを誘ったらいっしょに出掛けることになった。休日だし、特段、自宅兼用事務所に出入り予定はないので、朝食も作り置き食品と残り飯のおにぎりというメニューにして外出時に弁当的に食べることにしていたのです。カミさんの朝の予定は特段なかった。ただ、散歩終了後はあちこち買い物の予定はしていた。ふだん歩いている...【高齢化社会と「連休」感覚の変容】

  • 【10/8 オホーツク海・底引き網は「フグ」大漁・・・】

    きのうは北海道の秋の風物詩のようにナナカマドの紅葉とサケの遡上をご報告しましたが、北海道オホーツク海側の雄武町に地縁のある友人から「これがいまの海の様子だぞ」という報告を受け取った。「おお、元気でいるか?」「ああ、オマエのスマホにオレが撮影した動画を送った」「おお、どうしたのよ?」「7−8日と雄武に行ってきたときの漁の様子なんだわ」「ほえ〜、ありがと」「それがな、今年のオホーツクの海じゃ、フグばっかりで肝心のサケは激減なんだわ」ということで、その動画をチェックすると、たぶん10/8早朝と思われるオホーツク海での「底引き網」漁の水揚げの様子が映されていた。魚種によって仕分けされていく様子のようだけれど、生々しい海の男達の会話もゲンナリ感が強い。見てみると、上の写真のような魚種。まぁちょっと注視すればこれがフ...【10/8オホーツク海・底引き網は「フグ」大漁・・・】

  • 【サケ発寒川遡上・ナナカマド、秋色深まる札幌】

    きのういつものように早朝散歩に午前6時頃に家を出たのですが、体感気温が予想以上に低く感じた。あとで調べたら7度程度ということでしたが、体感的には5度を下回っているようなレベル感。はやく寒さから逃れたいと通常よりも「速歩」気味にして体温上昇を一生懸命にこころみていました。10分程度早足で歩いている内にようやく馴染んできていましたが、普通のジャンパーを着込んでいましたが、これから場合によっては薄手のダウンジャケットも選択肢かと。ということで近隣の「発寒川」流域の公園を歩いていたら、橋の欄干に人が集まって川面を注視している。「お、」というところ。案の定、鮭たちが発寒川を遡上している様子を観察しているのです。北海道人としては、まことに季節を知らせてくれる季語のような「イベント」。発寒川は結構な傾斜のある流路なので...【サケ発寒川遡上・ナナカマド、秋色深まる札幌】

  • 【札幌での日本能率協会主催の建築関係イベント参観】

    日本能率協会主催の建築関連のイベントといえばおおむね東京ビッグサイトなどで行われるので、参観することがこれまで多かった。2年前には出展企業として参加もしていた。多くの建築・工務店関係者と出会うことも多く、そういった意味でも「情報収集」の手段としても活用していたのです。常識的に考えて見れば北海道単独の市場規模でこういったイベントを行うのは相当難しいと思えたのですが、そのイベントが札幌でも開かれていると知って、参加して参りました。会場は札幌の展示場と言えばここ、アクセス札幌であります。この会場にもすっかりご無沙汰でもう10年以上のブランクがあるかと。クルマで行ったのですが途中、カーナビも忘れていて(笑)どうも一生懸命に「裏口」側に案内しようとする。「あれ、ヘンだな、正面も出入りできるはず」と記憶を頼りに向かっ...【札幌での日本能率協会主催の建築関係イベント参観】

  • 【明治でも女性たちは太陽だった 富岡製糸場-6】

    きのう見たように、幕末明治初頭の日本に対して、欧米の市場経済が期待したものは養蚕業による絹製品群だった。近代国家として独立を確保しさらに欧米列強と伍して行くためには、当然ながら「国力」の涵養が第一に必要。国内戦争を経て権力体制の樹立に成功して後、それまでの幕府が尽力してきた経済的な努力を明治政府はまっとうに継承し、発展させていった。それまでの日本社会でも養蚕業は環境的適地性があって全国で展開されていたが、それは農家の女性たちによる「家内制手工業」の枠に留まっていた。そういう状況の中でフランスなどの大消費地からの需要が急拡大したことで、粗悪品などが流通する結果になってしまった。そうしたなかで主にフランス式の発展した「大規模工場生産方式」が志向された。そのプロセスでは、初代の指導者、仏人ポール・ブリュナは、日...【明治でも女性たちは太陽だった富岡製糸場-6】

  • 【幕末明治期日本の貿易産品 富岡製糸場-5】

    日本史の激動期、幕末明治初期の「経済構造」というのはあんまり歴史教育で触れられていないように思う。歴史としては政治・軍事的な側面に集中していて、その下部構造、どうしてそのような「革命」が起こるのかについての経済的側面を探究することが少ない。わたしは歴史が好きだったのだけれど、今回の富岡製糸場探訪ではじめてそういうことに興味を抱いた次第。上のグラフは昨日も引用した「継承される革新の歴史」からのもの。もっと掘り下げていけばたくさんの詳細なデータがあるのかも知れないが、おおまかな把握としては十分に伝わってきた。日本からの「輸出産品」のグラフ図なのだけれど、蚕糸類の割合が非常に大きいことが知れる。ペリー来航が1853年7月のことで、欧米の「市場経済」が日本に対して「開国」を迫ってきた。下の写真2点は1867年のパ...【幕末明治期日本の貿易産品富岡製糸場-5】

  • 【北海道開拓とも並行〜必死な開国近代化 富岡製糸場-4】

    このブログでは2019-20年頃、北海道の住宅史の始原期を探って明治最初期の状況をずっと深掘りしてみていた。ちょうどコロナ禍によって社会閉塞のやむなき背景事情があったのだけれど、日常的な仕事の状況を反映したブログから、ちょっと意識変化してのブログのテーマ化だった。いまは逆にそこで追究した素材テーマ感が自分に強く影響してきている(笑)。年齢のこともあって開拓した事業を譲渡して、いまは比較的に自由にテーマに沿った掘り起こしを志向している。で、その過程で富岡製糸場のことに気付きが至って、北海道での始原期の開拓の実像一択でこれまで凝り固まっていたのかもと思えるようになった。わたしたち北海道人にとっては、いま現在にまでつながってくるのが、住宅性能進化に顕現した多くの先人の営為が主たる興味分野だけれど、一方で日本全体...【北海道開拓とも並行〜必死な開国近代化富岡製糸場-4】

  • 【雲と地形の自然造形に癒されて】

    写真は札幌ー東京便の空中写真。上は函館山の上空からの遠景と、下は青森市街の空撮図。ここのところ、40-50年ぶりくらいに「窓際席」側の指定をする習慣になっております。なぜか、仕事であちこちと飛び回っている期間には、ひたすた通路側席でトイレに行く利便性一択だったものが、意識が変わった。そういう風に変化して見るとはじめて飛行機で移動し始めたころ、高校3年生当時のことが新鮮に記憶再生していた。新左翼運動が華やかな時期で、ハイジャック事件なども起こる直前期だった。一度などは欧州までの旅もあって、ちょうどベトナム戦争期で、やや半島を迂回するような航路だったようで、ベトナム半島全景が映し出されて、目を瞠りながら「この下で・・・」と妄想を掻き立てていた。空中から地上を見下ろして、いわば巨視的に地形とか地理とかを実感で把...【雲と地形の自然造形に癒されて】

  • 【明治の建築「革新」 大空間構造 富岡製糸場-3】

    富岡製糸場の参観ではやはり明治5年段階の大規模建築、公共投資としての大型建築のありようが興味深かった。それまでの日本建築は城郭建築が主体であり、その目的性に根ざした技術が伝承されてきた。民間建築は各地域での農家などの建築が主体で、都市では長屋などの集住建築が量的には主流という市場構造だった。そういう建築界の状況に対して、明治維新という革命は巨大なインパクトを与えた。産業のための建築という新領域が広大に広がっていくという予感で、のちにゼネコンと言われる企業家たちは奮い立っていた。明治4−5年という時期、さながら「洋造」建築の展示場のように北海道開拓の首府、札幌の街区建設が進められ、同時に寒冷気候に対応した住宅技術研究が旺盛に開始していた。たぶん明治期の国家にとって対ロシアの国防目的からの北海道移民促進と、こ...【明治の建築「革新」大空間構造富岡製糸場-3】

  • 【幕末-明治、殖産興業への邁進 富岡製糸場-2】

    今回ようやくにして世界遺産「富岡製糸場」を探訪することができたのですが、遠く北海道から、東京出張の合間時間での訪問と言うことで、事前にはほとんど準備も出来ていなかった。関東には東北の半分くらいの「馴染み」のある北海道人ですが、そのなかでもやはり茨城・栃木・群馬の3県については土地勘がなかなかない。「ま、だいたいあの辺だべ」くらいの感覚で移動し始めた。起点は成田便とのアクセスがいい青砥。カーナビ依存症が進行していますので方向的にいくつかの取材先を入れていて、館林、足利を探訪後、富岡に向かった。高速でいえば東北道を北上して、どこかで左側に降りて・・・くらいの適当な感覚。館林も富岡も同じ群馬だから、というところだったのですが、これが東の果てと西の涯くらいの距離感で、また高速道路がしっかりつながっているという安心...【幕末-明治、殖産興業への邁進富岡製糸場-2】

  • 【日本製造業の始原・富岡製糸場】

    江戸期の古民家を探訪することが多いわたしですが、とくに最近行った福島市民家園では、多くの古民家で「養蚕〜機織り」が家内制手工業として営まれている様子に触れていた。また、ツルの恩返しという古民俗の様子もいかにも地域密着で根付いている様子がわかる。そんなことから当然のこととして、幕末〜明治の日本の製造業の基盤を形成し、そして世界に日本の存在を強く訴求した生糸生産・製品輸出の根源地になった富岡製糸場について、訪問して詳細にその根幹を取材したいと思うに至っていました。仕事生活の一段落からあらたな行動の方向性として、建築と人間社会みたいな領域を掘っていきたいという願いのひとつのあらわれでしょうか。歴史が好きでいろいろな探究をしていましたが、ふしぎとこの富岡製糸場のことは抜けていた。富岡製糸場の建設はフランス人指導者...【日本製造業の始原・富岡製糸場】

  • 【秋のみのり・野菜食をたのしむ】

    出張の疲労回復にはやっぱり1日くらいの休養が必要で、昨日はなるべくカラダを休めておりました。今回はとくに自宅で寝て起きると、ホテルでの寝起きとはまったく違う「爽快感」を実感させられ、本日で帰宅後2晩目の就寝ー目覚めはさらに体力回復ぶり実感。やっぱり加齢とともに「身の程をわきまえる」ことが大切なのでしょう。写真は10日前に購入してきた秋の北海道新鮮野菜たち。安定のカボチャはこの値段で煮浸しとか、スープなどに利用して楽しんでおります。先日来ご紹介していた「ソーメンカボチャ」はどっさりとサラダ食材として活用中。これはとにかく調理すること自体が楽しい。加熱して流水で冷ましながら、中身がどんどんとソーメンのようにほぐれていく様子が、なんとも愉快な気持ちにさせてくれる。大根などを線切りにするのは包丁手間がたくさん掛か...【秋のみのり・野菜食をたのしむ】

  • 【幕末期の福島「割烹旅館・客自軒」/福島市民家園-7】

    昨日までは会議参加などで東京に出張しておりました。昨年、環境の変化があったのですが、それ以来推移を注意深く見守るような時間が経過している次第。ちょうど1年間の期間が過ぎてきて、ひとつの節目になっておりました。今後は徐々に自分自身のテーマ領域に向かって集中していきたいと考えています。またそういう領域の「取材」もしてきていました。東京は不思議な「季節感への無感覚」時間。どうもほとんど暑さは感じずに、長袖でも短袖でもどっちでもいいような空気感。一方帰ってきた札幌は秋を感じる気配。今日からは新環境での本格的始動とも考えています。今後ともよろしく。住宅写真主体のブログは最近継続中の「福島市民家園」シリーズです。本日の建物は「元・客自軒」という福島市で有数の割烹旅館。この建物は幕末期の歴史上重要な舞台になったことで知...【幕末期の福島「割烹旅館・客自軒」/福島市民家園-7】

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