*本文は作業中。「展示」という変異空間【第四期:空想の森アートコレクティブ企画<´25-31>】熱量の基底―描きまくり三世の仕事/田代国浩展⑦
狼煙<のろし>と言っても、山賊が獲物(旅の商人など)を狙う時、あるいは村に敵が近づいて来ることを知らせる場合、または戦争における襲撃・開戦の合図などのような威勢の良いものではない。3ヶ月前に屋根から落ちてかかとの骨を骨折したこと、1週間前に椎葉・栂尾神楽を見ながら目が充血するという症状(脳内出血でなくてよかった)などから回復し、草刈りと薪割りを再開しているという程度の情報。要するに焚き火の煙である。足の痛みも軽減し、草刈り機や電動チェンソーも使えるようになった。薪割りは一本足でもできることは実験済み。これから冬場の仕事を本格化してゆこう。そして、長い間使わずに弱った筋肉を鍛え直してゆこう。森へと流れてゆく煙を眺めること、草の香りを嗅ぐこと、森を歩くことなどの幸福。体力とともに気力が充実してくることの充足感...復活ののろし【森へ行く道<128>】
まだ生きている/④椎葉・栂尾神楽の一夜④【神楽を描くアートプロジェクト「神楽を伝える村へ」<12>/2023-2024MIYAZAKI神楽紀行】
【柴荒神】柴荒神は山霊の象徴である柴を背に負い、森の奥から現れる。柴荒神は怒っているのだ。勝手に山神の支配する山に入り込み榊を伐り出し神楽の舞台を設えて賑やかな祭りを行なっている、うるさいではないか誰に断ってこの山に入ったのか吾こそは神羅万象・宇宙星宿を支配する荒神である。と宣う。そこで神主との長い問答が始まり宇宙星宿の原理、神楽の由縁が解き明かされて和解が成立する。自然神と文明神の激突と相克、和解と協調の物語。神楽に込められた和平の思想。椎葉・栂尾神楽では、中盤に「柴入れ」「樽面」と続いたあと「柴荒神」が出て、神主との「荒神問答」が始まる。私はこの荒神問答を描くつもりでかなりの気合を入れて待機していたのだったが、庭のドラム缶の焚き火に手をかざしているうちに、眠り込んでしまった。ズキリと頭の奥の方に痛みが...まだ生きている/④椎葉・栂尾神楽の一夜④【神楽を描くアートプロジェクト「神楽を伝える村へ」<12>/2023-2024MIYAZAKI神楽紀行】
神楽笛とセリ唄が森に響いてゆき、神と人とが交歓する/椎葉・栂尾神楽の一夜③【神楽を描くアートプロジェクト「神楽を伝える村へ」<11>/2023-2024MIYAZAKI神楽紀行】
神楽笛の音が、神域に響き、森へと消えてゆく。太鼓のリズムが神楽を牽引してゆき、笛の音がメロディーを奏でる。そのメロディーには地域ごと、神楽ごとに特徴があるが、いずれも哀調を秘めた美しい曲である。笛は神楽の物語性を描き出し、彩ってゆくが、――神楽は笛から消滅に向かう・・・と聞いたことがある。私は少し前に、米良山系「中之又神楽」と「尾八重神楽」にこの「栂尾神楽」「鬼神野神楽」などと共通するメロディーがあることに気づき、照合してみたことがある。すると、木城町比木神社に伝わる「百済王伝説」にちなむ「師走祭り」の行程で、「高鍋神楽」の伝承者たちが小丸川沿いの神社に立ち寄りながら一週間をかけて、各地域の神社に神楽を奉納しながら神門神社へと向かった道筋に同系統の神楽が分布していることが分かってきたのである。このように「...神楽笛とセリ唄が森に響いてゆき、神と人とが交歓する/椎葉・栂尾神楽の一夜③【神楽を描くアートプロジェクト「神楽を伝える村へ」<11>/2023-2024MIYAZAKI神楽紀行】
椎葉山の深奥部に秘された神楽/椎葉・栂尾神楽にて②【神楽を描くアートプロジェクト「神楽を伝える村へ」<10>/2023-2024MIYAZAKI神楽紀行】
始めて栂尾神楽を訪ねたのは30年以上前になるが、その時、村役場の人が山を越えるルートの地図を書いてくれて「この辺で心細くなりますが、迷わずにまっすぐ行って下さい」と赤ペンで地図に印をつけてくれたものだった。そして、そのとおりの地点で言われた通り心細くなり、ちょうど前方から来た軽トラに停車してもらい、確認すると「ちょうど半分ぐらい来たところ。まっすぐ行けばよろしい」と役場の人と同じことを言い、さっさと走り去ってしまったのである。それほど、栂尾という所は遠い所だった。九州脊梁山地の深奥部と言ってもいいだろう。その後、宮崎に移り住み、小丸川沿いの道を遡行して訪ねるようになっても、その縁距離感は変わらなかった。源流部の山岳に抱かれて十数戸の集落があり、古風を残す神楽を伝えてきたのである。*続きは作業中。椎葉山の深奥部に秘された神楽/椎葉・栂尾神楽にて②【神楽を描くアートプロジェクト「神楽を伝える村へ」<10>/2023-2024MIYAZAKI神楽紀行】
先住神が八百万の神を迎える/椎葉・栂尾神楽の「鬼神」【神楽を描くアートプロジェクト「神楽を伝える村へ」<9>/2023-2024MIYAZAKI神楽紀行】
【鬼神】「鬼」に会うことは祖先に会うことと土地の人は言う。「鬼とは制圧された先住民が山に入り、山霊を身に付けた縄文人の末裔」と、民俗学者は分類する。「まつろわぬ民の象徴である」と支配者は見下す。「道化荒神」という鬼は、祭りの場に乱入し子どもたちを追いかけたり若い女性に抱き着いたりして場を騒乱の渦に巻き込み、偉い神たちの権威を失墜させるが最後は子どもたちとも村人とも仲良くなって、森へと帰って行く少し怖いけれど優しくて気のいい神さまである。*作品は椎葉栂尾神楽の「鬼神」。36㌢×140㌢(水墨・インク・水性絵具・染料などによるドローイング)「鬼」には多様な性格と相貌がある。九州脊梁山地の神楽では「式三番」の神事神楽に続き仮面神の先陣を切って降臨する土地神である。「猿田彦」の信仰と混交している。八百万の神々を迎...先住神が八百万の神を迎える/椎葉・栂尾神楽の「鬼神」【神楽を描くアートプロジェクト「神楽を伝える村へ」<9>/2023-2024MIYAZAKI神楽紀行】
少年たちが舞う、次世代へつなぐ/日向市東郷・坪谷神楽の一夜【神楽を描くアートプロジェクト「神楽を伝える村へ」<8>/2023-2024MIYAZAKI神楽紀行】
日向市東郷・坪谷神楽は、一時は神事で舞われる「式3番」まで晩数を減らし、消滅が危惧された時期もあったが、伝承者も増えて少しずつ晩数を増やし、現在は13番を奉納できるところまで回復した。復興途上の神楽と言っていいだろう。数年前には、「舞取面」と呼ばれる古面が発見され、この神楽が江戸期から舞い継がれてきたものであることが証明された。坪谷神社は若山牧水生家のある地区で、坪谷川が流れ、尾鈴山脈を望む風光明媚な土地である。かにかくに尾鈴の山は恋しかり今日も霞のたなびきておりと歌人・若山牧水が詠った。この神楽は、少年たちの出番が多い。「振上舞」という太刀を採り物の舞や弓矢の舞「弓将軍」など、大人たちと同じ演目を堂々と舞う。厳しい練習を積み重ねてきた成果であることがわかる。若い女性たちも加わって華やかさもある。女性が舞...少年たちが舞う、次世代へつなぐ/日向市東郷・坪谷神楽の一夜【神楽を描くアートプロジェクト「神楽を伝える村へ」<8>/2023-2024MIYAZAKI神楽紀行】
描いています。日向市東郷・坪谷神楽の一夜【神楽を描くアートプロジェクト「神楽を伝える村へ」<7>/2023-2024MIYAZAKI神楽紀行】
*描いています。日向市東郷・坪谷神楽にて。【猪荒神<ししこうじん>】高千穂神楽では「山森」米良山系では「猪荒神」諸塚神楽では「村方」ここ坪谷神楽では「綱荒神」となっているが、いずれも狩猟民俗を基底とする山の神神楽である。夜が更けて神楽が終盤を迎え天空を天の狩人・オリオンが天狼シリウスを従えて巡ってゆくころ村の背後の黒い森から猪が二頭、暴れ出てくる。猪は、田畑を荒らし猟師に追われて手負いになり暴れると怖いがその肉は美味で「薬喰い」と呼ばれるほどの効力がある。猪は御神屋で転げまわる「ぬた打ち」の所作をしたり、神庭に出て村人と遊んだりする。そこへ猪荒神が出て、荒ぶる舞を舞う。猪荒神とは狩りの領域を支配する山の神である。舞の途中で缶ビールやみかんをもらった猪が上機嫌で帰ってくる。猪荒神と猪はともに一差し舞い、森へ...描いています。日向市東郷・坪谷神楽の一夜【神楽を描くアートプロジェクト「神楽を伝える村へ」<7>/2023-2024MIYAZAKI神楽紀行】
坪谷神楽の一夜【神楽を描くアートプロジェクト「神楽を伝える村へ」<7>/2023-2024MIYAZAKI神楽紀行】
【神楽を描くアートプロジェクト「神楽を伝える村へ」<7>/2023-2024MIYAZAKI神楽紀行】[寺原正さんの投稿から]寺原さん、ありがとうございます。寺原さんは坪谷神社の氏子総代をつとめる方で、普段から神社の清掃、手入れなどをしておられる優しい方。神楽の奉納も準備から当夜の仕切りまですべての勤めに目配りをしておられました。そして神楽奉納が終わればカメラを持って各地へ出かける神楽愛好家でもあります。私も行く先々で出会い、ご一緒する機会が多いのです。今回【神楽を描くアートプロジェクト「神楽を伝える村へ」/2023-2024MIYAZAKI神楽紀行】の二人目の参加者として投稿してくださいました。坪谷神楽は近年、「宮神楽の3番」まで番数を減らし、消滅が危惧されていたのですが、寺原さんたちの努力が続けられ、...坪谷神楽の一夜【神楽を描くアートプロジェクト「神楽を伝える村へ」<7>/2023-2024MIYAZAKI神楽紀行】
「雪舞-2」/山嶽風雪【ART KAOHSIUNG2023/台湾:高雄アートカウション<2>】作品と会場紹介
【雪舞/山嶽風雪】源平の昔・・・遠く椎葉の山中まで平家の落人たちを追って来た源氏の追討史たちも、――この奥に棲み処はあるまい・・・と追跡を諦めて引き返したという地点がある。ところが、さらにその山の向こうに古風な習俗を残す集落があるのだ。冬になれば厳しい風雪に閉ざされてしまう村に神楽が伝わっている。山中の神社での神事の後神楽宿に下った一行が一夜をかけて舞い継ぐ神楽には悠遠の時を刻んだ史実が秘され、村人の生活が投影された神と人との交歓の場となって銀白の夜が更けてゆく。☆以下は【ARTKAOHSIUNG2023/台湾:高雄アートカウション】の会場風景「雪舞-2」/山嶽風雪【ARTKAOHSIUNG2023/台湾:高雄アートカウション<2>】作品と会場紹介
山は雪/「雪舞」【ART KAOHSIUNG2023/台湾:高雄アートカウション<1>】*出品します。
まだ11月だというのに早くも南国宮崎、ここ茶臼原台地にも雪がちらつき、由布院や九重連山からは吹雪・積雪の便りが届いています。――山は雪雪は氷となりはてて融くるかたより立つは白波と高千穂神楽歌が歌われる季節となったのです。この時期、【ARTKAOHSIUNG/台湾:高雄アートカウション2023】への出品が決まり、作品の発送を終えました。その経緯と主旨を以下に記しておきます。☆【ARTKAOHSIUNG/台湾:高雄アートカウション2023】に「神楽を伝える村へ」のシリーズを出品します。10月に開催された「AFAFアートフェア・アジア・フクオカ2023」でこの「台湾高雄アートカウション」の主催者のリチャード・張學孔さんのお眼にとまり、今回、お誘いをいただき、出品させていただくことになったものです。「ARTKAO...山は雪/「雪舞」【ARTKAOHSIUNG2023/台湾:高雄アートカウション<1>】*出品します。
三川内神楽の「花舞」と「花鬼神」/山を越えて二つの神楽を訪ねた一日③【神楽を描くアートプロジェクト「神楽を伝える村へ」<6>】2023-2024MIYAZAKI神楽紀行
延岡・三川内「梅木神楽」の「花鬼神」は稚児装束の二人舞「花舞」に続いて出る。この地方には五つの集落にそれぞれ一座の神楽が伝えられており、演目は統一されている。「一神楽」「地割」「繰り降ろし」「大神宮(猿田彦)」「花舞」「花鬼神」「山守」「山の神」「山注連(やましめ)」が一連の番付で、その後「岩戸番付」によって舞い納められる。以前は33番が舞われたというが、省略が進みながらも古風と神楽の骨格が残されて伝わっていると理解していいだろう。「花鬼神」は「大神宮」(猿田彦)と同「日・月」を象形した円板を採り物に舞う。「花舞」と「花鬼神」はその後に続く「山守」「山の神」の地舞と把握できる。山守は柴荒神と同系の神で荒々しく登場し、子供たちと柴を引き合うパフォーマンスを繰り広げる。山の神は黒い翁面の神で、よろめきながら登...三川内神楽の「花舞」と「花鬼神」/山を越えて二つの神楽を訪ねた一日③【神楽を描くアートプロジェクト「神楽を伝える村へ」<6>】2023-2024MIYAZAKI神楽紀行
白面の猿田彦/山を越えて二つの神楽を訪ねた一日②【神楽を描くアートプロジェクト「神楽を伝える村へ」<5>】2023-2024MIYAZAKI神楽紀行
諸塚村桂集落から峠を越えて日之影町に下り、さらに下って延岡から日豊海岸沿いに北上して延岡市三川内梅木地区鴟尾(とびお)神社へ行った。三川内地区には五座の神楽が伝わっており、梅木地区鴟尾神社の大祭に奉納されるのが「梅木神楽」である。境内には夕闇が迫り、屋台や露店が立ち並び、焚き火が赤々と赤々と神社の森を照らしていた。この地区の神楽はあまり知られておらず、したがって観光客もアマチュアカメラマンも一人もいない、昔ながらの村祭りの風景を見ることができる。山から下ってきた身を置く場所がなかなか決まらず、焚き火の傍や拝殿の脇などに腰を据え、しばらくは画帖を広げずに見た。そうするうちに、身体が場になじみ、昼間に見た諸塚・桂神楽のとはまた違った太鼓のリズムや笛のメロディーになじんできて、次第に神楽世界に引き込まれてゆくの...白面の猿田彦/山を越えて二つの神楽を訪ねた一日②【神楽を描くアートプロジェクト「神楽を伝える村へ」<5>】2023-2024MIYAZAKI神楽紀行
波田沙也加さんの神楽紀行/諸塚村桂正八幡神社の霜月祭りにて【神楽を描くアートプロジェクト「神楽を伝える村へ」<4>】2023-2024MIYAZAKI神楽紀行
はじめての神楽探訪の旅。群馬から車で訪ねてきた波田沙也加さんが以下の記事を高見乾司のフェィスブックにタグ付けしてくれました。これが【神楽を描くアートプロジェクト「神楽を伝える村へ」<4>】2023-2024MIYAZAKI神楽紀行の最初の参加者です。現代の「表現」は現場に身を置き「絵を描く」ことももちろんですが、「観る」「取材する」「文章で記録する」「写真を撮る」「動画で記録する」などを含むと把握します。波田さんの初めての神楽紀行は期せずしてそのような記事になりました。記録したものを当分は高見乾司のフェィスブックにタグ付けすることから公開し、共有する、という所から始めます。これからどのような出会いがあり、どのような「表現」や「作品」が集積されるか楽しみなことです。波田さんの動画は「高見乾司フェィスブック」...波田沙也加さんの神楽紀行/諸塚村桂正八幡神社の霜月祭りにて【神楽を描くアートプロジェクト「神楽を伝える村へ」<4>】2023-2024MIYAZAKI神楽紀行
山を越えて二つの神楽を訪ねた一日【神楽を描くアートプロジェクト「神楽を伝える村へ」<3>】2023-2024MIYAZAKI神楽紀行
諸塚山の尾根道を走り、桂正八幡神社の「霜月祭り」へ。毎年訪れている、小さな村の小さな祭りである。今年はコロナ過明けという事で、道中行き過ぎる神社の入り口にも幟旗が立っている。この時期、南九州の山々の紅葉が始まっており、山頂から見はるかす九州脊梁山地の山々に映えて見事だ。なじみの人達と挨拶をかわし、絵を描き始めたが、手が震えて筆が思うように走らない。急激な気温変化に身体が反応できず、血流障害を起こしているのだ。若いころに罹患した「白ろう病=振動障害」の後遺症である。けれども焚き火に手をかざし、午前の日差しに身体が温められ、若者たちの切れ味良い舞いぶりを見ているうちに全身が場になじみ、筆が進み始めた。これが神楽の魅力であり、神秘の瞬間である。数枚のデッサンを得て、一枚を、この神社の後継者として村に帰り、今年愛...山を越えて二つの神楽を訪ねた一日【神楽を描くアートプロジェクト「神楽を伝える村へ」<3>】2023-2024MIYAZAKI神楽紀行
2023-2024MIYAZAKI神楽紀行【神楽を描くアートプロジェクト「神楽を伝える村へ」<2>】諸塚村桂神社の霜月祭りへ
今季の神楽取材の第一日目です。予定していた11月3日の高千穂町天岩戸神社の神話の高千穂神楽33番大公開祭と11月4日の延岡市北浦三川内歌糸神楽は、急用ができたため、中止。高見剛が取材した大分県中津市耶馬渓町雲八幡神社の「耶馬渓神楽」を<番外>として、実質、明日11月11日の諸塚村「桂神社の霜月祭り」を今季の第一回神楽紀行とします。ここから「神楽を伝える村へ」の第二期:2023-2024MIYAZAKI神楽紀行【神楽を描くアートプロジェクト「神楽を伝える村へ」】の開始とします。【諸塚村桂正八幡神社の霜月祭】桂正八幡神社の霜月祭を四年ぶりに地区外へご案内できるようになった霜月祭りです。コロナ過により地元ではひっそりと毎年行っていましたが、ここにきてようやく地区外にもご案内できるようになったものです。昨年からの...2023-2024MIYAZAKI神楽紀行【神楽を描くアートプロジェクト「神楽を伝える村へ」<2>】諸塚村桂神社の霜月祭りへ
大分県中津市耶馬渓町の雲八幡宮で5日、「湯立(ゆだて)神楽火渡りの祭(まつり)」と題した神楽祭りがあった。宮司代替わりの際にだけ執り行ってきた祭りで、1991年以来32年ぶりの奉納。コロナ禍を乗り越えてようやく開催にこぎつけ、境内は地元の食が楽しめる出店も並び、終日にぎわった。市内で神楽を継承する植野神楽社と戸原(とばる)神楽社が共演。三十三番におよぶ演目を朝から晩まで約12時間かけて奉納した。湯釜の火のそばで、鬼の面をつけた舞い手が「斎鉾(ゆぼこ)」と呼ばれる高さ約10メートルの柱によじ登って餅まきを始めると、盛り上がりは最高潮に。最後はならした炭火の上を神職や氏子、参拝者らが次々に歩いて締めくくった。*以上は朝日新聞記事より。☆これは行きたかった、が、宮崎から現地までは6時間かかる。近くて遠い国。私と...神楽の季節が巡ってきた【耶馬渓・雲八幡の神楽】
旧・のゆり保育園を改修しながら再利用している「コミュニティスペースCasa-Coso森」で子どもたちも、大人も、心優しき詩人になった一日。☆以下はいとうるかさんのフェィスブック記事をほぼそのままコピー。☆子どもたちが企画、主催したアオハル祭、晴天のもと無事に終了しました(^^)子どもたちの出店が5店、大人の出店が2店この日のためにお家で焼いた焼き菓子や、コーヒーやレモネード、チーズケーキ、クッキーやマフィン、りんご飴、トマト飴!、チャーハンやホットサンドにおでんどれもとっても美味しくて、ステージのパフォーマンスも子どもと大人の区別なく楽しんで、皆が笑顔の素敵なあたたかーいお祭りでした♡自分の得意なことでお客さんに喜んで貰うこと、お代を頂くということ。リアルで貴重な体験。子どもたちの顔がイキイキしてとっても...かさこそ森の詩人たち【森へ行く道<126>】
「かさこそ森」の広場で、一日中、音楽が鳴り、踊りの輪が出来ていた。少年・少女たちが自分たちで企画し、立ち上げて、実行した健やかなまつり。それぞれに課題を抱えた子たちだが、皆、個性豊かで元気いっぱいの面々だ。お菓子の店や珈琲ショップ、チャーハンの店、パン屋さんなどを訪ね歩くのも楽しい。秋空はあくまでも高く、風があたたかい。「まつり」とは「神さま」に近づく遊戯。そこから変異して、成長してゆく「なかま」ができる。ここに最も小さな「社会」が形成される。大人たちがつくる社会や学校という規則づくめの社会システムよりも、ここで学び、立ち上がるオリジナリティーのほうが、力づよく健全だと、広場を歩きながら、私は思う。*画像は当日参加の皆さんのフェィスブックから。「アオハル祭」の一日【森へ行く道<125>】
「友愛の森」に通い、育った少年・少女たちが、自分たちで考え、立ち上げた青春の祭り。それに先立ち、一日、皆が集まって薪割りをしてくれた。この祭りで使うための焚き木の準備を兼ねているが、私・高見が屋根から落ちて足を骨折し、まだ過激な活動は出来ないため、冬場の薪ストーブの焚き木を準備しておいてやろう、という発案らしい。放っておくと、この爺イは足を引きずりながら一人で薪割りを始めかねない、という心配も混じっているようだ。昔、放浪の俳人・山頭火は、九州漂泊の旅の途次、大分県湯布院町湯平温泉にたどり着き、木賃宿に投宿し、宿の前の川で旅の衣を洗濯して川原の石の上に干して散歩に出た。折から、時雨(しぐれ)が来た。慌てて戻ってみると、その宿の娘さんが洗濯物を取り込み、きれいに畳んでくれていた。しぐるるや人の情けに涙ぐむとい...「アオハル祭」という青春【森へ行く道<124>】
神楽の季節がやってきた【2023-2024MIYAZAKI神楽紀行/神楽を描くアートプロジェクト「神楽を伝える村へ」】ご案内
【2023-2024MIYAZAKI神楽紀行/神楽を描くアートプロジェクト「神楽を伝える村へ」】スケジュール11月になりました。9月から3ヶ月にわたり、由布院、日田、南阿蘇、高千穂・秋元、宮崎・西都の五会場に福岡市「AFAFアートフェア・アジア・フクオカ2023」(3日間)、東京・浅草「アートスペース繭」(6日間)の二会場を加えて開催された、第一期の【「神楽を伝える村へ/高見乾司:MIYAZAKI神楽画帖展」】が好評のうちに終了し、第二期【2023-2024MIYAZAKI神楽紀行/神楽を描くアートプロジェクト「神楽を伝える村へ」】が始まります。この企画は、毎年、宮崎県内に200座以上を伝える神楽の伝承地を訪ね、絵を描き続けてきた高見乾司に同行し、絵を描く、取材する、写真や動画を撮影する、村人と交流する、...神楽の季節がやってきた【2023-2024MIYAZAKI神楽紀行/神楽を描くアートプロジェクト「神楽を伝える村へ」】ご案内
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*本文は作業中。「展示」という変異空間【第四期:空想の森アートコレクティブ企画<´25-31>】熱量の基底―描きまくり三世の仕事/田代国浩展⑦
静かな画家である。寡黙というのではない。語り始めると、一晩中でも話題が尽きることはない。それは、いまから40年も前に、第一期の由布院空想の森美術館に彼が200枚とか400枚というデッサンを持ち込み、二人で語り合った体験があるから、私にはわかっている。けれども、誰かと話す時でも彼はメモ帳か小さなスケッチブックを持ち、絶えずペンを走らせ続けているから、初めて対面した人などは、この人は気難しい人に違いない、とか、沈黙の画家である、“描きまくり三世”、などと形容するのである。上掲は画集「WORKSOFKUNIHIROTASIRO」(森と目黒者/2020)の一ページ目の写真。これをみれば、画家・田代国浩は孤独な人ではなく、街へ出たり、子供たちと一緒に描いたり、アトリエを開放した絵画教室で仲間たちと描く日常があったり...手練の技【第四期:空想の森アートコレクティブ企画<´25-30>】熱量の基底―描きまくり三世の仕事/田代国浩展⑥
田代国浩展の展示作品には題名が付いていない。それについては、作者の明確な意図がある。画集「WORKSOFKUNIHIROTASIRO」(森と目黒者/2020)から転載しよう。☆普段作品にタイトルはつけない。名付けると「遠くへ行く」ような気がするから。どうしても付ける必要がある場合は曖昧にしておく。作品1とかUntirledAとかIntrospection2020とか。ただ、名付けることで「近くへ来る」こともあるのかなとも思うようになった。これらはその試み。その数点を抽出してみよう。☆作品とタイトルが一致して、「詩」が生まれている。作品とタイトルを切り離してみると、一行詩のようである。別の作品と組み合わせることもできる。・その赤がこの絵を台無しにしている・銅の元は声、銀の元はささやき、金の元は無音・姉は空に...題名のない絵とは【第四期:空想の森アートコレクティブ企画<´25-29>】熱量の基底―描きまくり三世の仕事/田代国浩展⑤
田代国浩展の展示を終え、久住・阿蘇・高千穂の草原を走り抜けて帰って来た。緑一色の草っぱらが風になびき、時折、霧が湧いた。霧は、峠を越える時には雨となった。無色の風景のただ中に、無数の線が走り、色と色、色と線とが交錯して奏でる音楽が交響した。田代国浩作品の残像が、広大な自然の中で躍動しているのであった。本人の「ことば」を画集の中から転載しておこう。☆テーマを決めてから描き始めることはまずない。エスエスキースをつくることもまれである。たいていはそういったことなしにキャンバスに向かう。もちろん私の脳が指令を出しているわけだから、何かしら考えてはいるのだろう。だが画面構成等、ああしようこうしようと思わないことの方が多い。置いてみたい絵の具を筆につけた瞬間に始まり、手の勝手な動きに身を任せて描いているうちに、絵は「...線が走り色彩が歌う【第四期:空想の森アートコレクティブ企画<´25-28>】熱量の基底―描きまくり三世の仕事/田代国浩展④
【“描きまくり三世”の熱量】田代君がそれらの偉大な先人たちの作風や人生観に影響されたり、追いかけたりしているわけではない。それは彼の一貫した作風と地域の子ども達や仲間と楽しく遊び、描く生活を続けてきたことでもわかる。彼は、人と会う時でもいつも手帳とペンを持ち、何かを描き続けているという。それが“描きまくり三世”という呼称を冠せられる由縁であろう。では描きまくり一世と二世は誰とだれであるか、という問いは棚上げするとして、今春、開催された福岡アジア美術館での個展では、なんと、大作・デッサン・オブジェや書など、1万点あまりの作品が展示されていた。ここにも“描きまくり三世”の面目躍如たる世界が開陳され、その膨大な作品群からは、「筑豊」の熱い地下水脈に熱せられた強烈なエネルギーが奔っていたのである。由布院空想の森美...熱量の基底―描きまくり三世の仕事/田代国浩展③【第四期:空想の森アートコレクティブ企画<´25-27>】:始まりました。
田代国浩展/展示進行中です。その様子は追ってお知らせします。描きまくり三世の仕事/<明日から>田代国浩展②【第四期:空想の森アートコレクティブ企画<´25-26>】
本日、由布院へ、出発。梅雨晴れの山野を駆けて行こう。今日(19日・夕方着)、明日(20日)、明後日(21日・午後4時頃まで)空想の森美術館にいます。明日まで武石憲太郎さんの展示があり、夕方・田代国浩氏の作品が届いて展示替えをします。お近くの方、お立ち寄りください。本日、由布院へ/由布院空想の森美術館の二日間【空想の森から<203>】
草木染めいろいろ。コロナ過以前、全力でやっていたころの仕事です。「草木染め」は、植物のことを知り、自然界から「色」をいただくこと。ここからアートへの展開、室内装飾への応用など、まだまだ多様な可能性があるのだが、ちょっと勢いを無くしている感があります。当方の老化と怪我続きなどの要因、各地で同様の趣旨のワークショップが増えてきたことなどがありますが、本格的な染色アーティストや職人が育つところまではきていない。もうひと踏ん張りしなくては。要望があれば各地へ出かけてのワークショップも可能です。お問い合わせ下さい。草木染めいろいろ【空想の森の草木染め<110>】
万緑の由布院。朝、珈琲を淹れていると、峨眉鳥が歌い、ウグイスの声も聞こえてきます。カッコウが鳴き、由布岳の山頂付近をミヤマキリシマが淡紅色に染めているのが見えます。朝食の残りを木立の下に捨てに行くと、正面の森の高い六本杉のてっぺんで見張っていたカラスがやってきます。巣作りから子育てへの彼らの繁忙期が始まっているのです。武石憲太郎さんの由布院空想の森美術館での個展も20日までとなり、その後は宮崎の「友愛の森ギャラリー響界」へと巡回します。自作が行方不明になるという不運なアクシデントに遭い、落ち込んでいた憲太郎さんに笑顔が戻りました。懐かしい由布院で、古い仲間たちと会い、錯綜していた紛失作品についての情報も少しずつ整理されてきて、元気を回復しつつあるのです。次は、宮崎へ来ていただきましょう。まだ、現役作家とし...湯布院での展示は20日まで/武石憲太郎展[第三期:空想の森アートコレクティブ展/春の森で見た夢は<VOL:18>]
由布院空想の森美術館6月22日~7月30日(金曜・土用・日曜開館)大分県由布市湯布院町川北1358*ご予約いただけば随時開館できます。 友愛の森ギャラリー響界8月22日~9月20日宮崎県西都市穂北5248 小鹿田焼ミュージアム溪聲館9月1日~11月10日大分県日田市源栄町4830-3「筑豊」を拠点に旺盛な創作活動を続ける画家・田代国浩氏の個展が40年余りの交流を続けてきた三施設で実現しました。“描きまくり三世”の異名を持つ田代氏は、地域の仲間や子供たちと、自由で楽しい絵画制作の場を共有してきました。筑豊は、修験道の霊峰として栄えた英彦山を控え、古代の銅と鉄を有した文化の道が交差し、近代では炭鉱で栄えました。その文化風土から、多くの作家が輩出したのです。いつも手にノートとペンを持ち、人と会う時でも描き続けて...<予告>田代国浩展/描きまくり三世の仕事[空想の森アートコレクティブ企画]
由布院から「クララ」を採集して帰ります。由布院・九重・阿蘇などの草原に自生する植物です。2018年に再開した「由布院空想の森美術館」の敷地に自生していたものが増え続けています。それを少しだけ頂き、さらに久住・阿蘇の草原で採集して宮崎へ。森の空想ミュージアムの前の広場にも群生があります。これらを森の空想ミュージアムの中庭のかまどで焚き火をして、染めます。クララは草原の植物で、その根を噛むとくらくらとめまいがするというほど苦いことから、その名が付いたといいます。高原地帯の日当たりの良い草原などに自生します。高さ50-150cm。草原の中では丈高く、目立つ草です。全草有毒であり、根の部分が特に毒性が強いが、疥癬の治療薬、解毒・殺虫などの薬効もあります。ルピナンアルカロイドのマトリンが薬効の元といいますが、...夏色の風/夏の草原に自生する「クララ」で黄色と鶯色を染めるワークショップ【空想の森の草木染め】
[甲斐の国のヤマメに会ったこと]*2015年の記事をそのまま再掲。 甲府市武田神社に奉納された「山梨岡神社代々神楽」が終わった後、甲斐の国のヤマメに会いに行った。甲府盆地には、扇の要に向かうように三つの大きな川が流れ下っている。甲斐駒ケ岳の西側を廻って、盆地の西北端を流れる釜無川。昇仙峡と呼ばれる奇岩累々たる峡谷から流れ出て、甲府市の西郊を貫く荒川(東京都内を流れる荒川とは別)、大菩薩嶺を源流とし、盆地の東側を流れる笛吹川。この三本の川が合流し、富士川となって駿河湾へと注ぐのである。笛吹川には、渓流釣りをこよなく愛した文士・井伏鱒二が訪れている。俳人・飯田龍太の故郷でもあり、龍太は終生、笛吹川の流域を句作と釣りの拠点とした。甲斐の国を訪ねるならば、この笛吹川の畔に立ち、ヤマメまたはイワナの魚影を追ってみ...眼で釣る【九州脊梁山地ヤマメ幻釣譚<25ー13>】
「仙人の釣り」に関して私は12年前(2013)に一度書いている。まだそのころは60歳代で、仙人を云々するような年齢ではなく、いまよりも元気だったのだが、心意・釣りの心がけとしてはおよそこのようなものであったという事を確認するために、再掲しておこう。 [仙人の釣り方〕(2013年の記事を加筆・再編集)私は、他人に釣りを教えるほど上手な釣り師ではないと思う。しかしながら、教え方は上手なほうかもしれないと思う。私よりも釣果を上げる釣り手が、仲間のうちだけでも二人いる。だから、自分は名人づらをしないほうがいいとも思っているのだが、私が教えると、小学三年の女の子でもヤマメを釣り上げることがあるし、高齢のご夫婦が、ずぶの素人から3年ほどで立派な釣り手になった。リョウ(鈴木遼太朗君)は、小学五年から仕込んだから、高校生...仙人の釣り方【九州脊梁山地ヤマメ幻釣譚<25ー12>】
耳川の源流部に入る。通常、入渓地点を明らかにすることはないが、耳川は九州最大級の大河で、支流は数え切れぬほどあり、その支流のまた枝川が分かれて深い山脈の源流部へとつづいているから、単に耳川と言っただけでは、よほど馴れた人でもどの谷かはわからないだろう。上掲がその支流のまた支流の一つだが、3日前の雨で増水しており、入渓は困難。さらに上流を目指す。古い橋がある。コンクリートの経年変化をみれば、すでに100年近い年月が経過していることがわかる。ここから先は、路肩崩壊地点で通行不能。岸辺に車を停めて、途中で買ってきた弁当を食べる。地元の食材を使ったシンプルで美味しい杣人弁当である。同行の超名人・渓声君は、谷へと降りてゆく。私は今日は釣らない。水辺にも立たない。リウマチ性の神経痛が治るまで、無理は禁物である。普段、...仙人の釣りとは【九州脊梁山地ヤマメ幻釣譚<25ー11>】
釣行二日目。だが、私は、釣らない。前日、少しだけ沢を歩き、まだ回復が十分でないこと、時間をかければ治ることなどの見極めがついたから、今回は自重したのである。渓声君は、身支度を整え、渓谷へと下っていった。木立の向こうに清々と流れる渓流が見える。絶好の釣り日和である。釣果を期待しておこう。沢沿いの道を歩くと、朽ちた巨樹の根方に横倒しになった空洞の巨木があり、その周りにミツバチが群れ飛んでいた。標高500メートル以上の森にだけ棲むという日本蜜蜂である。里で見かけるミツバチよりやや小ぶりである。古い巣箱が倒れて放置されたままになっているが、ここで育った蜂たちが、その古巣を忘れずに周囲の朽木か岩場を棲み処にしているのだろう。崖の上段は深い森である。その崖を形成する岩の割れれ目から流れ落ちる水を汲み取り、車を停めてあ...山中のスピリチュアル空間で過ごすひととき【九州脊梁山地・薬草仙人の森へ<4>】
*本文は作業中。青葉ヤマメのアヒージョと洒落てみた【九州脊梁山地ヤマメ幻釣譚<25ー10>】
薬草仙人の山旅/二泊三日の山旅から帰って来ました。詳細は明日報告。【「薬草仙人」の森へ<3>】
神道哲学者・鎌田東二さんがお亡くなりになりました。享年74歳。初期の著作「神界のフィールドワーク」や「翁童論」は時代の扉を開く独創的な仕事として知られています。「国学」から「近代霊学」への橋渡しをしたほぼ唯一の人、すなわち現世(うつつよ)と神界の境界にいて、両界を繋ぐ人だったと言えるでしょう。私は「猿田彦大神フォーラム」でご縁をいただき、第一期の「由布院空想の森美術館」が閉館の危機に直面した時には、「空想の森を湯布院に残そう」という呼びかけをしていただき、たちまち1000人の支援者が集まる、現代のクラウドファンディングの先触れのような企画をしてくださいました。その後同館は閉館になり、2018年に再開。2022年に阿蘇にお出でになった時に私は駆け付けて、当時のお礼や神楽の里に通い続けている日常などを報告し、...訃報/現世と神界を結ぶ人・鎌田東二さんさようなら【空想の森から<202>】
今朝は、選択しておいた毛布とシーツを、森の木から軒下へかけ渡していた物干しのロープに、――よいしょ、と投げ上げて、乾した。良い天気である。午後、脚立に上って、熟れ始めた枇杷の実を採ろう。1ヶ月ほどいていた肩・胸(大胸筋)・二の腕・太腿の付け根、膝の周りなどの痛みが軽減している。よちよちと爺様歩きになっていた足も復旧。回復期に入ったのだ。「リウマチ性多発筋痛症」という神経痛の発症を確認し、薬草と治療薬、テルミー(温灸の進化系)などの処置が適切だったということだろう。――これならば、釣りに行けるかもしれない。と、いつもの楽天的観測が生じ始めている。だが、油断してはいけない。慎重に、時間をかけて身体に休養を与え、治して行くことをこれからの課題としよう。☆毎日飲んでいる「野草茶」は、次の8種の薬草をブレンドしたも...痛み軽減、快方へ向かった朝/イタドリ(虎杖)は「痛み取り」②【「薬草仙人」の森へ<2>】
*本文は作業中。イタドリは「痛み取り」【仙人の森へ<1>】
6月23日、カワトモ君と二人で大分・日田を由布院へ行く旅に出た。宮崎市の自宅から電車で来たカワトモを高鍋駅で迎え、一路北へ。都農から広域農道尾鈴グリーンロードに入り、耳川を越える。雨は降っていなかったが、川は増水し、濁っていた。上流部の諸塚・椎葉の山脈に降雨があったのだろう。角川インターで東九州道に乗り、高千穂方面へ右折。高千穂の中心部から高森方面へ右折し、途中の無人販売所で野菜を買う。地元の人が自分の畑から採れた野菜を置いているなじみの寄り道。波野、産山を通り過ぎて九州横断道路に出る。ここを右折し由布院へと向かう。日田地方が豪雨のため、この日の予定を変更した。標高1330メートルの九州最高峰の牧ノ戸峠は深い霧雨の中。風も強く、九重連山は見えなかった。由布院空想の森美術館に到着。カワトモ君は見るものすべて...カワトモ君と由布院へ/作家・夢枕獏氏の取材を受けました【空想の森から<178>】
宮崎市生目神社の「神武」演目をカムヤマトイワレヒコの国造りの様子と読む解くことは可能と思われるが、では、その演目はいつから神楽の中に存在していたのか、神楽そのものの起源がいつの時代なのかは、不明である。しかしながら、同神社には、掲示の神面二点が伝わっており、下記のような墨書があることが確認されている。『1、寶治2年銘の面は、1248年(鎌倉時代)の作であり、縦51.2cm、横31.1cmの大きさで、裏側に「土持右衛門尉田部通綱寶治二年五月日」の墨書があり、現在確認されている有銘仮面の中では県内最古である。2、天文五年銘の面は、1536年(室町時代)の作であり、縦62.1㎝、横44㎝の大きさであり、「生目八幡宮奉寄進大台面・・・・」とあり、生目神社に寄進した面であることが窺える。』この二面は、南九州に多くみ...宮崎の神武伝承と神楽の「“神武”演目」を読み解く*補足資料【神楽を伝える村へ/宮崎神楽紀行2024-9】
宮崎平野部から日南海岸へかけて分布する神武伝承と神楽の「“神武”演目」【神楽を伝える村へ/宮崎神楽紀行2024-8】
昨日は一日、からりと晴れた好天だったが、今日は朝から強い雨がふっている。災害を引き起こすような豪雨では困るが、梅雨どきの山や森や渓谷、里の田畑を潤すような雨ならば、それも自然界の摂理と観念し、静かに一日を過ごす。森に降る雨を眺めながら、冬の間に描いた神楽の絵を仕上げる。雨の中に神楽の景色が滲む。文人画に「胸中山水」という境地がある。書を読み、旅を続けて賢人を訪ね、画技の修練を重ねて練達の域に至り、画室にいながら旅先の山や渓谷や村里の風景が胸に浮かび、絵筆が動くという究極の領域である。*続きは作業中。 胸中の神楽を旅する【神楽を伝える村へ/宮崎神楽紀行2024-7】
先日、開催中の「友愛の森空想ギャラリー」へ向かう途中の出来事。茶臼原の道路を走行中、目の前で鳥が翼をバタつかせて動かなくなった。「車にぶつかったのかな。後続の車に轢かれるから道の端に寄せておこうか」と運転していた高見乾司さん。しかし、次の言葉に私と同乗していたフルートのK先生は即答した。「立派な雄のキジ。今夜はキジ鍋にしようか。キジは美味いよ」「食べましょう。ちゃんと食べてあげよう」ところが、その時、道路の向こうに雄を探し回っている様子の雌のキジの姿。「つがいの雌がいたか。このまま雄を連れ去ったら雌はずっと探すな。残念だけどキジ鍋は無し」高見さんは雄のキジを畑の隅に置き私達は教会ギャラリーを目指しました。6月の梅雨の晴れ間の出来事でした。「焼野の雉(きぎす)」とは、雉(キジ)が自分の巣がある野が焼けだすと...【南国の赤/水元博子展<3>】
*本文は作業中。梟谷の六月【九州脊梁山地ヤマメ幻釣譚<24ー9>】
ひさしぶりにからりと晴れた好天。「森の空想ミュージアム」の仲間・黒木彰子さんと「天の糸・森の色」の仲間たちの作品も出品されています。黒木彰子さんが三日間、会場につめています。お出かけ下さい。「つくりびとのカタチ」展宮崎県三股町武道体育館にて
画家は、若いころに情熱と才能のすべてを燃焼し尽くし、作品も、作家自身も消失する例と、晩年に至り、精進と修練の果てに幽玄の境地にまで達し、すぐれた作品を残す作家とに大別されるという。私は高校3年の夏に大分県日田市から福岡県久留米市までのおよそ50キロの道を自転車で4時間をかけて走りとおし、青木繁と坂本繁次郎の作品を見た経験がある。教科書にも載っている「海の幸」を実際に見た時の感動は今も忘れない。そして、坂本繁二郎の晩年の「月」もまた心に沁みる名作であった。この二例こそ、画家の素質と画業をあざやかに物語るものである。以後、私は旅も、勉強も努力も重ねてきたつもりだが、この二人の域に近づく作品を生み出し得ていない。天才と凡才というふうに単純に分けられるものではないと思うが、悩ましい命題である。別の角度でみてみよう...回帰する位置【南国の赤/水元博子展<2>】
梅雨入りの気象情報が出たけれど、降り続いていた雨が止んだ。自転車に乗って出かけよう。白いボディーの婦人用軽快車だ。ところどころ錆が出ているが、これは元の所有者の使用頻度が少なかったことによるもののようだ。毎年、山歩きや神楽取材に来ていた東京の人が、借りていたアパートを引き払ったため、家財道具一式と一緒に当方に寄付して下さった荷の中に、これがあった。自転車に乗るという行為は何十年ぶりかのことになるが、恐る恐るこぎ出してみると、案外、身体はそのコツを記憶していて、ママチャリとあまり的確とは思えない現代の呼称で呼ばれるその自転車は、颯爽と森の中へ走り出した。なかなかスポーティーでお洒落である。スピードも出る。昔の婦人用自転車は、ただ乗りやすいだけの簡略な構造で、デザインなどを考慮のうちに無かったような気がする。...風を切って緑の森を走り抜けること【森へ行く道<138>】
鎌を持って森へ行く。台所の生ごみを捨て、その上に刈草をかぶせ、さらに焚き火で出た灰をばら撒く。それがこの森の土を肥やし、野草や薬草や染料として利用できる植物、実の生る樹木などを育ててゆく。その生ごみに混じっていた切り屑や種子の中から芽を出すものがあり、なかには育って実を付ける野菜もあるのだ。それで、芽吹いた野菜の周りの草を払い、伸びすぎた木は間引きをして日当たりが良い環境を作ってやるのだ。自然農という農法には、私は抵抗感を持つ人間の一人だが、こうして自然界の中で育ってゆく作物を採集し、食べることができれば、縄文的採集農法と名付けてもいいかと思わぬでもない。上掲は4年前の写真だが、そうして育ったカボチャが、森の中へと蔓を伸ばし、大きな実をぶら下げていた。立派な黒皮カボチャであった。その風景は森になじみ、実は...森の菜園【森へ行く道<137>】
ケイタ君が帰って来た。旅の治療師・落合圭太君は、各地を旅しながら、理学療法士としての仕事をしたり、農家や林業家などで働いたりしながら、一年ほど前、当地へも立ち寄ってくれたのである。そして2ヶ月ほどの間に森のマドゥパンの手伝いをしたり、仲間たちの音楽イベントに参加したり、私と一緒にヤマメ釣りに行ったりした。そして実家のある神奈川県に帰り、そこで畑作りなどをして過ごしているという便りが届いていたのだったが、この春、家財道具など一切をまとめて、本格的にこの地へ移住してきたのである。ちょうど、一件、空家が出ていた時期だったから、そこに住み、我々の仲間として過ごすことになったのは好都合だった。他所の土地の人であり、旅人だったケイタ君が来た時、私たちはなんとなく、――帰って来てくれた。という感覚で迎えた。短期間での滞...ケイタ君の畑【森へ行く道<136>】
以下は、68歳の時(今から7年前)の記事。☆去年買った草刈機が故障。やむなく、大鎌を持ち出して、振り回してみた。すると思いがけないことに、鎌は何の無理もなく草を払い、錆だらけの刃を天空にきらめかせ、まるで腕の延長のごとく藪を刈り進むのである。数年前までは、その大きさと重さが負担となって、振り回すことも出来なかった大鎌である。柄が乾いて軽くなったことと、自分の体調がやや戻ってきたことの二つの要因が考えられる。もともと乾いた樫の枝を削って挿げた柄であるから、極端に軽くなることはあり得ない。後者を採ることにしよう。そのほうが気分がよろしいではないか。今年の夏で68才。年寄りの冷や水などとは言わせない。☆このあと、大胸筋断裂、肩鍵盤損壊、アキレス腱断裂、左足踵の剥離骨折と続けて大怪我をした。つまり、自分の年齢が年...鎌を研ぐ朝
麻てらす3〜タイに響く草の歌〜」上映会のお知らせ日本における麻の第一人者、吉岡敏郎監督がタイから帰国されて直ぐの、最新情報満載の上映会です。2022年、大麻解禁になったタイの人々の変化を半年間、現地に滞在して撮影し続けた吉岡監督、、タイのモン族の暮らしぶりに密着し、飲む・燻すなど薬草の一種として大麻(ヘンプ、マリファナ)を上手く生活に活かす現実を取材し、ドキュメンタリーにまとめた力作です!!=映画解説=昔々、日本人にとってそれは日常の一コマ、そしてなくてはならない大麻でした。戦後私達は生活の一部である麻を奪われてしまいました。麻は、近年になって、その医療効果、有用性や経済性が再認識され、アメリカやヨーロッパの国や州で使用が大幅に緩和されるようになってきました。ただアジアでは、日本を含め、厳格な法律のもと、...「麻てらす-3」古来、神事などに使われてきた「大麻」。現代生活の中に再び生かすことが出来る日がくることを願う人たちの活動です。/当地「コミュニティスペースCsa-Coso森」にて。
五月の山河に大雨を降らせた台風1号と線状降水帯の発生を予報させた雨雲は東へ去り、爽やかに晴れた空が戻った。それでも山や渓谷は嵐の余波を秘め、大川には泥の色に濁り、山道に沿った崖からは大量の雨水が流れ落ち、時折、ざわっ、と森の巨樹がざわめいた。「青嵐」と昔の風流人たちはこのような状況を表現したのだが、まったく、この日はそれに相応しい山と森と渓谷の状況であった。馴染みの支流に分け入ると、水流は多く、流れも急だったが、濁りは少なく、岸辺なら歩けそうに見えた。――行くか・・・?とカワトモに声をかけると――行きますっ!!と威勢の良い返事が返ってきた。私どもの森へ通ってきたわずか2年の間に体格も立派になり、逞しさを加えてきた彼だが、学校へ行けばまだ中学三年生であり、年齢は14歳の少年である。不登校という冠称をコンプレ...青嵐の谿/極上のヤマメ料理を一品【九州脊梁山地ヤマメ幻釣譚<24ー8>】
台風と大雨を運んできた雨雲は東へ去り、爽やかな青空が広がっています。「糸好き」の仲間たちが集まって、今日は「山繭」から糸を紡ぎ出すワークショップ。明日は草木染め。見学・飛び入り参加(少人数に限ります)も可です。 山繭<天蚕>から糸を紡ぐ&森の草木染め(クララで黄色、大瑠璃草で灰青紫色を染める)ワークショップ東京を中心に「染・紡・織」をテーマに染色作家活動をしておられる西方京子さんが、5月28日、29日、30日の予定でお出でになります。「天の糸・森の色/横田康子と仲間たち」の仕事にふれる研修の旅です。これに合わせ下記のワークショップを企画しました。少人数による実技の会です。 ◇2日目(5月29日)「山繭(天蚕)」と呼ばれる天然の繭から糸を紡ぎ出し、糸づくりをします。40年ほど前に大分県九重山系の村に伝わっ...山繭<天蚕>から糸を紡ぐ&森の草木染め(クララで黄色、大瑠璃草で灰青紫色を染める)ワークショップ
釣友・渓声君を案内して、耳川の源流部を探訪することとなった。渓声君は、3ヶ月ほど前に骨折し、右足の脛から踵へかけてプレートが入り、ボルト6本で止めてあるという重傷だが、ゆっくりとなら歩けるほどに回復しているという。現代医学の進歩は想像をはるかに超えるレベルである。私は昨年の9月に屋根から落ちて左足の踵を剥離骨折し、一応病院へと行ったが、患部を固定する補助具をつけただけでほぼ自力で治した。長時間歩くと痛みが出ることもある、平地ではやや足を引きずり加減に歩くが、――谷を歩いている時は普通の状態に見えますよ。と同行の仲間が言うほどに回復している。行ってみようではないか。*続きは作業中。秘境の村の五月/骨折老人二人が行く【九州脊梁山地ヤマメ幻釣譚<24ー7>】
*本文は作業中。壁・アート・補修【風と森のアート´24-3】
南国の赤/水元博子展会場友愛の森空想ギャラリー宮崎県西都市穂北茶臼原5248(石井記念友愛社敷地内)会期2024年5月10日―6月10日AM10:00-PM3:00宮崎の「新芸術集団フラクタス」に所属し、発表を続けた中堅作家・水元博子。この画家の「赤」を見るとき、南国の生命力に満ちた空と大地、「いのち」の輝きと鼓動を思う。「フラクタル」とは混沌の中にきらめく光の断片という物理用語で宮崎出身の前衛美術家・瑛九の系譜に連なるグループ(現在は休止中)。瑛九が結成した「デモクラート美術協会」は戦後日本の前衛美術運動の先駆的グループで、実力作家を輩出して解散したが、それから半世紀を経て「現代アート」の源流的位置づけとして再評価されている。時は廻り、南の大地に根を張り、描き続けている作家たちには、それぞれの課題や試練...始まりました。【南国の赤/水元博子展】
*本文は作業中。万緑の谿で青葉ヤマメに会う【九州脊梁山地ヤマメ幻釣譚<24ー6>】
山繭<天蚕>から糸を紡ぐ&森の草木染め(クララで黄色、大瑠璃草で灰青紫色を染める)ワークショップ東京を中心に「染・紡・織」をテーマに染色作家活動をしておられる西方京子さんが、5月28日、29日、30日の予定でお出でになります。「天の糸・森の色/横田康子と仲間たち」の仕事にふれる研修の旅です。これに合わせ下記のワークショップを企画しました。少人数による実技の会です。◇1日目(28日)は石井記念友愛社と周辺施設の見学、森の散歩。参加費無料。◇2日目(5月9日)山繭(天蚕)と呼ばれる天然の繭から糸を紡ぎ出し、糸づくりをします。横田が、40年ほど前に大分県九重山系の村に伝わっていた「ズリ出し」と呼ばれる技法を受け継ぎ、伝えてきました。同地の玖珠神楽の神楽歌に天照大神が口に含んだ繭から糸を紡ぎ出す、というシーンがあ...インフォメーション/山繭<天蚕>から糸を紡ぐ&森の草木染め(クララで黄色、大瑠璃草で灰青紫色を染める)ワークショップ