【人気度】chatgpt
新構造展/自由美術展/新制作展/日本アンデパンダン展彫刻家・画家の作品・福島県郡山市在住
現代日本彫刻家・福島県郡山市彫刻家・石膏彫刻家・石彫彫刻家・木彫彫刻家・テラコッタ彫刻家・FRP彫刻家・セメント彫刻家/マルタ国観光文化大臣賞他
*いつも、有難うございます。【パンを食む女】テンペラ画
【戦争の惨禍】油彩画
【ふたり】油彩画
【福島県彫刻家・日展入選】大河原隆則「太陽の下」
【抽象彫刻・紹介記事】
*1997年頃、庭先で彫った頭です。自然石で硬いのでダイヤモンド・カッターで主に造りました。今思うと斬新だなあと思います。石自体は、大理石の様な粘りがあり、しかし、硬い。ノミが、立たない。【彫刻家】「HEAD」石彫
【穴のあるふたり】・・・こんな感じ
*2011年、制作したものである。11年、3.11で東北が、大崩壊を迎えた時信仰から神を望んだ。地震で多くの作品が壊れ、意気消沈している頃に復帰するつもりで作品を造った。真実の神の姿になっているかどうかは分からないが私は、このように表現した。後に、新構造展に出品した。【神】の像
「砦」石膏直付けの立像である。3.11の地震の時に壊れてしまった。キリストが、幼女を庇っている様子を形にした。着色予定があったが壊れてしまった。もちろん、未発表である。ネットでは、公表されてはいる。【砦】石膏直付け彫刻
安積歴史博物館収蔵作品「律」2000年福島県展県立美術館長賞この作品は、1989年制作、材料は栃の木寄木つくりで15~20cmの板材を張り合わせてひとつの塊にして彫っていった物、途中の段階で、7頭身だったものが、8頭身になったもの。上に伸びるように意識していたらそうなってしまった。*ご高覧、有難う御座います。【安積歴史博物館】「律」木彫
【最新作】「穴のあるふたり」制作中
「或る男」この作品は、1989年53回新制作展入選1995年福島県展大賞受賞した作品です。現在は、某中学校に収蔵されています。伝説が、出来ていてこの作品を一日一度撫でると良い事がある、と言われています。安山岩で、硬めのこの石は、思ったよりは彫り易く、コヤスケやビシャンで形を整え、凹んだ部分は、セントウやのみで。そして、張った所はグラインダーや、ヤスリで均し仕上げに耐水ペーパーで、番を落として磨いていく。といった作業がありました。粉塵で、肺が、やられます。*ご高覧、ありがとうございます。「或る男」大河原隆則
【謹んで、新年のご祝詞を・地震があるなんて・・】
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*ご高覧、有難う御座います。【天使デッサン】
【女の肖像】
【デッサン・男の立像】
【デッサン・少女】
【デッサン・彫刻家】
【抽象彫刻家斬新】
【ミノタウロス】
【終わりで始まり】
:ご高覧、有難う御座います。高さサイズ164cm【啓】若い女
私は、作家としてその人生を生きてきた中において、作品を世の中の人に購入してもらう等の関係性を築くことは、とても重要なことと考えており、このブログを通じて実現することが出来るのであれば、非常に嬉しく、また、誇らしく思います。そんな未来になる事を信じてブログを続けます。その第一弾として右クリックが、使えるようにしました。是非、私の作品を印刷して、壁にでも飾って下さい。どうぞ、よろしく。【重要なお知らせ】
*ご高覧、有難う御座います。【トルソ】大理石
【抽象彫刻家】斬新
【彫刻家】「暴徒」
【独裁者】
【独善者】
*この作品は、新制作展に出品して三度目の入選したものです。FRP成型です。【VoiceoftheEarth】FRP
【ピカソ・デッサン】紹介記事
*ご高覧、有難う御座います。【ヨハネの黙示録】ミクス・ド・メディア
*ご高覧、有難う御座います。【ビナー】ミクス・ド・メディア
【具象彫刻家】紹介記事
【神とキリスト】作品紹介記事
娘が、モデルです。ご高覧、有難うございます。【蜜蝋彫刻】大河原隆則「五つ」
ご高覧、有難うございます。【ミニマル抽象】1
ご高覧、有難うございます。【ミニマル抽象】2
【彫刻家】オオカワラタカノリ・若い時
ご高覧、有難う御座います。【まめねこ】2・・芸術は、衝動だ!!
ご高覧、ありがとうございます。【改良まめねこ】1
Mr.Children名もなき詩Mr.Children名もなき詩
ご高覧、有難うございます。息子、小5の時モデルにして造った顔です。【テラコッタ彫刻】大河原隆則「少年の首」
虐待をしていたのは、父親ですが母は、そんな暴力的で怒鳴り散らし何でも命令的な父親を恐れていたようです。そんな中でも、楽しみはあって近所の仲良くなった友達と、かくれんぼや鬼ごっこ、めんこ等で晴れた日は、遊び。雨の日は、主に、家で粘土で遊んでいた。4~6歳は、油土だったけれど、その後はゴム粘土にはまっていた。人や、変身物のキャラクターを真似て作っていた。動物には、あまり興味は、無かった。色がついていて、混ぜると絵の具のように色が変化するものだった。【自伝】4
それは、部屋の中が薄暗い日に起こった。おそらく小学一年だったろう。梅雨か、春先の薄ら寒い家の中で薄暗くした部屋の中、「この前、買ってきた本、持って来い。」「そして、読め。最初から。」その本は、兄が、買ってもらった本で私のではない。兄は、私よりも二つ上だ。徐に持ってきて読もうとするが、読めない、ひらがなの羅列。私は、まだ、ひらがなさえろくに読めない。「読めない。」「そんなわけ無いだろ、、読んでみろ。」「あ・・・い・・・ん。。。??」「何で、読めねえんだ?」バシッ。一発目のビンタが来た。イッテッ「もう一回、読んでみろ。」「う・・・ら・・か・・??」「馬鹿か?」ビシッ。余りに痛く、強かったので。痛い、、、涙が出る。「泣くな。」バシッ、バシッ。往復ビンタが来る。痛かったら、泣くだろう。。泣けなくて、、正座をずっと...【自伝】3
私が、3歳の時、やっと覚えかけた言葉も九州弁から東北弁へと柔軟に変わることもできず、ドモリが始まってしまった。ドモリは、なかなか治らなかった。やっと出来た同じ住宅のhitosi君が、私の乗った三輪車を後ろから押して崖から、私を落としてしまった。幸運なことに、水路の一番大きくなっている四角い所に、私は、スッポリ入ったのだ。怪我も無く、泣いて小さな家に帰った。【自伝】2
私は、高千穂の里のある宮崎県に生まれた。三人兄弟の次男坊として生まれた。三つまで児湯郡新富町にいた。思い出は、浜辺で腹を砂に付けてムツゴロウが這っているのを見ている様子。後になって、二三歳の時の白黒写真を見せてもらって父親に可愛がられていたと思った。三つになったばかりの春、福島県の大越町に引っ越してきた。父親が、航空自衛隊員だからだ。【大河原隆則自伝】1
脚を怪我して悪くなって一年半になる。彫刻作業は、ほとんど出来ていない。生活も不便だ。しかし、奇跡を信じているので何れ治る。戦争で、死んだり、負傷したりした人も沢山いる。トルコ地震、コロナ、様々な天変地異何故、健康であることが、有難いのか?皆、それを感じている。平和であること、経済が安定していること病気や怪我で不自由でないことその大切さを皆が、感じている。時代の変換期に、何を思おう皆が、同じ様に痛みを理解する新しい時代を。【新しい時代】・・・雑記
ご高覧、有難ございます。【彫刻家】大河原隆則
寒いですね。年を取った現在の写真です。何日もの間、体の様子を見ながら少しずつやってきました。制作というのは、本当にナメクジが這うようなスピードでもコツコツと積み上げていけば形になるものですね。細かいところのディテールで気になるところが、また出てきそうなので着色は、しないで置こうと思います。応援くださった皆さん、本当に感謝申し上げます。有難う御座いました。【彫刻家】大河原隆則・・「穿つ・人」と作者・中堅
ご高覧、ありがとう御座います。【抽象画】大河原隆則・「抽象Ⅴ」
【具象彫刻家】紹介記事3
【具象彫刻家】紹介記事2・・世界は、広いは。