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  • 竹という空洞空間【竹と遊ぶ・竹と暮らす<2>】

    竹という植物は、その内部が空洞になっており、一定の間隔で節がある。その節と節の間の空洞は、入り口も出口もない。が、真空だとは思われない。なんとなれば、その中で「かぐや姫」が育ち、竹取の翁によってこの世に迎えられるのであるから。その不思議空間はおとぎ話の世界の出来事であるが、全くの虚構とはいえない。竹が空洞であるということは、現代においては子供でも知っている常識の範囲内のことであるが、その空洞を有するがゆえに、そしてその驚くべき成長の速さ、120年周期で開花と枯死を繰り返しながら再びよみがえる生命力、地中にがっしりと張り巡らされる根の力などにより、古代の人々は、竹には精霊が宿り、竹とは呪力をもつ植物だと認識した。かぐや姫は、竹の精霊としてこの世に出現したのである。神楽の「岩戸開き」では、天鈿女命(アメノウズ...竹という空洞空間【竹と遊ぶ・竹と暮らす<2>】

  • [第三期:空想の森アートコレクティブ展/春の森で見た夢は<VOL:8>]

    後藤洋明コレクションから、人物3点。それぞれが個性的で、哀歓を漂わせ、画家とモデル、それを入手し愛玩した蒐集家にまつわる物語を秘めている。 【落田謙一《リコ》】 不思議少女というべきか。あるいは少女のまま大人になった女性のある一日か。後藤洋明さんの蒐集には、時々コワーイ系の作品が混じるが、これもそのひとつ。だが、奈良美智さんや藪内左斗志さんの作品が大きく評価を伸ばしている現代美術の動向をみると、1981年に中野紅画廊でこの絵を求めたという後藤さんの眼力は時代のはるか彼方を見つめていたということになろう。「リコ」という題名をみると画家の身近な女性のようだ。画面ではちょっと妖しい雰囲気を漂わせているこのひとにじっさいに会うと、どんな展開になるか楽しみではないか。落田氏はグラフィックデザイナー、イラストレーター...[第三期:空想の森アートコレクティブ展/春の森で見た夢は<VOL:8>]

  • 嶽と遊ぶ・竹と暮らす/「ウナギの寝床」さんのフェィスブック記事から。

    [ウナギの寝床]さんの記事。【つくりて紹介】竹聲館(竹工芸/大分県・由布市)竹細工の大分だが竹ペンの優雅さもまた良い大分県由布市湯布院町に工房を構える竹聲館は、竹細工製品をつくっています。竹工芸家の高見八州洋さん、綾子さんのご夫婦2人で活動しています。大分県日田市出身の八州洋さんは1978年に竹工芸家の野々下一幸さんに師事、1981年に宮崎珠太郎さんに師事し、竹の削りと編みの技術を修得し、その後1984年に独立自営を始めます。同じく日田出身の綾子さんは結婚を機に別府の竹工芸訓練センターに通い、技術修得後は編む作業をメインに担当しています。工房では竹の繊維を活かし、インクを吸い上げた状態で書くことが可能な竹ペンや、亀甲編みや麻の葉編み、網代編みといった多様な編み技術で盛篭や花篭を製作しているほか、空間を彩る...嶽と遊ぶ・竹と暮らす/「ウナギの寝床」さんのフェィスブック記事から。

  • 流れてゆくものがみえる/広瀬勝巳「川のある風景」[第三期:空想の森アートコレクティブ展/春の森で見た夢は<VOL:7>]

    よく見ないと、画面の中に川が流れているかどうかわからない。クレパスによる下地の上に色鉛筆で引いたらしいて重ねたらしい複雑な線が絡み合い、流れ、漂いながら、小規模の室内楽の演奏を聴くような印象と、もしかしたら、戦後の焼け跡風景かもしれない、という感覚にみちびいてくれるのである。そして画面下方に流れる朧な川に気づき、作者の心象を想像するのである。後藤洋明さんは、現代画廊に通いながらそこに集まる作家たちと交流を重ね、独自の視点で蒐集した。この作品は、直接画家から購入した、というメモ以外の情報はない。インターネットで調べても、この作者のことは一行も出てこない。それが「画中遊泳コレクション」の面白さなのだ。<ジャンル>絵画<技法:材質>紙にクレパス・色鉛筆などによるドローイング<作品寸法(cm)18×26<所属:後...流れてゆくものがみえる/広瀬勝巳「川のある風景」[第三期:空想の森アートコレクティブ展/春の森で見た夢は<VOL:7>]

  • 「第三期:空想の森アートコレクティブ展」春の森で見た夢は⑥[第三期:空想の森アートコレクティブ展<VOL:6>]

    木本晴三は論客の揃った春陽会に所属し、嘱目され、論客たちに鍛えられながら画風を確立していった画家らしい。洲之内徹氏の目に止まり、銀座の現代画廊で個展を開くようになるまでは大作のタブローばかりを描いていたという。ということは、画廊の個展などでは売れにくい絵という事になる。そのことをふまえた洲之内さんのリクエストにより、ゼロ号とかサムホールなどの小品を描くようになり、愛好者も増えた。が、画家は小品といえども丁寧に堅実に仕上げる画法を貫いた。二本の木のある変哲もない風景が、画家の手練の技によって、その日、そこに漂っていた空気感とともに定着されたのである。<ジャンル>絵画<技法:材質>油彩/キャンバス<作品寸法(cm)334×242<所属:後藤洋明コレクション>後藤さんに関する文を再掲。後藤洋明さんは、夭折の画家...「第三期:空想の森アートコレクティブ展」春の森で見た夢は⑥[第三期:空想の森アートコレクティブ展<VOL:6>]

  • 南国の「赤」が響いている/二人の地元作家の作品を加えて展示が完成「第三期:空想の森アートコレクティブ展」春の森で見た夢は⑤[第三期:空想の森アートコレクティブ展<VOL:5>]

    二日間ほど続いた温かさで、山桜、辛夷(こぶし)、青文字など、山の花が一気に開花を始めた。「友愛の森空想ギャラリー」で開催中の「第三期アートコレクティブ展」では、正面に近代美術史研究家・後藤洋明氏のコレクション、向かって右手の壁面に東京・アートスペース繭コレクションで構成し、左の壁面に地元宮崎の画家、水元博子氏、アーナー恵子氏の作品が加わり、宮崎出身の前衛美術家・瑛九の小品、瑛九が創設したデモクラート美術協会に参加しその後バリ島にわたって作家活動を続けている井山忠行氏の水彩、私(高見)の神楽スケッチ少々、作者不詳の絵などを配置して展示が完成した。後藤洋明さんは、夭折の画家や無名の新人などを発掘し、美術誌「芸術新潮」に美術随想「気まぐれ美術館」を連載して戦後美術史に独自の光を当て、同時代の作家たちにも影響を与...南国の「赤」が響いている/二人の地元作家の作品を加えて展示が完成「第三期:空想の森アートコレクティブ展」春の森で見た夢は⑤[第三期:空想の森アートコレクティブ展<VOL:5>]

  • 山に入る・神域に入る/深刻さを増すマナーの悪化・価値観の崩壊【九州脊梁山地ヤマメ幻釣譚<25ー5>】

    山桜が咲いた。いよいよ、ヤマメ釣りの季節到来。少し前に、渓谷でのヤマメ釣りに関し、解禁直後の谷には入らない理由の一つとして、釣り人のマナーの悪さを書いたところ、地元の方のかなり厳しい反応があった。私は遠慮がちに表現したつもりだったが、現地の皆さんの怒りは外部のものからはうかがい知れないほど、深刻だったのだ。以下にその概要を記す。☆おはようございます。拝読いたしました。わがふるさとの馴染んだ川のことを書いていただき感激しております。新参者の釣り師たちのマナーの悪さは、まだ集落が集落として機能していた時代から住民間で共有されていました。わたしたちが帰省するときに車を停めると、飲み食いしたであろうゴミが捨てられていたり、ひどいときはトイレ代わりに使われたりしていました。なので一時期は県外ナンバーの車が集落に停め...山に入る・神域に入る/深刻さを増すマナーの悪化・価値観の崩壊【九州脊梁山地ヤマメ幻釣譚<25ー5>】

  • 美学の今昔/「仙頭利通・竹崎陽子展」由布院空想の森美術館にて/2025:3月20日~4月20日【空想の森から<195>】

    およそ30年ぶりに由布院空想の森美術館の展示作業に参加した、元スタッフの吉川順君が、「竹崎陽子展」の配置を終えて、「古物と現代アートのコラボ」という印象を、自身のフェィスブックに掲示していた。なるほど、そうだよな。第一期の由布院空想の森美術館(1986-2001)では、本館第一室「九州の民俗仮面」100点を壁面一杯に展示する異色の美術館として出発した。ただし、私どもはこの中核展示を異色とも異端とも思わず、これこそが九州の民俗の底流に連環し、日本列島に流れる古層の美学であるという自負を持って運営に当った。その基本の行動原理と精神は、一度同館が閉館になり、17年の歳月をかけて再開した現在も引き継がれていて、津軽地方の林檎専用の倉庫を移築した「空想の森別館:林檎蔵ギャラリー」にも古民具・古民藝の逸品や染織美術作...美学の今昔/「仙頭利通・竹崎陽子展」由布院空想の森美術館にて/2025:3月20日~4月20日【空想の森から<195>】

  • 生活空間アート:「仙頭利通・竹崎陽子展」由布院空想の森美術館にて/2025:3月20日~4月20日【空想の森から<194>】

    仙頭利通さんの作品が展示された部屋で目覚めた。窓の外に由布岳が見える。由布院空想の森美術館の二階は私(高見乾司)のアトリエ兼ギャラリーとして使っているのだが、企画展の時には展示室の一部として利用している。そして私は、各々の作家たちが精魂込めて制作した作品や、空想の森アートコレクティブ展の時のようにコレクターが長い年月をかけて蒐集した古作・名作などが配置された部屋に布団を敷いて寝るのである。ここは極め付きの贅沢空間なのである。*続きは作業中。生活空間アート:「仙頭利通・竹崎陽子展」由布院空想の森美術館にて/2025:3月20日~4月20日【空想の森から<194>】

  • 古民家に現代のアートが違和感なく配置された:「仙道利通・竹崎陽子展」由布院空想の森美術館にて/2025:3月20日~4月20日【空想の森から<193>】

    *本文と画像は作業中。古民家に現代のアートが違和感なく配置された:「仙道利通・竹崎陽子展」由布院空想の森美術館にて/2025:3月20日~4月20日【空想の森から<193>】

  • 始まりました「仙道利通・竹崎陽子展」由布院空想の森美術館にて/2025:3月20日~4月20日【空想の森から<192>】

    季節外れの大雪の影響で、「仙道利通/竹崎陽子展」は一日遅れの展示作業となった。作品を満載したお二人が、高速道を太刀洗まで来た時点で大分道の日田・湯布院間が通行止めとなっていたので、やむなく引き返し、今朝早く出発して、9時過ぎには到着したのである。天候は回復して、雪を被った由布岳が、山頂付近を銀色に輝かせている。ふもとの雪もみるみる溶けだした。――山は雪雪は氷となり果てて溶くる方より辰は白波高千穂神楽歌に歌われる風景そのものである。展示開始と同時に、二人の青年が訪ねてきた。大牟田からバイクを飛ばしてやってきたというのである。仙道さんの人気の高さと、地道に画業を続けてきたことを知る人たちとの交流の深さを物語っている。この人たちを交えて展示作業を進めた。仮面や神像、山岳宗教の写真や資料などが展示されている空間に...始まりました「仙道利通・竹崎陽子展」由布院空想の森美術館にて/2025:3月20日~4月20日【空想の森から<192>】

  • 由布院雪景色「仙道利通・竹崎陽子展」由布院空想の森美術館にて/2025:3月20日~4月20日【空想の森から<191>】

    昨日、宮崎から由布院へ。由布院地方に大雪の警報が出ていたので、無早めに出発した。いつものように釣りや山野草採りなどの寄り道をせず、東九州高速道を北上。延岡市と大分市の境界付近で雨になった。南部はからりと晴れていたが、北方の山脈の上空は雲に覆われている。九州の南と北では南国と北国ほどの違いがある。由布院に着くと、予報通りの雪。一夜明けると、由布院空想の森美術館のアタリは積雪15センチの雪景色。長靴を履いて子犬のように外を歩き回った。画家・仙道さんの作品搬入は少し延期して午後から。道路状況を見ながらの判断。由布院雪景色「仙道利通・竹崎陽子展」由布院空想の森美術館にて/2025:3月20日~4月20日【空想の森から<191>】

  • 本日、由布院へ。「仙道利通・竹崎陽子展」由布院空想の森美術館にて/2025:3月20日~4月20日【空想の森から<190>】

    本日、由布院へ行きます。20日から始まる「仙道利通・竹崎陽子展」の飾りつけのためです。由布院は季節外れの大雪の予報が出ている。釣りをしたり山野草を採取したりという途中の寄り道を省略し、高速で走ります。今朝、久しぶりのチェーンチェック終了。☆[仙道利通さんとの再会]仙道さんは、1977年に西日本美術展で大賞を受賞するなど、早くから頭角を現し、その後も旺盛な創作活動を続けてきた画家である。その頃は、私は病気を得て長期入院治療を必要と宣告された時期だったので、その鮮やかな活躍ぶりを羨望のまなざしを交えて見つめてきたものである。その病と療養が機縁となって「湯布院・町づくり運動」に参加し、由布院空想の森美術館を設立するという幸運を得た。そして同館での仙道さんの個展や郷里・日田に誕生した宇治山哲平美術館での仙道利通展...本日、由布院へ。「仙道利通・竹崎陽子展」由布院空想の森美術館にて/2025:3月20日~4月20日【空想の森から<190>】

  • 喰うか、喰わぬか【九州脊梁山地ヤマメ幻釣譚<25ー4>】

    「喰うか」「喰わぬか」という命題は、喰うか喰われるかという自然界の弱肉強食の営為ではなく、渓流釣りにおける釣った魚を食べるか、食べることは野蛮人の所業に近いとみなして元の水に放つ(リリースする)かという選択肢と価値観の話である。簡潔に言う。私どものヤマメ釣りは「狩り」すなわちハンティングである。釣りをスポーツやレジャーの一環とする遊漁活動ではない。すなわち「遊び」では我々は釣らない。「喰う」ために釣るのである。いまどき、食べるための魚類ならばスーパーに行けば、南海の魚から北海道の魚類まで、安価で調理済みのものがパックされて並んでいる。なにも崖から落ちたり蝮を踏みそうになったり、スズメバチの襲撃を喰らったりと命の危険と隣り合わせの冒険をしなくとも手に入るのである。だが、釣り師は、谷辺に立ち、沢を歩き、源流を...喰うか、喰わぬか【九州脊梁山地ヤマメ幻釣譚<25ー4>】

  • 再生する渓谷の一日【九州脊梁山地ヤマメ幻釣譚<25ー3>】

    少し痛みのある左足を庇いながら、谷へ降りてゆく。深山の山桜の開花には、あと一週間から二週間ほどの時が必要だから、私は本気では釣らない。体慣らし、足慣らしの時期だと心得ているのだ。解禁直後は釣らないという自分自身に課した「掟」の根拠は、冬越しからまだ体力を十分に回復していないヤマメを釣ることのアンフェアな気分、この時期は美しくもなく、食べてもおいしくない、解禁直後に我先にと渓谷になだれ込むマナーの悪い釣り人への嫌悪感、などの要素によるものである。このことは毎年書いているが近年増え続けている初心の釣り人たちのために以上簡潔に繰り返しておく。大河の本流と、肥後と米良の境界を区切る山脈の分水嶺から流れ出してきた支流との出会いの地点へ行く。そこは、つい最近、最後の住人が去り、無人となった集落のある所だ。数年前の大洪...再生する渓谷の一日【九州脊梁山地ヤマメ幻釣譚<25ー3>】

  • 梅花散る谿で【九州脊梁山地ヤマメ幻釣譚<25ー2>】

    里では早咲きの山桜が開花をはじめたが、山の村ではまだ蕾は固く、梅の花が満開だった。その梅の花がはらはらと花びらを散らす谷辺を歩いた。*本文の続きは作業中。梅花散る谿で【九州脊梁山地ヤマメ幻釣譚<25ー2>】

  • 「現場」に立つ記者/朝日新聞「天声人語」から

    多くを語る必要はない。東野記者とは、阿蘇地震の時に出会った。被災地の屋根が傾いた家に泊まり込み、取材を続けていたのだ。その後、我が家「九州民俗仮面美術館」を訪ねて下さり、同居している若者を交えて語り合ったことがある。若者は、長い漂泊の後に、幼児期を過ごしたこの地に帰って来ていたのだった。その後若者はスランプに陥ったが、今は脱して良い仕事を得ている。東野記者は、それらも気にかけて、私の出先に電話をかけてきた。「今、近くにいます」というのである。私は九州脊梁山地の山奥にいたが、ちょうど電波の届く位置だったので、確認すると、彼が我が家に到着するのと私が帰り着くのとがほぼ同じ時刻になることが分かった。私は用事を切り上げて帰宅した。記者は、東北の釜石支局を出発し、宮崎南部の地震のその後を確認しに来たのだった。東野さ...「現場」に立つ記者/朝日新聞「天声人語」から

  • 神棲む森の一夜/「第三期:空想の森アートコレクティブ展」春の森で見た夢は④[第三期:空想の森アートコレクティブ展<VOL:4>]

    【神棲む森の一夜】この森の奥には、太古の記憶が眠っている。と、神楽を伝える村の古老が言った。一晩中神楽が舞い続けられている神楽宿の裏手の山には一万年前の遺跡が眠っているといい、川向うの丘陵地に面したこの地方の鎮守神社の森からは古代文字の刻された甕棺の蓋が出土した例があるともいう。その文字は漢字以前の文字と思われるが贋物扱いされて怒った村人が叩き割って川に捨てたという。だが、その破片がまだ残されている場所をワシは知っているがそれが日の目を見るのはもう少し先になるかもしれない・・・と言って、森の奥の村へ帰って行った。神々の棲む森は多くの謎と秘密と神秘を秘めて静かである。「神棲む森の一夜」高見乾司水墨・水彩・インク神棲む森の一夜/「第三期:空想の森アートコレクティブ展」春の森で見た夢は④[第三期:空想の森アートコレクティブ展<VOL:4>]

  • 神楽笛が聞こえる/「第三期:空想の森アートコレクティブ展」春の森で見た夢は④[第三期:空想の森アートコレクティブ展<VOL:4>]

    【神楽笛が聞こえる】寒風に粉雪が混じる峠を越えてゆくと遠くから神楽笛が聞こえてくる。黒々とした山脈に抱かれて素朴だけれど古風で清雅な民俗を保つ人びとが、山神に捧げる神楽を奏しているのだ。国土創生の英雄たちと土地の先住の神々が出会い、相克し、協調してゆく物語。それが神楽だ。悠久の時間が流れ、風に乗って神楽笛が山塊へと響いてゆく。「神楽笛が聞こえる」高見乾司作水彩・水墨・インク会場の右隅(入り口は言ってすぐの所)に展示してあります。☆「空想の森アートコレクティブ」のページはこれから順次アップしてゆきます。https://kuusounomori.base.shop/items/allをご覧ください。神楽笛が聞こえる/「第三期:空想の森アートコレクティブ展」春の森で見た夢は④[第三期:空想の森アートコレクティブ展<VOL:4>]

  • 始まりました/「第三期:空想の森アートコレクティブ展」春の森で見た夢は③[第三期:空想の森アートコレクティブ展<VOL:3>]

    始まりました/「第三期:空想の森アートコレクティブ展」春の森で見た夢は③[第三期:空想の森アートコレクティブ展<VOL:3>]

  • 神楽笛が聞こえる/春の森で見た夢は②[第三期:空想の森アートコレクティブ展<VOL:2>]

    【神楽笛が聞こえる】寒風に粉雪が混じる峠を越えてゆくと遠くから神楽笛が聞こえてくる。黒々とした山脈に抱かれて素朴だけれど古風で清雅な民俗を保つ人びとが、山神に捧げる神楽を奏しているのだ。国土創生の英雄たちと土地の先住の神々が出会い、相克し、協調してゆく物語。それが神楽だ。悠久の時間が流れ、風に乗って神楽笛が山塊へと響いてゆく。神楽笛が聞こえる/春の森で見た夢は②[第三期:空想の森アートコレクティブ展<VOL:2>]

  • 幻の村[第三期:空想の森アートコレクティブ展<VOL:1>]

    【幻の村】時々、夢に出てくる村がある。訪れたことも、実在を確かめたこともない。生まれ育った故郷の山の村にも似ていない。アジアの山岳地帯を旅した時に標高2000メートルほどの高地の石造りの村の石壁の上からさらにその奥の3000メートル級の山岳へとそれぞれが大きな荷物を背負い越えてゆく家族を見たことがあるがそれほど過酷な土地でもない。夢の中のその村にたどり着くと、かならず一人の男の子と二匹の白い犬が迎えに来てくれる。そして村を巡ると美しい彼らの母親のいる家があり、古い汲み上げ式の井戸があって、深い底に清らかな水が湛えられている。井戸の背後のお堂では神楽の練習が続けられている。初冬、雪の舞い始めた村で夜を徹した神楽が舞い続けられるのだという。夢は、いつもその辺りで終わる。いつだったか、村のある方角の黒々とした山...幻の村[第三期:空想の森アートコレクティブ展<VOL:1>]

  • 春の森の午後【森へ行く道<160>】

    カワトモ君が来た。宮崎市から電車に乗り、高鍋駅で降りて、そこから自転車を漕いでやってくる。途中にここ茶臼原台地へと登る坂道があり、最初のころは半日ほどもかかっていたのだがいまでは軽々とやってくる。森へ行き、立ち枯れとなった桧や杉、樫などを切り、運び出す。大人と同じ大きさの丸太を担いで降りてくる姿はすでに一人前の山人<やまびと>だ。学校へ行かず、家でゲームに没頭してブクブクと肥え太っていた子が三年の間に逞しく成長した。森から担ぎ出した木を伐って割り、焚き火をする。家(九州民俗仮面美術館)の周りの落葉を片付け、里芋とじゃが芋の子芋を落合圭太君が開拓した畑に植え付け、再度森へ行ききのこの生える木を切り倒す。天然のヒラタケやキクラゲが発生するアカメガシワの古木だ。根元の付近が穴ぼこだらけになり、虫食いがあり、腐食...春の森の午後【森へ行く道<160>】

  • 予告「先導利通・竹崎陽子展」由布院空想の森美術館にて2025:3月20日~4月20日

    仙道利通さんとの再会仙道さんは、1977年に西日本美術展で大賞を受賞するなど、早くから頭角を現し、その後も旺盛な創作活動を続けてきた画家である。その頃は、私は病気を得て長期入院治療を必要と宣告された時期だったので、その鮮やかな活躍ぶりを羨望のまなざしを交えて見つめてきたものである。その病と療養が機縁となって「湯布院・町づくり運動」に参加し、由布院空想の森美術館を設立するという幸運を得た。そして同館での仙道さんの個展や郷里・日田に誕生した宇治山哲平美術館での仙道利通展の手伝いをさせていただくなどという縁と交流が深まった。宇治山画伯は、同時代の後輩作家・仙道さんのことを高く評価していたのである。そして、時代が大きく廻り、一度閉館した空想の森美術館の再開とその後の活動を認知していただいて、今回の企画が実現した。...予告「先導利通・竹崎陽子展」由布院空想の森美術館にて2025:3月20日~4月20日

  • 春の雨が神秘の薬草「日向当帰(日本山人参)」を濡らした【森へ行く道<159>】

    降り続いた細い雨が、薬草・日向当帰(ヒュウガトウキ)の葉を濡らしている。少し前に、深山の山道の脇から頂いてきた苗が根付き、一部は新芽を出しはじめたのだ。昨日の雨を、龍神君が東北まで運んでくれたわけでもないだろうが、山火事の延焼が続いている大船渡地方に降雨があったらしい。天気図で見ると、これからさらに鎮火に役立つほどの雨が降るようだ。私は龍神に頼んだり指図したりした覚えはないが、この雨が東北に届けばいいのに、と願ったことはたしかだ。九州地方の雨が翌日に東北まで届くという気象現象は稀だが、多くの人が願ったり、祈ったりしたあとにこのような現象が出ると、昔の人たちは、天に願いが届いた、と言ったのである。日向当帰(ヒュウガトウキ)は日本山人参とも呼ばれる神秘の薬草だ。朝鮮人参と同じ薬効を持つという。山道の脇の壊れか...春の雨が神秘の薬草「日向当帰(日本山人参)」を濡らした【森へ行く道<159>】

  • 春の川辺で【九州脊梁山地ヤマメ幻釣譚<25ー1>】

    3月4日、雨が降っている。東北・大船渡地方で木大規模な山火事が発生し、まだ鎮火していないらしい。が、この雨を火事の上空まで運んで降らせてほしいと龍神さまに頼んでも、それは無理らしい。北国の人たちには申しわけない気もするが、少雨の冬を乗り切ってようやく温みはじめた川辺を潤す南国の雨である。この状況を「水が動く」と釣り師は表現する。深い淵や岩陰などに潜んで冬を越した魚たちが活動を始める雨だ。ヤマメ釣りの解禁日はすでに過ぎているが、私はまだ釣らない。山桜の咲くころが、私の解禁日。解禁日に釣人がなだれ込んで荒れた川も少し落ち着きを取り戻し、浅瀬に出て活発に採餌した魚たちも銀色に輝く体色を回復して、元気になっている。鋭い光のように急流を走って餌を追い、一瞬の間に咥えた餌を放して逃げ去る渓流の勇者たちに尋常の勝負を挑...春の川辺で【九州脊梁山地ヤマメ幻釣譚<25ー1>】

  • 春の森を歩けば 「森の恵みを頂く、Viva野草!」3月1日の記録

    一気に春の陽気となった森を歩き、野草を収穫。出発に先立ち、森の野草や薬草など、寒い冬を耐え抜いてやっと芽吹いてきた植物をいただくのだから、採り過ぎないように、という注意をしておきます。一株の植生があったらそのうちの3分の1をいただく。すると次の人に残りの3分の1を収穫してもらうことができる。最後に3ぶんの1は残しておく。これは山や森の人たちがケチなのではなく、秘密主義でもなく、かぎりある資源を絶滅から守る知恵なのです。「フキノトウ」の群生。これは一株を移植しておいたものが15年ほどでこんなに増えたもの。これは次々に芽吹いて来るから採ってもよろしい。散歩道の脇に「ハナミョウガ」があるので、野草茶の原料として採取。野生では珍しい肝臓病に効くという植生。野菜のミョウガの花とは違います。これは葉っぱを少しずついた...春の森を歩けば「森の恵みを頂く、Viva野草!」3月1日の記録

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