私は、レッスンの時に生徒が暗譜をしていなくても「楽譜を閉じて」弾くことを要求することがあります。これは「暗譜しているかどうか」よりも「生徒が何に気を付けているか?また、何に気を付けていないか」をはっきりさせるためです。普通、1カ月も同じ本を毎日最初から読んでいれば、最初の文章ぐらいは覚えていると思います。この読者の中には「平家物語」や「吾輩は猫である」「草枕」「雪国」なんかだったら、最初の一節ぐらいは言える人も多いと思います。さて、楽譜を閉じて最初の数小節のまとまりを弾いたときに「何を忘れるか?」です。例えば、最初の1,2小節は弾けても、まとまりのある終止形までたどり着かない。といった場合、曲を始めるときの「ひとまとまり、ここまで歌おう」という長いフレーズが、考えられていないときに起きます。また、内声を忘れる、...暗譜と譜読み=集中力のある練習につなげるためにも
チャイコフスキー:四季4月松雪草です。これは、音楽的には独奏楽器(Celloとか)とピアノの伴奏パートと考えるといいと思います。ついつい、一本の線で何とかしようとすると、譜例③のように考えてしまう。これで、メロディーの赤い音だけ大きく弾く、というのはどんなもんだろう?私は疑問を感じます。これは以前から指摘している「ジグザグ読み」「ぶら下がり読み」の一種です。「いくつかの異なった音のグループが同時に様々に存在する」ということを無視しています。「ピアノは合奏である」という発想そのものにも反します。メロディーは音から音へ膨らんでつながっていく。音が伸びている間の意識がなくなってしまう上記の譜面では、「メロディーの音」は出せても「豊かに歌う」ということにはならないです。譜例②を使ってCelloパートを歌いながらピアノ伴...チャイコフスキー:四季4月松雪草です
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