*本文は作業中。 一枚の絵に逢いに行く/海老原喜之助・ポアソニエール【空想の森から<205>】
本日、「藍の生葉染め」ワークショップ [空想の森の草木染め<105]
藍の種を播き、藍草が芽を出し、その苗を山の畑に移植して育て、藍染めをするワークショップ。1年半に及ぶこのワークショップは、やっと半ばにたどり着いたところ。ここまでに何人もの参加者・スタッフが畑に通い、草取りや施肥、土の整備などを行ない、藍草が根付いて育ち始めている。ただ、もともとが田んぼとして使われていた土地なので、土が粘土質で藍草にとっての栄養素が足りず、梅雨時の雨も少なかったので、藍草の成長も遅かった。それでも手入れをしただけの答えは出始めて、やっと藍草が育ち始めているのである。「藍の生葉染め」とは、この時期の藍草の葉を間引きを兼ねて一部刈り取り、それで直接染める染色技法。「すくも」を建てて染める本藍染眼のような深い藍色は出ないが、「浅黄色」という梅雨明けの空のような鮮烈な青が染まる。*続きと写真は作...本日、「藍の生葉染め」ワークショップ[空想の森の草木染め<105]
ワークショップ/みんなでつくる「かさこそ森」交流スペース【「かさこそ森交流館」の開設】☆「石井記念友愛社」の敷地の中にある「旧・のゆり保育園」の旧園舎を再利用して保育関係者や地域住民、アーティテストたちなどの交流スペースとする「かさこそ森交流館」が開設されます。正式のオープンは8月20日を予定していますが、それまでに片付けや館内のコーディネートなどをワークショップ形式で行ない、その過程を公開しながら進めてゆくインスタレーションの手法で実施します。現在までに、交流スペース機能と併せて「かさこそ森カフェ」「かさこそ森ショップ」「かさこそ森のパン屋さん」などの企画が進行しています。その第一回ワークショップのご案内です。「かさこそ森交流館」第一回ワークショップ【みんなでつくる「かさこそ森」交流スペース】旧・のゆり...かさこそ森のプロジェクト/いよいよ明日から始動です。
本日より三日間、渓谷に入る。釣友渓声君との二人連れである。宿は、諸塚村「渓流の里」というログハウス式一戸建のコテージしか確保できなかったのでそこを拠点にするが、どの谷に入るかはまだ決めていない。この時期、夏休みの家族連れがどっと水辺に繰り出し、どこも大賑わいだろう。「渓流の里」というネーミングの通り、宿の前を良い渓が流れているが、ここもすでに釣り堀化していることだろう。よって、秘密の谷に入るのである。半端な覚悟では踏み込めないような険しい峪。藪を分け、蜘蛛の巣を払い、釣り進む源流への遡行。真夏のヤマメ釣りの極地である。ヘミングウェイか、アイザック・ウォルトンだったか、それとも他の作家だったか思い出せないが、「穴場」という釣りの名作があり、親友同士が互いの釣り場を秘密にし合い、果ては決闘に及ぶ、というような...穴場は教えない[九州脊梁山地:ヤマメ幻釣譚<124〉]
初心の釣り、真夏の一日[九州脊梁山地:ヤマメ幻釣譚<123〉]
*本文は作業中。初心の釣り、真夏の一日[九州脊梁山地:ヤマメ幻釣譚<123〉]
「尺やまめ」という美称は、30㌢を越えたヤマメにだけ与えられる。29、5㌢や29,7㌢のものは、これまでに私は何度も釣っているが、これは正確には「尺物」とは言わない。たとえ0、5㍉、わずか0、3㍉欠けても、その資格を満たさないのである。もちろん、審査などは無いに決まっている。それは釣り師の心の中にある尺度なのである。いちいち測ってみなくても、鉤に掛けた時の手ごたえ、水面に上がって来た時の風格、手網に取り込んだ時の重量などで、おおよそわかる。――これは尺には満たないな・・・とか――おっ、こいつは尺越えだな。という感触である。そもそも29㌢程度のヤマメなら、ごぼう抜きに一気に抜き上げることさえできるのである。だが、尺物となると違う。掛かった瞬間、ぎらり、と水底で光るヤツがいる。ごつんときた手ごたえのまま、水中...逃げた魚[九州脊梁山地:ヤマメ幻釣譚<122〉]
「尺やまめ」のフィロソフィー[九州脊梁山地:ヤマメ幻釣譚<121〉]
「尺やまめ」とは、釣魚としてのヤマメ・アマゴ群の中でも超大物たる30センチ越えの個体に対して捧げられる美称である。尊称と言ってもいいだろう。なにしろ数が少ない。10年に一度、出会うか出会わないか、という確率である。ただし、ルアー釣りでは比較的簡単に釣り上げられている。それはわれわれ古式の渓流釣りを愛好する者たちにとっては異端というか、領域外というか、昔の釣人にいわせれば――毛唐の釣りである。となる。*現代においてはこのケトーという言葉は禁句だが、昔の人が言ったことだからここに採録させていただく。つまり、大雑把なのである。ヨーロッパアルプスを源流とし、森や牧草地の中をゆったりと流れる大河川で発達した釣りと細流に分け入って釣る日本の渓流釣りとは仕掛けも釣法も異なるのである。いつだったか、25センチほどのヤマメ...「尺やまめ」のフィロソフィー[九州脊梁山地:ヤマメ幻釣譚<121〉]
俺たちの森においで。渓流を遡り、ヤマメを釣り、料理をして食べるワークショップ【高見乾司の山人<やまびと>塾(第一回)】追加企画のお知らせ
森にはコロナウィルスはいないよ。俺たちの森においで。と、夏休みの子どもたちに呼びかけている。大都市の大ぜい人の集まる所と、田舎の森や渓谷などにはそもそも人間はいないのだから、コロナウィルスは発生しないし、伝染もしない。蔓延などもあり得ない。だから、「持ち込まないこと」を厳重に守ってさえくれれば、夏の森ほど安全で快適で爽快に過ごせる場所はないのだ。というわけで、「渓流を遡り、ヤマメを釣り、料理をして食べるワークショップ」にスケジュールを追加します。申し込みが少しずつ、こちらが恐縮するほど恐る恐る届いているから、それに答と思うのです。くれぐれもコロナ対策万全にてご参加下さい。参加の方法は、打ち合わせをしながら決めていきましょう。 リクエストの多いヤマメ釣り入門ワークショップを開催します。山の村で生まれ育ち、山...俺たちの森においで。渓流を遡り、ヤマメを釣り、料理をして食べるワークショップ【高見乾司の山人<やまびと>塾(第一回)】追加企画のお知らせ
渓流を遡り、ヤマメを釣り、料理をして食べる一日【高見乾司の山人<やまびと>塾(第一回)】のお知らせ
リクエストの多いヤマメ釣り入門ワークショップを開催します。山の村で生まれ育ち、山で暮らし、山深い村の神楽を訪ねたり、渓流釣りや薬草採り、草木染めなど、山の暮らしと文化を熟知する「山人(やまびと)」高見乾司がご案内します。九州脊梁山地の奥深く分け入る旅です。 第一回目は日向市東郷町「道の駅とうごう」に集合し現地へ向かいます。どの水系に入るかは当日の天候水の状況を見て判断します。人家が点在し、道路沿いに渓谷が展開している上流部の比較的安全な渓谷を目指します。 【実施要項】◇7月29日(金曜)、10時に「道の駅とうごう」に集合し、現地へ。現地でミーティングの後、渓流へ。当日、遊漁券を各自購入してください。靴は足裏にフェルトの付いた沢歩き用のシューズ(釣具屋に時々売っている昔風の「川足袋」が一番良いです)を必...渓流を遡り、ヤマメを釣り、料理をして食べる一日【高見乾司の山人<やまびと>塾(第一回)】のお知らせ
かさこそ森の物語【「かさこそ森交流館」の開設へ向けて<2>】
石井記念友愛社の敷地内にあった「旧・のゆり保育園」に隣接して「かさこそ森」という小さな森がありました。その時のことを書いた文に少し加筆して再録しておきます。☆[2010年2月/かさこそ森美術館]「石井記念友愛社」の敷地内に「のゆり保育園」があります。そののゆり保育園に隣接して、小さな森があります。「かさこそ森」と名付けられたその森は、以前は大きな杉の木の森で、杉の木のてっぺんにはカラスが止まり、のゆり保育園とその前の「こそかさ広場」を駆け回る子どもたちや園の庭で時々あくびをしているネネちゃんとミミちゃんという二匹のひつじの様子などを眺めては、「カア」と鳴いていたのです。子どもたちは、杉の木が作る暗い森をそっと覗いてみたり、こわごわと出入りしたりして遊んでいました。ところが、ある日、かさこそ森の杉の木の多く...かさこそ森の物語【「かさこそ森交流館」の開設へ向けて<2>】
ワークショップ/みんなでつくる「かさこそ森」交流スペース【「かさこそ森交流館」(旧・のゆり保育園)の開設】
「石井記念友愛社」の敷地の中にある「旧・のゆり保育園」の旧園舎を再利用して保育関係者や地域住民、アーティテストたちなどの交流スペースとする「かさこそ森交流館」が開設されます。正式のオープンは8月20日を予定していますが、それまでに片付けや館内のコーディネートなどをワークショップ形式で行ない、その過程を公開しながら進めてゆくインスタレーションの手法で実施します。現在までに、「かさこそ森カフェ」「かさこそ森ショップ」「かさこそ森のパン屋さん」などの企画が進行しています。その第一回ワークショップのご案内です。「かさこそ森交流館」第一回ワークショップ【みんなでつくる「かさこそ森」交流スペース】旧・のゆり保育園の園舎を片付け、本棚、椅子、テーブルなどを作り、配置します。いずれもARTの手法で行ないます。アーティスト...ワークショップ/みんなでつくる「かさこそ森」交流スペース【「かさこそ森交流館」(旧・のゆり保育園)の開設】
永訣の峪―尺やまめ憂愁[九州脊梁山地:ヤマメ幻釣譚<120〉]
*本文は作業中です。永訣の峪―尺やまめ憂愁[九州脊梁山地:ヤマメ幻釣譚<120〉]
渓流を遡り、ヤマメを釣り、料理をして食べる一日【高見乾司の山人<やまびと>塾(予告編)】
リクエストの多いヤマメ釣り入門ワークショップを開催します。まず第一回目は予告編として西米良村「小川作小屋村」に集合し、その上流部に入ります。人家が点在し、道路沿いに渓谷が展開している上流部の比較的安全な渓谷を目指します。今回はあくまで練習を兼ねた予告編。渓流釣りは、落石・転落・滑落、蜂の襲撃、マムシとの遭遇など、リスクを伴いますが、その対応法や処置なども伝授しながら進めます。この企画がうまく機能するなら、恒例化する予定です(一日目に釣りをして薬草や染料などを採集し、合宿してヤマメ料理・山菜料理を楽しみ、二日目に本格的な草木染めというテキストを想定しています)。今回の募集は定員3名限定(完全予約制です。お一人での申し込みも可)。現地集合、終了後現地解散です。保険等が必要な方は各自対応してください。当日は釣友...渓流を遡り、ヤマメを釣り、料理をして食べる一日【高見乾司の山人<やまびと>塾(予告編)】
ヤマメの大物(29㌢)が宙を泳いだ/カワトモ君、渓流釣りデビューの日[九州脊梁山地:ヤマメ幻釣譚<119〉]
*本文は作業中。ヤマメの大物(29㌢)が宙を泳いだ/カワトモ君、渓流釣りデビューの日[九州脊梁山地:ヤマメ幻釣譚<119〉]
大瑠璃草&ねむの葉染めワークショップのお知らせ[空想の森の草木染め<104]
◇大瑠璃草&ねむの葉染めワークショップのお知らせ☆先日の大瑠璃草の染色で思いがけなく良い色が得られたので、今度の日曜(7月10日)にもう一度、大瑠璃草の染めにチャレンジします(今季最後の機会)。この日は椿の灰汁(アク)媒染、ミョウバンの先媒染を実験。ねむの木で黄色も染めます(同じ焚き火で別の釜)。合歓の花の咲いている枝ごと、葉も花も一緒に染めます。爽やかな黄色が染まります。あの淡いピンクの花の咲く枝から黄色がいただけるのです。草木染めの醍醐味。ご興味ある方は高見乾司FBのメッセンジャー、またはメールtakamik@tea.ocn.ne.jp高見携帯電話090-5319-4167にお問い合わせください。参加費3000円。素材は当方で準備したものをお買い上げいただき、染めます。Tシャツ・小物などのお持ち込み...大瑠璃草&ねむの葉染めワークショップのお知らせ[空想の森の草木染め<104]
「金茶」変じて「利休鼠」となった [空想の森の草木染め<103]
昨日アップした大瑠璃草染めの写真は、まだ濡れている状態で、ライティングの影響もあって金色がかった茶色が強く出過ぎていた。それで、金毛の狐を連想したのだったが、一夜明け、乾いたものをみると、黄色系の色は薄まって、草色が前面に出て来ていた。写真左端の一枚は、写真では日光が入って少し薄めの色になっているが、紫がかった渋いグレイで「紫鼠」が適当。左から二枚目が現物に近い色で「利休鼠」と判断できる。右二枚は黄色が出過ぎて現物とは違う色になっているのでご注意下さい。利休鼠とは江戸時代に流行した色で、茶人の利休好みのグレイをいう。「緑色がかった灰色」「地味で控えめな色彩であることから、侘びた色として茶道を大成させた利休を連想した」「抹茶のような緑から利休を連想した。」などの解説がある。鉄媒染、銅媒染ともに思いがけない色...「金茶」変じて「利休鼠」となった[空想の森の草木染め<103]
大瑠璃草で金色かがった狐色と渋い紫鼠が染まった[空想の森の草木染め<102]
大瑠璃草で金色かがった狐色と渋い紫鼠が染まった[空想の森の草木染め<102]
友愛の森だより友愛の森は1日森だくさんでも不思議とバタバタ感は一切なく、ゆったりとした時間なのが不思議…きっと参加者の方と笑って、たくさんお話しして、たくさん食べて、植物に触れるから色んな事が満たされるのかもしれません。 【苧麻から糸を作るワークショップ】友愛の森もすっかり夏の空生活学校で苧麻の刈り取りついでに草刈り少年もお手伝いなんと!生活学校の中に竹が生えていました。しかも1本は一回転生命力の強さにビックリ 途中、どんぐりの赤ちゃん苗をたくさん発見草刈り前に救出森の空想に戻って少し散策そして少年またもや草刈り!少年はおばちゃま方のアイドル皆で持ち寄りのご飯食べて苧麻の表皮から繊維を採集、糸績みどんぐり苗の赤ちゃんのお家を作成 最後は藍畑へ~途中、染めに使うオオルリ草を採集 こちらは本日染めます何...友愛の森だより【森へ行く道<112>】
鎌を研ぎ、草を刈る。そして、昼にはそうめんの上につめたく冷やしたトマト、野菜直売所から買ってきた地物のキュウリなどほ細長く切り、庭から採ってきた山椒の葉を散らせて、食べる。これが、夏らしくてよろしい。昨日はエンジン式の草刈り機を昼前にちょっとだけ使ったら、午後は仕事にならなかった。やはり振動工具は若いころに罹った病気(白ろう病・学名は振動障害)の影響で、身体に対する負担が大きい。鎌ならば、翌日は腕や肩の筋肉が太くなったような気分になる。直近4年ほどの間に、大胸筋断裂、肩鍵盤損壊、左アキレス腱断裂という大怪我を連続して体験したが、すべて回復した。その間、体力は少し落ちているような気がするが、全体的には健康体に戻っているようである。現在73歳。人間の躰は不思議な回復力を持っているものだと思う。 以下は7年前...鎌を研ぐ、草を刈る
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*本文は作業中。 一枚の絵に逢いに行く/海老原喜之助・ポアソニエール【空想の森から<205>】
船が出ると、どこか遠い国へと旅立つ気持ちになる。別府からフェリーに乗り、八幡浜に着くと、九州から隣り合う島・四国に渡っただけなのに、もうそこは見知らぬ国である。二十歳代前半のころ、スケッチブックだけを持って私は一人で旅に出た。高校を出て故郷の市にある町工場に就職して、はじめて自分で稼いだ金を大半は家に入れたが、一部は自分のために使うことが出来た。何という目的はなかった。ただ、没落した家の、故郷の村にさえ居づらくなるほどの困窮から抜け出し、自立と自由という境遇が得られたことがうれしく、異郷に流れる清新な空気感にふれ、旅先の風景や出会う人々との交流などが、一つ一つ、清新な体験となって心に沁みてくるのだった。バスに乗り、岬の果てまで行ってまた引き返し、次の半島を目指した。岬を巡るバスが、曲がり角を曲がるたび、小...港町の栄光コーヒー/苦みの向こうにあるものは【珈琲游人の旅<第3回>】
朝、一杯のコーヒーを淹れる。至福のひととき。コーヒーの淹れ方は、故郷の町の画廊喫茶の店主の方法を習得した。そのオヤジは苦みばしった渋い男で、詩人で、元・左翼運動の闘士だということだったが、普段は物静かで、はにかんだような笑顔で若者たちに接してくれた。顔に刻まれた深い皺、肩まで垂らした長い髪、時々鋭い光を放つ眼などが、画廊と喫茶とが連結された空間によく似合っていた。まだ二十代前半だった私たちは、その店に通いつめ、絵のこと、文学のこと、音楽のこと、酒やコーヒーに関する薀蓄などを聞かされ、学んだ。豆は、市販の浅煎りの豆が入手できればそれでよろしい。手挽きミルが理想的だが、電動ミルでも、挽きながら目盛りを段階的に変化させ、粉が不ぞろいになるように加減して挽けばよい。紙フィルターに一杯の粉を入れ、その粉全体が漏斗状...詩人の珈琲【珈琲游人の旅<第2回>】
誰にも教えたことのない秘渓に入り、沢辺に車を乗り入れる。途中で一度、小橋の上から覗いてみて、20センチ級の立派なヤマメが泳いでいるのを確認した。――よし、今日はあいつを釣ろう。と入渓地点を決定し、まずおにぎりを食べる。旨い。清流の水音を聞きながら食べるおにぎりこそ山旅の最高のご馳走である。世の中全体ではコメ騒動が続いているが、通り過ぎてきた棚田や谷沿いの小さな田んぼにまで、青々と稲苗が成長し、早場米は穂を膨らませているものもある。食料不足は農家の問題ではなく消費者すなわち都市生活者の問題なのである、とは、農民作家として半世紀前の農業の課題を提起した山下惣一氏が述べている。林間から摘んできた野生の茗荷の葉に乗せたおにぎりを食べながら、この国の農業政策の行き詰まりと、それを視野に置きながら、変わらずに「農」の...秘渓の沢辺で珈琲を一杯【珈琲游人の旅<第1回>】
全身を襲った神経痛に悩まされて二ヶ月ほど身体を動かせずにいたら、腕や足が細くなったような気がして心細くなった。――もう、冬の夜神楽探訪も、夏のヤマメ釣りもできないのではないか・・・この秋は何で年寄る雲に鳥松尾芭蕉最晩年の句が思わず浮かんで来たりするのである。人は皆、いつかは死ぬのである。人間にかぎらず、生きとし生けるものには寿命というものがあり、いのちが尽きれば土に還り、また新たな生命体が誕生する。その循環の法則の上に地球上の生物は存在するのである。そんなことは分かり切っているし、人類はその増えすぎた人口を戦争という殺し合いによって自ら減少させようとしている。漂泊の旅に生き、旅に死んだ芭蕉が上句を詠んだのは48歳の時である。それを考慮すれば私などはこの夏で77歳になるのだから、とっくに寿命は尽きていると考...夏のヤマメは釣れにくい/真夏の秘渓を歩いた極上の一日【九州脊梁山地ヤマメ幻釣譚<25ー13>】
近隣の宮崎県西米良村でこの夏の最高気温38度超えを記録した昨日(7月6日)、中庭に神楽の絵の大作を持ち出して、仕上げをした。腰を屈めて物を取ったり、中腰で絵を描いたりすることは無理だが、前日まで作った即製のテーブルの上でなら、仕事が出来るところまで回復したのだ。思うように身体が動かせなかったこの二ヶ月の間は、もう、神楽の場に通って絵を描くことなどは無理かと思っていたのだが、これならば、養生すれば、使い物になるところまで回復できることが分かった。ありがたく、嬉しい。近隣地域で火山の活動が活発化し、地震が相次いでいるちょっと怖いぐらいの暑い夏、再起動できたことを、いまは心から喜んでおこう。カワトモ君が来て、草刈りをしてくれた。この暑い夏空の下、大汗を流して刈り続ける彼はまだ15歳だが、もう頼りになる青年の姿だ...「夏男」薬草山神が再起動した【九州脊梁山地・薬草山人の森へ<9>】
大好きな暑い夏がきて、少しずつ、活動を再開している。全身に出ていた神経痛から、劇的に回復している部分もある。昨日までの三日間を振り返っておこう。一日目(三日前)、中庭に出て、落葉を片付ける。まず、スコップで1杯、掬い取って一輪車(猫車ともいう、手押しの運搬車)に積み込む。そして2杯目を入れた所で休憩。そのあと、3杯、5杯と投げ入れ、家の前の広場に運んで、薬草の周りに敷きつめる。これを2回繰り返した所で、止めた。中腰になったり、しゃがみこんだりする時に痛みが出るのだ。無理は禁物。二日目、隣接する倉庫から建築廃材を運び出してきて、即製のテーブルを作ることにする。古材を乗り越えたり、分解された建具の部材を運び出したりする。かなりの回復度が認められる。鋸や金づち、釘などを持ち出して苦手の工作を始める。小学5年生の...薬草山人の夏/【九州脊梁山地・薬草山人の森へ<8>】
約20年間「祈りの丘空想ギャラリー」として運営し、その後約5年間「友愛の森空想ギャラリー」として引き継いできた旧・教会を改装したギャラリーを「友愛の森ギャラリー響界」と改名しました。企画や展示などは従来通りです。今後はこのネーミングと企画・運営方針で、参加してくれる人を待ちます。ただし、経済性は低く、来場者も多くはないのに、一年を通じて毎日朝晩、鍵の開け閉めをし、年間を通じた企画展を開催するなどの活動が必須となります。それでも、五月の鯉のぼりの頃からヒメボタルの舞う時期、晩秋の銀杏並木が黄葉する季節には多くの人が訪れてくれ、名所化しつつあり、石井記念友愛社出身の人などが「〇年ぶりに帰って来た」と言って立ち寄ってくれることもあります。大切な場として育てあげていきたいと思っています。現在、「武石憲太郎展」が開...緑陰のギャラリー「友愛の森ギャラリー響界」にて/「武石憲太郎展」始まっています。【第四期:空想の森アートコレクティブ企画<´25-32>】
二ヶ月余り続いていた身体中の痛みが、少しずつ軽減してきた。回復期に入ったと理解しよう。久しぶりに中庭に出て、冬の間に落ちて溜まった枯れ葉を燃やす。小山のような落葉の下部は、すでに腐葉土と化している。それを焚き火の灰と混ぜ合わせて、移植してある日向当帰や芽生えてきたばかりの決明子などの根元に蒔くのだ。これが山里の極上の肥料。ヒュウガトウキは、険しい岩場にも生えているから逞しい植物だと思われるが、水分や養分も欲しがる性質も併せ持っているらしい。心配されたリウマチのデータは出なかったがまだ健康体とはいえないから、今後は、野草と薬草の力を借りながら、気長に治してゆこう。まずは、毎年の夏の恒例になっているこのシーンの再現だ。冬の間に描き溜めた神楽のスケッチの大作が仕上げを待っている。これから書き込むべき文章も神楽の...薬草山人の庭で/回復期に入った体調のこと【九州脊梁山地・薬草山人の森へ<7>】
遠い椎葉の山河と九州脊梁山地の山々を回想しながら、庭を歩く。庭と言っても、古墳や茶畑、農地などが広がる広大な茶臼原台地の東端の森に囲まれた一角だから、いろいろな野草や薬草が自生している。藪甘草(ヤブカンゾウ)の花が咲いていたので、少しだけ採集。周囲にいつのまにか姫檜扇水仙(ヒメヒオウギスイセン)が進出してきており、草藪一帯が華やかな緋色の花園となっている。ヒメヒオウギスイセンにも薬効があるが、今回は採集しない。・本文は作業中。薬草山人の庭を歩く/ヤブカンゾウ(藪甘草)の花が咲いた【九州脊梁山地・薬草山人の森へ<6>】
昨日(6月30日)、一週間前の検査をふまえた診察を受けるために病院へ行った。その結果、心配されたリウマチや膠原病など、厄介な病気のデータはなし、という結果を告げられた。とりあえず、すぐに死んだり、寝た切りになるという心配は消えたわけだ。リウマチの怖さは、祖母が5年近く病み、最後は手足の骨が曲がったまま、昼夜を問わず痛み続けるという苦しみの末に亡くなったから、知っているのだ。当時、私は小学生だったから、60年以上前のことになる。山仕事をして家計を支え、薬草や茸のある秘密の場所を私たちに教えてくれた山の女であった。詳しくは書かないが、家族で介護をした当時は、生き地獄を見た思いであった。それゆえ、家族に見守られ、静かに息を引き取った時、私は――これで家族も本人も楽になる・・・と、心底ほっとしたものだ。現代医学は...リウマチ・膠原病などのデータは無という検査結果/薬草「仙人」の呼称は撤回し薬草「山人」としたこと【九州脊梁山地・薬草山人の森へ<5>】
開催中の2025関西万博へ、由布院空想の森美術館と九州民俗仮面美術館の収蔵品から、30点の仮面を貸し出すことになり、先日、発送を終えました。そのイベントの趣旨は、『ウェルビーイング社会を実現する先端テクノロジーを、楽しみながら学び・体感するフェスティバルイベント。働く現場や生活シーンなどで、安全・健康をサポートする先進的なウェルビーイング・テクノロジーを紹介』となっています。要約すると「労働者の働く環境や権利を守るための国際会議」ということになるようです。このイベントの幕開けを飾る仮面舞踏「太陽の復活」に使われます。高千穂神楽の要素を骨格とした現代の舞踏家たちによる群舞です。楽しみにその日を待ちましょう。期日は7月18日。詳細は下記のホームページでご覧ください。https://gishw.com/ja/f...「九州の民俗仮面」30点が万博へ/7月18日・「労働者の働く環境や権利を守るための国際会議」のオープニングイベントとして。
*本文は作業中。「展示」という変異空間【第四期:空想の森アートコレクティブ企画<´25-31>】熱量の基底―描きまくり三世の仕事/田代国浩展⑦
静かな画家である。寡黙というのではない。語り始めると、一晩中でも話題が尽きることはない。それは、いまから40年も前に、第一期の由布院空想の森美術館に彼が200枚とか400枚というデッサンを持ち込み、二人で語り合った体験があるから、私にはわかっている。けれども、誰かと話す時でも彼はメモ帳か小さなスケッチブックを持ち、絶えずペンを走らせ続けているから、初めて対面した人などは、この人は気難しい人に違いない、とか、沈黙の画家である、“描きまくり三世”、などと形容するのである。上掲は画集「WORKSOFKUNIHIROTASIRO」(森と目黒者/2020)の一ページ目の写真。これをみれば、画家・田代国浩は孤独な人ではなく、街へ出たり、子供たちと一緒に描いたり、アトリエを開放した絵画教室で仲間たちと描く日常があったり...手練の技【第四期:空想の森アートコレクティブ企画<´25-30>】熱量の基底―描きまくり三世の仕事/田代国浩展⑥
田代国浩展の展示作品には題名が付いていない。それについては、作者の明確な意図がある。画集「WORKSOFKUNIHIROTASIRO」(森と目黒者/2020)から転載しよう。☆普段作品にタイトルはつけない。名付けると「遠くへ行く」ような気がするから。どうしても付ける必要がある場合は曖昧にしておく。作品1とかUntirledAとかIntrospection2020とか。ただ、名付けることで「近くへ来る」こともあるのかなとも思うようになった。これらはその試み。その数点を抽出してみよう。☆作品とタイトルが一致して、「詩」が生まれている。作品とタイトルを切り離してみると、一行詩のようである。別の作品と組み合わせることもできる。・その赤がこの絵を台無しにしている・銅の元は声、銀の元はささやき、金の元は無音・姉は空に...題名のない絵とは【第四期:空想の森アートコレクティブ企画<´25-29>】熱量の基底―描きまくり三世の仕事/田代国浩展⑤
田代国浩展の展示を終え、久住・阿蘇・高千穂の草原を走り抜けて帰って来た。緑一色の草っぱらが風になびき、時折、霧が湧いた。霧は、峠を越える時には雨となった。無色の風景のただ中に、無数の線が走り、色と色、色と線とが交錯して奏でる音楽が交響した。田代国浩作品の残像が、広大な自然の中で躍動しているのであった。本人の「ことば」を画集の中から転載しておこう。☆テーマを決めてから描き始めることはまずない。エスエスキースをつくることもまれである。たいていはそういったことなしにキャンバスに向かう。もちろん私の脳が指令を出しているわけだから、何かしら考えてはいるのだろう。だが画面構成等、ああしようこうしようと思わないことの方が多い。置いてみたい絵の具を筆につけた瞬間に始まり、手の勝手な動きに身を任せて描いているうちに、絵は「...線が走り色彩が歌う【第四期:空想の森アートコレクティブ企画<´25-28>】熱量の基底―描きまくり三世の仕事/田代国浩展④
【“描きまくり三世”の熱量】田代君がそれらの偉大な先人たちの作風や人生観に影響されたり、追いかけたりしているわけではない。それは彼の一貫した作風と地域の子ども達や仲間と楽しく遊び、描く生活を続けてきたことでもわかる。彼は、人と会う時でもいつも手帳とペンを持ち、何かを描き続けているという。それが“描きまくり三世”という呼称を冠せられる由縁であろう。では描きまくり一世と二世は誰とだれであるか、という問いは棚上げするとして、今春、開催された福岡アジア美術館での個展では、なんと、大作・デッサン・オブジェや書など、1万点あまりの作品が展示されていた。ここにも“描きまくり三世”の面目躍如たる世界が開陳され、その膨大な作品群からは、「筑豊」の熱い地下水脈に熱せられた強烈なエネルギーが奔っていたのである。由布院空想の森美...熱量の基底―描きまくり三世の仕事/田代国浩展③【第四期:空想の森アートコレクティブ企画<´25-27>】:始まりました。
田代国浩展/展示進行中です。その様子は追ってお知らせします。描きまくり三世の仕事/<明日から>田代国浩展②【第四期:空想の森アートコレクティブ企画<´25-26>】
本日、由布院へ、出発。梅雨晴れの山野を駆けて行こう。今日(19日・夕方着)、明日(20日)、明後日(21日・午後4時頃まで)空想の森美術館にいます。明日まで武石憲太郎さんの展示があり、夕方・田代国浩氏の作品が届いて展示替えをします。お近くの方、お立ち寄りください。本日、由布院へ/由布院空想の森美術館の二日間【空想の森から<203>】
草木染めいろいろ。コロナ過以前、全力でやっていたころの仕事です。「草木染め」は、植物のことを知り、自然界から「色」をいただくこと。ここからアートへの展開、室内装飾への応用など、まだまだ多様な可能性があるのだが、ちょっと勢いを無くしている感があります。当方の老化と怪我続きなどの要因、各地で同様の趣旨のワークショップが増えてきたことなどがありますが、本格的な染色アーティストや職人が育つところまではきていない。もうひと踏ん張りしなくては。要望があれば各地へ出かけてのワークショップも可能です。お問い合わせ下さい。草木染めいろいろ【空想の森の草木染め<110>】
五ケ月をかけて、各地を巡ってきた「空想の森アートコレクティブ展」が、第一期の終着地点となる「藝術新社:漂泊」へと帰ってきた。この建物は、津軽(青森県)の古い林檎蔵を移築したもので、2年ほど前から「空想の森別館:林檎蔵ギャラリー」として運営してきたものである。北の国の豪雪に耐える設計による構造美は、南国にはみられない魅力があり、それ自体がアートと呼べるような建造物なのである。ここに、昨年から米子(旧制・廣瀬)凪里さんが参入してきてくれた。凪里さんは、由布院駅アートホールの事務局兼アートディレクターとして赴任してきて、企画や運営の主力として活動していたのだが、3年前に「大阪中之島美術館」のミュージアムショップ部門に抜擢され、関西での活動も目覚ましいものがあったのだが、いくつかの経緯を経て湯布院へ帰ってくること...漂泊するアート「空想の森アートコレクティブ展《第一期》」の最終地点/由布院空想の森美術館&芸術新社:漂泊にて②[空想の森アートコレクティブ展<VOL:4>]
今年(2024年)の3月から始まった「空想の森アートコレクティブ展」が第一会場「友愛の森空想ギャラリー(宮崎県西都市)」、第二会場「欅邸(宮崎県日向市東郷)」、第三会場「小鹿田焼ミュージアム渓声館(大分県日田市)」と廻り、場所・空間・展示作品・展示の手法などを変え、参加作家・作品も加わりながら第一期の終着地点「由布院空想の森美術館&藝術新社:漂泊(大分県由布市湯布院町)」へと辿りつきました。これは文句なしに面白い。主として古民家を修復・再生しながらアートスぺスとして運営している施設が会場となることから、行く先々の環境や風景、建物の空間構造などとどのように出会い、馴染むかということから作品選定が始まり、会場主・スタッフやアーティストとミーティングを重ねながら展示が開始される。その時点で、新たな鑑賞者や表現者...「空想の森アートコレクティブ展《第一期》」の最終地点/由布院空想の森美術館&芸術新社:漂泊にて[空想の森アートコレクティブ展<VOL:4>]
本日、高千穂・阿蘇・日田を経由して由布院空想の森美術館へ。日田では「小鹿田焼ミュージアム渓声館ギャラリー」での展示替え。昨夜から生暖かい風が吹いて、今朝は雨。強い雨風の中を出発。 風の野を越えてゆく【空想の森から<180>】
表記の企画展が始まります。まずは展示途中の様子を公開。この企画はこの「森の空想ブログ」に連載した、詩人・伊藤冬留氏のエッセイと高見乾司の絵画のコラボレーションシリーズから抜粋し、「展示」としたものです。画面で文字と絵だけで観賞した時から、一歩進んで、「観る」に加えて「読む」という行為が生まれました。大げさに構えるつもりはありませんが、インターネットで手軽に情報を入手できる現代において、実際の作品の前に立ち、「観る」「読み取る」「思索する」などという行為が縮小してきているのではないか、それは五感で感じとる能力のを孕んでいるのではないか。この展示がそのような現代の「観賞」を考える機会になればありがたいと思っています。(企画者・高見乾司)伊藤冬留氏の「白い花の咲くころ」を転載しておきましょう。☆[白い花の咲くこ...伊藤冬留のエッセイと高見乾司の絵画による白い花の咲くころ①【友愛の森空想ギャラリーにて<風と森のアート´24-7>】
夏の草原を吹き渡る風の色/「クララ」で染めるワークショップ日程:7月15日(月曜・祭日)時間:10時~15時まで場所:森の空想ミュージアム/西都市穂北5248-13☆参加費3000円☆お申込み・お問い合わせは担当高見tel090-5319-4167メールtakamik@tea.ocn,ne.jpへお願いします。☆別途染色素材のシルクストール代1500円~4000円(お好みのストールをお選びください。)☆今回は絹糸とウールの糸も染めます。染めた糸で冬から秋へ向けてウールのマフラーや着尺を織ります(別途申し込みが必要)。☆前日(14日)から糸染めや黄色+藍の重ね染めへの参加を希望する方は別途お申込み下さい。(2日間で参加費5000円となります)。*宿泊のご案内も致します。☆ストール購入+ハンカチや薄手のシャツ...草原を吹き渡る風の色/「クララ」で染めるワークショップ≪ご案内≫[空想の森の草木染め<108>]
*前回の続き。本文は作業中。「仮面」はうそをつかない/門外不出の神面を拝観②―16年ぶりに奉納された湯之像<ゆのかた>神楽にて―【神楽を伝える村へ/宮崎神楽紀行2024-11】
「尾八重神楽」は、米良山系・旧東米良の山中に伝承されてきた。米良山系は古くは秘境・米良の荘と呼ばれ、外界と孤絶した村々を抱く深い山脈であった。南北朝時代末期、北朝と足利幕府連合軍との決戦に敗れた南朝の遺臣とそれを支持した肥後・菊池氏の一族は、米良の山中に逃れた。米良の山人は「神」として王家の一族を迎え、菊池氏は米良氏と名を変え、この地を治め、善政を布いた。下って明治維新後の廃藩置県により人吉県となり、明治22年の町村合併により東米良村・西米良村に分割され、さらに東米良村は昭和36年に西都市に吸収合併され、西米良村は自立の道を選ぶという激動の歴史を経て現在に至っているのである。米良山系の神楽は、南朝の遺臣と菊池氏の一族によって流入し、伝えられたという。村所、小川、銀鏡、尾八重、中之又という地域ごとに伝わり、...門外不出の神面を拝観した【神楽を伝える村へ/宮崎神楽紀行2024-10】
最近、耳の中で音楽が鳴り響く状態が続いている。そのきっかけとなったのは、ヤマメを追って渓谷を遡行している時だった。三筋に分かれた谷の出会いの地点が小さな滝になっており、その滝の水音が青葉に覆われた渓流に響いて爽やかな音楽を奏でているのだったが、それに混じって、聞こえてくるメロディーがあった。最初は、神楽笛の旋律のように思えたが、それに水の音や谷を渡ってゆくホトドキスの声などが交響し、西洋の音楽や青年期に親しんだ日本のフォークソングや流行歌などが混じった。いつの間にか、私は旅の歌・坊がつる讃歌や知床旅情、アンデスの民謡・コンドルが飛んで行く、ハンガリージプシーのダンス音楽・チェーラダーシュなどを脈絡もなく口ずさみ、それが日常生活の中にまで延長されてきているのだった。そしてその現象に、先日、45年ぶりに訪れた...45年ぶりのブラックコーヒー/由布院「亀の井別荘・喫茶天井桟敷」にて【空想の森から<179>】
6月23日、カワトモ君と二人で大分・日田を由布院へ行く旅に出た。宮崎市の自宅から電車で来たカワトモを高鍋駅で迎え、一路北へ。都農から広域農道尾鈴グリーンロードに入り、耳川を越える。雨は降っていなかったが、川は増水し、濁っていた。上流部の諸塚・椎葉の山脈に降雨があったのだろう。角川インターで東九州道に乗り、高千穂方面へ右折。高千穂の中心部から高森方面へ右折し、途中の無人販売所で野菜を買う。地元の人が自分の畑から採れた野菜を置いているなじみの寄り道。波野、産山を通り過ぎて九州横断道路に出る。ここを右折し由布院へと向かう。日田地方が豪雨のため、この日の予定を変更した。標高1330メートルの九州最高峰の牧ノ戸峠は深い霧雨の中。風も強く、九重連山は見えなかった。由布院空想の森美術館に到着。カワトモ君は見るものすべて...カワトモ君と由布院へ/作家・夢枕獏氏の取材を受けました【空想の森から<178>】
宮崎市生目神社の「神武」演目をカムヤマトイワレヒコの国造りの様子と読む解くことは可能と思われるが、では、その演目はいつから神楽の中に存在していたのか、神楽そのものの起源がいつの時代なのかは、不明である。しかしながら、同神社には、掲示の神面二点が伝わっており、下記のような墨書があることが確認されている。『1、寶治2年銘の面は、1248年(鎌倉時代)の作であり、縦51.2cm、横31.1cmの大きさで、裏側に「土持右衛門尉田部通綱寶治二年五月日」の墨書があり、現在確認されている有銘仮面の中では県内最古である。2、天文五年銘の面は、1536年(室町時代)の作であり、縦62.1㎝、横44㎝の大きさであり、「生目八幡宮奉寄進大台面・・・・」とあり、生目神社に寄進した面であることが窺える。』この二面は、南九州に多くみ...宮崎の神武伝承と神楽の「“神武”演目」を読み解く*補足資料【神楽を伝える村へ/宮崎神楽紀行2024-9】
宮崎平野部から日南海岸へかけて分布する神武伝承と神楽の「“神武”演目」【神楽を伝える村へ/宮崎神楽紀行2024-8】
昨日は一日、からりと晴れた好天だったが、今日は朝から強い雨がふっている。災害を引き起こすような豪雨では困るが、梅雨どきの山や森や渓谷、里の田畑を潤すような雨ならば、それも自然界の摂理と観念し、静かに一日を過ごす。森に降る雨を眺めながら、冬の間に描いた神楽の絵を仕上げる。雨の中に神楽の景色が滲む。文人画に「胸中山水」という境地がある。書を読み、旅を続けて賢人を訪ね、画技の修練を重ねて練達の域に至り、画室にいながら旅先の山や渓谷や村里の風景が胸に浮かび、絵筆が動くという究極の領域である。*続きは作業中。 胸中の神楽を旅する【神楽を伝える村へ/宮崎神楽紀行2024-7】
先日、開催中の「友愛の森空想ギャラリー」へ向かう途中の出来事。茶臼原の道路を走行中、目の前で鳥が翼をバタつかせて動かなくなった。「車にぶつかったのかな。後続の車に轢かれるから道の端に寄せておこうか」と運転していた高見乾司さん。しかし、次の言葉に私と同乗していたフルートのK先生は即答した。「立派な雄のキジ。今夜はキジ鍋にしようか。キジは美味いよ」「食べましょう。ちゃんと食べてあげよう」ところが、その時、道路の向こうに雄を探し回っている様子の雌のキジの姿。「つがいの雌がいたか。このまま雄を連れ去ったら雌はずっと探すな。残念だけどキジ鍋は無し」高見さんは雄のキジを畑の隅に置き私達は教会ギャラリーを目指しました。6月の梅雨の晴れ間の出来事でした。「焼野の雉(きぎす)」とは、雉(キジ)が自分の巣がある野が焼けだすと...【南国の赤/水元博子展<3>】
*本文は作業中。梟谷の六月【九州脊梁山地ヤマメ幻釣譚<24ー9>】
ひさしぶりにからりと晴れた好天。「森の空想ミュージアム」の仲間・黒木彰子さんと「天の糸・森の色」の仲間たちの作品も出品されています。黒木彰子さんが三日間、会場につめています。お出かけ下さい。「つくりびとのカタチ」展宮崎県三股町武道体育館にて
画家は、若いころに情熱と才能のすべてを燃焼し尽くし、作品も、作家自身も消失する例と、晩年に至り、精進と修練の果てに幽玄の境地にまで達し、すぐれた作品を残す作家とに大別されるという。私は高校3年の夏に大分県日田市から福岡県久留米市までのおよそ50キロの道を自転車で4時間をかけて走りとおし、青木繁と坂本繁次郎の作品を見た経験がある。教科書にも載っている「海の幸」を実際に見た時の感動は今も忘れない。そして、坂本繁二郎の晩年の「月」もまた心に沁みる名作であった。この二例こそ、画家の素質と画業をあざやかに物語るものである。以後、私は旅も、勉強も努力も重ねてきたつもりだが、この二人の域に近づく作品を生み出し得ていない。天才と凡才というふうに単純に分けられるものではないと思うが、悩ましい命題である。別の角度でみてみよう...回帰する位置【南国の赤/水元博子展<2>】
梅雨入りの気象情報が出たけれど、降り続いていた雨が止んだ。自転車に乗って出かけよう。白いボディーの婦人用軽快車だ。ところどころ錆が出ているが、これは元の所有者の使用頻度が少なかったことによるもののようだ。毎年、山歩きや神楽取材に来ていた東京の人が、借りていたアパートを引き払ったため、家財道具一式と一緒に当方に寄付して下さった荷の中に、これがあった。自転車に乗るという行為は何十年ぶりかのことになるが、恐る恐るこぎ出してみると、案外、身体はそのコツを記憶していて、ママチャリとあまり的確とは思えない現代の呼称で呼ばれるその自転車は、颯爽と森の中へ走り出した。なかなかスポーティーでお洒落である。スピードも出る。昔の婦人用自転車は、ただ乗りやすいだけの簡略な構造で、デザインなどを考慮のうちに無かったような気がする。...風を切って緑の森を走り抜けること【森へ行く道<138>】
鎌を持って森へ行く。台所の生ごみを捨て、その上に刈草をかぶせ、さらに焚き火で出た灰をばら撒く。それがこの森の土を肥やし、野草や薬草や染料として利用できる植物、実の生る樹木などを育ててゆく。その生ごみに混じっていた切り屑や種子の中から芽を出すものがあり、なかには育って実を付ける野菜もあるのだ。それで、芽吹いた野菜の周りの草を払い、伸びすぎた木は間引きをして日当たりが良い環境を作ってやるのだ。自然農という農法には、私は抵抗感を持つ人間の一人だが、こうして自然界の中で育ってゆく作物を採集し、食べることができれば、縄文的採集農法と名付けてもいいかと思わぬでもない。上掲は4年前の写真だが、そうして育ったカボチャが、森の中へと蔓を伸ばし、大きな実をぶら下げていた。立派な黒皮カボチャであった。その風景は森になじみ、実は...森の菜園【森へ行く道<137>】
ケイタ君が帰って来た。旅の治療師・落合圭太君は、各地を旅しながら、理学療法士としての仕事をしたり、農家や林業家などで働いたりしながら、一年ほど前、当地へも立ち寄ってくれたのである。そして2ヶ月ほどの間に森のマドゥパンの手伝いをしたり、仲間たちの音楽イベントに参加したり、私と一緒にヤマメ釣りに行ったりした。そして実家のある神奈川県に帰り、そこで畑作りなどをして過ごしているという便りが届いていたのだったが、この春、家財道具など一切をまとめて、本格的にこの地へ移住してきたのである。ちょうど、一件、空家が出ていた時期だったから、そこに住み、我々の仲間として過ごすことになったのは好都合だった。他所の土地の人であり、旅人だったケイタ君が来た時、私たちはなんとなく、――帰って来てくれた。という感覚で迎えた。短期間での滞...ケイタ君の畑【森へ行く道<136>】
以下は、68歳の時(今から7年前)の記事。☆去年買った草刈機が故障。やむなく、大鎌を持ち出して、振り回してみた。すると思いがけないことに、鎌は何の無理もなく草を払い、錆だらけの刃を天空にきらめかせ、まるで腕の延長のごとく藪を刈り進むのである。数年前までは、その大きさと重さが負担となって、振り回すことも出来なかった大鎌である。柄が乾いて軽くなったことと、自分の体調がやや戻ってきたことの二つの要因が考えられる。もともと乾いた樫の枝を削って挿げた柄であるから、極端に軽くなることはあり得ない。後者を採ることにしよう。そのほうが気分がよろしいではないか。今年の夏で68才。年寄りの冷や水などとは言わせない。☆このあと、大胸筋断裂、肩鍵盤損壊、アキレス腱断裂、左足踵の剥離骨折と続けて大怪我をした。つまり、自分の年齢が年...鎌を研ぐ朝