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2015/05/16

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  • 読書案内「南三陸日記」① 無事で申し訳ありません

    読書案内「南三陸日記」三浦英之著ノンフィクション『無事で申し訳ありません』朝日新聞の駐在記者として被災地に住んで、宮城県南三陸町に住む人々を記録した震災ルポルタージュ。集英社文庫2019.21刷2019.32刷2020年10月に東日本大震災の地、福島、女川、南三陸を訪れた。3度目の震災地訪問である。一度目は2011年10月で、被災半年の彼の地は瓦礫の山で、目を覆うばかりの惨状に圧倒され、言葉もなかった。「復興」という言葉さえ口にするには早すぎ、瓦礫で埋め尽くされた町や村は、日の光にさらされ、津波に流された船が民家の屋根や瓦礫の中に置き去りにされたまま、時間が停止し原形をとどめぬほど破壊された風景が広がっていた。津波で流された車の残骸も、うずたかく積み上げられ、広大な敷地を所狭しと占領していた。二度目は2015年...読書案内「南三陸日記」①無事で申し訳ありません

  • 坂村真民の言葉(1) 未練

    坂村真民の言葉(1)未練坂村真民について(坂本真民記念館プロフィールから抜粋)20歳から短歌に精進するが、41歳で詩に転じ、個人詩誌『詩国』を発行し続けた。仏教伝道文化賞、愛媛県功労賞、熊本県近代文化功労者賞受賞。一遍上人を敬愛し、午前零時に起床して夜明けに重信川のほとりで地球に祈りを捧げる生活。そこから生まれた人生の真理、宇宙の真理を紡ぐ言葉は、弱者に寄り添い、癒しと勇気を与えるもので、老若男女幅広いファン層を持つ。写真の本は「一日一言」と称し、真民が生きた日々の中で浮かんだ言葉の中から365を厳選、編集したものです。未練「今」を生きつづけたものに未練はない働くだけ働いて働き蜂は蟻に己れを与え鳴くだけ鳴いてこおろぎは己れを風葬にする「今」を真剣に生きる者にとって、どんなことが起ころうとも未練はない、と言い切る...坂村真民の言葉(1)未練

  • 逝きて還らぬ人を詠う ⑤ この世での最期の言葉は「ありがとう」…

    逝きて還らぬ人を詠う⑤この世での最期の言葉は「ありがとう」…『大切な人が逝ってしまう。人の世の宿命とは言え、余りに辛い体験はいつまでたっても心が癒されない。悲しいことではあるけれど、人間(ひと)はいつかはこの試練を乗り越えて生きていかなければならない。死は予測された時間の中をゆっくり訪れる場合もあり、突然訪れる場合もある。どちらの場合も、無常観と切り離すことはできない』〇妻の死を看取りて後に気付きたり励まされたのは自分だった……島田章平朝日歌壇2019.12.15寄り添うように生きて来た長い年月。辛く苦しい介護もあった。だが、看取って初めて妻を愛しいと思い、励まされていた自分に気づき、愛しさが一層募ってくる。〇見出しぬ妻の遺品の箱一つわが生涯の給与明細……鶴貝敬司朝日歌壇2020.02.16遺品整理は悲しい作業...逝きて還らぬ人を詠う⑤この世での最期の言葉は「ありがとう」…

  • 江戸の感染症 ② 感染症対策

    江戸の感染症②感染症対策前回でも触れたが、鎖国政策をとっていた江戸幕府。長崎・出島を通じて当時の先進国・ポルトガル、オランダ、イギリス、中国の船が、文明とともにインフルエンザやコレラが侵入してきた。当時の医療技術はウイルスによる感染症に成す術を持たなかった。感染症の特効薬やワクチンもなかった時代の不安と恐れは、前回に紹介した絵が如実に語っている。感染を防ぐ唯一の方法は江戸時代も現代も「人との接触を避ける」ことだった。既にこの時代には、感染者の隔離や接触の制限などの対応は存在したようである。人が集まる銭湯、髪結い床、芝居小屋、遊郭などでは、人が来なくなり商売が成り立たなくなる。現代のような「時短」「営業自粛」などの要請はなかったが、景気は悪化し、経済活動は停滞し、その日暮らしの多い人たちはたちまち生活困窮に陥って...江戸の感染症②感染症対策

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