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2015/05/16

  • 三島由紀夫の言葉 「明日死んでも……」

    三島由紀夫の言葉「明日死んでも……」1968年茨城大討論会「明日死んでも十分な生き方をしなきゃならん。今日は死ぬかもしれないという気持ちだったら、どれだけ人間は全身的な表現を毎日繰り返せるかわからない」1968年、56年も前の話になるが、茨城大学の学友会が主催する学園祭に作家の三島由紀夫が招へいされた。1968年11月16日のことだ。1968年の世相この年の1月には、東大医学部無期限ストに突入・東大紛争が始まり、2月には成田空港阻止・三里塚闘争集会等社会不安が募り始め、学生運動が活発になり、デモ行進が頻繁に行われ、学生間のイデオロギー対立に基ずく、暴力事件も頻繁に起こり、警官隊との衝突も頻繁に起こった。新進気鋭の小説家石原慎太郎は政治家としてのスタートを切り、青島幸雄、横山ノック等タレント議員が出現した。...三島由紀夫の言葉「明日死んでも……」

  • 駅弁

    駅弁立ち売りなんとも懐かしい「駅弁立ち売り」の写真である。かつては、旅の風物詩として旅情を誘う風景であった。「ベントーベントー」と大きな売り声で、ホームに入った列車が停車している間の短い時間のうちに弁当を売り歩く「弁当屋さん」とそれを買う客との間のやり取りが私は好きだった。発車の合図のベルがホームに流れ、「ゴトン」と汽車がゆっくり大きな車輪を回す。窓からお金を握りしめ、弁当屋を呼ぶ声に緊迫感がある。今と違って汽車はゆっくり発車するから、お金をとりそこなったとか、逆にお金は渡したが弁当をもらえずになんてアクシデントは起きなかったのだろう。懐かしい昭和のプラットホームの風景である。現代のようにファミレスがあり、コンビニやスーパーには多彩な弁当が並んでいる時代と違って、日常から非日常の世界へ旅立つ旅行者にとって...駅弁

  • 「夫のうれしい涙」

    「夫のうれしい涙」うれしい時も、悲しい時も、涙は流れてくる。「人前では泣くな」「男は泣くな私の子ども時代には、そういわれて育った。「泣くな」、「泣くな」。どんな悲しいことがあっても、辛いことがあっても涙をこらえて泣かなかった。もっと正確に言えば、人前で泣かなかった。こらえた。小学低学年のころ、いじめにあった。不快感は残ったが、それだけのこと。しかし、同じようないじめが続けば、我慢ができなくなる。反撃に出る。相手を力でねじ伏せる。暴力によって相手を委縮させる。喧嘩は負けては意味がない。勝つために手段は選ばない。相手が泣いて悲鳴を上げるまで徹底的に痛める。それでいじめはなくなった。決して泣かない少年だった。それが崩れたのは、嫁いだ姉が亡くなった時だった。物言わぬ姉の顔を見て、こらえていた涙がとめどなく流れた。...「夫のうれしい涙」

  • 能登半島災害を謳う

    能登半島災害を謳う多くの人がこの連休を利用して故郷へ帰省し、道路も、鉄道も、飛行機もほぼ満席の状態であった。海外への脱出旅行で飛行便もほぼ満席。能登半島地震から5月1日で4カ月が過ぎた。大勢のボランティア希望者が県の特設サイト登録し、現地の希望に沿ってボランティアを派遣するシステムがととのっている。登録者はほぼ埋まっているが、受け入れ側の態勢整わずに、抑制気味だという。どこでどんなボランティアが必要なのかさえ、なかなか把握できない現状がある。4カ月過ぎた現在でも被災地では、インフラが十分でなく、ボランティアは500円のボランティア保険に加入し、食事や飲み物、マスクなどは各自で用意することになっている。(朝日新聞5/1掲載珠洲市のボランティア・水野義則氏撮影)朝日歌壇から能登地震関係の短歌を集めてみた。地震...能登半島災害を謳う

  • 読書案内 「霧笛」ルイ・ブラッドベリ著

    読書案内(再掲・改訂)「霧笛」ルイ・ブラッドベリ著短編集太陽の黄金の林檎より2012.9刊ハヤカワ文庫SF眠りから覚めた一億年の孤独孤独岬の灯台。突端から2マイル(約3200メーター)離れた海上に70フィート(約21メーター)の高さにそそり立つ石造りの灯台。夜になれば、赤と白の光が点滅し船の安全を見守る。霧の深い夜には霧でさえぎられた灯りを助けるように、霧笛が鳴り響く。霧笛の音……。〔……誰もいない家、葉の落ちた秋の樹木、南めざして鳴きながら飛んでいく渡り鳥にそっくりの音。十一月の風に似た音、硬い冷たい岸に打ち寄せる波に似た音、それを聞いた人の魂が忍び泣きするような音。遠くの町で聞けば、家の中にいることが幸運だったと感じられるような音。それを聞いた人は、永劫の悲しみと人生の短さを知る〕寂しくて孤独に震え、...読書案内「霧笛」ルイ・ブラッドベリ著

  • 今日のことば(5) 「嘘」(2) 「嘘のスパイラル」

    今日のことば(5)「嘘」(2)「嘘のスパイラル」「嘘の誘惑に対して」(前回続き)嘘は一つでは終わりません。嘘を隠すための嘘嘘を正当化するための嘘をつくことに必ずなるからです。そして、やがて何が本当の自分なのかわからなくなってしまう。それほど寂しいことがあるでしょうか。嘘をついても見抜かれなかったとほくそえんでいる人がいるならそれは大変な錯覚というものです。なぜなら嘘をつくたびに心は傷つき魂はカルマを深くしているからです。やがて嘘をつくことにも慣れ恐れもなく痛みもなく嘘と同化してしまうのです。※カルマ(Carma)人間が持つ心の奥に存在する「業」で、宿命とも訳され、「因果応報」という言葉がある。善悪どちらのカルマも、それぞれの応報(結果)が導かれる。「嘘」についての考察がわかりやすく、ていねいに述べられてき...今日のことば(5)「嘘」(2)「嘘のスパイラル」

  • 今日のことば(4) 「嘘」

    今日のことば(4)「嘘」(1)嘘の誘惑に対して何気なくついてしまう嘘。責められるのが嫌で馬鹿にされるのが嫌で除け者になるのが嫌で愛想をつかされるのが嫌で誉められたい一心で認められたい一心で立場を守りたい一心でつい、言ってしまう嘘ないものをあるがごとく、やったことをやらなかったごとく吹聴したり、隠したりする。恐怖心からの嘘虚栄心からの嘘投機心からの嘘嘘は、何気ないものであっても最も恐ろしい誘惑の一つでしょう。(新祈りのみち至高の対話のために高橋佳子)著者・高橋佳子氏について私は知らない。引用した「ことば」は800ページ以上もある単行本のなかから引用した。巻末のプロフィールによると、幼少のころより、人間は肉体だけでなく、目に見えないもう一人の自分――魂からなる存在であることを体験し、「人は何のために生まれてき...今日のことば(4)「嘘」

  • 今日のことば(3) 「目」 観察眼と感性

    今日のことば(3)「目」観察眼と感性最近小説をあまり読まなくなった。特に小説部門においては、シリーズ物が多く、これはこれで気軽に読めて楽しい読書時間を過ごすことができるが、読んだ後何も残らない。出版事情にもよるのだろうが、人気作家のシリーズ物は当たりはずれがなく、読者が付きやすく、版を重ねる予測がつく。人気シリーズになれば、一番労力を使う「主人公」の人物設定など、シリーズで培養された人物像に基づいて話を進めることができ、ストーリーの筋立てに専念できるメリットがある。シリーズものは一定の水準を維持した「小説」を書き、量産もできるメリットがある。だが、安易にストーリーの面白さに重点が置かれ、深みのない物語が乱造される危険性も持っている。代わりにノンフィクションをよく読むようになった。伝記物もよく読む。随筆など...今日のことば(3)「目」観察眼と感性

  • 能登半島地震 (13) 二次避難所から一次避難所へ戻る

    「やっぱり地元で…」戻る一次避難所朝日新聞2024.03.06ホテルなどの二次避難所から、「一次避難所」に戻りたいと希望する被災者が増えている。(リード文より抜粋)能登半島地震の被災地では、一次避難所の小学校の空き教室や体育館、公民館などに避難した人などのうち、高齢者や病気療養中の患者、プライバシーに制限のある集団生活を送るのが難しい被災者を中心に、二次避難所としてホテルなどの比較的生活環境の落ち着ける場所を、希望者に提供してきた。しかし……住めば都にはならなかった珠洲市のMさん(85歳)は、被災後金沢市の姉の元に身を寄せた。しかし、2月末には一次避難所の小学校に戻ってしまった。「金沢は水もトイレも使えるし、あったかい寝床もあった。でも、知り合いも話し相手もいない。珠洲なら知った人ばかりだもの」珠洲市は人...能登半島地震(13)二次避難所から一次避難所へ戻る

  • 喫煙のけむり

    煙草の煙【1966(昭和41)年11月11日朝日新聞朝刊掲載】何やら偉そうな訪問客をサザエさんが迎え入れる。サザエさんの接待にも終始無言で、あろうことかテーブルに置いた灰皿には目もくれず、床の上に灰をまき散らす。怒り心頭、サザエさんは客がかぶってきた帽子を灰皿代わりに床に置いて、姿を消す。傍若無人な喫煙者に対するささやかで、しかも怒りの鉄槌だったのでしょう。昭和24(1949)~25年ごろだったと思う。東映の時代劇・笛吹童子だったり、紅孔雀が劇場をにぎわし、嵐寛寿郎の鞍馬天狗などが一世を風靡していた。小学生が一人で映画を見に行くことは禁じられていたが、わたしは一週間の小遣いをためて日曜日にはいつも映画を見に行っていた。当時は3本立で、映画が終わるとブザーがなり、場内が明るくなる。小学生が一人で映画を見に行...喫煙のけむり

  • 能登半島地震 (12) 公衆電話に列

    能登半島地震(12)公衆電話に列能登の避難所公衆電話に列孤立集落唯一の連絡手段(朝日新聞2024.3/22)能登半島の被災地では携帯電話が数日間繋がららず、公衆電話が外部との唯一の連絡手段になった地域になった。(リード文)石川県輪島市の粟倉(あわぐら)地区は周辺道路の寸断により、一時孤立状態になった。携帯電話は不通になり、被災者たちは身の安否を知らせる手段を失った。公民館には、地区で唯一の公衆電話があった。みんながこれに殺到した。電話を待つ行列ができた。「とりあえず大丈夫だ」。そう伝えると、「よかった、心配していたよ」と安堵の声が返ってきた。少しでも多くの人が使えるように、みんなと同様に1分ほどで電話を切った。発災後の数日間は停電などの影響で、携帯電話も固定電話も使えず、公衆電話に40人ほどの列がて来たこ...能登半島地震(12)公衆電話に列

  • 能登半島地震 (11) 奥能登4病院医療維持に危機感

    能登半島地震(11)奥能登4病院医療維持に危機感奥能登の4病院、看護師60人以上が退職・意向医療維持に危機感2024/03/0406:00看護師総数の約15%石川県奥能登地域には四つの公立病院がある。この医療機関で働く看護師にも疲労が蓄積している。これらの医療機関に所属する看護師の60人以上の看護師が退職したり、退職の意向を示したりしている。看護師の総数約400人のうち約15%にあたる。看護師自身が被災し、生活再建の見通しが立っていない。退職者が看護師の2割に上る病院もあり、病院関係者は医療体制が維持できなくなるのではと危機感を募らせている。市立輪島病院の場合輪島市唯一の総合病院。医療機器が損壊し、一時断水したこともあって、100人近くいた入院患者の大半は別の病院へ転院した。今も20人が入院している。自分...能登半島地震(11)奥能登4病院医療維持に危機感

  • 今日のことば(2) 電車の中で

    今日のことば(2)電車の中で電車で、一人の乗客が鼻水を手で拭いては、座席になすり付けていた。わたしはいややなと思った。周りの人も、いかにも迷惑やなという顔で見ていた。でも、同じ言葉を繰り返し呟いていて、話が通じなそうなその人に、どうしようもなかった。だれもなにも言わず、ただ、いやそうな顔をしながら見ていただけだった。そのとき、おばあちゃんが、その人にティッシュを渡して、よかったらこれを使ってくださいと言った。その人は受け取って洟をかんだ。わたしはびっくりして、恥ずかしくなった。迷惑だと思うだけで、その人の気持ちを考えてなかった。困っていたのはわたしじゃなくて、その人だったのだと初めて気づいた。(中脇初枝著小説『伝言』から)自分の視点から、視点を変えて相手の立場になってみると全く別のものが浮かんでくる。発想...今日のことば(2)電車の中で

  • 今日のことば 国際女性デー いまだ残る女性器切除の習慣

    今日のことば国際女性デーいまだ残る女性器切除の習慣新しいカテゴリーです。新聞、雑誌、本、ドラマなどで心に響いたことばをアップし、できればアップした理由などを載せたいと思います。国際女性デー3月8日女性の地位向上、女性差別の払拭等を目指す国際的な連帯と統一行動の日。1975年に国連が記念日として制定しました。そのルーツは、1900年初頭にアメリカ・ニューヨークで起こった、女性の参政権や女性労働者への差別撤廃運動にまでさかのぼるようです。女性の権利を主張し、女性差別を払拭する運動は、時代の変遷の中で各国で起きましたが、国連が1975年に『国際女性デー』として提唱し、局地的な女性の地位向上運動ではなく、国際的な運動として認知されるまでに、70数年の時間がかかったということです。さて、それでは我が国の女性の地位は...今日のことば国際女性デーいまだ残る女性器切除の習慣

  • 能登半島地震 (10) 疲弊する支援員

    能登半島地震(10)疲弊する支援員もう辞めたい…自治体職員も被災者悲鳴あげる心身毎日新聞2024/2/1116:37能登半島地震の発生からまもなく1カ月半。住民の支援や復旧の業務にあたる被災自治体の職員から「このままでは倒れてしまう」と悲鳴が上がっている。職員の多くは自らも被災しており、心身の負担を減らすための対策が急がれる。住宅約5000棟(2/9日現在)の損壊が判明した石川県能登町。カップ麺や飲料水、消毒液など支援物資がうずたかく積まれている。各避難所にこれらの支援物質を、各都道府県から派遣された応援職員に指示し仕分けをしていく。支援物資を行政区域の避難所へ仕分けする作業に、避難所運営の仕事も交代で回ってくる。「2月に入って週1日だけ休めるようになりました。自宅に帰っても片付ける気が起きず、地震発生当...能登半島地震(10)疲弊する支援員

  • 能登半島地震 (9) 輪島朝市大火②

    能登半島地震(9)輪島朝市大火②輪島朝市の大火は地震の直後に起き、テレビ画面に映された映像は、小さな火災ですぐに消えるだろうと私は思っていた。それよりも、テレビの緊急速報は「津波の恐れがあります。すぐに避難してください」と繰り返しアナウンスし、NHKの定点カメラは人気の途絶えた街並みを映すことと、避難勧告を繰り返すばかりだった。次の火災の放映では4~5軒の火災に広がっている場面だった。放映する側も視聴者もこのような大火になる事を予想できなかったように思う。東日本大震災の火災東日本大震災の火災は、津波で流された家屋の瓦礫が集まった場所からの出火で、能登の大火のように火元が一か所からの延焼ではなく、火災発生個所が何か所もあり、しかも津波で流された家屋などの瓦礫が漂って広範囲にわたって集積しているような火災現場...能登半島地震(9)輪島朝市大火②

  • 能登半島地震 (8) 輪島朝市大火①

    能登半島地震(8)輪島朝市大火①輪島の火災なぜ拡大消火栓が使えれば元消防団員「初期消火で消せたはず」(朝日新聞2024年1月25日社会面)能登半島地震に伴う大規模火災で、地元の海産物や野菜が並ぶ観光名所「輪島朝市」(石川県輪島市)は壊滅状態となった。なぜ炎は燃え広がったのか。(リード文抜粋)がれきでぺしゃんこ(朝日新聞2024年1月25日社会面)1月1日午後4時10分(初期消火ができなかった)輪島市を震度6強の揺れが襲った。元消防団員のKさんは、近くのお寺に備えられてる消火栓を使おうとホースを延ばした。だが、消火栓は瓦礫でぺしゃんこになっていた。最初家屋から白い煙が立ち上り、きな臭いにおいが風に乗って流れてきた。炎が上がり始め、やがて蒼白い炎が舞うようになり、「バーン」という音が響いた。ガスボンベの爆発だ...能登半島地震(8)輪島朝市大火①

  • 追悼八代亜紀② 舟歌 映画「駅STATION」

    追悼八代亜紀②舟唄映画「駅STATION」1979年舟唄発表、その2年後1981年映画「駅ステーション」公開。高倉健が倍賞千恵子の経営する小さな居酒屋で酒を飲むシーン。「正月も、くにには帰らないのかい?」訪わずがたりの会話が続き、互いの孤独な人生が浮かんでくる。戸口の向こうはしんしんと降る雪。大晦日。うらぶれた港町の凍れる夜。カウンターに座る高倉。客は高倉一人。カウンターの先にあるテレビ。にぎやかな紅白歌合戦が移り、画面には「舟唄」を歌う八代亜紀。「この歌好なのわたし」と口ずさむ桐子。「お酒はぬるめの燗がいい/肴はあぶったイカがいい……」北海道増毛町の居酒屋「桐子」にふらりと入ってきた男。流れるように、漂うようにゆらゆら揺れて、孤独な男と女が結ばれる。一夜(ひとよ)かぎりの情けにすがり、ひとときの胸の灯を...追悼八代亜紀②舟歌映画「駅STATION」

  • 八代亜紀さんお別れの会 追悼八代亜紀

    八代亜紀さんお別れの会追悼八代亜紀昨年12月30日に急速進行性間質性肺炎のため73歳で死去した歌手の八代亜紀さんのお別れ会が、3月26日東京・片柳アリーナで開催される。開催日3月26日午後5時場所東京都大田区西蒲田5の23の22片柳アリーナコンサート形式のお別れ会入場無料チケット(抽選)の申し込みは2月29日まで詳細は八代亜紀さんの公式サイトで確認。問い合わせは主催のミリオン企画☎03-5731-8463へ祭壇や献花台、展示スペースが設けられる。グッズ販売の利益の一部は、能登半島地震の被災地や動物保護団体・児童養護施設へ寄付いたします。なお、当日はどうぞ平服でご参列ください。たくさんの社会活動に取り組みました1973年に少年院の慰問を始めたのがきっかけで、老人ホームや福祉施設などの慰問が続けられた。198...八代亜紀さんお別れの会追悼八代亜紀

  • 能登半島地震 (7) 災害廃棄物

    能登半島地震(7)災害廃棄物災害廃棄物244万㌧石川県内ごみ排出量7年分(朝日新聞2024.2.71面)石川県全体の全体の年間ごみ排出量の約7年分に相当に相当するという。当然石川県だけで処分できる量ではない。県外も含めて広域での処分、海上輸送もを検討している。処理完了の目標を2025年度末としている。記者会見での馳浩知事の話。「ぞっとする数。大変なハードルだ。復旧復興のあらゆる足かせになると想定される」危機感をもろに出した発言である。内容的にはその通り、間違いではないが健の最高責任者としての発言としてはどうかと思う。危機感が前面に出ており、被災者の感情を煽りかねない発言は控えるべきでしょう。自分に課せられた責任の重さを、回避するなと言われても仕方のない内容だ。馳知事のテレビ記者会見にもこのことが表れている...能登半島地震(7)災害廃棄物

  • 能登半島地震 (6) 2次避難

    能登半島地震(6)2次避難2次避難新幹線延伸で迫る退去来月16日開業被災者に戸惑い観光地の宿泊施設期限延長できず(朝日新聞2024.02.10社会面)能登半島地震の被災者たちが2次避難先のホテルや旅館から出るよう決断を迫られている。背景にあるのは、3月16日の北陸新幹線の開業があるからだ。それに加えて3月から4月ゴールデンウィークを直前までを対象に、『北陸応援割』が始まることも影響している。応援割は石川、福井、富山、新潟の4県全域を対象範囲とするが、開始日決まっていない。観光庁は「各県の状況を踏まえて検討する」としている。しかも、開始時に予約済みの分が対象になるかも未定である。東日本大震災の時には、「いったん予約を取り消して、すぐに予約を入れなおす」というような措置がとられた。「いつまでも自粛しているわけ...能登半島地震(6)2次避難

  • 能登半島地震 (5) 失われた命

    能登半島地震(5)失われた命仲良かった妻と子の思い出を輪島ビル倒壊翌々日まで寄り添い続けた現場で(朝日新聞2024.1.29)(倒壊したビル・輪島塗「五島屋」)(ビルの下敷きになった居酒屋「わじまんま」)倒壊した7階建ての五島屋に押しつぶされてしまった居酒屋「わじまんま」。神奈川県川崎市から6年前に移り住んだ。1、2階が居酒屋で3階が住居になっていたが、真横に倒れたビルの下になってしまった。夫のKさんと次男、次女は難を逃れ無事だったが、妻のUさんと長女のYさんが押しつぶされた家の下敷きになってしまった。二人は瓦礫に挟まれ身動きができなかった。『引っ張っても動かない。近くにあったのこぎりで瓦礫を切り、ジャッキで持ち上げても駄目だった。妻Uさんの顔はすでにうっ血し、長女は「痛い、痛い」「のどが渇いた」と言って...能登半島地震(5)失われた命

  • 能登半島地震 (4) ボランティア始動

    能登半島地震(4)ボランティア始動2024.1.28朝日新聞一面トップ被災地ボランティア始動3市町に75人輪島・珠洲、受け入れ未定被災してからまもなく1カ月である。ボランティアの援助は被災者にとって、のどから手の出るほど欲しい援助だ。ボランティア導入がこんなに遅れてしまった裏に見えてくるのは、災害の大きさに比べ、地域行政の混乱が被害の全体像をなかなか把握できなかったや、道路の寸断や液状化により物流が滞ってしまったことが大きな原因になっている。3市町とは、石川県七尾市、志賀市、穴水町であり、奥能登に当たる輪島・珠洲には現時点で受け入れ未定となっている。こうした状況は、能登半島最奥にある、輪島・珠洲への道路の寸断、建物の損壊で移動や宿泊場所の確保が難しい。県では、個別でのボランティア活動は、交通渋滞の要因とな...能登半島地震(4)ボランティア始動

  • 能登半島地震 (3) 津波が来た

    能登半島地震(3)津波が来た2024.01.05朝日新聞は死者84人安否不明179人に能登地震72時間経過(一面トップ)一面トップの見出しは、石川県発表の死者の数と安否不明の数字を見だしにぶつけ、安否不明の179人という数字に、読者は救命救助の困難さを想像し被害の甚大さを思い浮かべる。72時間経過の見出しは、人命救助の難しさを暗示する。この時間を過ぎれば、生存率は15%になり、4日目の96時間を迎えるころには5%まで生存率が下がってしまう。これまで、津波について触れることができなかったので、新聞記事をもとに触れます。2011年の東日本大震災以来となる大津波警報が発令された。1959年の房総沖地震で初めて発令され、それから6回目の発令になる。(津波に関する警報の運用は1952年にはじまった)津波「一気に街に...能登半島地震(3)津波が来た

  • 能登半島地震 (2)修羅場となった被災地を伝える

    能登半島地震(2)修羅場となった被災地を伝える1月1日午後4時10分。震度7マグニチュード7.6。緊急地震警報と共に発生した能登半島地震からもうすぐ一カ月が過ぎようとしている。能登地震死者73に余震相次ぐ被害規模なお不明(朝日新聞朝刊2024.01.04トップ)生存率が落ち込むとされる「発生後72間」が迫るなか、消防や自衛隊職員の人命救助活動を記事は伝えている。この時点ではひがいの全容は把握できず、ボランティアの要請もしていない。どれだけの被害があるのか、孤立している集落がどのくらいあるのか、道路の寸断、津波の把握状況、建物等の被害状況、避難所の確保、食料、飲料水の確保など、逼迫した状況を報道するのみで、被害の全容把握はできておらず、緊迫した状況を報道するのみ。気象庁発表。(朝日新聞4日朝刊)この地域で1...能登半島地震(2)修羅場となった被災地を伝える

  • 能登半島地震

    能登半島地震1日午後4時10分能登震度748人死亡M7.6200棟以上火災2.8万人避難(朝日新聞1月3日一面トップ)天声人語では、次のように1日の能登地震を伝えている。『北海道から九州まで津波の到達範囲は日本海側に広く及んだ』地震発生時のテレビの緊急避難警報では、「津波が来ます。危険です。すぐに逃げて下さい」アナウンサーの言葉が、定点カメラが映し出す画面から、繰り返し繰り返し流れてくる。『冬の日没は早い。暗い中で避難を強いられ、寒さに耐える苦痛はいかほどか。停電や断水が続き通信状態も悪いという。倒壊した建物に閉じ込められ、助けを待つ人もいる』文章からは、尋常ではない被害の予測を懸念する天声人語氏の声が聞こえるようだ。一夜明けて見えてきた惨状を、「コロナ禍の一昨年も約20万人が訪れた観光地」の被災を次のよ...能登半島地震

  • 真珠湾奇襲攻撃 捕虜第一号 ⑤ 番外編・その後の酒巻和男

    真珠湾奇襲攻撃捕虜第一号⑤番外編・その後の酒巻和男捕虜になってから4年。太平洋戦争で最終的に日本が敗れるまで、酒巻はハワイを経てアメリカ本土に移され、6か所の捕虜収容所を転々としました。この収容所の中で、アメリカの民主主義や合理主義への理解も深め、続々と収容されてくる捕虜たちのリーダー的存在となっていきます。日本に帰ってから書いた「捕虜第一号」には、収容所で死を望む記述がある。戦陣訓の中に『生きて虜囚の辱めを受けず』とあり、捕虜になる事は最大の屈辱であると、教育を受けてきたからだ。「撃ち殺してほしい」と米兵に懇願する。しかし、願いがかなうはずもない。また、顔写真をとられたとき、彼は自分の顔にタバコの火を押し付け、人相を悪くした。自分が生きていることが判明した時、別人になるための行為だったのだろう。その写真...真珠湾奇襲攻撃捕虜第一号⑤番外編・その後の酒巻和男

  • 真珠湾奇襲攻撃 捕虜第一号 ④ そして捕虜になった

    真珠湾奇襲攻撃捕虜第一号④そして捕虜になった前回まで。敵地まで近づいた酒巻和男少尉と稲垣清二等兵曹の乗艦した特殊潜航艇ジャイロコンパスが故障していたが、艦長に「いよいよ目的地(真珠湾の入り口近く)ジャイロがためになっているがどうするか」と問われ、決行することを艦長に伝えた。苦しい訓練の末にやっとたどり着いた命がけの実践だ。手記の中で酒巻は次のように記している。『私は艦長の憂慮を吹き飛ばしたいと思いながら、力と熱を込め、「艦長行きます」と答えた。艦長に注目しながら最後の敬礼をする艇付の稲垣清二等兵曹の澄んだ目が、異様な閃光のように輝いて見えた』だが、ジャイロコンパスの壊れた潜航艇は迷走を続ける。湾口があとどれくらいかともどかしそうに潜望鏡を除く酒巻。しかし、酒巻の期待は微塵に砕かれてしまった。酒巻の見たもの...真珠湾奇襲攻撃捕虜第一号④そして捕虜になった

  • 未来の方向

    未来の方向①進むべき未来はこっちだ、という人がいる。でも、きっと未来に方向なんてない。それはまっさらな地図のようなもの。どっちに向かってもいいはずだ。ひとりひとりが進んだ方向に、それぞれの道とそれぞれの世界ができていく。だから、全方向で考えよう。やれることは全部やろう。可能性はたくさんあるほうが、おもしろいから。さあ、みんなでつくろう。あなたが進む方が未来だ。(トヨタイズム)2024.1.1.朝日新聞広告キャッチコピーより全文掲載トヨタ自動車が展開する企業イメージ広告。新年を飾るいいキャッチコピーだ。人それぞれの多様性を認め、今日という窓から未来の希望が見える。明るい未来が見える。宣伝広告と切り離しても鑑賞にたえられる詩文だ。だが、優しく理解しやすい文言の裏に、私たちに託された重い責任があることを忘れては...未来の方向

  • 真珠湾奇襲攻撃 捕虜第一号 ③ 機能しないジャイロコンパス

    真珠湾奇襲攻撃捕虜第一号③機能しないジャイロコンパス前回は、五艇を乗せた特殊潜航艇の母艦が、ハワイ・オアフ島の海域近くまで近づき、命を懸けた作戦を遂行する興奮と不安で緊張し、母艦の甲板に仁王立ちする酒巻の姿を描いた。特殊潜航艇とは本題に入る前に、特殊潜航艇・甲標的について説明しておきます。甲標的は魚雷2本を艦首に装備し(前回の写真及び図を参照)、鉛蓄電池によって行動する小型の潜航艇だ。乗員2名で、操縦士が座り、指揮官は立ったまま潜航する。開発当初は洋上襲撃を企図して設計されたが、後に潜水艦の甲板に搭載し、水中から発進して港湾・泊地内部に侵入し、敵艦船を攻撃する戦術に転換された。連合艦隊司令長官山本五十六に甲標的の作戦が具申されたとき、山本は奇襲案には賛成だったが、甲標的作戦では、攻撃後の収容が困難なため、...真珠湾奇襲攻撃捕虜第一号③機能しないジャイロコンパス

  • 真珠湾奇襲攻撃 捕虜第一号 ②特殊潜航艇

    真珠湾奇襲攻撃捕虜第一号②特殊潜航艇・甲標的航空母艦の艦載機による、奇襲攻撃は前述のように華々しい戦果を挙げた。しかし、この手記の酒巻和男が乗った「特殊潜航艇・甲標的」のことはあまり知られていない。簡単に言ってしまえば、甲標的は、二人乗り(甲型)の小さな潜水艇です。全長24㍍、全高3.4㍍、速力は19㌩(毎時35㌖)で、航続力は最大速力で潜行した場合50分程度しか航行できませんでした。魚雷2本を搭載しています。作戦終了後に母艦により収容される計画となっていたが、実際の収容は困難であり、生存率の低い兵器でした。華々しい戦果の陰に隠れて、たった5隻の潜航艇に10人の兵士が乗った2人乗りの「特殊潜航艇・甲標的」の戦果は皆無だったが、当時は戦果についての発表はなかった。戦死した9人は太平洋戦争最初の戦死者として華...真珠湾奇襲攻撃捕虜第一号②特殊潜航艇

  • 真珠湾奇襲攻撃 捕虜第一号 ①太平洋戦争の始まり

    真珠湾奇襲攻撃捕虜第一号①太平洋戦争の始まり真珠湾攻撃について開戦82年目の12月8日あの日を振り返ってみよう。1941年12月8日(現地時間7日)、日本海軍の航空機約350機と、空母六隻とからなる機動部隊が、ハワイ・真珠湾にある米軍基地を奇襲攻撃した。米国は艦船6隻が沈没するなどの損害を受け、約2400人が死亡。攻撃直前には日本陸軍もイギリス領マレー半島へ上陸し、太平洋戦争が始まった。ただ、米国への最後通牒が攻撃の一時間後に届けられたために、「宣戦布告なき戦争」として、後々まで批判された。この奇襲作戦には、二人乗りの特殊潜航艇五艇が参加していたことはあまり知られていない。五艇の特殊潜航艇のうち、作戦通り湾内に侵入できたのは二艇、できなかったのは二艇で、いずれも米軍の哨戒艇による爆撃で撃沈されている。ただ...真珠湾奇襲攻撃捕虜第一号①太平洋戦争の始まり

  • 告知について ③ターミナルケア

    告知について③ターミナルケア見捨てられた患者「好きなものを何でも食べていいよ」と、食べられない患者に向かって無責任な言葉を主治医は投げかけ、さらに「いつ外泊してもいいよ」と追い打ちをかける。担当医が言った言葉を私は兄から聞いた。食事がのどを通らないことも、外泊できるような症状ではないことも、担当医は十分に承知しているはずだ。気休めや見せかけだけの優しさで患者に接するべきではないと私は思う。そうした担当医の言葉に、「もう治らないから、好きなことをしていいよ」ということかと兄は私に言う。「がんの告知はしない」、「延命治療はしない」と、最初のインフォームドコンセントの時に同意書に書き、ターミナルケアをお願いした。だが、あまりにもおそまっなケアだった。患者の意向や家族の意向も考慮されない、心の通わない義務的な医療...告知について③ターミナルケア

  • 告知について ② 生きるための努力

    告知について②生きるための努力この家族は、「告知すること」から逃げている。「生きる希望をなくし、命を縮めててしまう」ような状況が訪れたとき自分たちに負わされる負担とストレスを恐れている。私はそう思った。告知をしないまま、「食道に腫瘍ができているから、それを取り除くための治療」を始める。腫瘍のできた場所は手術できない場所なので、放射線照射により腫瘍を取り除く施術という偽りの説明に兄は納得し、闘病生活に入った。癌はリンパ節から全身に広がり、もう手の施しようがないことを兄は知らない。何としても、病を克服し家に帰りたい。放射線治療のために食事は喉が通らず、と云うよりも食道にできた癌が食べ物の通過を難しくしている。廊下の手すりを伝いながら、やっとの思いで食堂に辿りつき、ほんのわずかな食事の量を嚥下することができず、...告知について②生きるための努力

  • 告知について… ① 余命宣告

    告知について…余命宣告辛い事実(告知)を伝えるのは、その人がその人らしく生きるため。病気に負けないで少しでも幸せになってもらいたいから。「告知」なんて冷たい響きのある言葉は、そろそろ死語にしたい。「病気の説明」で充分だ。ショックなく、少しでも希望を持ってもらえるように、できれば、隠し事のないように伝えたい。辛いことを伝えるときは、いつでも、どんなときでも、あなたの命に寄りそいますよという思いをこめていたい。※それでもやっぱりがんばらない鎌田實著より集英社文庫2008.6第2刷刊P4520年以上も前の話になる。まだ、現役で務めているとき、18歳離れている兄を癌でなくした。通勤の道筋にあった病院に、勤めが終わるとほとんど毎日、兄の病室を訪ねた。兄は若い時から胃腸が弱く、胃の三分の二を摘出した。その兄が、体調を...告知について…①余命宣告

  • 輸入依存の食料自給率38% ②コメ生産偏重の農業政策の改革ができない

    輸入依存の食料自給率38%②コメ生産偏重の農業政策の改革をしないで自給率の低い食料を輸入に依存する過ち。主要国の食料自給率(カロリーベース食料自給率)(単位:パーセント)出典:農林水産省試算(カロリーベース)国名1965年2015年2020年カナダ152255221オーストラリア199214173フランス109132117アメリカ117129115ドイツ669384イタリア886258日本733938(2022年度)〇諸外国の⾷料⾃給率の試算値を⽐較すると、①カロリーベースについては、国内の消費⼈⼝が⼩さく、カロリーベースに寄与する穀物、油糧種⼦等の⽣産量が多いカナダ、オーストラリア等の国が上位に位置づけられる⼀⽅、②⽣産額ベースについては、野菜・果実等の輸出量が多いイタリアがドイツ、イギリスを上回るなど...輸入依存の食料自給率38%②コメ生産偏重の農業政策の改革ができない

  • 輸入依存の食料自給率38% ①自給率低下の現状

    輸入依存の食料自給率38%①自給率低下の現状「日本は資源がないので、外国から資源(材料))を輸入し、それを加工し外国へ輸入する。こういう貿易を加工貿易というんだ」遥か昔、今から六十数年前に私は小学校の社会の授業で教わりました。大東亜戦争の愚かしい夢を敗戦という現実が訪れ、戦後復興を合言葉にみんなが必死に働いた。終戦直後、生産手段を持たない人たちは、食料確保に汲々した時代があった。闇市が軒を並べ、闇物資が横行し、着物などを食料と交換した食料難時代が続いた。コメは食糧管理法で管理され、配給制で自由には購入できず、ヤミ屋が運ぶヤミ米購入しなければ多くの人は、食糧危機を乗り越えることができなかった。やがて、食料危機がなくなると経済は安定し、政府や人々の関心は、働いてお金を稼ぎ経済的な安定を求めるようになります。社...輸入依存の食料自給率38%①自給率低下の現状

  • 読書案内「帰艦セズ」吉村 昭著 ②新しい事実

    読書案内「帰艦セズ」吉村昭著②新しい事実調査が進むにつれ次のことが分かった。乗船していた軍艦は「阿武隈」で、事件当時北海道小樽港に碇泊。記録は「昭和十九年七月二十二日〇〇四五ヨリ七月二十三日〇六一五マデ」の上陸許可を申請し、下船を認められる。成瀬機関兵は旅館に一泊し翌早朝帰艦するため旅館を出たが、官給品の弁当箱を忘れたことに気付き、狂ったように旅館を探し回ったのに違いない。帰艦時刻が迫り、商店の者に懇願して自転車を借り、桟橋に向かってペダルを踏んだ。館に戻ったかれは、弁当箱を持たずに帰ったことを報告、激しく叱責されて官紛失の、罪の重大さを知り、再び上陸した。が、それを探すことができず、そまま桟橋に足を向けることをしなかった。調査員の橋爪は、官品の弁当箱を紛失したまま帰還した場合の想像される過酷な制裁と処罰...読書案内「帰艦セズ」吉村昭著②新しい事実

  • 読書案内「帰艦セズ」吉村昭著 ①飢餓ニヨル衰弱死

    読書案内「帰艦セズ」吉村昭著ブックデータ:文春文庫2011.7第三刷短編集「帰艦セズ」の初出掲載誌新潮昭和61年1月号戦争で息子が戦死した。届いた箱の中には石が一つ入っていた。お国の為に戦い、英霊として靖国神社に祀られる。大義の為に命を捧げざるを得なかった人の死に対して、赤紙一枚で、個人の事情などまったく勘案することなく、強制的に兵役を課せられた人の無念さを思えば、なんと軽々しい戦死の扱いか。木箱一つを送り付けられて、最愛の夫や息子を戦死させてしまった遺族の後悔は計り知れない。どのような状況で戦死したのか、遺族としてはどんな些細なことでもいいから戦死に関する情報を知りたいと思うはずだ。「帰艦セズ」は一人の逃亡兵の話である。死亡者は成瀬時夫、大正十年七月十九日生まれで、海軍機関兵、死因の欄には「飢餓ニ因ル心...読書案内「帰艦セズ」吉村昭著①飢餓ニヨル衰弱死

  • 秋は夕暮れ

    今年の夏の暑さは尋常でなかった。寝苦しい夜が続き寝不足気味の朝を迎える。寝汗をかいた体を幾分冷たくしたシャワーで体温を下げ、すっきりした状態で朝食をとる。「暑さ寒さも彼岸まで」と言いますが、今年の夏はどうなのでしょう。朝晩、幾分涼しく感じられますが、日中はまだまだ暑く、麦わら帽子をかぶっての畑作業は老いの身にはかなり応えます。やがて田んぼのあぜ道や、河川の土手に彼岸花が咲き始めるでしょう。秋がひそやかに忍び寄ってくる残暑の一日が暮れていく。清少納言は「春はあけぼの。やうやう白くなりゆく山際、少し明かりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる」がいいと、また「夏は夜」、「秋は夕暮れ」「冬はつとめて(早朝)」と日本の四季の美しさを見事に表現しています。「枕草子」待ち遠しい秋の作品を集めてみました。秋は夕暮れ秋は夕暮...秋は夕暮れ

  • 海に消えた対馬丸 学童疎開船の悲劇 ⑩さらなる試練

    海に消えた対馬丸学童疎開船の悲劇⑩さらなる試練太平洋戦争の末期、本土の長崎港に向けて出港した学童疎開船・対馬丸は、吐噶喇列島の一つ、悪石島沖で米潜水艦・ボウフィン号の魚雷攻撃によって沈没した。対馬丸は沖縄から出向した最初の学童疎開船だった。このことが公になってしまうと、10万人の非戦闘員の疎開に支障をきたしてしまう。もう一つ、この学童疎開船には別の目的がありました。前述したが、『本土防衛の要となる沖縄決戦』を敢行するために、人口40万の沖縄に、各地の戦地から10万人の兵士たちが、続々と沖縄に上陸してきました。その食料調達には足手まどいになる児童を含む非戦闘員の本土輸送だったのだ。最初の学童疎開船対馬丸が撃沈されたことが島民に知れると、輸送作戦に支障をきたすことを危惧し、沈没の事実は『箝口令』によって、長い...海に消えた対馬丸学童疎開船の悲劇⑩さらなる試練

  • 海に消えた対馬丸 学童疎開船の悲劇 ⑨ 小さな命が海に沈んだ

    海に消えた対馬丸学童疎開船の悲劇⑨小さな命が海に沈んだ沖縄出身の芥川賞作家・大城立裕は「対馬丸」の著書の中で、沈没を経て漂流者となった人たちの様子を次のように表現しています。「無数の叫び声が」、刻々ひとつづつ減っていく。死だ。いくつもの死。次々と無造作に作られていく屍体が、海面を次第に分厚く覆っていった。あがき、叫ぶ人たちは、流れていくうちに、それらの屍体に行き当たった。それらは、今さっきそこで筏を奪い合った相手かもしれないし、昨夜一緒に「さらば沖縄」を唄った仲間かもしれないし、ふとしたことで仲たがいした親友かもしれなかった。あるいは、わんぱくでてこずらせた恩師かもしれないし、よくできて可愛がった教え子かもしれなかった。……生きている者は、漂っているそれらの屍体にぶつかると、反射的に屍体をはねのけた。運の...海に消えた対馬丸学童疎開船の悲劇⑨小さな命が海に沈んだ

  • 海に消えた対馬丸 学童疎開船の悲劇 ⑧

    海に消えた対馬丸学童疎開船の悲劇⑧沈んでゆく疎開船わずか12分で対馬丸は、悪石島海域の海底に沈んだ。1944年8月22日22時23分ごろ。海水は冷たく、すさまじい水圧がかかってきた。沈んでいく対馬丸に伴って、大きな渦が起こり、体が激しい勢いで回転し始めた。「船が沈没したらなるべく早く船から遠くに逃げろ」と、疎開船の不安を煽るような注意はされなかった。ただただ大人たちの「逃げろ!」という叫びに、子どもたちは船倉から狭い階段を、甲板にに向かって必死で登って行った。傾いた甲板に出て、「海に飛び込め!」という大人たちの声に、暗い海面を見てしり込みする児童もいる。恐怖にすくみ、甲板に座り込んでしまう児童は、大人たちに抱きかかえられ、暗くうねる海に放り込まれた。闇の世界に埋もれながら、意識が遠のいていく。……どれほど...海に消えた対馬丸学童疎開船の悲劇⑧

  • 海に消えた対馬丸 学童疎開船の悲劇 ⑦ 待っていたのは……

    海に消えた対馬丸学童疎開船の悲劇⑦待っていたのは……付き添いの保護者や学校関係者の心配や不安をよそに、学童たちは初めての航海に興奮し、まるで修学旅行の夜のようになかなか寝付くことができなかった。ちょうどその頃、米国潜水艦ボウフィン号は学童疎開船団の進行方向の海域20㌔先で、船団が近づくのを待ち構えていた。船団から発信された暗号は、米国軍によって解析され、航路や到着時刻まで正確に把握されていた。夜10時監視員の交代があって間もなく、左舷の遠くに五本の白い線の動きを発見。次の瞬間彼は、伝声管に向かって叫んでいた。「雷跡発見!距離500!本線に向かって失踪中」第一魚雷は船首前方を掠め、第二魚雷も船倉左舷を通過した。運命の第三魚雷は左舷船倉の第一船倉、第四魚雷も同じ左舷の第二船倉に命中。いずれも学童を収容した船倉...海に消えた対馬丸学童疎開船の悲劇⑦待っていたのは……

  • 海に消えた対馬丸・学童疎開の悲劇 ⑥悲劇の夜が近づいてくる

    海に消えた対馬丸・学童疎開の悲劇⑥悲劇の夜が近づいてくる834人の学童を含む1661人の疎開者たちと、船舶砲兵隊員41人、船員86人、合計1788人を乗せた対馬丸は他の疎開船和浦(わうら)丸、暁空丸(ぎょうくう)と共に砲艦「宇治」と駆逐艦(護衛艦)「蓮」に護られて、1944(昭和19)年8月21日午後6時35分那覇港を出港した。ドラを鳴らし、テープを投げ合う旅立ちを祝福するセレモニーはなかった。鹿児島までの3日間の航海です。8月22日の朝、周辺海域は台風の影響で風が強く、老朽船の對馬丸は船団の速度についていけず、しだいに遅れはじめ、これを見守るように護衛艦「蓮」が対馬丸の後ろをついていきます。こうして、22日も無事に終わろうとしていました。後、2日たったら本土鹿児島に到着する。親たちとの別れは悲しかったが...海に消えた対馬丸・学童疎開の悲劇⑥悲劇の夜が近づいてくる

  • 海に消えた対馬丸・学童疎開の悲劇 ⑤

    海に消えた対馬丸・学童疎開の悲劇⑤通達文書に示された隠された疎開の理由県から各学校や役場等に届いた『学童集団疎開準備に関する件』という通達文書に示された集団疎開の目的として、『戦時中といえども少国民の教育に差し支えないようにするため』という他に、『県内食糧事情の調節を図るため』とあった。つまり、急激に増員された10万人の兵隊の食料確保のために、10万人の学童や学校関係者及び保護者を県外に疎開させるという、帳尻合わせの学童疎開でもあった。あまりに急な要求に、学校関係者や保護者達は戸惑うばかりで、希望者はなかなか集まらなかった。『残っているより行ったほうがよい、たとえ敵が上陸してこなくても、空襲はあるでしょう。空襲されたら、那覇なんか吹っ飛んでしまうだろう』さまざまな噂がささやかれたが、『これは国策ですぞ』と...海に消えた対馬丸・学童疎開の悲劇⑤

  • 海に消えた対馬丸・学童疎開の悲劇 ④

    海に消えた対馬丸・学童疎開の悲劇④学童疎開船『対馬丸』撃沈に至る経緯②真珠湾奇襲攻撃1941(昭和16)年12月ミッドウェイ海戦1942(昭和17)年6月この海戦で日本は多くの犠牲を余儀なくされ、戦況は劣勢になっていくサイパン陥落1944(昭和19)年7月(学童疎開船「對馬丸」出港・撃沈まで1年)1944(昭和19)年7月7日、サイパンの日本軍が陥落した。本土防衛の「防波堤」である絶対防空圏の一つであるサイパンが米軍の手に落ち、日本本土はB29・重爆撃機の爆撃圏内に入った。サイパンが陥落すると各地に派兵された兵隊が、米軍上陸に備え沖縄に進駐してきた。当時、人口49万人の沖縄に10万の兵隊が集まってきた。59万人に膨れ上がった沖縄の人々にとって不足するものは何か?小さな島では食料の生産性も極めて低く、本土か...海に消えた対馬丸・学童疎開の悲劇④

  • 海に消えた対馬丸・学童疎開の悲劇 ③

    海に消えた対馬丸・学童疎開の悲劇③学童疎開船『対馬丸』撃沈に至る経緯1941(昭和16)年12月8日未明、日本は真珠湾を奇襲した。第二次世界大戦の始まりだ。日本軍の真珠湾攻撃から数時間後、アメリカ海軍省は、無制限潜水艦戦の命令を出した。当時、潜水艦や飛行機で無差別に商船を攻撃することは、国際法で禁止されていた。しかし、命と命のやり取りの戦争が始まれば、国際法や条約は戦争を前にして無視されてしまった。結果として、宣戦布告なしの『奇襲』という攻撃になってしまったことに対し、アメリカはその報復として、「無制限潜水艦戦」を発令したと思われる。「パールハーバーリメンバー」をスローガンに、ミッドウェイ開戦でアメリカは劣勢を回復していった。日本軍の暗号はアメリカ軍によって解読されていた。戦争が終わるまでに撃沈された日本...海に消えた対馬丸・学童疎開の悲劇③

  • 海に消えた対馬丸・学童疎開の悲劇 ②

    海に消えた対馬丸・学童疎開の悲劇②海底に横たわる対馬丸1997(平成9)年冬。深海探査機が海底の沈んでいる船を探し当てた。場所は鹿児島県トカラ列島の悪石島(あくせきじま)沖。水深870㍍の光のない暗黒の世界。探査機のサーチライトの光に黒く大きな物体が徐々に浮かび上がってくる。やがて、光にとらえられた物体がその正体を現してくる。穴の開いた船が永い眠りから覚める瞬間である。探査機が近づく。暗くよどんだ海底のなかで光がとらえたものは三つの文字だった。濁った海水を通して浮かび上がる文字。『對馬丸』。カメラは海底に横たわる船をとらえる。腐食が進み魚の住み家になっている船。1944(昭和19)年8月22日22時23分、悪石島沖にて沖縄の学童疎開船「對馬丸」が撃沈から53年ぶりに姿を現した瞬間であった。船は那覇から長崎...海に消えた対馬丸・学童疎開の悲劇②

  • 海に消えた対馬丸・学童疎開の悲劇 ①

    海に消えた対馬丸・学童疎開の悲劇①戦後78年が過ぎた。本土では一般的に、太平洋戦争の終戦記念日は8月15日と言われている。そのせいかどうか、沖縄の「慰霊祭」の記事は、全国紙を含め、記事の扱いが小さく、関心の薄さを如実に感じさせる紙面構成である。沖縄では昨日6月23日を「慰霊の日」とさだめ、太平洋戦争末期の沖縄戦犠牲者を悼む式典が沖縄県糸満市の平和記念公園で開かれた。日本全土にある米軍基地の70%が沖縄に集中している。本土決戦を前にして、日本軍は10万人の兵士を沖縄に送った。小さな島に10万の兵士が送り込まれる。兵士たちの食料や宿舎はどのように確保されたのか。不安と混乱の中、不平や不安を口にすれば、「これは、国策ですぞ!!」と有無を言わさぬ強引さで本土防衛のための「沖縄決戦」が進められた。太平洋戦争で唯一、...海に消えた対馬丸・学童疎開の悲劇①

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