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つばた徒然@つれづれ津幡 https://blog.goo.ne.jp/romaniaramochan

ここは北陸の豊かな田舎・津幡町。愛犬との散歩を通じて見つめた季節と風景を画像と言葉でつづる日々。

散歩と酒と読書と競艇好きです。石川県の津幡町在住。週末を基本に更新しています。よろしかったら読んでやって下さいm(_ _)m

りくすけ
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津幡町
出身
津幡町
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2015/06/16

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  • 逆転!また逆転!!

    本日(2022/11/27)は「スポーツ特異日」と言えるかもしれない。サッカーワールドカップ「日本代表VSコスタリカ代表」。大相撲九州場所千秋楽。全日本実業団女子駅伝。競馬「G1ジャパンカップ」。競輪「G1競輪祭決勝戦」。そして、競艇「SGチャレンジカップ優勝戦」。「G2レディースチャレンジカップ優勝戦」。---とまあ、ビッグマッチが目白押し。僕が一番の関心を以て注目したのは、もちろん徳島県・鳴門競艇場に於いて行われた競艇である。前述のとおり、今節は2つのカテゴリーが同居。「SG第25回チャレンジカップ」と、「G2第9回レディースチャレンジカップ」を並行開催。男女共に“チャレンジ”とあるように、どちらも年間チャンピオン決定戦進出を目指す最後の関門なのだ。「レディースチャレンジカップ」優勝戦、6日間の激闘を...逆転!また逆転!!

  • As time goes by TSUBATA.

    わが津幡町の歴史的な遺物と言えば「加賀郡牓示札(かがぐんぼうじふだ)」だ。(※牓示≒「掲示する」)(石川県立歴史博物館HPより拝借)津幡町・加茂(かも)の「加茂遺跡」から出土した平安時代の文書木簡で、少々乱暴に言えば「時の行政がヒノキの板に書いた命令書」。その内容から、ここが古代の物流基地だったことが分かる。その後、加賀藩・前田家が、津幡村、清水村、庄村、加賀爪村で宿場を整備。そして、明治22年(1889年)、上記4つの村が合併。津幡町が誕生した。当時の戸数700余り、人口は3千人弱だったという。以後、周辺地域の合併・編入を経た現在、1万5千世帯余り、人口3万7千人を数えている。「津幡小学校」校舎を望む「ふれあい広場」には、「町政100年記念タイムカプセル」が埋設されている。封印が解かれるのは17年後(2...AstimegoesbyTSUBATA.

  • 津幡短信vol.108. ~ 令和四年 新嘗祭 。

    津幡町で見聞した、よしなしごとを簡潔にお届けする不定期通信。今回の投稿は、以下の2本。【収穫祭。】町内の案内掲示板に、上掲の紙が張り出されてしばらくが経ち、当日(2022/11/23)を迎えた。現在、11月23日は「勤労感謝の日」だが、かつては「新嘗祭(にいなめさい)」だったのはご存じのとおり。「新嘗祭」は、その年の「五穀」や「新酒」を神々に供える儀式。国を挙げての「収穫祭」である。特に重要な農産物は稲(米)だ。何しろ昔の日本は「米本位制」。米の収穫高が大名のランクに反映されたり。納税は「年貢米」だったり。米が通貨の代わりとなる経済体制なのだから「新嘗祭」の重要度は推して知るべし。その名称が変更されたのは、昭和23年(1948年)。当時日本を統治していた「GHQ」が、敗戦前の習わしを改めようと考え命じた為...津幡短信vol.108.~令和四年新嘗祭。

  • 近現代史奇譚~満州お菊。

    拙ブログをご覧の皆さんは「馬賊(ばぞく)」をご存じだろうか?海上で、船や沿岸で略奪行為をするのが「海賊」。山中を根城にし、通行人などを襲うのが「山賊」。「馬賊」は、かつて中国東北部(満州)に出没した「騎馬武装団」である。その起こりは、中国最後の王朝「清」の末期。時の政権が急速に衰えてゆき、国の治安は大いに乱れた。秩序と安全を維持する警察行政が消えた満州は、一種の空白地帯となる。そこで、住民たちは「自警団」を結成。武器の扱いに長け、機動力に優れた馬を乗りこなすグループが外敵を退けた。それらは次第に組織化し、離合集散を繰り返しながら勢力を拡大してゆく。法に縛られない馬賊はアウトローだったが、ならず者ばかりではない。強盗などの悪事を働く輩がいる一方、貨物や人員の輸送の護衛を請け負った。中には、日本軍の謀略工作に...近現代史奇譚~満州お菊。

  • くもり硝子の向うの津幡町。

    ♪~くもり硝子の向うは風の街そんな歌い出しの「ルビーの指輪」がリリースされたのは、昭和56年(1981年)。今(2022年)から40年以上前の流行歌なのだが、空で口ずさめてしまう。「松本隆」氏が仕掛けた言葉の魔法なのか。「寺尾聡」氏のメロディとボーカルの成せる業なのか。どちらに(どちらともが要因だと)しても、大ヒット曲が持つパワフルな側面だと思う。---と、そんな事を改めて認識してしまったのは、愛犬の病気がキッカケ。「りくすけ(犬)」が「白内障」を患ったのだ。ご存じの通り、水晶体が白く濁り視力が低下する病気で、症状が進行すると、失明の恐れアリ。少し以前から気付いていたが、諸般の事情により、本日(2022/11/19)眼科専門医に診察してもらうことができた。(↑大変不安げな表情でコチラを気にする図)(↑涙の...くもり硝子の向うの津幡町。

  • 縁起四方山話。

    先日の散歩中「勝﨑館(かつざきかん)」に立ち寄った。創業120年を超える料理旅館。銭湯も併営していて、僕も折に触れお邪魔している。現在『勝﨑の湯』と称するお風呂は、かつて「津幡温泉」を名乗っていた。時を遡ること200余年。江戸時代、文化・文政期に発見されたと伝えられる津幡鉱泉。その地下からの恵みを薪の炎で温め、浴場として創業したのは、明治22年(1889年)。以来、近隣諸人の身体を癒し続けている。そんな憩いの施設の正面玄関軒先に、見慣れないモノを発見した。紅白の水引で結んだ奉書に包まれているのは、どうやら「トウモロコシ」。紙の文字は「長谷山観音院」とある。帰宅後に調べてみたところ、金沢市観音町のお寺が出処。四万六千日分のご利益があるとされる功徳日に祈願された「とうきび」は、「魔除け」兼、兼商売繁盛や子孫繁...縁起四方山話。

  • 津幡短信vol.107. ~ 令和四年 霜月 。

    津幡町で見聞した、よしなしごとを簡潔にお届けする不定期通信。今回の投稿は、以下の3本。【錦秋、到来。】明日(2022/11/07)は二十四節気のひとつ「立冬」。「冬が立つ」と書くとおり、冬の兆しを感じる時期だ。「立冬を迎え、暦の上では冬となりました」といったフレーズを何度か見聞きするだろう。なお暦の上の冬は、立冬から立春の前日までを指す。そんな季節の移ろいに歩調を合わせるかのように、ご近所のイチョウ並木は、すっかり鮮やかな黄に色づいた。散歩中に彼方此方で見かける赤も、この時季ならでは。落葉樹がまとまった「紅葉スポット」ではないが、充分に目を楽しませてくれる。廃屋(だと思う)の壁を覆う蔦紅葉。<♬まっかだなまっかだなつたの葉っぱがまっかだな♬>オジサン、思わず童謡『まっかな秋』のフレーズを口ずさんでしまうの...津幡短信vol.107.~令和四年霜月。

  • 風を見る人。~れきしる企画展。

    僕たち人類が暮らす地球は「空気」のベールに包まれている。空気には形も色もなく、目に映らない。しかし体感することはできる。それが「風」だ。日本人は、気温と気圧の差によって生じる空気の流れに対し、沢山の呼び名を付けてきた。「順風」「逆風」「薫風」「東風(こち)」、「疾風(はやて)」「旋風(つむじかぜ)」等々。名前を聞けば、風の表情や情景が脳裏に浮かぶ。文字通り風情を感じるが、やはりどれも見ることはできない。今回は、その不可視を見つめた人、津幡町の俳人「河合見風(かわい・けんぷう)」をご紹介しようと思う。本名「河合屋理右衛門(かわいや・りうえもん)」。正徳元年(1711年)、津幡宿の商家に生まれた。家業を継いで以降、旅館と米屋を営み、居村組合頭を勤める傍ら、俳諧(はいかい)を学んだ。また、加賀藩の重臣や、京都の...風を見る人。~れきしる企画展。

  • 3000年前のSister&Brоther&Мate.

    英国人「ハワード・カーター」には、自信があった。古代エジプトに魅せられ、画家から考古学者へ転身し四半世紀近くが経つ。その間、体の中で燃え続ける情熱が訴えていた。<彼は、ここに眠っている>---と。目星をつけた「王家の谷」の一角、発掘作業が始まって3日目。地下へと続く階段が、更に掘り進めると封印された扉が出現。刻印には「ツタンカーメン」!「カーター」は、ついに夢を成し遂げたのだ。時に1922年11月4日。ちょうど今から100年と1日前の出来事だった。ほんの手すさび手慰み。不定期イラスト連載第二百十三弾「ツタンカーメンとアンケセナーメン」。古代エジプト第18王朝のファラオ(王)「ツタンカーメン」。僅か9歳で即位し、19歳で他界した少年王は、歴史の奥深くに埋もれた目立たない存在だった。それが“世紀の大発見”を機...3000年前のSister&Brоther&Мate.

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