*本文は作業中。「展示」という変異空間【第四期:空想の森アートコレクティブ企画<´25-31>】熱量の基底―描きまくり三世の仕事/田代国浩展⑦
夜の間にまとまった雨がふり、森に潤いが戻った。南国のあたたかな日差しが降り注いでいる。薬草を採取しながら、森を歩く。真っ赤な実を付けている「冬いちご」の葉は、血流を良くする効果がある。冬場の小鳥たちのご馳走だから、採りつくさずに少しだけ残しておくように。甘酸っぱいその実の味は、村の古老の言葉とともに故郷の山の村を思いださせる。蔓を伸ばし葉を青々と繁らせている「むべ(郁子)」の葉は、天智天皇伝承を秘める長寿の薬だが、そんな神代のことを辿らなくても、森の入口に棚を作って這わせてある。35年ほど前のことだが、人吉から川辺川沿いの道をあるいて五木村まで行ったことがある。ダム建設の計画に揺れる村であった。清らかな流れが淵を作ると、そこには巨大なヤマメが一群を作って越冬していた。川に面して一軒の重厚な民家があり、石垣...冬の森を歩けば【森へ行く道<129>】
満月の夜、チェロを聴きながら/由布院駅美術館(アートホール)へのスタバ進出を企画力が押し戻した一件【空想の森から<167>】
*本文は作業中。満月の夜、チェロを聴きながら/由布院駅美術館(アートホール)へのスタバ進出を企画力が押し戻した一件【空想の森から<167>】
展示・進行中です【神楽を描くアートプロジェクト「神楽を伝える村へ」<23>/2023-2024MIYAZAKI神楽紀行】
これまでに描いた作品の中から、展示しています。まだ仕上げが終わっていない作品もあります。さらに、神楽は年明けも続きます。順次展示を進めてゆきます。*写真は川上佳那子さん+筆者。 展示・進行中です【神楽を描くアートプロジェクト「神楽を伝える村へ」<23>/2023-2024MIYAZAKI神楽紀行】
村所神楽の大王様/美しき一夜(4)[西米良村「村所神楽」にて④]]【神楽を描くアートプロジェクト「神楽を伝える村へ」<22>/2023-2024MIYAZAKI神楽紀行】
村所神楽の「大王様」とは、南朝・後醍醐天皇の第九皇子、懐良親王を表す。南北朝時代末期、吉野の山中に籠った後醍醐帝より南朝再興の夢を託されて九州に下された懐良親王は、各地を転戦し、一時は九州を制したが、北朝・足利幕府の連合軍との大宰府での決戦に敗れ南朝を支持した肥後菊池氏の一党とともに米良山中に入山したという伝承を持つ。米良山には親王が山を越えてこの地に至ったという「大王出(だいおうずる)」という地名や高台に立ち、土地の相を観相した「相見(そうみ)」という地名などが残る。この時、懐良親王に従った一行は、わずかな従者と唐犬3匹、鶏二羽という侘びしさであった。米良の山人は、その親王の一族を「神」として迎え長く祀った。神楽はその哀史と雅な宮中神楽を伝え、さらに山人の信仰を織り込みながら五百数十年の年月を舞い継いで...村所神楽の大王様/美しき一夜(4)[西米良村「村所神楽」にて④]]【神楽を描くアートプロジェクト「神楽を伝える村へ」<22>/2023-2024MIYAZAKI神楽紀行】
受け継がれてゆくもの/美しき一夜(3)[西米良村「村所神楽」にて]]【神楽を描くアートプロジェクト「神楽を伝える村へ」<21>/2023-2024MIYAZAKI神楽紀行】
米良山系の神楽では、主祭神降臨の前座として「地舞」と呼ばれる「採り物舞(とりものまい)」が奏される。「挟舞」「初三舞」「幣差」など、鈴を振り、榊や御幣を掲げて舞う演目がそれである。「住吉」という、他の地区では独立した曲となっている演目が、主祭神降臨の序盤となっている例もある。「弓将軍」は「柴荒神」の地舞、「神垂」などの四人舞から三人舞、二人舞、そして一人劔へと展開してゆく太刀の舞が「綱荒神」の前曲すなわち地舞であると理解するまでに、不器用で鈍感な私は20年以上の年月を要した。そして、その地舞=採物舞の美しさに見惚れるようになったのも、神楽に通い続けた長い年月を経て後のことであった。振り上げ、振り下ろされる幣の美しさ、若い舞人の所作、扇の返し、そして弓の華麗さや太刀のきらめきなど、見ていて飽きることがないの...受け継がれてゆくもの/美しき一夜(3)[西米良村「村所神楽」にて]]【神楽を描くアートプロジェクト「神楽を伝える村へ」<21>/2023-2024MIYAZAKI神楽紀行】
美しき一夜(2)ー天空の神々が降りてくる/西米良村「村所神楽」にて②【神楽を描くアートプロジェクト「神楽を伝える村へ」<20>/2023-2024MIYAZAKI神楽紀行】
今年の村所神楽は、悪天候のため村営スポーツセンターでの開催となったが、12年に一度の「大祭」の折にだけ立つ「本注連(ほんしめ)」が立った。中央に高い一本の注連柱が立ち、その右手に99本の金幣が立つ、この神楽本来の御神屋の設営である。普段は略注連といい、三本の注連柱が立ち、金幣は立たない。この美しい造形美を持つ注連柱に天空にいます八百万の神々が降臨するのである。写真は20・・年の撮影。神楽が舞い進められ、2時間近くを舞い継がれる「地割」のところで大雪となった。注連柱を雪が荘厳し、御神屋にも降り積もったが、舞人たちは淡々と舞い進めた。その後、会場を隣接する公民館に移して神楽は続行されたが、20年に一度か二度訪れる大雪の神楽は、この世のものならぬ美しき一夜を演出したのである。今後、悪天候の際には今回と同じ対応が...美しき一夜(2)ー天空の神々が降りてくる/西米良村「村所神楽」にて②【神楽を描くアートプロジェクト「神楽を伝える村へ」<20>/2023-2024MIYAZAKI神楽紀行】
美しき一夜/西米良村「狭上神楽」にて【神楽を描くアートプロジェクト「神楽を伝える村へ」<19>/2023-2024MIYAZAKI神楽紀行】 ☆
*本文は作業中。美しき一夜/西米良村「狭上神楽」にて【神楽を描くアートプロジェクト「神楽を伝える村へ」<19>/2023-2024MIYAZAKI神楽紀行】☆
本日西米良村「村所神楽」へ【神楽を描くアートプロジェクト「神楽を伝える村へ」<19>/2023-2024MIYAZAKI神楽紀行】
西米良村「村所神楽」へ。只今、ウォーミングアップ中。本日は雨の予報が出ているため、村営体育施設での開催。外の風情はないが、広いし寒くはないので「大王様黒い翁面」や菊池の殿様「八幡様」など難しいテーマに挑戦してみよう。行く前に疲れないように、そろそろ休憩しよう。【西米良・村所神楽】南北朝伝承と米良山系の神楽の源流。600年の歴史を有する神秘の神楽・本日開催・米良山系の西端に位置する西米良村村所地区に伝わる神楽です。南北朝伝説を秘める「大王様=懐良親王」やその一族、南朝を支援した肥後の豪族・菊池一族の物語などが展開されます。神楽後半では土地の神様や狩りの神様などが降臨。中世の絵巻を見るような優美な神楽と米良の山人の生活詩が織り交ぜながらくり広げられます。本日西米良村「村所神楽」へ【神楽を描くアートプロジェクト「神楽を伝える村へ」<19>/2023-2024MIYAZAKI神楽紀行】
[稲荷」は山の神だった]西米良村「狭上神楽」の一夜/究極の神楽へ行く道【神楽を描くアートプロジェクト「神楽を伝える村へ」<18>/2023-2024MIYAZAKI神楽紀行】
【「稲荷」は山の神だった】九州脊梁山地の神楽を伝える村に山上から稲の束を咥えて下ってきた狐がその稲穂を落とした所が稲の稔る土地になった、とする伝承がある。そこにはおおむね、山の神をまつる祠があり、磐座祭祀や古墳祭祀の跡がみとめられる。縄文時代の焼畑農耕の時代を経て山地栽培の陸稲(オカボ)から水田栽培の稲作へと移行する「稲」の起源を物語る遺稿であろう。稲荷神はやがて山の神信仰・大山祇命信仰・山姥信仰・倉稲魂命信仰などと混交しながら稲の生育を見守り、豊穣の稔りを約束する「稲荷信仰」へと展開した。30メートルにも及ぶ絶壁の上の岩場で伝承者二人が古式の稲荷舞を舞い次なる伝承者となる若者たちに伝えたという地区もある。諸国の山巡りをしてきた山の神が村に幸いを授けるために立ち寄ったとする伝承もある。里人の祈りは神楽の稲...[稲荷」は山の神だった]西米良村「狭上神楽」の一夜/究極の神楽へ行く道【神楽を描くアートプロジェクト「神楽を伝える村へ」<18>/2023-2024MIYAZAKI神楽紀行】
「お使い様」は狐面/狭上神楽スケッチ【神楽を描くアートプロジェクト「神楽を伝える村へ」<17>/2023-2024MIYAZAKI神楽紀行】
【「お使い様」は狐面】米良山系・一ツ瀬川の源流部の山中の一軒家に「狭上神楽」が伝わっている。そこへ行くまでには、四輪駆動車を手配して険しい山岳の道を30分も辿らねばならない。山頂に大山祇命の陵墓と伝えられる古墳があり背後に山岳修験の行場と思われる岩場が控えている。神楽は古来の山岳信仰に大山祇命信仰、修験道、南朝の落人の秘史などが重複しながら伝えられてきたのである。神楽が佳境に入ると主祭神である稲荷神が降臨し、続いて美しい女面の奥方様、大ぶりの狐面をつけた「眷属様」が降臨する。御狐様は、大山祇命の陵墓を守る守護獣、山の神の使い、焼畑農耕時代の陸稲栽培から水稲栽培へと移行した稲作神話の語り部などの性格を併せ持ち、村人に寿福と秋の稔りをもたらす聖獣であった。「お使い様」は狐面/狭上神楽スケッチ【神楽を描くアートプロジェクト「神楽を伝える村へ」<17>/2023-2024MIYAZAKI神楽紀行】
星宿神降臨/米良山系の「宿神」の分布について【神楽を描くアートプロジェクト「神楽を伝える村へ」<16>/2023-2024MIYAZAKI神楽紀行】
掲図は東米良・中之又神楽の「宿神」。米良山系の神楽には「宿神」が分布する。伝承によれば、「宿神<しゅくじん>」とは、宇宙星宿・神羅万象を支配する星宿神、神楽の主祭神として降臨する。広大な米良山系の山々は、秘境といわれ、他郷との交渉の限られた地域であったが、平家の落人伝承や南北朝期の南朝の落人・肥後菊池氏の入山伝承などがあり、山脈を結ぶ修験・山伏のルートもあったことから、広範な文化を受け入れ、醸成し、伝え続けてきた地域であることもわかるのである。ことに「山神」は、南朝すなわち「王家」に伝わる儀礼としての仮面祭祀が想定され、神楽とともに入山したとする伝承はなんらかの「事実」に基づくデータであると考えても不思議ではない。米良山の宿神分布をみてゆくと、これまでに明らかにされてこなかった「宿神」の秘密の一端に触れる...星宿神降臨/米良山系の「宿神」の分布について【神楽を描くアートプロジェクト「神楽を伝える村へ」<16>/2023-2024MIYAZAKI神楽紀行】
「星宿信仰」と「神楽」について【神楽を描くアートプロジェクト「神楽を伝える村へ」<15>/2023-2024MIYAZAKI神楽紀行】
神楽の舞われている村の上空を冬の星座が巡ってゆく。東方の山岳から、オリオンが次第に立ち上がってくる。私は、一晩中舞い続けられる神楽の御神屋の上空を巡りゆく星座をみながら、星宿信仰と神楽とは何らかの関連があるに違いない、と確信し、観察を続け、資料を集め続けてきたが、まだその明確な答えは得られていない。そのような折、「銀鏡神楽は星の神楽である」というような情報が乱れ飛び、多くの人がそれを鵜呑みにしている現象をみて、前回、以下のような文を書いたのである。☆[銀鏡(しろみ)神楽は「星の神楽」ではありません]・近年「銀鏡」をテーマとした映画が作成され、その映画の序盤が「星の舞」と「星宿信仰の儀礼」から始まるので、銀鏡神楽を星の神楽と思い込んでいる人が多数おられますが、銀鏡の星に関する演目は大祭前日に一曲だけ舞われる...「星宿信仰」と「神楽」について【神楽を描くアートプロジェクト「神楽を伝える村へ」<15>/2023-2024MIYAZAKI神楽紀行】
究極の神楽へ行くこと 銀鏡(しろみ)神楽への道【神楽を描くアートプロジェクト「神楽を伝える村へ」<14>/2023-2024MIYAZAKI神楽紀行】
最近、私のもとへの「銀鏡神楽」についての問い合わせや訪問者が、増えています。来週は銀鏡神楽の大祭なので、さらに増えることが予想されます。そこで、銀鏡神楽についての私見をここに記しておきます。これは銀鏡に通い始めて30年を超える私の解釈と感想であり、多くの取材仲間や銀鏡神楽愛好家の共有する視点だと思っているからです。まず、銀鏡神楽は全国の神楽を俯瞰してみても群を抜いた存在であり、貴重な歴史遺産であり、「究極の神楽」に数えられるひとつと私は思っています。四日間を要する「祭り」の期間、その構成、伝承の多彩さ、そこに含まれる古風とそれを伝え続けてきた伝承者の方々の誇り高い精神と気概などが、見るものを圧倒しながらもいつしか神楽の神秘空間に誘い込み、感動を共有することができるからです。その全貌と内容については多くの研...究極の神楽へ行くこと銀鏡(しろみ)神楽への道【神楽を描くアートプロジェクト「神楽を伝える村へ」<14>/2023-2024MIYAZAKI神楽紀行】
神楽の治癒力【神楽を描くアートプロジェクト「神楽を伝える村へ」<13>/2023-2024MIYAZAKI神楽紀行】
二週間前の椎葉・栂尾神楽を見ながら、スズメ蜂酒を飲みすぎた時のような、脳内出血寸前の症状が出たので、次の週のの高千穂・秋元神楽には用心しながら出かけた。よほど中止しようかと思ったが、コロナ過を経て4年ぶりの開催なので、秋元の皆さんに会い、挨拶がしたかったのと、中学2年生の飯干蔵人君が立派な舞人(高千穂ではほしゃどん=奉仕者殿という)に育っており、秀逸の神楽画を描く画人に育ちつつあることなどを見聞きしていたので、その舞いぶりを見、絵の話などもしたいと思ったのである。秋元は、30年以上前に、神楽探訪の旅を始めた頃に訪れ、その後「高千穂・秋元エコミュージアムプロジェクト」に招かれて通い続けたなじみ深く、愛着のある村である。その村の入口に立つと、誰もが故郷の村に帰って来たような感懐に抱かれる。戸数50戸に満たない...神楽の治癒力【神楽を描くアートプロジェクト「神楽を伝える村へ」<13>/2023-2024MIYAZAKI神楽紀行】
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*本文は作業中。「展示」という変異空間【第四期:空想の森アートコレクティブ企画<´25-31>】熱量の基底―描きまくり三世の仕事/田代国浩展⑦
静かな画家である。寡黙というのではない。語り始めると、一晩中でも話題が尽きることはない。それは、いまから40年も前に、第一期の由布院空想の森美術館に彼が200枚とか400枚というデッサンを持ち込み、二人で語り合った体験があるから、私にはわかっている。けれども、誰かと話す時でも彼はメモ帳か小さなスケッチブックを持ち、絶えずペンを走らせ続けているから、初めて対面した人などは、この人は気難しい人に違いない、とか、沈黙の画家である、“描きまくり三世”、などと形容するのである。上掲は画集「WORKSOFKUNIHIROTASIRO」(森と目黒者/2020)の一ページ目の写真。これをみれば、画家・田代国浩は孤独な人ではなく、街へ出たり、子供たちと一緒に描いたり、アトリエを開放した絵画教室で仲間たちと描く日常があったり...手練の技【第四期:空想の森アートコレクティブ企画<´25-30>】熱量の基底―描きまくり三世の仕事/田代国浩展⑥
田代国浩展の展示作品には題名が付いていない。それについては、作者の明確な意図がある。画集「WORKSOFKUNIHIROTASIRO」(森と目黒者/2020)から転載しよう。☆普段作品にタイトルはつけない。名付けると「遠くへ行く」ような気がするから。どうしても付ける必要がある場合は曖昧にしておく。作品1とかUntirledAとかIntrospection2020とか。ただ、名付けることで「近くへ来る」こともあるのかなとも思うようになった。これらはその試み。その数点を抽出してみよう。☆作品とタイトルが一致して、「詩」が生まれている。作品とタイトルを切り離してみると、一行詩のようである。別の作品と組み合わせることもできる。・その赤がこの絵を台無しにしている・銅の元は声、銀の元はささやき、金の元は無音・姉は空に...題名のない絵とは【第四期:空想の森アートコレクティブ企画<´25-29>】熱量の基底―描きまくり三世の仕事/田代国浩展⑤
田代国浩展の展示を終え、久住・阿蘇・高千穂の草原を走り抜けて帰って来た。緑一色の草っぱらが風になびき、時折、霧が湧いた。霧は、峠を越える時には雨となった。無色の風景のただ中に、無数の線が走り、色と色、色と線とが交錯して奏でる音楽が交響した。田代国浩作品の残像が、広大な自然の中で躍動しているのであった。本人の「ことば」を画集の中から転載しておこう。☆テーマを決めてから描き始めることはまずない。エスエスキースをつくることもまれである。たいていはそういったことなしにキャンバスに向かう。もちろん私の脳が指令を出しているわけだから、何かしら考えてはいるのだろう。だが画面構成等、ああしようこうしようと思わないことの方が多い。置いてみたい絵の具を筆につけた瞬間に始まり、手の勝手な動きに身を任せて描いているうちに、絵は「...線が走り色彩が歌う【第四期:空想の森アートコレクティブ企画<´25-28>】熱量の基底―描きまくり三世の仕事/田代国浩展④
【“描きまくり三世”の熱量】田代君がそれらの偉大な先人たちの作風や人生観に影響されたり、追いかけたりしているわけではない。それは彼の一貫した作風と地域の子ども達や仲間と楽しく遊び、描く生活を続けてきたことでもわかる。彼は、人と会う時でもいつも手帳とペンを持ち、何かを描き続けているという。それが“描きまくり三世”という呼称を冠せられる由縁であろう。では描きまくり一世と二世は誰とだれであるか、という問いは棚上げするとして、今春、開催された福岡アジア美術館での個展では、なんと、大作・デッサン・オブジェや書など、1万点あまりの作品が展示されていた。ここにも“描きまくり三世”の面目躍如たる世界が開陳され、その膨大な作品群からは、「筑豊」の熱い地下水脈に熱せられた強烈なエネルギーが奔っていたのである。由布院空想の森美...熱量の基底―描きまくり三世の仕事/田代国浩展③【第四期:空想の森アートコレクティブ企画<´25-27>】:始まりました。
田代国浩展/展示進行中です。その様子は追ってお知らせします。描きまくり三世の仕事/<明日から>田代国浩展②【第四期:空想の森アートコレクティブ企画<´25-26>】
本日、由布院へ、出発。梅雨晴れの山野を駆けて行こう。今日(19日・夕方着)、明日(20日)、明後日(21日・午後4時頃まで)空想の森美術館にいます。明日まで武石憲太郎さんの展示があり、夕方・田代国浩氏の作品が届いて展示替えをします。お近くの方、お立ち寄りください。本日、由布院へ/由布院空想の森美術館の二日間【空想の森から<203>】
草木染めいろいろ。コロナ過以前、全力でやっていたころの仕事です。「草木染め」は、植物のことを知り、自然界から「色」をいただくこと。ここからアートへの展開、室内装飾への応用など、まだまだ多様な可能性があるのだが、ちょっと勢いを無くしている感があります。当方の老化と怪我続きなどの要因、各地で同様の趣旨のワークショップが増えてきたことなどがありますが、本格的な染色アーティストや職人が育つところまではきていない。もうひと踏ん張りしなくては。要望があれば各地へ出かけてのワークショップも可能です。お問い合わせ下さい。草木染めいろいろ【空想の森の草木染め<110>】
万緑の由布院。朝、珈琲を淹れていると、峨眉鳥が歌い、ウグイスの声も聞こえてきます。カッコウが鳴き、由布岳の山頂付近をミヤマキリシマが淡紅色に染めているのが見えます。朝食の残りを木立の下に捨てに行くと、正面の森の高い六本杉のてっぺんで見張っていたカラスがやってきます。巣作りから子育てへの彼らの繁忙期が始まっているのです。武石憲太郎さんの由布院空想の森美術館での個展も20日までとなり、その後は宮崎の「友愛の森ギャラリー響界」へと巡回します。自作が行方不明になるという不運なアクシデントに遭い、落ち込んでいた憲太郎さんに笑顔が戻りました。懐かしい由布院で、古い仲間たちと会い、錯綜していた紛失作品についての情報も少しずつ整理されてきて、元気を回復しつつあるのです。次は、宮崎へ来ていただきましょう。まだ、現役作家とし...湯布院での展示は20日まで/武石憲太郎展[第三期:空想の森アートコレクティブ展/春の森で見た夢は<VOL:18>]
由布院空想の森美術館6月22日~7月30日(金曜・土用・日曜開館)大分県由布市湯布院町川北1358*ご予約いただけば随時開館できます。 友愛の森ギャラリー響界8月22日~9月20日宮崎県西都市穂北5248 小鹿田焼ミュージアム溪聲館9月1日~11月10日大分県日田市源栄町4830-3「筑豊」を拠点に旺盛な創作活動を続ける画家・田代国浩氏の個展が40年余りの交流を続けてきた三施設で実現しました。“描きまくり三世”の異名を持つ田代氏は、地域の仲間や子供たちと、自由で楽しい絵画制作の場を共有してきました。筑豊は、修験道の霊峰として栄えた英彦山を控え、古代の銅と鉄を有した文化の道が交差し、近代では炭鉱で栄えました。その文化風土から、多くの作家が輩出したのです。いつも手にノートとペンを持ち、人と会う時でも描き続けて...<予告>田代国浩展/描きまくり三世の仕事[空想の森アートコレクティブ企画]
由布院から「クララ」を採集して帰ります。由布院・九重・阿蘇などの草原に自生する植物です。2018年に再開した「由布院空想の森美術館」の敷地に自生していたものが増え続けています。それを少しだけ頂き、さらに久住・阿蘇の草原で採集して宮崎へ。森の空想ミュージアムの前の広場にも群生があります。これらを森の空想ミュージアムの中庭のかまどで焚き火をして、染めます。クララは草原の植物で、その根を噛むとくらくらとめまいがするというほど苦いことから、その名が付いたといいます。高原地帯の日当たりの良い草原などに自生します。高さ50-150cm。草原の中では丈高く、目立つ草です。全草有毒であり、根の部分が特に毒性が強いが、疥癬の治療薬、解毒・殺虫などの薬効もあります。ルピナンアルカロイドのマトリンが薬効の元といいますが、...夏色の風/夏の草原に自生する「クララ」で黄色と鶯色を染めるワークショップ【空想の森の草木染め】
[甲斐の国のヤマメに会ったこと]*2015年の記事をそのまま再掲。 甲府市武田神社に奉納された「山梨岡神社代々神楽」が終わった後、甲斐の国のヤマメに会いに行った。甲府盆地には、扇の要に向かうように三つの大きな川が流れ下っている。甲斐駒ケ岳の西側を廻って、盆地の西北端を流れる釜無川。昇仙峡と呼ばれる奇岩累々たる峡谷から流れ出て、甲府市の西郊を貫く荒川(東京都内を流れる荒川とは別)、大菩薩嶺を源流とし、盆地の東側を流れる笛吹川。この三本の川が合流し、富士川となって駿河湾へと注ぐのである。笛吹川には、渓流釣りをこよなく愛した文士・井伏鱒二が訪れている。俳人・飯田龍太の故郷でもあり、龍太は終生、笛吹川の流域を句作と釣りの拠点とした。甲斐の国を訪ねるならば、この笛吹川の畔に立ち、ヤマメまたはイワナの魚影を追ってみ...眼で釣る【九州脊梁山地ヤマメ幻釣譚<25ー13>】
「仙人の釣り」に関して私は12年前(2013)に一度書いている。まだそのころは60歳代で、仙人を云々するような年齢ではなく、いまよりも元気だったのだが、心意・釣りの心がけとしてはおよそこのようなものであったという事を確認するために、再掲しておこう。 [仙人の釣り方〕(2013年の記事を加筆・再編集)私は、他人に釣りを教えるほど上手な釣り師ではないと思う。しかしながら、教え方は上手なほうかもしれないと思う。私よりも釣果を上げる釣り手が、仲間のうちだけでも二人いる。だから、自分は名人づらをしないほうがいいとも思っているのだが、私が教えると、小学三年の女の子でもヤマメを釣り上げることがあるし、高齢のご夫婦が、ずぶの素人から3年ほどで立派な釣り手になった。リョウ(鈴木遼太朗君)は、小学五年から仕込んだから、高校生...仙人の釣り方【九州脊梁山地ヤマメ幻釣譚<25ー12>】
耳川の源流部に入る。通常、入渓地点を明らかにすることはないが、耳川は九州最大級の大河で、支流は数え切れぬほどあり、その支流のまた枝川が分かれて深い山脈の源流部へとつづいているから、単に耳川と言っただけでは、よほど馴れた人でもどの谷かはわからないだろう。上掲がその支流のまた支流の一つだが、3日前の雨で増水しており、入渓は困難。さらに上流を目指す。古い橋がある。コンクリートの経年変化をみれば、すでに100年近い年月が経過していることがわかる。ここから先は、路肩崩壊地点で通行不能。岸辺に車を停めて、途中で買ってきた弁当を食べる。地元の食材を使ったシンプルで美味しい杣人弁当である。同行の超名人・渓声君は、谷へと降りてゆく。私は今日は釣らない。水辺にも立たない。リウマチ性の神経痛が治るまで、無理は禁物である。普段、...仙人の釣りとは【九州脊梁山地ヤマメ幻釣譚<25ー11>】
釣行二日目。だが、私は、釣らない。前日、少しだけ沢を歩き、まだ回復が十分でないこと、時間をかければ治ることなどの見極めがついたから、今回は自重したのである。渓声君は、身支度を整え、渓谷へと下っていった。木立の向こうに清々と流れる渓流が見える。絶好の釣り日和である。釣果を期待しておこう。沢沿いの道を歩くと、朽ちた巨樹の根方に横倒しになった空洞の巨木があり、その周りにミツバチが群れ飛んでいた。標高500メートル以上の森にだけ棲むという日本蜜蜂である。里で見かけるミツバチよりやや小ぶりである。古い巣箱が倒れて放置されたままになっているが、ここで育った蜂たちが、その古巣を忘れずに周囲の朽木か岩場を棲み処にしているのだろう。崖の上段は深い森である。その崖を形成する岩の割れれ目から流れ落ちる水を汲み取り、車を停めてあ...山中のスピリチュアル空間で過ごすひととき【九州脊梁山地・薬草仙人の森へ<4>】
*本文は作業中。青葉ヤマメのアヒージョと洒落てみた【九州脊梁山地ヤマメ幻釣譚<25ー10>】
薬草仙人の山旅/二泊三日の山旅から帰って来ました。詳細は明日報告。【「薬草仙人」の森へ<3>】
神道哲学者・鎌田東二さんがお亡くなりになりました。享年74歳。初期の著作「神界のフィールドワーク」や「翁童論」は時代の扉を開く独創的な仕事として知られています。「国学」から「近代霊学」への橋渡しをしたほぼ唯一の人、すなわち現世(うつつよ)と神界の境界にいて、両界を繋ぐ人だったと言えるでしょう。私は「猿田彦大神フォーラム」でご縁をいただき、第一期の「由布院空想の森美術館」が閉館の危機に直面した時には、「空想の森を湯布院に残そう」という呼びかけをしていただき、たちまち1000人の支援者が集まる、現代のクラウドファンディングの先触れのような企画をしてくださいました。その後同館は閉館になり、2018年に再開。2022年に阿蘇にお出でになった時に私は駆け付けて、当時のお礼や神楽の里に通い続けている日常などを報告し、...訃報/現世と神界を結ぶ人・鎌田東二さんさようなら【空想の森から<202>】
今朝は、選択しておいた毛布とシーツを、森の木から軒下へかけ渡していた物干しのロープに、――よいしょ、と投げ上げて、乾した。良い天気である。午後、脚立に上って、熟れ始めた枇杷の実を採ろう。1ヶ月ほどいていた肩・胸(大胸筋)・二の腕・太腿の付け根、膝の周りなどの痛みが軽減している。よちよちと爺様歩きになっていた足も復旧。回復期に入ったのだ。「リウマチ性多発筋痛症」という神経痛の発症を確認し、薬草と治療薬、テルミー(温灸の進化系)などの処置が適切だったということだろう。――これならば、釣りに行けるかもしれない。と、いつもの楽天的観測が生じ始めている。だが、油断してはいけない。慎重に、時間をかけて身体に休養を与え、治して行くことをこれからの課題としよう。☆毎日飲んでいる「野草茶」は、次の8種の薬草をブレンドしたも...痛み軽減、快方へ向かった朝/イタドリ(虎杖)は「痛み取り」②【「薬草仙人」の森へ<2>】
*本文は作業中。イタドリは「痛み取り」【仙人の森へ<1>】
6月23日、カワトモ君と二人で大分・日田を由布院へ行く旅に出た。宮崎市の自宅から電車で来たカワトモを高鍋駅で迎え、一路北へ。都農から広域農道尾鈴グリーンロードに入り、耳川を越える。雨は降っていなかったが、川は増水し、濁っていた。上流部の諸塚・椎葉の山脈に降雨があったのだろう。角川インターで東九州道に乗り、高千穂方面へ右折。高千穂の中心部から高森方面へ右折し、途中の無人販売所で野菜を買う。地元の人が自分の畑から採れた野菜を置いているなじみの寄り道。波野、産山を通り過ぎて九州横断道路に出る。ここを右折し由布院へと向かう。日田地方が豪雨のため、この日の予定を変更した。標高1330メートルの九州最高峰の牧ノ戸峠は深い霧雨の中。風も強く、九重連山は見えなかった。由布院空想の森美術館に到着。カワトモ君は見るものすべて...カワトモ君と由布院へ/作家・夢枕獏氏の取材を受けました【空想の森から<178>】
宮崎市生目神社の「神武」演目をカムヤマトイワレヒコの国造りの様子と読む解くことは可能と思われるが、では、その演目はいつから神楽の中に存在していたのか、神楽そのものの起源がいつの時代なのかは、不明である。しかしながら、同神社には、掲示の神面二点が伝わっており、下記のような墨書があることが確認されている。『1、寶治2年銘の面は、1248年(鎌倉時代)の作であり、縦51.2cm、横31.1cmの大きさで、裏側に「土持右衛門尉田部通綱寶治二年五月日」の墨書があり、現在確認されている有銘仮面の中では県内最古である。2、天文五年銘の面は、1536年(室町時代)の作であり、縦62.1㎝、横44㎝の大きさであり、「生目八幡宮奉寄進大台面・・・・」とあり、生目神社に寄進した面であることが窺える。』この二面は、南九州に多くみ...宮崎の神武伝承と神楽の「“神武”演目」を読み解く*補足資料【神楽を伝える村へ/宮崎神楽紀行2024-9】
宮崎平野部から日南海岸へかけて分布する神武伝承と神楽の「“神武”演目」【神楽を伝える村へ/宮崎神楽紀行2024-8】
昨日は一日、からりと晴れた好天だったが、今日は朝から強い雨がふっている。災害を引き起こすような豪雨では困るが、梅雨どきの山や森や渓谷、里の田畑を潤すような雨ならば、それも自然界の摂理と観念し、静かに一日を過ごす。森に降る雨を眺めながら、冬の間に描いた神楽の絵を仕上げる。雨の中に神楽の景色が滲む。文人画に「胸中山水」という境地がある。書を読み、旅を続けて賢人を訪ね、画技の修練を重ねて練達の域に至り、画室にいながら旅先の山や渓谷や村里の風景が胸に浮かび、絵筆が動くという究極の領域である。*続きは作業中。 胸中の神楽を旅する【神楽を伝える村へ/宮崎神楽紀行2024-7】
先日、開催中の「友愛の森空想ギャラリー」へ向かう途中の出来事。茶臼原の道路を走行中、目の前で鳥が翼をバタつかせて動かなくなった。「車にぶつかったのかな。後続の車に轢かれるから道の端に寄せておこうか」と運転していた高見乾司さん。しかし、次の言葉に私と同乗していたフルートのK先生は即答した。「立派な雄のキジ。今夜はキジ鍋にしようか。キジは美味いよ」「食べましょう。ちゃんと食べてあげよう」ところが、その時、道路の向こうに雄を探し回っている様子の雌のキジの姿。「つがいの雌がいたか。このまま雄を連れ去ったら雌はずっと探すな。残念だけどキジ鍋は無し」高見さんは雄のキジを畑の隅に置き私達は教会ギャラリーを目指しました。6月の梅雨の晴れ間の出来事でした。「焼野の雉(きぎす)」とは、雉(キジ)が自分の巣がある野が焼けだすと...【南国の赤/水元博子展<3>】
*本文は作業中。梟谷の六月【九州脊梁山地ヤマメ幻釣譚<24ー9>】
ひさしぶりにからりと晴れた好天。「森の空想ミュージアム」の仲間・黒木彰子さんと「天の糸・森の色」の仲間たちの作品も出品されています。黒木彰子さんが三日間、会場につめています。お出かけ下さい。「つくりびとのカタチ」展宮崎県三股町武道体育館にて
画家は、若いころに情熱と才能のすべてを燃焼し尽くし、作品も、作家自身も消失する例と、晩年に至り、精進と修練の果てに幽玄の境地にまで達し、すぐれた作品を残す作家とに大別されるという。私は高校3年の夏に大分県日田市から福岡県久留米市までのおよそ50キロの道を自転車で4時間をかけて走りとおし、青木繁と坂本繁次郎の作品を見た経験がある。教科書にも載っている「海の幸」を実際に見た時の感動は今も忘れない。そして、坂本繁二郎の晩年の「月」もまた心に沁みる名作であった。この二例こそ、画家の素質と画業をあざやかに物語るものである。以後、私は旅も、勉強も努力も重ねてきたつもりだが、この二人の域に近づく作品を生み出し得ていない。天才と凡才というふうに単純に分けられるものではないと思うが、悩ましい命題である。別の角度でみてみよう...回帰する位置【南国の赤/水元博子展<2>】
梅雨入りの気象情報が出たけれど、降り続いていた雨が止んだ。自転車に乗って出かけよう。白いボディーの婦人用軽快車だ。ところどころ錆が出ているが、これは元の所有者の使用頻度が少なかったことによるもののようだ。毎年、山歩きや神楽取材に来ていた東京の人が、借りていたアパートを引き払ったため、家財道具一式と一緒に当方に寄付して下さった荷の中に、これがあった。自転車に乗るという行為は何十年ぶりかのことになるが、恐る恐るこぎ出してみると、案外、身体はそのコツを記憶していて、ママチャリとあまり的確とは思えない現代の呼称で呼ばれるその自転車は、颯爽と森の中へ走り出した。なかなかスポーティーでお洒落である。スピードも出る。昔の婦人用自転車は、ただ乗りやすいだけの簡略な構造で、デザインなどを考慮のうちに無かったような気がする。...風を切って緑の森を走り抜けること【森へ行く道<138>】
鎌を持って森へ行く。台所の生ごみを捨て、その上に刈草をかぶせ、さらに焚き火で出た灰をばら撒く。それがこの森の土を肥やし、野草や薬草や染料として利用できる植物、実の生る樹木などを育ててゆく。その生ごみに混じっていた切り屑や種子の中から芽を出すものがあり、なかには育って実を付ける野菜もあるのだ。それで、芽吹いた野菜の周りの草を払い、伸びすぎた木は間引きをして日当たりが良い環境を作ってやるのだ。自然農という農法には、私は抵抗感を持つ人間の一人だが、こうして自然界の中で育ってゆく作物を採集し、食べることができれば、縄文的採集農法と名付けてもいいかと思わぬでもない。上掲は4年前の写真だが、そうして育ったカボチャが、森の中へと蔓を伸ばし、大きな実をぶら下げていた。立派な黒皮カボチャであった。その風景は森になじみ、実は...森の菜園【森へ行く道<137>】
ケイタ君が帰って来た。旅の治療師・落合圭太君は、各地を旅しながら、理学療法士としての仕事をしたり、農家や林業家などで働いたりしながら、一年ほど前、当地へも立ち寄ってくれたのである。そして2ヶ月ほどの間に森のマドゥパンの手伝いをしたり、仲間たちの音楽イベントに参加したり、私と一緒にヤマメ釣りに行ったりした。そして実家のある神奈川県に帰り、そこで畑作りなどをして過ごしているという便りが届いていたのだったが、この春、家財道具など一切をまとめて、本格的にこの地へ移住してきたのである。ちょうど、一件、空家が出ていた時期だったから、そこに住み、我々の仲間として過ごすことになったのは好都合だった。他所の土地の人であり、旅人だったケイタ君が来た時、私たちはなんとなく、――帰って来てくれた。という感覚で迎えた。短期間での滞...ケイタ君の畑【森へ行く道<136>】
以下は、68歳の時(今から7年前)の記事。☆去年買った草刈機が故障。やむなく、大鎌を持ち出して、振り回してみた。すると思いがけないことに、鎌は何の無理もなく草を払い、錆だらけの刃を天空にきらめかせ、まるで腕の延長のごとく藪を刈り進むのである。数年前までは、その大きさと重さが負担となって、振り回すことも出来なかった大鎌である。柄が乾いて軽くなったことと、自分の体調がやや戻ってきたことの二つの要因が考えられる。もともと乾いた樫の枝を削って挿げた柄であるから、極端に軽くなることはあり得ない。後者を採ることにしよう。そのほうが気分がよろしいではないか。今年の夏で68才。年寄りの冷や水などとは言わせない。☆このあと、大胸筋断裂、肩鍵盤損壊、アキレス腱断裂、左足踵の剥離骨折と続けて大怪我をした。つまり、自分の年齢が年...鎌を研ぐ朝
麻てらす3〜タイに響く草の歌〜」上映会のお知らせ日本における麻の第一人者、吉岡敏郎監督がタイから帰国されて直ぐの、最新情報満載の上映会です。2022年、大麻解禁になったタイの人々の変化を半年間、現地に滞在して撮影し続けた吉岡監督、、タイのモン族の暮らしぶりに密着し、飲む・燻すなど薬草の一種として大麻(ヘンプ、マリファナ)を上手く生活に活かす現実を取材し、ドキュメンタリーにまとめた力作です!!=映画解説=昔々、日本人にとってそれは日常の一コマ、そしてなくてはならない大麻でした。戦後私達は生活の一部である麻を奪われてしまいました。麻は、近年になって、その医療効果、有用性や経済性が再認識され、アメリカやヨーロッパの国や州で使用が大幅に緩和されるようになってきました。ただアジアでは、日本を含め、厳格な法律のもと、...「麻てらす-3」古来、神事などに使われてきた「大麻」。現代生活の中に再び生かすことが出来る日がくることを願う人たちの活動です。/当地「コミュニティスペースCsa-Coso森」にて。
五月の山河に大雨を降らせた台風1号と線状降水帯の発生を予報させた雨雲は東へ去り、爽やかに晴れた空が戻った。それでも山や渓谷は嵐の余波を秘め、大川には泥の色に濁り、山道に沿った崖からは大量の雨水が流れ落ち、時折、ざわっ、と森の巨樹がざわめいた。「青嵐」と昔の風流人たちはこのような状況を表現したのだが、まったく、この日はそれに相応しい山と森と渓谷の状況であった。馴染みの支流に分け入ると、水流は多く、流れも急だったが、濁りは少なく、岸辺なら歩けそうに見えた。――行くか・・・?とカワトモに声をかけると――行きますっ!!と威勢の良い返事が返ってきた。私どもの森へ通ってきたわずか2年の間に体格も立派になり、逞しさを加えてきた彼だが、学校へ行けばまだ中学三年生であり、年齢は14歳の少年である。不登校という冠称をコンプレ...青嵐の谿/極上のヤマメ料理を一品【九州脊梁山地ヤマメ幻釣譚<24ー8>】
台風と大雨を運んできた雨雲は東へ去り、爽やかな青空が広がっています。「糸好き」の仲間たちが集まって、今日は「山繭」から糸を紡ぎ出すワークショップ。明日は草木染め。見学・飛び入り参加(少人数に限ります)も可です。 山繭<天蚕>から糸を紡ぐ&森の草木染め(クララで黄色、大瑠璃草で灰青紫色を染める)ワークショップ東京を中心に「染・紡・織」をテーマに染色作家活動をしておられる西方京子さんが、5月28日、29日、30日の予定でお出でになります。「天の糸・森の色/横田康子と仲間たち」の仕事にふれる研修の旅です。これに合わせ下記のワークショップを企画しました。少人数による実技の会です。 ◇2日目(5月29日)「山繭(天蚕)」と呼ばれる天然の繭から糸を紡ぎ出し、糸づくりをします。40年ほど前に大分県九重山系の村に伝わっ...山繭<天蚕>から糸を紡ぐ&森の草木染め(クララで黄色、大瑠璃草で灰青紫色を染める)ワークショップ
釣友・渓声君を案内して、耳川の源流部を探訪することとなった。渓声君は、3ヶ月ほど前に骨折し、右足の脛から踵へかけてプレートが入り、ボルト6本で止めてあるという重傷だが、ゆっくりとなら歩けるほどに回復しているという。現代医学の進歩は想像をはるかに超えるレベルである。私は昨年の9月に屋根から落ちて左足の踵を剥離骨折し、一応病院へと行ったが、患部を固定する補助具をつけただけでほぼ自力で治した。長時間歩くと痛みが出ることもある、平地ではやや足を引きずり加減に歩くが、――谷を歩いている時は普通の状態に見えますよ。と同行の仲間が言うほどに回復している。行ってみようではないか。*続きは作業中。秘境の村の五月/骨折老人二人が行く【九州脊梁山地ヤマメ幻釣譚<24ー7>】
*本文は作業中。壁・アート・補修【風と森のアート´24-3】
南国の赤/水元博子展会場友愛の森空想ギャラリー宮崎県西都市穂北茶臼原5248(石井記念友愛社敷地内)会期2024年5月10日―6月10日AM10:00-PM3:00宮崎の「新芸術集団フラクタス」に所属し、発表を続けた中堅作家・水元博子。この画家の「赤」を見るとき、南国の生命力に満ちた空と大地、「いのち」の輝きと鼓動を思う。「フラクタル」とは混沌の中にきらめく光の断片という物理用語で宮崎出身の前衛美術家・瑛九の系譜に連なるグループ(現在は休止中)。瑛九が結成した「デモクラート美術協会」は戦後日本の前衛美術運動の先駆的グループで、実力作家を輩出して解散したが、それから半世紀を経て「現代アート」の源流的位置づけとして再評価されている。時は廻り、南の大地に根を張り、描き続けている作家たちには、それぞれの課題や試練...始まりました。【南国の赤/水元博子展】
*本文は作業中。万緑の谿で青葉ヤマメに会う【九州脊梁山地ヤマメ幻釣譚<24ー6>】
山繭<天蚕>から糸を紡ぐ&森の草木染め(クララで黄色、大瑠璃草で灰青紫色を染める)ワークショップ東京を中心に「染・紡・織」をテーマに染色作家活動をしておられる西方京子さんが、5月28日、29日、30日の予定でお出でになります。「天の糸・森の色/横田康子と仲間たち」の仕事にふれる研修の旅です。これに合わせ下記のワークショップを企画しました。少人数による実技の会です。◇1日目(28日)は石井記念友愛社と周辺施設の見学、森の散歩。参加費無料。◇2日目(5月9日)山繭(天蚕)と呼ばれる天然の繭から糸を紡ぎ出し、糸づくりをします。横田が、40年ほど前に大分県九重山系の村に伝わっていた「ズリ出し」と呼ばれる技法を受け継ぎ、伝えてきました。同地の玖珠神楽の神楽歌に天照大神が口に含んだ繭から糸を紡ぎ出す、というシーンがあ...インフォメーション/山繭<天蚕>から糸を紡ぐ&森の草木染め(クララで黄色、大瑠璃草で灰青紫色を染める)ワークショップ