今日はハロウィンですね。もう10月が終わる~。年々、起きることも過ぎていくのも高速です。そんなケルトなのに、朝、ニュースをみて驚きました。首里城が燃えている!!どーしてこうなったんでしょ?わかりませんが、残念です。沖縄に行ったことがないので、首里城はまだ見た事がありませんでした。未知の世界ですが500年前の琉球王国を復元した建物で、沖縄の象徴でした。沖縄戦の時に焼失した為、平成4年に復元。後に世界遺産となったけれど、イベント中だったそうで準備中に火を使ったのかどうか?ただ、夜は立ち入り禁止なので今のところ原因不明だそう。昔の建築は何度も焼失・再建を繰り返しているので、また再建できれば良いと思います。--------------------------------------------------さて、久々のエ...蝦夷展からの鬼死骸村へ
27日、「れきみん」祭りに行ってきました。毎年秋に榴ヶ岡公園で開催されるのですが、しばらく行ってませんでした。全部はみてないのですが、今回、太白山の小出森八幡神楽と雄勝法印をみてきました。もう十数年も前になりますが、お神楽好きな友達がいて、場所は忘れましたがどこかでお神楽をみたことがあります。その時は、神話や神社に全く興味がなかったので詳しく覚えていないのですが、確か「雄勝法印神楽」だったと思い、見ている人もみんながワイワイしながら楽しんでいたことを覚えています。友達は「雄勝法印神楽」がとっても好きと言っていたのですが、27日にその友達にばったり会って、やっぱり来てるね~という再開でもありました。ワラ今回、「れきみん」で、「雄勝法印神楽」を行うことを知り、Rさんも一緒に行ってきました。今年に入って4月か5月だっ...雄勝法印神楽と「陰陽師の玉手匣」
前回の追記です。コメントを頂きまして、赤沼は、多賀城の瓦を作るために掘った人工的な沼と考えられるそうです。なので大工の神を祀っているとの事。確かに多賀城が近いですし、古墳など関東系土師器や蝦夷穴みたいなのも見つかっているので、何かと利府はいろいろありそうですね・・・。とても霊的な場所だと思います。名取もそうですが、岩沼と似ている利府なんですが。岩切も。染殿明神の藤原明子さんと、さんづけでお呼びしたくなるのですが、明子さんの第三皇女に儀子内親王(ぎしないしんのう)がおりました。妄想になるので実際はどうかわかりませんが、賀茂斎院なのですね。平安時代お歯黒をしていた時代です。平安時代から鎌倉時代にかけて賀茂御祖神社(下鴨神社)と、賀茂別雷神社(上賀茂神社)の両賀茂神社に奉仕した皇女との事。(Wikipedia)代々、...宮城県のトベ伝承@わけあり賀茂斎院
9月に歴史会の皆で、富山、牧山、のの岳山(ハイヌヴェレの寺社)へ行ったのですが、利府街道を通る時に、いつも気になる神社がありました。あの神社が気になるんだよね、って言ったら、みきこさんが、その場ですぐネットで検索して教えてくれたのが、「染殿神社」でした。昨年だったかな、春に鶴ヶ谷へRさんとNさんと行った時に、マップにその神社があって不思議な名前だな、と思ったことはあり、でもそのまま流していた神社だったので、ここにあったのか!と思いだしたのです。染殿神社の由来は、『仁寿年間(850年頃)、摂政公の姫君が、わけあって世隠れの身となり身重の体で、はるばる旅枕を重ねてこの地にたどりつき、里人に一夜の宿をと申し出られました。里人たちは身につけている衣装はきらびやかで、頭髪には宝冠が光っていて、あまりにも身分が高い様子に返...宮城県のトベ伝承@染殿明神
宮城県のトベ伝承(ハイヌヴェレ)については、書いておこうと思います。知られざる宮城県の歴史です。10月22日天皇即位の日、仙台で『ナグサトベ』の著者、なかひらまひさんが講演にいらしてくれました。岩手県在住の『よみがえる女神』など著書を出されている清水友邦さん、名取老女伝承が伝わる守家の子孫、みきこさんの3人の講和会を聴きに行ってきました。詳細は、こちらを参考にしてください。とっても深いお話で、テーマも「母系社会」にが根本にあるので、天皇即位にふさわしい時間を過ごしました。『ナグサトベ』については、5年位前だったか、著書の写真を担当していたOさんと、秩父で何度かお会いすることがあり、「ナグサトベについて調べている人がいて写真を撮りに熊野に行っていた」と聞いて、その時初めてナグサトベの名を知りました。その事があって...宮城県のトベ伝承①
イネハポ情報から知った藤原岳。「武甲山にそっくりな藤原岳があるけど・・・」みてみると、武甲山にそっくり。※藤原岳(三重県)このベンチカット(階段上の採掘)は・・・、太平洋セメント。やっぱり。藤原岳は鈴鹿山脈の北部に位置し、標高1140mの頂上部は特有の準平原をなすカルスト地形で、石灰岩、化石の山と呼ばれている。この山が形成されたのは古生代、今からおよそ2億数千万年前の時代である。藤原岳は、1年を通じて花が楽しめる自然の宝庫で、春は藤原岳のシンボルとも言えるフクジュソウや、キンポウゲ科を代表するエフェメラル(春の妖精といわれる春植物群)が人々を魅了する。藤原岳は登山者を年間を通じ楽しませることで有名である。太平洋セメントは、藤原岳の東面と多志田谷の西面を石灰採取のために、80年間採掘された山で、現在も採掘されてい...武甲山によく似た藤原岳と鉱業法
以前書いたブログ記事から抜粋してます~。続けて書いてしまいます。マロも百済なので、マロは幼い少女をつれて、機織の家にあずけた。機織を奨励するために連れてきたのではなく、小手姫の時代だったかどうか?その家には小川が流れていたので、岩があるのも、養蚕(桑)を育てる上で重要な意味があったのかもしれません。かなり前から伊勢からきた一族が住んでいたと思う。その家が焼き払われて(たぶん荒蝦夷により)少女だけが助かった。その少女を助けてくれた人が、坂上田村麻呂でした。応神天皇の時代に百済から渡来した調氏(つき)がいました。調(つき)が、月待講になっているので、機織は月神で、埼玉にある月神社は、犬ではなく「狛うさぎ」なのです。※4travel.jphttps://4travel.jp/travelogue/11038397武甲...あこや姫と白滝姫の機織②
久々にあこや姫(阿胡耶姫)の話。機織の話しになると、すらすら書けるのだー。最初に東北地方の悲恋話しで興味をもった伝説があこや姫でした。こんなに美しい伝説はないと思い、あこやの石碑の前に立つと、誰かが何百年もずっとあこや姫を思い続けている人がいると気づくのです。千歳山にあこや姫伝承があり、石碑もあります。入口には明治時代の尊王攘夷論に関係すると思われる、「物部守屋」を継承する碑もあり、明治天皇の他、数々の文化人が訪れている。謡曲「阿古屋松」としても登場し、『平家物語』にも残されています。父は藤原鎌足公の尊孫:信夫(福島)国司中納言豊光藤原の娘。※藤原豊成(生カキを食べる図・・・違うから)藤原豊光の娘とありますが、豊光の名前が史料には見当たらない。藤原家の娘とだけしかわかりませんが、マザーテレサのように、村人の病...あこや姫と白滝姫の機織①
10月初旬ですが、ちょっと利府に行った時に立ち寄った春日神社です。『春日神社は藤原氏の祖神が祀られています。陸奥出羽国按察使・藤原富士麻呂が多賀国府に赴任した時、藤原氏の祖神・奈良県春日大社の分霊を勧請して塩釜の上野原に遷した。その後、利府の小野田に遷し、地名も春日となっています。平安時代、奥州藤原氏、奥州留守職・伊沢左近将監家景、戦国時代の留守政景に深く崇敬されている。伊達政宗の時代、火災のため再建し、伊達綱村が社殿を復元。古代では国府多賀城の区域とする説もあります。』藤原富士麻呂なんて、ふじふじさんね~と、なんだかめでたいお名前。調べると、平安時代初期の貴族。藤原南家巨勢麻呂流、讃岐守・藤原村田の次男。伴健岑と橘逸勢が謀反を起こすが、右馬助・佐伯宮成と共に近衛兵を率いて、謀反人を包囲して捕縛に成功(承和の変...利府の春日神社と藤原氏と中臣氏
長町まで用事があって行ったので(電車で)天気いいし歩いてみたくなり、そうだ、大野田の笊川をみてみよう、と思いつく。台風の時、最初に旧笊川と七北田川上流が氾濫の可能性という情報が入りました。大野田・・・と思い、なんだか落ち着かない時間を過ごしていました。住んでいる近くに川は流れていませんが、名取川が氾濫したらどうなるんだろう・・・と、気が気でない。名取でも増田川の氾濫情報が入り、名取市内でも浸水した所がありました。『笊川の下流部はもと低湿地で、弥生時代から水田が開かれて富沢遺跡と呼ばれる。近世初期まで笊川は、名取川・広瀬川にはさまれた丘陵部の小川をすべて引き受けて流れており、しばしば氾濫した。』(wikipedia)笊川は新笊川と旧笊川とありますが、名取川水系のひとつで、昔は「座留川」と書いた。『丘陵部の水に依存...台風の後の笊川と宝龍神社
ようやく台風19号が去ってくれましたが、一夜あけて被害の全貌が明らかになってきまして、堤防決壊のショックな映像が広がっていました。亡くなられた方々のご冥福をお祈り致します。日曜日、ラグビーワールドカップで日本とスコットランドの対戦でした。君が代の国歌が、スタジオ全体に響き渡っていました。この時ばかりは、君が代が力強く感じました。ラグビーだけじゃなくて、何か他の力にもなればよいとつくづく思います。日本の河川は急斜面に流れる形状なので、昔から氾濫していた地域が、今回も大雨によって増水してしまったようです。夜中だったので、強風の音で眠れず。ずっと降り続く大雨と河川の氾濫の緊急情報が何度もきて落ち着かない夜でした。避難勧告がスマホに何度もくるのですが、(警告音に毎回驚く)その度に氾濫危険の川が増えていくので、不安になっ...台風の後のエジプト
7月だったと思うのですが夏の時に行った神社です。Aさんとランチをした後に、どこか近くの神社にいってみようか、となり、Aさんはスサノオさんが好きなので、八雲神社が岩沼にあるので行ってみました。そこは8月のお盆帰省に偶然みつけた七福神のところで、写真をUPした立派な彫刻の七福神がある神社。八雲神社の七福神をみて、いいな~と思っていたところで、8月の帰省中にも七福神をみてびっくりしたものです。神社の由来は、『創建は古く931年頃。尾州豪士長田出雲守大江隆光が中央の兵乱をさけ、息隆忠等一族郎党7名を随伴して奥州に下向し、ここ長岡の郷を永住の居と定め、一族郎党は帰農し地方開拓に努め郷土の礎を堅めた。尾州津島の祭神を勧請して祠をたて、牛頭天王と称した。後に火災などで再建し、明治維新後八雲神社と改称し現在に至る。』息隆忠は祀...岩沼の八雲神社と雷神
春に花見山へはよく行ってましたが、秋の花見山は初めてです。誰もいない花見山が不思議です・・・。花見山に続く峰となっている十万劫山(じゅうまんごう)まで歩いてきました。「じゅうまんごう」と聞くと、「じゅうまんごくまんじゅう」がピンとくる。埼玉県民しか知らない・・・。「うまい、うますぎる。じゅうまんごくまんじゅ~うぅ」というCMなんですが、食べてはいけない気分になってしまうほど、低いおじさんのナレーション。埼玉の銘菓です。そんなことはどうでもよくて。春以外の花見山は、普通のお山になってます。今のうち土を入れ替えたりして手入れの時期なんですね。広い里山ですから大変だと思います。春はこんな感じ。花見山の山頂展望台までの道は、春だったら花々を楽しめるのでしょうが、秋の花はチラチラ咲いてはいますが、足が止まることはなく。す...聖地伝承の十万劫山
茨城県にいった時の話し。もうひとつ訪れた所があったのですが、夕方5時になってしまい、もう「ほたるの光」の終了の音楽がなっており・・・5時で閉鎖されるので橋を歩くことができなくて残念。遠くから拝見。竜神大橋はとても大きくてバンジージャンプができる所でも有名。若い人が何組かやってました。「竜神峡は、竜神川の浸食作用でできたV字形の渓谷。男体山を水源とする竜神川が蛇行し瀬や淵をつくるさまは関東の耶麻渓ともいわれ四季折々に美しい表情をみせてくれます。中でも「亀ヶ淵」は渓谷のほぼ中間にある代表的な淵で、水が滝となって岩をうがち、底しれぬ深淵となっています。」「天下野の名の由来」『昔、水戸藩徳川光国公が領内の巡視の時に名主の家に泊まりました。その時、村人たちが集まりこの地に昔から伝わる散々楽の芸を光国公にお見せしました。そ...竜神大橋の竜にかけて破壊神の登場?
茨城からの帰りにちょっと勿来関にたちよりました。源義家の像がある所です。利府の勿来関には行ったことがあるのですが、いわきの勿来は、始めてでした。が、特に何かあるわけではなく・・・。海はよくみえて良い所ではあります。勿来関はもと菊多(いわき市南部)とよばれ、1500年前に設置されたと伝わる。これを「来るなかれ」と呼んだのは平安時代頃からであり、北方の蝦夷の南下をせきとめるためであると言われている。平安時代の終わりに近い後三年の役のとき、陸奥守源義家が、その平定のために奥州に下向けする途中にここにさしかかり、和歌をよんでいます。(後で紹介)先日、数名とある神社に行った途中に、利府の勿来へ行くことになりました。そんな勿来続きだったのでブログに書くことにしました。しかし、勿来とは「~来るな」という意味で、都や関東の武士...勿来関は何もなかった?和歌で妄想す
リベンジ刈田岳!7月に登れなかった大黒天からの刈田岳。素晴らしい天候に恵まれた刈田岳に登れました。ぽっかり30日空いたので、天気予報では快晴。蔵王も青空の陽気らしい。ずっとタイミングを狙っていたけど、タイミング悪くてリベンジできず。今年はいいか、と諦めていた時に、絶好の登山日和でした。どーしても大黒天から登りたかった。なぜか、大黒さん。なんどか目にしていた大黒さんが気になっていたので。今回は準備万端でいく。考えてみれば、7月の登山は、なめてました。。。簡単に登れると思っていたので。暑くて断念。まず、最初に刈田峯神社の里宮を先に参拝しました。それから大黒天の広い駐車場に停めて、大黒さんにお参り・・・と思いきや、家族ずれのおばあちゃんが大黒さんの前でコケた・・・。おお、なんと大黒さんはいたずら好きな?こりゃ、私もお...大黒天~刈田岳の陰陽五行
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