涙を流す、という行為は、生物学的には涙嚢から鼻涙管へ人間の体液と等浸透圧の液体が流れ出るだけの行為であり、特段意味をなさない。少しの水分と少しの塩分を失うだけであって、身体に大きな影響は一切もたらさない。 涙の社会的効能 しかし、社会的には、涙を流す事で対外的に 自分は今悲しい とても辛い事があり助けが必要な可能性がある 以上の2つを示唆する事ができる。つまり涙の社会的効能が存在する。どちらかというと涙するという行為は、こちらの社会的意義の方が重要で比重が大きいと言えるだろう。 孤独な人は涙を流す意味が無い しかし、周りに誰もいなければ、社会的アピールを行う対象が0である事になる。生物学的に意…
「みんな誰かと話したい」資本主義による群れの解除と孤独な中年〜老人の量産について
病院でやたらと喋ってばかりの老人、電話口でオペレーターと雑談をしたがるおじさん、ジムの受付の人とやたらと絡むマッチョなおじさん、やたらと後輩をネチネチと叱るコンビニの中年おばさん。みんな、その本質は「誰かと話したい」という率直な気持ちに過ぎないのだと思う。 周りに話す人がいない、という現象 これは現代に非常に特有な現象であろう。昔は、同じホモサピエンス、人類は家族単位で住んでいなかった。集団を作り、どちらかというと今でいう猿に近い生活形態を敷いていた。いわゆる「群れ」という団体である。ここでいう「群れ」とは、若い有能なオスがリーダーをして、長寿で知恵のある老人がそのバックにおり、あとは個々の家…
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