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  • 枕草子を読んできて(111)

    九八うへの御局の御簾の前にて(111)2019.2.27うへの御局の御簾の前にて、殿上人日一日、琴、笛吹き遊びくらして、まかで別るるほど、まだ格子をまゐらぬに、御となぶらをさし出でたれば、取り入れたるがあらはなれば、琵琶の御琴を、たたざまに持たせたまへり。紅の御衣の、言ふも世の常なる、打ちも張りたるも、あまた奉りて、いと黒くつややかなる御琵琶に、御衣の袖をうちかけて、とらへさせたまへる、みでたきに、そぼより御額のほど白くけざやかにて、はつかに見えさせたまへるは、たとふべき方なく、近くゐたまへる人にさし寄りて、「なかば隠したりけむも、えかうはあらざりけむかし。それはただ人にこそありけめ」と言ふを聞きて、道もなきを、わりなく分け入りて啓するば、笑はせたまひて、「われは知りたりや」となむ仰せらるる、と伝ふるもをかし。...枕草子を読んできて(111)

  • 枕草子を読んできて(110)

    九七無名といふ琵琶(110)2019.2.22「無名といふ琵琶の御琴を、うへの持てわたらせたまへるを、見などして、かき鳴らしなどす」と言へば、弾くにはあらず、緒を手まさぐりにして、「これが名な。いかにとかや」など聞こえさするに、「ただいとはかなく、名もなし」とのたまはせたるは、なほいとめでたくこそおぼえしか。淑景舎などわたりたまひて、御物語のついでに、「まろがもとにいとをかしげなる笙の笛こそあれ。故殿の得させたまへりし」とのたまふを、僧都の君の「それは隆円に給うべ。おのれがもとにめでたき琴侍り。それにかへさせたまへ」と申したまふを聞きも入れたまはで、なほことごとをのたまふに、いらへさせたてまつらむとあまたたび聞こえたまふに、なほ物ものたまはねば、宮の御前の「いなかへじとおぼいたるものを」とのたまはせけるが、いみ...枕草子を読んできて(110)

  • 枕草子を読んできて(109)その2

    九六内裏は、五節のほどこそ(109)その22019.2.19ことの蔵人の掻練襲、物よりことに清らに見ゆ。褥など敷きたれど、なかなかえものぼりゐず、女房の出でゐたるさま、ほめそしり、このころはこと事はなかンめり。◆◆ことにあたる蔵人の掻練襲は、何よりもましてきれいに見える。褥などがしいてあるけれど、かえってその上に座っていることもできず、女房が出て座っている有様は、ほめたりけなしたりして、このころは念頭にないようだ。◆◆■掻練襲(かいねりがさね)=紅の練絹の下襲をさすという。帳台の夜、行事の蔵人、いときびしうもてなして、「かいつくろひ二人、童よりほかは入るまじ」とておさへて、面にくきまで言へば、殿上人など、「なほこれ一人ばかりは」などのたまふ。「うらやみあり。いかでか」などかたく言ふに、宮の御方の女房二十人ばかり...枕草子を読んできて(109)その2

  • 枕草子を読んできて(109)その1

    九六内裏は、五節のほどこそ(109)その12019.2.15内裏は、五節のほどこそすずろにただならで、見る人もをかしうおぼゆれ。主殿司などの、いろいろのさいでを物忌みのやうにて、さいしきつけたるなども、めづらしく見ゆ。清涼殿のそり橋に、元結のむら濃、いとけざやかにて出でゐたるも、さまざまにつけてをかしうのみ。上雑仕、童べども、いみじき色ふしと思ひたる、いとこたわりなり。山藍、日陰など、柳筥に入れて、かうぶりしたるをのこの持てありく、いとをかしう見ゆ。殿上人の直衣ぬぎたれて、扇やなにやと拍子にして、「つかさまされとしこきなみぞたつ」といふ歌うたひて、局どもの前わたるほどはいみじく、添ひたちたらむ人の心さわぎぬべしかし。ましてさと一度に笑ひなどしたる、いとおそろし。◆◆内裏は、五節のころこそ何やら無性にいつもと違っ...枕草子を読んできて(109)その1

  • 枕草子を読んできて(108)

    九五細太刀の平緒つけて、清げなるをのこ(108)2019.2.12細太刀の平緒つけて、清げなるをのこのこの持てわたるも、いとなまめかし。紫の紙を包みて封じて、房長き藤につけたるも、いとをかし。◆◆細太刀の平緒をつけて、きれいな感じの召使の男が持って通るのも、たいそう優雅だ。紫の紙を包んで封じて、房の長い藤につけてあるのも、たいへんおもしろい。◆◆■細太刀の平緒(ほそだちのひらを)=束帯の時につける儀礼用太刀で、その太刀につける平組の緒。緒の結び余りを前に垂らす。*写真は細太刀長さ85江戸時代三条家伝来の細太刀。鞘は唐木の素木とし青貝の孔雀で装剣される。細太刀は、華麗な飾りで知られる唐剣系の飾剣の飾りを簡略にしたもので、束帯着用のとき平緒で佩用することから平緒の太刀とも呼ばれる。刀身は水牛角。枕草子を読んできて(108)

  • 枕草子を読んできて(107)その2

    九四宮の五節出ださせたまふに(107)その2若き人の、さる顕証のほどなれば、言ひにくきにやあらむ、返しもせず、そのかたはらなるおとな人たちもうち捨てつつ、ともかくも言はぬを、宮司などは、耳とどめて聞きけるに、久しくなりにけるかたはらいたさに、こと方より入りて、女房のもとに寄りて、「などかうはおはするぞ」などぞささめくなるに、四人ばかりをへだててゐたれば、よく思ひ得たらむにも言ひにくし、まして歌よむと知りたる人のおぼろけならざらむは、いかでかとつつましきこそはわろけれ。「よむ人はさやはある。いとめでたからねど、ふとこそは言へ」と、爪はじきをしありくも、いとほしけれ、◆◆(小弁は)年若い人で、このような人目に立つ場所柄なので、言いにくいのであろうか、返歌もしない。またその側にいる年かさの女房たちも聞き捨てにして、何...枕草子を読んできて(107)その2

  • 枕草子を読んできて 「五節の舞姫とは」

    ■■五節の舞姫とは■■2019.2.6五節舞、五節の舞(ごせちのまい)とは、大嘗祭や新嘗祭に行われる豊明節会で、大歌所の別当の指示のもと、大歌所の人が歌う大歌に合わせて舞われる、4~5人の舞姫によって舞われる舞。大嘗祭では5人。大歌所には和泉国から「十生」と呼ばれる人が上洛し、臨時に大歌所に召された官人に教習した。別当はこの大歌所の責任者である。舞姫は、公卿の娘2人、受領・殿上人の娘2人が選ばれ、選ばれた家は名誉であった。また、女御が舞姫を出すこともあった。大嘗祭では公卿の娘が3人になる。古くは実際に貴族の子女が奉仕し、大嘗祭の時には叙位にも預かった。清和天皇の后の藤原高子も后妃になる前に清和天皇の大嘗祭で舞姫を奉仕して従五位下に叙された。もっとも貴族女性が姿を見せないのをよしとするようになった平安中期以降、公...枕草子を読んできて「五節の舞姫とは」

  • 枕草子を読んできて(107)その1

    九四宮の五節出ださせたまふに(107)その12019.2.5宮の五節出でさせたまふに、かしづき十二人、こと所には、御息所の人出だすをば、わろき事にぞすると聞くに、いかにおぼすにか、宮の女房を十人出ださせたまふ。今二人は、女院、淑景舎の人、やがてはらからなり。◆◆中宮様がその御もとから五節の舞姫をお出しあそばされるのに、介添えの女房十二人について、よそでは、御息所にお仕えする女房を出すのをば、よくないことにしていると聞くのに、どうおぼしめすのであろうか、中宮方の女房を十人お出しあそばされる。あとのもう二人は、女院と、淑景舎との女房で、その二人はそのまま姉妹の間柄であったのだった。◆◆■宮の五節=正暦四年(993)十一月のことか。■かしづき十二人=八人が通例。■女院=皇太后藤原詮子。東三条院。一条帝母。兼家の二女。...枕草子を読んできて(107)その1

  • 枕草子を読んできて(106)

    九三なまめかしきもの(106)2019.2.2なまめかしきものほそやかに清げなる君達の直衣姿。をかしげなる童女のうへの袴などわざとにはあらで、ほころびがちなる汗衫ばかり着て、薬玉など長くつけて、高欄のもとに、扇さし隠してゐたる。若き人のをかしげなる、夏の几帳の下打ちかけて、白き綾、二藍ひき重ねて、手習ひしたいる。薄様の草子、むら濃の糸してをかしくとぢたる。柳もえたるに、青き薄様に書きたる文つけたる。◆◆優雅なものほっそりとしてきれいに見える貴公子の直衣姿。明るく可愛らしげな童女が、上の袴などをことさらにははかないで、縫い合わせの少ない汗衫(かざみ)くらいなのを着て、薬玉など組糸を長くして袖脇あたりにつけて、高欄のもとに、扇で顔を隠して座っているの。若い女房でうつくしげな人が、夏の几帳の帷子の裾を上に引っ掛けて、...枕草子を読んできて(106)

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