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  • 一年前のブログ

    六十余州名所図会佐渡「佐渡」金やま日本海に浮かぶ佐渡島の金山は金銀を産出し、幕府のあった江戸まで航路で運んで発展した。特に、金の産出は幕府の財政を助け、慶長6年が産出量の最盛期であったがそ......>続きを読む一年前のブログ

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    六十余州名所図会越後「越後」親知らず親不知は、新潟県糸魚川市青海から市振までの10kmに及ぶ海岸線にあり、断崖が海に落ちると形容されるほど高く険しい。旅人にとっては難所の一つであった。本図......>続きを読む一年前のブログ

  • 富嶽三十六景 深川万年橋下

    「深川万年橋下」深川万年橋は深川を東西に貫く掘割小名木川が隅田川に合流する河口にある。江戸川河口の浦安で取れた塩や、その周辺の畑でとれた野菜を江戸に運ぶ役目を果たしていた。太鼓橋の下からのぞいた富士と、橋の下を行きかう船、そしてのんびりと釣り糸を垂らす男、こうした組み合わせが、なんともいえないのんびりとした雰囲気を出している。眼に見えたとおりに描くのではなく、描きたいように対象を組み合わせる。これが北斎の基本的な姿勢だった様だ。富嶽三十六景深川万年橋下

  • 富嶽三十六景 山下白雨

    「山下白雨」「山下白雨」は「神奈川沖浪裏」及び「凱風快晴」とともに富嶽の「三役」と呼ばれ、北斎版画の中でもっとも人気の高い作品である。題名の「山下白雨」とは、富士山の裾のほうで白雨が降っている様子を表している、白雨とは明るい空から降るにわか雨のことだが、北斎はその雨の様子を稲妻で表現している。富嶽三十六景山下白雨

  • 一年前のブログ

    六十余州名所図会越中「越中」富山船橋富山湾に続く神通川は、川幅が広く流れが急である。対岸に橋を渡すのが困難であったが、北陸街道の発展により橋の需要が高まり、船橋が架けられた。船橋は、数十隻......>続きを読む一年前のブログ

  • 一年前のブログ

    六十余州名所図会能登「能登」瀧ノ浦能登半島は富山湾と日本海に挟まれた突端の半島で、富山湾側を内浦、日本海側を外浦と呼び、対称的な風景が見られる。本図は、日本海側の景色で、荒々しく浸食された奇......>続きを読む一年前のブログ

  • 富嶽三十六景 凱風快晴

    「凱風快晴」凱風快晴は「赤富士」とも呼ばれるが、それは赤く染まった富士を描いていることから来る。富士が赤く染まるのは、実際に起る現象で、夏の早朝に起りやすいという。それも甲州側(山梨県)から見られるそうだ。甲州側からだと、朝日を逆光に浴びた富士が赤く染まって見えるのだという。北斎はそんな言い伝えを意識しながら、赤富士の美しさを表現したと思われる。富嶽三十六景凱風快晴

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