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2015/10/10

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  • 第12回 はじまりの風景

    本屋で立ち読みをして時間を潰し、夜の七時過ぎにマンションにたどり着いた。 キッチンで真理子が料理をしていた。 洋介は部屋着に着替えてリビングで相対性理論の続きを読んだ。 手から本が滑り落ちる感覚で目が覚めた。いつの間にか眠っていた。本を拾い上げて、照れ隠しのだらしない笑みを真理子に向けた。真理子はダイニングテーブルに料理を並べるのに集中していて、洋介のほうを見ていなかった。 ダイニングにいった。食卓には、サラダと刺身、味噌汁と冷凍食品のチャーハンが並んでいた。 洋介はきょとんとしてしまった。 そう。食事はひとり分しか用意していなかった。 真理子はひとりで食べはじめた

  • 「ALWAYS 三丁目の夕日」(2005年)

    もともとは、昭和三十年代を舞台にした映画を作りたいというプロデューサーの願望があったようだ。東京タワーが少しずつ完成していく過程の感動を伝えたいという想いがあったと、Wikipediaに書いてある。 結果として、その時代に一番興味を持つであろう団塊の世代向けをターゲットにした作品となった。 舞台になっているのは1958年。 団塊の世代(1947年~1949年生まれ)が10歳くらいの頃の時代設定ということになる。 現実の団塊の世代は2005年時点では60歳手前。 働いている人は、定年を目前に控えており、余生のことを考える、もしくはもう余生がはじまっているという意識かもしれない。 そんな

  • 「うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー」(1984年)

    うる星やつらは原作も読んでいないしテレビシリーズも観ていない。 本作は特殊な位置づけとして語られている印象だが、比較ができない。 それぞれのキャラクターを知らなくても楽しめた。 「学園祭前日が繰り返される」という話なのだが、いわゆるタイムループのように同じ出来事が繰り返されるわけではない。 「自分の好きな人たちと楽しくずっと過ごしたい」という願望が実現した世界が描かれる。 本作が製作されたであろう1983年はどういう時代だったか。 東京ディズニーランドが開園。 ファミコンの発売。 「おしん」が大人気。 なんとなく、景気のいい感じがする。 日本の安定経済成長期と呼ばれる時期だ。いわゆ

  • 「シンドラーのリスト」(1993年)

    はじめて観たが、よくできている。 第二次世界大戦のナチスドイツが舞台。 ビジネスマンのオスカー・シンドラー(リーアム・ニーソン)は、戦時下であることを利用してナチスに取り入って、ビジネスを成功させた。安価な労働力であるユダヤ人を雇い入れ、莫大な利益を生んだ。 戦時下において状況が変わり、SSのアーモン・ゲート少尉(レイフ・ファインズ)が収容所に赴任してくる。彼は気分で囚人をどんどん殺すので、シンドラーは自分の工場で働いているユダヤ人が殺されては困るとゲートに相談を持ち掛ける。 さらに戦況が変わり、ユダヤ人が次々にアウシュビッツに送られるようになる。シンドラーはゲートと交渉し、ユダヤ人

  • 第11回 マリア

    洋介は、まっすぐにマンションに帰らなかった。 あてもなく歩いていた。 やがて、中野駅についた。高架下を抜けて新中野方面に向かった。途中で足を止めてしばらく思案した。こういう時、自分ではなにも考えずに歩いているつもりでも、実際には行き先は漠然と決まっている。 住宅街に入っていった。いくつもの路地を右へ左へと進んでいくと、やがて築三十年ほどの木造アパートに辿り着いた。鉄製の階段は錆びていて、上り下りするたびに、がこんがこんと硬い音が響く。外廊下の一番端の部屋の前で足を止めた。薄っぺらい扉の脇にアロエの鉢が置いてあった。巨大化していて、傾いている。 インターフォンを鳴らした。返

  • 「aftersun/アフターサン」(2022年)

    31歳の誕生日を迎えようとしている若い父親カラムと、11歳の娘ソフィがトルコのホテルでバカンスを過ごす。 ストーリーはそれだけだ。 ただし、この中に父親と娘のそれぞれの愛情の違いや、その溝を埋めようとするあがきや苦しみといったものが凝縮されている。 予告編の「あなたを知るには幼すぎた」というコピーがすべてを表現している。 本作は構造が凝っている。 1.【現在】31歳になったソフィが、20年前のことを思い出している。 2.【過去】カラムとソフィがバカンスを過ごす時間 3.【映像】バカンス中に撮影した映像 4.【心象風景】31歳のソフィが、31歳の父カラムと同じ空間にいる 上記の4種の映

  • 「グランツーリスモ」(2023年)

    ゲームの「グランツーリスモ」はプレイしたことがない。 おそらくゲームのファン層が好きなものが全部詰まっているのだと思う。 そして、一般的な映画ファンが好きなものも全部詰まっている。 本作のレースシーンは実際に車を走らせて撮影したとのことで、非常に完成度が高い。映画館で観たら大興奮だろう。 主人公のヤンは「グランツーリスモ」オタクの青年。引きこもりではないのだが、フリーターのようなことをしながら「グランツーリスモ」ばかりやっている。父親は彼を社会復帰させたくていろいろと口出しをするのだが、ヤンの夢はカーレーサーになることだ。それを口にすると、現実を見ろと言われてしまう。 一方、英国日

  • 「クワイエット・プレイス 破られた沈黙」(2021年)

    前作が素晴らしすぎたので、平凡な作品に思えるが、他の映画に比べたらよくできていると思う。 今回は、モンスターの弱点を発見した人間が、その方法を人々に伝えようとする物語。 前作の世界観と大きく変わるところはない。 今回は子どもたちの成長物語になっている。 本作ではラジオから流れる音楽を聴いて、それをヒントに発信源をつきとめるというアイデアがキーポイントになっている。 ここからわかるのは、コミュニケーションの手段というものはたくさんある。それを理解するには受け手の能力も必要だ、ということだ。 さらに言えば、発信源をつきとめたのは聾唖者だった。ラジオの音が聞こえない聾唖者がなぜ発信源を突

  • 「クワイエット・プレイス」(2018年)

    非常によくできたホラー映画。 音を立てるとモンスターに襲われる世界。 その中でサバイバルしているアボット一家の物語。 冒頭、幼いボーがモンスターに襲われて死ぬ。 音の出るおもちゃを手にしていたのだ。 その事件は家族のそれぞれに傷をつける。 痛みの中で彼らは家族とはなにか、自分の役割とはなにかということを考えていく。 この映画の特徴は二つある。 シナリオの執筆開始が2016年であり、wikiによると政治的な風刺を含んでいる、とのこと。トランプ政権のことを言っているのだと思う。 そこから、目が見えず、聴覚が発達しているモンスターが誕生したのではないか。現実を直視せずになんでも攻撃するモ

  • 「石川九楊大全」展

    書家・石川九楊の展覧会。 「後期【状況篇】 言葉は雨のように降りそそいだ」にいった。 「エロイエロイラマサバクタニ又は死篇」(1972年) 「風景交響」等(1980年代) 戦争やテロに関する作品(2000年代) 「河東碧梧桐109句選」(2022年) といったように、年代ごとに展示されている。 自分は書に関してはズブの素人なので、ここに書く感想は書における常識なのかもしれないし、石川九楊という書家だけに当てはまることなのかもしれない。 全体を通して感じたのは、文字がデザインの中に溶けていくし、逆にデザインの中から文字が浮かび上がりもする。それが書というものなのではないか、といった

  • 「フォードVSフェラーリ」(2019年)

    1966年のル・マン24時間レースがメイン。 フォードVSフェラーリというタイトルであり、実際にフェラーリとの対決は描かれるが、むしろメインはフォード側の内幕になっている。 大企業のフォードは衰退の危機感から、さらなる発展を目指していた。そこで、ル・マン24時間レースを連覇していたフェラーリを買収しようとする。しかし、交渉は決裂、フェラーリの社長から侮辱的な言葉を投げかけられて、フォードの社長は自社でル・マン24時間レースの優勝を目指す。 雇われたのが、ル・マンで唯一優勝経験のあるアメリカ人ドライバー、キャロル・シェルビーと、イギリス人レーサーのケン・マイケルズだった。シェルビーはレ

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