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性能とデザイン いい家大研究 https://blog.goo.ne.jp/replankeigo

こちら 住まいの雑誌・Replan編集長三木奎吾です  いい家ってなんだろう、を考え続けます

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2015/10/15

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  • 【空の旅路〜津軽半島「十三湖」と同定か?】

    昨日夕刻、東京から富士山地域をめぐるツアーから帰還しました。旅中はいま話題の臨床医師・和田秀樹氏の著書「70歳が老化の分かれ道」を読書しておりました。わたし自身は、読書の対象としては自然科学系などの本が多くて、いわゆる「文学作品」に偏ることはしません。基本的には「事実に即した」表現物に惹かれる。自分自身もこの書に書かれた年代に差し掛かってきて、健康管理というよりもさらにそれを超えて「自己の生き方管理」みたいな部分に強く感応させられてきています。まぁ、当然ではありますが。日々、自分の生命力の状態をしっかり把握しながら、できれば前向きな生き方を実践していきたい、というところ。そういう事柄についてこの方の著作は非常にわかりやすく述べられていて参考になる。わたし自身、いくつかの病理と対話しながら「元気よく生きる」...【空の旅路〜津軽半島「十三湖」と同定か?】

  • 【富士山、ああ、富士山】

    北海道人はめったに富士山を仰ぎ見る機会がないので、ニセコの羊蹄山をときどき見に行く(笑)。まぁそれでも「だいたい似た感じ」なので「ま、いっか」と自分を納得させて過ごしている。そういうことなので、たまたまホンモノの富士山を見ることができる地域に来ると興奮する。「あ、ココではこういう風だ」「ほえ〜、こんなとこからでも見てくれている」などと無性によろこぶ。津軽人の太宰治は「富士には月見草」と、甲府に在住の頃に書き記してそれが一気に日本人に染みわたって行った。テレビなどのメディア出現以前の社会での「作家」の影響力の強さを教える逸話。その刷り込みから月見草どころではなく北海道人なので、できれば「イタドリ」を合わせ見てみたいと思ったりする。今時期、札幌の散歩道では旺盛にこの雑草が道端を埋め尽くしてくれている。しかし、...【富士山、ああ、富士山】

  • 【伊豆半島あちこち 作家・井上靖を探訪】

    北海道人にとって「伊豆」というのは、まことに縁遠い。4月に「作家と住空間」を出版しましたが、月イチほどの関東関西などの訪問機会が別件であるので、そのテーマ領域での探訪をセットする「自由な取材」を継続しています。いわゆる文学好きという種類の興味ではなく、わたしの場合は「人間がそこで暮らした住空間の実相を訪ねる」というのが主体。今回は、旭川で発見した「井上靖文学館」を知ってから、そのかれの人生模様に沿って「そこで生きた」空間を探訪してみた次第。人間、いくつになっても生きてきた興味分野というのは面白いもの。こんなふうな行脚を続けていると、深掘りができるようになってきて、だんだんと「対話型」の取材活動にもつながってくる。昨日も、都合4箇所を巡り歩いていましたが、そのうち2箇所ではかなり「話し込む」取材になった。と...【伊豆半島あちこち作家・井上靖を探訪】

  • 【相国寺展―金閣・銀閣 鳳凰がみつめた美の歴史・参観】

    わたしは、東京に来るといくつかの美術館・博物館などを参観するのがルーティン。やはり首都と地方のいちばんの「格差」はこと「文化」面ということはあきらかだと思います。その国の歴史的文化についての蓄積利用においてこうした「格差」はいかんともしがたいし、そのことには蓋然性があるとも思っています。その国の伝統文化について、首都機能がその維持保全の役割を担うのは、自然だと思える。ただし地方居住者としては、上京の折にそうした文化施設を参観するには、それなりの「格差是正」の姿勢の表現があってしかるべきだとも思っています。具体的には国立の施設においては地方からの上京者の入場料などに「優遇処置」をもって対応すべきだと考えます。ぜひご検討ください。金額の問題ではないと思います。たとえ数パーセントだとしても、有意義だと考えます。...【相国寺展―金閣・銀閣鳳凰がみつめた美の歴史・参観】

  • 【設計と建設「一括発注」でコストダウン 古平町新庁舎 Part-2】

    さて公共建築にあんまり馴染みのない仕事人生人間の目に飛び込んできた古平町の庁舎建築その2です。わたしたちのように一般木造住宅を基本にした分野で加速度的に取り組まれてきた「省エネ化」手法としての高断熱高気密化や、自然エネルギー活用などはRC建築の分野ではあまり取り組まれてこなかった。ZEH基準などの一般化は一般木造住宅での住宅性能革命が運動的なコアを形成してきた。その運動は寒冷地・北海道で「あたたかい暮らし」を希求する庶民が求め、先端的な研究者や建築実務者、その需要に正対した地域公共団体という官・学・民が「協働」してきて普遍化してきたもの。その成果がやがて全国に拡散してきた。一方のRC建築では北海道ですらコスト面から、マンション建築でもいわゆる「外断熱」手法などへの取り組みが遅れてきた流れがある。戸建て住宅...【設計と建設「一括発注」でコストダウン古平町新庁舎Part-2】

  • 【北海道積丹半島「古平町」新庁舎を参観】

    わたしは住宅雑誌を創刊してながくその出版事業をしてきましたが、類縁的な「建築」公共建築などについては、限定的な興味範囲と認識してきました。建築企業にとっては、こうした公共の仕事というのも住宅と並んで興味分野でしょうが、まぁつかず離れずのスタンス。ということなので、ニュース的な建築の動きにもあまり注意を払っておりませんでした。わたしは積丹半島地域はよく行く余市の鮮魚店・新岡商店など、馴染みがある。先日、大好きな日帰り温泉「岬の湯」が冬期休業が終わって再開しているということで立ち寄ってきた。その帰り道に面してレトロな雰囲気を漂わせていた「古平町」の庁舎が解体されてしまったことが目に飛び込んできた。「あれ、なくなったの?」代わりにちょっとした「道の駅」ができていたので参観。で、そのあと、そこから10数メートルほ...【北海道積丹半島「古平町」新庁舎を参観】

  • 【人生・高齢期での「潮時」の意味とは?】

    潮時、という言葉はいい意味でも、悪い意味でも使われる。「goo辞書」で見てみたら以下のよう。<漁師たちは潮の満ち引きをよくみて漁をする。潮の変わり目が実は絶好のタイミングであることからこれを「潮時」と呼んだ。つまり本来の意味は「好機」なのである。しかし時が流れて人々はマイナスの意味での「やめるタイミング」を「潮時」という言葉に重ねてしまった。>とのこと。写真は北海道釧路周辺での太平洋を見晴らした海岸線の光景ですが、こういう海の様子から航路の決断を下していく人びとの洞察力には本当に深く打たれる。そういう「先覚者」たちが時代というものを切り開いていくのでしょう。現代の高齢化社会という局面では、国の運営というのはなかなか難しいだろうなぁと思う。わたし自身も高齢者になり、もうすぐ「後期高齢者」にも突入しそう。まぁ...【人生・高齢期での「潮時」の意味とは?】

  • 【鎌倉期の報道「蒙古襲来絵図」 元寇シリーズ-14】

    わたしはメディアという情報の世界で仕事人生を過ごしてきました。昭和中期生まれの人間なので小学校に入る頃から自然に毎日届けられる北海道新聞に目を通し始めていた。当然、たくさん「漢字」が目に飛び込んでくる。学んでいないので書かれている内容のすべてがわかるワケではない。ようやく「ひらかな」がわかっていたくらいの段階。しかし世の中というのはどういうものか、という好奇心が強くて、ひらかなで表記されている前後の「筋道」から、アタマのなかで「この漢字はきっとこういう意味ではないだろうか」と想像しながら目を通していた。頭の体操。小学校の先生から「三木は新聞を読んでいる」とわたしのことを教室で話題にされた記憶が鮮明に残っている。その時期の、新聞を読んでいるわたしの様子の写真も鮮明な記憶がある。文章というものとの出会いにおい...【鎌倉期の報道「蒙古襲来絵図」元寇シリーズ-14】

  • 【福岡・筥﨑宮「敵国降伏」の掲額文 元寇史料館-13】

    日本には数少ないとされる「戦争記念館」として福岡市の「元寇史料館」を参観しての記録を書いていましたが、そこで知った日本三大八幡宮という「筥﨑宮」に興味を持って参観しました。驚いたのは、中央の「拝殿」建築の正面に掲額されていた願文に写真のように「敵国降伏」という文言が掲げられていること。八幡さん自体が武家・源氏の象徴のような神域なのですが、それにしてもストレートに戦争にまつわるコトバが明示されていることは神域表示としては驚かされる。同宮のHPによる由緒は以下のように書かれている<要旨>。〜筥崎宮の由緒筥崎宮は筥崎八幡宮とも称し、宇佐、石清水両宮とともに日本三大八幡宮。御祭神は筑紫国蚊田(かだ)の里、現在の福岡県宇美町に生まれた応神天皇(第十五代天皇)を主祭神とし、神功皇后、玉依姫命がお祀りされています。創建...【福岡・筥﨑宮「敵国降伏」の掲額文元寇史料館-13】

  • 【放置したiPhoneのFaceBookアプリ、自動回復】

    写真と本文は関係ありません。これは福岡城のお濠のカメさんたち。昨日書いたブログ記事で、iPhoneのFaceBookアプリから「このページは現在ご利用いただけません」というアラートが出て、その下に「更新」という選択ボタンが表示されそこをクリックするように誘導されるけれど、さっぱり無反応で、さてどうするか、という状態を記述させていただきました。わたしももう35年以上のパソコン・スマホ利用歴ですが、Macの方であればそれなりにあれこれと設定を確認しながら、総合的に判断を下していくことに慣れています。しかしスマホiPhoneの方は運用操作自体は慣れていても、設定をあれこれいじくり回すのはツラい。なにより視野範囲があれだけしかなくさまざまにアタッチすべき項目があると、正常で冷静な選択判断を下し続ける自信も根気もな...【放置したiPhoneのFaceBookアプリ、自動回復】

  • 【Facebookの障害から思うこと・・・】

    わたしのブログはFacebookにもリンクされていますが、どうもここ2日程度スマホのiPhoneではFacebookからは参照できない状況になっております。Macからのソフトでは特段問題は発生していない。で、この「メンテナンス不良」マークの意味合いをGoogleで調べてみたら、Facebookの側での障害発生のようであり、ユーザー側としては、待っているのが得策、という案内が導かれていましたので、そのように諦観しております。Facebookには電話で解決を図るということへの対応はない。という次第ですが、これはなにかの機縁であるとも思えてきて、徐々にWEBやSNSの利用について本格的に再検討すべきかとも考え始めております。ブログを書き始めたのが2005年8月からで、息子と愛知万博に出かけてきたのがきっかけ。そ...【Facebookの障害から思うこと・・・】

  • 【あんまり会いたくない隣人を正視する・・・】

    さて旭山動物園にて、その2であります。下の写真の標識は、北海道内をあちこち巡っていると遭遇する交通標識。すっかりお馴染みですが、やはり見る度に「おお」と恐怖がわき上がってくる。で、この標識が動物園の中にまで出現していた次第。案の定、お馴染みのヤツが飼育されておりました。先日までシリーズで書いてみた「元寇」並みに危険信号的に心理に刷り込まれているヒグマであります。知床をクルマで回っていたときに、自然状態の彼らの姿を目視したことはありますが、やはり通常の生活シーンでは遭遇させられるのは勘弁願いたい。ここ数年来、北海道内で人間居住域でヒグマ目撃例が多発している。地震天災情報の即時性などから、わたしのスマホでは札幌市からのLINE通知を受け取る設定にしていますが、最近は「ヒグマ情報」がほぼ専有的に流れてくる。札幌...【あんまり会いたくない隣人を正視する・・・】

  • 【ある日、動物園でふと見上げたら・・・】

    写真は過日、旭川の「旭山動物園」で見かけた光景。わたしは加齢とともに動物たちへの「共感」本能が盛り上がってきて仕方がありません。これまでは「哺乳類系動物」が主要な対象だったのですが、どうも最近は「鳥類」へのシンパシーが高まってきて仕方がない。たぶん数ヶ月前くらいの東北行脚の折に宮城県から岩手県南部にかけての水辺周辺で、大空を駆けているかれらの姿にすっかり感情移入させられてしまった。その姿に、日本の創生期神話のヤマトタケルのハクチョウへの変身場面が完全にシンクロしてしまった。そうか、日本人はその心理の奥底で自然崇拝の強い志向性を持っているのだと、深く気付かされたのです。加齢によって世事からは徐々に解放されていくとともに、その背景を作ってくれている自然の風土環境に惹かれてきているのでしょうか。これまでは見向き...【ある日、動物園でふと見上げたら・・・】

  • 【コメ価格高騰は農業政策の破綻なのか?】

    歴史随想的な「元寇史料館」シリーズに沈殿しているうちに世上ではいろいろな現実が動き続けている。とりわけ不明な動きがコメの価格上昇。コロナ開けの世界的な需要急増局面での各種「値上がり」圧力はある程度は理解できるけれど、さすがに日本人の主食であるコメについてのインフレは座視できない。わたしの場合は知人の宮城県の農家の方から10年くらい前から直購入させていただいてきていましたが、今回の価格急騰局面でついにコメ生産現地で買い占めの動きが活発化して、わが家のような小さな需要には対応できなくなってしまっておりました。でも、当面2−3ヶ月の分については先日最終出荷していただいて確保しています。高齢化と健康を考えて小食化に努めているわが家では、夫婦毎日1合で用足りるのですが、ときどき「寿司」を握ったりするので、そのときに...【コメ価格高騰は農業政策の破綻なのか?】

  • 【仏教と征服権力・政治とのつながり 元寇史料館-12】

    写真上はきのう紹介した元の軍船団が集結していて大型風台風の直撃を受けた「鷹島」海域の海岸線に打ち上げられていた高麗の船のものと推認される仏像。軍船のなかで「守り仏」として機能させていたのではないかと言われる。軍人たちの精神世界を映し出している「鑑」。そうした信仰対象として仏教がこの時代、非常に浸透していたことがわかる。このような仏教信仰はこの時代、東アジア世界では汎世界性を持っていた。元はこうした世界帝国を目指して侵略活動を広げていったけれど、一方で仏教信仰においてはチベット仏教を篤く崇敬したとされている。一方、下の写真は鎌倉に現存する「建長寺」の山門建築。こちらは南宋の仏教文化の勧請であって、深く「禅宗」に帰依した歴代の鎌倉幕府執権・北条氏によって開かれた大寺院。鎌倉幕府を挙げての巨大建築群として鶴岡八...【仏教と征服権力・政治とのつながり元寇史料館-12】

  • 【950hpの台風・鷹島南海域集結の元軍直撃 元寇史料館-11】

    今回の元寇史料館訪問でわかったことの最大のポイントはやはり海上からの侵略行動にとって、もっとも枢要な要件は海洋気象ということが明確になったこと。要するに台風である。長崎県伊万里湾口の鷹島沖海域を埋め尽くしていた元の軍船団が実に1281年8月17日にほぼ潰滅している。侵略側の記録でも「元軍の帰らざる者、約10万。高麗軍の帰らざる者7000余人」(高麗の史書)「風が船を破る」「風に遭って、船ことごとく壊す」と元側の記録にも短く、その悔しさ、無念さを滲ませているという。新暦の8月17日は台風襲来の頻発する二百十日にほど近い。九州大学の故・真鍋大覚博士の樹齢数千年の屋久杉の研究調査から、このときの台風は中心気圧950hp、最大瞬間風速55.6mという超大型台風だったとされる。この鷹島海域の伊万里湾地域では風速30...【950hpの台風・鷹島南海域集結の元軍直撃元寇史料館-11】

  • 【第2波弘安の役「防塁」で専守防衛 元寇史料館-10】

    元寇史料館での体感シリーズも合計10回目の連載記事で、トータルの文字数はたぶん10,000字を超えてきました。日を重ねながらいろいろな側面にスポットを当てて特定テーマを書き続けるというブログスタイルのメリットを感じています。それに対して、いま現在ではyoutube動画に対して「広告収入」が得られるということから、そちらの方が個人の情報発信のメインに変化してきていますが、どうもそういうメディア利用というのは、本来的な情報の深さ探究と考えてどうなのかなと思っています。まぁいろいろな見解のあり得るNHKですが、その番組作り、とくに衛星放送分野での番組は、非常に興味深い「深み」がある。それに対して、広告収入狙いの民放系の番組作りは完全に「オワコン」化している。どうも、そういう情報の本質論でカネ儲け最優先という姿勢...【第2波弘安の役「防塁」で専守防衛元寇史料館-10】

  • 【立正安国論・宗教の政治への直接関与 元寇史料館-9】

    さすがに昨日は往復800km超のドライブ運転の疲労が沸きだしてきて、連載記事ひと呼吸。本日は復帰。この元寇がもたらした状況の中で、今日社会とも通底していると感じるのは「政治と宗教」の関係性。この元寇の時期、鎌倉新宗教として日蓮が活動して布教を広げていた。政治と宗教という意味合いでは、そもそも仏教を日本社会に持ち込んできたのは飛鳥時代の聖徳太子であり蘇我氏勢力だったことからあきらかではある。政治という権力争奪においては、つねに「イデオロギー」が重要な領域を占めていて、いわば「正統性」争いである部分の最重要パーツであり、また「本質」に深く関わるものであった。その宗教活動において民衆への布教を基礎にしながら、政治権力に対して意見を申し立てる、というような動きにまで高まってきたのがこの日蓮による「立正安国論」の提...【立正安国論・宗教の政治への直接関与元寇史料館-9】

  • 【好きな空間に抱かれて in 中札内美術村】

    2日間、ふたたび静かな夫婦旅へ。ことしはあちこちと「観桜」の旅を楽しんできていますが、日本全国を縦断するサクラ前線も、人口密集地の本州地域を離れてくるとだれも話題にしなくなりますが(笑)、北海道でも札幌が終わってくると、もうほとんど話題が消えてくる。しかし、それでも最後のかがやきが目を楽しませてくれています。ということで、今回は十勝地方・釧路地方をきままにマイカー行脚。往復で800km超のロングドライブでしたが、おかげさまでそう疲れを感じることもなく、ゆったり帰還しておりました。まだまだ元気。カミさんが調べてくれた道東の「知られざる観桜スポット」を巡ってみました。しかし釧路地方はまだまだサクラ前線が到達していない。なんでも日本全国でいちばん最終の到達地なんだそうですね。しかし十勝地方は中心の帯広で満開から...【好きな空間に抱かれてin中札内美術村】

  • 【国際戦という「異次元」価値観戦争 元寇史料館-8】

    中国大陸に並立した2国・元と宋という複雑微妙な国際情勢のなかで、新興の元から国書を送られて「こっちの陣営に付いて味方してくれるよな、な?」というような関係を迫られた日本。その政権は実権を「征夷」をタテマエとする武家が支配する国。そういう意味では幕末期に征夷大将軍として黒船を迎えた江戸幕府にも似た立ち位置に立たされていたと見ることもできるのかも知れない。鉄という農耕と軍事の最先端物資を半島からの輸入に頼っていた時代、日本国家社会は白村江という「世界戦争」の渦中に立ったことはあるけれど、その後は百済からの移住者を抱擁し鉄も自国生産できるようになってほぼ対外的な関係としては「交易」だけという通常運転で行ってきた。金属探査もそうした移住者によって進み、結果として奥州からの産金まで結果する奇跡にも恵まれる。その間、...【国際戦という「異次元」価値観戦争元寇史料館-8】

  • 【神風=外交と安全保障のリアリズム放棄 元寇史料館-7】

    日本の権力機構と東アジア世界との交流について考え、その中でこの元寇について考えてみています。こうしたテーマはきわめて現代的でもある。現代に至っても独裁体制下にあって政治判断において多分に不確定要素の多い隣国との対応をわたしたちは考えて行かざるを得ない。たぶん「外交」という国家としての行動について日本という海洋性国家は大陸性国家とは「感覚」がまったく違う。大陸性国家は、常に安全保障の問題と外交とが一体のことがらとなっていくけれど、四周を海で囲われ大陸とは一定の距離感のある日本のような国では、外交感覚がつねに「鈍り」つづける趨勢にあることがわかってくる。そして外交と不可分一体である安全保障・軍事のテーマが「遊離」してしまう傾向を強く持ってしまうのではないだろうか。この元寇にあたっては、そもそも「国書」を受け取...【神風=外交と安全保障のリアリズム放棄元寇史料館-7】

  • 【元の「国書」と世界情勢 元寇史料館-6】

    さて一段落させて、ふたたび「元寇」シリーズ復帰。前後2回に及んだ元と高麗の軍船団による九州北部への侵攻。東アジア世界においては中国大陸が中華としていわば中枢の位置を占めているけれど、そこでの戦いはいかにも「大陸」的な陸上戦的な権力抗争であって、その周辺の国家社会にとってそうした国家は交易の対象であって、さまざまな文化的な往来交流が基調的な関係性ということになる。そのなかでも最大の「交易」国家として日本列島社会が存在してきた。海を挟んでの社会同士の関係としては、そうなるのが自然だろうし、事実日本社会は、大陸国家との関係で経済文化そして、政治制度などでも交易的にそれらを受け入れてきた。この元寇の時代は以前からの「日宋関係」という活発な交易が対「南宋」間で継続的に展開していた。日本側からは旧・奥州藤原氏の支配地...【元の「国書」と世界情勢元寇史料館-6】

  • 【北国の春〜道央圏の観桜、春の風情を巡る】

    さて本日は「元寇史料館」シリーズひと休み。ひとつのテーマで連載的に書くというのは、ブログという表現手法が生み出した習慣性を利用した手法ですが、面白い脳味噌活性化作戦だと思いますね。文章を書くという人間社会が生み出した独特の営為にとっての「新展開・機縁」だろうと思います。たぶんこれまでの「書き手」のひとたちはある限られた参考文献・資料などをかき集めて、その表出してくる特定領域の「空気感」を感じ取りながら、自分の脳味噌に刺激を与えて、言の葉を生み出し続けたのでしょう。「作家と住空間」執筆ではそういう現場写真からインスピレーションを感じ続けていた。それに対して現代ではいわば「WEB文法」とでも言えるようなスタイルが成立しつつある。ブログという表現ツール・契機はある独特の環境を生み出しているということ。一方ブログ...【北国の春〜道央圏の観桜、春の風情を巡る】

  • 【元の海外派兵に「戦略」はあったのか? 元寇史料館-5】

    さてきのうまでは元の軍装備、その戦闘衣について考えて見た。これ自体は当時の日本に対してはるかに優位性をもった「戦略価値」の高いポイントだったと言える。こうした装備についてのはるかな先進性に遭遇して、個人戦での勇猛さを絶対評価尺度としていた当時の日本側の軍事思想では太刀打ちできていなかったのだろうと推測できる。しかし、戦争は単に装備の先進性だけでは勝敗に帰趨は決しない。元軍は第1派の文永の役においては、10月20日の上陸地上戦では幕府・御家人軍に勝利して、博多の街を焼き払い、筥﨑の宮をも消失させる「戦果」を得ている。通常の「征服戦争」であれば、こうした戦果を確保して、そこで征服地域の支配を確実化させるように動くものだろう。それは支配=政治体制の確立と言ったことがらの着手ということになる。しかし元軍は初戦に勝...【元の海外派兵に「戦略」はあったのか?元寇史料館-5】

  • 【元軍兵士の高断熱高性能「皮鎧」 元寇史料館-4】

    このシリーズで元軍の兵士の戦闘衣が展示されていた様子を書いたけれど、その増補資料も整理できたので追記したい。また前回「真綿」という表記をしたけれど、そのコトバは以下のような意味合いを持つことも確認のために前提として記したい。<真綿:真綿(まわた)とは、絹の一種で蚕の繭を煮た物を引き伸ばして綿にした物。日本においては、室町時代に木綿の生産が始まる以前は、綿(わた)という単語は即ち真綿の事を指した。白くて光沢があり、柔らかく保温性にも富んでいるため、昔から布団や綿帽子、防寒着の中に詰め込む素材として、又はそのまま服の間に挟んで使用〈背負い真綿〉利用されてきた。〜Wiki要旨>中国では古くから養蚕が行われていたけれど、北方のモンゴル族支配地域ではそういう生産活動が行われず、漢民族国家からの贈与によってはじめてこ...【元軍兵士の高断熱高性能「皮鎧」元寇史料館-4】

  • 【第1波「文永の役」戦況図 元寇史料館にて-3】

    今回「作家と住空間」という電子書籍を出版して以降、昔人の考えたこと、やってきたことへの思いが強くなってきます。芥川龍之介とか、司馬遼太郎などの作品と住空間に触れることで、その「場所で」かれらはどんな心象に至っていたのか、という想像力に加速度が付いてくる。人生時間に能動的に関われる期間内に、そういう過去の人びととの対話を心がけたい。「高齢期」の生き甲斐としてそのことに集中したい。一般的には「歴史数寄」ということになる。元寇っていう大きな歴史事実について、もうちょっと深い事実を探査してみたくなった心理的起点。よく「神風なんて国粋主義的な刷り込みに過ぎない」という考えから元寇という歴史事実そのものの発掘をスルーさせるような「圧」がありますが、なんかおかしい。この元寇史料館もその存在自体がまったく知られていない。...【第1波「文永の役」戦況図元寇史料館にて-3】

  • 【伝・元軍兵士の「鎧兜」姿 元寇史料館にて-2】

    さて「元寇史料館」探訪記に復帰です。この稀有な「戦争史料館」という珍しい存在で、もっとも目を懲らされたのは、上の写真の元軍兵士の鎧兜。但し書きとして「伝」と付けられているのは、実物として当時から保存され続けてきたものだろうけれど、その事実を証明できる周辺的な解明が出来ずに、その後、元という国家そのものが滅亡してしまったことに起因するだろうと思われた。現代ではそうした解明も可能だろうけれど機微な外交関係下では、そうした軍事にも通じる情報探索は難しいことは容易に想像できる。2枚目の写真の通り、168cmの長さ・12/5kgの重量。鎧〜よろい〜の表面は布製で今に至っても色鮮やかな龍や唐草の刺繍デザインが施されている。裏面全体に7cm四方の鉄板が隙間なく装備され、鎧としての優れた機能性をうかがわせる。〜という解説...【伝・元軍兵士の「鎧兜」姿元寇史料館にて-2】

  • 【母の命日供養で兄姉たちに正式新刊案内】

    さて昨日は身内の兄弟が集まっての「母の命日」の法事供養。もう39年前のことなのですが、肉親のことはどんなに時間が経っても、いわばルーツのことなので、集まれることは喜ばしい。ちょうどわたしの書いた電子書籍「作家と住空間」発刊からはじめての家族の集まりなので、あらためてその話題が。その一節で書いた部分についていつも来ていただいているお坊さんも交えて懇談。事前に郵送していた兄姉たちはありがたいことに本文の局所部分について、お坊さんに紹介するとして話題として振ってくれていました。書いた人間からするとその詳細部分について「よく読解してくれている」ことがまっすぐに伝わってきて非常にうれしい。住所が正確でなかったので未送付になっていた兄2人にも無事にプリントアウトした「電子書籍」本を手渡すことが出来ました。出版関係人で...【母の命日供養で兄姉たちに正式新刊案内】

  • 【侵略を経験し歴史的に外圧を体感する〜北部九州】

    上の写真は昨日も紹介した博多と博多湾を一望できる上空写真と、今回はじめて参観できた「元寇史料館」で確認できた元軍船舶の「侵略」状況ジオラマ。この状況は元寇の1回目、1274年の「文永の役」のときのものです。13世紀において日本社会はこういう惨禍を実体験した。わたしたち北海道もその開拓殖民に当たっては、「北門の鎖鑰〜さやく」(鎖鑰というのは「戸締まり・用心」のような意味)という国家意志・目的が大きな要素として行われてきた歴史経緯。北方からのロシアの侵略脅威に対して、日本社会が立ち上がって国土開発努力が傾けられてきた。しかし明治以前の江戸時代という一国平和体制が国民意識に深く沈殿してなのか、日本人は対外的な外交とか、国家戦略的な自らの立ち位置という論議には「熱しやすく冷めやすい」側面が大きいのではないか。とく...【侵略を経験し歴史的に外圧を体感する〜北部九州】

  • 【地下鉄で空港へ、街中からすぐフライトの博多】

    昨日夕方、博多の街から帰還しました。昨年にも家族で訪れていたのですが、約1年ぶりの訪問。街のサイズ感としてわたしのホームの札幌と近似している街ですが、そのせいなのか、歩いていて不思議と親近感を感じる。今回は急に日程したこともあってレンタカーなどは借りずに、もっとも街の雰囲気を感じられる「徒歩+地下鉄などの都市交通」という移動手段で都市居住体験をしてみたかった。おかげさまで昨日もトータル13,500歩超という歩数であちこちと散策してみていました。知人から勧められた「元寇史料館」から「筥﨑宮」など。やっぱりわたしの数寄としては歴史・ひとのいとなみ系のテーマでの散策が非常に性に合っている。とくに「元寇史料館」での元の軍兵たちが全身にまとっていた「モンゴル型・鎧」の現物展示には深く驚かされていた。知人によるとこう...【地下鉄で空港へ、街中からすぐフライトの博多】

  • 【怒濤の日程だった4月の最後は博多・櫛田神社】

    この4月は電子書籍の「作家と住空間」発刊から始まって、その関連での3月末からの東京滞在があり、その後中旬には「AI人工知能EXPO」参加でふたたび東京晴海のビッグサイトでの説明員役務、その出張が終わってすぐに青森県・道南観桜旅。そこから帰ってすぐに博多にトンボ飛びして知人との会合参加などの日程を過ごしておりました。本日札幌帰還予定。こういういろいろな動きがあったので、それを整理整頓して次のステップに準備していかなければなりませんが、5月にはいまのところそういう動きを入れずに、落ち着いて過ごしたいと思います。写真は昨日撮影した櫛田神社の「山笠」。なぜか福岡ではこの櫛田神社周辺にご縁があるようで、昨年もこの近くに宿泊していましたが、今回も同様。よく福岡市は外部からの制服権力である黒田家の「福岡城」と市井の民衆...【怒濤の日程だった4月の最後は博多・櫛田神社】

  • 【函館と言えば「谷地頭温泉」が地元民の定番】

    今回の青森−道南観桜旅、青森からフェリーで帰還後、夫婦旅の定番・函館市内の「谷地頭温泉」へ。この温泉は「公営温泉」として長く函館市が経営していた歴史があり市民に親しまれてきた。歴史的には以下のよう。(概略Wiki記述より)〜1878年の函館大火のあと当時湿地帯であった谷地頭地区が宅地造成され1881年竣工。翌1882年事業家・勝田銀蔵によって温泉掘削が行われた。その源泉に対し戦後直後、函館水道局(現、函館市企業局上下水道部)に新しい湯元の開発が持ちかけられた。ちょうど湯の川温泉の温泉供給管に付着するガリ対策の目処がついたこともあり、1949年8月にかつてあった料亭「浅田楼」の土地(谷地頭町25番地)購入する施策案が函館市議会で決議。翌1950年に市民より谷地頭町17番地も寄付され1951年ボーリングを実施...【函館と言えば「谷地頭温泉」が地元民の定番】

  • 【弘前の美術館にて奈良美智作品と再会 🎵】

    さて、昨日ようやくわが家に帰還いたしました。日曜日20日からだったので今週はほぼデスクワークを離れておりました。夕方帰ったのですが、以前から時間アポをしていた官公庁からのビジネス連絡を受けた。で、必要と言われた公的書類の指示があって取り寄せを了解したのですが、2つの書類とも有効期限内の取り置きがあったので、さっそく返信して必要な届出について、電話で逐一確認しながら完了させることが出来た。なかなかお役所との対応は細かな点についての注意が求められるので、たくさんの案件を進行させているビジネスの現場感覚からすると、あまりにも内容が細かすぎて対応がメンドイ(泣)。今回のことも、先方から一度は「完了通知」を受け取ったけれど、官庁組織内部での細かいチェックの結果、微細な部分の修正申告を、というような内容。それもはるか...【弘前の美術館にて奈良美智作品と再会🎵】

  • 【青森から松前へ、海上はるかに岩木山遠望】

    一昨日は夜に函館にフェリーで到着。で、観桜ツアーとして昨日は道南・松前に移動。なんですが、わたし的には道中から海上に遠望されていた山影に見入っていた。そうなんです、これまでもたぶん気付いてはいたハズだけれど、津軽海峡はるかに「岩木山」が見えていたのです。写真はiPhone撮影でおぼろげですが・・・。昔人は現代人よりもはるかに「遠望視力」が優れていた。このように岩木山が見えることとこの地に本州津軽地域での内戦敗残の結果、逃れてきた武装勢力である「安東氏勢力」にとって、父祖の地の象徴である岩木山が辛うじて遠望できることをどのように受け止めていたか。そういう心象について、はじめて気付かされていた。津軽半島西端の十三湊という北方アジア世界との交易拠点を長く支配してきた勢力・安東氏。この士族の栄枯盛衰の推移は北海道...【青森から松前へ、海上はるかに岩木山遠望】

  • 【古民家直撃? 落雷か積雪荷重で倒壊か in青森浪岡】

    全国の住宅行脚を続けていると各地の古民家にその土地らしさをみて感動することが多い。そうした古民家が長い時間推移を生き延びてきた様子に、ひたすら打たれてくるのですね。そういうなかで以前に一度訪ねた古民家、それも地域自治体が管理に当たっていた古民家が崩壊しているというケースを見ることはなかった。しかし今回、たまたま再訪した青森市浪岡の古民家の崩壊現場をまざまざと目撃させられてしまった。写真の通りのような状況でした。ちなみに2024年1月に訪問したときの全景写真は以下の通り。左手側は主屋で2階建てで構造的にもしっかりと軸組構成されていたけれど、右手側には土間の大空間が広がっていて、たしかに構造は簡素な造りとは言えた。こういう事態に至っていたので、当然説明とかを見たり聞いたりすることは出来ませんでしたが、重厚な萱...【古民家直撃?落雷か積雪荷重で倒壊かin青森浪岡】

  • 【初めての「集中豪雨」型観桜 弘前城のサクラ】

    さて昨日は初めて来て見た「弘前城のサクラ見物」でした。弘前城はごく普通にビジネス旅で弘前を訪れる際には、早朝散歩などでよく見知ってはいる歴史感公スポットなので、何回かは訪れております。しかしそれは常に仕事上のスケジュールでの探訪だったので、個人的な「歴史好き」からの興味探訪。観桜スポットとしていまや全世界に知られたこの時期に来て見たのは、まったく初めての経験でありました。感想は、まことに人出の多さ、クルマの大渋滞・・・。すごい。日本人の季節感文化の中で観桜は、その中核に位置している。いかにも、な「もののあはれ」が体感できる最高の舞台装置なのでしょう。わたし個人としての妄想としては、古事記におけるその命名の精妙さにおどろかされている「コノハナサクヤ」姫とニニギノミコトの出会いのシーンの背景として想像される浜...【初めての「集中豪雨」型観桜弘前城のサクラ】

  • 【2025青森〜函館のサクラを追う旅路】

    この4月はまことに「東奔西走」の時期。仕事あり、夫婦での観桜の旅あり、であります。で、東京では仕事でビッシリ行動していましたが、その帰還寸前の寸暇をみつけて、興味分野を深くえぐられる国立科学博物館の「古代DNA展」参観していました。しかしその行動記録を明瞭にブログで記録として記す間もなく、この時期の夫婦旅の定番「道南のサクラを追う旅」の拡大バージョンとして、弘前・青森県を加えての観桜ツアーであります。ちょうどすべての予定が4月に集中してしまったという状況であります。そのなかでも今進行の「サクラを追う旅」は、去年までは道南だけだったのですが、今回は青森県にまで範囲を拡大して、弘前まで観桜を拡大して移動中であります。しかしさすがに青森県まで予定を拡大すると日程もギュー詰め気味。わたしたち夫婦は行動派なので、つ...【2025青森〜函館のサクラを追う旅路】

  • 【石垣島で発見「白保人」の顔相〜古代DNA展-2】

    わたしのブログの過去記事では人類の出アフリカの「グレートジャーニー」への強い興味事項があります。人文的な歴史数寄が昂じてきて、死ぬまでにどこまで知ることができるのか、最前線の研究に強く惹かれ続けているのですが、そのなかでも日本列島への到達について、圧倒的に引き込まれている。今回の「古代DNA」展で最初のコーナーで開示されていたのが、この「白保竿根田原洞穴遺跡〜しらほさおねたばる」から出土の旧石器時代の遺骨群。まことに「おお」であります。当然、脳味噌のすべてが吸い寄せられた(!)。もうなにもいうことが出来ませんでした。沖縄県石垣島東部のこの遺跡からは空港建設の調査で2010-2016年にかけて行われた調査の結果、人骨が25体ほど発見された。年代測定の結果その8割が旧石器時代と特定された。日本列島でこれほどま...【石垣島で発見「白保人」の顔相〜古代DNA展-2】

  • 【国立科学博「古代DNA」展じっくり学習・・・】

    みなさんは「ものごとを学習」するのにはどのようにされるでしょうか?わたしは、もちろん書物なども重要だと思いますが、現代ではさまざまな動画情報などのウェートも高まっていると思います。ただ、動画情報はデマも非常に多い、いや「再生回数」稼ぎ目的でセンセーショナリズムが跳梁跋扈している。Youtube動画などは「倫理基準」すら明確ではない、もしくはわかりやすく示されていない原野状態のように感じます。そういう状況を狙って政治にもおかしな輩の動きが出てきている。要注意。まぁそういう意味では、その情報発信者の人間性がわかりやすく示され、受け取る側の判断レベル階層によって評価が分かれると言えるでしょう。「常識」が大きく変容しつつあるのが現実。そういうなかで人間、いくつになっても知りたい欲求は強く持ち続けているもの。東京に...【国立科学博「古代DNA」展じっくり学習・・・】

  • 【江戸の街・治水された河辺で鳥と会話】

    3日間のAIイベント参加での情報交流ビジネスが無事に終わって、昨日は夕刻に札幌まで帰還しました。「作家と住空間」の出版関連の動きなどもありつつ、その他の案件も同時進行で各種、連絡が密になって来ているので時間にゆとりがない。なのですが、一方で高齢者でもあるのでそういった「付き合い」もある。笑顔でニコニコ対応(笑)。そんななかどうも最近、朝の散歩機会などで少しでも触れられる「自然」との語らいにゾッコン気味。写真は忙中閑のそのいっとき、河辺で見かけたハト。わたしの散歩進行方向に沿って、まるで「おい、どうした元気か?」みたいな動きを見せてわたしの横に現れ出たのです。その動作ぶりがコミュニケーション的だったので、ついカメラを向けた。そうしたら1枚目の写真のように、「おい、オマエ、個人情報を勝手に撮影するな」とでも言...【江戸の街・治水された河辺で鳥と会話】

  • 【桜からハナミズキへ 東京での任務無事完了】

    さて昨日で東京ビッグサイトにて開催のAI人工知能イベントでの拙・特許案件についての説明員としての丸3日間の任務を無事に完了いたしました。まぁ一応、加齢による体力の減衰を補う意味での一部「中抜け<ズル休憩>」などはご容赦いただいて、ではありました(笑)。ヘルプしていただいたみなさん、本当にありがとうございました。会期中にじっくり話が出来、いろいろ情報交換したり今後の進展を、という方向を確認できたみなさんにも、その出会いに深く感謝しております。AIということで非常に広い産業領域にまたがるイベント会場で、とくに「住空間画像のAI解析、産業化」という特殊なケーススタディについて関心を持っていただける方とめぐり会うことが出来たのは、奇跡的だと思いました。今回のチェレンジは動態的に現代の社会状況を肌で感じるのにきわめ...【桜からハナミズキへ東京での任務無事完了】

  • 【東京の大自然 「アオサギの捕食」観察】

    さて昨日も東京ビッグサイトで引き続き、AIイベントに参加しておりました。さすがに2日目となると当方の対応力も向上してくるようで、じっくり話し込んだ上で名刺交換させていただいた参観来場者の方だけでも14名と、継続的な交流が見通せそうな出会いも確認できたりしていました。ということで、本日の最終日にも頑張っていきたいと思います。さて、本日のブログは早朝散歩で都内の川の水辺でふと発見・遭遇した「アオサギの捕食」現場ウオッチであります。わたしの早朝散歩は札幌でもエゾリスやオシドリなどの人間界周辺動物との出会いが楽しい時間を作ってくれるのですが、さすが大東京。上述の人間同士の出会いもさりながら、なんと写真のような「大自然」との出会いも目前で展開してくれました。ふと発見したアオサギくんの凛々しいお姿ですが、かれは一瞬の...【東京の大自然「アオサギの捕食」観察】

  • 【 東京ビッグサイトで「AI・人工知能EXPO」に参加中】

    昨日から表題のイベントに出展者・調和技研さん(ブース番号14-26)のコーナーに協賛的な立場のコーナー出店で参加しています。今回は自分の会社として出展者になってということではなく、あくまでも賛助的な参加。協働者である調和技研さんの役に立てれば、というのが主要な動機であります。AI・人工知能EXPOなので、情報収集に見えられるみなさんは最新のAIビジネスの動向を知るということが参加動機。それこそさまざまな業界のみなさん、というか、あらゆるビジネスのみなさんが参集されてきていることが実感されます。AIという領域がどんな業界にとっても今後の変容の主要な「エンジン」になっていくことは実感できますが、しかし各産業界にとっては、明確にターゲティングできているワケではないし、また、その業界にとって完全に目標領域が定まっ...【東京ビッグサイトで「AI・人工知能EXPO」に参加中】

  • 【サクラが見事に残る都の春の風情】

    昨日東京に移動。本日から3日間の激務に向けてゆっくり体力を涵養しておりました。写真はホテル周辺の住宅街を軽く散歩していて見かけた満開のサクラ。さらに散歩道にはツツジも咲き誇っております。この時期も南北に細長い日本列島の独特の「季節感」が感じられる極限期でしょうか。日本人の精神性の根っこの「もののあはれ」にとってサクラへの心情は格別の美感体験なのでしょう。日本列島の中で移動交流が顕著になってきた戦後社会ではさらにそこに南北格差というような複雑な要素も加わって、モザイク的な心象を形成してきている。もちろん他方で「北へ帰る」みたいな、北海道開拓以降の北国への浪漫も民族普遍にある。演歌では「津軽海峡冬景色」とか、小林旭の「北帰行」のような心象叙景が民族的に「沈殿」もしている。最近では新千歳空港からの海外客数がうな...【サクラが見事に残る都の春の風情】

  • 【「富士には月見草」 エゾ富士にはクロッカスかなぁ】

    「富士には月見草がよく似合う」というのは太宰治の「富嶽百景」での表現。〜富士山と対峙する月見草の姿を「金剛力草とでも言いたいくらい、けなげにすくっと立っていた」と表現。月見草は、富士という雄々しい姿の前にはかなくも美しく咲く花になぞらえた。〜というようにGoogle検索では表示される。きのうの北海道地方は春への期待が大きく膨らむような好天。カミさんはニセコの日帰り温泉の泉質が至って「お好み」なので、この好天に誘われて弾丸往復200km。冬の間はスキー客などで遠慮していますが、わが家のドライブコースの定番。雪融けが進んだので、ということでした。札幌・小樽という石狩湾気候地域から、こっちの方面まで来ると景観的には「エゾ富士・羊蹄山」がその美形をこれでもかと目に焼き付けさせられる。札幌から高速で朝里で下りて、...【「富士には月見草」エゾ富士にはクロッカスかなぁ】

  • 【電話・メールもうかつには・・・ヤバい詐欺痕跡】

    最近ときどき「+〜プラス」がアタマに付いた電話番号からの着信記録がある。わたしも段々学習してきて、知らない連絡先からの電話には出ないように心がけている。そういうわたしもさすがにこういうのは初めて目にした次第。これまでは一応、数字だけで国内からの発信だったものが、いよいよ海外から(を装ったのかもしれないけれど)の着信が散見される。もちろんまったく出ることはしないので、いったいどんな詐欺なのかは知る由もないけれど、WEBからの情報ではさまざまな詐欺の方法が開示されているので参考にされたらと思います。一方、メールの方の詐欺メール類はひどい状況ですね。デジタル化の進展は大きな人類的な情報技術発展だとは思うけれど、どうしてもこういう良からぬ輩は悪知恵を巡らせてくる。イタチごっこ。そういう繰り返しからすこしづつまた次...【電話・メールもうかつには・・・ヤバい詐欺痕跡】

  • 【雪融けさっぽろ、カツラ巨木に自然の輪廻】

    さて昨日記載のように、来週は15から17日までの東京ビッグサイトでのAI系イベントに参加。その準備作業と「人生まとめ企画」と勝手に位置づけている電子書籍出版の関連活動などで、フルハウス状態。加齢してくるとどうしても脳味噌の活性についての疲労感の影響はやむを得ない。従順に受け入れて、ときどきはそういう状況に対して「自然のいとなみ」をこころに感受させることで、バランス感覚を再生させたくなる。そんな心理にさっぽろの街は太古以来の自然状態を保存させているエリアを保持していて、そこを巡り歩くことで、リフレッシュを働きかけてくれる。冬の間朝散歩では、カミさんの選択にあわせ「雪道ではなく、歩きやすさ最優先」だったので、人工的な「空中回廊」を歩くことが多かったのですが、ようやくカミさんの許可が得られ写真の「円山自然林」の...【雪融けさっぽろ、カツラ巨木に自然の輪廻】

  • 【来週は NexTechWeek2025 で晴海ビッグサイトへ】

    さて、このところ著作の「作家と住空間」発刊のいろいろな作業が続いていましたが、ようやく一段落付いてきた。一方で「Replan住まいナビ」の開発局面で協働していたIT企業「調和技研」さんが出展される表題のAI関係イベントに関連企業として協賛参加する予定です。会期は4/15から4/17までで会場は東京晴海の「東京ビッグサイト」。ソフト開発局面でさまざまなAI技術が活用されたのですが、それらを調和技研さんが主体者となって特許申請したところ、ことしの1月になって特許庁から認められたのですね。詳細については主たる申請者の調和技研さんのAI研究の先端部分なのでお任せして、わたしどもはその開発に当たって画像情報を提供しともに開発した立場から共同出願者になった次第。で、この展示会に「出展者」側の立場で参加することになりま...【来週はNexTechWeek2025で晴海ビッグサイトへ】

  • 【ハクチョウが泥濘のなかでついばんでいるものは?】

    宮島沼の探訪では今回、学芸員とおぼしき方から鳥の生態について説明を受けることが出来た。わたしたち夫婦のような「なんとなく鳥ってかわいい」くらいの人間には非常にためになった。今回宮島沼の訪問時間は真昼時間だったので、鳥たちは沼にはいなくて、周辺の田畑、それもまだ北海道らしく耕作着手前の泥濘状態に広く展開していた。そこで目敏く発見したハクチョウたちの群。あまり警戒されないようにしずかに近づいてみると、ごらんのようなポーズで一心不乱に泥濘に首を突っ込んでいる。足が折れてやがて化身したとされるヤマトタケルは、やはりハクチョウに変身したのではないかと勝手に想像しているけれど、そうしたハクチョウもおなかは空く。さてこのポーズでなにを食しているか。学芸員の方からの説明・受け売りでは、土中の昆虫類を食べているのではないか...【ハクチョウが泥濘のなかでついばんでいるものは?】

  • 【マガンたちの旅路 宮城県伊豆沼〜北海道宮島沼】

    渡り鳥たちと人間社会との間に、なにか響き合う関係性のようなものはあるのだろうか?きのう、ヤマトタケルの最期、鳥に変身して大空のかなたに飛び去っていくという古事記の一節を書いたけれど、日本という極東の島国での渡り鳥を連想させる文学的表現の嚆矢だったかと。日本がアジア世界における外交関係を明確に意思しはじめ当時の中華世界の国際的秩序体制に参画していく段階で、国としてのアイデンティティを問われた。古事記はそういった必要性から編纂が始められた経緯。そのことは同時に日本語という言語を、漢字という輸入文化体系をもって書きコトバとしても成立させることにつながった。そういう背景事情の中で言語創造・確定作業が進められた。ヤマトタケルの一節はそのときに「文学」の嚆矢として生み出された説話なのだろう。神武帝の八咫烏や民話のツル...【マガンたちの旅路宮城県伊豆沼〜北海道宮島沼】

  • 【北の春 渡り鳥を宮島沼に訪ねて逍遥】

    古事記のなかで、全国を遠征して各地域の豪族を平らげたヤマトタケルが、大和にむけての帰路、尾張国を去った頃、海辺の道をたどっていくと徐々に足が折れてしまって、やがてその姿が鳥になっていって、多くの人びとがその鳥の行く手を追ったけれど、やがて大空高く、見失ってしまうという有名な一節がある。そのテーマ性と表現において、古事記の文学としての中核を構成している。日本列島では古来から「渡り」をする鳥たちの「風物詩」がひとびとの心象を深くえぐっていたことがわかるし、現代人であるわれわれもまた、その心象世界にふかくとらわれているのだと思う。そんな心理があって、加齢とともに鳥たちの様子に愛情を感じてしまってきている。北海道の地では、空知平野が樺戸山系と出会う湿地に「宮島沼」があって、日本列島とシベリアとを往来する渡り鳥たち...【北の春渡り鳥を宮島沼に訪ねて逍遥】

  • 【休日はサクラ前線に気を掛けてみる】

    先週の東京出張では都内〜山中湖周辺など各所でサクラの開花をウォッチしておりました。北海道に暮らす地方人としては、しかし結局は自分の住んでいる場所でのサクラ開花が本当の意味での「春の訪れ」。エトランゼとして過ごしている、という意識を持ってサクラを見ているとそれはまるで絵画を鑑賞しているような気分で見ていることに気付かされるのですね。心象の底で「いいなぁ、こんな良い季節がこちらではもう始まっているのですね」という気分。見ていながら一方で、北の地での風雪にいまだにふるえている桜の木のことが気に掛かっているのです。一種の地元愛なのでしょうか。で、そうした思いの末に咲いてくれる地元のサクラたちに感謝の思いがより募ってくる。たぶん日々の様子を書き続けるブログで冬の間は、雪との否応ない「対話」が表出されるので、そういっ...【休日はサクラ前線に気を掛けてみる】

  • 【久しぶりに朋友と昵懇〜二日酔い(笑)】

    きのうは夕刻から朋友が訪ねてくれて、わが家で会食。かれは持病があって会食などの翌朝には相当の苦悶が訪れるので、自粛を続けているということですが、あえて来てくれた。手料理でおもてなしさせてもらったけれど、いちばん喜んでくれたのはシメの蕎麦のつゆ。これは楽しく作っておいたヤツで、ベースの出汁をしっかり取って、大量の本格カツオ節で仕上げてみた。すっかり気に入ってくれて、どんどんおかわりが続くのでカミさんはわんこそば給仕状態(笑)。その上、帰りにはこのつゆをフリーザーパック2枚重ねで持ち帰ってくれた。お酒はリクエスト通り、日本酒。それも「大吟醸」ではないものを、ということで北海道の定番の「国稀」を中心に、新規購入の「法螺吹き」〜富良野の方の酒元〜などを味わってもらいました。酒好きは、こういうネーミングにもそそられ...【久しぶりに朋友と昵懇〜二日酔い(笑)】

  • 【「作家と住空間」への反響、深く感謝します】

    発売の情報の確認とか、電子書籍の場合は書店流通の紙の書籍とは違いがあり、その出版社によってもスタイルに違いもあるので、なかなか情報公開のタイミングが難しかった。これからはジミジミと情報を上げていきたいと考えておりますので、よろしくお願い申し上げます。さっそく関連しての「お申し出」をいただいたりして、そうした対応も一気に押し寄せてきて、昨日は1日中、目の回るような忙しさ。個人的な情報伝達としてメールのお知らせ送信なども始めているのですが、メールという手段も始まってから30年以上が経過しているので、そのアドレスがそのまま使われているのかどうか、なかなか確かめる術はないことに気付かされます。わたし自身でも、miki@mkjj/co.jpに徐々に移行させていますが、2年前まで使っていたmiki@replan.co...【「作家と住空間」への反響、深く感謝します】

  • 【人生まとめ企画 電子書籍「作家と住空間」発売開始】

    このたび、個人的に執筆した『作家と住空間』という本を幻冬舎から発刊しました。内容は、私が個人的に訪れた著名人ゆかりの建物について写真を交えながら思ったことを綴る…というもの。【販売ページ】・Amazon(kindle)https://amzn.asia/d/eUiv9yO・楽天kobohttps://books.rakuten.co.jp/rk/c07ba1e356c83914b07c787c35554e1a/?l-id=search-c-item-29【価格】1320円(税込)【本の概要】彼らは確かにそこにいたーー作家たちの精神が息づく住まい、そのたたずまい全国の様々な住空間の取材をライフワークとする著者による、作家ゆかりの住まいにまつわるエッセイ集。芥川龍之介が恋文を綴った九十九里の草庵、多くの弟子た...【人生まとめ企画電子書籍「作家と住空間」発売開始】

  • 【さっぽろ帰還・魚屋ですぐに旬を確認】

    さて三島由紀夫文学館in山中湖の印象がディープインパクトなのですが、ちょっと調べ始めてもすごい情報量なので、すこしづつ整理していくほかはない。そしてなにより三島事件には現在時点の日本の政治状況とも近似している側面があって、そういった意味でもなかなかにシリアス。すぐに触れにくいテーマ領域に行き着いてしまうのですね。そういうのは本意ではないので、自分の中でも冷静に捉え直したいのですね。で、短期間とはいえ出張から帰還すると、さっぽろ、北海道の季節感を確認したくなる。出発前に「これでだいたい融けるかなぁ」と期待していた家の周りに置いた堅雪は、残念ながら融けきっていなかったので、再度雪割りして全部処理。そして滑り止めで雪の上から撒いていた砂利も掃き集めて撤収。と、家周りを整理整頓。そこからカミさんとちょっとした買い...【さっぽろ帰還・魚屋ですぐに旬を確認】

  • 【作家の記念館という文化は日本独自なのか?】

    昨日夕刻札幌に帰還しました。関東でも感じていたのだけれど、とにかく寒かった(笑)。山中湖というのはこの三島由紀夫文学館訪問のためにはじめて訪れた。上の写真でも庭の彫像の右手側にはうっすらと雪がかぶっていた。こういう端境期になるべく軽装で動きやすい服装で行動したいわたしのような人間には、天候への対応というのがいちばん難しい。だいたいがトランクなどは持たずリュックひとつで歩き回り、レンタカーを操って神出鬼没したいタイプには、寒暖差20度以上という気候条件は面倒で厳しすぎる。しかたなく下着の上に本来は高温時対応の半袖Tシャツを、寒さ対策の「重ね着」としてしのいでいた。まぁクルマ移動なので寒さに肌身で遭遇するのは短時間だったことが不幸中の幸い。さて三島由紀夫文学館に来て、やはりその場の空間性がさまざまなことに気付...【作家の記念館という文化は日本独自なのか?】

  • 【山中湖畔に「三島由紀夫文学館」を訪ねる】

    わたしは「作家と住空間」という電子出版をこの4月初めに出版します。住宅にかかわって生きてきたことのNEXT領域感。徐々にご案内をしていきたいと考えております、ぜひよろしくお願いします。作家はその生きた時代が終わったあと、住んでいた住宅空間が「祈念碑」のように保存されたりする。きのうも友人たちとの終末期の交友心情について触れたけれど、人間各個の生死の領域のことまでを大きく深く含めた全存在として、作家という存在はわたしたちといわばこころの交友を重ねていくものだろう。わたしが生きてきたなかで、大きな影響力を持った作家の一人として三島由紀夫がいる。かれのあの最期の自決事件があって、現代世界での一種の「アンタッチャブル」としてあり続けている。その住空間はいまも東京に残され保存されているけれど公開はされていない。ただ...【山中湖畔に「三島由紀夫文学館」を訪ねる】

  • 【知友からの「病状」告白の静かな衝撃】

    人間には寿命がある。どんなに深い交流をしてきた人間同士も、黄泉を境するときは必ず訪れる。そういう事前の報告・告白を受ける、その人間の体力の状況をつぶさに直接その人から耳にすることが増えてきた。ちょっと不思議な静けさの時間。だんだんそういった時間・出会いが増える。やがてこいつと、不可逆な別離がやってくると深く知らされる機会。これは避けがたい。自分自身すらそういった状況と正対せざるを得ない時間も幾度か経験している。逃れがたい諸行無常。そういう人間同士の時間・体験が積層してくると、みなさんはどう感じられるだろうか。わたしの場合は、ある「諦念」に似た心理が沸き起こり、覚悟というようなものを自覚するようになる。そしてやがて、今現在の状況に立ち返って、今この時間への深い愛着の心理に満たされるようになる。一期一会。そん...【知友からの「病状」告白の静かな衝撃】

  • 【庶民を苦しめる野菜高騰に変化? in 東京街角】

    昨日は東京であちこち打合せ。で、無関係ながら街角を歩いているとふとスーパーではない野菜屋さんの店頭風景に目が泳いでしまった。なんとわが家ではしばらく買っていない(泣)キャベツが1玉200円を切って販売されていた。「おお」であります。東京なのに!わたしは、カミさんと週末必ず買い物に一緒に行くライフスタイルを続けております。自分で料理するのが好きなので、オモシロそうな季節感を反映した魚を品定めするのが日課なのですね。最近ではニシンのありがたい豊漁ぶりをこのブログでも書いていますが、わが家ではここ2ヶ月くらい豊漁を反映しての安値のニシンの焼き魚が朝の定番化していることはご報告済み。一方で、ご多分に漏れず最近の憂うべき「キャベツ」を初めとする野菜類の価格高騰ぶりには苦悩。最高の価格時期には日頃通うスーパーで1玉4...【庶民を苦しめる野菜高騰に変化?in東京街角】

  • 【さかな系・和定食と自作料理のコスパ】

    さてここのところの雪割り作業で、筋肉痛がジワジワと感じられてきました。10坪超の結氷層、約20cm超を雪割りし続けるのは「良い運動」ではあるのですが、やや年寄りの冷や水か(笑)。出張移動で6kg弱ほどのリュックを背負って歩きまわっていると、筋肉痛に目覚めてしまった。まぁ、そう重症でないのが救い。本日から東京都内での移動ですが、重たい荷物は回避して、基本的には地点間はレンタカー移動で体を労りたいと思います。で、新千歳空港を経由。ここのところいろいろな機会があり3日に1回くらいは空港施設に来ています。活発な海外旅行客の北海道流入があり、また年度末での国内移動の集中ということで、札幌都心以上の混雑ぶり。昨日はとくに国内線エリアでは家族揃っての北海道転勤移動の姿が目立っておりました。やはり子どもさん連れの様子には...【さかな系・和定食と自作料理のコスパ】

  • 【最高気温7度さっぽろ・固雪の1日融雪状況】

    本日は昨日のブログテーマの続き。この時期のさっぽろ市民の興味は家の周りの融雪状況。わが家はほぼ正面は北面していてなお角地なので公的除排雪でも前面道路の堆雪が除去されにくい。固い結氷雪が積層せざるを得ない。春の融雪も黙っていては融けにくい悪条件立地。で、出張前に雪割りしそれを建物側に積み上げて時間を掛けて融雪させようという作戦です。昨日の札幌は午前中は雨がかなり強く降って、気温は一昨日と比べて2−3度ほど低下。写真の一番下がその気温状況。午後からはおおむね晴れ間も覗く天気でした。こうした天候条件での1日の融雪状況についてきわめて対比的に写真撮影できたので比較してみました。目視的には総量は3割以上減ったように思われます。とくに写真手前側では明確に凍結雪氷が融けて、そのラインが後退していることがわかる。また雪山...【最高気温7度さっぽろ・固雪の1日融雪状況】

  • 【さっぽろ今シーズンの固雪処理、最終の風景】

    ここ数日、札幌もようやくにして「雪割り」好適の天候が続いております。12月からの冬の間に積層していたわが家駐車場の雪は放って置いても融雪はするのですが、厚さ20cm超ほどの頑固に固い積雪面がそれでも10-15坪ほどは残っていました。春の陽射しとやわらかな雨にノンビリと任せるのが普通でしょうが、自分の健康チェックも含めてこういった残雪に対して、それを自力で処理する努力で立ち向かっておりました。雪割りって結構な「力仕事」なのです。先日来書き続けていますが、こういう「雪との対話」には、北国としての独特の「季節感」の感性が象徴的に込められているように思われる。一種の「庭仕事」的な思いがそこにあるのですね。そのように自覚的に取り組んでみると、季節感とシンクロする「努力目標」みたいなものが盛り上がってきて、いわば「最...【さっぽろ今シーズンの固雪処理、最終の風景】

  • 【東大・前真之先生講演で突如わたしの画像が再登場(笑)】

    昨日は「ソトダン21」という住宅団体と「住宅性能向上DXコンソーシアム」という団体の共催での合同セミナーをWEBで参観していました。わたしは住宅雑誌Replanの事業を譲渡した後、引き続き関連企業「リプランハウス株式会社」としての立場で個人的に住宅業界の情報世界に関わり続けています。譲渡してから1年半経過していますので、ようやくリアルタイム感からはすこし開放されてきたと思っております。が、ときどきリアルタイム感に引き戻される瞬間もある(笑)。昨日のセミナーでは東京大学の前真之先生の講演もあって、聞いておりました。先生の講演は3/13のReplanのセミナー札幌会場でもナマで聞いていましたので、ほぼ連続的に聴講できた次第。なんですが、会場にわたしの姿が見えなかった安心感からなのか、昨日の講演ではスライドのな...【東大・前真之先生講演で突如わたしの画像が再登場(笑)】

  • 【群来が続くニシン「3尾399円」捌くよろこび】

    ことしはニシンの「群来」の様子が北海道西岸に見られているほど豊漁のようです。北海道民として喜ばしい限り。ながく不漁が続いてきていたので、わが家でもニシンを食べる食習慣、それも自分で捌いて焼き魚として食べるということはほとんど絶滅していました。人生を遡って考えても母の手料理でもニシンの焼き魚の食事記憶はほとんどない。それが、この冬には馴染みのスーパー鮮魚コーナーでゴロンと生さかなとして販売されている。さすがにアニサキスが怖いので刺身や寿司ネタとして挑戦しようとは考えませんが、毎朝の焼き魚としてすっかり馴染んできています。それも店頭価格が「3尾399円」というお値頃価格。1尾あたり133円ということになるのでコスパ最強。味わいは淡白でしかも青さかななのに独特のコクがあって適度な油分も感じさせてくれる。なにより...【群来が続くニシン「3尾399円」捌くよろこび】

  • 【さっぽろ住宅街、春の「雪割り」サンデー】

    北海道札幌の戸建て住宅地では冬の間、12月から3月いっぱいまで4カ月間は雪の問題と向き合わざるを得ない。時々刻々と千変万化する気象状況と会話しながら、日常生活の重要な一部として、家の周りの戸外環境を整理整頓する作業が日常の大きな要素として居座っているのですね。ことしの冬との対話では新しい「気付き」として、こういう家の回りの環境コントロールは温暖地域の日本人がながく慣れ親しんできた「庭の整備整頓」と近似した営為なのではないかと思い始めています。もちろん庭仕事は余裕・ゆとりそのもののようであるのに対して、雪との対話・整理整頓には切羽詰まった必需性がある点がまったく違うのですが、日常的営為としては同質性を持っているように感じ始めている。温暖地では山水・自然への美的感受性が刺激されるのに対して、雪への対応はなによ...【さっぽろ住宅街、春の「雪割り」サンデー】

  • 【忙中閑・さっぽろ琴似の空中回廊壁画】

    昨日は久しぶりの「住宅取材」で午前中いっぱい興味津々。すっかりあれこれのポイント満載でツッコミどころのあまりの多さに驚かされておりました。「作家と住空間」の取材も自分的には非常に刺激的なのですが、イマドキの住宅建築最前線事情もまた、いまの経済社会をすべて投影しているので分析しがいがある。で、帰ってきたら今度は電話連絡で東京の「中央省庁」とのやり取り。最近強く思っているのですが、政策についての申請〜やり取りが電子化してきてからどんどん「複雑化」してきていて、非常にナーバスな対応力を必要とされるようになってきた。むしろ書面と対面での作業の方がはるかに簡便なのではないかと思います。こういう困難はたぶん、電子化という情報交換手段の進化に対して人間社会の側の「常識化」がまだ追いついていないということのように思えます...【忙中閑・さっぽろ琴似の空中回廊壁画】

  • 【道東海産珍味「タコまんま」初体験】

    先日の握り寿司パーティの前に、北海道積丹半島・余市の名物鮮魚店・新岡鮮魚店に買い出しに行ったのですが、そこで驚かされたのが、この「タコまんま」。Wikiで調べたら以下のよう。〜タコまんまとは北方系のタコ・ヤナギダコの卵巣を呼ぶときの北海道太平洋沿岸地域における呼称。マダコの卵である海藤花に相当するが小卵型のタコで幼生が長期間プランクトン生活を送るマダコと違い、ヤナギダコはイイダコと同様の底生生活の幼体が直達発生する大卵型のタコであるために、ずっと大粒の卵である。ヤナギダコの卵は長径5mm、短径3mm程度と、マダコの卵の2倍以上の大きさの回転楕円体型で、色は白色がかっている。生のままだと透き通っているが、茹でると炊いた米状(まんま、まま)になるためこう呼ばれる。〜ということだったのですが、これはあとでわかっ...【道東海産珍味「タコまんま」初体験】

  • 【道庁「民間住宅施策推進会議」に参加】

    きのうは表題のような会議に参加しておりました。で、写真は北海道開拓の初源期の移住民による住宅建築の記録写真。北海道はほかの日本列島地域とは違ってその積雪寒冷条件から、江戸期までは「米作不適地」として移住は促進されていなかった。明治期に至って、むしろ国防的な主要因から急速に移民促進政策が政府によって開始され、この写真のような入植移住が進行していった。こうした経緯から北海道の開拓政策と移住促進の政策にとって「住宅政策」はもっとも核心的なこととして追究されてきた。最初は「北海道開拓使」という名前の「中央政府官庁」がその政策を主導してきたが、その後は地方政府自治体としての「北海道庁」が主体となって、その政策的DNAを受け継ぎ、地道に住環境の寒冷地対応研究を進めてきた歴史を持っている。ほかの地域ではこうした行政側の...【道庁「民間住宅施策推進会議」に参加】

  • 【久しぶりに寿司握り、魚への忘我と三昧】

    先週末、やや疲れが溜まっていたので、寿司を握っておりました。家族が集まって食してくれた。わたしは料理が趣味でふつうの家庭料理が主なのですが、その延長線上で感じる好みとしてはこの寿司握りに向かいます。人によっては蕎麦打ちに向かう方も多いと思うのですが、これは「好み」なのではないでしょうか。人から勧められて蕎麦打ちのための準備はしてあるのですが、どうも「食わず嫌い」なのか、やる気はまったく出てこないのです。あ、食べるのは大好きなんです、単に食べるだけで、その清涼感にも似た食感、味わいは堪えられません。ただ、自分ではやる気が起きない。とくに「蘊蓄〜うんちく」系のテーマにはついて行けないし。一方、寿司の方はとくにネタの捌き、そのプロセスなどのさまざまに対して強く興味を持っている。魚へのこだわりが大きいのでしょうね...【久しぶりに寿司握り、魚への忘我と三昧】

  • 【幼少年のときからの作家の「発想の仕方」痕跡】

    石ノ森章太郎生家探訪シリーズは本日で10回目になった。「作家」という名詞はわたしのような昭和中期生まれの人間には、どうしても芥川賞的な「文学」者がその対象という刷り込みが大きい。少なくとも文学が最上位という固定観念。AIによると作家という名詞は「文章や書画などの作品を創作する専門家」という概念規定。やはり「文章」が最初にある。こういう社会全体の考え方が、文化を学び始める子ども時代の心理の基底に折り重なって文筆者がその筆頭概念になっているのでしょう。わたし自身も「作家と住空間」という電子本を書き始めて最初に取り上げたのは芥川龍之介。そういう刷り込みの大きさが自明なのでしょう。コトバの最優位性。しかし一方で現代人として、テレビや映画などの映像表現世界のビッグバンを経験してきて、ビジュアル情報の方がはるかに「先...【幼少年のときからの作家の「発想の仕方」痕跡】

  • 【マンガ天才少年への手塚治虫の導き】

    1945年(昭和20年)の太平洋戦争の終結以降、日本社会は大きな転換期を迎えていく。敗戦後間もない1947年1月に手塚治虫は日本マンガ文化の記念碑的作品「新宝島」を出版し、ベストセラーとなった。1938(昭和13)年生まれの石ノ森章太郎がこの生家の自分の部屋で空想の羽を膨らませていたのは、1955(昭和30)年前後の時期。やがて仲人も務めてくれることになる手塚治虫の作品に出会った少年は、その豊かな才能を見出した手塚治虫から直接コンタクトを受ける存在になっていた。この生家の展示にはそういう時期の資料類も展示されていた。いちばん上は、手塚治虫が後輩たちを育成する目的で1952-1954年に掛けて「漫画少年」誌で掲載した「漫画教室」のひとこま。いかにも手塚的な挿絵と自筆で漫画制作の「手ほどき」が語られていて、ま...【マンガ天才少年への手塚治虫の導き】

  • 【石ノ森少年の「ベニヤ板壁」改装洋間】

    昨日は石ノ森章太郎の「デスク環境」に絞って検証してみたけれど、本日はかれが高校卒業まで過ごしていた自室空間についてです。間取り図と窓の様子などから、この部屋はおおむね細長い6畳空間であることが推認できる。上の写真が部屋の奥から入口方向を見返した全景で、視界の手前左側に「ベット」と記載されたベッドが置かれていたことがわかる。畳を縦に1枚敷いて、それが横並び6枚並列されるような空間。そのままでは短辺方向に圧迫感が生じることが容易に予測されるので、新設の「出窓空間」が外側に張り出されたと受け取れる。この家屋自体は詳細な建築記録を参照できてはいないけれど現在で築100年を超える建築で、この石ノ森少年の自室の内装には昭和中期の「新建材」とおぼしき市町模様の床面フロア材や、当時の先端木製品工場から出荷された合理的建材...【石ノ森少年の「ベニヤ板壁」改装洋間】

  • 【大工造作か? 夢想を育んだ少年時デスク環境】

    さてマンガ作家としての石ノ森章太郎のロケット的なデビューへの助走期、高校卒業までの「こころの痕跡」を探る機縁。と思ったのがロケットランチャー・発射機ともいえる部屋の様子とデスク環境。「作家と住空間」というテーマにとっては、いかにもコアな領域と言える。もちろん作品などの創造過程自体はかれ石ノ森の脳味噌の中から発酵し表出してくる部分なので、きわめて「個人的」な部分であり余人からうかがい知れることは限られてくる。しかしその部分にもっとも「肉薄」できるのは、その作家の遭遇していた周辺環境、住のありようであることは紛れもない。それがわたしたちに体感可能な状態で残され、公開されていることは稀有なことだろう。同じ日本人としてほぼ同時代を体験し事跡を知っている人間としては、深く刺激的。で、この石ノ森少年が囲まれていたデス...【大工造作か?夢想を育んだ少年時デスク環境】

  • 【マンガ家志望・思春期の石ノ森章太郎の部屋】

    人間は自分ひとりで生きていける存在ではない。親があってはじめてこの世に生を受け、家族というぬくもりに支えられて成長していくもの。そしてその後「世に出た」後も、その出自の環境からさまざまに支えられながら、人生という波濤のなかに漕ぎ出していくものだろう。わたし自身も自ら顧みて、そうした大きな「繭」のようなものに深く抱かれていたことが実感させられる。この石ノ森章太郎生家を探訪していて、おばあちゃんや実姉の残影が色濃く感じられて、作家の内面を「覗き見た」思いが強い。さまざまな断面からのぞき得たけれど、さらに父親や母親の思いなども掘り起こすことが出来たらと思っている。そしてそのことが身を締め付けるように愛おしいと感じられる。こういう部分を注目していると柳田國男の掘り起こした民俗、いわば日本人的な「前世」観という思想...【マンガ家志望・思春期の石ノ森章太郎の部屋】

  • 【石ノ森章太郎生家の間取り】

    さて石ノ森章太郎生家の探訪取材。この家は建築後100年前後という「伝承」との説明。大正の末期から昭和の初め頃の建築と言うことになる。1926年前後。世界情勢としては日露戦争のあとロシア革命が勃発しソ連が成立したての時期。日本は日露戦争に勝利したあと、複雑な国際政治外交の世界にアジアの国としてはじめて参入する。そういった時代に生きていた日本人のひとつの間取り、家という社会の基本構成要素のありようが表現されている。登米市の中田町が現在名だけれど、当時は「石森町」という地域名。石森と書いて「いしのもり」と呼称するのが地域の習慣だったので、石ノ森章太郎はごく自然に最初は「石森」とペンネームを表記していた(本姓は小野寺)けれど、全国的にはふつうに「いしもり」としか発音されないことに違和感を持っていたのだそう。画業3...【石ノ森章太郎生家の間取り】

  • 【トキワ荘のマドンナ・石ノ森章太郎実姉の残影】

    作家と住空間というわたしのNEXTライフテーマですが、どちらかといえば「住空間」の方に7:3くらいで力点があると認識しています。作家自身についてはたくさんの情報データもあるので、そちらには配慮しつつもあくまでもサブ的にと考えているところ。たまたま石ノ森章太郎のことを考えて見て、その作品については同時代的に耽溺していた自分自身の「体感」があって、作家とその作品世界理解という意味ではそう深くは触れる必要性を感じていなかったのです。正直。・・・なんですが、この住宅で触れた実姉・由恵さんの「人形作品」を目にしてこころが完全に奪われてしまった次第。昨日の人形と並んで、上の人形作品もまた展示されていた。昨日アップした人形が「正」であるとすればこちらは「奇」の表現だと思う。同一人物にして、このように違いが生み出されると...【トキワ荘のマドンナ・石ノ森章太郎実姉の残影】

  • 【石ノ森章太郎の実姉がつくった人形】

    石ノ森章太郎の「生家」取材シリーズです。わたしの場合、特定テーマについて気付くことを書いていくときに、この「毎日更新」のブログという機会設定はちょうどいいと感じています。取材現場では写真撮影と、そのときに「感受したこと」とが同期してその本然的興味のおもむくままにアングルとテーマを決定していく。住宅という空間を記録する、記憶するにはそういうプロセスが肉感的でふさわしい。もちろん住宅を記録するのには一定の作法があり、その部分については個人的に師事したと認識している写真家から言われたコトバをいつもアタマのなかで復元させながら、しかし自分なりにイメージ構成に取り組んでいる。そしてそこで得られた「体感」を大事にしながらデスクに復帰してから、写真を整理整頓する。この整理整頓作業では、その場で感じていたことが純粋化され...【石ノ森章太郎の実姉がつくった人形】

  • 【祖母の「母性」痕跡の空間】

    昨日の続きで、宮城県登米市の石ノ森章太郎生家で感じたことシリーズです。少年・石ノ森章太郎は、この生家で祖母が往来の繁華な道路に面した店舗を営業しながら、その成長を支え続けたのだという。こうした店舗守りという暮らし方が大きな人格形成に与った事例として、大阪堺の繁華街商店で店番をしていたという与謝野晶子の店舗という空間事例も体験している。彼女の場合は「夢見る少女」がその夢想を大きく涵養させた空間、というように感じたけれど、この店番空間では、もうちょっと違う印象を受けた。この台所空間は広い店舗にきわめて機能的な位置していて、隣接する、まるで店守りのための「休憩場所」のような居間・食堂の座空間のバックグラウンドになっていた。最近、祖母のやさしさということについて、いろいろ思いが至ることが多くなっている。子どもたち...【祖母の「母性」痕跡の空間】

  • 【作家の住空間探訪の「奥行き」感】

    もう少しで電子書籍「作家と住空間」が上梓されるのですが、そこで探訪した作家群の取材以降も、折に触れて全国各所で探訪を続けています。基本的にはその作家の「住んでいた」住宅そのもの、あるいはそのの残滓が感覚できる空間〜作家記念館などを探訪するワケですが、そうするとごく最近の人、まだ生きていてその評価がいまだ定まっていない作家などは、そういう住宅保存とかの段階に至っていない。勢い、死後であってその評価が定まっている作家人物に対して取材するということになる。そういった意味では、わたしのちょっと上の年代というのがもっとも若い年代ということになる。わたしの幼少期〜青春期はマンガ一色の文化模様。いわゆる文学としては三島由紀夫や大江健三郎、司馬遼太郎とかがあったけれど、文化としてはマンガがもっとも熱い領域だった。手塚治虫...【作家の住空間探訪の「奥行き」感】

  • 【津軽と北海道。雪と住宅のワンシーン】

    3月の声を聞いて集中除排雪も来てくれたのですが、冬将軍さまはいじわるのように毎日頑張っております。昨日も夫婦でおおむね30分ほどは除雪していましたが、この時期になってくると北海道の真冬らしい「軽い」雪質ではなくて、本州日本海側の湿度の高い雪質に感じられてくる。って、生活したことはないのでこういうのは想像による感覚ではあります。ただ、実際に雪かきはしていないけれど、この写真のような光景は目にすることは多い。こちらの家は「太宰治〜斜陽館」として知られるかれの生家の最近の様子。2025年2月24日の様子。この部位は斜陽館として知られるかれの生家に近接して建てられた「疎開していた家」。ということなので、今から80数年〜90年前頃の家と言うことになる。太宰は超富裕層の出身で生家は江戸期に高利貸しで儲けていた家系。幕...【津軽と北海道。雪と住宅のワンシーン】

  • 【雪との対話もいよいよ晩冬期、除排雪風景】

    雪国人にとってほぼ半年にわたる「雪との対話」は、生きている証のようなもの。雪は個人の状況とは無縁にそれこそ自然の営みそのものとして関与してくる。一方年々加齢は進行してくるけれど、毎年、雪と体を通して相対しているとそれ自体が生命活動に深く関与していると感じられてくる。自分自身の健康感覚は毎年試され続けていると言えるだろう。マンション暮らしではたしかに雪と「縁遠く」はなるけれど、しかし無縁とは言えない。雪道歩行やクルマの問題だとかで否応なく自然環境と対話しながら生き続けていかなければならない。クルマでは常に「雪道にハマる」スタックの恐怖と隣り合わせ。いわんや戸建て住宅ではまさに直接的に日々の降雪具合に万全の注意を払って、イヤも応もなく対応を迫られることになる。例年11月くらいから、いつなんどき到来するかわから...【雪との対話もいよいよ晩冬期、除排雪風景】

  • 【母村という新たな民俗概念 十津川と「新十津川」-9】

    大阪豊中の民家園でみつけた「十津川の家」参観体験から、北海道人としてすぐに思い至った新十津川の由来、その地域同士の関係性について想念を巡らせてみた。本日でひと区切り。敬愛する作家・司馬遼太郎の著作でも「街道をゆく」シリーズで母村の十津川について「十津川街道」があり、そして子村にあたる新十津川についても同じシリーズで「北海道の諸道」で訪問記が記されている。そうした記述に導かれながら、こうした「母子関係」ということが、いかにも北海道らしい「民俗」の起点のひとつになるのではと感じている。わたし自身のことだけれど、自分の家系が江戸期、それ以前にどこの地に生きて、はるかに自分という人間がこの世に生成したか、いわばルーツに強く惹かれている部分がある。それが兵庫県の各地、そして広島県福山市、そして漠然としているけれど「...【母村という新たな民俗概念十津川と「新十津川」-9】

  • 【明治22年北海道への集団移住 十津川と「新十津川」-8】

    前章までで触れたような独特の地域風土と歴史経緯をもった十津川の地を大水害が明治22年夏におそう。地域産のスギ材などを出荷する地域の大動脈となっていた十津川自体の流路が大破綻してしまって、その復元のメドすら立たない中で、母村の破綻を知った明治政府に出仕していた同郷人たちが即座に政権中枢に働きかけて、折から移民を募り続けていた北海道への集団移住実現のために奔走し、超スピードでその難民救済という国家的な政策対応が実現する。明治22年8月の発災から10月には神戸港から集団移住の船が総数2691人を乗せて出航したという。すごい速度感。船は北海道・小樽港に着岸し、そこから汽車や徒歩で内陸部に入り、翌年6月半ばまで「屯田兵屋」で越冬した後、入植地として定められていた「トック」に入っていった。この地名はアイヌ語の「トック...【明治22年北海道への集団移住十津川と「新十津川」-8】

  • 【山間集落の中核・丸田家の間取り 十津川と「新十津川」-7】

    この十津川郷の人びとの暮らしようとして対外的な交易による収入手段は林業生産。とくにスギの植林がさかんだった。そういった植林と伐採・出荷が営々と行われてきた。当然、十津川という河川を使った運搬が交易路。その運搬のためには伐採したスギなどを川原まで落としてそこで集約して結束させて、新宮などの海に面した港湾地域までいかだ流しをする。急峻な山間地域としてこうした「生産物」を出荷・育成管理するのに最適化した住宅建築が求められるだろう。スギなどの樹木の育成地に近接して山を背にした傾斜地に対して横に細長い敷地条件が必然になる。この丸田家住宅は、十津川に沿って開けた村の中心に建てられ山の斜面を削り取って盛り土していた。当然、南面する傾斜地が敷地として利用されるので、その方向に縁がまわされる間取り構成になる。奥行きは取れな...【山間集落の中核・丸田家の間取り十津川と「新十津川」-7】

  • 【幕末明治の勤皇 十津川と「新十津川」-6】

    上の写真は、今も使われる十津川の村旗で上には朝廷への勤皇思想を表す菊の紋章があしらわれ、その下に「十」の字がマークされている。もとは丸に十だったけれど、薩摩家と類似するので菱にしたという。北海道の新十津川も同じ紋章。右の石碑は「天誅組本陣跡石碑」。その下の文書写真は、1863年朝廷側近から十津川郷士に出された文書で天誅組に与力せずに京都御所に出仕すべきだと勧めている内容の記載。きわめて政治的に機微なことがらに十津川人が絡んでいることがわかる。東北での講演での出張日程ですっかり本来のブログ記事執筆のテーマの継続性が途切れていましたが、本日から再度「十津川と新十津川」シリーズ再開。北海道は日本全国からの移民が多様に住み着き、それが混淆してきた歴史ですが、そういった特異な「民俗」形成論を地道に掘り起こすべきだろ...【幕末明治の勤皇十津川と「新十津川」-6】

  • 【青森県東部と北海道のさかな大好き談義】

    わたしのブログ記事ではときどき魚の捌きなどを書くのですが、今回久しぶりの八戸周辺訪問と言うことで、敬意を表して「八食センター」を探訪しておりました。扱われている魚種は、その時期の旬の魚たちなので、訪問中の食事でなにかと参考になるのですね。穴子やハモなど系統は北海道ではあんまり見かけない。ホヤはさすが三陸海岸ということで、たくさん出荷されている。また、ニシンはいまどき北海道では久しぶりの「群来」で沸いていて、わが家でも毎週3匹程度を捌き続けております。また、カレイで「オイラン〜花魁という意味だとか」と接頭語がついたヤツがたくさん出回っているではありませんか。どうも聞いたら、その腹部のビーナスラインが絶世の美しさで男達の目線を釘付けにするということ(笑)。まぁそういわれてみれば、肌つやといい、なかなかの美形と...【青森県東部と北海道のさかな大好き談義】

  • 【疲労&風邪から、元気復活・再起動へ】

    一昨日2/27に仙台空港から空路北海道へ帰還しましたが、どうも仙台空港でクシャミを発症して以来、体調がすぐれず2/28にはかかり付け医に伺って、風邪の投薬をいただきました。かかり付け医にかかった時には、仙台空港で外国の方とも接触があったので、一応念のため、院内に入る前にコロナの簡易検査もして大丈夫との診断も受けていました。用心は長引きますね。そのあとには出張で延期してもらっていた歯科の施術もあって、帰ってからはひたすら薬を飲んで睡眠確保でベッドで9時間以上。なんとかカラダの平穏感が戻って来ましたが、薬の作用もあって、ボーッとした感じで全然アタマは回転してくれない。「回転しない」という表現は日本語としてすごく優秀だなぁと思い至るほど、まことに脳味噌がしずかに佇んでいる感じでありました。このブログの記述はだい...【疲労&風邪から、元気復活・再起動へ】

  • 【宮城県登米、マンガ家生家取材。空からふたたび岩手山】

    クルマによる「移動革命」時代にリアルタイムな人間なもので、ついつい行動範囲がクルマ本位に広大になってしまう。今回もたまたま仙台での要件もあったので、札幌−仙台の往復+東北滞在中はレンタカーでの自由な移動を選択しておりました。ということで、きのう十和田のホテルで目覚めた後、早朝から前から見たかった宮城県登米市の「石ノ森章太郎ふるさと記念館」へ長躯移動。この訪問は「できれば」ということだったのでそうしっかりは調べていなかったのですが、行ってみたらすぐ近くに「石ノ森章太郎生家」もほぼそのまま保存されて公開されていました。石ノ森章太郎は手塚治虫に生き方の起点を「起爆」された世代の典型例。わたしとは年齢にして14才年上ですが「兄貴」的な同世代感が強い存在。なので、その高校卒業までを呼吸していた家・空間には、強い「同...【宮城県登米、マンガ家生家取材。空からふたたび岩手山】

  • 【青森県十和田市でも講演開催、任務を完了】

    今回の2連続講演日程の十和田市を昨日、無事に完了させていただきました。昨日の「会場」はいま話題の隈研吾氏設計の十和田市の「市民交流プラザ・トワーレ」。もう建築から結構な年月が経っている建物。外観的には見る範囲では、今回の話題のような兆候はみられていないと思われました。あ、もちろん一時通行人に過ぎないので、細部の確認などは当然出来ていませんが多くの木造建築関係者のみなさんからも、特段の話題提供などはありませんでした。講演会には両日とも、たくさんの旧知のみなさんが参加いただき、旧交を温めさせていただきました。懇親会では、最近の業容などについてさまざまな現場感覚を取材させていただけた。さすがに地域密着の作り手のみなさん、それぞれの状況の中でさまざまに活路を見出し、それを開発したり、またもともとの「強みを発展」さ...【青森県十和田市でも講演開催、任務を完了】

  • 【八戸にて「作家と住空間」講演】

    さて、昨日は今回の出張のメインである八戸での講演。東北電力さんの主催される建築専門家向けのイベントでの「業界情報」的な仕立てのシチュエーション。わたしは住宅雑誌発行人としての経験から、北海道東北では各地で住宅についての講演経験がありましたが、コロナ禍以降、そういったイベント開催が難しくなったことから、講演機会もほとんどなくなっていました。それが久しぶりの講演機会。それと、わたしの立場が変わったので、こうしたお申し出をいただくとは思いも寄りませんでした。それが、電子書籍出版という情報から、こういう機会がふたたび巡ってきたので、謹んで講演させていただきました。講演の時間は50分程度と聞いていましたが、久しぶりの講演なので時間感覚はまったく消滅していた(泣)。講演のスライドはパワポで作成しますが、その用意した枚...【八戸にて「作家と住空間」講演】

  • 【飛行機から地上へ迎えの「岩手山」観望】

    さて本日は八戸で講演を行います。仙台空港に到着後、東日本大震災という大きな節目をも経験した住宅取材行脚の記憶が染み込んでいる東北の地を「クルマで地上を北上」することで記憶再生。人間は習慣の動物でありその行動する山野の視覚記憶が深く心理の底に残留し続けるものでしょう。そういう意味合いからは、北海道に次いで、東北の各地域にはそれぞれの生々しい記憶がそうした切り口からいろいろな思いが吹き上げてくるもの。そういう大量の記憶の中、その背景としてはやはり特徴的な山の風景記憶が巨大。北から言えば岩木山、そしてこの岩手山、そして宮城と山形にまたがる蔵王、そして安達太良山から磐梯山といった名山がそれぞれの独特の形象で心理に深く突き刺さってくる。わたしは、北海道札幌がホームですが、藻岩山とか、三角山、手稲というような山容には...【飛行機から地上へ迎えの「岩手山」観望】

  • 【ひさしぶり仙台着陸〜東北を北上旅】

    最近の新千歳空港の混雑ぶりは、すごい。とくに「国内線」側の混雑ぶりはハンパない。まずは駐車場がまったくのパンパンで、送迎のための1時間以内駐車は日中時間ではまずムリ。各入口に長蛇の車列が出来ている状況。距離のやや離れたC駐車場もあるけれど、飛行機へのアクセスを考えればやはりAB駐車場ということになる。AB駐車場の収容台数はそれぞれ1,800台と2,416台となっている。東京羽田の5つの駐車場の収容台数13,112台と比較するとC駐車場1.011台も含めて5,227台と、おおむね40%程度の台数なので、人口規模などを考えれば相応以上と思えるけれど、それがまったく機能不全寸前に陥っている。昨日もカミさんがクルマで送ってくれたのですが、それも時間に余裕を持って飛行機の出発定刻13時に対して10時頃到着したのです...【ひさしぶり仙台着陸〜東北を北上旅】

  • 【雪かきから一時解放、本日から東北太平洋側へ】

    さて、本日は東北・仙台空港に移動。2/25-26お両日の青森県での講演に備えて、久しぶりに東北の風に吹かれてみたいと思っています。ここのところ「十津川」の記事を続けていますが、26日までは札幌を離れることになるので、講演の準備もあり本日は小休止。記事の続きは出張先のホテルなどで気分も変えて続けることにしたいと思います。わたしは住宅雑誌事業の譲渡後、全国を歩いてあらたな「取材対象」を巡っていますが、カミさんのブーイングもあるので(笑)、冬の最盛期・降雪多量時期は、天候を見ながらできるだけ出張を避けています。わが家と周辺の駐車スペースなどの「雪かき」を女性一人に押しつけるのは避けるという意味合い。健康維持にすばらしい体動機会とはいえ、さすがにカラダにはコタえる。1月にも出張はしていたのですが、天候を睨みながら...【雪かきから一時解放、本日から東北太平洋側へ】

  • 【大坂夏の陣の武功・槍役45家 十津川と「新十津川」-5】

    きのうは太閤検地でのこの十津川の詳細記録のことに触れたけれど、さらにそのあとの「大坂夏の陣」に際してこの地の人びとは徳川方に味方して武功を上げたとされる。その武功に対して江戸幕府は十津川の人びとに対して「扶持米」を与えて「槍役」という士分相当の身分を45家に対して与えている。領土としては広大な地域だけれど、米作という日本社会の基本的経済尺度には合致していないこの地の人びとに徳川幕府は、特別な身分制度を持って遇したということになる。全国を米作の収量を持って地域分割し、それぞれの地域支配権を「大名」家に与え、徳川家臣団に対しては旗本という身分を制度化したけれど、それらとも違った特殊な身分制をもって十津川の人びとは遇されたのだ。こういった歴史的な経緯が、連綿とこの地のひとびとの精神性を涵養していったのだろう。わ...【大坂夏の陣の武功・槍役45家十津川と「新十津川」-5】

  • 【新著「作家と住空間」 2/25八戸と2/26十和田で講演】

    至急でのお知らせで失礼します。直前のお知らせになって申し訳ありません。すっかり告知を失念していたのですが、実は来週2/25八戸と2/26十和田で両日、東北電力青森支店さまからの依頼で講演を行う予定になっております。わたしは文芸系出版社の「幻冬舎」さんから2025.4.1予定で、電子書籍として「作家と住空間〜北海道の住宅情報人が旅する日本人のこころ」を出版予定で現在追いこみ作業中です。これまで自分自身が住宅雑誌を出版してきましたが、そちらを事業譲渡して1年以上が経過。今後の生き方として住宅関連で、より人間性に寄った探究を思念してきました。一般的な住宅取材では施主さんの「生き様」はプライバシーそのものであり、基本的には触れることは避ける。しかし住宅は「暮らしのイレモノ」であり、そこで生きる人間性とは切っても切...【新著「作家と住空間」2/25八戸と2/26十和田で講演】

  • 【十津川の歴史〜幕末まで 十津川と「新十津川」-3】

    写真の家は大阪豊中の民家園に移築保存された十津川の有力者として知られる「丸田家」。北海道人にとって「十津川」というのは、明治開拓期の象徴的な「入植」の動きとしての記憶が強烈です。「新十津川」という入植した土地の地名が、いかにも母なる土地への「思い」を心に響かせてくる。2年ほど前に北海道人には非常に縁遠い「熊野詣」を果たしたとき、そこから大和平野・明日香方面に抜けてきた道中で「ここが新十津川の母村か……」と心理に残響し続けてきていた。三千六百峰と冠詞表現されるほどの深い山地と渓谷の自然環境。しかし十津川は、その歴史の一端を知るだけでもその深みに驚かされる。平安末期1142年には古文書に「遠津川郷〜とおつかわごう」という地名が見られるという。遠津川という地名の意味は都からははるかに遠い吉野山地の彼方の地域とい...【十津川の歴史〜幕末まで十津川と「新十津川」-3】

  • 【明治22(1889)年の異常気象・大洪水 十津川と「新十津川」-2】

    幕末明治の動乱期を経て、ようやく日本社会が新時代に向かって走り出そうとした時期。この奈良県十津川郷は勤皇の郷村として、明治維新戦争でも独自の存在感を示していた。司馬遼太郎の「街道をゆく」でも、この地の人びとのこの時期の気骨ある行動を丹念に記述している。そのプライド高き郷村を明治22(1889)年大水害が襲う。1月16日にはオーストラリアで最高気温が記録(摂氏53度)されるような「異常気象」ぶりだったとされる。日本に於いても、春から気象条件が安定せず、梅雨時期には長雨、夏に入ると日照りが続いていた。それが8/17になって一転して豪雨が始まった。この雨風は丸2日経っても治まらず郷村を流れる「十津川」の水はあふれ、土砂崩れで民家は流れ出し、くずれた土砂が各所で川の流れをふさいで60ヵ所もの「湖水」が作られるほど...【明治22(1889)年の異常気象・大洪水十津川と「新十津川」-2】

  • 【民家探訪再び 奈良県・十津川と北海道「新十津川」】

    わたしは独立開業してから北海道地域のオリジナルの地域住宅雑誌を発行してきました。3才で親が北海道岩見沢近郊の農家から札幌(現在の札幌市中央区北3条西11丁目)に移住して食品製造販売業を営むことになり、当時の建売住宅を購入して住み始めた。その後、業態に即してまた業容拡大に即して毎年のように家を改造・改装・建て替えといった建築工事が繰り返されていた。15才で現在の札幌市西区二十四軒に工場兼用住宅を移転・新築するまでに、新築2回、増改築は毎年、というような住宅体験を繰り返していた。そういった幼年期〜青少年期の経験がトラウマ(笑)のように潜在意識に刷り込まれたのでしょうか。大学・就職の東京暮らしの一時期8年間を除いて北海道に生きてきた人間として、自分が独立開業するときに自然と「住」をメイン領域に選択した。北海道で...【民家探訪再び奈良県・十津川と北海道「新十津川」】

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