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  • ヴァンツレーベン城塞

    ハノーファーから東南東に走って約2時間、かつての東西ドイツ国境を超えると間もなくヴァンツレーベン町に入ります。この町の北の外れにヴァンツレーベン城塞は建っているのです。城に属する公園はそのまま広大な森につながっています。というか、城とヴァンツレーベンの町が森の中にぽつんとあるのです。城門をくぐると真ん中に塔がある広い中庭で、そのまわりに円を描くように低層の城の建物が並んでいます。原型ではなく新築または修復した建造物ばかりのようです。さて、最初にヴァンツレーベン城塞の存在が述べられているのは10世紀の古文書だそうです。当時二重の溝と城壁を備えた丸い城として建てられ、ヨーロッパ最大の低地に建つ城のひとつです。13世紀に建てられた高さ30メートルを超えるロマネスク様式の天守閣は、今日この地域の象徴(シンボル)に...ヴァンツレーベン城塞

  • アンタルヤ

    クリスマス休暇で、2週間弱をトルコの地中海沿岸の町アンタルヤで過ごしました。30年以上前に来た時は人口数十万の地方観光都市に過ぎませんでしたが、今では人口2百万人を越す大リゾート地に成長しています。イギリス人とドイツ人を筆頭に西ヨーロッパの人々、それに加えてロシアやアジアからの観光客が大勢訪れているのです。観光街を歩くと以前はお土産店やレストランの客引きから「こんにちは!」と声がかかっていたのに、今回は例外なく「ニーハオ!」か「アニョガセヨ!」です。中国語を掲げた店もあります。日本人観光客の影が非常に薄くなっているようです。市域のはずれの公園にある滝・その公園から見た観光船海岸の景色さて、この地域にはコーカサスとメソポタミアから来た人たちが紀元前4500年頃から住んでいました。紀元前9から7世紀にギリシャ...アンタルヤ

  • ベルゲドルフ城館

    ハンブルクに現存する唯一の城はその郊外のベルゲドルフという所にあり、何世紀にもわたって、例えば17世紀初頭、17世紀後半、19世紀の終わりから20世紀の初めにかけてゴシック様式やネオゴシック様式、あるいは地元のスタイルを使って拡張され再建されてきました。城館1&2堀に囲まれたベルゲドルフ城の起源はまだ明確には明らかにされていませんが、「堅固な家」が14世紀に初めて文書に登場しました。ある伯爵が13世紀はじめにビル川を堰き止めて水車小屋を建設したので、その時に最初の保護構造としての城が建設された可能性があります。恐らく二重の堀と跳ね橋を持ち柵で囲まれた複合施設であったでしょう。内部には他のドイツの低地の城と同様に、攻撃を受けた場合の退却場として巨大な塔があり、厩舎と井戸を備えた農場と住宅の建物もありました。...ベルゲドルフ城館

  • 市営墓地 ゼールホルスト

    ハノーファーにある私の自宅のすぐ近くに、数か所にある市営墓地のひとつ、ゼールホルストがあります。ここは1920年に開設され1960年には正門が移設されて、訪問するのに市電を利用しやすくなりました。開設時の旧正門・旧正門を抜けて敷地の中央部に近いところ63ヘクタールの敷地はハノーファー市で最大の墓地で、約3万5千の墓があります。通常の個人の墓の他、ユダヤ人犠牲者の慰霊碑、戦没者やオランダ人徴用労働者の墓が並ぶ場所、そして少ないながらベトナム人や中国人など仏教徒の墓がある所があります。さらに1990年からは立木を墓標にした埋葬箇所もあるのです。墓石と埋葬して間もない墓(ドイツは土葬)・ユダヤ人犠牲者の慰霊碑戦没者のモニュメント・オランダ人徴用労働者の墓仏教徒の墓集団埋葬の場・集団墓木春は桜、夏は並木道の緑のト...市営墓地ゼールホルスト

  • クリスマスマーケット

    ドイツでは各地でクリスマス前の時期にクリスマスマーケットが開かれます。小さな観覧車など子供のための乗り物やコンサートなどもありますが、中小規模の屋台で手工芸品やクリスマスの装飾品、そしてグリューヴァイン(赤ワインに甘味と薬味を入れて熱したもの)に代表される季節の飲み物や食べ物が販売され、みんな立ったままで和気あいあいと談笑します。クリスマスマーケットは中世の時代にミュンヘンで始まり、その後各地に広がったようです。本来は寒い季節に備えて食料や生活用品を買う機会を市民に与える市場でした。そこには子供の玩具、かごやざる、クリスマスのお菓子やその他の甘いもの、そして栗やナッツやアーモンドなどの木の実も売られていたそうです。こんにち各市町村がそれぞれの伝統を生かし、かつ工夫を凝らしてその集客力を競っています。私が暮...クリスマスマーケット

  • 倉庫群 (シュパイヒャーシュタット) にある「水城」

    北ドイツの最重要都市ハンブルクの港湾地域にある倉庫群(シュパイヒャーシュタット)は世界最大の歴史的な倉庫群で、1991年に世界遺産に登録されました。植民地時代の遺産の一部であるこの倉庫群は19世紀後半から20世紀の前半にかけて建設及び拡張されて行きました。1948/49年時の「水城」と運河の様子(パンフレットより)倉庫と運河1&2倉庫と運河3・運河と新旧の建物そのシュパイヒャーシュタットの真ん中、2つの運河に挟まれた半島に、本来の城ではないけれど「水城」と呼ばれる1905年から1907年にかけて建てられた歴史的建造物があります。それは歴史あるシュパイヒャーシュタットで最も美しく、最も写真に撮られている建物のひとつです。この4階建ての建物は昔油圧貯蔵ウインチのメンテナンスと修理を行う港湾労働者の宿泊施設と作...倉庫群(シュパイヒャーシュタット)にある「水城」

  • ホテル イル ・ グラディアトレ

    バイエルン地方の中堅都市アウグスブルクで講演をするのに長距離なので列車で行くのですが、この国の鉄道は運休や遅延がよくあるので一日前に行って駅のすぐ近くのホテルに泊まりました。〈古い公園のそばのホテル〉という名前のホテルです。キリスト教会が運営している施設で、このホテルの他に病院、小さな公園、老人ホームなどがあります。同じくこの施設に属するレストラン・バー・ラウンジで夕食をとりました。モダンで殺風景な建物ですが、優しそうな笑顔が魅力的な若おばさんのサーヴィスで心が和みます。裏の入り口が病院の入り口と向かい合わせになっているので、入院患者らしきお客さんもいます。鼻に管を差して体に袋を下げた人、何らかの器械を体に付けた人、車椅子の老人を囲んだグループ、、、、。宿泊客はここで食事をすると飲み物が一杯無料ということ...ホテルイル・グラディアトレ

  • ヴェンドリングハウゼン城館 & バルントループ城館

    17世紀の前半にヴェーザー・ルネッサンスのスタイルで水城として建造されたヴェンドリングハウゼンという名前の城館および大農園は、ハノーファーから南西に100kmくらい離れたところにあります。当初からある家族が住んでいる個人所有の城館です。今世紀の初めに大々的な修復が行われました。ヴェンドリングハウゼン城館の入り口・城館1城館2&3城館4&5お城に属する広大な小高い山林を歩いていて見つけた看板によると、その山林自体が大きな墓地のようです。火葬した灰を有機質の骨壷に入れて埋め、そばの立ち木にプレートを下げるシステムです。その看板の近くに池があり、そのほとりで妻の手作り弁当を食べました。墓地の看板・池弁当グリーンピースご飯に昆布と黒ゴマが混ざります。おかずは大根と干しイチジクの酢の物、ハム入り卵巻き、シイタケの甘...ヴェンドリングハウゼン城館&バルントループ城館

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