N響の定期演奏会が終わってから、サントリーホールに移動した。日本フィルのセミ・ステージ形式上演「仮面舞踏会」(ボストン版)を観るためだ。日本フィルは<広上淳一&日本フィル「オペラの旅」>というシリーズを始めた。「仮面舞踏会」はその第一弾だ。 演出は高島勲。オーケストラの後方(ステージの奥)にスペースを設けて、歌手はそこで演技をしながら歌う。また時にはオーケストラの前に出てくる。客席から歌手が登場する場面もある。それらのことは珍しくはないが、でも十分に楽しめた。歌手は衣装をつけた。その衣装はシンプルだが、役柄を示して有効だった。照明もシンプルだったが、美しかった。必要最小限の小道具が使われた。 …
昨日は都合により演奏会がふたつ重なった。まずN響の定期演奏会から。指揮はルイージで曲目はマーラーの交響曲第3番。N響は5月に開かれるアムステルダムのマーラー・フェスティバルに参加する。交響曲第3番はその演奏曲目だ。 マーラー・フェスティバルには錚々たるオーケストラが参加する。地元のコンセルトヘボウ管弦楽団(指揮はマケラ、曲目は交響曲第1番と第8番)、ベルリン・フィル(指揮はペトレンコとオラモ(当初はバレンボイムの予定だったが、オラモに代わった)、曲目はペトレンコが第9番、オラモが第10番アダージョと「大地の歌」)、シカゴ交響楽団(ヤープ・ヴァン・ズヴェーデン、第6番と第7番)、ブダペスト祝祭管…
話題の指揮者オクサーナ・リーニフが読響を振った。1曲目はショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲第1番。ヴァイオリン独奏はヤメン・サーディ。ウィーン・フィルの若きコンサートマスターだ。第1楽章が始まる。弱音にこだわった演奏だ。それは良いのだが、緊張感が生まれない。どこかぎこちない。 そのぎこちなさは第2楽章に入ってからも続いた。結局、ぎこちなさが払拭されたのは、第3楽章のカデンツァからだ。やっと演奏が乗ってきた。第4楽章はそれまでのすべてを吹き飛ばすかのように独奏ヴァイオリンもオーケストラも快速テンポで走り抜けた。 サーディのアンコールがあった。ユダヤ的な情感のある曲だ。帰りに掲示を見たら、サー…
国立西洋美術館で「西洋絵画、どこから見るか?」展が開催中だ。アメリカのサンディエゴ美術館の作品と国立西洋美術館の作品を並列する。たとえばチラシ(↑)はサンディエゴ美術館のコターン(1560‐1627)作「マルメロ、キャベツ、メロンとキュウリのある静物」。これを国立西洋美術館のアメン(1596‐1631)作「果物籠と猟鳥のある静物」と並べる。 コターンの本作品はじつにおもしろい(チラシ↑は一部だ。全図はHPに掲載されている)。左から順にマルメロ、キャベツ、メロン、キュウリの順に放物線を描く。個々の野菜の写実性に対して、放物線が妙に抽象的だ。背景は漆黒の闇だ(後述するスルバランの「神の仔羊」も背景…
パーヴォ・ヤルヴィが振るN響Aプログラム。1曲目はベルリオーズの「イタリアのハロルド」。ヴィオラ独奏はアントワーヌ・タメスティ。指揮者のパーヴォが登場する。しかし独奏者のタメスティの姿が見えない。さては‥と。オーケストラの演奏が始まる。やおらタメスティが登場する。そこまでは想像通りだが、タメスティはまっすぐ指揮者の横に行くのではなく、オーケストラの中をさまよい、ハープの横で演奏を始める。ヴィオラ独奏の冒頭はハープが伴奏をつける。山中(=オーケストラ)をさまよったハロルド(=独奏ヴィオラ)は、ハープの横に居場所を見つけたのだ(第1楽章は「山の中のハロルド。憂うつと幸福と歓喜の情景」と題されている…
リープライヒが振った日本フィルの定期演奏会。1曲目はハイドンの交響曲第79番。弦楽器は10‐8‐6‐5‐3の編成。ノンヴィブラート奏法だ。内声部が浮き上がる。一方、ヴァイオリンの音は細く感じる。もう少し鳴ってほしい。それにしても、久しぶりに聴くハイドンは良い演奏だった。形が崩れない。また柔軟でもある。オーケストラのアンサンブルを鍛えるにはハイドンが良いといわれる。たしかにそうかもしれない。ハイドンは聴衆の入りが悪いので、オーケストラとしては難しいところだろうが。 2曲目はボリス・ブラッハー(1903‐1975)のヴァイオリン協奏曲(1948)。ヴァイオリン独奏はコリヤ・ブラッハー。ボリスのご子…
初台(東京シティ・フィル)から溜池(東響)へ。連チャンは苦手だが、定期演奏会が重なったので仕方がない。東響はノットの指揮でブルックナーの交響曲第8番(第1稿、ノヴァーク版)。ノットの音楽監督ラスト・シーズンの幕開けだ。 ブルックナーの交響曲第8番の第1稿はずいぶん聴くようになった。直近では2024年9月にルイージ指揮N響で聴いた。ルイージとN響の演奏も立派だったが、ノットと東響の演奏はルイージとN響をふくめたどの演奏とも異なる演奏だった。 端的に言って、ノットと東響のような第1稿の演奏は聴いたことがない。第1稿には(ルイージとN響がそうであったように)ごつごつした荒削りの音楽というイメージがあ…
東京シティ・フィルが創立50周年のシーズンを迎えた。高関健のもとで好調理に記念すべきシーズンを迎えることができた。わたしは高校時代のブラスバンドの後輩が同フィルの創立メンバーだったので、創立当時にチケットを買わされて何度か聴きに行った。当時とくらべると今の充実ぶりは目をみはるようだ。 記念すべきシーズンの最初の定期演奏会は、高関健の指揮でまずショスタコーヴィチの組曲「ボルト」の抜粋。同じショスタコーヴィチでも「祝典序曲」なら月並みな感じがしただろうが、「ボルト」という選曲が高関健らしい。演奏は各曲(5曲)のキャラクターが鮮明に描出される好演だった。たとえば「官僚の踊り(ポルカ)」のピッコロや「…
物価高騰の余波がクラシック音楽にも及んでいる。今年10月のウィーン国立歌劇場の来日公演のチケット代は、平日で最高7万9000円、土日で最高8万2000円だ。夫婦や恋人同士で行けば16万円前後。それでも行く人がいる。富めるものと冨まざるものとの格差拡大が表れる。 今年8月のサントリーホール・サマーフェスティバルのスケジュールが発表された。同フェスティバルは例年「ザ・プロデューサー・シリーズ」と「国際作曲委嘱シリーズ」と「芥川也寸志サントリー作曲賞選考演奏会」の3本柱で構成される。だが今年は「ザ・プロデューサー・シリーズ」はない。大幅な規模縮小だ。制作コストの上昇のためだろうか。 話が横道にそれる…
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