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  • 里山の石神端書 栃木県那須町芦野

    那須町芦野・堂の下観音堂の十九夜塔那須町芦野・路傍の小便小僧那須町芦野・最勝院の十六羅漢那須町芦野・三光寺の歓喜天(聖天)と大根那須町芦野・揚源寺の奉納剣那須町芦野・温泉神社の逆立ち狛犬里山の石神端書栃木県那須町芦野

  • 昭和の石仏写真館(132)大田区の寺社⑳田園調布

    伊藤介二・昭和の石仏写真館・東京都大田区田園調布密蔵院本堂密蔵院庚申堂青面金剛案内庚申塔案内庚申塔寛文3年(1663)延宝元年(1673)宝永6年(1709)正徳3年(1713)昭和の石仏写真館(132)大田区の寺社⑳田園調布

  • 里山の石神端書192 逆立ち狛犬(栃木県那須町)

    那須町芦野・温泉神社の逆立ち狛犬芦野はかつての奥州街道関東最後の宿場町。街は外れの温泉神社に逆立ちした狛犬がいました。かつては寺社屋内に守護として置かれた狛犬は、近世になるとどの神社の境内に造立されるようになりました。また形の決まりも少なく、像容は石工の腕の見せどころでしから、よく見られる玉乗りや子持ちなどはじめ地方独特の型も生まれて、膨大な数の狛犬が造られました。これを分類した先人、出版物も出ました。手元にある橋本万平氏の『狛犬を探して』(注)では、近世の狛犬を江戸・浪花・出雲・尾道・伊部・丹後・肥前など地方別に分類した狛犬が取り上げられています。像容分類の中の一つが逆立ち狛犬で、金沢地方に多いそうです。それで温泉神社の狛犬は、身体を45度に上げた見事な逆立ち狛犬です。逆立ちの角度はいろいろありますが、...里山の石神端書192逆立ち狛犬(栃木県那須町)

  • 里山の石神端書191 奉納剣(栃木県那須町)

    那須町芦野・揚源寺の奉納剣芦野はかつての奥州街道関東最後の宿場町。揚源寺は修験の寺で檀家はありません。山門脇に平成二十八年年造立の素朴な地蔵菩薩が立っていました。本堂脇の小さな沢の奥、アスナロウの巨木の根本に沢山の剣が納められています。どのような信仰があっての奉納かはわかりません。剣の下にある自然石には線刻の不動明王が刻まれていました。剣の奉納はこの不動明王に祈願するため、不動の持物である剣を奉納したのでしょう。寺社の奉納物には絵馬・太刀・鳥居・柄杓・しゃもじ……数えたきりがないぐらいですが、長野県の修那羅山のように石造物を納めるところもあります。これまで見てきた奉納物で、数が多く美しいと感じたのは千葉県下総町の道祖神石祠=下の写真上=、宮城県角田市の羅漢=写真中=、群馬県片品村の陶器狐=写真下=です。(...里山の石神端書191奉納剣(栃木県那須町)

  • 昭和の石仏写真館(132)大田区の寺社⑲鵜の木

    伊藤介二・昭和の石仏写真館・東京都大田区鵜の木光明寺光明寺61世順譽上人光明寺の閻魔王増明院庚申塚庚申塚の庚申塔庚申塚の庚申塔昭和の石仏写真館(132)大田区の寺社⑲鵜の木

  • 里山の石神端書190 歓喜天と大根(栃木県那須町)

    那須町芦野・三光寺の歓喜天(聖天)と大根芦野はかつての奥州街道関東最後の宿場町。三光寺の境内に「日本三所歓喜天参詣道/大正九年」銘の石碑が立っています。寺の案内には、弘法大師が彫った三体の歓喜天の一躰が応永年間(1342~44)にこの地に迎えられたとあります。聖天の別名もある歓喜天は夫婦和合・子宝の仏で、その姿は人身象頭二天抱擁。身体は人で、頭は像の二天が抱き合う姿です。歓喜天のシンボルは交差する大根。境内には交差した大根が主な場所に見られ、それを彫った石もありました。歓喜天の大根について、経典には「象頭人身、右手に鉞を持ち、左手は蘿蔔根を執る」とあります。蘿蔔(すずしろ)根は大根。これが歓喜天の象徴となって、歓喜天を祀る寺に大根を奉納するようになり、なかでも二股大根を選ぶのは夫婦和合を意味しています。(...里山の石神端書190歓喜天と大根(栃木県那須町)

  • 里山の石神端書189 十六羅漢(栃木県那須町)

    那須町芦野・最勝院の十六羅漢芦野はかつての奥州街道関東最後の宿場町。最勝院の山門に仁王、入った左手に十六羅漢が並んでいました。いずれも新しい石仏です。最近新しい仁王を見かけますが、最勝院の仁王は表情や手先の細部、全体のバランス、どれも非の打ちどころなにほど完成されています。アンバランスなところが石仏の魅力だった視点からすると、まぶしいぐらいです。十六羅漢も同じですが、手足の細工が大雑把です。境内に味のある六地蔵が並んでいました。(地図は国土地理院ホームページより)里山の石神端書189十六羅漢(栃木県那須町)

  • 昭和の石仏写真館(131)大田区の寺社⑱下丸子

    伊藤介二・昭和の石仏写真館・東京都大田区下丸子頓兵衛地蔵頓兵衛地蔵頓部地蔵案内頓兵衛地蔵天祖神社長福寺蓮光院蓮光院案内六所神社昭和の石仏写真館(131)大田区の寺社⑱下丸子

  • 里山の石神端書189 小便小僧(栃木県那須町)

    那須町芦野・路傍の小便小僧芦野はかつての奥州街道関東最後の宿場町。街に入る路傍に石造物が並び、そのなかに小便小僧が立っていました。古びていて昔からこの地に立っていたような姿です。しかし小便小僧はベルギーのブリュッセルが本家のはず。おかしいので、通りかかった親父さんに尋ねると、自分が置いたものでもらってきた物だそうです。さらに横に並ぶ如意輪観音は山奥の集落からもたってきた石仏だと。この場所の石造物は親父の個人的趣味で集め置かれたようで、こうなると一緒に並ぶ聖観音や「馬頭観音」銘石塔も怪しくなってきました。これまでも山間の集落で、道路拡張工事などで集められた石仏を沢山見てきましたが、あくまでも集落で信仰された石仏であることが基本と考えていました。ごく稀に個人的な石造物もありましたが、それはいずれもこの石像はお...里山の石神端書189小便小僧(栃木県那須町)

  • 里山の石神端書187 十九夜塔(栃木県那須町)

    那須町芦野・堂の下観音堂の十九夜塔芦野はかつての奥州街道関東最後の宿場町。宿場の南にある堂の下観音は山肌の岸壁を利用した観音堂です。本尊は如意輪観音。かつて岸壁に磨崖仏があったそうですが、今は岩が崩壊してありません。そこにどのような仏が彫られていたかも不明です。お堂の参道に子安輪観音が座していました。「十九夜供養/寛政八年丙辰天(1796)/十月十九日」銘があり、十九夜塔です。栃木県は十九夜塔の多いところで、古い資料ですが『下野の野仏』(注)には、県内の十九夜塔1599基と報告されています。庚申塔は1334基で、二十三夜塔が602基です。十九夜塔を造立したのは十九夜講中で、女性のみの講中。同書には「安産祈願等女性固有の信仰で、十九夜念仏を唱和する」とあり、那須町の十九夜念仏和讃を紹介しています。そのなかに...里山の石神端書187十九夜塔(栃木県那須町)

  • 昭和の石仏写真館(130)大田区の寺社⑰多摩川

    伊藤介二・昭和の石仏写真館・東京都大田区多摩川遍照院遍照院供養塔案内遍照院・念仏供養塔遍照院・庚申供養塔遍照院・廻国供養塔遍照院・庚申供養塔安方神社諏訪神社東福寺東福寺・馬頭観音昭和の石仏写真館(130)大田区の寺社⑰多摩川

  • 里山の石神端書・山梨県南部町本郷

    南部町本郷の若宮・山王社の丸石南部町本郷の原間・三差路の道祖神南部町本坊の原間・法眼寺の日蓮大菩薩南部町本郷の沢・妙善寺の題目塔南部町本郷の峰・七面社里山の石神端書・山梨県南部町本郷

  • 里山の石神端書186 七面社(山梨県南部町)

    南部町本郷の峰・七面社南部町は奥州南部氏の発祥の地、身延山参詣の道の地でした。峰集落の東の森のなかに七面社が建っていました。地図では神社マークになっていますが、七面社ですら神社扱いなのでしょうが、私の感覚からすると七面は身延山の西にそびえる山、七面大明神が住む敬慎院という寺ですから、寺扱いです。七面大明神は、身延山の日蓮の噂を知って、「婦人に身を変えて日蓮の説法を聞きに行った」という七面大明神縁起に記された身延山の守護神で、日蓮宗の寺には、少し離れた山に祀られていることがあります。その姿は女神です。峰集落の七面山への道にはいると「南無妙法蓮華経」の髭題目があり、その先の「馬頭観音」文字塔があるところがかつて寺跡。さらに登ると墓地があり、七面社です。境内に石造物はありません。社殿の屋根や賽銭箱に七面山の家紋...里山の石神端書186七面社(山梨県南部町)

  • 日本の石仏179(2023-04)

    ■発行・日本石仏協会〒254-0031神奈川県平塚市天沼7-59-305(中森)TEL0463-24‐0203■発売・青娥書房〒101‐0051東京都千代田区神田神保町2-10-27TEL03‐3264‐2023■2200円【表紙】調神社の狛兎/さいたま市浦和区岸町(長島誠)【写真】▼春うらら蚕影三尊/長野県木曽町黒川郷(新井るい子)▼北向庚申塔、如意輪観音/三重県伊勢市の石山観音公園(三代川千恵子)▼猫神様/宮城県丸森町/長野県伊那市(下平武)▼限界集落の神仏/新潟県上越市柿崎区平沢、群馬県桐生市黒保根楡沢(田中英雄)【ご挨拶】▼会長退任のご挨拶(大野邦弘)▼新会長就任のご挨拶(川野明正)【特集】尊名のわからない石仏▼肥前地方で出会った尊名不詳の石仏(中野高通)▼尊名のさだまらない石仏-地蔵・観音・庚申...日本の石仏179(2023-04)

  • 里山の石神端書185 題目塔(山梨県南部町)

    南部町本郷の沢・妙善寺の題目塔南部町は奥州南部氏の発祥の地、身延山参詣の道の地でした。国土地理院の地図、峰集落に神社マークがついている場所に題目塔が3基立っていました。その一つに「光福山妙善寺」銘が入っているので、場所を妙善寺の題目塔としました。この塔は「寛文十一辛亥年(1671)」銘の題目塔。いま3基の題目塔は藪のなかですが、かつては妙善寺参道に立てられようです。その一つには「宗祖日蓮大菩薩六百年遠忌報恩塔/明治十四年十月十三日立之/身延山七十四世日鑑」とあります。もう一つは「天明元辛丑(1781)十月十三日」。10月13日は日蓮の命日です。この山奥には集落ごとに日蓮宗の寺が建てられました。地元の人の話では、かつて身延山に参る身延道になっていた、と聞きました。西からの身延道は東海道の興津から穴原に出て万...里山の石神端書185題目塔(山梨県南部町)

  • 屋上菜園2023-05闘病日記13

    3月4月と例年にない暖かさで、今年の夏野菜の植え付けは早いと判断、4月中旬にキュウリを植えました。キュウリ栽培は久々です。トマト・ピーマンも植えました。オクラも植えたいのですが、プランターはタマネギ・ニンニク・ジャガイモで空きがありません。ジャガイモは丸ごと植えたので芽がいくつも出たので間引きました。間引かないと沢山の小さなジャガイモになるそうです。*3月初め、副作用がひどいので抗がん剤を減らしてもらいました。ところが3月末、抗がん剤の副作用で軽い肺炎(薬剤性肺炎)を起こし、抗がん剤・治験薬を中断、肺炎の薬を処方されました。肺炎は命取りになりますから、担当医も慎重です。その結果、鼻血・口内炎・始終満腹感の胃・皮膚の炎症・お尻の痛みなど、抗がん剤の副作用は数日後に解消し、食欲が出、体重も増え出しました。そし...屋上菜園2023-05闘病日記13

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