3月24日、厚労省の職員23人による送別会開催は、国民の政治不信を招く大失態で、今後の新型コロナ対策に暗い影を落とした。国民の間には、長期にわたる不自由な生活から来る精神的なストレスと厭世観が蔓延している。そんな状況下で、新型コロナ対策を主管する厚労省の職員が、平然と掟破りをするようでは、誰だって指示に従う気が失せる。しかも、政府が掲げる「感染リスクが高まる5つの場面」のうち、①飲食を伴う懇親会等、②大人数や長時間におよぶ飲食、③マスクなしでの会話は、基本中の基本。田村厚労大臣が、陳謝し、関係者の厳重処分に言及したが、永田町や霞が関には、一般市民には理解できない別次元のモラルがあるとしか思えない。★厚労省の送別会
3月25日、小池都知事は、福島県で行われた東京五輪の聖火リレーの出発式にリモート出席しなかった。都民に「県境をまたぐ移動を控えて」と要請しても、ご自分は、目立つイベントには出たかったようだ。1月の千代田区長選でも、都民ファーストの会候補の応援に何度も足を運び、「密」を作ったように、「自分ファースト」だとしか言いようがない。1年前の小ブログ記事を読み返してみても、東京の感染者数が一向に減らないのは、都知事の無策が原因だと思っている。★クラスターは東京:番外編小池都知事が、国の力を借りなくても出来る対策は沢山あったにも拘わらず、今頃になって、外出の自粛要請とは遅すぎると憤慨している。「不要不急」と言われても、外出する人は、自分な......>続きを読む★1年前と変わらぬ都知事
福島からスタートし、栃木&群馬県へとリレーする聖火ランナーは、コロナ・ストレスを吹っ飛ばして、満開の桜を堪能してもらいたい。金沢でも、例年より早く見頃を迎えたので、自宅近くの川べりで桜を眺め、金沢工業大学の構内へと足を延ばしたら、「教科書販売」の看板を見かけた。親子で必要な物を取り揃えている姿を見ていたら、60年前の自分の姿が思い出された。入試から入学手続きまで、すべて自分一人だったので、現代の若者たちが羨ましくもあり、頼りないようにも思えた。とはいえ、コロナ災禍で例年と異なる辛い受験勉強を経験し、入試・卒業式・入学式も終わり、学業に専念できる門出だ。若者の笑顔が清々しい。(^_-)-☆★聖火リレーは門出
3月25日、制約が多いなかで、東京オリンピックの聖火リレーが始まったが、各地で聖火リレーの中止・縮小やランナー辞退等で、全体的な盛り上がりが感じられない。海外メディアは、復興五輪開催への期待より、新型コロナ対策の不安をベースにした報道になっている。日を追って気運が高まるのだろうが、肝心の災害復興は、10年経っても遅々として進まず、「復興五輪」の看板がしかめっ面をしている"(-""-)”。残り4か月間で、解決すべき課題が山積しているが、開催するからには成功してほしいと願っている。海外からの観客受入れを見送っても、無観客の事態を招かないように、開催主体の東京都の徹底した感染対策が望まれる。★聖火リレー始まったが、、
3月21日は、日曜日とあって、若者で賑わっていたが、土産物店は栗の収穫期のような大混雑振りが影を潜め、どちらかと言えば、閑散としていた。新型コロナの影響とはいえ、駐車場に観光バスが止まっていない景色も不気味な静けさを与えた。狭い路地を縫って、街中を散策するのには好都合だったが、スイーツ店の前には、若者のグループが列をなし、立ち食い・食べ歩く姿は相変わらずで、嫌悪感を拭えなかった。一方、泊まった旅館の夕食時に6人組の若者と隣り合わせになった。政府の新指針の4人以下の会食に反するので、内心、アレっと思ったが、スマートな食事マナーに感心した。宿泊施設による対策と、宿泊客の心構えさえしっかりしていれば、コロナに感染する不安を感じることなく、楽しく過ごせることを確信した。★小布施で見たマナーの違い
一都三県の緊急事態宣言の最終日21日に、小布施を訪れた。3年前に見そびれた北斎最晩年の大作「大鳳凰図」(89歳時)と一茶ゆかりの古寺「岩松院」をどうしても見ておきたかったからで、この時期を逃すと混雑必至だった。小布施は、半径2㎞程の範囲に約1万人が住む小さな町だが、年間、100万人の観光客が訪れる人気の観光地だ。さて、岩松院までは、長野電鉄小布施駅から約2㎞なので、リンゴ畑を見ながらゆっくり歩いても30分で着く。説明を聞いた後、畳に座って見上げる天井画は、それほど大きくないが、「北斎館」内に展示されている作品と異なる鬼気迫る迫力があった。一年中、混雑するので、市内観光バス「小布施ロマン号」が運休中の今の時期に防寒対策をして、のんびり徒歩観光を楽しみたい。★小布施紀行
「緊急事態」と聞くと、緊張感が走り、身構えるように、言葉の響きと言うものは、不思議な力を持つ。これは、災害大国ニッポンが背負う宿命から研ぎ澄まされた感性で、新型コロナに使用すべき言葉かどうかと、戸惑いを感じるようになった。大都市で、夜間の外出自粛や営業時間規制を無視する現象が起きる一方で、指示に忠実な地方都市が、正常な経済活動を阻害されている。この矛盾した現実をどう解決して行くかが、今後の大きな課題で、これは偏に東京都知事のリーダーシップにかかる。都知事は、為政者であって、広報官ではない。政府が、緊急事態を解除した背景には、「緊急事態」の定義にそぐわないとの判断が働いたと勘繰っている。緊急事態宣言解除の意味(番外編)
菅総理は、3月21日で、1都3県の緊急事態宣言を解除すると発表したが、今後の対策となる「5本の柱」は、個人の行動面で、従来と変わるところが無い。為政者が、専門家を交えて1年間、学習を積んできた結果の判断を、軽々に評価するを慎み、収束に向かうことを願うばかりだ。安全と安心は自らの手でと肝に銘じ、自分の立ち位置だけを固め、感染予防に努めればよい。1年前は、マスク着用を嫌ったが、途中から、マスクをしないと不安になり、今ではマスクをしていない人に嫌悪感をもつようになった。これが、良いことなのかどうかはさておき、自分のありていだと思ったら、気が楽になった。"(-""-)"★緊急事態宣言解除の意味
1都3県の緊急事態宣言の解除に関心が集まっているが、東京オリンピックの開催を断念するつもりなら、解除すれば良い。率直に言えば、どうでもよい。東京の人出をTV映像で見る限り、平常時の混雑ぶりと大差なく、専門家でなくても、「リバウンド」の可能性を感じる。さて、花見や、卒業・入学・入社等々で、人の移動が多くなるシーズンになった。卒業旅行で、金沢へやってきた大学生が、「比較的安全なので、美味しいものを一杯食べて、観光を楽しみたい」と、臆面もなくインタビューに答える。飲食は、人数と無関係で、串焼き・たこやき・コロッケ等々、食べ歩きグルメ禁止令を出さない限り、若者たちが、ウイルスを拡散する構図は変わらない。某県知事でなくても、「東京にオリンピック開催の資格はない」と言いたくなる。★東京無情
東日本大震災の被害は、家屋の全壊・半壊で約30万戸数、死者約16,000人で、行方不明者は2,525人にのぼる。家屋は再建できるし、死者の霊も弔うことが出来る。しかし、行方不明の場合、残された者の思いは、複雑で痛ましい。愛おしい人を失った悲しみでも、年月の経過とともに和らぐが、生死が分からない場合、気持ちの踏ん切りがつかず、心が休まるときがないのが道理だ。しかし、人間社会は、不条理の連続で、心の安定を求めるのが難しい。在りし日の姿を追って、後ろ向きに過ごしたのでは、もっと悲惨だ。「在りし日の記憶にすがり止まるより見果てぬ夢をともに進まん」。道を迷っても、歩いていれば同じ到達点に着くと思って、同行二人の心境に入れるものなら、、、。★鎮魂
金沢名鉄丸越百貨店は、三越が、1930年に金沢で開業したが、わずか5年で撤退したあと、丸越としてスタートし、1973年に現在の店名になった。私の生家は、すぐ近くだったので、丸越(旧大和)や近江町市場が幼少時代の遊び場で、語りつくせない楽しい思い出がぎっしり詰まっている。さて、時の流れは、物の形を変え、町の景色も変えた。住む人も変われば、心も変わり、個人の思い入れは跡形もなく、消える定めだ。忘れ去られて良いことや、忘れたくても忘れられないこともある。明日は、「東日本大震災」から10年目にあたる。人間の営み全体を包み込んで、時は流れる。新型コロナもやがて同じ道をたどる。「色即是空空即是色受想行識亦復如是」と唱えている。(合掌)★金沢の丸越百貨店(後編):思い出
今朝の地方紙の一面トップ記事は、「金沢名鉄丸越百貨店と、金沢スカイホテル売却」で、経済界はもとより、市民にも衝撃が走った。金沢では、近年、イオンモールやフォーラスなどの大型商業施設の開業が続き、百貨店は厳しい経営環境におかれていたが、コロナ禍が拍車をかけた。当面、新会社が、現在の事業を継続するようだが、経営母体が名古屋鉄道から茨城県の小売業を手掛ける資本金3,000万円、売上高126億円の会社になったことに不安を感じる。流通業界の変遷とともに、市場規模が縮小傾向にあった金沢の大和百貨店と名鉄丸越は、新型コロナの影響で、また新たな試練の時代を迎えている。★金沢の丸越百貨店(前編):売却
米原は、滋賀県で唯一、新幹線が停車するにも拘わらず、彦根と長浜の陰に隠れて、存在感が薄い。昭和62年、国鉄の分割民営化により、JR西日本とJR東海の境界駅になり、駅前の約2.7ヘクタールの広大な土地の再開発事業が遅れているからで、交通の要衝として栄えた往時を知っているので、なおさらその思いが強い。駅弁でお馴染みの「井筒屋」は、明治22年、東海道線開通と同時に創業した老舗で、米原駅構内で、10数人の売り子がいたが、現在では、新幹線ホームの売店と在来線コンコースだけになった。北陸新幹線の金沢~新大阪は、敦賀~小浜~京都ルートに決定し、米原への影響は大きい。個人的には、金沢・名古屋間の特急「しらさぎ」と東海道新幹線との接続がどうなるかと気をもんでいる。★彦根城と琵琶湖紀行(番外編)
琵琶湖湖畔の温泉は、西岸のおごと温泉が大規模で有名だが、東岸にも良い温泉がある。今回は、彦根の「千乃松原温泉」で、のんびり過ごした。大浴場から見る琵琶湖の眺めは雄大で、正面に伊吹山、左方に竹生島を一望できる。夕日が沈む頃、湖上を滑るように進む遊覧船をぼんやり見ながら湯に浸かった後、地酒と近江牛を堪能した。さて、近江牛の歴史は古く、彦根藩から将軍家への献上品目の太鼓に使う牛革を確保するため、牛の畜産と屠殺を許可されたので、牛肉を食べる文化が発達したと、スタッフに教わった。「伊吹そば」と「近江牛」ともに、彦根藩の長い歴史を通じて培われた産物で、「食は風土」だと実感した旅だった。★彦根城と琵琶湖紀行(完)
米原を挟んで、彦根と長浜の三つのつながりは、長浜で生まれ育ち、米原で秀吉と出会い、彦根で佐和山城主となった石田三成。米原は、秀吉と光成が出会った大原観音寺に「三椀の才」の逸話が残る。長浜は、一国一城の主になった豊臣秀吉が、最初の拠点とした地で、「今浜の地名を、信長の一字を貰って、長浜に改めた」とされる。城は、歴史舞台で数奇な運命に翻弄されたが、大坂冬の陣後、廃城となり、石垣をはじめ資材の大半は、彦根城築城に転用された。現在の長浜城は、1983年に再建され、歴史博物館として運営されているが、豊臣秀吉のほか、浅井長政、石田三成等の武将の生きざまを学習できる。なお、長浜は、黒壁スクエアや鉄道博物館、曳山会館など見どころが多い。今の時期なら、歴史・規模ともに日本最大の「盆梅展」が開催されており、会場の「慶雲館」は、駅か...★彦根城と琵琶湖紀行③長浜
彦根城近くの「夢京橋キャッスルロード」は、白壁と黒格子の町屋風に統一され、江戸時代の城下町をイメージした町並みで、新しい名所になっている。その一角にある献上そば「つる亀庵」は、伊吹山麓で栽培される在来種「伊吹そば」を扱っており、毎月末に「晦日そば」を供している。テーブルに置いてあった「本日は二月の晦日」と書かれたメモによると、「晦日そば」は、江戸時代中期からあった風習で、そばが切れやすいので、月末にその月の苦労を切り捨てて、翌月に持ち越さないようにと願いながら食べたのだそうだ。店では、お客様の家運・身代が、そばのように細く長く長続きし、寿命が延びるようにと願い、毎月、晦日限定で、1品縁起物をサービスしており、2月は出世魚の縁起を担ぎ「ぶり大根」だった。望外の温かい心遣いに感謝しつつ、ぶり大根とコシが強い伊吹そば...★彦根城と琵琶湖紀行②伊吹そば
日本には、12の天守が現存するが、彦根城は、国宝指定されている5城の一つで、”ひこにゃん”でお馴染みのお城。天守は、姫路城や松本城の流麗さにくらべ、切妻・入母屋・唐破風を多用した重厚な外観を呈している。外堀は、ほとんど埋め立てられたが、内堀と中堀は、ほぼ往時のまま残っており、ジョギングやウオーキングの周回コースとして、おあつらえ向きだ。2024年度の世界遺産登録を目指して、官民一体となった推進運動を展開中で、佐和口多櫓門近くの開国記念館内で、2021年2月27日から期間限定で、文化財を紹介している。井伊直弼が詠んだ「世の中をよそに見つつも埋もれ木の埋もれておらむ心なき身は」に清新の気概を感じるが、今の私の生きざまには、「むっとして戻れば庭に柳かな」の句の方が相応しい。"(-""-)"★彦根城と琵琶湖紀行
5月16日に開催される「第40回奥びわ湖健康マラソン」に参加するため、2月中に1時間運動できる体力づくりを目標とした。2月を振り返ると、思っていた以上に体力の減退が激しく、30分も歩くと足元がよれよれで、到底、ジョギングできる状態ではない。月が替わり、気合を入れ直そうと刺激を求めて1~2月の間に、4回ほど、北陸エリア内の1泊旅行をしたが、怠惰に流れた精神状態を元に戻すのは難しい。緊急事態宣言下で、GoToトラベルも中断しているので、2月28日から数年ぶりに彦根城を訪ね、伊吹山や竹生島を一望できる琵琶湖畔の温泉に泊まった。くしくも、その晩、びわ湖毎日マラソンで、鈴木選手が、日本人初の2時間4分台の日本新記録で優勝したニュースに接した。国内で最も歴史の長いマラソン大会で、ことしが最後と知り、感動と元気を貰った。★春まだ遠し
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